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映画一本を観るのにかかるトータルなコストというと,入場料だけではない。例えば映画を観る時間をコストと考え,仮に1時間2,000円とすると,上映時間2時間で4,000円。映画館まで行くのに1時間かかるとし,合計6,000円,これに映画の料金を加えて合計コストが7,800円になる。それに加えて,映画はあらかじめ得られる効用を測ることができない。食事などであれば,ある程度の効用は期待できる。こういうものに7,800円ものコストをかけることはリスクがある。そうであればあらかじめ効用が期待できる焼鳥屋に1時間居たほうがいい。このような理由により,なかなか映画を観ようという気にはなれないのである。
また,私たちの世代は日本映画の全盛期を知っている世代であり,この世代を動かさないと日本映画の振興にはつながらない。
現在の日本映画はアニメの収益を除くと散々たる結果である。アニメを除いた本当の日本映画の数字を算出して,対応策を考えていかないと現在の状況は変えられない。どうすれば観客が映画館に向かうようになるかという調査を行って欲しい。現在は試写会の応募にしても,抽選に外れた人に200円の割引券を送付してくるだけである。プレイガイドに行けば500円引きのチケットが手に入るのに,試写会に応募するほど映画を観ることに対してモティベーションの高い人たちにこれは失礼である。
最近,深作監督が亡くなられたが,どこの映画館でも「仁義亡き戦い」を上映していない。せめて500円ワンコインで鑑賞できるようにするべきである。
業界の努力次第でこういう問題は解決できるはずである。経験的に値段を安くすれば客が入るということは分かっているはずだし,映画一つ一つが異なる値段であってもいいはずである。観客の立場に立った調査をし,観客が動けるようにしてもらいたい。 |
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中間まとめを読み,12の施策を推進する組織が必要であると感じた。これを行政が担うことは無理である。民間企業の中でも,人材養成はどうするかという問題になったときに,人材養成をすることを目的とした組織がその役割を担う。これと同様に,映画振興を目的とした組織が必要なのである。それを担う機関としてNPOがある。NPOならば民間で行えないような事業を行えるし,12の構想を全て行うことは無理だが,いくつかは行うことができる。文化芸術振興基本法の下でNPOが保護されることも重要である。運営する費用は個人や団体の会費で賄うべきである。特に人材養成については映画関係の勉強をしたいという人と映画の労働者が欲しいというお互いのニーズをつなぐことが必要であり,NPOが担うべきである。
学校教育の中での映画学習においては,現場が何をするべきかを悩んでいることが多い。教えるということは学ぶことにもつながるため,NPOが学校に教育できる人材を送り込む役割も果たすべきである。そうすることによって,鑑賞者,製作者の人材養成につながる。また,こういうことに協力した団体を社会的に評価していくことも重要である。
NPOは地域ごとに持つべき。そしてそれぞれの地域のNPOが横のつながりをもつべきである。
兵庫県に環境省のモデル事業で,子どもに企業が行っている環境教育を教える活動をしているNPOがあるが,これは子どもと企業の双方にメリットになる。このようなNPOの活動を支援する体制作りをもっと進めていって欲しい。 |
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日本映画は,グローバルアメリカゼーション,日本映画の成長危惧,映画製作において長年培われてきた技術が失われる可能性があるという3つの危機を持っている。観客という映画を経済的に支えるという立場から,3つの意見がある。1つ目は「映画の広場」の創設について,イギリスには映像博物館があり,黒澤明監督の「用心棒」のポスター等の海外の作品もあり,観光名所となっていた。日本においても「映画の広場」を作る際には,イギリスの映像博物館のように日本人と海外からの観光客が交流を図れるような場所にして欲しい。しかし決して建造物を作るという意味でなく,そういう哲学,理念が必要であるということである。2つ目は「子どもの映画鑑賞普及の推進」についてである。映画は多くの人が集まって同じ場所で観るという共有体験をすることが原点であり,そのための場を幼年期に提供する必要がある。日本の古典映画がどういうものであるかということを義務教育で体験できるようにして欲しい。また,現在,学校において映画学科がないということも問題である。せめて副読本を使用する,高校で総合芸術である映画の製作の実習を取り入れるなどの取り組みを行って欲しい。