■概要
当建物は、那覇市商業地の中心である市場中央通り沿いに立地する。占領軍によって全面立入り禁止とされた戦後の那覇市において、1945年11月にいち早く開放された牧志、壺屋地区に形成された商業地の一角である。1947年ごろに立ち始めた闇市とそれに対する暫定的な改善策として1950年に開設された公設市場周辺に店舗と住宅が建ち並んでいたが、石川栄耀を招聘して決定された1955年の那覇市都市計画でこの既成商店街を商業地域として育成する方針がとられた。当建物は、1960年代のガーブ川改修と水上店舗建設による不衛生環境の改善に続き、水害や火事が頻発する環境改善を目指して1973年に完成した鉄筋コンクリート造の商店街ビルである。借地人で結成した不良住宅街改良防災都市建設促進協議会が計画し、ガーブ川改修にも携わった大城龍太郎(1915-1992)が設計した。
■建物の特徴
当建物は、鉄筋コンクリート造3~5階建で、北に第一牧志公設市場、東に市場中央通りをはさんでガーブ川水上店舗、南に浮島通りに囲まれた約1,400m2の敷地に建つ。ガーブ川が描く曲線に沿った不整形な土地に建ち、幅4mの敷地内通路を敷地中心部から十字に設け、アーケードのかかる市場中央通りをはじめとする4周の通りに接続させて、賑わいを取り込む。十字路上方には、中心の円形吹き抜けと四方向に延びる細長い楕円形の吹き抜けを設けて、採光と換気が図られた。その吹き抜けを囲むように各戸からアクセス可能な共用廊下が配されて2箇所の外階段につなげ、災害時の避難が考慮されている。建設前の借地権の応分で区分所有され、1階を店舗、2階以上を住居、貸家、または倉庫等とする。借地権を反映した平面プランをもち、区分ごとに3階から5階の範囲で階数が異なるうえ、敷地の西側には借地人が組合に加入せず独自に建てた部分があり、複雑な計画となっている。
■評価
当建物は、那覇市の戦後復興において形成された商業地の発展過程を示す建物として、ガーブ川水上店舗と並んで重要な商店街ビルである。複雑なプランに計画の経緯が現れ、当時の社会状況を示す。1963年に借地人が集まって結成した不良住宅街改良防災都市建設促進協議会が計画し、那覇市建設部長時代にガーブ川改良にも携わった大城龍太郎に設計が依頼された。大城は、戦前の當山記念館や武徳殿、戦後の波之上宮本殿や琉球政府立法院庁舎など公共建築の設計で著名な建築家であるが、スラム街改良にも高い関心を持っていた。十字通路とその上の吹き抜けは、小さな店舗が並ぶ密集した路地裏のような商業ビルに光と風を取り込んで環境や安全の向上が図られている。吹き抜けを仮設的にふさぐなど部分的な変更が加えられているが、概ね建築当初の外観を維持する。
■現状
当建物の26区分を18名が区分所有する。土地は単独で所有される。建物の管理組合があるが、昨今は建築当初の所有者から代替わりや売買によって所有者が変わったり、組合に加入しない所有者がいるなど、管理が難しくなっている。全体的に老朽化し、鉄筋コンクリートの破損などがあちこちに見られ、吹き抜けの大部分はコンクリート片落下防止のため鉄板で塞がれている。一部の所有者の発案で等価交換方式による建て替えが検討され始めている。