(第5回)議事録

メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会(第5回)議事録

1. 日時

平成21年3月5日(水) 10:00~12:00

2. 場所

文部科学省 東館16階 特別会議室

3. 出席者

(委員)

安藤委員,さいとう委員,中谷委員,浜野委員,古川委員

(オブザーバー)

阿部氏,石川氏,岡島氏,甲野氏

(事務局)

髙塩文化庁次長,清木文化部長,清水芸術文化課長 他

(欠席委員)

林委員,石原委員

議題

(1)メディア芸術の国際的な拠点の整備について

【ヒアリング(4)】

○原島 博氏(東京大学大学院教授)

○岩田 洋夫氏(筑波大学大学院教授)

(2)その他

○浜野座長

 それでは,時間がまいりましたので,ただいまからメディア芸術の国際的な拠点の整備に関する第5回検討会を開催いたします。
 本日は,ご多忙のところお集まりいただきまして,ありがとうございます。本日は,有識者として,東京大学大学院教授の原島先生と,筑波大学大学院教授の岩田先生にお越しいただいております。ご多忙のところをご出席いただきまして,誠にありがとうございます。原島先生と岩田先生には後ほどお話を伺いたいと思いますので,本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 会議に先立ちまして,事務局よりお手元の配布資料の確認及び説明,今後のスケジュールにつきまして説明させていただきます。よろしくお願いします。

○清水芸術文化課長

 それでは,配布資料について説明をさせていただきたいと思います。
 <配付資料の説明>
 文化庁のメディア芸術祭の関係でちょっと一言ご説明させていただければと思います。
 前回の検討会で,本年度の文化庁メディア芸術祭の受賞作の概要について説明をさせていただいたところでございますが,その後皆さんご存じのとおり,アニメーション部門で大賞をとられました加藤監督の「つみきのいえ」がアメリカのアカデミー賞,短編アニメーションの賞を受賞されました。外国語映画賞をとった滝田洋二郎監督の「おくりびと」とともに大きな話題になったところでございます。日本のメディア芸術の力を改めて世界に示したと言えるのではないかと思います。そして,それらも含めた受賞作品集ができましたのでお配りしたところでございます。
 なお,メディア芸術祭の贈賞式,祝賀会,受賞作品展につきましては,先月2月3日に六本木のミッドタウンホールで大臣,副大臣も出席いただきまして贈賞式,祝賀会が行われ,翌2月4日から15日まで,国立新美術館で受賞作品展,また,受賞者などを交えたシンポジウムなどを行ったところでございます。
 委員の先生方にもご出席,あるいはさまざまなご協力をいただいたところでございますが,平日も含めまして受賞作品展,非常に多くの方にご来場いただきました。総入場者数が5万5,000人ということで,1日当たりの入場者数が前年と比べて約1.7倍と非常に増えまして,過去最高の入場者数となったところでございます。受賞作品集などをごらんいただければと思っております。
  それから,今後のスケジュールでございますが,ヒアリング等を数多く行ったということもございますので,来年度につきましても引き続き検討会の委員をお願いしたいと思っております。ただ,来年度長く続けるということではなく,4月から5月にかけてメディア芸術祭の受賞者の方など,メディア芸術分野の人材育成が非常に重要だと言われておりますので,そういったことをテーマにもう一回ぐらいヒアリングを行わせていただきまして,そしてその後,検討いただいたことを一つ取りまとめることを考えておりまして,次回のこの検討会におきまして,ヒアリングとともにこれまでいただいた意見を事務局で整理した資料をお配りさせていただいて,その次の検討会において委員の先生方から論点ごとにご意見をいただいて,審議経過のまとめをしていくといったように考えているところでございます。
 できたら夏ごろまでに一つ審議の経過ということでございますけれども,報告を取りまとめていただけたらと思っているところでございます。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。ただいまの事務局からの説明について,ご質問ございませんでしょうか。よろしいでしょうか。  それでは,次回は,先ほどご説明ありましたように,メディア芸術祭の受賞者などからのヒアリングを行いたいと思います。
 では,今日の本題に入りたいと思います。本日お越しいただきました有識者の先生を改めてご紹介させていただきます。東京大学大学院教授の原島先生でございます。よろしくお願いいたします。
 筑波大学大学院教授の岩田先生でございます。
 本日は,ご多忙のところご出席いただきまして,誠にありがとうございます。本日は,原島先生と岩田先生からご意見を伺いたいと思います。各先生方からは,それぞれ20分程度ご意見を伺った後,それらの意見を踏まえて討議を行い,審議を深めてまいりたいと思います。
 それでは,原島先生から20分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○原島氏

