■概要
当建物は株式会社國場組の本社ビルとして1970年に竣工した。1931年に國場幸太郎が創業した同社は、戦中の日本軍飛行場建設、戦後は復興建設事業や米軍基地施設工事で発展した、県内最大手の総合建設会社である。那覇市中心部に立地する建物は、四周に道路が廻り、正面西側に久茂地川、東側に三角公園を望む。沖縄の戦後モダニズム建築を牽引した建築家、国場幸房の最初期の作品であり、竣工当時は県内最大規模の高層ビルとして那覇市のランドマーク的存在であった。6・7階に國場組本社を置き、その他の階は銀行や商社などのテナントが占める。
■建物の特徴
当建物は地下3階、地上13階建の鉄骨鉄筋コンクリート造で、長方形平面の高層ビルである。高さは日本本土での構造審査を回避するため45メートルに抑えたとされる。のびやかな庇のフレームとその先端に配された柱で構成するグリッドとその奥に連続するスチール枠のガラス窓が、骨太で立体的な外観を形成する一方で、両側面中央に小梁を見せ、柱頂部にGコラムを現すことで建物に軽快さを与えている。アウトフレームのグリッドが亜熱帯の日差しやスコールをやわらげ、窓と柱の間の空間は台風や飛来塩分に曝される外部のメンテナンスを容易にしている。グリッドの角を丸く縁取って面取りを施し、窓の腰壁もスカート状に仕上げるなど、やわらかな意匠と維持管理上の機能を兼ね備えた細心のディテールをみせる。犬走りに用いた玉石は、國場家の郷里を流れる比地川から採取された。地下1・2階を駐車場とし、車社会の到来を予見した建物でもある。
■評価
設計者の国場幸房は、沖縄の戦後モダニズム建築を牽引した建築家で、代表作にレジデンシャルホテルムーンビーチ(1975年)や沖縄県公文書館(1995年)等が挙げられる。1939年に國場幸太郎を伯父とする建設一家に生まれ、留学先の早稲田大学建築学科を1963年に卒業後、大高正人の事務所で経験を積んだ。当建物は、1967年に帰琉した幸房が、兄が創業した國建に入社後すぐに手掛けた建築である。ヒンプン、アマハジ、赤瓦といった表象を用いずに、力強い構造と大らかな空間構成で地域性を表現し、のちに自らの建築を「光と風を取り込む媒体」と評した設計思想の萌芽がみられる。コンクリートスラブに当時出始めたばかりのデッキプレートを採用し、地下床面積を調整してオープンカットの地業を可能にするなど、施工上の工夫もうかがえる。白くそびえる高層ビルは那覇市のスカイラインと景観の基調となり、1971年の那覇市制50周年記念切手に当建物の絵柄が使われた。テナントビルとして内装の改修が施されているが、外観や10階のギャラリー付き大ホールなど意匠性の高い空間は、当初の形態をよくとどめている。
■現状
現在、当建物は國場組の系列会社國場ビルディングが所有する。昨今1970年代の沖縄建築が次々と解体されているが、当建物は維持管理が行き届き、良好な状態を保っている。テナントには竣工当初からの入居企業も多い。周囲は開発が進み、ゆいレール県庁前駅や県内唯一のデパートりうぼう、琉球銀行や沖縄銀行の本店等が建ち並ぶ。建物東側の三角公園は、國場組を代表とする企業グループが改修して2024年に那覇市に譲渡し、地域に親しまれる周辺環境の形成に一役買っている。