











「黙想の家」聖フランシスコ修道院(旧名称、以後当修道院と呼ぶ)は、桐生市を流れる渡良瀬川左岸の吾妻山のふもとに広がる約7,000坪の敷地に1955(昭和30)年11月竣工した。2011(平成23)年3月修道院としての役目を終え、2016(平成28)年カトリックさいたま教区に無償譲渡され、現在は桐生研修センター フランシスコの家となっている。 西側道路から門を抜け坂道を上がり平らな部分に進むと、聖フランシスコの像が立つ。その先に建物が山を抱えるように「へ」の字の形状で建っている。竣工時は木造一部鉄筋コンクリート造地上2階地下1階建で、延べ面積1,657.47㎡であった。平面構成は聖堂を中心に、1階東側に会議室、食堂、厨房、西側に玄関、事務室、宿泊室など。2階は東側、西側とも宿泊室などが並ぶ。空調は地下のボイラー室より送られるスチームによるセントラルヒーティングであった。重油のボイラーが地下にあり、当時の設備を置いたスペースが廊下の壁面に残る。設計はカール・フロイラー(Karl Freuler)、施工は親建会工務所である。1971(昭和46)年に増築。増築部は鉄筋コンクリート造一部鉄骨造3階建、増築面積470.34㎡。設計者、施工者とも不詳。敷地内には国内でも珍しい、等身大の石造による「十字架の道行」があり、前庭の水路を超えた先から1留(イエスの死刑宣告)、敷地に沿って15留(イエスの復活)までが設置されている。施工は井上工業。12年をかけて完成させたという。「道行」入口には和服を着たマリア像が建っている。
設計者のカール・フロイラー(Karl Freuler:1912-2000)は、スイス人の司祭で建築家。1948(昭和23)年から1968(昭和43)年の20年間にわたり日本で100を超すカトリック教会、礼拝堂、修道院を設計している。「ル・コルビジュエを中心とする、ヨーロッパの新建築の運動を根拠としながらも、日本古寺の様式を徐々に取り入れ、第二次世界大戦まで伝導地にありがちであった歴史主義ときっぱりとたもとを分かつ作品群を成す。」との評価がある。当修道院の屋根は寄棟のセメント瓦葺、内部の聖堂は、祭壇に向かい左右の壁面に色ガラスの小窓を並べ、柔らかな光を取り入れる。華美な装飾はなく、機能的でシンプルな造りである。宿泊室はベッド、収納、机、洗面台と必要最低限に収められている。(作家性) 当時の青焼き図面も当修道院内に保管されており「FREULER」の記名も残っている。また1963(昭和38)年には桐生市川内町にある「聖クララ修道院」も彼が設計している。当修道院竣工時の施工は親建会工務所で、1921(大正10)年よりカトリック関係施設を施工している会社で、フロイラーの設計建物を数多く建築している。
第二次世界大戦開戦と同時に外国籍司祭はすべて拘留され、信徒も周囲から村八分にされるなど、キリスト教は困難な時期となった。 戦後は精力的な活動が再開され、修道者と司祭の養成も活発化した。そのような時代の要請から当修道院は建設され、群馬地区の修道者の本部およびフランシスコ会ニューヨーク管区の活動拠点の一つとなった。当修道院の建物が建ったころの桐生は、戦後の繊維業が大きく伸び、力をもっていた時期である。市内の有力な古参の信者たちが土地を探し修道院を誘致したという。(時代性) 司祭たちは県下の各教会(前橋、桐生、高崎、大間々、太田、舘林、伊勢崎、渋川、沼田、中之条、草津、富岡、藤岡、新町)に住み宣教活動をし、週に1度修道院に集い各教会の出来事や行事について報告、翌日に各教会へ話し合いの内容を持ち帰るという、群馬県内のカトリック教会の要として、また定期的に彼らの黙想の場、神への祈りの場として位置していた。 (久保田眞理子)