鹿児島県014

笠利埼灯台

  • 1962年竣工
  • 設計/第七管区海上保安本部灯台部 松元政雄
  • 施工/長谷川工務店
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造
  • 用途/交通・港湾施設
  • 所在地/鹿児島県奄美市笠利町大字用

第十管区海上保安部創設年(昭和37年1月1日)を機に、それまで全国の半分以下であった鹿児島県内の灯台を増設する。その先駆けになったなったもの。設計者は第七管区海上保安本部灯台部工務課松元政雄氏(他に翌年の喜鹿埼灯台も)。十管は創設間もなかったため、七管区職員であった氏が併任され、設計、監督したものと伝える。施工は東京都の(合)長谷川工務店。笠利埼灯台は、昭和37年3月1日、喜鹿埼灯台が昭和38年3月17日だが、灯塔工事完成はそれぞれ前年の昭和36年3月26日と昭和36年12月17日である。笠利埼はその後運転までに約一年をかけている。
おそらく、投光設備の整備調整に時間を要したのであろう。灯台の建築としての形状はその投光能力に左右され、設備によって灯室(灯篭)の大きさが決まる。当該灯台の灯室容積は2.7メートル立方で、投光の範囲(明弧)を北向き約270度として全面を円曲面の開口部とし、投光を要しない陸側をRC壁とした。現在の投光器は思いの外小型で、性能の向上が伺える。その向きは岬突端海抜60メートルの細長く狭い敷地形状に設計された一階の付属室部とは軸が揃わず約30度右に触れて変化を見せるが違和感はほとんどない。
灯室を三層分で支える灯塔はそれまでになかった単純な四角柱で、内部に四周を巡る階段を設えて灯室に至る。一階は4.5X13.5メートルの長方形でかつては動力を備えた発電関係室であったが、現在は商用電源に切り替えられて使用されていない。
明治以来の円形平面の灯室に、中心部が高く尖った円形屋根を架け、同様に円形あるいは多角形平面で上すぼまりの灯塔に支えられる伝統的形状の灯台は、この時期を境に姿を消すことになり、新しい時代を意識したモダンデザインの灯台が誕生した。その意味で、笠利埼灯台と喜鹿埼灯台はまさに画期的灯台になったといって良い。