長野県023

八ヶ岳高原音楽堂

  • 1988年竣工
  • 設計/吉村順三設計事務所
  • 施工/北野建設株式会社
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造+木造 地上1階、地下1階 銅板葺
  • 用途/文化施設
  • 所在地/長野県南佐久郡南牧村海ノ口2244-1

○概要
「八ヶ岳高原音楽堂」は、八ヶ岳連峰の南東斜面の別荘地内にあり、主に室内楽を想定した音楽専用小ホールである。この別荘地には音楽好きのオーナーが多く、サロンコンサートが行われていて海外の著名アーティストも訪れ音楽交流の場となっていた。そして、音楽堂建設の機運が高まり世界的ピアニスト・リヒテル、作曲家・武満徹をアドバイザーとして日本を代表する建築家吉村順三の設計により1988年に誕生した。
○特徴
建物の平面形は3角形のグリッドで構成され、ホール、バックヤード、それらをつなぐホワイエの3つの部分で成り立っている。外観は軒高一定の一つの大屋根に覆われ、ホールとホワイエにそれぞれを象徴する二つの大きなトップライトがあり造形上の良いアクセントとなっている。
○評価
<作家性> 吉村順三は、東京美術学校在学中から日本のモダニズム建築に大きな影響を与えた米国人建築家アントニン・レーモンドに師事。同じころ戦後モダニズム建築の代表的建築家前川国男もレーモンド事務所に入っている。一時米国のレーモンド事務所に在籍し西洋建築・生活様式を体験したこともあり、吉村作品は日本のモダンハウスの原点と言われる。それは西洋一辺倒ではなく日本の暮らしに西洋合理主義を違和感なく取り入れたからである。吉村の作風は生涯一貫していて、バランスの取れた簡潔で美しいプロポーションをデザインの基本とし、人間の動作や視覚的な変化などを重視した断面計画などが特徴である。また、平面計画では「正方形に近い形がよい。曲がりくねった複雑な形よりただの正方形のほうが、重心が取りやすい」(引用:吉村順三住宅作法・世界文化社)と吉村が語っているように、ゆとりはあっても無駄のない方形のプランにまとめていくのがほとんどである。吉村自身の軽井沢の山荘「森の中の家」のような小別荘からアメリカの広大な敷地に建つ「ポカンティコヒルの家」のような大きな住宅まで、また公共建築では「愛知県立芸術大学」や「奈良国立博物館」そして晩年の「茨城県近代美術館」のように大きな敷地であっても方形の平面形で計画するというデザイン姿勢は変わらない。しかし「脇田邸」「コーヘン邸」や「伊藤邸」「八ヶ岳の家」のように不整形・多角形の平面形が時々現れる。敷地面積や敷地形状に制約されたわけではない。周辺環境との調和を優先し、方形にこだわらない柔軟で合理的な対応の数少ない作品群である。「八ヶ岳高原音楽堂」もこの流れに属し吉村が自然と融合する形と言った3角形グリッドを徹底した6角形平面である。吉村作品の中では、一見目を引く平面形だが大屋根の造形でまとめられ見事に環境と調和しサロン的小音楽ホールの機能を満たしている。この平面形の成功が後の「草津音楽の森国際コンサートホール」の6角形平面にも繋がっていく。この音楽堂は吉村作品の中でも数少ない特徴的な平面形建築の傑作のひとつということができる。
<地域性> 雄大な八ヶ岳連峰を望む豊かな森の中の美しい木立に囲まれた芝生の広場にこの建物はある。自然の中に建つ建物であることから、ホールとホワイエの壁のほとんどは、引込み式内法一杯の大きなガラスの建具として内部空間を外部に直接開放できるものとしている。四季折々の周囲の自然を楽しみながらのコンサートは、都会のホールでは味わえない深い音楽的印象を観客に与えることが出来る。
○現状
標高の高い高原にある施設だが、厳冬期を含め通年週末はほとんど国内外の著名なアーティストのコンサートが開催されている。小音楽ホールとして理想的な残響特性と大自然と一体となった建築環境により、観客のみならずアーティストにも好評のようである。当面は高い稼働率が維持され、建築も良好な状態が続くと思われる。

文責:清水国寿