




大森邸は、老母・夫婦・子供(男子)三人の6人家族の住宅である。戦後、戦災者住宅建設事業によって建てた家を曳移転(移転後貸家に使用)し、その跡地に建てられた。敷地面積227.72㎡、床面積105.16㎡、木造平屋建。設計者は林知子、施工者は前橋市の木村工務店で、1965(昭和40)年8月に竣工した。当初は汲み取り式であったトイレを下水道整備後水洗式に、外焚式の浴室をユニットバス及びガス給湯に改修し、近年夫人の高齢化に伴い玄関に手摺を設置している。また、築後二年ごとに外壁・屋根等の塗替えを行っていた。大森邸は市街地の西に位置し、戦災復興計画による土地区画整理が行なわれた住宅地で、敷地は南及び東道路の角地、西側は中学校の校庭に接し、南道路面は生垣、東道路面はブロック積の上にフェンスとなっている(当初は大和塀であった)。屋根はハイサイドライト付マンサード形長尺カラー鉄板瓦棒葺、外壁はドイツ下見板張りである。平面構成はハイサイドライト付の居間を中心に各部屋が配され、南に和室8帖と6帖の続き間及び店舗予定の6帖スペース、西に主寝室、老人室、北側に台所・食堂とストックヤード、その西側に廊下を介して脱衣室・浴室、洗面・トイレとなっている。
大森邸の聞き取りでは『子供三人にドア付き個室を要望したが、子供が成長した後空き部屋になる為、和室を建具で仕切り多様に使えるようにと設計者から提案された。子供の成長過程では、老人室に長男が、6帖と8帖を次男、三男が使用した。60年住み続けているが、不便さは全く感じず、増築など考えなかった。』と話され、現在は夫人が一人で住んでいる。昭和中期建設の住宅であるが、外観デザインは古さを感じさせない佇まいであり、定期的に維持管理が行われ、間取りや外装・内装、木製建具など建設時と何も変わらず住まい続けられている。
設計者の林知子は、1932(昭和7)年東京都生れ。日本女子大学家政学部生活芸術科住居専攻(現・建築デザイン学部)卒業後大学に残り農村住宅改善の研究を行う。その後母校の専任講師、群馬大学の非常勤講師を経て、助教授、教授、現在は名誉教授。大学では住居学、住宅設計製図、学校建築(教育施設論)の講座を担当、その傍ら住宅設計も行い、新築、改築を含めて60軒近くを設計している。前橋市内には学生の実習をかねて9件の住宅設計を行い、主なものは大森邸、林自邸1980(昭和55)年、千葉邸1985(昭和60)年、大塚邸1990(平成2)年等がある。著書では『間取りは、家族の成長変化を予測して計画し、常に使用者の立場に立って設計を行われなければならない。また、建物の断熱性を高め、日照、通風を良くして、自然の恵みを生かす。』と記している。林は、大森邸の設計上の留意点として『①街中にあっても自然の日照、採光、通風を最大限取り入れる。②プライバシーに配慮しつつも家族の成長変化に対応できる融通性のある間取りで、かつ家族の一体感が保てる空間にする。③配管を短くすると同時に作業動線の短縮を図り合理的な空間配置に心掛ける。』と話し、研究者であると同時に設計者として、住まい手の立場に立ち、自然を利用した家づくりを具現化し実践している。(難波 伸男)