鹿児島県011

鹿児島県総合体育センター 体育館

  • 1960年竣工
  • 設計/内藤建築事務所
  • 施工/鹿島建設
  • 構造形式/鉄骨鉄筋コンクリート造 地上2階(一部地下有り) 鉄板葺
  • 用途/文化施設、体育館
  • 所在地/鹿児島県鹿児島市下荒田

飯野海運社長であった故俣野健輔氏からの巨額の寄付により、1960年10月に総工費1億5500万円で竣工。敷地は錦江湾が迫った運動施設群にありその後鹿児島県総合体育センターとして一帯が整備されていった。離島から参加するため宿泊が可能なトレーニングセンター[現研修室(棟)]が1967年に整備され、1972 年の太陽国体の体操会場として補助体育館が建てられた。その後も県の屋内スポーツ施設の中核施設として鹿児島県民に長年親しまれながら利用され、今でも年間18万人前後が利用し、稼働率が9割を越えている。設計は京都の内藤建築事務所[内藤資忠]で、正面の穴あきPCブロックにより印象的なファサードである。またトップライトは改修され今はないが、スチールサッシュ、エントランスの柱仕上げ等々、当初の材料・仕上げがまだ多く残されている。外部階段の力強い打ち放しのPC手すりやRC柱等のコンクリートをはじめ、質素な素材で構成された内外観は1960年代のモダンムーブメントの意匠を今に伝える。バスケットコートが2面とれるアリーナは1320㎡[40m×33m]で、当時は有数の広さだった。2階のスタンド席は約1740席、アリーナには半地下の倉庫から折りたたみ椅子を並べ最大約4400人が収容でき、北側の舞台を使い、近くの鹿児島大学の入学式・卒業式等にも利用されている。全国大会等を開催するには狭隘となっており、現在、新たな総合体育館の建設について検討が進められている。県民の体育施設や地域のホールとしては今も現役として活用されているモダンムーブメントである。