長野県015

坂城町体育館

  • 1970年竣工
  • 設計/滝沢・吉田建築事務所
  • 施工/中信建設㈱
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造(屋根は鉄骨造) 地上2階 鉄板葺
  • 用途/文化施設
  • 所在地/長野県埴科郡坂城町中之条2468

○概要
坂城町は近代化の過程で、文化のない町という課題を抱えていた。行政は千曲川から離れた山側に産業道路を整備し、ここに体育館(多目的)と福祉センター(教養・娯楽)と野球場から成る文化センターを計画した。設計者の滝沢健児は、所員の吉田襄と連名の滝沢・吉田建築事務所を掲げていた。体育館の構造設計は早稲田大学の田中弥寿雄で、RC造2階建で屋根をS造としている。延床面積は1934.5㎡である。施工は中信建設が担当した。1998年に改修工事、2022年には耐震補強工事が行われた。
○特徴
異用途の二つの建築を文化センターとして秩序づけるため空中デッキで結ばれていた。体育館の屋根架構は、長辺方向の中央にA型の棟持柱を二基建てて大型トラスで結びそこを頂部として長辺方向に勾配をとっている。屋根面は8本のトラスがHPシェル状に2本ずつ組まれた折版形状で、切妻の庇が並んだ軒先の姿が特徴的である。鉄骨が細く少ないのは、塔設計で軽量化に挑戦してきた田中弥寿雄の経済設計であろう。アリーナ側面の方杖に日射緩和のため片面22箇所の三角スクリーンが配されている。特徴だった空中デッキは解体された。小体育室はステージになり、壁面収納扉の幾何学模様は木質化方針で板張りになった。耐震補強によりアリーナの欄間開口は壁になった。
○評価
<作家性> 初期の滝沢健児は、吉阪隆正の下で体得した形態操作をベースにしたモデリング的発想で思い描いたイメージを構造担当者とのコラボレーションで実現した。坂城町体育館においては、アリーナを覆う屋根架構がテーマであった。鉄骨によって軽快に並ぶ折版状の山と谷は滝沢のモデリング的なイメージ生成手法のライン上にある。
滝沢作品の泥臭いイメージは、地方都市の近代化イメージと符合していたと言える。
<地域性> 滝沢健児は在京でありながら、1966年に完成した旧更埴市庁舎以来東北信地域の自治体の十指に余る拠点施設を手掛けた。一定の期間及び一定の地域に作品が集中しているのは同郷の有力政治家の後ろ盾による。結果的に滝沢は先駆的なデザインに挑戦する機会を活かして、坂城町においても町で最初の斬新な文化施設が誕生した。滝沢は、地方の近代化のために必要な基盤整備という経済成長時代の大波に乗って、長野県のローカルアーキテクトを覚醒させる役割を果たしたと言って良い。
○現状
滝沢健児が手掛けた更埴市民体育館は解体されたので、坂城町体育館は貴重さを増した。ホール施設のない坂城町では、現役施設としてイベント等にも有効活用されている。

文責:関邦則