人材養成が大事だということは分かるが,製作者,プロデューサー,出演者の人々が経済的に豊かになることを考えるべき。これが3つ目の意見である。教育というのは長い投資によりできるものであり,教育された才能を継続的に創造できることが重要である。自分自身も実際に録音技師を一度経験したが,とても生活していけるとは思えず,CMを作る広告代理店に就職した。友人も同様に,現在は他の職についている。このように才能が他に流れていくことは大きな損失である。有名な人でないと映画を作ることができないような国にはしたくない。アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)には世界中の映画関係の書籍が大学内で買うことができる。子ども達が映画監督を目指した場合,世界を相手にすることになるのだから,このような環境が必要である。 また,創造性溢れる人間が映画に携われる業界構造を作っていく必要がある。映画製作はある意味でベンチャーであり,リスクが高いのであるから,ハイリターンが必要であり,全てのリターンが製作会社に流れるのではなく,現場の製作者にも流れるようにしてもらいたい。 |
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入場料金については,観客の満足度の問題である。映画を作る上で重要なことはいいものを作って,どれだけ観客に喜んでもらうかである。
興行成績において,確かにアニメが上位を占めているが,そういうデータを示すことよりも,いかに改善していくかが重要である。改善策については前向きに検討しているところであり,問題を放置しているわけではない。その点を考慮してもらいたい。 |
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満足度は必要だが,問題はそれが見る前にわかるかどうかということである。映画の評判は口コミで広がる。だから試写会が重要なわけだが,これらは95%以上が6:30からであり,中高年は観られない時間帯となっている。これらを9:00から始めるなどの工夫を考えてもらいたい。 |
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鑑賞者と製作者の間に確かに多少のずれがある。鑑賞者が映画を支えているのだから,市場調査を行うことは必要である。以前,経済産業省の研究会でPOSシステムを導入して詳細なデータを把握できるようにするという提案をしたことがあるが,前に進んではいない。
映画を作る側が経済的に豊かであるべきというのは同意見である。そうでないと映画業界に入ろうというインセンティブや働くインセンティブがない。インセンティブを高める構造を考えていかないといけない。
映画の選定という話があったが,成功した映画,失敗した映画は製作者側でも判断しにくいことがある。映画の値段について,何を基準にして決定するべきなのか教えてもらいたい。 |
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一度映画の世界に入ると,習慣的に映画を観に行くようになる。そうなると,そのタイミングで話題性のある映画が上映されているかが重要になる。その時点で何らかのコメントが出ていないと,判断はしにくい。 |
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映画評論自体の地位が低いのではないかと思う。評論の信頼度がどれほどのものであるかは疑問である。 |
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映画を観る習慣のある人は観に行く循環ができているが,自分の生活の中に映画を観に行くことが組み込まれていない人達が多い。その人たちを映画を観に行く循環に組み込んでいくための一つの手段として,価格を下げるという手段がある。映画を一つの商品として価格設定を行っていないことが問題である。 |
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映画の値段は産業的にも製作者としても難しいものである。値段は自由に価格を設定して1,800円になっている。映画を製作して小規模なプロダクションを経営しているところにしてみれば,映画の捉え方が再生産であり,一つの作品の回収で,次の作品の製作に取り組む。配給・興行・製作者が一致しないと,価格は決まらない。製作者にとっては,次の作品が製作できるかという問題であり,この作品は500円,1,800円というように設定することはできないのではないか。提供側も価格を設定する自信がないため,価格が1,800円に設定されているのではないか。また,鑑賞者に対する製作者側の説明不足ということもある。 |