長野県020

長野市立博物館

  • 1981年竣工
  • 設計/宮本忠長建築設計事務所
  • 施工/前田守谷建設共同企業体
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造) 地上4階、地下1階、塔屋1階
  • 用途/文化施設
  • 所在地/長野県長野市小島田町1414

○概要
長野市の中心・善光寺と松代を結ぷ街道と国道18号線及び千曲川に挟まれた八幡原は川中島合戦で信玄が本陣を置いた場所として、現在、緑豊かな川中島古戦場史跡公園として市民に開放されている。この公園の北側に「長野市立博物館」があり、1979年指名設計競技によって宮本忠長建築設計事務所が最優秀に選ばれ、1981年に開館した。なお、1982年に日本建築学会賞作品賞を受賞している。
○特徴
長野市の歴史博物館としてエントランスロビーを介して西側は長野市の歴史を中心とした常設の展示部門となっており、連続して建物中央に特別展示室、東側は調査研究・教育部門として研究室・会議室等とプラネタリウムがある。人工池と自然林の点在する風景の中に信州らしい山並みを望むことができ、そこに建つ博物館は稜線を結ぶ山並みのような大屋根で、善光寺本堂の大屋根や信州の民家を思わせる軒の深いコルテン鋼の屋根と軒下の回廊のコンクリート打ち放しの円柱が特徴的な外観である。
○評価
<作家性> 宮本忠長は善光寺平で生まれ育ち、東京で建築を学び、佐藤武夫事務所で設計の修練を積んでいる。郷里に戻り父の事務所を継ぎ、1966年に宮本忠長の事務所を開設している。宮本の名が一気に全国で知られるようになったのは、この博物館からであろう。モダニズム建築の中でいままで、コンクリート打ち放しと大屋根を組み合わせたような建物はなかった。この建物で日本建築学会賞を受賞する。宮本自身の信州の気候風土の中で地域に根差した建築設計の大きな転換期の作品として評価できる。勾配屋根は、歴史や風土の中で、深く我々の文化の中で根を下ろしている。特に信州では善光寺の大屋根や茅葺の民家の勾配屋根は身近な存在である。モダニズム建築は技術によってそうしたものをいかに脱却するかに主眼が置かれていた。しかし、この敷地のはるか向こうには長野を取り巻く山々が見える。この建物の大きな屋根はこの山々の連なりと呼応するように作られている。近代建築ありきではなく、信州の景観や風土があり、その上で求められる機能を現実とするために近代技術があるという宮本ならではのアプローチは当時の建築界でも極めてまれであり、モダニズムからの脱却に新たなベクトルを示している作品としても評価される。
<地域性> 宮本忠長が郷里での設計活動の中で、信州ならではの冬の寒さ・降雪・氷結といった場面に直面している。建築デザインや機能が大切なのは言うまでもないが、それ以上に建築の性能や空間を決定するディテールは建築の心臓部ともいえる重要な要素である。1981年に寒冷地工法(井上書院)を出版しているが、5年の月日をかけ、全設計図からディテールを抽出し、失敗箇所をチェックしている。地域の建築家として体験による記録をして、ディテール集をまとめている。長野市立博物館では地域における経験による技術と配慮が隅々まで生かされている点で評価できる。
○現状
「長野盆地の歴史と生活」をテーマにして、常設展示では太古からの善光寺平の自然風土、歴史、民俗などについての豊富な資料を公開している。また、随時特別展示を行い、各種事業を行っている。例えば、こども向きのこども体験広場や大人向けのワークショップなどの事業や、プラネタリウムでは、独自の番組を制作投影している。また、長野市内の小学生はこの博物館での学習もカリキュラムに組み込まれている。

文責:勝山敏雄・吉澤まゆみ