神奈川県003

弁三ビル

  • 1954年竣工
  • 設計/創和建築設計事務所
  • 施工/大林組
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造4階建、陸屋根
  • 用途/商業・事務所建築
  • 所在地/神奈川県横浜市中区

関内の弁天通り三丁目に建つ弁三ビルは、オーナーが原三渓の次男である原良三郎が横浜の戦後復興のために困難な状況の中で建設した公社と民間の共同ビルの記念すべき第一号として良く知られている。設計は吉原慎一郎の創和建築設計、竣工は1954年、全長80m弱の長い直方体の4階建てビルである。1階は店舗、2階はその店舗に付属した住居で、3.4階が公社のアパートと、その後数多く建てられる共同ビルの典型的な構成となっている。中でも弁三ビルの特徴は、通りに面するファサードを全て店舗の構えに当てるために上階のアパートに至る階段入口が裏路地側に設けられた点と、3階住戸の共用廊下が通り庭に面して幅2mとゆったり取られている点で、これらの工夫がこの共用ビル第一号にふさわしい気品と落ち着きを与えている。
横浜の防火帯建築は、市内でピーク時は500棟あまり建設され、現在でも関内地区に200棟ちかく現存しており、建築群としての数と横浜らしい景観要素として街の重要な一部となっているが、区分所有法以前の共同化・耐震性・リニューアルの難しさからその存続が危ぶまれており岐路に立たされている。現在3.4階は市の創造都市横浜の一環で民間主導の芸術不動産のモデル事業により活用され、横浜関内の顔として現在でも横浜らしさを醸し出している。