長野県014

諏訪高島城

  • 1970年竣工
  • 設計/大岡實
  • 施工/熊谷組、竹中工務店(基礎工事のみ)
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造(一部軒廻り等PC造) 銅板葺
  • 用途/文化施設、陳列館
  • 所在地/長野県諏訪市高島1-20-1

○概要
1598年(慶長3年)豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉(ひねのおりべのかみたかよし)により築城された「諏訪高島城」は明治8年(1875)に廃藩置県により天守閣が撤去された。しかし諏訪人の高島城に寄せる思いは強く、大正時代以降何度かの天守再建運動がおこり、昭和42年復興天守の形態について様々な考えがあるなか、歴史的建造物の復元等に実績のある工学博士大岡實に依頼が決まり、昭和45年(1970)天守閣が完成した。大岡實は明治33年東京都で誕生し、東京帝国大学工学部で建築を学び、卒業後文部省嘱託となり古社寺の保存に携わり、横浜国立大学教授、日本大学教授の他文化財保護専門審議会専門委員等歴任され中で多くの歴史的建造物の作品を残された。当時の石垣の一部も現存している現代高島城は細部まで鉄筋コンクリートで再現され、内部は陳列館用途として周囲の公園とともに市民に親しまれている。天守は鉄筋コンクリート造、3層の望楼型天守で高さ約17.00m、延面積381㎡である。
○特徴
鉄筋コンクリート造の採用については、当時の諏訪市からの要望として鉄筋コンクリート造とすることが前提とされ木造が前提条件ではなかったこと、また用途が陳列館であったことから当時の建築基準法上の制約も影響したことが考えられるが、何より大岡自身の「不燃構造」の意向を反映したものであったと考えられる。内部は回遊式の展示施設として有効利用するため、階段を中央に配置して吹抜けの廻りを周回できるように動線が計画されている。最上層は展望施設としてバルコニーが設けられ、360°のパノラマ展望が可能であり、当時の諏訪湖の波が城の石垣を洗い、あたかも湖中に浮いているかのような「諏訪の浮城」といわれた立地条件が良く理解できるのである。
○評価
<作家性> 現代高島城の設計は建築史家・建築家の大岡實である。大岡は鉄筋コンクリート造による伝統様式の創造を目指した建築家であり、昭和初年台からの建築史学会・文化財保存会におけるもっとも重要な人物であった。大岡は伊東忠太の弟子であり、伊東が提唱した「建築進化論」に基づき「伝統を継承しつつその革新を行なう」という基本的な姿勢がこの「高島城」には見出せる。ここに歴史家である以前に、一人の建築家としての大岡の挑戦的な意欲が現れているといえよう。歴史的建造物として外観を忠実に再現しつつ、設計者・大岡のオリジナリティを随所に表現した近代建築であり、竣工後半世紀を経て、まさに地域のランドマーク的な存在となっている。
<技術性> この現代高島城においては外壁の下見板張りを現場打設コンクリートで、垂木などの軒廻りをプレキャストコンクリートで再現するなど、当時の技術では容易なことではなかったであろうと思われるような細部までコンクリートで再現している。プレキャストコンクリートと現場打設コンクリートの割合は時代によって変化しており、現代高島城はその転換点にある建築ともいえよう。また、鉄筋コンクリート造であるにもかかわらず軒の規矩が重視され、屋根各部の曲線・曲面も忠実に再現されていることは特筆に値する。
○現状
現代高島城は地域の歴史を伝える役割を担う展示施設であり、最上層からの展望施設として充分に機能している。最上層から諏訪地域を望むとき、なぜこの場所に城を建てたのか、地形はこうなっており、城からは町がこのように見えるのか、といったことの理解を促すことができる。一方で展示施設として見たときバックヤード、収蔵庫などの機能がないという側面もある。今後改修にあたっては耐震補強も含めてこうした側面の検討も必要となろう。

文責:窪寺弘行