電子書籍の流通と利用の円滑化に関する検討会議(第8回)議事録

1.日時
平成23年5月27日(金)  10:00〜12:00
2.場所
グランドアーク半蔵門 光の間
3.議事
  1. (1)出版物の権利処理の円滑化に関する事項について
  2. (2)その他
4.出席者(敬称略)
糸賀雅児,片寄聰,金原優,渋谷達紀,瀬尾太一,田中久徳,別所直哉,三田誠広

平成23年5月27日

【渋谷座長】
おはようございます。ただいまから電子書籍の利用と流通の円滑化に関する検討会の第8回を開催いたします。本日は御多忙の中御出席いただきまして大変ありがとうございます。
 議事に入る前に,本日の会議の公開につきましては,予定されている議事内容を参照しますと,特段非公開とするには及ばないと思われますので,既に傍聴者の方には入場していただいております。こういうことで特に御異議はございませんでしょうか。

(「異議なし」の声あり)

【渋谷座長】
ありがとうございます。
 それでは,本日の議事は公開ということで,傍聴者の方にはそのまま傍聴していただくことにいたします。
 それから,カメラ撮りをもしされている方がありますれば,会議の冒頭までとさせていただいておりますので,配付資料の確認までということで御了承願います。
 それでは,まず事務局から配付資料の確認をお願いいたします。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
それでは,配付資料の確認をさせていただきます。
 議事次第に書いてありますとおり,本日の資料としましては1点,検討事項2「『出版物の権利処理の円滑化に関する事項』について」の資料を配付させていただいております。
 また,参考資料といたしまして,参考資料1,総務省が昨年度行いました事業で,「電子出版環境整備事業に関する成果報告の公表」というプレス発表の資料を配付させていただいております。内容につきましては,こちらに報告書のURLなど書いてありますので,詳細はそちらをごらんいただければと思います。
 そして,参考資料2といたしまして,本検討会議の構成員名簿を配布させていただいております。
 もし不足等ございましたら,事務局に申しつけていただければと思います。
 以上です。
【渋谷座長】
よろしいでしょうか。
 それでは議事に入りたいと思います。本日は,前回の検討会議においてお伝えいたしましたように,検討事項2「出版物の権利処理の円滑化に関する事項」につきまして御議論を頂きたいと思います。
 それでは,事務局から資料の説明をお願いいたします。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
それでは,資料1で,本日検討していただきます事項につきまして整理をさせていただいておりますので,その内容について説明をさせていただきたいと思います。
 最初に,基本的な考え方と現在の状況についてということで,先の三省懇談会の報告において示された方向性について整理をさせていただいておりますので,そこの内容について説明をさせていただきたいと思います。
 三省懇談会におきましては,「出版物の権利処理の円滑化による取引コストの低減及び関係者への適正な利益還元策について」としまして,出版物の利用に当たっては,権利処理に係る取引を効率的かつ円滑に行うための方策の1つとして,何らかの制度的,組織的なアプローチを模索することが必要であるということ。
 例えばということになりますが,絶版書籍や孤児作品については,著作権者等に係る情報の入手が極めて困難な場合があり,これらについて何らかの権利の集中管理が必要であるとされております。
 権利の集中管理の具体的な内容につきましては,集中管理の対象,集中管理の具体的な仕組み,実施主体,そして集中管理に適した出版物の種類など,様々な解決すべき課題があり,慎重な議論が必要とされております。
 一方で,情報通信技術による著作者の探索の実現,そして裁定制度に基づきまして裁定の申請中における出版物の利用の実現,さらには権利の集中管理になじまない出版物の存在といった観点から,権利の集中管理の必要性について懸念を示す指摘も存在しておりました。
 以上を踏まえまして,様々な実態を検証,把握した上で,その必要性を含め,今後更に検討を行うことが必要という内容が,三省懇談会において示されている内容でございます。
 そして,現在,既存の権利の集中管理についてということで,次に整理をさせていただいております。
 現状,様々な形で権利処理を円滑に行うための団体が設立され,様々な事業が行われているところでございまして,その1番目といたしまして,著作権等管理事業法に基づき事業を実施している例といたしまして,ここに幾つかの団体名を挙げさせていただいております。
 著作物に係る権利を集中管理している例といたしまして,御承知の方も多いかと思いますが,日本音楽著作権協会。こちらは音楽の著作物に係る様々な権利を管理している団体でございますし,日本文藝家協会におきましては,文芸作品を始め言語の著作物の著作権を管理されているところです。
 次のページに移りまして,著作物の利用に係る権利を集中管理している例といたしまして,日本複写権センターは,出版物の紙面からの複写に係る権利を管理しています。また,出版物貸与権管理センターにおきましては,出版物の貸与に係る権利を管理しています。こういう形態も存在しております。
 また,著作物に係る情報の管理を行う事業を実施している例といたしまして,著作権情報集中処理機構がございます。こちらは音楽に係る著作権管理事業者が管理する楽曲の情報を管理しているという団体でございます。また,著作権問題を考える創作者団体協議会におきましては,ポータルサイトを開設しておりまして,文藝作品,音楽に係る著作者の情報などを管理,公表しているという団体がございます。
 また,複数団体の窓口,さらには不明権利者の探索を行う事業を実施している例といたしまして,映像コンテンツ権利処理機構がございます。
 現在,このような団体が存在している例として挙げさせていただいております。
 そして,具体的な検討に当たってでございます。
 三省懇談会の報告におきましては,権利の集中管理を必要とする主要な要因としまして,絶版書籍や孤児作品について,著作者等に係る情報を入手することが困難な場合があるということが指摘されております。一方で,権利の集中管理が必要であるか,実態になじむかといった指摘もなされております。
 こうした状況を踏まえまして,検討に当たりましては,出版物の権利処理の円滑化という観点から,これら2点の視点に重点を置いて検討すべきではないかと考えております。
 そして,個々の事項についてですが,それらにつきまして三省懇談会の報告,1ページの3に?から?まで,それぞれの各課題が示されております。それぞれの各課題については,以下のように整理できるのではないかということで整理をさせていただいております。
 まず,集中管理の対象についてでございます。
 集中管理の対象としましては,出版物に係る著作権若しくは利用方法を限定した支分権――権利そのものということになりますが──を集中的に管理をするという方策と,著作権者に係る情報を集中的に管理するという形で,大きく2つの類型に分けられるのではないかと考えております。
 権利を集中的に管理する場合,メリットといたしましては,一定の条件に基づき許諾を得ることが可能となるということが考えられるわけです。
 次のページをめくっていただきたいと思います。
 権利を集中管理する場合でありましても,課題といたしまして,集中管理が求められている著作物の分野,権利の内容は具体的にどういったものになるのか。さらには,孤児作品などの情報の入手が課題となっておりますので,そのような情報の入手方法といったことがやはり課題となるかと考えられます。
 著作権者に係る情報を集中的に管理するといった場合ですと,メリットといたしましては,集中管理が容易となるのではないか。つまり,権利そのものを権利者から委託なり受けるよりは,権利者の理解が得られやすいのではないかということが考えられます。更に,電子書籍などへの利用に当たっては,情報が入手できれば,利用者としてはその後の対応が可能であるという点が1つのメリットではないかと考えられます。
 課題といたしましては,現在,個々の出版者などが出版契約により入手した情報を既に把握しているわけですが,それを他(ほか)の利用者に提示するということが可能になるのかどうなのか。また,個々の出版者が有する情報を集中的に管理することの実現が可能であるかどうか。そして,権利の管理と同様に,孤児作品などの情報入手をどうするのかということが課題として挙げられるかと考えております。
 次の課題といたしまして,集中管理の具体的な仕組み,さらにはその実施主体についてということになります。
 具体的な仕組みといたしまして,集中的に情報若しくは権利を管理する組織を設立するということと考えた場合,その事業がそのような組織を設立するということになるわけですので,事業が継続的に実施され,適切な管理が期待されるということがメリットとして挙げられると思いますが,課題といたしましては,既にある様々な分野の著作物に係る権利を管理している団体との関係をどう整理できるのか。さらには,その設立から事業開始まで数年程度の期間を要するということがありますので,やはりこういうことについては相当な期間がかかるのではないか。さらには,設立の主体としましては,だれが,どこが行うのか。さらには関係者はどの範囲になってくるのかということ。継続的に事業を実施する場合には財政的な基盤が必要になってくるということ。あとは,新規に設立をするのか,既存の団体が従来までの業務とあわせて行うことが可能であるのかどうなのか。最後といたしましては,孤児作品などの権利者に係る情報につきまして,入手方法として探索機能を有するといったことが可能であるかどうかということが,組織を設立する際の課題かと考えられます。
 もう1つの仕組みといたしまして,ポータルサイトのように,ある窓口などを開設いたしまして,アクセス先など,これは情報の提供を行う窓口として設置するということですが,こういった場合は,新たな権利を管理する,若しくは情報を管理する組織として設立するということと比較いたしまして,初期投資など,さらにはランニングコストなどが少なくなるのではないかということがメリットと考えられます。
 課題といたしましては,設立の主体がどことなるのか,関係者はどの範囲とするのか。既存の団体が従来までの業務とあわせて行うことが可能であるのか。探索機能を有することが可能であるかどうか。これは組織を設立することとほぼ同様の課題が考えられるかと思います。
 3点目といたしまして,集中管理に適した出版物について。つまり,どういった出版物が集中管理に適しているか,若しくは必要であるかということですが,これにつきましては2つの類型に整理をいたしておりまして,現在又は今後において市場で流通する出版物と,絶版書籍や孤児作品の2つの類型に大きく分けられるのではないかと考えております。
 市場において流通している出版物などにつきましては,権利者に係る情報や著作権の集中的な管理が行われているものも多く,さらなる集中化ということを進めるに当たっては,ある程度権利者などの理解も得られやすい部分もあるのではないかと考えられます。