 原島でございます。今日,技術とメディア芸術,あるいはアートの関係についてという内容であったわけですが,実は昨日,学術会議の情報学シンポジウムが学術会議の講堂でありまして,そこで私,「情報学が開く新たな文化」という話をさせていただきました。申しわけございませんが,恐らくそこにいらっしゃった方はおられないと思いますので同じ話になってしまうかもしれませんけれども,こういうテーマで話をさせていただきます。
 情報学関連の学術会議のシンポジウムで文化の話をするということも比較的珍しいことで,なぜ私にそういう話が来たのか,私自身の専門は,実はもともと工学部の電気電子,あるいは情報,そういう学科におりまして,コミュニケーション工学を専門としておりますが,比較的最近,いろいろなどちらかと言うと文化,あるいはアートに近いことに関心を持ってやってまいりました。
 例えば,ちょうど10年近く前になりますけれども,東京大学において文と理,あるいは芸術が入った大学組織をつくるという,そういうお手伝いをして,具体的には,2000年に,現在私が所属しております東京大学大学院情報学環ができまして,そこには例えばメディア芸術に関連しますと河口洋一郎とか,そういうような先生方がおられる,そういう組織でございます。
 それからまた,この組織において,科学技術と文化が結びついたような新しい教育体制ができないかということで,たまたま科学技術振興調整費の振興分野人材要請というプロジェクトに応募しましたら通りまして,2004年から5年間,この3月までということですが,コンテンツ創造科学産学連携教育プログラムというものが走り出しまして,その代表をしております。浜野先生にもご協力いただいております。
 それから,大学の外側では,いわゆるCREST/さきがけというプロジェクトを,JST,独立行政法人科学技術振興機構のプロジェクトがありますが,そこにやはり2004年から新たな文化に関連した研究プロジェクトが走り出しました。もともとCREST/さきがけは,比較的物理とかバイオとか,そういう内容が多いわけですが,こういう分野が大切だろうということで取得したかなり大きなプロジェクトであります。全体で45億円ぐらいかける大きなプロジェクトが走ったということは,私としては画期的なことだろうと思います。岩田先生もこのプロジェクトに参加していただいております。
 あと,個人的には,ここにありますように,日本アニメーション学会の副会長を数年前までさせていただきました。古川さんとはそこでいろいろとお世話になりました。それから,メディア芸術祭ですが,現在アート部門の審査員をしております。2代目の審査委員長,全体の審査委員長も務めさせていただきました。現在,運営委員は浜野先生ですが,その前ということでございます。
 それから,経済産業省系では,いわゆるGマーク,グッドデザインの審査委員を現在務めております。それから,あと,日本文化デザインフォーラムというのがあって,その幹事をしております。
 それから,総務省ユニバーサルコミュニケーション研究会,総務省としてもコミュニケーション,ユニバーサルコミュニケーションという形で文化コンテンツにも関連したことにもこれから力を入れていこうという研究会の座長,あるいはその関連でできたものですが,超臨場感コミュニケーション産学官フォーラム会長,それから文科省では,デジタルミュージアムの研究会の座長等も務めさせていただいています。個人的には,今,小学校の図工の時間を応援しようというような活動も務めさせていただいております。
 ということで,私自身の最近の関心事として科学技術を文化にという,そういうキーワードがあるわけですが,実は科学技術を文化にといった場合には2通りの意味がございます。日本語というのは非常にあいまいなところがある。あいまいなところがあるので,むしろそれを積極的にアピールしようという,そういうことでもありますが,1つは,まさに文化というものがあって,それを支える科学技術がこれから重要であろうと,そういうことであります。
 それから,もう一つは,科学技術そのものを文化として歴史に残るものとしていこうという,そういう意味もある,科学技術を文化にといった場合にですね。両方大切だと思っておりまして,それぞれについて少しずつお手伝いをしているわけですが,今日はどちらかと言うと文化庁の会議ということですので文化を支える科学技術の振興という,そういう立場で話をさせていただきます。
 ただ,いろいろなところでこの話をするときに文化という言葉,これはいろいろな多様な意味を持っておりまして,かなりそれぞれ違った意味でとらえているだろうと思います。文化財というような意味合いでとらえる方もおられますし,あるいは,昔は文化住宅とか文化包丁とか,そういうような意味でも文化をとらえる。文化庁で文化の定義をちゃんとされているのかどうかちょっと私は知りません。文化庁の方々がおられる中で,文化,芸術は法律がありますからそこで定義があるかと思いますけれども,文化というような定義,ちょっと私はわかりませんが,勝手に文化を定義させていただきました。
 辞書を引くとかなり広く書いてあります。人の活動,社会の活動,全部文化というような,何かそういう定義もありますが,ここではその中でむしろ心の豊かさというものに注目して,その心の豊かさをもたらす人および社会の活動を文化として呼ぼうではないかと。人間の活動すべてではなくて,その中の心の豊かさということに重点を置いたものを文化と呼ぼうではないかという,そういう定義でございます。
 そう考えますと,よくこれやはりいろいろな話をするときに,こういうようなデータが必要なのかなということで,これ非常にいろんなところで使われているデータですけれども,内閣府の国民生活に対する世論調査を時々利用させていただいております。これは何かと言うと,心の豊かさと物の豊かさ,どちらが大切だと思いますかというような調査をかなり昔からやっている。それを見ますと,昭和51年ぐらいを境にして心の豊かさが大切だという,そういうデータがどんどん出ております。現在だと60%近くが物の豊かさよりも重要だという,そういう結果が出ております。
 それからもう一つ,これもいろんなところで皆さんご存じのデータかもしれませんけれども,平成16年の科学技術と社会に関する世論調査で,今後の科学技術の発展は,心の豊かさも実現するものであるべきと思いますかという,ほとんど誘導尋問に近い調査ですが,そこでは「そう思う」が58.9%,「どちらかというとそう思う」が21.6%,80%も科学技術の発展は心の豊かさをも実現すべきだという,そういうデータがある。ただ,今の科学技術は本当に心の豊かさを目的としているかというと,必ずしもまだそこまでは行っていないと,そういうことであります。
 科学技術に関しては,ご承知のように科学技術基本計画というものがあって,それに基づいて進められているものです。第1期,第2期,第3期,現在第3期が走っていて,第4期をどうするかの検討を始められたという時期でございますが,第1期は,どちらかと言うと,これから科学技術は重要だよ,その研究をどのように,大型の研究開発をどのように進めていったらいいのかという,その辺のいわば基盤整備がそこで行われました。
 それから,第2期は,重点4分野というものが定められて,かつこれからは産官学連携で進めなければいけないというので,科学技術の経済的価値に重点を置かれたわけです。
 そして,第3期が,安全・安心,国家基盤という形で,科学技術のどちらかと言うと社会的な価値に重点が移っています。
 第4期ですが,科学技術と文化に関心のある関係者は,できれば経済的,社会的価値に続いて文化的価値というものを中心に進めてくれるといいなと,心の豊かさを目的とした文化的価値というのがクローズアップされるといいなと思っているところですが,なかなか苦戦しているという話も伺っています。
 確かに,そう簡単な話ではございません。やっぱり科学技術の分野で文化というキーワードを出していくのですが,そう簡単な話ではなくて,例えばいろんなことを言われます。「文化は科学技術の対象とは思えない。文系に任せておけばよい。」,「文化を目指す科学技術は緊急性がない。余裕ができたときにすればよい。」など,いろいろそういうような,なかなか文化は後回しにされてしまうという,そういうことがあります。
 これに対して一つ一つ答えていかなければいけないということになりますが,このうちの「文化は科学技術の対象とは思えない。文系に任せておけばいい。」というのは,言うならば,これは科学技術の敗北宣言だと思っています。科学技術は文化には役に立たないということを言っているようなものなので,これに対してきちんと答えることはできません。文化というのは大切なので,科学技術が本来は対象だけれども,たまたま今,科学技術には限界があって,それで文化が使えないだけであって,やっぱりそれを目指すべきだというふうに私は思っています。
 次の,「文化を目指す科学技術は緊急性がない。余裕ができたときにすればよい。」という指摘は難しく,文化が何かぜいたく品のように思われているようなところがあります。やはり何か一見研究ができるとすぐ後回しにされてしまうという,そういうことがあるわけですが,本当にそうなのかと疑問に思います。今やっぱり文化が大切だよということをこれからいろいろ科学技術の分野にも説得しなければいけない。それはどうしたらいいのかと,そういうことになります。
 実は,ヨーロッパでは,この質問は意味をなさないと聞いています。文化が重要だというのは当たり前なのだと。それを言う必要はない。どうすればいいかというHow toのほうにすぐ入るようです。日本では,なぜ文化が大切なのかということを言っていかなければいけない。ある意味では,これから申し上げることは文化庁を応援したいという意味もございます。
 なぜ今文化なのかと言ったときに,これは恐らく文化庁の言い方は変わるかもしれません。私自身の立場で言いますと,今こそ未来へつながる新たな価値観を創出する,そういう意味なのではないかということで,先ほど申し上げた常に国民の意識としては物の豊かさから心の豊かさに向かっているということもあります。
 例えば地球環境問題,これは緊急課題です。これを考えたら文化は後回しでもいいとなってしまう緊急課題です。地球温暖化を何とかしないと大変なことになるというわけですね。それに向けて,とりあえず地球をいかに持続させるかというサステイナビリティというキーワードがありますが,そういうための技術が最重要課題である,これはそのとおりであるわけですが,実は,私は,いろいろ今やっていることは,もしかしたら応急手当でしかないのではないかと思います。大変なことになっている,病気になろうとしているからとりあえず応急手当をしなければいけないということなのではないかということです。一時的な延命になっている。むしろこれから重要なことは,体質改善も一緒にやらなければいけない,それが求められているのではないかということです。
