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日時 |
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平成15年2月19日(水)15:00〜17:00 |
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2. |
場所 |
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霞ヶ関東京會舘 「シルバースタールーム」(霞が関ビル35階) |
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3. |
出席者 |
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(協力者) |
高野座長,横川座長代理,飯田,大林,岡田,児玉,阪本,迫本,新藤,鈴木,関口,髙村,長谷川,福田,北條各委員 |
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(文化庁) |
河合文化庁長官,銭谷文化庁次長,寺脇文化部長,河村芸術文化課長,杉本芸術文化調査官,坪田芸術文化課課長補佐,富岡美術学芸課美術館歴史博物館室長,延原同室補佐,大場東京国立近代美術館フィルムセンター主幹,佐伯同センター主任研究官 外 |
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(関係省) |
境経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課課長補佐 |
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4.概要 |
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配布資料の確認があり,前回の議事要旨について意見がある場合は,明日中に事務局に連絡することとした。 |
(2) |
横川座長代理より,映画監督新藤兼人氏の経歴・現職の紹介があり,その後,同氏より以下のような説明が行われた。 |
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[以下,◎:説明者,○:委員,△:事務局] |
◎ |
本中間まとめには概ね満足している。多くの問題提起がなされているが,それらをどのように実現していくかを考えないといけない。
今の日本映画界は何か大きなことを解決しないと日本映画の未来が絶たれるという状況である。
その一つにシナリオの問題がある。昔は各製作会社がシナリオライターを抱えていたため,その会社の映画が伸びることのみを考えていた。最近はどの製作会社もシナリオライターを抱えず,学校やシナリオ作家協会からシナリオライターが出てくるようになった。広い視野からシナリオライターを集めるということでは昔の徒弟制度と比べていいことかもしれないが,その働き場を保証するところがない。才能のある人は自分の望むところで働くべきという意図であると思うが,実際には才能を発揮することが難しくなっている。
これは映画の大きな変化である。映画にはシナリオが最も大事である。溝口氏などは一つのシナリオ作りに1年も2年もかけた。そしてそれだけ時間がかかっても最後には大衆にうけるのかどうかということを気にしていた。巨匠と言われる人でも大衆にうけるということを考えていた。映画は芸術でもあるが,それが製品化されることによってそのような点も考える必要がある。しかしシナリオライターには尋ねることができる映画会社というものがない。
シナリオは映画の原点であり,シナリオがあって,映画ありということで今までシナリオ作りに多くの時間を割いてきた。しかし最近は映画が不況に追い込まれた状況にあり,シナリオに時間をかけず,早く映画を作ろうとしている。映画製作会社は企業だから利益を求めるし,金を儲けようと考えているが,いい文化を作らないと金は儲からないため,映画は文化が金儲けと直結している。このような現状から,シナリオには時間をかけなくなっている。
一筋二抜け三役者という言葉がある。シナリオがよくて,さらに撮影,役者がよければいい映画ができるということである。つまり,シナリオライターを各映画製作会社が育成することが最も重要なことであった。現在は映画製作会社が養成を行わないため,養成学校出身のシナリオライターがいかに働きやすい環境を作るかということが重要な問題となってくる。優れた映画を作るためには,その足場を固めるシナリオを作ることから考えないといけない。
若いシナリオライターを養成すべきとよく言われるが,老人だってシナリオを書く力はある。老人の立場からも若い人の考えを知ることはできる。才能が埋もれてしまっている。
現在は日本映画学校が製作会社に変わって,撮影監督や俳優を養成している。映画は個人個人が集まって作られるが,金がないと作ることはできない。そこで優秀なプロデューサーが必要となる。また,映画でいかに儲けるか,映画館にいかに人が入るようにするかを映画製作会社が考えないといけない。