 課題といたしましては,既に集中管理されている部分が多いというところもありますので,新たな集中管理を検討する必要性がそこに生じてくるのかどうなのか。さらには,今後の電子書籍ビジネスの展開に伴う電子書籍に係る権利の集中管理におけます要望や,その存否の見極めが必要ではないかと考えられます。
 絶版書籍や孤児作品におきましては,情報が存在していない分野でございますので,権利の集中管理が実現されれば様々なビジネスや公共サービスに活用できるということがメリットかと考えられます。
 しかし,そもそも情報の収集が困難であるということ,そして,その収集には時間と経費がかかってくること,さらには,情報を収集し提供すべきという,集中管理をしようとするところの積極的な意義といいますか,必要性があるかどうかといったところが課題として挙げられるかと思います。
 あと,その他といたしまして,三省懇談会で示されている課題以外に更に検討すべき課題があるかどうかということを,1つのポイントとして整理させていただいております。
 もう1点が,三省懇談会でも示されておりますが,権利の集中管理の必要性についてでございます。
 これにつきましては,先ほど御説明いたしました(1)の整理を踏まえますと,その(1)の3にあるように,出版物の状態によって,最終的にはどう整理できるのかということで考えられるのではないかと整理しております。
 そして,更に必要性を検討するに当たっての課題といたしましては,市場に流通していない出版物であっても,情報通信技術の発達により,いわばインターネットなどで様々な検索を行うことで著作者などの情報は探索可能となるのではないか。また,孤児作品などの情報が入手できない場合については,改正された裁定制度により対応が可能となるのではないか。さらには,利用者側からのこの集中管理に係る具体的な要望はどういったものがあるのかといったところを,課題として整理させていただいております。
 以上が,本日の検討を行うに当たりまして,事務局の方でこれまでの検討の経緯を踏まえた課題の整理等をさせていただいているところです。この資料に基づきまして,本日御検討いただければと思っております。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 大変行き届いた検討が既に事務局の方で行われているようでございます。これを材料に,本日の議論を進めていきたいと思うのですが,議論の進め方ですが,御紹介いただきました各課題はそれぞれが関係を持つものでありますし,説明を伺っていて感じたことですが,内容として重複しているものもございますので,これらの課題を順番に御議論いただくというのではなくて,全体を通じて御意見をいただければと思っております。何か不足する点はないかとか,見方に問題があるのではないかとか,そういったいろいろな御意見をちょうだいできればと思います。
 それでは,ただいまの説明に対する質問も含めまして,これから御意見をちょうだいしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。どなたからでも結構です。
【金原構成員】
資料を拝見いたしましたが,いま一つ,集中管理というイメージがわいてこないのですが,具体的な例でお話ししますと,例えば著作物を出版者が,通常冊子体,紙媒体でつくって流通をさせるわけですが,そういった出版物を電子書籍として配信するために,果たして集中処理という,権利処理という組織が必要なのであろうかということが,ちょっといま一つよくわかりません。
 紙媒体で出版されているものが電子で流通するという,その必要性はよくわかるのですが,既に流通している出版物と電子的な流通というものはどこかでぶつかるというか,ほとんどぶつかるわけで,それを実際問題として,出版が権利を預けて,あるいは著作者がその権利をどこかに預けて集中的に権利処理をするという状況が起き得るであろうかということを考えた場合に,多分,それはないのではないか。
 つまり,出版としては,自社で流通させている紙媒体であった場合,それが電子媒体で他(ほか)の事業者から流通するということがあるとすると,そこはまず利害がぶつかるところでありますから,それはまず自社で著作者の方とお話をした上で,電子的な流通というものを検討するというのが筋道でありまして,それでもなおかつできない,あるいはやらないという場合には,どこかで権利を集中的に管理して,第三者が配信をするということは可能性としてはあるだろうと思いますけれども,多分それは非常にまれなケースであって,このような必要性は生じてこないのではないかなという気がいたします。
 ただし,絶版になって,出版者がもう権利を著作者に戻してしまったような場合,あるいは著作物としては存在するけれども全く出版されていないような場合,これはだれかが電子書籍あるいは電子出版物として流通させたいというときの権利処理というのは当然必要ですから,そういうところを取り扱う,管理団体は必要であろうかと思います。したがって,そこに限定した話かなという気がいたします。
 それから,孤児作品ですが,孤児作品は著作者の所在が不明であるわけで,これを管理団体ができれば,その所在が明確になるかというと必ずしもそういうものではなくて,管理団体の存在とは無関係に,やはり孤児作品は孤児であって,なかなか見つけるのが難しいのではないかなと思います。
 そうなりますと,むしろ裁定制度をそういった著作物に対応させるという,そういう組織づくりをした方がいいのかなという気がしながら,これを今見ておりました。
 とりあえず以上です。
【渋谷座長】
ありがとうございました。
 瀬尾構成員,お願いします。
【瀬尾構成員】
今,金原構成員からのお話もございましたが,基本的に,このお話は,権利を集中管理することによって電子書籍の普及を促進するという考え方がもしあるとすると,そこには正直最初からちょっと疑問があります。
 つまり,現時点で出ている書籍に関しては,出版者を中心にして流通をしているし,権利処理ができているとすると,これを1か所に集中することによって,逆に出版の多様性が失われるとか,いろいろな弊害こそあれ,現時点で権利処理できているものを集中管理する必要というのはもともとないのではないかなと思います。
 ただ,基本的に,今ここに書いてある孤児作品とか,これはまとめて言ってしまうと何かというと,権利処理できないものがあるという事実なんです。権利処理をしたくても権利処理ができない著作物があるということで,電子書籍に限ったことではなく全般的に権利処理できないものが非常に多くあって,それが利用できない,これは大変な問題だと思いますし,特にデジタルの時代になったときに,権利処理できない作品がたくさんあるということは基本的な問題だと思っています。
 これに関して,昔,過去の著作物流通小委員会という文化庁の小委員会の中でも,さんざんこの孤児作品等の権利処理については話し合われてきた経緯がありますが,むしろ権利を集中してするというよりは,そちらの今,金原構成員からあったような,その処理をするための組織が必要なのではないかなと考えます。
 ですので,電子書籍の円滑な流通のためにというよりは,当然,電子書籍も含めたデジタル時代に非常に重要な部分として,何らかの組織,機構が必要であると考えます。
 その中で,権利処理がともかくできるということが重要なのですが,ただ,これは使ってほしくないという場合もあるんです。権利処理ができないというものにそういうものも含めるとすると,権利処理できない,いわゆる使わせたくないという場合が生じなくなってしまう。これは著作者の重要な権利としてありますから,使わせたくない場合はやはり使えない。これは仕方がないのではないかなと思います。
 ただ,だれに言っていいかわからない,権利者が見つからないとか,方法,手段的にどうにもならない場合が非常に多いということも聞いておりますので,それをなくすためのものが必要なのではないかなと考えます。
 そのために,先ほど出ていたポータルサイトをはじめとした窓口というのがございますが,これは実は先日,国会図書館の全文検索のところでもお話が出ました。つまり,世の中にある著作物を,どこかに行って検索をして,どんなものが出ているかどうかをきちんと判明させるというデータベースは実は非常に必要で,今,散在もしていますけれども,まとまって,かつ網羅的に,いわゆる絶版,権利処理できないかどうかを判断に足るようなデータベースはない。それはなぜかというと,運営コスト的にもそうですし,各分野でばらばらに立ち上げても採算性が悪いということもあると思います。
 私は,国会図書館のデータベースのようなコアになるようなデータを使って,そして,権利処理をするのではなく,権利の所在を明らかにして誘導するための機構が必要で,そしてそこのところで権利処理ができない,つまり権利者が見つからないという場合に,そこのところに何らかの仕組みをつくって権利処理をする,孤児作品の権利処理ができるような処理センターをつくる,つまり権利処理センターが必要なのではないかなと思います。
 集中管理とか権利制限とか,非常に安直な方法で一遍にがさっとやってしまうという考え方ももちろんありますが,どうしようもない場合は必要だと思います。また,それに適している分野もあると思いますが,これだけ広範で,かつ電子時代のベースになるようなものに関しては,今までとは違った仕組みをここで考えて,そして,前からの議論であります国会図書館を中心にした情報データベースと,1つ考え合わせたところで,どこかの組織がそれを受け取ってきちんと運営をするというスキームを考えるべきじゃないかなと思います。
 電子書籍の議論とは,今,私が申し上げていることは多少違っていますけれども,電子書籍を含んで,この発展,普及のためには絶対必要なインフラになるのではないかなと感じました。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 三田構成員,お願いします。
【三田構成員】
あらゆる著作物を対象にした集中管理機構というのは大変なビジョンでありますけれども,当面は現実的ではないと考えます。今,必要なのは,国会図書館がアーカイブした1968年までの蔵書及び,これから予算がついて更にアーカイブが増えていくと考えますと,発行後相当年数のたった著作物について,これを図書館に配信するだけでなく,一般家庭にまで何らかの権利処理をして配信できるということは,利用者にとって大いに利便性があり,国民の知る権利を満たすためにも必要なことではないかなと考えます。
 ただ,ここに1つの問題点があります。それは,書物には撤回権があるだろうなと想定されます。例えば,何十年か前に,原発を推進すべしということを書いた本が出たとして,まだその著作者が生きておられて,あれは間違っていたから本を読まれては困るというようなことがあります。それから,私小説でものすごい貧乏な話ばかりを書いた作家が亡くなって,遺族がその本を撤収してしまうということがあります。それから,何らかのプライバシーの問題,名誉毀損の問題で,裁判によって出版が差しとめになった書物もあります。こういうものは,当事者にとっては撤収したい書物であります。