 どうしても応急手当の場合,我慢しなさい,我慢しなさいになります。エネルギーを使うのはよくない,皆さん我慢しましょうということになる。地球のために我慢しましょうということになるのだけれども,我慢に我慢は長続きしません。やっぱり何らかの意味で自分たちは成長しているのだという,そういう感覚がないといけない。そうすると,やっぱりその成長のために新しい価値観が重要になる,体質改善を図るためには文化が重要だという,そういうことで,私自身は,これから地球環境問題,とんでもないお金がつくと思いますが,そのうちの5%ぐらい,せめて5%,消費税分だけで結構です,文化のために,地球環境解決のために,5%文化のために,体質改善のためにつけてくれと申し上げたいということです。
 それから,これからの生活基盤としても文化は重要です。この中で特に高齢化社会について申し上げますと,医療技術が進歩して,人類の平均寿命は大きく延びました。確かに長生きできるようになりました。しかし,長生きすることによって,果たしてそれだけで人は幸せになるかと言うとそうではなくて,むしろ本当に重要なのは,長生きしたときにそれが充実のある楽しい生活になるかだと思います。長寿生活は,心豊かでなければ意味がなく,そうでなくて長生きしたら,これはむしろ苦痛でしかないと,そういうことです。
 そういう心豊かな長寿社会を実現するためにも文化が重要であるという,そういうことです。さらに言うと,やはり国レベルだと国家基盤としてこれから文化が重要であり,産業基盤としても文化が重要であり,昔から言われながらなかなかアピールしていないのが,日本の将来の生きる道として文化立国しかないのではないかということで,これは何度でも言い続けることだろうというふうに私は思っております。
 ということで,前半が長くなってしまった感じがいたしますが,もう少し具体的な話に入らせていただきます。
 私自身,特に情報学,情報が専門ですので,情報が技術の分野から文化に変わるとすれば,大きくこの3つになるのかなというふうに思っております。1つは文化の保存,2つ目が文化の創造,3つ目が文化の発信であります。このうちの文化の保存は,どちらかと言うと,やはり伝統文化をいかに保存してアーカイブ化していくか,未来につなげていくかという,そういう話になってくるでしょう。一方,文化の創造は,これからの文化をやはり情報技術を使ってどのように育てていくか,ここにご専門の先生方がいらっしゃいますが,映画,音楽,絵画,アニメ・ゲーム,あるいはメディアアート,技術を使ってどう育てていくかということです。
 それからさらに言うと,若干文化の発信に近くなってきておりますが,これからの新しい市民文化,今までの文化,既にある文化だけではなくて新しい何か,よくネットワークでは,ユーザージェネレイティッドコンテンツとか,ユーザー自身がつくるというような言い方をしますけれども,やっぱりそういう意味での新しい文化が技術に基づいてこれから育ってくるといいなと思います。さらに言うと,私自身個人的に関心あるのは地域文化でして,祭りとか土着芸能というのは,これ最近かなり凝っています。すばらしい日本の文化だと思っています。これは一見情報技術とは正反対のように見えますけれども,このようなものに対してどのように技術がサポートしていくかというのはある意見で重要で,技術は決してバーチャルなものではなくてリアルワールドの文化をどのように考えるかということがあります。
 あと,ミュージアムというのは,これは未来に文化を伝えるためのメディア,単に建物ではなくてミュージアム概念というのは,文化のメディアとしてこれから中心になってくるであろう,それから,小学校,これからの人を育てるためには図工という時間というものがキーワードとなってきて,そういうものが観光,教育,これからの産業というものにつながっていくだろうということであります。
 さらに,どういう技術が関連しているかをまとめさせていただきました。
文化の保存につきましては,どちらかと言うと,メディア処理,コンピュータービジョンとか画像パターン認識が計測スキャン技術とか,そういうような処理の技術が出てまいります。それから文化の創造は,どちらかと言うと表現,技術,コンピューターグラフィックス,アニメーション,バーチャルリアリティ,そういう表現に関するもの。それから,文化の発信としては,見せるためのミュージアム美術,流通させるためのネットワーク技術というものがあり,これを支える基盤科学として人間・心理,文化・社会,そういうところでの基盤的な人間が感動するとはどういうことなのかといったようなことも含めてこれから必要になってくるかと思います。
 今,これに関して少しずつですが研究プロジェクト,文科省関連でも走っております。文化庁関連で,研究プロジェクトではなくて実際に既にあるものですが,情報学研究所を中心に文化遺産オンラインというものがございます。これは私すばらしい試みだと個人的に思っておりまして,今はまだ非常に限られたものになっていますが,これはある意味で文化遺産だけでなしに,やっぱり文化というものをちゃんと共有して,国民が共有していくためにどのようにネットワーク技術を使っていくかという,これがさらに発展することを願っております。
 それからまた,文化保存のためのメディア技術ということで,ことし3月までですが,5年間,地的資産の電子的な保存・活用を支援するソフトウェア技術基盤の構築というのは,文科省のリーベンプロジェクトとして走っております。有形・無形文化財等をいかにデジタル化し,アーカイブ化するかという,そういうプロジェクトであります。
 それから,それの続きという形ですが,文化を展示・体験するための基盤技術としてこの4月からデジタルミュージアムに向けた研究開発が行われます。ただ,これはかなり苦戦していて,最初要求した金額の6分の1ぐらいに減らされて,とりあえずスタートするということになります。
 最後に,ちょっと時間がかかって申しわけございませんが,文化の創造・制作・表現を支えるメディア技術ということで,2004年にJSTのCREST/さきがけがスタートいたしました。先ほど申し上げましたけれども,デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術ということで,岩田先生を初めとして,我が国のこの分野の中心的な研究者,かなり網羅しながら研究プロジェクトが進められております。
 その中の幾つかのテーマの1つがメディアアートでございます。メディアアートを支える基盤技術をしっかりつくっていこうということで,もともと日本のメディアアート活動は,最近非常に世界から注目されている。SIGGRAPHでも,その中のEmerging Tecnologyというところでは,日本からの発表が55%,半分を超えている,岩田先生はずっとここで発表されてこられました。それから,ArsElectronicaでもここ10年間急増しています。それをさらにきちんと国際的にリードするような分野に育てたいというのがありまして,このCRESTではメディア芸術の新たなコンセプトが出てくるといいなと思っています。結果として,私から見ると,美術館の外に飛び出すメディアアートというような形で,いわゆる美術館の展示ではないものが幾つか出てきたように思っております。デジタル,まさにパブリックアート,それから後でお話しがあると思いますが,岩田先生のデバイスアート,岩田先生のデバイスアートというのは非常に注目しておりまして,これから私自身も宣伝していきたいというふうに思っているのですが,ただ,ちょっとデバイスアートというのは日本ではなかなか通用しない言葉なので,勝手にデジタル工芸運動だと言っています。日本の工芸運動がこれからデジタル時代で新しく日本から発信されるのだというようなことも言っています。それから,あともう一つ,デジタル民芸運動というものがここから出てくるとうれしいなということであります。
 技術に支えられたアート活動という意味での一つのトピックは,実は私東京大学におりますけれども,東京大学は技術大学ではないのですが,ArsElectronicaで,昨年キャンバス展として東京大学展が開かれました。ここでメディアアートを出すというか,東京大学でやっている工学の技術をそのまま見せたら,これはまさに一つのアートである,感動のもとだというような形で注目されたということもございます。
 それから,もう一つの問題は,日本のアニメ・ゲームなどのコンテンツ制作の技術レベル,これは非常に高いんですが,その優位性はアジアに脅かされているということがいろいろなところで言われています。何とかしなければいけないということが2004年頃からのいろいろ言われておりますが,その中で一つの大きな特徴だと思っているのは,アニメ・ゲームと,日本のアニメで産業レベルは高いのですけれども,その産業の技術レベルが必ずしも大学の研究と結びついていない,アメリカの西海岸に比べると,西海岸はやっぱりそれなりの,西海岸にはいろいろ大学がありますけれども,それが結びついている。それが日本ではかなり離れている。それを何とかする必要があるのではないかということであります。少しずつ芽が出てきております。現場と密接に連携しながら,実際に役に立ついろいろなソフトを開発するアニメ分野,それから映画分野など,いろいろなものが少しずつ出てきて,もちろん現場から見ればまだまだということに当然なると思いますが,少しでも芽が出てきているということは,私はうれしいことだと思っております。
 それから,あともう一つ,このプロジェクトで重視していることは,やっぱりこの分野を伸ばすためには研究の評価をしっかり出さなければいけないことです。これまでの多くの科学技術研究というのは大体目標が決まっていて,それをだれが先に到達するか,だれが世界のトップデータを出すかという,そういうことで,そういう意味では論文等で競争ができるわけですが,やっぱりこういう科学と文化というような分野ではコンセプトの発信をまずしなければいけない。それをちゃんとそれに向けてどういうふうにすればいいかという道筋も示さなければいけない。発表の仕方も,単なる論文ではなくて別の形を考えなければいけないということもありまして,実験として例えばここのCREST/さきがけの一種の研究発表会ではあるのですが,普通の研究発表会ではなくて,子どもたちに直接見せてそのフィードバックを得ようということで,最初に2006年5月の連休に日本科学未来館でやりました。入場者数2万人,科学技術の研究発表会として2万人集めるというのはあまりないです。それから,2回目は昨年の夏休みにやって,連休よりかは少なかったのですが1万2,000人入りました。
 それから,また,やはりこういう技術がアートの方にきちんと知ってもらわなければいけない,やっぱり未来のアート表現につなげなければいけないということで,文化庁メディア芸術祭で,先端技術ショーケースということを4年間続けてやっております。おかげさまで,メディア芸術祭に来られた方にも好評だというふうに聞いています。
 ということで,ちょっと時間をオーバーしてしまいまして申しわけございませんが,こういうような形で,やっぱり情報技術と文化のつながり,これからどんどん伸びるといいなということで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

