■概要
当建物は、首里城跡地にあった琉球大学が、西原町の千原キャンパスへ移転するに伴い、新キャンパスの資料館展示棟として1985年(昭和60年)9月に開館した。旧キャンパスにあった資料館の名称を継承した。門設計研究所を主宰する金城信吉が設計したが、金城は本作の完成を見ることなく49才で急逝した。鉄筋コンクリート造2階建てで、延床面積は1498.114㎡である。当初計画では収蔵棟も建設されることになっていたが実現に至らなかった。
■建物の特徴
鉄筋コンクリート造直方体の両短辺に円弧状のボリュームを付加した形態を持ち、外壁の上端は内側に斜めに切り取られている。このように全体に丸みを帯びた建物は、外装の割肌レンガによって、一塊とした形態となっている。平面計画は東西、南北に対称性を持ち、東西軸と主動線が重なっている。
建物東面には、内側から外側に向かって円から楕円に変化する窪みをポーチ上部に持つ正面玄関がある。玄関扉から風除室を経てエントランスホールがあり、アーチ形状の開口部を抜けて吹き抜けホールに到る。風除室正面には壁が設けられていて、回り込みながら左右のガラス扉からエントランスホールへ入る。エントランスホールは一転して吹き抜けで、天井には2つ並んだトップライトがあり、トップライトを中心として同心円状に折り上げたユニークな形状である。細長くハイサイドライトのある吹き抜けホールは、RC丸柱と梁を軸組みのように表現し、外観の外皮としての壁の重厚さと対比を見せる。吹き抜けホールの1,2階両側には展示室を設け、ハイサイドライトからの光によりまとめられている。南面には庭を望む開口とポーチが設けられていたが、現在は閉鎖されている。
■評価
本作は、設計者・金城信吉が最も尊敬していた晩年の白井晟一との1982年の交流を経た後に設計された。この風樹館にもその出会いを通して得た白井からの影響も空間や形態の特徴から窺い知ることが出来る。円弧状のボリュームやアーチ開口の形状モチーフの使い方、風除室からエントランスホールに至る過程の狭さを与えてからドラマチックな光の差し込む全面的では無いが解放された空間に移る体感である。同時に、金城独自の作家性も融合している。外壁の割肌レンガや上端の面取り、ポーチの彫り込みといったディテールには、金城が造詣を深めていた陶芸における「削り」や「穿ち」の表現が見て取れる。彼の設計には沖縄の伝統的集落の通りと家屋の間にみられるヒンプン(受け・目隠し壁)を取り入れていることが多いのだが、風除室の正面壁にはヒンプン的要素が有り、空間の抑揚へ導く装置として用いている。外観は塊のようでありながら吹き抜けエントランスの柱と梁に木造軸組の真壁的な表現、2階展示室には合掌風の梁などを積極的に用いている点など、金城が過去の住宅作品(三番目の自邸、高床の家)で試みた外皮と内部の構造を切り離し対比させる表現も取り入れられている。執筆活動の中で度々表現されている「流動する」という空間の流れを閉ざさないコンセプトを述べているのだが、この風樹館では流動する光で空間を結びつけることによって具現化しようとしている。49歳の若さで亡くなった金城建築の過程でありながら到達点を示す事例である。
■現状
当初計画されていた収蔵棟建設が中止となったため、本来展示室であった当建物の2階が収蔵庫として利用されている。そのため、トップライトからの採光が収蔵品の保護環境上の課題となっている。外壁の割肌レンガに剥落の危険があるため、全面が黒色の落下防止ネットで覆われている。