 しかし一方,国民の知る権利を考えたり,研究者が研究する権利を考えますと,これは資料としては残しておくべきものではないかなと考えます。国会図書館に行って読めるものであれば,それを何らかの形で地方の図書館でも読めるということは,国民の知る権利,研究者の研究する権利に対応して,ある程度は必要なのではないかなと考えられます。それから,例えば現在,文庫本で売られているものでも,その初版がどうなっているのかということは,研究者にとっては是非とも知りたい情報であります。
 こういうことで,どの本を読めて,どの本は読んではいけないということは,これは国民的議論になるだろうと思います。ここで必要なのは,権利処理の機構とは別に中立の機関として有識者会議,これは利用者である大学の教授,図書館関係者,権利者の代表などもあわせて広く議論をするような中立の機関を設定して,どれだけの本を撤収する,つまりオプトアウトするということであります。しかし,なるべく多くの本が国民の知る権利にこたえるために読まれる状況になければならない。
 そういうことを今後,何かプロジェクトチームをつくって考えていくべきだろうと思いますが,この場でそういうことは議論してもしようがない。そういう有識者会議に任せるということにして,議論を先に進めるべきだろうと思います。
 それから,最初に申し上げましたように,1968年までの本,あるいは相当年数たった本と限定しますと,これが広く国民に読まれることによって,現行の出版者の活動に大きな支障をもたらすものではないのではないかと私は考えております。
 必要なのは,全部を権利制限にしてただで読むということではなくて,著作権が生きているものもありますし,私としては著作権の存続期間をもっと延ばしてほしいという思いもありますので,これからのことを考えると,著作権のあるものを権利制限してしまうのでなくて,何らかのそういう,出版後相当年数たったものについて,これを非常に安価な値段で配信する。そこから得られる課金を適正に分配するような権利処理の機構は是非とも必要であると思います。
 ただ,利用者にとって,利用しやすい,非常に安い金額で提供するということになりますと,そこから何パーセントか手数料を取るにしても,管理機構がそこに必要な人員とか配信のためのシステムとかを維持するだけの利益が得られるということは考えにくいと私は考えております。ここの部分を国家補助するというのが重要な考え方であります。
 もう1つの考え方としては,孤児作品や権利制限の切れているようなものも含めて,あらゆる著作物から一定の課金をすることによって資金を集めて,この資金を運営資金に投入する。孤児作品については,これは出版者には何らかの情報は必ずあるはずなんです。ですから,出版者に協力を頂いて,孤児作品についての情報を集め,それに対して出版者に手数料を払うなどの対応をしてから……,それでも,すべての本からお金を取りますと,膨大かどうかはわかりませんけれども,一定のお金が集まります。残ったお金を,新たに御遺族の方などが声を上げて,私に権利があるんだと言い出したときに,1968年までの作品ですと,だれかが手を挙げても裁判になったり,御遺族の方が何人もおられるということで,本当の権利者はだれかということを調べるには膨大な経費がかかります。ですから,お金は幾らあっても足らないのですが,しかしクレーム処理費として一定の金額を積み上げておいて,クレームに対応する準備をするということ。
 更にお金が余ったら,これは調査員を雇って,何回もダウンロードされるような作品については実態調査をするというようなことで,お金が余らないように,しかし,あるお金の範囲内で調査をしていくということで,だれかがその余ったお金で不当な利益を上げないように,そういう範囲内でなるべく孤児作品の権利者を探していくということをやれば,多くの国民の理解を得られながらこのシステムを円滑に運営していけるのではないかなと。そういう方向性で,何かプランニングを立てたらどうでしょうかと思います。
 以上です。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 大きな夢といいますか,そういうものを御提示いただきました。かつかなり具体的な内容を御指摘いただきました。
 それでは,糸賀構成員,お願いします。
【糸賀構成員】
今,お三方からいろいろと御発言がございまして,どちらかというとこういう権利集中処理機構についてやや懐疑的といいますか,批判的な御意見もあったわけですが,当然これは出版者の方や権利者の方からするとやや慎重になるのであろうと思います。
 ただ,一般の利用者,あるいは読者といいますか,を考えると,私は一般論としてはこういう権利集中処理機構というものがあっていいだろうと思います。
 必ずしも別の出版者が出版するというわけではなくて,いわゆる二次的利用ということを考えた場合に,この著作物の権利をだれが持っているのかというのが,一般の読者からすればわかった方が便利だろうと思います。
 あるいは図書館で,例えば何か布の絵本をつくったりとか,また別の形でそれを子供さんや障害を持った方々に提供していくときにも,権利者がどういうところにいる方なのかということが判断できた方がいいだろうと思います。
 ただ,問題は,そういう権利集中処理機構を維持するための,あるいは立ち上げるためのコストだと思います。どれぐらいの手間暇と費用がかかるのか,それによって利用価値がどの程度あるのかというところで多分,意見や判断が分かれていくのだろうと思います。
 そういう意味での費用対効果ということになってくると,これは完璧(かんぺき)なものをつくっていくのはなかなか難しいだろう。とりわけ,今お話が出てまいりました孤児作品,こういったものを丹念に探していくというようなことは,既に国会図書館が近代デジタルライブラリーというようなものをやるときに,かなりのコストがかかったと聞いております。
 ですから,絶版,孤児作品と呼ばれているものについては,先ほど金原構成員も言われたように,文化庁長官の裁定制度といったものを活用した方が費用対効果の面からはいいだろうと思います。
 新しいものだとか現在流通しているものについては,私はよくわからない,きょうの枠組みの中では全然出てこないのですが,例のアメリカでやられているクリエイティブ・コモンズのような形で,電子出版する時点で,この著作物についてはこういう利用は構いません,ここまではどうぞおやりくださいというふうなことを初めから意思表示をするということの方が,コスト面,費用面ではかからないだろうと思います。なぜそういう文化が日本でなかなか根づいていかないのかというのはよくわかりません。一方で,クリエイティブ・コモンズ・ジャパンというようなものも立ち上がっているようなので,そういう方向も,この権利集中処理機構を考えていく中であわせて考えていくべきではないかと思います。それが1つの意見です。
 もう1つは,先ほど瀬尾構成員も言われたのかな,国立国会図書館が例えば著者名典拠ファイルというものをおつくりになっているわけなので,ある著作物が,だれがその著者であるか,そういうことはわかるようになっているわけです。まして今後,電子納本というようなことを実現させるのであれば,少なくともだれがこの著作権者なのかということは比較的容易に判断できる。ただ,どこまでの権利を持っているのか,どこまでの権利をこの人は認めているのかということはわからない。
 だから,この中には,集中管理の対象とか権利の中身という話が今ございましたが,差し当たり,この電子出版物あるいは既に紙で出版されているものも含めて,著作者がだれなのかということがわかるデータベース,これはいわゆるディレクトリのたぐいだと思いますが,著作者のディレクトリのデータベースはあった方がいいし,国会図書館が既に持っている著者名典拠録のようなものを活用すれば,余りコストをかけることなくできるのではないかと思います。これはまさに電子納本と連動させてやっていけば,初めに申し上げた費用対効果の面でも高いのではないかと思います。
 かつて「著作権台帳」と呼ばれていたものが民間の出版者といいますか,これは別名「文化人名録」と呼ばれていたものですが,ございました。今から20年ぐらい前に出なくなったのですが,ああいうものはかつては紙媒体でこんなに分厚い冊子でしたけれども,あれを当然,電子技術を使ってデータベース化をして,国内のどこからでも検索ができて,だれがこの著作物の権利を持っているのかがわかるようにする,これは当然考えていっていい話だろうと思います。
 クリエイティブ・コモンズのことと,国会図書館が持っている著者名典拠録を活用した権利者データベースというようなものは考えていける話だろうと思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,片寄構成員,お願いいたします。
【片寄構成員】
片寄でございます。
 私の知っている出版者であれば,今の権利処理については何の落ち度もなく,きちんとされているような気がしますので,今どうしても集中管理機構が必要かと言われれば,その必要性は喫緊ではないと認識しております。
 かといって,これを永久的にゼロでいいのかというふうに考えたときに,例えば小ですね,社員が10人くらいの出版者が,他業者からデジタルデータを頂いて新しいビジネスをしたいといったときに,その出版者に,いわゆる法務だとかライセンスだとかいうセクションがなくて,当然兼務をされている。その人たちが,その処理をするのが非常に大変だという声はよく聞きます。
 貸与権センターが立ち上がったときに,その小さな漫画出版者が,そのセンターができたことによって,自分たちの本が貸与できるようになったというような部分も聞いていますので,そういった小さな出版者が,そういう集中管理機構があれば非常に助かるのだろうなという思いもあります。だから,一般読者というよりは,他業者が新しいデジタル物を利用するときに,そのセンターがあればものすごく助かるというような面もあると思います。
 ですから,当然,そういう組織になった場合には,先生方,著作者と出版者が中心になった組織がいいでしょうし,分配についても,そのセンターの例をとってみてもきちっとできているので,そういうことは将来においては必要になってくるのではないかという考えも持っています。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 田中構成員,お願いします。国会図書館は大分期待されているようですが……。
【田中構成員】
いろいろ議論を伺って,非常にもっともなところも多いと感じたのですが,実態として戦前のものまで権利の調査をしているところの経験からしますと,非常にコストがかかって困難なものが多いと思います。
 出版者様の方で発行されてまだ年数が間もないものについては,それぞれの版元さんの方で権利をきちっと管理されていて,利用したい人も出版者さんに照会すれば,その利用についての基本的な情報もわかりますから,そういうところは問題がないかと思うのですが,やはり出版されて年限がたって,それで版元さんもずっと永続されていないところもありますし,ある以上の年限がたってしまうと,それを利用するためには出版者さんを超えた何らかのものがあった方が円滑に進むというところが実態としてはあるのかなとは思います。
 ただ,それは決して古いところだけではなくて,出版物は裾野(すその)が非常に広いと思うんです。すぐわかるところというのは全体の量からしますとかなり限定されるのではないかなとも思います。
