鹿児島県002

三井串木野鉱山(株)・青化製煉工場

  • 1950年竣工
  • 設計/神岡鉱業
  • 施工/神岡鉱業
  • 構造形式/木造 地上1~2階 鉄板葺
  • 用途/産業施設
  • 所在地/いちき串木野市三井12955番地

三井串木野鉱山(株)は、現在も鉱山事業、青化製煉事業、リサイクル事業を展開している。当該工場の起源は、大正3(1914)年に三井鉱山合名会社によって建設された日本最初の全泥青化製煉工場である。第二次大戦中の昭和18(1943)年、金鉱業整備例により操業停止され、当初施設は解体されたが、同24(1949)年、再編された神岡鉱業(株)により操業再開、翌25(1950)年、現存する青化製煉工場建屋が竣工した。
本施設は破砕工程以降、金銀殿物の取り出し工程までの施設を収容する。すなわち破砕場(S造1階建1棟,W造2階建2棟計3棟)、貯鉱舎(W2階建1棟,S造1階建1棟)、磨鉱室(W造1階建2棟)、濃縮室(W造1階建1棟)、攪拌室(W造2階建1棟)、濾過室(同前)、沈殿室(同前)である。このうち歴史的価値が高いのは木造建屋群である。これらはすべて直径4寸から5寸程度の小径木を組み合わせたトラス造で構成され、山側を押さえるコンクリート擁壁に寄り掛かる形で大架構、高天井高の装置空間を連続的に確保している。地形を活かしつつ、戦後直後の厳しい資材供給状況にも関わらず、青化製煉という特殊な環境条件にも適合した木造大空間の建築が短期間に建設されたことは特筆に値する。本施設は戦後建築ではあるが、その技術的水準はすでに戦中期までに獲得されていたものを示していると思われ、戦中期の大規模施設がほとんど現存しない今日、極めて貴重な建築遺産であると考えられる。
こうした歴史的価値に加え、現在も稼働している、活きた文化財、リビングヘリテージである点も高く評価したい。