鹿児島県018

株式会社伊集院織物社屋および伊集院ビル(紬工場と織工アパート群)

  • 1964年竣工
  • 設計/築地一級建築士事務所 築地豊治
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造 社屋:地上2階 伊集院ビル:地上5階、塔屋
  • 用途/住居建築、産業施設
  • 所在地/鹿児島県奄美市名瀬石橋町

奄美市名瀬の市街地に建つ(株)伊集院織物の社屋は、伝統産業・大島紬の工場兼経営者の住居として1964(昭和39)年に建設された。当時この地ではまだ珍しかったRC造の2階建で、平面は間口6.5m、奥行25m、南北に長い。西面の1階片廊下は南側に建つ集合住宅内まで延び全長32mあり、紬の糸を張る作業に必要な寸法(1疋=24.39m,2反分)が確保されている。1階には紬の生産工程別に図案室、加工場、染色室などが配され、2階の織工場は現在も使用されている。
社屋の南側に建つ伊集院ビルは、従業員のための集合住宅として1972(昭和47)年に建設された。RC造5階建で南面中央の階段室から各階にアクセスする。平面は雁行しており2面~4面採光の14戸の専用住戸で構成されている。北側の紬工場と1階で接続しているほか、かつては各戸に工場と連絡しあうインターホン設備があり、職住近接の生活形態を反映している。当初は給与住宅として織工とその家族が入居していたが、紬の生産縮小とともに一般の賃貸住宅へと変容していった。
このように紬工場と一体もしくは近接して立地する集合住宅は、この地域において「織工(おりこう)アパート」と呼ばれている。伊集院ビルのように工場に隣接する別棟で住戸のみで構成されている場合と、同一建物の地上階に工場が併存している場合とがあり、両形式をあわせると名瀬の市街地に30棟近く現存している。各住戸には多くの場合、外機(そとばた)と呼ばれる家庭内での織り作業をおこなう板の間がある。織り機の大きさ(幅880×奥行1410)を考慮して畳1枚よりもやや大きく、作業寸法にもとづく空間となっている。
織工アパートは、大島紬の生産が拡大した1960~70年代前半に優秀な織工を確保しようと雇用者の機屋(織元)によって競って建設された。その際、住宅金融公庫や雇用促進事業団など、公的な住宅融資が活用された。限られた平坦地に人口が集中し、たび重なる風水害や大火に見舞われていた名瀬の市街地において、織工アパートは住宅の不燃化・共同化を先導する存在でもあった。紬工場の多くが消失した現在も、一般の賃貸住宅として数多く現存しており、紬生産が盛んだった頃の市民生活や就労の形態を伝える貴重な建築群である。ただし現状は、建具や設備の老朽化等に対応できているとはいいがたく、将来的に賃貸住宅の経営が困難になることも想定される。