 ちょっと話が違うかもしれないのですが,今回のデジタル化の中で,1990年から2000年までの学位論文もデジタル化をして,その著作権者,博士号をとった方ですが,連絡先を授与大学さんと一緒に探したのですが,まだ10年ちょっとしかたっていなくても,半分ぐらいしか判明しなかったという実態があります。
 博士号をとって,社会の中ではそれなりの地位をほとんどの方は占めていらっしゃると思われるような分母に対しても,やはりそのような実態があるので,そういう意味では,出版物にかかわっている著作者の方は非常に裾野(すその)が広い。それを利用できるようにするというのは非常にコストがかかることであるというのが実感としてあります。
 それから,国会図書館は著者名典拠をつくっておりますので,それを広くディレクトリデータベースとして使えるようにするというのは,私どもの役割としても当然のことであると思うのですが,出版物,著作者のディレクトリがイコール権利者のデータベースになるわけではない。著作権は,譲渡されたり,継承されますので,そうなった場合に,年限がたつと著者名のディレクトリデータベースだけで円滑な利用ができるわけではないというのは,大きな前提としてそれもあるかと思います。
 あと,三田先生が言われたところで私どもの事業にかかわるところでは,発行後相当年数たった著作物について,基本的に絶版で入手が困難なものは国会図書館に来なければ見られないものがたくさんあるわけです。それを今回,1968年までのものについては書籍も悉皆(しっかい)的にデジタル化をしたということなのですが,その利用については,おっしゃるように,既にそれが広く出回ってほしくないというようなことをお考えというのはよくわかります。
 ただ,出版物として刊行されて,世界に一定程度頒布されたということ自体は,それはそれで事実としてあるわけなので,その辺のバランスをどのようにとっていくかというところで,私どもの制度としましては,個人の人権にかかわる部分については,申出を受ければ審査をして利用を一定程度制限するという措置を仕組みとして持っていますが,それがインターネット上で広く利用できるというのは非常に大きなことで,それが何十年も前の事実がすぐに出てきてしまうというようになってしまうというのは,それ自体が大きな人権侵害をもたらすということも当然考えられます。ですから,そこについては,個人のプライバシーや知る権利をどこまで尊重するかというところの仕組みというのが,大きな議論をしなければいけないところだろうと思います。
 基本はやはり許諾で,商業流通させるということの意思表示がはっきりされているものは,何年たっていても,それは商業的な流通に乗っかっていって,そうではないものについて,じゃあ,どこまでどういうふうに利用していいのか。
 議論を蒸し返すようで恐縮なのですが,前回までの議論のところでは,例えば公共図書館の館内で限定して見るところまでは,知る権利のバランスとしてある程度は認められる。その場合でも,絶対人権にかかわるようなものというのは,そもそも図書館への送信の対象にもすべきでないものというものも,議論の中で出てくるかもしれないと思います。その辺をどのように仕組みとしてつくっていくかという議論も,あわせて出てくるのかなと思いました。ちょっと散漫で恐縮ですけれども。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,瀬尾構成員。
【瀬尾構成員】
先ほどでデータベースの話が出たり,いろいろしていますので……。
 この資料に「権利の集中管理」と書いてあるんです。権利を集中してという,例えば,ここで名前を出していいのかどうかあれですが,JASRACさんのように権利を全部集めて処理をするということに対して,最初,金原構成員も,三田構成員も私も,権利を集中することの限界と,その効果について申し上げているのであって,これは権利を集中するというのが今の出版の実態になじまないという認識にも基づいています。
 ただし,集中処理機構,権利を集中的に処理するところが必要であるというのは,多分皆さん同じだと思うんです。そのためには,データベースが要るとか,孤児作品に対してどういう手当をするとかいうこともすべて含めた集中処理機構は,私は必要であると思っていますし,その中には一部権利を集中化する部分も含まれている。だけど,基本的にはほかの人に,権利者を見つけてきちんとそこに回すこととか,そういうこともすべて含めて集中的に権利を処理する機構は必要であると思っているので,ここに「権利の集中管理が必要」と書いてあるので,最初に金原構成員も,意味がちょっと理解しにくいというのは,なぜ今,円滑に進んでいる部分までも,出版者があるのに権利を集中しなければいけないかと。
 この論理はほかのところでも当てはまってしまうので,何でもやるために権利は集中した方が,ワンストップ・ショップでわかりやすいというのはわかりますが,健全なものは健全に今回っている部分に回せばいいだけのことですから,権利を集中処理するのではなくて,権利処理を集中的にできるところが必要であるという意味だと思います。
 そこのニュアンス,「集中管理」っていろいろな形をみんなイメージするので,ちょっと伝わりにくいかもしれませんが,私の申し上げたのは,権利の集中管理は必要ではないんじゃないかというのは,そういう意味で申し上げているということです。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,別所構成員。
【別所構成員】
今,瀬尾さんもおっしゃったのですが,この言葉が多少,いろいろな方がいろいろとらえて誤解が起きているのかなという気がします。著作権という権利は私権なわけで,その集中をしようとすると権利者の処分行為が何らかないと集中はできないわけです。それを超えるとすると何らか法律的に一括して集中をしますということになりますが,それは私権の処分のところにかかわってくるので法制度では大変だと思うんです。
 そうすると,法制度で対応しないとすると,みんなが協力して,JASRACさんみたいに契約をして初めて集中ができますねというところしかないんだと思っているんです。
 となると,現実にきちんと権利処理がされて,出版で回っている部分について言うと,皆さん多分,そういう必要性は感じないだろうと思うので,そういう集中というのは事実上も必要ないですし,集中管理ということにはならないんだと思っています。
 もう1つ考えなければならないのは,権利処理ができないものというのが今残っているというのが1つの課題だと思うので,それは著作者がどこにいるかわからない,著作者の名前はわかるけれど,どこにいるかわからないし,生死もわからない,そういうものについて使いたいときにどうすればいいのかということが残された問題としてはあると思っています。
 その中で,1つ今,裁定制度というのがもちろんあるのですが,コスト的に考えて,その裁定制度がどのくらいうまく働いているのかというのが,私としてもちょっとわからないところがあって,その裁定制度が本当に適切なコストでうまく機能するのであればいいですけれども,もしそうでないとすると,別な機関というか機構があってもいいのかなと思っています。そこは,実は権利を処理する機関ではなくて,法律的にもし裏打ちがないとすると,最終的に紛争になるかもしれない前提で,みんなの合意で一定の行為をやりましょうという,一種の紛争を前提とした将来の紛争処理機関みたいなものが想定されるのかなと思っています。
 そこは必ずしも法律的な裏打ちがないので,安全だというところではないかもしれないですが,ある一定の合意ができるのであれば,ここまで調べたのだったら一定のファンドにお金を入れることで使いましょう,もめごとが出てきたときには,参加しているみんなでそのもめごとの解決をしましょうという,一種の,公的ではないのですが,みんなが集まった準公的な機関みたいなものが機構としてはあってもいいのかもしれないなと思っています。
 今お話ししているときに,法律的な裏打ちを余り想定していなかったのは,これは個人的な見解なのですが,法制度でこれをやろうとするとすごく大変で,今既に裁定制度というのがあるわけですから,裁定制度との比較をしなければならない。現実に機能するほど裁定がたくさん使われているかというと,まだそこまで至っていない。そうすると,中間的な存在としてそういうものを試しにつくってみるというのは,もし合意できるのであればあり得るのかなと思っています。
 ですから,そこは実は権利集中管理ではなくて,権利処理を一定の紛争の中で解決していくという前提のものでのプライベートな機構なのかなと思っていまして,そういうものを想定して議論をしていただくのも1つあるのかなと思っています。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。新しい視点を提示いただきました。
 それでは,どうぞ。
【三田構成員】
現行の裁定制度というのは,例えば何か復刻本を出すというようなことで,本を出せば1,000部とか2,000部刷るわけですね。それで定価をつけて売る。一定の収益があることを前提として供託金を納めて,必要ならば調査を行うというようなものであります。
 ところが,今問題になっている国会図書館のデータを配信するというものについては,これから100年利用して1回だけダウンロードされた本について,幾らお金を取るのかは知りませんが,例えば100円だったら100円もらって,それでその1件についてどれだけの調査ができるかというと,実質的にはできないだろうと思われます。そういう非常に広く浅く多くの書籍を対象とするものについては,現行の裁定制度はうまく機能しないだろうと私は考えています。
 しかし,一方では,日本とアメリカを除く世界の先進諸国では,公共貸与権というシステムがありまして,これは配信ではありません。図書館にある本を一般の国民がただで読むことに対して補償金を払うという制度が実施されております。これについてどういう権利処理がなされているかは各国によっても違うだろうと思いますが,多くの場合,例えば文藝家協会のようなところが,お金を欲しい人は手を挙げてくださいと言って募って,データをつくって,それに対応してお金を分配していくということになっているのだろうと思います。手を挙げなかった人は,私の本は図書館でただで読まれても別にお金は要らないですよということだろうということで,つまり手を挙げないというのはオプトインしないということであります。それで,これは1回読まれて幾らの損失かというと,全く損失ないと考えてもいいぐらいのものであります。
 実は,1968年までの本をデータベースにしても,例えばどこかの大学教授が出された本,これは検索にひっかかってどうしても読みたいという人が何人か出てくることは想定されますが,その本人及び御遺族の方がそこからお金が欲しいと思っているかというと,そうでないケースがほとんどだろうと思います。
 ですから,私はオプトイン,どうしても欲しいという人,つまり御遺族の方で,紙の本でも一定のお金が入ってくるのだから,そういうものを流通させるのだったらお金が欲しいという方に手を挙げていただいて,その人たちだけに分配するということでも,余り文句を言う人はいないのではないかなと。すると,公共貸与権と同じような形でシステムを運用するということも1つの方法だろうと思います。
