○概要
涸沢ヒュッテは、北アルプスの涸沢圏谷に位置し、上高地から穂高連峰に至る登山道沿いの標高2,310mの地点に建つ山小屋である。冬季には9mほどの積雪があり、小屋は冬囲いをし、春になると3~5mの積雪を取り除き小屋を掘り出す。新館は昭和34年、建築家・吉阪隆正+U研究室(鈴木洵・戸沼幸一)によって設計され、昭和38年に竣工した。
○特徴
昭和26年に本館が建設されたものの、その年の冬期に雪崩によって倒壊した。この翌年の昭和27年に再び本館が建設され、建物の周囲に雪崩による水平方向の外力に耐えるための蛇篭が設置された。続いて、昭和38年に涸沢ヒュッテ新館が建設された。この新館は木造2階建て、桁行12間4尺(約23m)、梁間10間1尺(約18.5m)、トタン葺きの切妻屋根の建物である、受付、食堂、宿泊室を計画し、食堂部分は吹き抜けでスパンが大きいため。トラス梁が組まれている。雪崩が最も多く発生する北穂高岳側に蛇篭が設置されている。一方、奥穂高岳側は、斜面の切土によって、建物が半地下化している。夏場は屋根の上にデッキを備え、ここから穂高連峰を望むことができる。このデッキ材は冬囲いに使われている。
○評価
<作家性> 早大アラスカマッキンレー隊隊長としてマッキンレーに登頂したアルピニストとしての建築家吉阪は、多くの山小屋を手掛けている。日本山岳会・日本雪氷学会の理事を務め、寒冷地や積雪に関わる建築の研究を進め、学術論文も発表し、過酷な自然の中での建築のあるべき形を追求している。そうした中で、建物の建つ地域や環境を踏まえた上での形態が生まれている。設計を進める際には、現地に簡易的な小屋を建て、雪氷による被害を把握するための実験をおこなった。北穂からの雪崩による水平方向の外力に耐えるために擁壁として蛇篭を計画し、次いで雪崩が多く発生する奥穂側は、斜面の切土によって、建物を半地下化し、雪崩による水平力を免れるようにしている。このように吉阪は北アルプスの極限の地に、地形を読み込み、自然の力と向き合うかたちを、 厳しい冬の積雪と雪崩に耐える建築として設計している。
<地域性> 北アルプス、3000mの穂高四座に囲まれた、涸沢カール。穂高連峰の雄姿を一望する最高の場所に建ち登山者を迎える涸沢ヒュッテ。 山を歩き、山を愛する誰もがめざす憧れの小屋である。この景色を見るために小屋が建てられた。春4月、6m近く積もった雪に埋まった建物を掘り出す小屋開け作業に始まり、連休の山開き、夏山から秋の紅葉、そして小屋閉めと、一年は息つくひまもない。あこがれの穂高連峰を望む登山基地として、子供から高齢者までたくさんの登山者を受け入れる。ヒュッテは、山へと魅き付ける大きな存在になっている。
<継続性> 涸沢は、冬場には9mを超える積雪と穂高岳からの雪崩の通り道である。建物の配置に発展的な雪氷対策がみられたが、他方、建物の構法には特別な雪氷対策を確認できないことから、これを補うために冬囲いが設置されていると考えられる。冬囲いには、積雪荷重等の鉛直荷重を支える仮設の柱と建物の外壁に立て掛けるように設置される仮設の囲いのほかに屋根の上に架け渡して建物と地形の隙間を覆うように仮設の囲いがある。積雪による積載荷重と雪崩による水平方向の外力を免れるための工夫ある。これは長年にわたってこの小屋を支えてきた従業員の経験により検討を重ねてきた結果であり、このことで建物が維持されている。
文責:勝山敏雄