映画振興に関する懇談会(第13回)議事要旨

1. 日時 平成15年4月14日(水)14:00~16:40

2. 場所 三霞が関東京會舘 「シルバースタールーム」(霞が関ビル35階)

3. 出席者
(協力者) 高野座長,横川座長代理,飯田,大林,岡田,小田島,児玉,阪本(代理:成田),迫本,新藤,関口,髙村,司,奈良,長谷川,福田,北條各委員
 
(文化庁) 銭谷文化庁次長,寺脇文化部長,河村芸術文化課課長,坪田芸術文化課課長補佐,佐伯芸術文化調査官
 
(関係省) 境経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課課長補佐


4.概要
(1) 配布資料の確認があり,前回の議事要旨について意見がある場合は,明日中に事務局に連絡することとした。
(2) 資料4「これからの日本映画の振興について(提言)(案)」について説明が行われた後,以下のような議論が行なわれた。
[以下,○:委員,△:事務局]
(「第2 国の映画振興の基本的方向」について)
「第2 国の映画振興の基本的方向」の「(2)映画界における自律的な創造サイクルの確立」で,「自律」という用語が使われているが,「自立」という用語があるにもかかわらず「自律」という用語を使ったのはどのような意図か。
国からの資金注入をしなくても,自ら製作した作品で資金を集めることができるということ,国からの助成で税金を受け取る製作者側も,自らを律して作品製作に携わっていく必要があるということから用いた。
前回の懇談会で議論された,著作権について記載されたことは,意義のあることである。著作権の不備は,各関係者それぞれの方向から指摘されたことであるが,具体的な中身については,何も議論をしていなかった。
著作権について発言した趣旨は,映画振興の上で,国が映画を振興する点から考えると,映画が文芸の「二次的著作物」と表現されていることが問題であるということ。ヨーロッパやアメリカでは「二次的著作物」という言葉は用いられず,「派生著作物」と言われていると聞く。それは,原著作物があって,そこから新たにつくられた独立した著作物とという意味である。
日本のように「二次的著作物」と捉えると,原著作者と映画作成者が全く同じ権限を持ち,対立したときには利用できない。その為,新たに生み出された著作物は,新たな著作物と捉えないとここに列席している方々には納得できないと申し上げたのであり,利害関係をいかに調整するかということは別の問題である。
著作権が記載されたことは大変意義のあることだが,何が対立していて,どう合意形成をすればよいのかが分からないので,もう少し具体的に方向性を示すべきであると考え,自分で文章をつくってみた。
著作権問題をめぐり,文化庁においても研究会が開催されたが,最初は,法改正を行わず,二次的利用に関するルールを模索したが,結局は失敗に終わった。その後,法改正を含めたルール作りを試みて,「映像分野の著作権等に係る諸問題に関する懇談会」が立ち上げられたが,しばらく中断している。著作権法29条で,「映画の著作物(第十五条第一項,次項又は第三項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権は,その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは,当該映画製作者に帰属する。」と明記されたが,それでは余りにも著作者に対して不利であり,附帯決議において著作権の帰属については引き続き検討すると定められた。両者間で,話し合うものとして,懇談会等を開いて検討したが,著作権は,もともと著作者にあるのが当たり前である。提言案のように両者間の合意が必要だということを書くなら,何を合意するのかわかりやすくするため追加修正をお願いしたい。
考えていた著作権の趣旨とは別の趣旨が入ってしまっている。国の映画振興の基本的方向という枠組みの上で,著作権を考えていくべきであるのに,映画業界の中での問題であり,我々は,当事者同士で話し合いをして法改正を求めたりするものである。
我々映像製作に関わっている側にとって考えて欲しいのは,海外への日本映画の発信であり,その際に問題になる海外での海賊版問題である。中国では,外国映画の輸入枠は制限されているものの,守られておらず,中国に映画を輸出する意欲も失われている状態である。
国に求めるのは,海外で日本映画を振興させるための二国間交渉であるとか,国際会議における日本国の発言である。
先ほどの追加修正意見は賛成できない。非常によくまとまっているが,著作権の問題については,利害が対立する部分まで触れてしまえば,まとまらなくなってしまうためまとまるところだけやっていこうとスタートしたはず。基本的にルールが存在しないわけではなく,関係者間で契約という形でルールづくりは行われている。「実演家人格権」という当事者の主張をそのまま文章にすることは適当でない。
実演家人格権の創設は,様々な関係者間の合意,世界的な潮流を含め,成り立ったものである。