 ただ,その場合,多くの国ではこの公共貸与権,出版者にはお金を渡しておりません。著作者だけに渡しております。しかし,私はこの国会図書館のデータを配信すれば,出版者にも何らかの損失が生じる可能性があると考えております。
 そこで,出版者に対してどういうふうに配分するかということを考えたときに,現在,出版者さんは版面権があればいいねということを言われておりますが,法律を改正して版面権があることにしても,これは法律改正した時点から発生するものでして,1968年以前のものについてはすぐには適用できないだろうと思います。ですから,今のままでは出版者には何の権利もないということになってしまいますと,これは出版者さん全体が大反対するということにもなるだろうと思います。
 私は,現実的な対応として,出版者さんに何らかの孤児作品についての情報提供をし,データベースをつくっていただくということに対する手数料として,ダウンロードした作品について当該の出版者さんにも一定の課金をしてお金をお渡しするというようなシステムをつくって,出版者さんにもお金を配分するということが必要ではないかなと。
 先ほど,データベースがもうできるじゃないかという御意見があったのですが,1968年以前のものについては,出版時点で著作者がだれかわかっていてもほとんど意味がありません。大抵お亡くなりになっております。そうしますと,お子様が何人かいるわけでして,孫の代とかひ孫の代になっておりましたらば,これを調査することは簡単ではありません。しかし,10年,20年と売られていたものでしたらば,出版者さんは必ず御遺族にお金を払っていたわけです。ですから,何年前まではこの人にお金を払っていたというデータが残っておりますので,出版者さんの御協力が得られましたらば,一定限度までは調査が可能であります。すると非常に充実したデータベースができますので,そのデータベースにも載っていないものであれば,もう孤児作品だということで裁定制度にしてしまってもいいだろうと思います。しかし,そこまで御遺族の方を探す努力をした上でないと,簡単に裁定制度ですべてを解決するということは適当ではないのではないかなと思います。
 以上です。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,どうぞ。
【糸賀構成員】
最初の言葉遣いですか,「権利の集中管理」,確かにちょっとこれはわかりにくくて,言われるように,これは排他的にすべての権利をそこに集中させるという意味では多分なかったんだろうと。もともとの三省懇の報告には,ちゃんとその説明はされているのですが,ここには「著作権処理の円滑化を図る制度的,組織的アプローチという意味で『権利の集中管理』という用語を使用するんだと断り書きがあるのですが,先ほどの説明ではそれがなかったものだから,排他的にここに権利を集中させるかのように私自身も受けとめたところもありますし,そういうふうに誤解されたのだろうと思います。
 ただ,二次的利用だとか,これは出版者さんがどう考えるのかはわかりませんが,当初紙媒体で出版したところと別のところがデジタル復刻というようなことを技術的にも持っていて,かなり低廉な価格でそういうものを普及させることができるということは,日本の文化とか学術的な水準を高め,それを多くの人たちが共有するということを目指した場合には,お互いにそういうのをやり合うということ自体は,私はいいことだろうと思います。もちろん,そこに一定の条件だとか,一定の経済的な権利の支払といいますか,経済的な権利への見返りというものを考えていくということは必要なのですが,それを円滑に動かすためには,ここで言う制度的,組織的アプローチというのは必要なのだろうと思います。
 きょうの話は,別に国会図書館のデジタル化したものを普及させるだけではなくて,最近出されている電子書籍とか,今後ますます進むであろう書籍のデジタル化を考えたときの権利をどういうふうに処理するのかというお話なのだろうと思います。そういう意味では,初めに申し上げたように,何らかの形で電子出版を活性化するというような視点は必要なのだろうと思います。
 孤児作品とかについては,確かに国会図書館の著者名典拠だけでは当然昔のものは不十分で,それはよく承知しております。ただ,著作権継承者を丹念に探していくということのコストを考えると,ある程度のところで裁定に持ち込むということはやむを得ないのではないかと思います。
 このときに,著作者の権利と,それを読む,利用する読者あるいは国民の知的な知る権利を考えた場合のバランスを考えると,どこで線を引くのかはなかなか難しいかとは思いますが,そういった裁定制度をもう少し利用されるようにするといいますか,それは是非必要だと思います。
 そういう意味では私自身も,これまでのそうした実績,国会図書館さんが近代デジタル化ライブラリーをやるときにも随分コストがかかったと聞いております。あるいは,きょうの資料の別紙に,既に存在している集中管理機構の概要がJASRACさんを始めいろいろ出ております。それの一番後を見ると,私は不勉強でよく知らなかったのですが,このaRma,映像コンテンツ権利処理機構では,わざわざ不明権利者探索依頼が利用者の方からできる仕組みになっていて,aRmaさんの方から探索結果を回答するんだとなっている。こういうものの実績とか,コストが果たしてどれぐらいかかっているのかということは,今後の議論を進めていく上で手掛かりになるのではないかと感じました。
 私は,その辺の実態はよくわかっておりませんので,機会があれば是非教えていただきたいと思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,お願いします。
【瀬尾構成員】
今の全般的な議論の中で,先ほどクリエイティブ・コモンズとか,文化庁さんの自由利用マークとか,いろいろな形の,いわゆるサインによる契約ということをやっていらっしゃる。基本的に,今の立ち位置というのは,膨大なアナログ資産を抱えてデジタル時代に入ってきていて,そして我々が今考えることは,電子書籍だけに限らず,アナログの資産をいかにデジタル化して活用できるようにしなければいけないか,どうやってアナログ時代の文化をデジタルの時代に継承しなければいけないかというポイントに立っているんだと思います。それを考えると,すべからく過去のアナログの文化を今後のデジタル上でできる限り多く利用できるようにするというのは,私は自分たちの今の立ち位置として使命だと思っている。
 そういうことに立って考えたときに,余りに権利処理できないものが多いという現実があって,これは電子書籍に限らず,そして裁定制度を多少緩やかにして利用できるようにしました。でも,これは最後のとりでみたいなものだから,これがざるみたいになってしまったら,これはどうしようもないことになってしまう。そのぎりぎりの境目であの裁定制度があったんだと思うんです。
 ただ,ここのところで,こういう非常に重要なポイントに立ったときに,さっき別所構成員がおっしゃったような,そういう組織をつくって,その中でいきなり裁判か,若しくは使い倒しかではなくて,前からお話ししているADR組織というようなものを別につくり,民民のみんなの合意の中で処理をつくり,更に,例えばクリエイティブ・コモンズとか自由利用マークを利用して,使っていいよというのをこれからは最初から言っていき,そして全体として,いろいろなデジタルの時代に,これまでと同じかそれ以上に,過去のアナログの文化が回っていくような状態にするというのが一番の骨子だと思うんです。
 そのときに,最初にも申し上げましたけれども,権利制限とか集中処理は非常にやりやすいし,必要な場合もある。だけれども,今,比較的やらなければいけないのは,スピード感からいっても,法律にのっとらない民民の中でどこまでできるかが実は試されているような気がするんです。半官半民のようなものですけれども。つまり,過去の小委員会のときに,実際そういう組織を法律的につくろうとした。非常に難しいということをそのときに頂きました。そういうものを法律で裏打ちしてつくるというのは非常に大変である,しかも,法制局との話合いにしても非常に難しいものがあったということを聞いています。これは民の中で,みんなが流すべしということであれば,そういうことをきちっとつくっていくべきだし,そういう方向性は支持されるべきだろうと。ただし,それは権利をみんな端から順番に集めてしまうような排他的なものではないということは,何度も申し上げているとおりです。
 ただ,今そういうことをしないと,この大きな時代に,過去のものは使えないまま埋もれてしまう。先へ行けば行くだけ処理しにくくなるわけですから,埋もれてしまったりとか,もう全く権利は集中してごそっと権利制限するしかないとか,非常に両極端な議論になってしまう可能性があって,どちらも健やかではないと思うんです。
 ですので,今,この議論というのは電子書籍の検討会ですが,電子書籍の検討にとどまらず,今後のデジタルの時代にとって,すべてにとって必要で,かつ集中できれば,ほかの分野でも多分有効だと思います。
 そして,裁定が有効になったとは言いつつ,一般的,例えば放送から始まって隣接権からずっといろいろなものがあって,不明のものをどうしていくかということについて,実際に聞いている「困った」という声と,実際に利用されている裁定の数というのは,まだ私はバランスがとれていないと思っていますし,それはそれでいいと思っています。裁定に全部持っていったら大変だから。
 ただ,ということはそのギャップを埋める何らかの組織が必要で,それは逆に法律的にするものではないのかなと。法律的なものではない解決方法をそろそろ考えなければいけないのではないかなと考えています。
 基本的には糸賀構成員がおっしゃったことのなぞらえですが,そういうふうなことが基本的には意見として一致していると私は思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 ほかに。
【金原構成員】
集中管理をするということについては最初にお話をしたとおりですが,既に出版物として流通しているものをデジタル化して再利用する,先ほど糸賀先生もお話になった二次的な利用について許諾する方法というのはあってしかるべきであろうと思います。全く電子化されていないものをある特定の人が紙媒体から電子化して,それを電子書籍として流通させるということではなくて,二次的にPDFあるいはその他の媒体にして,あるいはその他の方式によって,それを利用してその普及を図るということはあってもいいだろうと思います。
 つまり,今,出版物をPDF化して利用するというのはごく普通のことですし,それによってその著作物が更に流通するという側面,これはもう否定できない現実でありまして,それを集中的に管理するというのは是非とも必要で,今後取り組んでいかなければいけないと思います。
 その意味では,既存の管理団体が,今はほとんど紙媒体の複製にしか対応していないのですが,そういうところが,電子化してそれを利用するという二次利用に対して,しかるべき対価をもって許諾するということの仕組みをできるだけ早くつくるべきではないかなと思います。