このように映画が落ちてきたのはテレビが伸びてきたためである。しかしアメリカではこれを克服している。日本がこれを克服するためには,映画を作る側と映画を活かす側との懇談をおこなうこと,一般の人に映画はすばらしい大衆芸術であるということを認識してもらうことが必要である。
海外には映画人の拠点のようなものがある。このような拠点が日本にも映画界団結のシンボルとして必要である。日本の映画界も多様な才能を集めつつ前進しているということを象徴する場を作らないと,優れた人材が集まらない。
また,大学も必要である。私は日本映画学校を大学にすればいいと考える。シナリオについても構成的なこと,基礎的なことをしっかり教育する必要がある。
ロシアや中国等もアメリカ映画に席巻されている。しかし自国の映画を作らないといけない。日本人を描き,日本人が見るのだから,日本映画が外国映画より劣るというのは残念なことである。1本の映画を作ることが1つの生命を誕生させることと同じように映画を作らないと日本映画は変わらない。
また,日本映画復活のためには映画界が一人立ちしないといけないし,日本映画の製作者が自分は日本映画を作っているのだということを誇りに思えるような環境を作らないといけない。
今,シナリオ作家協会で文化庁の支援により,シナリオライターの養成を行っているが,実際にその現場を見る必要がある。 |
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(3) |
横川座長代理より,日本映画学校校長 佐藤忠男氏の経歴・現職の紹介があり,その後,同氏より以下のような説明が行われた。 |
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◎ |
「すべての日本映画フィルムの保存・継承を行う制度の創設」について,フィルムセンターへの納入を義務付けは是非行ってもらいたい。こういうものは制度化されないと,実行されにくい。
「新たな製作支援形態の導入」について,融資等の資金の問題だろうが,拡大していただく必要がある。かつては地方で作られた作品に支援をするといっても,はたして本当に地方の作品に活力があるのかと今まで疑問を持っていた。しかし,最近の地方映画はすばらしい。これなら,地方に支援をすることによって地方の活性化にもつながるし,文化的なことに力を注ぐということで大変意味がある。
「新映画流通市場の創設」について,これは学生やアマチュアの人の作品を上映することを目的としていると考える。確かに,優れた作品はたくさんあるが,上映されないという現実がある。そのためにそのような作品を上映するための支援システムがあればと,日本映画学校でも考えている。
「プロデューサー等養成のための大学院の創設」について,大学院については教授が認めれば学歴を問わず入学することができるということを認識しているが,専門学校からは大学院にはいけないと多くの生徒に思い込みがあり,そのような既成概念を払拭できるようにしてもらいたい。また,実際に撮影の現場等では日本映画学校卒業が多いが,彼らの技術をさらに高めるためにも,大学院が必要である。
「人材養成機関の連合体の形成」について,専門学校・大学間の単位互換が言及されていないのは,専門学校は単位制でないためであろう。海外の大学等から,単位互換の話等が持ち掛けられたりはするが,演習が中心である専門学校の講座を何をもって1単位とみなすかは困難であり,断っている。
また,専門学校には私学助成がない。学校制度の上では,専門学校は不利な立場に置かれている。だからといって大学がいいかというと,大学では教養の単位を何単位増やさないといけないなどの縛りがある。このような制度がなくなれば,日本映画学校も大学に移行することを検討するつもりである。
「子どもの映画鑑賞普及の推進」について,最近は学校で映画を見せることが減っている。川崎市では,総合的な学習の時間に日本映画学校が協力をして,中学生に映画作りを教えているが,これら中学生の作った映画が地元の映画祭で上映されると好評であったりする。こういうことを,学校の授業で行うことも一つの方策として考えられるだろう。
「海外展開への支援」について,以前は作品が1時間以上であること,16ミリ不可,海外の映画祭からの招待状がないと支援を受けられないということがあった。これらの規制の緩和を進めて欲しい。
「フィルムセンターの独立」については,独立することが,フィルムセンターにとってよいことであるのなら,行うべきであろう。 |
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(4) |
横川座長代理より,全国フィルムコミッション連絡協議会副会長 前澤哲爾氏の経歴・現職の紹介があり,その後,同氏より以下のような説明が行われた。 |
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◎ |
優先順位をこの12の構想につけていく必要がある。本中間まとめの構想の「すべての日本映画フィルムの保存・継承を行う制度の創設」・「海外展開への支援」・「フィルムセンターの独立」については,すぐに行って欲しい。
そして「新たな製作支援形態の導入」・「出会い・交流・顕彰の場としての『映画の広場』(仮称)の創設」・「地域におけるロケーション誘致の支援」はその次に行って欲しい。「新たな製作支援形態の導入」については,芸術文化振興基金等で今も行われているが,色々なタイプの支援の方法を加えていただきたい。「出会い・交流・顕彰の場としての『映画の広場』(仮称)の創設」については進めて欲しいが,地域の映画祭等まで踏み込んで欲しい。