○浜野座長

 原島先生,どうもありがとうございました。
 質疑応答は後で行いますので,それでは岩田先生から20分ほどご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○岩田氏

 筑波大学の岩田でございます。
 私,デバイスアートという,先ほど原島先生からご紹介がありましたけれども,新しい芸術文化の推進を行っております。今日は初めてお会いする方も多いので,ちょっと自己紹介方々どういうことをやっているのかということを最初にご紹介させていただきたいと思います。
 私が今まで研究してきたことを,手短に言うと触覚メディアと呼ばれるものの研究をやってきました。これは,バーチャルな世界に触れることを可能にする技術ということですけれども,今まで見る技術と聴く技術,これはたくさんのものがあったと思います。見る技術に関してはテレビとか映画とか,聴く技術に関してはオーディオとか電話とか,こういうものがあって,見る技術についてはいろんな光を出すメディアという確立したものがあって,聴く技術というのも音を出すというメディアの確立というものがあるのに対して,一方触れる技術というものに関しては,何もないというのが現状であります。恐らく見たことがない人が多いのではないかと思っております。
 その触れる技術とは何だろうかというので二十数年前に研究を始めて,ないのであれば,つくろうと思い立ったわけでございます。触覚メディアはいろいろ難しいのですけれども,要するに,光や音と違って物理的な力が人間に対して働かなければいけないというので,従来の視聴覚メディアと大きく違い,どうやって実現していこうかということで着目したのが,人間が外界と相互作用を行うところに対して力を加えてあげればそういう触覚というのが出るであろうというので,手と足に着目して,手は物体の操作に使うわけですが,足は歩くという動作なのですけれども,そういったところに力を加えることによってバーチャルな動き方をするというようなことをやったわけでございます。
 現在,研究室レベルでは,この手の研究はだんだん発達してきまして,ハプティックインタフェースというと呼ばれる専門用語ができて,国際会議等もだんだん充実してきていますけれども,残念ながら世の中一般的に見るとまだまだ普及していないと,そういう状況でございます。
 実例を幾つか紹介していきますけれども,これが最初にとりあえずつくってみたハプティックインタフェースですけれども,エグゾスケルトンという外骨格ですね,グローブ状のデバイスをつくって,人間の関節とか,それから手首の全体の動きに対応するのですが,モーターで作業することによって映像の世界に触れたときに硬いとか重いとかというような,そういう感覚が味わえるというものです。あたかも映像で映っているものを触ったときに硬いとか重いとかいうことがこのモーターの働きによって人間が感じることができるというわけです。
 こういった研究を二十数年やってきたわけですけれども,こういう触れる,触覚メディアですね,いろいろな実現方法があるというか,まだ性格が分かっていないという状況で,トライ・アンド・エラーをするのです。
 今から10年ちょっと前に開発したFEELEXという装置ですけれども,映像にすべて触れることを実現した技術として,先ほどのようなああいう外骨格のような装置ですとどうしてもピンとこないという人が少なからずいますが,このように素手で触れるような装置ですとどなたでも分かるというわけで,非常にポテンシャルが高いと考えられますけれども,残念ながら表現できるものが厚さにして数センチですね,そのぐらいで完全な立体ではないといけないため,それ以降いろいろ研究を続けておりまして,現在では立体の表現を試みています。
 ちょっと技術的な話になりますけれども,これはラクチエーターと空気圧のバルーンを組み合わせることによってこのように真っ平なところから盛り上がってきて立体をつくるというようなことを研究しています。これですと手のひらでつかむといった,より自然な触覚体験が実現できます。
 というわけで,触覚メディアは今後,非常に難しい技術研究が必要で,まだ正解は見つかっていないわけですけれども,今研究をしているところでございます。
 それから,次に歩くことの触覚メディアの話を紹介しますが,位置を変えずにどの方向でも好きなだけ歩く,バーチャルの世界で歩いた実感を持たせるための装置で,これも二十数年前の装置ですけれども,このようにちょっと特殊なローラーシューズをはいて,パラシュートのようなハンリツでぶら下がって歩くと,その場で位置を変えずにどの方向にでも好きなだけ歩くということができるわけですけれども,非常に窮屈で歩きにくいというので以後いろいろ改良を加えまして,今一番新しい装置がこのロボットタイルと呼ばれるもので,このように全方向に動く床を数枚組み合わせて無限に続く床をつくるというものです。要するに,幾ら歩いてもタイルのほうが動いてもとに戻ってきます。だから壁にぶつからないというわけで,さらに,この装置に昇降機構つけることによって,例えば階段の昇り降りというような感覚も得られるというわけでございます。非常に難しいシステムですけれども,この装置でいろんなところを歩いたような感覚を得ることができます。
 さて,自己紹介が長くなりましたけれども,ここからなぜアートかという話に進みたいと思います。
 このような触覚メディアを研究していると問題はいろいろあるのですけれども,まず触覚という感覚は論文では効果が伝わらないというのが基本的でございます。つまり,視聴覚のメディアでしたら,従来のオーディオ,ビジョンのメディアを使って成果を伝達することができるわけですけれども,このように伝えるメディアのない研究というのは論文とかビデオだけでは伝わらないと思います。一つの実演だというわけです。そういう問題意識を持って1990年から実演発表に力を入れてきました。
 日本では,1990年からヒューマンインターフェイスシンポジウムで実演,対話セッションというものをつくって今も続いていますけれども,1994年以降,SIGGRAPHのエマージングテクノロジーズを主たる発表の場として活動を続けてきました。以来,14年続けて出品しておりまして,これはだれも知らない世界記録ですけれども,昨年,エマージングテクノロジーズが終わってしまいましたので,要するにSIGGRAPH14年間,エマージングテクノロジーズ14年間は全回出品しました。
 SIGGRAPHとは世界中から人が集まる場ですけれども,学会です。運営母体はAssociation for Computing Machineryというアメリカの学会でして,その関係者しか来なかったため,もっとより広い社会,広く社会に対して効果をアピールする場を探しているうちにアートという発表の場に着目したわけです。
 オーストリアでやっている芸術祭で,Ars Electronicaがあるのですけれども,これはメディアアートの国際的な芸術祭としては一番歴史も古く,またメジャーな存在でもありますが,そこにはインタラクティブアート部門があります。ほかの芸術祭にはない,今でも非常に珍しい,文化庁のメディア芸術祭も幅広いジャンルの作品を対象にしていますが,Ars Electronicaはもっと先立ってそういう部門でコンペティションをやってきたわけで,そこに1996年に,私が最初に出した作品が入賞しまして,それ以来芸術活動を始めたということです。
 そうこうするうちに,このようなインタラクティブ作品というのはある種の日本のお家芸になりました。先ほど原島先生からご紹介いただきましたけれども,SIGGRAPH,エマージングテクノロジーズにおける採択作品は,日本からのものは増加を続けていて,ついに4年前から過半数になっているということです。特に,私の次の世代,その次の次の世代ぐらいの若手の活躍が非常に顕著でして,その多くが若手の,20代,30代の若手研究者の成果によるものでございます。
 それから,あるArs Electronicaのコンペティション部門,Pri Arsのインタラクティブアート部門では日本人の受賞者が多くて,不肖私も2回ほど受賞しておりまして,Cross-active Systemと呼ばれる1996年の受賞作は,2人の人間が参加する作品で,1人の人間がセンサーつきのカメラを持って,そのカメラの映像がモーションベースの上に乗った人に伝わって,そこに映像と信号が伝わって,あたかもカメラを持っていると手の上でもてあそばれているような,そういう自分の感覚が,自分の体を離れて人の手のうちに移ってしまうというような作品でございます。
 このように,メディア技術を使うと,人間の感覚と行動にいろいろずれをつくることができるわけで,そういう環境をつくってあげると人間が自分という存在を再発見できるということで,そこをアートとしてのテーマとしております。
 2001年に受賞したFloating Eyeと呼ばれる作品,これはディスプレイを使って,自分の目があたかも空を舞っているような,気球にカメラがついておりまして,そこからの映像が,あたかも自分の目が空中を舞っているというようなある種の幽体離脱感覚が味わえると,そういう作品で,これは文化庁のメディア芸術祭でも優秀賞をいただきました。
 というわけで,最近では若手の活躍が非常にこういった分野で顕著でして,私は,これは我が国の重要な得意分野だと思っております。
 では,私が所属しておりますデバイスアートについての説明に移りたいと思います。
 実は,デバイスアートは,CRESTが新装するときにつけた名前ですけれども,これ国内では結構インパクトのある名前のようでございます。デバイスアートを定義するなら,メカトロ技術とか素材技術を駆使してテクノロジーを見える形でアートにしていく作品と言えるのですけれども,3つの特徴がございます。
 まず第一に,デバイス自体がコンテンツというので,普通メディアアートと言うと,ツールとコンテンツを分けて考えることが多いですけれども,このデバイスアートに関しては,ツールという概念はなくて,デバイス自体がコンテンツというわけで,例えば,先ほどのクロスアクティブシステムも,インタラクションそのもの,インターフェイスデバイスとインタラクションそのものがコンテンツだということです。
 それから,2番目の特徴として,作品がプレイフル,おもしろいということです。素直に楽しめるというわけで,商品化も可能であるというところが大きな特徴があります。
 3番目の特徴として,道具への美意識といった,日本古来の文化との関連性という点があります。例えば,茶道に使う器も当時のハイテクでして,それがアートに昇華したというような見方もできます。こういった特徴は従来の西欧文化にはなかったので,それゆえに世界的に注目されているということでございます。
 従来の欧米の美術というのは,コンセプトを出発点として,その表現手法はそれに従うわけで,場合によっては表現手法のハードウェアがないような作品もあるわけですけれども,デバイスアートに関してはまずハードウェアが出発点,いろいろなボトムアップによりできてくるというような,日本の物づくりの文化のスタイルと言えるのではないかと思います。
 欧米の考え方からすると,デバイスがアートになり得ないわけです。だから,デバイスアートという言葉が非常に挑戦的な情報であるということです。
 デバイスアートは,科学技術振興機構のCRESTプロジェクトとして採択していただきまして,今3年目になりましたけれども,推進しております。
 2つの達成目標を設定しています。まず,デバイスアートにおける技術体系を明らかにして,さらにデバイスアートの制作と評価の方法論を構築するという目標に向けて推進していきます。
 平たい言葉で言うと,デバイスアートの作品をつくる作家は日本では非常に多いですけれども,現状では散発的な作品発表に過ぎないというわけで,それに続く人々をしっかりつくっていかないともしかしたらこのまま消えてしまうかもしれないというおそれもあるわけで,世の中にしっかり根をつかすためにこのようなプロジェクトを推進しようということを考えているわけです。
 そのためには基盤技術が必要なわけで,我々のグループでは,1つの基盤技術の典型的な例としてツールキットの開発をやっておりまして,私の研究室では触覚メディア作品を駆動するための回路をツールキット化して初心者でも使えるようにしようとしています。今まで研究室でつくっているものは1品もので,例えば担当する大学院生が卒業すると動かなくなるというのが一般的で,工学系だとそれが一般的なのですけれども,それを例えば美大の学生が自分の作品に取り入れることも可能にしようというような観点から,高度な性能も実現していて,かつ初心者でも使えるというユーザビリティ,これをつくっていこうというようなことを考えております。昨年,東京芸術大学でワークショップを開催して,実証試験も進めております。
 このCRESTプロジェクトの重要な特徴と,研究を進める上での特徴としまして,展示を通じて技術を磨くという研究スタイル,これを一つの大きな特徴としております。そのようなことを実践する場として展示をする場所が必要なのですけれども,これをどうするかということをいろいろ検討してきた結果,日本科学未来館に常設展示スペースをつくることに成功しました。これは昨年4月24日にオープンしたのですけれども,日本科学未来館の3階の情報と社会というフロアがあるのですけれども,その一部を改装しまして,海外の言葉で言うとメディアムーブという場所なのですが,そこにデバイスアート・ギャラリーという常設スペースを開設しました。
 ここでは,このCRESTプロジェクトメンバー,八谷さんとか児玉さん,明和電機といったアーティストも多数参加しているのですけれども,工学系のメンバーも交えて,個展形式で順番に展覧会をやります。4カ月,大体1つの個展を4カ月ぐらい想定しておりまして,今ちょうど3期目に入っていて,ちょうど私が展覧会をやっております。
 この展覧会をどういう名前にしようかといろいろ考えた結果,「博士の異常な創作」というタイトルにしました。何でそう考えたかというと,これまでやってきたような触覚メディアの研究を知らない人が見たら,この作品の山はどう見ても異常なのです。要するに,いずれの世界でも非常にユニークなものですけれども,それがゆえに何でこんなものをつくったのかと理解しにくい。じゃあ,その理解しにくいのをそのまま展覧会にしようというふうに企画しました。理解しがたいのだけれども,何か体験しているうちに雰囲気が分かってくるということを狙ったわけで,例えばアノマロカリスというのは1999年の作品ですけれども,その復刻版,常設展示用につくり直した復刻版,それから先ほどのロボットタイル,これも常設しております。それから,今回初めてつくった作品がメディアビークルと呼ばれる,これは今までの系列ではなかった作品ですけれども,実世界の乗り物と,それからバーチャル世界の乗り物を合体させたような,そういう新しいメディアができないかというので,要するに乗り物としても使えるし,それからバーチャル体験マシーンにもなるというので,ちょうどカプセルみたいなものに乗っていますけれども,ふたを閉めると完全に映像しかない世界になって,外の風景も音も聞こえない状況です。
 そういうような状況もあって,今館内で展示しているのは,先ほどのクロスアクティブシステムと同じ原理で,そのセンサーつきのカメラの映像を伝えて,これはモーションベースとして機能しますので,あたかもカメラを持って,その手の中で孫悟空になってもてあそばれているような,そういう感じがするというわけです。これは乗り物としても機能するので,今度3月に体験試乗会を屋外でやることを計画しております。乗り物として使うときはどうなるかと言うと,この一番下の部分にカメラを取り付けると,ちょうど自分が小さな動物になって,例えば犬みたいな視点で道を走りまわるというような,そういう体験ができるわけですけれども,そのような乗り物としても使えるというわけで,ソフトウェアのつくり込みの仕方によっては自由にバーチャル世界と現実世界を行ったり来たりできるというような,そのような機能を実現できるというわけです。
 これ,余談というか,ちょっと変な話なのですけれども,実は攻殻機動隊という有名なアニメがあります。マンガが先ですけれども,そこに出てくるフチコマというロボットがあるのですけれども,それと実は機能的には似ているというか,それをオマージュした作品にしたつもりですけれども,そこまでイメージしてくれる人はまだ余り多くないみたいで,ちょっとまだまだかなという感じもするのですけれども,そのようなものも最近つくっています。
 さて,このプロジェクトの究極の目標については,やはり歴史に残すということです。今何となくトレンドがあるということは明らかですけれども,これが本当に残るかどうかというのがまだまだこれからの勝負になると考えています。
 メディア芸術というのは,まだ技術の中で歴史をつくる段階まで来ていないと私は見ています。現代芸術として,それだけの地位をつくったのはインスタレーションとか映像,映像は確実に地位をつくったと考えているのですけれども,まだ例えば私がやっているようなインタラクティブアートはそこまで来ていないというのが現状です。
 例えば,現代芸術の最大の祭典のベネチアビエンナーレでは,インタラクティブ作品はほとんどありません。メディアアートはまだ少数派と言えるのではないかと思います。これから歴史をつくろうと努力しているわけですけれども,そのためには常設展示を行う拠点が,この検討会が拠点形成についての検討会と伺っていますけれども,ぜひともメディアアートの常設展示というのが必要ではないかと考えています。文化庁のメディア芸術祭に入場制限がかかるくらい,たくさんの人が来ています。いつ来ても見れるような常設展示場というのは必要だと思います。
 日本科学未来館につくったデバイスアートギャラリーもそうですけれども,常設展示場があると存在証明になります。だから,たまたま未来館に来た人が,ギャラリーを発見することによって認知されるわけで,やっぱりいつ来ても見れるというような常設展示場はどうしても必要ではないかなと思っております。
 それから,歴史に残せるかどうかはまだまだ分からないですけれども,その1つのきっかけになるのではないかというのが参考資料としてお配りした日経新聞の(土)の記事です。日経の文化欄に,私の日ごろからのメディアアートにおける活動が紹介されているのですけれども,科学技術の社会観念という観点から現代美術の中に位置づけられた記事です。日経の文化欄というと,なかなかまだ歴史をつくっていないメディアアートまでは踏み込んでくれないわけですけれども,恐らくはこれ初めてなのではないかと思います。こういう形で現代美術の中に位置づけられたというのは昨年ぐらいかなと考えております。
 以上でございます。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 それでは,お2人の先生方からのご意見を踏まえて意見交換を行いたいと思います。

