○概要
この建物は、長野県南部、飯田市伝馬町にある「宗教法人善勝寺」(真宗大谷派 竜臥山 善勝寺)の本堂である。飯田市は、昭和22年に大火に見舞われ、善勝寺もその際、灰燼に帰してしまった。その後、門信徒一同の力により、飯田地方初の鉄筋コンクリート造の本堂として、飯田市の鈴木建築設計事務所、鈴木俊平による設計、長坂組による施工によって、昭和34年(1959年)に復興完成した。その後、昭和49年に庫裏の増築を行い、平成に入り水回り・開口部の改修を行っている。
○特徴
平面計画としては、尺モジュールを採用しており、間口7間(東西方向)、桁行15間(南北方向)の大きな空間の正面(南側)に3.5間×2.5間の玄関が付いている。玄関へのアプローチから東側、北側、西側と片持ちの回廊が回っており、北側と東・西側の一部の回廊部分に下屋と壁が設けられ、内部廊下となっている(現在は物置)。東側回廊は、のちの庫裏の増築により、現在は内部廊下となっている。本堂内部は北側へ左余間・内陣・右余間があり、その南側へ外陣として畳を敷くことができるスペースが設けられ、残りのスペースすべてをホールと称して、椅子の利用が可能なスペースとなっている。屋根は勾配が急な寄棟造りとなっており、奈良の唐招提寺金堂のような印象があり、お堂としての雰囲気を作っている。玄関扉はスチール製で凝った意匠となっている。また、ガラス入りブロックを利用した、装飾や和風の意匠を控えた簡素な印象を与える玄関となっている。
○評価
<時代性> 概要でも触れたように、この建物は飯田地方において最初の鉄筋コンクリート造のお堂である。この建物が建設された昭和30年代は、全国的に和風的意匠の建物を、鉄筋コンクリートで建設する事が多く行われた。また、国が勧める防災街区の考えのもと、中心市街地の不燃化、鉄筋コンクリート化が進んだ。その時代性を表す代表的な建物として位置づけることができる。
<地域性> この建物を設計した鈴木俊平は、この地域に根ざした設計者であり、他にも鉄筋コンクリートによるお堂を多数設計している。その鈴木俊平の最初のお堂建築であり、重要な作品と考えることができる。また、鈴木俊平は建築設計や設計事務所運営の傍らで、長野県建築士会会長など、多くの公職を歴任している。その立場において、時代の流れが、都市から地方への進出が進む中で、地方の建築家の存在意義を強く主張していた。その鈴木俊平が設計した「善勝寺本堂」や飯田市内や駒ケ根市などの「防災街区」の建物は、飯田市、伊那谷、長野県の地域性を、良く表した作品といえる。
○現状
現在もこの建物は、善勝寺の本堂として使われており、後年の庫裏や中庭、幼稚園などの増築で、地域の人々の集いの場として機能している。
文責:吉川貴久