著作権については,この懇談会では触れないということだったが,映画製作,流通の中では重要である。しかし,今の著作権法は劇場映画を念頭においたものであり,映画が特別な扱いを受けている時代のものである。最近では,適正な分配や徴収が行われるようになってきており,個々の課題は歴史の流れの中で解決してきている。ルール化は必要であり,一つ一つの課題は話し合いで解決できる。
「二次的著作物」にこだわった理由は,「映画の社会的認知」と,「映画という芸術分野への適切な評価」という観点から申し上げた。アメリカやフランスでは,「二次的著作物」という言葉を使っておらず,ベルヌ条約上もふさわしくない。
ただし,このような議論があるから,著作権を記載することを控えるのは良いことではない。強く,世界的にも通用する映画を製作していくためにも,「社会的認知」は必要である。
利害関係者が対立している,もう一段上の,「映画は国にとっていかなるものか」という観点で著作権を見ていけば,「二次的著作物」では困る。まったくオリジナルな作品が製作されていると捉えるべきである。
利害関係は,映像懇においてかなり進展しているので,あちらにまかせるべきである。著作権については振興方策の中の提言の一つであると考えるべき。二次的著作物や映画製作者の定義まで取り上げたとすると文章的に修正していくことは,かなり譲歩せざるをえない部分があり,前回の打合せで「このぐらいにしておきましょうよ」と申し上げた。
著作権問題は,重要事項ながらも,まずは国の中で,映画がどうあるべきかが本質であり,あまり深入りするべきではない。著作権は,映画業界から常々言われてきたことであり,そもそも著作権を踏まえないと,社会的評価を受けることができないのではないか。創造意欲や,働く意欲を促すという観点から著作権問題が入っていけばよいのではないか。「この程度なら我慢する」という意見が欲しい。
今後,討議する旨を明記することでどうか。
現在の合意されていない問題点は何かを知ってもらうため,修正案を書いた。懇談会の方でも早急に解決していかないと,映画に携わっている人たちが意欲を持って映画作りに励めない。希望が持てる環境作りが大切であるという意向は踏まえて欲しい。
そもそも,著作権法上,「二次的著作物」と言っても,全ての映画の著作物が二次的だと言っているのではない。文芸作品や,脚本があって,それを映像化するものを「二次的著作物」と言っているのではないか。
できるだけ抽象的にならざるを得ない。二次的というのではなくて,派生著作物という新しい知識を仕入れた。
映画振興の為には,問題意識があるかどうかが重要。調整が終わってないものの,これから現れてくる意欲ある映画人に,インセンティブを与え,映画作りに携わるようにしたい。
映画振興のためには,著作権の法としての議論の必要性が記載されていれば良い。
また,著作権の問題を入れるとすれば,「(4)映画という芸術分野への適正な評価」ではなく,「(2)映画界における自律的な創造サイクルの確立」,自律的という範疇で,著作権の問題というのは法的な環境整備をする必要があるのではないか。
当懇談会では,主要部分を議論するに当たり,著作権は無視できないが,具体的な問題にはあまり踏み込むべきではない。また,「(2)映画界における自律的な創造サイクルの確立」に著作権の問題を入れると,少し落ち着かないところもあるので,適正な評価ということが見合わないなら,「適正な評価など」のような形であわせて2つのことをというような整理もできるのではないのか。勲章のことなどを含めて,本当に適正な評価が大事だというのは非常に大きな事柄である。文化庁としては主体的に取り組んでいく。
著作権の部分の書き方は,重要性をきちんとマークしておくということでよいのではないか。
(「第3 明日の日本映画のための施策」について)
「第3 明日の日本映画のための施策」の12の項目全ての実現は困難である。自律的な項目に終始する上で,実現すべき項目について,ある程度の優先順位を決めるべきである。
「2 製作支援ができるように」において,具体的方策として公的融資が記載されていない。自律的サイクルの意味で脱却する意味でも,公的融資という形に移行すべきではないかというのは,合意事項ではないかと思う。
指摘のとおりだが,政府部内全体の意見にならないと実現していかない。公的融資の項目を詳細にすると,助成を止めざるを得なくなってくる。例えばもう助成は来年からゼロにして,公的融資のやり方をすぐ考えようというのも性急である。それらを踏まえてのことだとご理解いただければと思う。
「1 日本映画のフィルムをきちんと保存できるように」が最重要課題である。「3 いろいろな場所でもっとロケーションが行えるように」,「9 みんなが集える映画の広場がつくられるように」,「12 フィルムセンターをもっとみんなのものにするために」という,フィルムセンターの文言がでてくるものが重要課題であり,フィルムセンターの役割は分散しない方がいい。まずは優先順位として,フィルムの保存と2番の製作支援と公的融資である。