○安藤委員

 原島先生,岩田先生,貴重なお話ありがとうございました。
 総体的に非常におもしろいと思いましたし,特に具体的なお話が岩田先生から聞けて,とても分かりやすいと思いました。
 原島先生のお話も非常におもしろい分析の仕方だったのですけれども,私は原島先生を存じておるものですから,一言申し上げますと,後半の部分とてもよくまとめていただいて分かりやすいのですが,前半の部分は実は分かりやす過ぎて,私ももともとは理科系なのですけれども,理科系の特にアカデミズムの大学というところにいる者の陥りやすいワナなのですが,ある種数値的なものとか論理的なもので区分しなければいけないような感覚に襲われて,それを区分することによって逆にちょっと違ってきてしまうという印象を受けております。
 つまりそれは,文化というものと,科学技術というもの,それと芸術ですとか,歴史だとか,慣習だとか,そういうものとの関係を何か同じステージの中で,つまり同じディメンションの中で語られてしまったために,分かりやすいのですけれども,例えば心の豊かさと物の豊かさというものを数値的に両方合わせると100%になるというような形であらわすということが非常に分かりやすいんですが,実は,僕は心の豊かさと物質の豊かさというのはそういう同じステージにあるのではなくてディメンションの違うもの,つまり,科学技術と文化というものもディメンションが違うものだと思っているわけです。
 つまり,科学技術と文化を同じステージの中で論議してしまうと非常にややこしいことになりかねないかと思います。どうしても僕たちはアカデミズムの中にいるから,そこを同じ形の中で数字的に何とかしようとしてしまうのですけれども,ですから,例えば僕の庭があって,庭にして花を植えようか,そこをきれいにして車の駐車場にしようかという論議に至ってしまうわけですよ。だけど,例えば駐車場にして車を持つことよって心の豊かさを得られるかもしれないわけですね。映画を遠くまで見に行くことができるという,例えばね。だけど,それを環境という言葉も全く同じで,今この地球の環境が破壊されるということの5%を文化にというようなお話があったと思うんですが,じゃあ,情報というものが環境を破壊していないかどうか,心の環境という部分を考えていないかどうか。つまり,科学技術というものが物の豊かさと同時に心の豊かさの両方に関与していくものだということかどうか。その物の豊かさというものは,心の豊かさに対してどのように関与するか,それを壊していくものの作用もあるし,心の豊かさを増長する部分もある。つまりステージの違うものの要素として分析しないと,前提条件が若干異なってしまうかなと。非常に分かりやすいし,数値的にも分かりやすいけれども,これで納得してしまうと,文化と科学技術,ですから文化と文明という部分での対立,これもお互いに干渉し合うものですけれども,科学技術と文化というものは縦関係にあって横関係にあるのではないような気が僕はちょっとしました。

○原島氏

 今,まさに先生がおっしゃるとおりで,先生のご意見は私に対する応援演説だという形で聞かさせていただきました。先生のような方々がおられれば,こちらも苦労しないということでございまして,むしろ先生もいろいろな形でまさに今のご意見をいろんなところで発言していただければというふうに思っております。
 ただ,やはり科学技術の場にいると,文化は科学技術の下なのです。総合科学技術会議の中でまだ文化という言葉は当たり前になっていないという日本の現状があります。

○安藤委員

 これは,ヨーロッパでも,アメリカでも,さっき申し上げたように映画というのが,アートアカデミー賞が,アートアンドサイエンスのように,要するに上下関係としての下ではなくて,図式としての文化を形づくるところの要素の一つというような形で考えるべきものであって,今メディア芸術ということが突然エレクトロニクスの進歩によって新たに出てきたような考え方があるけれども,実は写真であっても映画であっても,あるいはいろんな工芸技術だって,絵画だって言ってみればメディア芸術なわけですよ。持ち運びできる絵具が発明されたから印象派が出てきたというような,つまり,そういう考え方をしたら,常に芸術とか文化というものの背後にはその科学技術の進歩,新しい道具とツールというものができて初めてそういう,それが生活のほうにより貢献するか,心の問題のほうにより貢献するかというだけの話だと思います。

○原島氏

 私自身の本音を申し上げますと,文化はやはり人間の営みの中の基本なわけです。その意味で,その下に教育もあるし技術もあるということで,本来だったら文化省があっていいと私は個人的に思っております。