「新たな製作支援形態の導入」・「デジタル映像編集スタジオの整備」はハードの話であり,放っておいても進んでいくだろう。
「プロデューサー等養成のための大学院の創設」・「人材養成機関の連合体の形成」については一つの方法論である。大学院を作る前に日本映画学校を支援して欲しい。私学助成という方法でなくても,色々な方法が考えられるだろう。日本映画学校が大学院になるべきか,疑問がある。大学院の中でカリキュラムを作り,どれだけ教えれるか疑問がある。
「プロデューサー等養成のための大学院の創設」・「人材養成機関の連合体の形成」は十分でないと考える。人材養成というのは何かを作ったからといって,効果がでるものではなく,15年ほどを考えたプログラムを作る必要がある。まずはメディアリテラシー教育を学校で行う。次に高校に映像科を作る。これは工業高校等に作るのがいいだろう。ここでは技術を教えるのではなく,何を撮るのかを教えるべきである。そしてその後,専門的な大学・専門学校に入れば,プロとして養成されるだろう。それらは,初等・中等教育から始める必要がある。そして,地域放送等を開放して,インディペンデントの作品を流す機会を与える。公民館等では上映手続に手間がかかり,問題がある。
専門職大学院を設置することは難しくはないが,やはり教える人間が重要である。現在実際に映画を作っている人を教授として雇うシステムを作れるかどうかも問題である。韓国では映画関係の大学が2つあるが,大学へ来なくても生徒を現場へ連れて行くような現役の監督が教授として認められている。このようなシステムが組めるかは課題である。
フィルム・コミッション(FC)は大幅に増えたが,これらがしっかりした機能を備えているかということは疑問である。今年度はこれらの機能を高めたいと考えている。FCは映画振興と密接な関係にあり,映画振興の一つの手段である。そのために全国フィルム・コミッション連絡協議会を立ち上げた。FCの利点は,これを通して,地域の人と映画やテレビの関係者とが触れ合うことができ,また,それによって映像がいかに作られるかということを知ることができる。そして知識を深めることによって,映像文化振興への理解者になることである。
撮影地を貸す相手のプロダクションにも色々あり,悪質なプロダクション,良質なプロダクションがある。FCは情報公開もしており,撮影地で問題を起こすと,他の地域のFCを利用できないようにもなっている。これによって,映画製作会社のモラル向上にもつながる。
今後FCは60〜80にまで増えるだろう。しかしそれらがネットワークを築き,みんなで協力して展開していかないと成り立たない。また,ネットワークを結ぶ中で行政レベルとは違うつながりも生まれ,新たな動きもでてくるだろう。
全国フィルム・コミッション連絡協議会は5年後に解散し,「日本フィルムコミッション」というようなものができ,日本の撮影地を海外に発信できるようにするべきであろう。フィルムセンターの中にこの「日本フィルムコミッション」というものを置いて欲しいと考えている。
規制緩和については,各省庁にロケーション撮影について検討してもらいたいという要望は出している。映画は民間が作っているのに,これに対して公共のものを何故貸さないといけないのかという話がよく出る。ロケーション撮影を反対する機関としてよく警察があげられるが,これ以外の省庁の方が,民間という理由で反発がある。
また,この中間まとめの中で地域の話が不足している。文化振興が行われるためには,それらが地域に根付いていく必要があり,そのための地域における融資制度の創設等が望まれる。 |
○ |
現場主義をどこまで報告書に入れていくかを考えないと,机上の空論では意味がない。メディアリテラシーについては私も重要だと考えていた。以前,学校の父兄参観の際に絵コンテ等を使って映像がどのように作られるかということを説明したが,好評であった。初等中等教育から踏み込んだものを作っていく必要があると感じた。 |
○ |
FCを利用して作品を何度か作ったが,製作会社がFCに場所選定等を全て任せたり,裏切ったりということが頻繁にある。常識や良識を人材養成の中で教えていくことも必要と考える。 |
○ |
映画に対する熱意があっても,人とコミュニケーションがとれないというのは,教育以前の問題である。映画学校の卒業生の映画と大学を卒業した者が作った映画の違いは何かというと,前者はどの世代の人にも訴えるものがあり,後者は自らの世代にしか訴えていない。作家なりの開拓心というものを育てていくことが重要と感じた。
FCで,経済効果・観光効果を狙った人たちが多いというが,そこを無視しては成り立たないものだと思う。全国フィルム・コミッション連絡協議会としてはどのように考えているのか。 |
◎ |
それらが動機付けになることは悪いとは思わない。ただ,経済効果が得られるということだけでは成り立たない。右肩上がりで成長しつづけるとは保証できない。他にメリットとして,実際の観光資源だけでなく,もっといいところを探し,地域を発見していく,他の人との交流等を通して,地域への力になるということが分かってくる。 |
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以上 |