(保存について) |
◎ |
特に望まれる12の構想とあるが,色々と問題はある。ライブラリーを作って,全ての作品を保存するというのは,難しいことである。映画製作者連盟傘下のメジャー各社なら,金銭的に問題はなく,話し合いはつくと思うが,インディペンデントの製作会社もあり,問題は多い。保存するとなると何本,誰が誰の資金で保存するのかという問題,誰にどのように保存している作品を見せるかという問題がある。
特に後者は,商売的なものが絡むため,非常に問題になる。
また,何を基準として保存をするのかという問題もある。従来のような審査委員による選考になると,審査委員というものは大概選ばれる人が決まっており,商業的な映画は選ばないなどの傾向があるため,問題である。しっかりとバランスを持って選考できる委員を選ばなければならない。国際映画祭になると,必ず審査委員でもめる。公平な委員長を置かなければならない。ライブラリー一つにしても,しっかりとこのような問題点を考える必要がある。 |
(製作支援について) |
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製作支援形態の導入とあるが,1本当たりいくらか補助をするということは文化庁でも現在行われている。しかし,この作品の選び方にも審査委員の問題がある。選ばれた作品がなぜ映画館等で上映されないかと言われるが,興行が悪いのではなく,興行が満足するような優れた作品を選んでいないのである。一方的に興行形態が悪いと言うべきでない。しかしプロが売れると思った映画も売れないのがこの世界である。 |
(上映について) |
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映画流通市場に関して,戦後にも色々な例があった。フィルムを持ち歩いて上映されるよう,小さな劇場や公共施設等関係各所をまわるなどしている団体もあった。今,公共の施設などは地方にこそ大きくていいものがあり,これらの連携なども考えるべき。だが徐々に廃れ始めている。お客が入らないということで住民から苦情が出たりしており,今はお客が入る,入らないまでを考える必要がある。 |
(デジタル映像編集スタジオについて) |
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デジタル映像の編集スタジオについては莫大な資金が必要である。アメリカにできて日本にできないCG等は,設備によるところが大きいこともある。しかし,1社で設備を整えることは,大手の映画製作会社でも難しい。設備は高いし,新製品のサイクルが早い。そこで,一つのスタジオを各社で使えるものを作るという案もあるが,問題はその利用である。 |
(人材養成について) |
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プロデューサー養成のための専門職大学院を作るという案は,非常によい。昔,このようなものを作るという動きがあったが,問題はいかに指導者を集めるかということであった。かなりの実力者でないと養成所は成り立たない。養成所を実際に立ち上げるのなら,まず誰を指導者とするかを考えなければならない。また,学校側が生徒の卒業後の進路をおろそかにする傾向があるが,それでは養成所の意味がない。
今村学校(日本映画学校)はその点,よく映画界に貢献した。卒業生がインディペンデントの製作会社等で活躍している。今村学校の成功の秘訣は,学校内に多くの映画のプロがいたということであり,彼らが人材養成に本気で取り組んでいたことである。実際にプロデューサー養成のための専門職大学院を作るなら,それに本気で取り組む映画のプロが必要になる。また,プロデューサー養成は監督やシナリオライター養成よりもはるかに難しい。 |
(ロケーション撮影について) |
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ロケーションの誘致については,東京都がロケーション撮影をできるようにしたが,これは大きな一歩である。 |
(非映画館を活用した上映について) |
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非映画館を活用した上映支援だが,非映画館で活用できる施設があればいいが,いつまでも従来型の映画館でしかできない。今後は,デジタルに対応できるような施設でないといけない。しかし一方で,永久にアナログは変わらないと考えている人もいる。難しい問題である。 |
(フィルムの保存について) |
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映画フィルムの保存については,商業用には使わない,保存先で活用するのみであるという前提にしなければならない。また,全ての製作会社が適応できるような仕組みを考えなければならない。
海外見本市へのブースの出展は昔,日本貿易振興会(JETRO)が支援してくれたが,最近はなくなってきている。
何ができるかということに注意して考えると,全部できないというものではない。これはできるというものをまとめて,それを最低限行うべきである。
また,文化庁の支援があればできるというものについても,積極的に行っていくべきである。
中間まとめの提言以外にも,吹き替えの人材の養成,著作権等の問題がある。 |
○ |
今の映画の人材の危機感について聞きたい。養成所で育った人はどうも頭でっかちな人が多く,撮影現場での辛さや,製作予算を守らなければいけないという現場の状況を理解しながら若手は育てられるべきだと考える。 |
◎ |
昔は学校をでていようといまいと,徒弟制度というものがあって,カメラマンは名カメラマンの下について,怒られながら育った。照明もシナリオライターも同様であり,徒弟制度の下で多くの映画人が育った。倉本聡も現場で助監督をしながら,シナリオの勉強をした。シナリオライターでも,現場を知らないといいシナリオは書けない。そうやって現場を勉強し,倉本映画が生まれた。どんな映画人でも初期はこのような徒弟制度の中で育ってきた。シナリオライターは作家希望で,大学出が多く,シナリオを書かせるとそれなりのものは書く。しかし実際に現場を知らないと,使えるシナリオは作れない。 |
○ |
実際には,色々と現場でもまれて,育ってきた現場主義のプロデューサーが少ない。現場で助手の経験もなく,頭で考えるだけのプロデューサーが多く,くだらないことで意見がぶつかる。今後のプロデューサー養成に当たっては,大学院を卒業した人を現場でどうやって採用させるかを考えないと,大学院で学んで映画界に入れない人もでてくるのではないか。 |
◎ |
監督希望で入ってきても,管理職に向いている人もいる。シナリオライターも同様であり,夢が必要である。人材養成は難しい問題である。 |
○ |
中間まとめの中でできそうにないものは外して,できるものから行っていくべきという話だったが,賛同できる。 |
○ |
今回の話を聞いて,プロデューサーは育てるための一つのカリキュラムを作って,大学院の中で養成できるようなものなのかという疑問がわいた。映画の仕事を通して能力や感性のある者が自然にプロデューサーになる,映画の外の世界で才能を持っている人が映画に興味をもち,その能力を生かしてプロデューサーになるというものではないか。はじめから社長を育てるコースなどはなく,専門知識を学ぶ過程でプロデューサーになるのではないか。 |
◎ |
その通りである。プロデューサーは育てるものではなく,生まれながらにしてプロデューサーとしての才能があり,それを自覚してはじめて育つものである。また,勘の世界でもある。才能がない人間にはできないし,あえて言えば勘だけでもできる。
成功したプロデューサーの中には色々な人がいるが,スタッフにすごいと思わせるような人でないとプロデューサーは務まらない。 |