静岡県004

清水忠霊塔

  • 1959年竣工
  • 設計/吉田五十八
  • 施工/大成建設
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造
  • 用途/宗教建築、記念碑
  • 所在地/静岡県静岡市清水区迎山町

旧清水市が1959年に建設した忠霊塔。西南の役から第二次世界大戦までの戦没者と戦災殉職者、4356柱の霊を祭っている。設計は吉田五十八(1894-1974)。標高26m、高低差18mの丘迎山に立地し、富士山、清水港、三保の松原、伊豆半島を一望することができる。
戦後の世情が落ち着いた1957年、遺族会や自治会が中心となって設立準備会を結成し、翌年清水市が工費約1640万円で建設、1959年3月21日には約2500人の市民が参加して除幕式と招魂祭が行われた。
一般的な忠魂碑・慰霊碑とは異なり、立地と不可分に計画されたスケールの大きなデザインが特徴である。地上から92段の直行階段が奥に向かって狭くなり、遠近感を強調している。この階段の両ささら桁がそのまま延びて斜めに天空を指す。対称に、後方の丘の上からも2本の斜材が延び、4本の斜材が交差して神社の千木のような意匠となる。斜材の交差部の下には御影石の碑が置かれている。碑の基壇は当初、水盤になっていたが、現在は砂利敷きとなっている。
吉田五十八の作品年表によれば、1957年に長崎県佐世保市に「大東亜戦争戦歿者慰霊塔」の竣工が記されており、吉田が設計した慰霊塔は、この2件のみである。