■概要
沖縄コンベンションセンターは、沖縄県の復帰10周年記念事業の一環として宜野湾市真志喜海岸の埋立地に計画された。那覇空港からおよそ10kmの通程にあり国道58号線バイパス湾岸道路に接する。昭和56年1月に、東京大学工学部(当時)大谷幸夫教授を招聘し基本計画を依頼し、同58年1月~59年6月に基本・実施設計を大谷研究室+国建設計工務(株)、構造設計を法政大学青木繫研究室が行った。展示棟は、第1期工事として施工者を竹中工務店、国場組他で昭和60年3月に着工、同62年9月に竣工している。RC造2階建て(大屋根部分S造)延床面積は7,464㎡で2,500㎡のアリーナを有する5,000人規模の収容能力をもつ多目的ホールである。劇場等も含め1992年にBCS賞、1998年に公共建築賞を受賞している。
■建物の特徴
当施設は、展示棟と、それに続いて建設された会議棟、劇場棟、そしてそれらを結びつける中庭の池からなる複合施設である。真北の軸線上に会議棟を配し、東西に展示棟と劇場棟を対置させた対称性の高い配置をとる。この配置は、海からの強風(特に冬季の風)を建物群で遮り、中心部に人々が集いやすい環境を作ることが意図されている。
特筆すべきは展示棟の構造である。大屋根は沖縄特有の強い日射だけでなく米軍機の騒音を遮蔽するために、コンクリートスラブのシェル(殻)になっている。シェルがパラソルのように組み合わせてアリーナを覆っている。この重厚な遮蔽構造とは対照的に、外壁面は総ガラスのカーテンウォールとなっている。内部には自然光が豊かに降り注ぐ。「守ること」と「開くこと」を両立させた、開放的な大空間を実現している。
■評価
作家性:大谷幸夫のこれまでのモダニストとしての作風と比較すると、沖縄コンベンションセンターは特異な位置を占める。京都国際会館や金沢工業大学などこれまでの理知的な直線で構成される空間とは明らかに異なる。建設のために8年間沖縄と関わるうえで「風土と文化への応答」と「戦争の記憶への対峙」の二つの命題を自らに課したという。風のように自由なや曲線により構成された屋根、軒先の風切金物の装飾、外光を豊かに取り入れた開口部、池の上の花弁をモチーフとしたパーゴラ、アーチ天井の構成など、「先の沖縄戦に対する鎮魂歌としたい。」という沖縄への深い想いを自由で豊穣な空間として創造している。ル・コルビュジェが晩年に合理的思考を脱ぎ捨てて「ロンシャンの教会」を設計したように、大谷にとっての本作は、モダニズムの枠を超え、自らの内なる情念を形象化した到達点である。今後、再評価されるべき記念碑的作品といえる。
意匠性:一般的なコンベンション施設とは一線を画し、沖縄風土や海の景観との応答から生まれた気品のある独創性豊かな建築空間を創造している。石井幹子のルーバーライト、屋根頂部の稲穂を模した突針、伝統的な石灰岩の石積、魔除けのシーサー、琉球ガラス、会議棟の扉の施された黒蝶貝など、様々な沖縄の要素が取り入れられた建築である。とりわけ大屋根のデザインは、何度もデッサンを繰り返すなかで生まれ、水平に広がる大樹、沖縄の亀甲墓の曲面、海を回遊するマンタ、鳥の羽ばたきなどを連想させる形状であると建築家自ら述懐している。
■現状
沖縄コンベンションセンターは、経済、文化社会活動を通じて、人的、物的交流を積極的に支援し、地域の活性化を図るよう計画され、沖縄のシンボルとなる建築となっている。現在も沖縄におけるMICE施設として中心的な役割を担っており、高い稼働率を維持している。