○安藤委員

 同意見です。

○中谷委員

 私は,両先生の部門をある意味代表してここにいるものですから,ご意見を申し上げることは自分の責任をまた問うことでもあるのですけれども,このメディアアートというものを,メディア芸術という日本のある意味独自な文面の中で語る上において,この芸術とアートというのであればその体系化,岩田先生もおっしゃいましたけれども,いかにそれを体系化して位置づけをしていくかということがすごく大事だと思うんです。岩田先生がある意味発案なさったデバイスアートというものが,このメディアアートの体系の中でどういうふうな位置づけになるのかとか,メディアアートをどういうふうに定義化するかとか,いろんな部分でいろんなムーブメントが世界的にも起こっていますし,お二人は非常に工学的な方向からこのメディアアートに取り組んでいらっしゃるということ,それから,従来あるメディアアートのジャンルの中でそれがどういう位置づけにあるのかということも,私もそばで一緒にやっているようなものなのですけれども,でも,なかなかそこも整理,当事者はある意味整理されているのかもしれないですけれども,表から見るとそれがよく分からないという状況も多々あると思うのです。ですから,その辺の整理がまず急務ではないかなという気がします。そういう部分がはっきり体系化されていかないと,拠点をつくっても一体メディアアートをどういうふうにここに入れていくのかということが整理されていかないだろうと。
 それで,よく旧来,芸術系がテクノロジーを包含して進んできたメディアアートの人たちがおっしゃる言葉の中に,先生方のような科学系の方がアートに乗り出すことに対して甚だ懐疑的な意見をお持ちの方もいらっしゃいますよね。なぜかと言うと,作品をつくり上げるための芸術性というか,完成度の部分で何か物足りないものがあると。お二人はそういう才能を持ち合わせてこういう作品をつくっていらっしゃるので芸術性も高まってしまうので,お二人が何かされると,世界に評価されるようになるのですけれども,そうではなくこれから面々と続けていくこの分野の中において,どうやって芸術性をその中にうまく取り込んで作品を打ち立てていくか,その能力,スキルの問題がすごく大きいのではないかと思っていて,今,芸術の分野ではある程度,中学とか高校とかから基本的な造形教育を受けて,大学もかなりレベルの高い基礎的な造形能力が試されて入る。でも,今メディアアート,工学的な部分でメディアアートを目指している人たちはそういう部分をクリアせずにある意味学力の部分のみで入ることがメインだと思うのです。その辺のところからちょっと考えていかないといけないのではないかなと私はちょっと思っていまして,ぜひ,このメディアアートというジャンルを体系化する上において,筑波大学,東京大学で,今までの芸術大学の基礎造形を確認するため,試験がいいとは思いませんが,新たなものを考えていくべきだと思います。そういう部分もお考えいただくと,また新たなジャンルが成長するきっかけになっていくのではないかという気がしますが,いかがでしょうか。

○岩田氏

 私のプロジェクトも実は方法論の模索をやっていて,何がアートかという議論も,美術作家の方ももちろんプロジェクトメンバーにたくさん入っているのですけれども,彼らを交えて何がアートかというのは結構根源的な疑問として出てくるわけです。
 その中で,一つの方法論として考えると,やはり見立てというものがあると思うのです。つまり,あるものに対して別の意味を与えることがあって初めて一つの工学システムが作品になり得ると私は考えています。その見立てがどうなるかというのが難しいので,その制作者そのものが意味を与えるような場合もあるし,また,私の場合はそういう意見を与えることによって作品化しているわけですけれども,場合によっては制作者本人が分からないということもあるわけですね。それでも別の人が見立てを行って,別の意味付けを行うことによってアートの世界に影響を与えるような,そういうものもできてくるという可能性があると思うのです。
 後者に関しては,おもしろいものをつくると,本人がそういう感覚を持っていなくてもだれかがおもしろいと感じることがあって,自分が分からないようなことでもだれかが意味づけをしてくれるというような,それだけポテンシャルのあるものをつくるというのが重要ではないかなというふうに考えています。

○原島氏

 このメディアアート,あるいはメディア芸術,複数系になったメディア芸術をどういう文脈でとらえていくかという,そういうことだと思うのです。ある意味,どういう歴史の流れの中に位置づけていくか,100年後の美術史の中にどのようにひかれるかとか,そういうようなことをしっかり考えないと多分位置づけできないのではないかと思います。
 いわゆるアートの文脈から見たときにメディアアートは,どうやってその作品を残すのか,どうやって美術館が買い上げるのかと,いろいろな問題をたくさん抱えているわけです。ただ,一方で,我々アートと言っているけれども,それは西洋から明治以降入ってきたもので,日本では違った形で,先ほど工芸という言い方をしましたけれども違った形でやってきて,場合によっては生活の中に,住まいとかそういう形であって,美術館に行かないと見れないものでは必ずしもなかったわけですね。
 そう考えたときに,個人的には,西洋からの今までのアートの中の,現代アートの中の一部門として,たまたま情報技術の進歩とともにあったのでは個人的にはおもしろくないと思っているわけです。やはり新しい流れが出てくるといいな,場合によってはそれは,岩田先生のデバイスアートはもしかしたら日本の工芸を引き継ぐようなものが出てくるかもしれない。それを日本が発信していく,外国からから入ってきたものの中に強引に位置づけるのではなくて,やはり日本から発信するぐらいの気持ちがあっていいのではないかと考えています。

○中谷委員

 おっしゃるように,世界的に見ても,今のこのメディアアートの状況,工学系の方が作品をつくり出してメディアアートとするというコメントはすごく珍しいと言いますか,岩田先生がおっしゃったように大変すばらしいものだと思うので,新しいメディアアートの体系化をするためにすごく今好機,チャンスだと思うのです。ですから,今を逃すとこんなもったいないことはないのではないかという気がします。

○原島氏

 そういう意味では,西洋的なアートの概念からエンターテイメントはやはり抜けるのですよね。本当は入っているはずなのに,やはりそういうエンターテイメントも含めた形で新しい,ある意味でアートというか芸術,メディア芸術という言葉をアートと言わないでメディア芸術という形にしたというのは私は非常に重要だと思うのですけれども,それがエンターテイメントも含んだ形での新しいメディア芸術が発信できるといいなと思います。

○安藤委員

 それはエンターテイメントを含んでもよいにしておいたほうがいいかもしれませんね。つまり,岩田先生のやられていることがすごく日本人的でいいなと思っているわけです。なぜかと言うと,あのビークルというのが乗れるとおっしゃられるじゃないですか。つまり,本来アートとしてやろうとしたら乗れない車,つまりデュラスみたいに座れないいすと言ったほうがアートとしては自信を持って,つまりヨーロッパ的には違う方法論ということで,いすは座れないものなのという形が実はアートとして宣言できちゃうわけで簡単なわけです。
 ところが我々の,特に技術系の方の真面目さという部分も含めて,車は動かなきゃいけないだろうと。でも,違う方法と言うから,むしろ難しいところを模索しながらアートに近づこうとしている,それはとてもおもしろいある種の新しい試みだと思うのです。ですから,そこにエンターテイメントがあろうとなかろうと,新しい形の何かを見出しながら,つまり日本の工芸みたいに本来持つ意味合いも失わないというところは,非常に日本人的なまじめさの中に脈々とある技術者の真面目さがとてもいいと僕は思います。

○中谷委員

 メディアアーティストの要件として,表現するメディアがなければ自分でメディアをつくれるようなクリエイターという感じがあると思うのですね。岩田先生が委員長をやっているバーチャルリアリティの学生の団体があるのですけれども,そこの子たちは,デバイスから道具を全部自分で発明してつくり出すのです。そういう機運というか,心意気というのは,今の美術系のクリエイターではなかなか出ない発明力というか,そういうものがあるんですよね。

○岩田氏

 モチベーションはあるのだけれども,そのスキルがそこまで行かないというか,非常にバリアが高いです。それをどう埋めるかというのはやっぱり基盤技術者ではないかなと私は思っています。

○中谷委員

 僕,番組をやっていて,最近多いメディアアート作品に,ふたをあけるとWiiが入っていたりするわけですね。ああいうものが一体どういうふうに岩田先生は受け取られているのかお聞きしたかったのですけれども,あれはやっぱり自分でつくり上げるべきだと思います。

○岩田氏

 本当は加速度センサーとかが自由に思う存分使えたらWiiは使わなくても済むわけですけれども,今の基盤技術はそこまで行っていないわけですね。だから,そもそもメディアアートの基盤技術がまだできていないので,なかなか難しいわけです。だから,本当はそういう加速度センサーとか,そういうテクノロジーをアーティストが自由に使えるのがいいのです。ただ,しょうがないからWiiをそのまま持ってきているということだと思うのです。

○浜野座長

 関連で言うと,メディア芸術の中で今日ご発表のものがマンガと一緒に位置づけられているというのは,私は原島先生と同じ意見で,日本人は昔ブロマイドとか風景写真みたいな浮世絵だったものを,後追いで今芸術と言っているのだけれども,当時は捨ててしまうようなもので,何でも表現することに長けていたわけです。コップでも何でも。それをテクノロジーで表現しようという部分だから,僕は中谷さんおっしゃるようにきちんと何かこれは芸術であるということをちゃんと論理的に位置づけて,これは我々のものだということを言わないと,結局浮世絵だって海外から評価されて芸術かなと思ったという後追いになったわけでしょう。それが幸い,文化庁メディア芸術祭の中で一緒にマンガ・アニメーションと位置づけている。何でも表現するところに日本人の特異があるということで,私はすごく今日の発表でそれを意識しました。人材の件で,私は大分前に驚いたのは,ルーカスフィルムにバークレーで初めて,世界で初めてコンピューターグラフィックスで博士号をとった人が雇われて,博士号を持った男をプロダクションが雇うということ自体に驚いて,後に映画の監督をやったわけですよね。だから,先生方のようなところで育った人たちがどこに行くのと。産業界との連動でうまくいっていないということもご発表の中にありましたけれども,その人たちというのは,メディア芸術の将来に寄与するような場所に行っているのか,それはどうなのでしょうかね。

