鹿児島県010

垂水市役所庁舎

  • 1958年竣工
  • 設計/衞藤建築設計事務所 衞藤右三郎
  • 施工/大迫土建工業
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造 地上3階、望楼付
  • 用途/官公庁舎
  • 所在地/鹿児島県垂水市上町

建築家衞藤右三郎の設計した庁舎建築である。衞藤右三郎は、1904(明治37)年に熊本県で生れ、1922(大正11)年大連市南満州工業専門学校建築学科を卒業後、大連市の中村宗像建築事務所に入所。15年間設計監理に従事し、大連時代には大連の連鎖商店街の設計等を行い宗像主一(むなかたしゅいち)の補佐役として働いた。1946(昭和21)年、終戦により鹿児島へ引き揚げ1947(昭和22)年鹿児島市に衞藤建築設計事務所を設立(1972年より衞藤中山設計)し、1978年までに約630件の作品にかかわり、県内96市町村の22の庁舎建築を設計した。また、1948(昭和23)年に広島平和記念カトリック聖堂建築競技設計で三等入選、1954(昭和29)年には国立国会図書館建築競技設計で入選を果たした。衞藤右三郎は、1984(昭和59)年4月まで事務所に勤務し、その後は東京で妻と共に生活を送り、1992年に逝去した。現在も衞藤中山建築設計事務所として存続するだけでなく、永園設計はじめ、この衞藤中山建築設計事務所の出身者が主宰する鹿児島の設計事務所が地域で活躍している。
垂水市役所庁舎は、地上3階建てで、1,2階が事務諸室、市長室があり、3階に議場が設けられている。この庁舎には、外観の特徴の一つである望楼が設けられており、塔状の最上階(6階)は展望室になっている。
垂水市役所庁舎は、戦後建てられた木造の町役場庁舎が1956年1月に火事で消失し、短期間で計画され1958 年に竣工、現在までに4度の増築が行われた。1965年ころまでの庁舎には冷房設備がなく、鹿児島での夏の自然換気をより有効にするため、床付近から天井までの大きな開口を設け、日射を軽減するブリーズソレイユやルーバーがファサードに設けられ、衞藤右三郎の庁舎建築の特徴の一つとなっている。垂水市庁舎の現在の外観は、窓部分の水平ルーバーが撤去されているが、垂直方向のリブは健在で、床レベルから上階まで大きな開口が正面に現存している。
庁舎を背面の道路と並行に配置し、前面道路に対して意図的に斜めに配置、塔状の望楼を際立たせている。三角形状の歩道と一体となった空地を前面に設けることにより、対象的で権威的になりがちの庁舎デザインを市民に開かれたイメージに転化し、ファサードがまちの中心を向くように計画されている。地域の風土に適応した環境建築を目指した建築であるため、ルーバーの効率を上げる目的で、道路と並行でなく、南にファサードを向けたとも考えられる。
鹿児島の民家のほとんどが平屋で、2,3階の庁舎内から、垂水のまちを一望することが可能だった。さらに、塔状の望楼からは、桜島、高隈山、開聞岳が遠望できるだけでなく大隅半島の海岸線を眺めることができ、市民が自らの地域のアイデンティティを確認する場となっていた。望楼が残っている庁舎も珍しく、配置やプロポーションも優れており、衞藤右三郎の庁舎建築で現存する代表例である。市役所として、60年以上利用され、垂水のランドマークとなっている。DOCOMOMO Japan選定建築にも選定されている。