鹿児島県016

柿本寺中央ビル、錦江ビル、柿本寺ビル

  • 1963年竣工
  • 設計/柿本寺中央ビル、錦江ビル:上別府建築士事務所、柿本寺ビル:志賀設計事務所
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造 地上4階、地下1階
  • 用途/住居建築、商業・事務所建築
  • 所在地/鹿児島県鹿児島市加治屋町

1961(昭和36)年6月に公布施行された防災建築街区造成法にもとづき、全国の都市で街区規模の再開発を目的とした防災建築街区が指定された。鹿児島市内では4地区・12街区、面積にして約3.3haが指定された(1962年3月23日指定分)。そのすべてにおいて防災建築街区の造成事業が実現したわけではないが、3地区で5棟の建物が竣工している。なかでも他地区に先駆けて事業化し、最終的に全3棟の実現をみたのが柿本寺街区である。
柿本寺街区(6,160㎡)の3棟は、鹿児島中央駅から天文館にむかって高見橋を渡り、市電通りの右手沿い約160mの間に建つ。手前から第一柿本寺ビル(現・柿本寺中央ビル、錦江ビル、以下「第一ビル」という)、第二柿本寺ビル(現・柿本寺ビル、以下「第二ビル」という)(どちらも1963年に竣工)、そして加治屋町交差点角の第三柿本寺ビル(1969年に竣工)である。いずれも地下1階地上4階建てで、地下と1・2階が店舗・事務所、3・4階が住戸として建設された。第一ビルは梁間12m・桁行60mで、桁行方向のスパンは6mと7.5m の2種あり、3つの階段室からなる。建物中央の階段室は撤去され、外壁が改装されているが、左右両端の階段室周辺はタイルと金属板からなる竣工時の立面の意匠がよく残されている。第二ビルは梁間12m・桁行48mで、1階の店舗7軒の間口は4.8mから7mまであり一様ではない。これは各地権者の土地所有の境界にあわせたことによるもので、当時の共同化ビルに多く見られた形態である。ただし、2~4階は電車通り側に片廊下を通すことで均等に窓を割り付け、立面を整えている。両ビルには現在、歯科、補聴器、電気店、アパレル、美容室、喫茶、各種教室などが入り、多世代に利用されている。
防災建築街区が制度化された初年度(昭和36年度)、九州内での事業は鹿児島の他に北九州・戸畑と熊本の計3件のみであった。設計は上別府建築士事務所(第一ビル)、志賀設計事務所(第二ビル)、有村樋口建築事務所(第三ビル)である。このうち、上別府建築士事務所は市内の他の防災建築街区である、納屋第一ビル(1969年竣工)と御着屋第一防災ビル(1970年竣工・現・菊屋ビル)も手がけている。このことは、防災建築街区の事業を通じて不燃化・共同化の経験を蓄積する設計事務所が鹿児島に存在していたことを示すものである。