人材養成の面においても,まず現場が活性化しなければいけない。現場にできるだけ助成をしていただきたい。
また,公共建造物,ロケーションを確保しようとしても,映画製作というのは,いわゆる一民間企業の営利目的ではないかということで公的機関からは撮影を断られる。仮に確保しても,お金の負担がかかる。
「2 新たな形で幅広く製作支援ができるように」の〔既存撮影所の維持と,オープンセットの場の確保〕の部分の「不動産課税の減免等」があるが,不採算部門は整理するというのが今の傾向であり,今まで育ってきたいろいろな分野の技術も消えてしまう可能性がある。
その支援をするためにも,不動産の減免以外にも国の対応を求める。
「検討を行う」,「支援する」といった表現の主語は,国および地方公共団体と理解してもよいのか。
実際のシネマコンプレックスのない県は3県である。映画を見られる場は一層拡大しているのではなく,むしろ逆である。
また,6番に映画祭のことが書いてあるが,具体的に東京国際映画祭との関連の中で,どのようなことを具体的に言っているかがわからない。東京国際映画祭のスタンスをもう少し明確にして欲しい。
映画館の地域における設置状況は,県より小さな視点で考えると,地方の人口密度の低い地域で映画を見る機会が減少している地域がある。
また,東京国際映画祭は,全体像をある程度念頭に置き,まずは位置付け論から考えていくべきものであり,経済産業省の私的懇談会で議論をしているところである。どのような役割を担うべきかという役割の明確化については,議論の途中なので,申し上げるわけにはいかない。
経済産業省はこのように言っているが,文化庁としては,今年は映画祭に対して手広く数十の助成をしている。助成の規模を年頭に置くのではなく,東京国際映画祭が,国全体としてどのような立場にあるのかは,これから体系化していきたい。
気になるのは,国が「表彰,人材養成,地域活性化等の映画祭の役割ごと及び開催地の地域ブロックごとに映画祭の体系化を図る」といっても,各地域によって,その特色・動機があるわけであり,当該提言案の表現はもう少し工夫が必要なのでは。
確かに指摘のとおりであるが,国が支援していく以上,支援を行ったことを,国民に対して説明しなければならない。我々が整理する上での体系化は必要であるが,この文章では誤解が起こりかねないので,改善させていただく。
現行の著作権法38条1項で非営利無償の上映については,権利者の許諾なしに上映できるとされている。許諾のもとに,上映をすることを認める改正をお願いしている。
これには,上映する機会が減ってしまうではないかという意見もあったと聞いているが,実際には,東宝さんや松竹さんからも,上映ができる映画の供給していただいている。
映画を見ることのできない地域では,図書館や公民館を使って上映していくべきである。
文化庁や国がやりたいと漠然と思っていても,不可能な部分が多いので,この貸し出しとか実験的な試みを推進すべき時期に,ほかの組織であるとか他の団体と積極的にかかわってやるという形にしないと実現できない。
12の項目は多く,落としてもいい項目があるのでは。一番必要なことは,「1 日本映画のフィルムをきちんと保存できるように」「8 現場で再び人材が育つように」「11子どもがもっと映画を見るように」で,比較的強目に出していくべきではないか。
デジタルプロジェクタの貸し出しでは,絶対に映画振興にならない。文化庁と経済産業省の間で,映画文化に関する温度差が大きすぎる。
コンテンツと,上映システムとの違いで,上映システムが悪いといっているのではない。文化庁と経済産業省が,コンテンツを共同で考えている段階である。
現場というのは,スタッフも含めたシステムと養成,プロデューサーの養成,研究組織の整備云々であるので,8番の項目は2番と大きく関わってくると思う。
映像専門学校は大学も含めて全国で三十数校あり,毎年2,000人から3,000人の失業者を出している。
やはり現場が活性化しないと,学校を出たばかりですぐ現場で使い物になるスタッフが育つかどうかは甚だ疑問であるので,現場と密着したインターンシップシステム等も非常に重要である。
「7 日本映画がもっと海外で見られるように」の「映画製作費用の回収」の言葉遣いをもう少し考慮すべきではないか。もう少し配慮を求める。
「10 映画に対する社会の見方が変わるように」の「映画に対する社会の見方が変わる」の表現に対して違和感を感じることと,内容として,「さらに」に書いてあるこの2行がちょっと違うのではないか。労働環境の話は,いい人材に映画産業に参画して欲しいという意味での環境整備の意味もあるが,ここでは少し意味が違うのではないか。映画という産業が,芸術文化の正当な価値を十分に受けることのできない環境にある状況の是正という意味ではないか。
「11 子どもがもっと映画を見るように」は,世間一般の意識を反映させると,子供にもっと映画を見せるようにという方向性に対し,子供が映像漬けになっているという現実がある。映画を見せることは,強制するものではなく,一人一人の子供の感性が,他の項目から影響を受けて,自然に映画に派生していくものである。