○原島氏

 私,今東大におりますけれども,あと1カ月だけ東大におりますけれども,親の立場で言うと,東大に入って,もしその子どもがこれからアートをやりたいと言ったらびっくりすると思うのです。それを期待しているのではないみたいな,気持ちがあって,逆に東大の中でも,東大のすぐ横に芸大があるから,アートは芸大みたいな,自分のところは違ったほうだよねと,そういう雰囲気が僕はあったと思います。
 そういう意味で,浜野先生も随分東大の中で苦労して今おられると思うのですけれども,一方で学生を見ていると,本当はアートの才能があって大好きだけれども,たまたま勉強ができてしまったという,そういう学生がいるのです。そういう学生がアートの分野に乗り出してくれれば変わりますよ。そういう人たちを東大に入っても,ちょっと東大の話になって申しわけないのですけれども,自分の居場所があるのだというようなことが重要なので,アートをやるのだったら美大へ行きなさいではなくて,どこに行っても場合によってはアートはできるんだと,場合によってはアートはできるんだというような,そこにしっかりした教育体制ができているというのがこれから重要ではないのかなという気がしますね。

○古川座長代理

 関連で,今日お2人のお話を伺っていて,やっぱり何かこの間の「つみきのいえ」もそうなんだけれども,アニメーションでも大きな映画としてつくっているのではなくて,俵屋みたいな自分のサインがあって,その動く絵を浮世絵みたいに発表していく人たちが確実に今増えてきていて,メディア芸術祭の展示を見ていても,長編をやっているところと短編の上映をしているところを見たら結構違うものがあって,これって同じものなのかなと考えてしまうようなところがありました。

○岩田氏

 ちょっと人材育成の話に戻るのですけれども,映画というのは産業として成立したから工学博士をとった人でも就職できるという,そういうインフラができていると思うのです。一方,メディアアート,インタラクティブアートにはそういう産業がまだ成立していなくて,だから卒業した学生も行き場がないというのが事実なんですね。逆に言うと,鶏と卵の問題なのですけれども,産業をつくっていかないといけないと思います。
 デバイスアートのプロジェクトを提案するときに,新しい産業ができると私は予言したのですけれども,日本の産業を例えばハードウェアとソウトウェアの軸を縦にして,芸術性が低いか高いかという軸を横軸にすると,芸術性が高くて,なおかつハードウェア要素が高いものが非常に少ないというか,ほとんど今までなかったと思います。芸術性が低いほうはIT技術とか,それから製造業とかあるわけで,ソフト要素の高い芸術性のあるものというのは,例えば映画にしてもアニメにしてもマンガにしても全部いろいろ入ってくるわけなのですけれども,ハードウェア要素が高くて芸術性が高いものというのはほとんどない。今,ロボットがそっちのほうに向かっているわけですね。日本の製造業の強みを生かして,なおかつ芸術性が高いものをつくっておけば新しい産業がすぐできると思うのです。
 そういう産業ができてくれば,学生も就職先に困らないという明るい未来が描けるんですけれども,そのためにはバリアも高いです。

○原島氏

 それからもう一つ,僕は工学部にいるのですが,工学部の立場で言うと,物理,数学は工学の基礎研究としてちゃんと位置づけられているわけですね。それと同じようにアートも工学の基礎だと,場合によってはすべての,工学部に進学した人の最初はまずアート,それなりにアート,デザインをやるべきだと思います。そのもとになる研究室も当然あるのだというふうにきちんと位置づけられれば,科学技術の中に,広い意味での科学技術の中にアートというものはそういう形で,もちろんアーティストから見れば自分たちは別に科学技術のためにやっていないとおっしゃいますが,一方で工学の中ではアートは基礎なんだと,物をつくるのだったら美しさを知らなければつくれるはずがないぐらいのところまで位置づければ,工学部の中勉強しようという学生もあらわれると思いますね。

○浜野座長

 以前,スウェーデンの方に東大の説明をしてくれと言われて説明していて,芸術学部がないのかと言って,ヨーロッパでは芸術学部のない大学のことをカレッジと言うんだと,ユニバーシティというのは芸術学部が中核であって,東大はカレッジだと,ユニバーサルじゃないと言われてなるほどねと,それどんどん日本で言ってくださいよと言いました。

○中谷委員

 私,原島先生がやっていらっしゃる頑張れ図工の時間というイベントに行って驚いたのは,現在科学者で活躍していらっしゃる人のほとんどが科学者になるモチベーションが図工にあったとおっしゃっていることです。その芽を育てるべきやっぱり図工の時間が大事なのかなと。

○原島氏

 ありがとうございます。先ほど時間がなくて図工の時間の話ができなかったので,ちょっと数年前から小学校の図工の時間を応援するということをしておりまして,これはまず美術系の先生が中心になったのですけれども,小学校の図工の時間は昔年間70時間あったものが,ゆとり教育の中で50時間に減らされてしまった。70から50というのは実はかなり大変なことで,70時間あれば週2時間,ちゃんと35週で用意できるのが用意できなくなってしまって非常に時間割も難しくなってしまったというのがあり,かつ,それがゆとり教育見直しの中でも復活しなかったという経緯があります。
 中には,図工は情操教育で,情操教育だったら,音楽と図工,どちらか選択できるように小学校でしたらいい,それで時間数を増やしたほうがいいとおっしゃる方も出てきた,これは大変なことだと思うのです。そうすると図工も一回もやらない,音楽もやらない子どもが育ってくるということは,僕は日本にとってあり得ないことだと思っていて,単に理科とか算数とか,そういうものと並べて図工を考える,先ほど文化と科学技術を並べるからいけない,並べるものではなくて,人間の生きていく基本として図工という要するに表現教育なわけですから,表現というというのはすべて共通なんだと,それが科学技術にもつながっていくという形で図工の時間を大切にしなければいけないということで今いろいろとしているわけです。

○中谷委員

 僕,図工のとらえ方もすごく誤解というか,ちゃんと理解されていなくて,原島先生みたいな人が図工をやれば東大に入れるというような流れをつくられれば図工なんかもっと見直されると思いますが。

○さいとう委員

 すごくおもしろいお話を今日は聞けてうれしくて,何か私ちょっと徹夜が続いていて遅れてきてしまったのですけれども,やっと目が覚めたので,私はマンガを描いているのですごく一般人と同じような感覚で今日のお話を聞いていて,確かにすごく動くものとか触るものとかって子どものときにわくわくした思い出が一緒にぱっと来たんですけれども,何かそれを文化と言われると確かに日本では昔からそうだったのかなという気がだんだんしてきて,それが今お掃除ロボットとかありますけれども,それがもっと楽しくなったり美しくなったり,生活を彩ってくれて,しかもいろんな可能性がとにかく一般人から見るとこのメディアアートはよく分からないけれども,それは多分すごく可能性がいっぱいあちこちに広がっているために分からなくなっちゃうぐらいいろいろな可能性があって,いろいろなもののもとになるようなところがあると思うので,これはアートの一つに入れてもいいのではないかなと思いながらすごく今おもしろく,興奮しながら聞いていました。

○原島氏

 子どもたちは,中学生になると急に表現ができなくなる。大学になると,もう何か考えていることをスケッチしてみろと言われたらパニックになる。やはり中学になると図工はなくなる。図工が美術,家庭という形に変わってしまって,本当は小学校のわくわくどきどき図工の時間でやってきたものを中学,高校,大学と本当はつなげることは非常に重要だと思うのですね。

○浜野座長

 岩田先生からは,常設展示のスペースがあればというご希望があったのですけれども,拠点ということに限定して,こうあればいいというのをお2人からちょっと,何か理想的な拠点づくりをですね,海外のいい事例とかもし参考になるような例があれば言っていただけると参考になるのですが。

○岩田氏

 インタラクティブ作品というのは非常に展示が難しいのです。まず何が難しいかと言うと,作家,作品のそばについて体験の仕方を見せたりするとすごくおもしろいのだけれども,作家がいない状態でそれを伝えるのは非常に難しいという問題がまず第1点。
 それから,動く状態で維持するというのはすごく技術が要るのです。美術館でのタブーで,モーターを使うやつはだめというのがあります。必ず壊れるからです。私の作品はそのタブーに挑戦しているのですけれども,それでも維持運営をするスタッフがついていないといけないというわけで,幸い日本科学未来館にはそういう人がいます。だから,その人がいなかったら展示は成立しないというわけで,人材育成の問題も絡むのですけれども,創作者のほかにそれをサポートする,維持することができるスキルを持った人というのが必ずいるのです。これは従来の美術館の学芸員では絶対にできない話です。
 例えば作家と一緒になって維持運営をできるような,そういうスキルを持ったスタッフ,人材の育成というのをあわせてやるという,そういう展示スペースだけではなくて,そういう人材育成もできるような拠点というのが必要ではないかなというふうに考えています。