 それから,繰り返しになりますが,著作物というのは著作者と出版者がセットになって初めて流通するのですが,どちらが欠けてももちろん駄目なんです。しかし,著作者だけがいて出版者がまだセット組みされていない,つまり著作者だけがいて,いろいろな形で流通させたいのだが流通を担当する者がいないというものについて,こういう集中管理団体が著作者から著作物を預かって,それは紙媒体の出版でもいいかもしれない,あるいは電子書籍として流通させるということもいいかもしれない,様々な利用形態に応じてライセンスを与えて,しかるべき使用料でそれを著作者に還元するということができれば,もしかしたらこれは出版者も利用するかもしれない。そういうものをつくり上げるという意味では,この集中管理というものは必要であろうと思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。ほか,いかがでしょうか。
 集中管理の問題については,出版物を2つのグループに分けて考えることが肝要だと思います。皆様方の御意見の中にもありましたが,新刊本と,もう新刊本ではなくなった過去の文化遺産としての書籍があるわけで,その2つを区別して考える必要があるだろう。
 そして三省懇の報告で示された方向性ですね,きょうの資料の1ページ目に上がっております。その2を見ますと,集中管理の問題ですが,私が今申しました第2のグループ,文化遺産としての出版物があるわけですが,それを何とか活用するために権利の集中管理といったことが必要ではないかという方向性が示されているのだと思います。
 新刊本については,各出版者が著作者とか著作権とか著作物とか全部,事実上であるかもしれませんが管理しておりますから,それは余り問題はないと。問題は,我が国がこれまで蓄積してきた文化遺産としての出版物をどういうふうに次世代にデジタル化して承継していくか,これが問題なんだろうと思います。こういう課題に取り組むことが文化庁の重要な役割の1つではないか。世界文化遺産とかいろいろ申しますが,我が国が持っている文化遺産の核の1つである出版文化を次世代に承継していくというのも文化庁にとって大事な役割の1つではないかと私は感じております。
 そこで集中管理の対応をどうしたらよいかということで,皆様方の御意見を伺っていますと,著作物のデータベースをつくるというところは皆様方,そんなものかなとお考えのようでありました。ただ,その権利処理ということまで,JASRACが行っているようなことまで踏み込むとなかなか難しいのではないか。この権利処理をする動機が働きにくいというような御指摘があったように思います。
 それから新しい観点として,別所構成員から提示がありましたが,紛争処理のための機構が必要なのじゃないかと。これは,こういう場合を想定されているのでしょうか。例えばグーグルなどは,まずやってみると。データを集めて,そのデータを自分でどんどん活用してしまう。紛争が生じたら,後は何とか処理して片づけてしまおうというような。ストリートビューとかああいうものを見ていると,何かそんなふうなことを感じてしまうのですけれど。
 今,極論を申しましたけれども,例えばそういうことでしょうか,紛争処理というのは。集中処理についても新しい見方があるということが,御意見の中に出ていたと思います。
【別所構成員】
いろいろなことを先にやってしまって,後から紛争が起きればいいとは思っていないです。ただ,予見されるものについては,参加する人たち,利害関係がある人たちが最初に,その予想される紛争を処理するための枠組みをつくっておくことは必要なんじゃないかなと思っています。必ずしもアメリカ型の物事の進め方がいいとは思っていないのですが,日本とアメリカの社会の仕組みの1つの違いを私なりに感じていることをちょっと説明させていただきます。
 向こうはいろいろなこと,カオスの状態が起きて,いろいろなものの解決を,向こうの中で持っている訴訟とかいう形で紛争を解決することでいろいろなことを進めていっています。日本は,多分そういうことを起こせるような土壌がなくて,カオスを引き起こしてそこから進めましょうとはなかなかできないんだと思っています。逆に言うと,日本の場合には,みんなが安心して進むためには,そもそもカオスが予定されるのだったら,そこをどうやって処理しようかというのをみんなであらかじめ決めてから進みましょう,という社会なんだと思っていて,そのために,先ほど出ていましたような,権利者がわからないようなものについての今の裁定制度に至るまでの間の処理を何らかの形でできることが合意できるのであれば,合意する人たちで集まってみて,「こんなやり方を」というのを進めてみるというのは1つあるんじゃないかなと思っています。
 先ほど「紛争処理」と言った理由は簡単で,権利者がいない以上,権利処理の形はできないので,法律的に権利処理をしますとは言うことができないので,それは「紛争処理」という言い方しかできないかなと思って,そういう言葉遣いをさせていただいたというところです。
【渋谷座長】
はい。それではお願いします。
【瀬尾構成員】
これは三田構成員が前,過去の流通処理のときに御議論された内容をなぞらえる形で,今の別所構成員のおっしゃったことをもうちょっと具体的にどんな形かというと,非常に大きな,最も精緻(せいち)なデータベース,各団体とかいろいろなところのデータを集めた集中的なデータベース,これは先ほどから出ている国会図書館のデータと各団体が持っているデータを集めたデータベースを運営している組織があって,そして使いたい人は自分で権利者を探します。でも権利者がわからないと,そのセンターに聞きに行きます。すると,そのセンターはデータベースをたたき,そして各団体の幾つかの調査報告に基づいて,その権利者を探します。そこで権利者が見つかった場合には,その権利者を紹介します。権利者が嫌だと言われればそれは知りませんし,そこで処理してもらえればそれで結構です。ただ,すべてのデータベースと,各団体からのすべての情報を統合しても見つかりませんという場合は,権利処理ができなくなるのですが,とりあえず決まっているある一定の金額をそのセンターに利用者が支払うことで,それを利用してしまう。これがさっき言った権利処理できない紛争ということだと思うのです。そこで使って,センターはそのお金を預かって,インターネット上で常に公示しています。宣伝をして,常に見てください,自分の作品が使われているかもしれません,お金を支払いますからちゃんと見てくださいというのをずっと公示している。もし,後から見て,自分のものが使われていたら,請求すればそれが払われる。ただ,一定期間になったら,そのお金は基金として運営の費用に回る。そして万が一,「おれのを勝手に使ったな」といって裁判が起きたら,その裁判に対してはそのセンターが受けるし,もともと使った方も訴えられるかもしれませんけれども,それは基本的に,その裁判に関してはセンターが責任を持ってすると。
 ただ,悪意があってるわけではないし,それだけの全部を尽くしてやってわからなかった権利者が使って,後で「おれのを使った」と文句を言ってきた場合に,当然,裁判を起こされれば裁判でしょうが,その裁判を絶対的,安心的に担保できないということから権利処理じゃないということなんですよね。
 だから,裁判を起こされる可能性は法的な裏づけがない以上排除できないので,そのセンターが……,そのかわり,みんなの合意とそれだけ精緻(せいち)な不明探索を行っているということが前提で,どういう結果になるかはまたいろいろな判例になっていくのかもしれません。また,その裁判がどれだけ起きるのかもわかりませんけれども,ただ,それを覚悟の上ですると。
 で,私が考えるのは,更に一歩進めて,訴える前に,何かトラブルが起きたときにはADRを使って,裁判に行く前に1回調停が行われる,それでも駄目ならば裁判ですし,そこでおさまれば,ほとんどのものはおさまる。
 そういう形にすると,使う方も,みんなのコンセンサスのところに,ちゃんとおれは権利処理をしたくてやったんだということができれば,最終的な多少のリスクがあっても,そこに関してはみんながいいと言っている,それこそ関連のほとんどみんながやっているのであれば,かなり護送船団方式的な安心感はあると。ただ,海賊が出てくる可能性は排除できないということだけなんです。
 ただ,そういうふうにしていれば,そこの中で法律の裏づけは今以上に必要ないわけです。その少ない可能性でも,訴えることは絶対に嫌なものなんだという公的な理由の場合には,もちろん裁定を使えばいい。
 そうじゃなく,非常に軽微かつ一般的な使い方の方が多いんでしょうね。大きい「これだ」というものではなくて,ちょっとこれを使いたい,あれを使いたいと,そういうときにみんなが困っているわけなので,そういうことを裁定に至る前段階で処理できるようなセンター機能というのが,多分,別所さんのおっしゃっていた紛争処理という意味でしょうし,私などもそういう機能がないと使えなくなる部分が大きいと思っていました。
 今,かなり具体的なイメージで申し上げましたが,これは前から議論されてきたことをもとに,私の考えということなのであれなんですが,そんなイメージで多分おっしゃったのではないかなと思って,蛇足かもしれませんが,私のイメージをつけ加えさせていただきました。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 それでは,お願いします。
【別所構成員】
若干補足をさせていただきます。
 裁定制度があることはわかっていて,裁定制度が機能すればいいとも思っていますが,裁定制度の前にそういうセンターみたいな,前に瀬尾さんがおっしゃってくださったようなものも,私がイメージしたものに近いのですが,あった方がいいなと思っています。裁定という制度を動かすためのコストは国が負担するんですよね。著作物のいろいろな流通のところに国のコストをどれだけかけていいのかというところもあって,国のコストを使わずにきちんと民間でそういうものがもしできればと。先ほどの博士論文のようなものまでやっていくと非常にコストがかかっていくと思うんです。そこを全部国にやってくださいというのではなくて,やはり文化を守っていくというのは一人一人の役割ですし,税金を使わずにそういうところができるものを持っていくというのも非常に重要なんじゃないかなと思って,そういうものをイメージしているというところです。
【渋谷座長】
はい,お願いします。
【糸賀構成員】
今,話題になっている集中管理なり集中処理機構というのは,基本的には電子化を促して著作物の流通を円滑化するというのが,この会議の名前でもありますし,そちらの方向なんだと思います。紛争,トラブルが起きたときに,それがどう機能するかということもあわせて考える必要はあるんだろうと思いますが,まず,当面,デジタル化を促進し,知的な生産物がうまく国民の間に広く浸透するという仕組みを考えていくべきだろうと思います。
 そう考えたときに,皆さんがいろいろおっしゃるように,確かに法律とか制度化する前に,まず,著作者,出版者もほとんどこれは民間人であって,民間の出版者なわけですから,その中できちんと秩序が保たれるのであれば,私は何も国が介入していく必要はないのだろうと思います。
