長野県002

平出博物館(旧 平出遺跡考古博物館)

  • 1954年竣工
  • 設計/藤島亥治郎
  • 施工/㈱丸大組(東筑摩郡芳川村)
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造 高床式平屋
  • 用途/文化施設
  • 所在地/長野県塩尻市宗賀1011-3

○概要
ブドウ畑が一面に広がる「桔梗ヶ原」と呼ばれる地にある平出遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての大集落跡である。昭和25・26年に当時の宗賀村で実施された平出遺跡の発掘調査は膨大な出土品をもたらした。その保存と公開を目的に平出遺跡考古博物館が1954年に塩尻市宗賀に開館した。1965年(昭和40年)頃から多数の大型事業が始まり、発掘調査が急増した。それに伴い貴重な出土品も膨大な量となり、また消滅危機にある民俗資料の収集や保管に対処するために1979年歴史民俗資料館が建設され、1992年には瓦塔館が増設された。発掘調査や古墳時代の住居設計にも関わった藤島亥治郎東京大学教授の設計である。
○特徴
遺跡公園南の丘の中腹、松林の緩い斜面にある建物は白いスマ-トな鉄筋コンクリート造で背景の松の緑に映える平屋建で、湿気を防ぐ為に床は1m位上げられた高床式である。また屋根は、当時としては斬新なアルミニウム板の瓦棒葺きで、収蔵庫・研究室・事務室・ホール・トイレからなり、床面積は149.27㎡(45.2坪)であった。敷地内にある竪穴住居は、古墳時代以降としては全国で初めて復元された3号住宅で、これも藤島の設計である。
○評価
<作家性> 建築史家である藤島亥治郎(ふじしまがいじろう)は東京大学に入学後、関野貞の感化により建築史に考古学を援用する姿勢を養う。戦後には文化庁文化財審議会専門委員となり1980年まで務め、また平泉遺跡調査会も立上げ、中尊寺の整備や中山道宿場の研究なども行った。1968年には、日本芸術院恩賜賞を四天王寺の復原的創作に対し受賞。また1986年は、古建築・遺跡の歴史意匠的研究とその復原的設計における功績に対し、日本建築学会大賞も受賞している。翌年に「建築は綜合芸術である」を基本精神に、綜芸文化研究所を設立した。2002年103歳で亡くなるまで多数の著書も出版し、精力的に活躍した。
<地域性> 国史跡である平出遺跡は、日本3大遺跡であり長野県宝である「信州の特色ある縄文土器」なども出土し長野県では誰でも知っているなじみのあるものである。そのため、建設資金は県内の小・中・高校生や篤志家からの寄付も多数あり、平出遺跡を愛する多くの善意の結晶として博物館が建設された。この地域は中山道の宿場町にも関係深く、藤島の調査研究にも合致していたのである。
○現状
この博物館は、土砂災害警戒区域の範囲にあり耐震基準も満たしていない。現在平出地域一帯を取り込んだエコミュージアム構想から、2012年に近くに竣工した平出遺跡公園北側への移転計画が進められている。これからもこの博物館が地域に愛され続けて行けるように、計画の中に取り入れて欲しい。

文責:赤羽直美