概要
那覇市中心部の国際通りむつみ橋から農連市場前に至る、暗渠化されたガーブ川のカルバート上に建つ店舗群である。戦後の闇市に端を発する仮設店舗群が度重なる浸水被害の要因とされたため、治水対策に伴う再開発として建設された。施主はガーブ川商店街組合などの組合、設計は琉球政府建運局建築課、施工は南洋土建や大宜味建設などが担当し、1963年に着工、1965年までに完成した。
建物の特徴
暗渠化されたガーブ川のカルバート(箱型排水路)によって築かれた人工地盤上に建設された、鉄筋コンクリート造の建物で、第1・第3街区は2階建て、第2・第4街区は3階建てである。防火地域・商業地域としての指定を受け、耐火建築物として計画された。北側の睦橋から南側の平和橋に至るまで、川の流路に沿って緩やかに湾曲した4棟の建物が全長約500メートルにわたって連続し、巨大な商業景観を形成している。
平面計画における最大の原則は「仮設期における複雑な従前の区画を忠実に換地すること」であった。そのため、1階の店舗区画は間口が「半間(約0.9m)」単位の極小なものから広大なものまで入り混じり、極めて不整形な区画割りとなっている。一方、2階以上の所有境界は、1階の区画面積に対応させる形で、形式的に東西を貫く細長い「短冊状」に設定された。特筆すべきは、建物の柱がこれらの複雑な店舗区画とは無関係に均等なスパンで配置されている点である。この構造的工夫により、後の時代に内部の壁を撤去して複数の区画を統合するなど、利用者の都合に合わせた改変に柔軟に対応できる造りとなっている。
また、建物内部の動線計画にも元の地形や権利関係が色濃く反映されている。架け替え前の橋が位置していた部分は建物内の「通路」として確保され、従前から橋に面していた店舗の接道関係が維持された。さらに、水面をカルバートで覆ったことで新たな床面積が生まれ、一部の店舗は西側の道路側から東側の水面方向へと奥行きを伸ばして面積を拡大させている。
後の改変歴として、1980年代に各街区の組合によってアーケードが増築された。
評価
【時代性】
本建物は、戦後復興期の那覇において自然発生した闇市や露店などの仮設建築が、都市の発展とともにRC造の常設建築へと脱皮し、都市空間に刻み込まれていく過程を象徴する建築である。第二次世界大戦後、米軍の占領下で旧市街地から締め出された人々は、低湿地であったガーブ川周辺にバラックの仮設店舗を密集させて生活の糧を得た。その後、度重なる水害を契機とした河川改修において、単なる不法占拠としての強制撤去ではなく、暗渠上の人工地盤に建設された新たなビルへ従前の営業者を収容する再開発が行われた。これにはガーブ川は河川法による川として認められず戦前より私有地であったことも問題となり撤去に至れなかった背景がある。日本本土の他都市では、戦後の露店整理事業によって闇市が撤去され集団移転や消滅を余儀なくされたのに対し、本事例では従前の小規模な営業者が同じ場所に区分所有権を得て定着し、高度経済成長期を迎えた点に大きな特徴がある。米軍統治下という特殊な制約と、そこから立ち上がった庶民の強烈なエネルギー、そして行政と住民のせめぎ合いの末に生まれた川の上に立つこの特異な建築は、沖縄の戦後という時代性を端的に表している。
現状
経年による老朽化が進行しているが、多数の細分化された地権者や区分所有者が存在し、かつ地下の暗渠敷地権等の問題もあり、大規模な改修や再開発の合意形成が困難な状況にある。