







1961(昭和36)年ころ、我が国の電力需要は成長期にあり、中国電力と四国電力との間で電力の融通が必要となった。そのために瀬戸内海を渡る送電線の建設が計画され、中国電力広島変電所と四国電力伊予変電所の間を途中の島々を経由してつなぐ送電電圧220kV、送電電力30万キロワットの送電線、中四幹線が建設された。施工主体は電源開発株式会社であった。
瀬戸内海は海運が盛んで、送電線の下を船舶が自由に通れる高さが必要となり高い送電鉄塔の建設の運びとなった。
1994(平成6)年瀬戸大橋に220kVのケーブルが添架され、新しい中四幹線が建設されると同時に、旧来の中四幹線は不要となり、中国電力から島々に電力を送る大三島支線として中国電力(現在の中国電力ネットワーク株式会社)に移管され、運用されることになった。送電鉄塔、送電線はそのままに、送電電圧は110kVに降圧され、送電線2回線のうち、1回線が使われることとなり今に至っている。
中国電力の110kV変電所からの送電線をT分岐して、広島県竹原市、竹原沖に浮かぶ大久野島を経由して大三島に電力を送っている。この図におけるNo.10とNo.11鉄塔が調査対象である。
この二つの鉄塔で結ばれた送電線が海峡(三原瀬戸)を渡る。本土(忠海)~大久野島間(2,357m)の中国電力大三島支線を支えるために、1961(昭和36)年に建造された鉄塔の高さは226mである。1本が10トンを超える送電線6本(3相の2回線)を支え、送電線が自身の重みのために多少たわんでも、その下を船が安全に航行できる高さ(海面上42m)を確保するためにこの高さになった。本土(忠海)~大久野島間の2,357mという距離も、中国四国連絡送電線のなかでは最長である。
鉄塔の構造は両者同じで、通常の送電鉄塔と同じで4脚の構造となっている。鉄塔に関する建設銘板は、中四幹線としてつくられた銘板が置かれており、土木工事、鉄塔、電線などの企業名が示されている。
本土側のNo.10では、4脚の内1脚はコンクリートで作られた土台の上に置かれている。大久野島の鉄塔は、海抜95メートルの岡の上に置かれている。
鉄塔自体の重量も937tある頑強なものだが、1959(昭和34)年に襲来した伊勢湾台風の被害を鑑み、巨大台風の到来にも耐えうる構造になっている。そのため、鉄塔に使用される鋼材としては、Cの字型をしているC形鋼(Cチャン)が用いられた(図7)。C形鋼は、鋼板を曲げて作られる薄肉の鋼材で、軽量かつ高強度、曲がりにくく、たわみにくいという特徴がある。鉄骨造建築においては、それまで思い加重のかからない部分や、小規模の建築物で使用されることが多かった。工場や倉庫などの比較的軽量な建築構造物の一部で目にすることがよくあったが、通常等辺山形鋼(アングル)を用いる送電鉄塔への適用例は少なかった。
また、海風による電線の振動を抑える装置、塩分による腐食を防ぐ対策を施した電線(電線の周囲にぐるりと防食油を塗る「重防食」を実施)などはすべて特別仕様になっている。滑車を付けたカゴを送電線にぶら下げ、古い防食油を剥いだ後に電線を磨き、新しい防食油を塗るというメンテナンスも行なわれている。
No11鉄塔の置かれている大久野島は、戦前は芸予要塞、戦時中は毒ガス開発、そして近年では「うさぎの島」として知られている。(鈴木浩)
1) 電気事業連合:「エネルギーの現場」島をつなぐ送電鉄塔 中国電力大三島支線・大崎火力線、Enelog、Vol.5、2012
2) 日本で最も高い送電鉄塔 – 日本記録、日本記録認定協会(公式)