「10 映画に対する社会の見方が変わるように」の労働環境の問題は,確かに違和感がある。ただ,映画という部門は,普通の業種と比べて別の見方をされる傾向にあるため,社会の見方が変わると位置付けた面もある。
「11 子どもがもっと映画を見るように」については,最近の子どもにはどう対応したらいいだろうというときに,それは「映画」であるというとやはりおかしい。
意図するところはよき映画観客の育成というようなことだが,余り前面に打ち出すと,また一億総映画観客にするのかということにもなる。
12項目の議論をしてきて,11が極めて重要という意見も一方であるので,少しプレゼンテーションのやり方で工夫したい。
子供は映像漬けといっても,それは殆どブラウン管対象でしかない。実際に映画館で映画を見ると,テレビ,ビデオ,ゲームでやっているのと感動が全然違う。それと同時にまた色々考えさせてくれる。映画というのは色々な側面を持っており,視野を広げる道具,素材としても大切だと思う。親の方にも改めて映画というものを意識させるという点で大切なことである。
2,8,10番は,特に10番は真ん中の労働環境の問題のところであり,実際に製作して現場に携わっている人たちにとっては非常に重要な点である。
先の質問の中にも「国は」という形でこの施策を推進するということであったが,非常に漠然としたものであり,国の中のどこがどういう形で進めていくのかは非常に重要である。
労働問題の上で,厚生労働省を記載する必要はないのか。文部科学省,総務省,経済産業省,国土交通省と役所が並んでいるが。
ご指摘のとおり。当初からこの懇談会にご出席をいただいていた省だけを代表選手で提示させていただいているが,厚生労働省は映画館も所管であるので,主要な省であることはそのとおりである。
警察庁などもロケーションの関係で関係しており,中央省庁の名前は全部出させていただくように整理させていただきたい。
「4 映画を見られる場がもっと増えるように」,「5 いろいろな映画がもっと見られるように」について,4は,文化ホールなどで何をしようかと困っている会場が多くあるので,「映画を見られる場がもっと増えるように」というのは要らないような気がする。
11については,国ができることと,我々ができることを改めて検討すべきであり,その上で,国ができることが幾つかあるのでは。
「10 映画に対する社会の見方が変わるように」の労働環境云々は,労働条件の問題ではない。映画界で働いている人はけがをしても何の保証もされない。労災保険の適応外である。基本的人権を確立するために,適正な評価をしてもらいたいという意味を含めての労働環境ということではないか。
確かに映画の立場からすれば,映画館で映画を見るんだという話もあるが,国民の立場に立つ必要がある。
キネマ旬報の読者代表の方がお見えになったときに,全て映画人側の方から書かれていて,我々国民,映画を毎日見に行っている者,納税者という目から見たら納得がいかないという指摘があり,映画を見られる場がさらに映画館以外のところでも増えているということを伝えたい思いで書いた。
骨太の12項目について,位置関係が逆だと思う。骨太のものをもう少しオブラートで包むためにという意味で「何々ができるように」という形で補助的に使えると非常にわかりやすいが,逆にそれが前に戻ると,手前までのロジックが現状分析であったりして,今まで何をしてきたのかということになってしまう。
優先順位をつけると,難しいところが後回しになってしまう可能性がある。
「12 フィルムセンターをもっとみんなのものにするために」の最後の行に,「具体的な検討を行う場が設定されることを求めたい。」との表現があるが,フィルムは痛み,悪くなり易く,緊急を要する課題であるので,具体的な討議をする場を実際に設けて欲しい。
人材育成云々の件については,やはり現場とリンクしていかないとなかなか育っていかないと認識している。
フィルムセンターは,一つの大きな組織として独立を目指すのであり,東京国立近代美術館と同等の格式を持った,内容も持った施設にしていきたいとなると,設置検討会を特別に持たなければいけないという性質のものであることから書いた。12の項目に優先順位がつけられても,他の項目を実現しないというわけではない。
フィルムセンターの保管分野においては,広く考えるが,重要なのは,名実ともに世界にフィルムアーカイブ,あるいは映像アーカイブとして打ち出すためには,収蔵だけをやるのではなく,こういうこともやるということも含めて打ち出していく必要性があることである。
独立した機関である日本芸術院の中の,映画人の会員数と,映画人についてその状況がどのようなものとなっているのか教えてもらいたいし,これについてはどういう試みを持っているのか。
芸術院は独立機関であり,日本芸術院には,学問の自由,大学の自治に似た一定の権限が認められている。しかし,文化庁としても,ある程度は働きかけていくつもりである。
以上
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