 だから,まず,出版物に対してどういうふうな利用ができるのかということを,今後の出版物に対してはちゃんと意思表示をするというような習慣,文化というのは,ある程度促進できるのではないかと思っています。それは全く難しくて,ある程度権利者の許諾をとらなくてはいけないというような手続をしていかなければいけないのか。それはそれで1つの社会的コストだと思うんです。その社会的コストを小さくするという意味では,私はやはりクリエイティブ・コモンズのようなやり方は1つ考えていいだろうと思います。
 多分,文化庁さんは,前に提案した例の自由利用マークが必ずしも普及しなかったからやや慎重なのかなとは思いますが,大分状況は変わってきたので,私はそういう方向は1つ考えていいだろうと思います。
 それから,先ほど出てきて,私も提案した国会図書館のデータベースをうまく活用するという,もちろんこれは,これさえあれば,今ここで問題になっているような権利処理がすべて解決するというふうには私も思っていません。ただ,それこそ,別所構成員も言われるような社会的コストを考えた場合に,既にあるものを活用するというのは当然1つの選択肢だと思います。それですべて解決できないまでもかなり権利者をたどることができるわけです。そこから本来の権利を持っている方にたどり着くということはできますので,それは活用してしかるべきだろうと思います。既にあるもので,既につくられていますから,それの活用という意味です。
 それから,話をもとに戻して申し訳ないのですが,先ほど渋谷先生が,出版物を大きく2つに分けて議論できると言われたのですが,2つでいいのでしたら2つでもいいんですが,私は3つじゃないかと思うんです。1つは,絶版,品切れとかで,市場に紙媒体としてもう出回っていないもので文化的な価値が高い,後世に伝えていくべきもののデジタル化,電子化と,紙媒体で主として現在も流通している,書店等で販売もされているものについてのデジタル化ということ,これも当然,社会的なニーズというのはあると思います。そこでは,経済的権利の処理だとか対価,報酬をどういうふうに配分するか,もらうかというようなことはかなり大きな問題になってくるだろうと思います。
 その一方で,今後出てくる電子書籍,場合によっては紙媒体と同時に発売ということもありますが,今後はむしろ電子媒体が中心,中にはボーン・デジタルのようにそれしかないというものもあると思います。こういうものについてはDRMを施したり,あるいは,初めからこういう出版物の利用形態については私はここまで認めますよ,こういう場合にはこれだけの対価が必要ですよということを意思表示をした上で出版していくということもやりやすくなるとは思います。
 そういう意味では,電子出版と,紙媒体で出たが市場で流通しているもの,もはや絶版,品切れ,場合によってはもう出版者も著作者も亡くなっているというようなものと,3つぐらいに分けて考えた方がいいのではないかと,個人的にはずっと思ってまいりました。それが2つに分けてちゃんと議論ができるのであればそれでもいいかと思いますが,個人的には3つではないかと考えております。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
三田構成員,お願いします。
【三田構成員】
ちょっと重要なことを言いたいのですが,国会図書館が以前,裁定制度を利用されていたというのはアーカイブのためですね。数年前に法律が改正されまして,デジタル化そのものは権利制限になりました。ですから裁定制度の必要がなくなったわけですが,それ以前は法律がありましたので,複製をつくることも裁定制度を利用しなければならなかったわけです。でも,現行は,デジタルコピーをつくること自体は権利制限であります。
 私はこの法律改正にずっとかかわっておりまして,このときに公衆送信権も権利制限にしてほしいと国会図書館から言われまして,大反対をしてやめたという経緯があります。
そのとき何が問題かというと,図書館間貸し出しというのがあって,今まで地方の図書館にないものは国会図書館から紙の本を郵便で送って見せていた。これは国民の知る権利にとって重要なものであると。私はこれを理解いたしましたが,公衆送信権まで権利制限にしてしまうということに抵抗があったので反対をしました。じゃあ,国民の知る権利はどうするんだというと,紙にコピーして送ったらどうかと冗談で言ったら,本当にそうなるらしいというのが現状であります。コピーして送るんだったら図書館間の送信はやむを得ないかなと思っております。これを一般の家庭までつなげるということについては問題が多いだろうと思っております。
 しかし,それは一部の現に本にして売られているもの,又はこれから復刻版が出る可能性のあるもの,そういうものは多いと思っております。なぜかというと,デジタル出版が今,簡単にできるようになったからであります。今,国会図書館がやられているようなアーカイブ,民間業者だと1冊100円でやってくれます。それからグーグルに頼めばただでやってくれます。そういう状況になっておりますので,これから復刻版の電子書籍が出るということは十分に考えられる状況であります。
 ですけれども,今ここで国会図書館の資料を使うということで,私が当面考えているのは,膨大な書物があります。その99%は復刻されないものであります。しかし,研究者にとっては是非とも必要なものです。例えば万葉集のこの歌,自分なりに新しい解釈を思いついたんだけれども,今,手元にある本を調べたら,だれもそのことを指摘していないので新しい発見かなと思っても,だれかが言っているかもしれない。そこで,国会図書館のデータを参照したら,すべてのものについて検索して調べて,だれがどう言っているということをチェックできるようになるわけです。これは研究にとっては非常に重要なことで,そういう状況を是非とも実現しなければならないと私は考えておりますが,そういうふうにして利用される本というのは,これも全体の中のごくわずかでありますし,100年のうちで何回か読まれるというぐらいのものであります。
 現在,権利制限になっているのはデジタルコピーをつくるということだけなのですが,これを送信できるように,送信可能化の状態に置かれてもほとんどの本はアクセスされないだろうと思います。ほとんどがアクセスされないものについて,送信権を権利制限にして……,じゃない,裁定制度であらかじめオーケーにするというのは膨大な作業であります。むしろ使われたものから結果的に認めていくというのも1つのやり方ではないかなと思います。その意味で,新しいスタイルの裁定制度というものを実現する必要があると思います。
 もう1点,ただ,そういうふうに使えるものは使っていこうというのは,これはアメリカの考え方で,日本もアメリカに引きずられてそういう考え方になりつつあります。日本版フェアユースというものがまさにそれなんですけれども。
 しかし,グーグルのデジタルアーカイブ,これはドイツやフランスでは大反対になりまして,世界ペンクラブが問題提起をして,現在グーグルとアメリカの出版者や作家たちとが結ぼうとしていた調停というか和解案が頓挫(とんざ)しているという状況であります。私が心配するのは,国会図書館の蔵書の中にも翻訳があります。この翻訳を勝手に流通してしまったら,フランスやドイツの人は烈火のごとく怒るだろうと思います。こういう点についても考慮が必要でありますので,何らかの合理的な議論をやって,そして情報を海外にも提供して,日本ではこれだけの議論をして,そして国民の知る権利に対応してこういうシステムをつくるんだけれどもいかがでしょうか,ということは事前に発信をしていく必要がある。権利制限にしましたとか,新しい裁定制度をつくりましたというだけでは駄目で,情報を提供していく必要があるだろうなと思います。
 以上です。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 田中構成員,お願いします。
【田中構成員】
裁定制度のことなのですが,先ほど来の議論で,公的な裁定制度とは別に,民間のもっと簡易な紛争処理のような仕組み,それはそれで大変重要だと思いますし,そういう形の利用というのは当然必要だと思うのですが,それがあるから現行の裁定制度がそのままでいいかというと,私はそうではないのではないかなという実感があります。もちろん,最後のよりどころですし,最終的に大きな個人の権利をきちっと守るというのは大変大切なことです。また,私たちはその法律制度に基づいてやるという機関で,そういうところは慎重の上にも慎重でなければいけないと考えているんですが,ただ現状,裁定のために,もう明らかに何の返事も返ってくることがないとわかっているのに,何千という手紙を出さなければいけないというのは,そういうことが要件の中に必要だというのは,社会的なコストという点で不合理を感じざるを得ないです。
 必要な手続はきちっと踏まなければいけないですし,経済的なことだけではなくて,先ほど来出ているような個人の人格にかかわるようなものもきちっと守られなければいけないし,その意向が正しく反映されなければいけないような仕組みでなければいけないというのも,本当に大前提だと思うんですが,もう少し改善できる余地はたくさんあるだろうと思います。
 それから,この文章の中にも,情報通信技術で著作者の探索が容易になることもあると書かれていますが,インターネットが普及してもそこの部分は軽減されるわけでも解決するわけでもないというところは現実にあります。
 具体的にどこをどうして欲しいというところをもう少し明らかにすればいいのですが,現状の仕組み,手続にはまだまだ改善の余地があると思いますし,どのみち国の税金ですから,お金をかけるのであれば,もう少しそれが,例えば権利者の方の保障につながるようなお金の使い方を考えた方が全体としては適切ではないかなと考えます。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 別所構成員にもう一度お尋ねしたいのですが,プライベートというか民間で紛争処理ができるような機構があればよいだろうということなのですが,何か利益がないとそういった組織というのは立ち上がらないし維持もできないということなのですが,民間というときにどういう人たちをイメージされているのでしょうか。
 私のイメージとしては,例えばドメイン名に関して,紛争が生じた場合は,弁護士会と弁理士会で設立したセンターがありますが,ああいうところで扱うと。ああいうセンターでは,弁理士さんや弁護士さんが対価を得られるから引き受けているのだろうと思うんです。別所構成員の提案されたような組織,どういう人たちがそれを構成することになるのか,そのあたりはどうなのでしょうか。
【別所構成員】
ざっくりしたイメージで申し訳ないのですが,1つは権利者の団体の方々は多分関心があると思っています。もう1つは,他方にいるのは利用したい人たちがいます。その利用したい人たちの代表が,何らかの形で入ってくるというのがあり得る形かなと思っています。利用する側(がわ)の人たちは,利用のための費用,コストを払うことを前提にしていると思いますから,そこで拠出されるものを著作者の方々に還元できるのと,プラス運営費に充てるということになるのだろうと思っています。
【渋谷座長】
紛争の生ずる件数というのは全体の中ではごくわずかなのだろうと思うのです。ですから,そのわずかなリスクを考えて,業者側がそういう機構に参加してくれるだろうかとか,そういう点はどうなんでしょう。ちょっと細か過ぎて申し訳ないのですが,弁護士会のセンターが頭にあるものですから,あえて伺うのですが。
