富岡市では1986(昭和61)年に10年間を計画期間とする第3次富岡市総合計画を策定し、その根幹事業として民族美術館(延べ床面積2,000㎡、事業費5億円)の建設を掲げた。その後専門家や関係者の意見を踏まえ、1991(平成3)年に「富岡市民族美術館基本構想」(延べ床面積3,000㎡)を決定し、1995(平成7)年、郷土の偉大な画家である福沢一郎の記念美術館を核とした、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館が市北部のもみじ平総合公園の一角に建設された。本建物は、敷地面積10,719.53㎡、建築面積3,377.09㎡、延べ床面積4,124.74㎡、地上2階建て、構造は鉄筋コンクリート造、一部プレストレストコンクリート造で、設計は柳澤孝彦+㈱TAK建築・都市計画研究所、施工は佐田・タルヤ・佐藤建設共同企業体が担当した。1階はエントランスホール、市民ギャラリーの他に、図書室、視聴覚室、創作室の市民参加ゾーン、事務・学芸員室、館長室、控室、守衛室の管理・運営ゾーン、収蔵庫、倉庫、設備機械室、燻蒸室のバックヤードゾーンから構成される。2階はロビーを起点に郷土資料展示室、企画展示室、常設展示室、福沢展示室1・2・3の他、外部に中庭、回廊が配置されている。
建設地が丘陵の尾根に位置したことから、山並を想起させるカーブのある屋根が景観を壊すことなく調和すると考えられ、全体の構成を細長い平面と円筒ヴォールト屋根をもつ空間を鎖状に並べ、丘陵の奥へと奥行きを深めていく展開としている。展示室はヴォールトを横に二つ繋げる断面を基本とし、それぞれの頂部に連続したトップライトを設け、自然光を展示壁面の隅々まで行き渡らせている。外壁や内壁、柱などは全てホワイトコンクリート打放し(杉小巾板本実化粧型枠)とし、光の陰影を用いて繊細な表情の変化をもたらしている。外壁面はコンクリート打放しの構造フレームの他はライムストーンで構成し、内部で随所を占める木部の構成と共に柔らかな表情を建築に展開させている。2階各展示室を巡る動線は、丘陵地である地形に沿ってわずかな勾配を持つスロープで結ばれ、建物配置と同様に丘陵の奥へわけ入る気配を無意識に増幅させている。建物名称にもある福沢一郎(1898-1992)は富岡市出身の洋画家で、日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られ、文化功労者、文化勲章受章、群馬県名誉県民、富岡市名誉市民である。福沢展示室に関しては設計段階から協議が重ねられ、当初のアトリエとこれに続く小室及び大空間を有する1室から、福沢展示室1・2・3と独立した3室へと変更された。福沢展示室1は福沢一郎の制作の流れを理解しやすいようにテーマを設定した展示、福沢展示室2はアトリエを再現し制作の様子を知ることが出来る。福沢展示室3は、建物動線の最奥で最も高い位置にあり、クロスヴォールトの高い天井は、福沢一郎の宗教的な心境の深さを空間に象ろうとの意図によるものであり、福沢芸術の本領である大作を中心に展示しており、この建物の最も特徴的な空間となっている。以上のように、景観との調和・光の陰影による表情の変化・ライムストーンや木を用いた柔和さ・丘陵地を利用した配置・クロスヴォールトの特徴的な空間によって、大変意匠性の高い建築物と言える。
郷土資料展示室では富岡の歴史と文化をテーマとし郷土の歴史を通史的に展示し、年に数回行う企画展示では、ロビーコンサートやワークショップなども実施される。2018(平成30)年には「福沢一郎生誕120年展」が開催されるなど継続的に利用され、本建物は市民の誇り、教育的・学術的観点からも富岡市の財産と位置づけられる。(齊藤朋行)