文化庁主催 コンテンツ流通促進シンポジウム「著作物の流通・契約システムに関する研究会」の成果報告
コンテンツビジネスの未来は輝いているか?

2004年6月28日 国立オリンピック記念青少年総合センター(カルチャー棟大ホール)
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パネルディスカッション
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澤 新しい社会での対価の取り方、あるいは分配の仕方をきちっと構築していくことが必要だということでしたけれども、これに関しまして、久保田さん、いかがでしょうか。

久保田 結論からいうと、「技術の発展に抗うことはできない」ということだと思います。今は、著作権、つまり財産権の話だけをしているからいいのですが、クリエーターの側に立つと、著作者人格権の問題とか、さらには著作物にくっついてる個人情報の問題とかを考えると、本当に、著作物の流通だけで考えていていいのかなと思います。

P2Pも、セキュアなP2Pでなければ、著作権だけでなく個人情報の問題なども入ってくるということを考えなければならず、技術的には、やはり個人情報保護レベルの技術と同じような技術を、著作物の流通においても用いられれば、かなり精度の高い技術によってプロテクトできる部分もあるのではないでしょうか。


撮影:小池 良幸
ID:HJPI320100000590
そして、それが佐々木さんおっしゃるような、新しいビジネスモデルを構築していくことの足枷・手枷にならないようにするにはどうしたらいいかを考えるという次のステップにいくと思うんですね。

我々ACCSにもセキュリティー技術を持った会員がたくさんいます。もう日夜その技術革新をやっているのですが、それでも情報流出やクラッキングの問題も含めて頭が痛い。本当にみんなで考えて対応していかなきゃならない。新しい技術による著作物の流通を考えるならば、デジタル情報の管理の側面から幅広い視点から議論しなきゃいかんのじゃないかなとも思います。

澤 続きまして、斎藤さん、いかがでしょう。

斎藤 マーケティングの基本というのは「精緻なデータをどれだけ集めることができて、それを分析できるだけの能力をこちらが持つか」ということだと思います。

今、お話があった個人情報保護について。例えば、私ども広告業でも、あるメーカーが持つデータは私どもでは触れないとか、小売店が持っているデータはその小売店だけのデータで分析し続けなきゃいけないということがある。けれども、他が持っているデータとクロスすることによって、新しいヒントが得られる。これは個人情報保護ということではできない。私のように、数字データだけでなく、生身の消費者・生活者の動きを実感して分析をしたい旧来型のマーケティングをやっている人間にとっては、ものすごく大変な時代になってきています。

「流通」という流れの中で私たちが理解できるということは、「サイト上で個人がどういう購買行動をとるか」ということだと思いますが、それも更に複雑になってくる。けれども、「世の中で、どれだけ、何が売れているか」ということは、以前は見れば分りました。どういう服装しているかで、その人のライフスタイルが分ったし思考も分った。しかし、今の時代は全くわからない。


撮影:小池 良幸
ID:HJPI320100000590
思わぬ買物をして、思わぬ行動をとっている、ということ。そういうこととクロスさせて考えるということを、これからの流通やマーケティングの問題は突きつけられていると思います。

個人がコンテンツを発信するというところで、その「転々流通」の話をすれば、「いいですよ、どうぞ使ってください。でも僕は対価はいりません」と言った途端に、それはもうP2Pでオープンになっていくのだろうと思います。

ただそれは、それだけ「オープンでいいですよ」と言えるかどうかの志だと思います。そういうところでビジネスを1つに束ねて考えられる時代では全くないと思っています。ものすごく難しい時代に入ったと思います。

これまでのマーケターにとってデータを分析するということはすごく楽しいことでした。たくさんのデータ・個人データが、購買行動が分るということで、1万、2万と集まりました。でも、データベースを使って、「さあ次のことを考えましょう」と言った途端に、もう既に次の行動が現われている。

この時代、「マウスイヤー」じゃないですが、余りに早過ぎて、私どもがその能力を発揮するという時代をも超えてしまっている。もう既に個人が送り手を超えているという、そのことに対する悩みを日々持っています。

多分、デジタル系の作業をされている方の日々の大変さというのは、まさに個人情報とか「転々流通」だと思いますが、そこにどれだけ挑戦できるか、どのように解決するかということについては、私自身まだ回答を得られていません。

澤 「次々世代」のコンテンツ流通というものを想定した時に、皆さんおっしゃっていたように、様々な流通を許容しなければいけません。そして対価の取り方、あるいは分配の仕方等をきちっと考えていかなければいけません。その中で、現行の著作権法あるいはその延長にある法律や法制度をベースにして、果たして「(民民間の)契約」だけで課題を解決していけるのか、あるいは著作権法制そのものについて何らか検討しなければいけなくなるのか、この辺について、吉川課長いかがでしょうか。

吉川 著作権法の発想自体は19世紀的だと思います。やはり現代においては、著作物利用が「所有」から「使用」へと変わってきていると思います。そして、パッケージ(複製物)からオンラインという流れがあります。パッケージ(複製物)も残るとは思いますが、そういう大きな流れがあると思います。

複製という行為が問題になるというところから、「使用」でいいわけですので、蓄積しないストリーミングのような形での流通が益々増えていく、そういう大きな情報化の1局面にあると思います。社会の情報化の大きな構造変化の中で著作権法も捉えるべきだろうと思います。

そのような大きな話になってくれば、著作権法について、今のように毎年議論をして法改正しているようなレベルとは全く違う、非常に大きな、根源的な、要するに条約の枠組みすらも大きく変えてしまうような、そういう議論が巻き起こる時期が来るのではないかと個人的には予測しています。

しかし、急に変わるわけではありませんので、その大きな流れを意識しながらも、流通というところから著作権法を改善していくという仕事を、課題として大きく意識せざるを得ないなと思います。

「所有」から「使用」でいいわけですので、これが利用者の方の態度変化というのがどういうものかというのが、私もまだ掴みかねているのですが、言われているように、完全に所有しなくても使用でいいということであれば、オンラインで非蓄積型でもいいんですけれども、かたややはり先ほど佐々木さんからもちょっと出ましたけれども、ため込める装置はあるんだけれども、それではそこに音楽ため込むときにお金を払わなくてもいい方法というのを先行しようと思えば、現在の私的使用の延長線上でタダで蓄積をして、そしていくらでも使いたいというそういう人も出るかもしれません。

ですから、ユーザーフレンドリーというのが、クリエーターにとって「ユーザーの天国がクリエーターの地獄」ということになっては、やはり著作権法で守るべきものが失われると思います。ですから、ユーザーフレンドリーは基本だと思いますけれども、ユーザーが身勝手なユーザーであっては困りますよということです。ですから、ユーザーの選好、何を望むかに従って、流通も変化するでしょうし、その場合に著作権法が何時のタイミングで、先ほど申し上げた情報化時代の中で大きく変化するのかというのが今後のポイントになると思います。
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