【別所構成員】
紛争の処理だけをやっているところというのはなかなか参加しないのだと思っていますけれども,先ほど御説明したときにも触れたと思いますが,使うための手続を一定のものを踏んでいただくための仕組みだと思っていますので,紛争が起きたとき――というか起きないように,起きたときも安全に働くように,一定の著作物の利用に関する対価をきちんとそこに積み上げていくというための機構ですので,そういうところをきちんと払った上で安心して使いたいという人たちは少なからずいると思っています。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。細かいことをお尋ねしてしまって。
 ほかには。
【金原構成員】
孤児作品をできるだけ少なくする。つまり,孤児作品,権利者が不明ということは,その権利者,著作者の人が自ら権利を持っているということを忘れている,あるいは気がつかない,特に権利を継承したときなどは意識がないというものもあると思うのですが,中には,意識はあるのだけれども一切その利用を拒むという人もいるのではないかと思います。そういう人も含めて,できるだけ表に出てきてもらいたいわけです。そういうときに,今のような裁定制度を使うということは,文化庁の裁定制度もあるのですが,できるだけ民間で処理できるものならその方がいいに決まっていると思います。
 したがって,集中管理の中で,コストはかかるのですが,いずれにしてもこういう団体は管理手数料は取るんでしょうから,その中で捻出できるのではないかと思います。
 それで,問題は孤児作品なんですが,中にはどうしても嫌だ,あるいは設定された使用料,利用料では嫌なんだという人たちもいるから孤児作品になってしまうというケースもあるだろうと思います。そういう人たちにできるだけ表に出てきてもらうためには,こういう管理団体が権利を預かるのだけれども一切許諾しないという,そういう著者の意向ですということも含めて権利を預かるということがあってもいいのではないかと思います。
 そうすれば,そういう人たちが出てきて,一切利用を拒みたいという場合には非許諾という権利委託をすればいいし,あるいは利用料の問題であるならば,その人が満足するような利用料がその中で設定されるようにすれば,現在は孤児だけれども,そういう人たちも表に出てきて,何分の1かは権利委託をして権利処理ができるということもあるのではないかなと思います。
 デフォルトのようなもので一定の使用料を最低のような形でその管理団体が設定しておくということもいいんでしょうけれども,それは権利委託をしてもらえば,その設定された価格,あるいは最低に近いような価格ではなくて,権利者が求める条件と利用料というものを新たにそこで設定して,そこで権利処理をして,様々な利用に向けて便宜が図られるということも可能になってくるかなと思います。
 以上です。
【渋谷座長】
どうもありがとうございます。
 お願いします。
【瀬尾構成員】
話が大分戻りますが,先ほど著作物を2つに分けるか3つに分けるかという話がありましたが,私は別の考えがありまして,電子書籍を円滑に流通させるために最も必要なことは,権利処理ができるのかできないかという2つに分けるしかないんじゃないかなと思っています。つまり,未来,現在でも権利処理ができるもの,過去でも権利処理ができるものは,権利処理をしてどんな形にでもなるし,また電子化をしたくないというオプションもある。ただ,どちらにしても権利処理の相手がわかって何らかのことができるものと,使いたくても使えない,実は流通している膨大な量をどうするかということが焦点であると。つまり,2つの著作物で,権利処理ができるものに関しては,できるだけ電子化を進めていくように著作者,出版者,またその関連すべてを含めて考えればいいことで,これはまた別の話ですが,権利処理できない,これが最大の懸念だと。ですから,権利処理できるかできないかというのが,実は一番大きな流通に対しての目安なんじゃないかなと。これは全然違う視点なんですけれども,そこでいろいろな仕組みを考えていくと流通するようになるのではないかなとは思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございます。
 それでは,三田構成員。
【三田構成員】
アメリカでグーグルが図書館の本をコピーして流通させようとしたときに,世界じゅうの作家に向けてオプトアウトということを言いました。グーグルのホームページを見て,嫌な人はそこで入力をしてオプトアウトをしてくださいと。オプトアウトしなかった人のものは使っちゃおうということですね。これについて,世界じゅうから反対の声が起こりました。現行の和解案が頓挫(とんざ)しているのも,このオプトアウトという考え方について疑義が提出されたということだろうと思います。しかし,実は国会図書館の資料を読めるようにするというのは同じことをやるんです。だから,何らかの形でオプトアウトにしないと円滑な利用は不可能だろうと私は考えています。
 それで,世界じゅうの作家に向けて,あるいは日本国内の作家や出版者に向けて,どういうふうなサジェスチョンができるのかということを考えたときに,私は,単に「オプトアウトしてください」と言って済ませてしまうのではなくて,孤児作品についてはできるだけ探しますよとか,みんなで知恵を合わせて,どうやったら利用できるかを一生懸命ここまで考えましたということを言い,そのことを世界じゅうの著作者に発信しつつ,一生懸命やった上で,最後それでも連絡がない人については利用できるという形にするというような手続が必要なのではないかなと。オーケーですよという人のだけを使えるということであると,多分,1万のうちの五,六十しか利用できないということになってしまうだろうなと。
 それで,図書館に行ってただで本を読めるのは何かといえば,だれもあれは許諾を与えていないわけです。でも,ただで読めるにしてしまっているわけです。ですから,この問題も,そういうことを踏まえながら,国民の知る権利に対応するためにできるだけのことをしながら,最後は利用できるようにするというような方向性が必要なのではないかなと思います。
【渋谷座長】
どうもありがとうございました。
 いかがでしょうか,ほかに。よろしいでしょうか。
 それでは,少し定刻より早めですけれども,御意見が出たということで,そろそろお開きにしたいと思います。
 そして,きょうのこの検討事項2に関するこのまとめですが,これは次回,事務局の方から提出される予定なんですね。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
次回につきましては,本日頂きました意見を整理した形の資料を提出させていただきたいと思っております。
【渋谷座長】
本日,いろいろな御意見を伺ったわけですが,次回に提出していただくまとめに整理して盛り込むのに十分だったでしょうか。
 三省懇の報告に出されていた問いかけには大体全部答えたような形に,きょうの会議は運んだようにも私は思うのですが。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
はい。それぞれの検討課題につきまして御意見をいただけたと思っております。
 また,要は解決策といいますか,どういう対応が必要であるかというところにつきましても,様々な具体的な御意見をいただけたと思っておりますので,そういう形で,今回頂きました意見を,次回の会議では整理をさせていただきたいと思っております。
【糸賀田構成員】
提案なのですが,今後の進め方で,もちろんこれは私の個人的な要望ですが,さっきの集中権利機構というのか処理機構というか,そういう方たちとのヒアリングみたいなことはできないんですか。
 実際にこれを動かしていてどういう問題が起きているのかとか,どのぐらいの効果が上がっているのかというところを,私は個人的にはちょっと伺いたいと思います。
 それから,きょうは残念ながら出席される委員の方がちょっと少なかったのですが,こういう形で構成員同士で議論するのであれば,もっと構成員同士が近く着席できるようなことにしないと……。これ,文化庁の方を説得するために何かいろいろ説明しているような気がしちゃうんです。お互いの距離がもっと近い方が,私はディスカッションがしやすいと思います。もちろん,文化庁の方にも聞いていただく必要はあるのでしょうが,向かい合って,組合の労使交渉みたいな感じでやる必要はないのではないかと個人的にはずっと思っていました。その辺,ちょっと御配慮いただければと思います。
【渋谷座長】
今御指摘いただいた第1点のヒアリングのことですが,これはきょうのお話を伺っていると,新刊本については各出版者が行っていて,そういうことを前提に各団体が活動しているようなところがありますので,それらの団体の御意見を伺っても,きょう,皆さん方の御意見に出てきたこと以上のものが出てくるかなという感じもするのですけれども,どうなんでしょうか,その辺。
【三田構成員】
貸与権センターはそこにいらっしゃると思いますし,複写権センターは金原さんのコメントでいいと思いますし,著作権問題を考える創作者団体協議会は私が議長でありますので,大体いいんじゃないかと思いますが。aRmaはまだでき上がってそれほど時間がたっていないという感じで。
【糸賀構成員】
いや,だからこそ私は聞きたいんです。つまり,私自身はそういうものに余りかかわっておりません。そういうものが実績として年間どれだけの権利を処理していて,どれだけの対価のやりとりというか,そういうものがあるのかというようなことは……。じゃあ,少なくとも資料だけでも結構ですので,お出しいただけないかと思います。
【渋谷座長】
そうすると,そういうものは事務局の方で収集できるものでしょうか。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
そうですね。本日の資料に出しております団体などの活動実績ですね,もう少し数字なども含めて,それは次回整理して提出させていただきたいと思います。
【糸賀構成員】
それで結構です。
【渋谷座長】
では,そういうことでお願いいたします。
 それでは,事務局の方も,きょうの御意見を取りまとめて次回に報告してくださるということですので,そのようにさせていただきたいと思います。
 それでは,本日はこのあたりで会議を閉じたいと思います。
 最後に,事務局から連絡事項がございましたらお願いいたします。
【鈴木著作物流通推進室室長補佐】
長時間の御議論,ありがとうございました。
 次回の検討会議の開催につきましては,既に御連絡をさせていただいておりますが,6月17日の(金),14:00から16:00までの開催予定となっております。開催場所などにつきましては決まり次第連絡させていただきます。
 以上でございます。
【渋谷座長】
それでは,これで第8回の会議を終わらせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

── 了 ──

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