群馬県立女子大学は、1975(昭和50)年ころより女性の社会進出が進み、大学進学率も伸びた一方、進学者の多くは県外に向かう実状等から、女子大学を県内に開設する要望の高まりを受け、群馬県が設置し、1980(昭和55)年に開学した公立大学である。校舎は機能別の10棟の建物から構成され、地上2階、地下1階、延べ床面積17,955.35㎡、構造は鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造である。設計は株式会社坂倉建築研究所東京事務所長の坂田誠造(1928-2016)。工事は7工区に分け、信澤工業株式会社、佐藤建設株式会社、小野里工業株式会社、田中建設株式会社、佐田建設株式会社、柏井建設株式会社、井上工業株式会社の7社で施工した。起工は1981(昭和56)年2月、竣工は1982(昭和57)年3月で、大学としての使用は同年10月1日に始まった。開学より2年と1学期間を仮校舎ですごした。建物の改修履歴は、トイレや屋根防水などの小規模な改修にとどまる。また、1990(平成2)年4月に美学美術史学科実技棟、2007(平成19)年1月に2号館が完成した。
玉村町は群馬県の南部に位置し、建設地は赤城・妙義・榛名の上毛三山を望む田園地帯である。敷地の3面が道路で、正面入り口以外は道路境界に群馬の特色である「樫ぐね」を巡らし、地域の景観になじませるとともに長大な外壁の威圧感を和らげている。
校舎の平面計画は、「円形広場を囲んだ〈開かれた〉空間領域と、4つの庭を囲んだ田の字型プランの〈閉じた〉領域の二群構成」に分けた特徴がある。実際に正面入り口より円形広場に入り、広場を囲む円形回廊に地域に開かれた性格を備えた管理棟、体育館、大学会館+機械棟、講堂をそれぞれ接続させており、円形広場の南奥の田の字側には静かな学びの場としての1号館(研究棟、教室東棟・西棟、図書館)とクラブ棟を配している。
特に〈閉じた空間〉として田の字型の回廊が各季節を表した庭を囲い、その庭に面して地上レベルに教室を点在させた点や、広場や回廊をはじめ中庭・ベンチなど自然な対話を促す仕掛けを随所に用意した点などの建物の空間表現は、意匠性をもった建築と評価できる。
また、建築家の内井昭蔵はこの建物をみて、「全体の印象は女子大らしく清潔で,いや味がなく,いかにも坂倉研究所作,といった感じがしたが,強いていえば“堅さ”が多少気にかかった」と述べているが、呼応するように、女子大初代学長 谷田閲次は「アカデミックな空間には、そういうある種の厳しさとか冷ややかさがあっていい」と語っている。坂倉建築研究所の基本姿勢として、「つくる人間の意思願望のもとに、つくられる場所に最も適合し、その魅力を最高度に引き出してつくられるべきであり、つくった後の生き生きとした姿こそ最も大切である」という考えにより、依頼者の要望に添った“堅さ”も「空間の質」に組み込まれた設計には作家性があると評価できる。(伊藤美保子)