○原島氏

 拠点というと,いろいろなレベルの拠点があると思うのです。まず国際拠点,国際的な拠点ということで海外から見えるようにということで言いますと,やはり世界から例えば日本に来たときにまずあそこに行けばいいという場所が重要だと思います。例えば,秋葉原というのはやっぱり世界から来たときにちょっと寄ってもみようとか,秋葉原というだけで見に行くわけです。たまたま今そういうアート展をやっているというだけではなくて,いつもそこに行けばというような場所をまず重要だと思いますね。そういう意味では,国際拠点というまず見えるところというのはあります。
 それともう一つ,そういうような場所で,今ちょっとありましたけれども,学芸員の方が,今のままだとそういう拠点をつくっても対応できないと思います。かつて美術館に補正予算でハイビジョンを入れるというのがあって,結果的に美術館の方が苦労しました。単に補正予算,その年のお金だけで入れるというんじゃなくて,次回のテーマになるかもしれないけれども,きちんと人材養成しないと拠点は支えられない。例えばデジタル学芸員をどう養成するかということを一緒にならないと,恐らくいろんなところにミュージアムとか拠点をつくっても成り立たないというふうに思っています。
 それからもう一つ,実は拠点ということで申し上げますと,私自身がどちらかと言うと科学技術の人間ですので,先ほど申し上げました科学技術を文化にという,そういう視点を持っています。その意味で,私は科学技術をやっている大学はすべて研究現場直結型のミュージアムをつくるべきだと,そういうふうに思っています。単に論文発表をしていればネイチャー,サイエンスに出していればそれで研究ができるというんじゃなくて,きちんと見せていく,形にして見せていく,大学に今いろいろな大学,ミュージアム,博物館ありますけれども,そのほとんどはその大学が持っているコレクションを見せる場で,現在進行形の研究は見せていない。現在進行形の研究をちゃんと見せていくミュージアムを研究機関は必ず持つべきだと思います。

○浜野座長

 MITのメディアラボが出てきたときに,最初MITというのは学会発表しなければ去れと言うので,パブリックはデスと言われたのが,デモンストレーションはデスにしたのです。
 それでは,せっかくご関係のオブザーバーの方がいらっしゃるので,手短に一言ずつ,今日のご発表も含めて関係のあることがあればどうぞ。

○阿部氏

 本当に今日はすごくいいお話が聞けてよかったと思います。加藤久仁生さんがアカデミー賞を受賞され,よかったと思いました。ただ,先にメディア芸術祭受賞でよかったなと,ほっとしました。今までは,先に海外で賞をとって,その後日本のどこかのフェスティバルが賞を出すということが非常に多かったと思います。それは,メディアアートの領域でもそうであり,メディア芸術祭は97年から始まりましたが,それ以前は岩田先生や日本のメディアアーティストはSIGGRAPHだとか,アルスエレクトロニカといったところで評価されなければいけなかった。それは,評価の物差しを海外にゆだねるということだったと思います。メディア芸術祭を立ち上げるときにいろいろな先生方が,やはり日本ならではの評価をきちんと積み上げていこうということがあって,それで単にアートの領域だけではなく,マンガ,アニメやエンターテイメントも含めてやっていこうということで今に至るわけです。
 当初立ち上げたときには,何でアートとアニメとエンターテイメントと一緒にやるのだということで異論もありましたけれども,逆に海外からはそこが評価されて今世界から40カ国以上,500作品以上が海外から応募されるようになった。やはり日本としての物差しとか,こうだというもの,それって文化ですね。文化を持たなければ日本というものが存在し得ないと思います。
 原島先生のなぜ今文化なのかという発言がありましたけれども,ヨーロッパでは当たり前のことです。なぜ当たり前かと言うと,地続きで小さい国が集合していると,自分たちはこう思う,こういう価値観を持っているということを語り,発信していかなければその国が存在し得ない状況に置かれているのではないかと思います。日本は海に囲まれているので,地理的なことで日本を意識することが多いと思うのですけれども,情報化社会になり,地理的には海で囲まれていますけれども,文化的には海は存在しなくても,地続き状態だと思います。そういった中でいかに日本の価値観,日本としてはこう思うという文化的な発信というのは非常に重要だと思います。アルスエレクトロニカの話が先ほど出てきましたが,アルスエレクトロニカは今年30周年,メディア芸術祭が13年目なのでかなり先輩です。でも,アルスエレクトロニカは立派な常設のセンターがあるのですが,最初からあったわけではありません。最初はフェスティバルが立ち上がり,数年たってアワードができまして,十四,五年目ぐらいに,やはり常設のセンターがないといけないということでセンターができて今に至るということです。ですから,新しい領域というのは最初からそういったセンターとか常設展示,常設の拠点があるわけではなく,世界的に見てもそうなので,日本においてもメディア芸術祭は今13年目ですけれども,アルスエレクトロニカセンターができたのが14年目ですから,20年ぐらいを目標にしてメディア芸術の国際的な拠点ができると良いと個人的には,考えております。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。では,石川さん。

○石川氏

 大変おもしろくお話を聞かせていただきました。非常に興味深い話でございまして,メディア芸術に含まれる分野がすごく広いことを今日のお話を聞いて実感しました。メディア芸術に一つにくくってまとめてしまうことは少し乱暴なのかなという気もするぐらいそれぞれが独自性を持っているという感覚を今日持ちました。あと,芸術としても成り立っていながら,やはり科学技術というところをいかに人間に生かしていくか,文化に生かしていくかだと思いました。
 話は変わりますが,いつも見られる場所は,絶対これは必要だろうと思いまして,そういう場所をぜひ生み出されて継続していくといいなと思います。継続していくことが重要なことだと思いますので,国の予算だと大変ということもあるのでしょうけれども,長い目で見て,そういう拠点というものをつくっていただけるとありがたいなというふうに思いました。ぜひ本当にそこに行けばいつでも見られるという場が,日本国内だけではなくて海外に向けてもいろいろな発信,日本の状況を発信することにもつながると思いますので必要だなというふうに思いました。

○浜野座長

 岡島さん。

○岡島氏

 今,アカデミー賞がにわかに注目されていますけれども,1920年代の半ば,27年ぐらいから始まったのですが,安藤先生がおっしゃったように,映画,芸術,科学,アメリカの映画,芸術,科学アカデミーという名前なのです。実はアメリカでも,当初から芸術と科学というのが映画にとってはうまくミックスされないということは悩みであって,1930年代半ば,最大のスター,日本で言えば北野武に当たるウィル・ロジャースという大スターがいたわけですが,彼はアカデミー賞の発言の中で,この協会には芸術はあるが,科学はないと言いました。そのくらいアメリカの中でも科学と芸術は映画の中ではうまくクロスできないということが昔からあります。もちろん我々がフィルムで使っている縦が3,横が4のサイズというのはいまだにアカデミーサイズと呼ばれているわけで,そういう意味ではこの団体には,科学もちゃんとしたプレゼンスを持っていると言えます。それから,一昨年の11月に,アカデミー内にある科学技術審議会が「デジタルジレンマ」という大変立派な報告書を出して,NASAから映画産業に至るまで,デジタルデータの保存には深刻な,そしてクルーシャルな問題があるということを言ったわけです。やはり繰り返しになりますけれども,科学と芸術というものはうまく映画の中ではクロスしていないという事実はあります。
 何を申し上げたいかと言うと,何かの芸術を残そうというときに,あるいは文化を残そうというときに,意外に科学技術が邪魔をする,科学技術が文化の保存の障害になるということが起こるのです。映画の場合には特にそれがあって,科学技術がどんどん進んでいくがために,オーセンティックな映画の保存というのが極めて困難になるということが続いています。だからコンテンツということだけで考えれば,「風と共に去りぬ」の4時間近い映画は数百円のDVDで見られるようになったのですが,テクニカラーのスリーインビビションのプロセスをオーセンティックに再現するという立場で言えば,時代が過ぎれば過ぎるほど困難になるということが起きています。
 だから,からくり人形という高度な技術でつくられたアートを今復元しようというときに,中に入っている歯車を今日の歯車でつくっていいのかというと,絶対それはいけないわけで,当時の木材でつくられたオーセンティックな歯車でオーセンティックに復元する必要があるということだと思うのです。そういう意味では,科学技術が時として文化財の保存には困難さを投げかけているということを私たちは日ごろの仕事の中でいつも直面しているということを申し上げたいのです。
 フィルムは,コンテンツから見れば重さがない映像ですけれども,実際には横35ミリ,薄さ130ミクロン,長さは1分間90フィートの立体的なエンティティーとしてあるというのが我々のフィルムアーキビストとしての主張です。それをそのまま将来にオーセンティックな形で残すのが文化財保護だというふうに我々は思っているのですけれども,それがなかなか困難であるということも今日のお話で感じたのです。ですから,すばらしいアートができたときに,1980年のアートを残すということが大事だとすると,そのときのチップを使わなきゃいけないとか,場合によっては,1950年代につくられたものを本当に文化として残すのであれば当時の真空管を再生しなきゃいけないとか,そういう議論が本来はあるのではないかということを今日感じました。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。 では,甲野さん。

○甲野氏

 私,国立美術館全体の立場で今日の話を,ここにオブザーバーとして加わらせていただいてその話を聞かせていただいたわけですけれども,ここにオブザーバーとして呼ばれているということは,何かメディア芸術の拠点でどこかでできないのというようなご意向というが文化庁のほうにあって呼ばれているという個人的に理解をしておりますので,そういう観点でメディア芸術についての,特に本日プレゼンテーションされたような内容についての拠点というものを果たして担えていくのかなというような目で意見と言いますか,いろんなお話し聞いていました。確かにメディア芸術全体については,国立美術館としても対応すべきだという形で中期目標の中にも入っていますし,それを受けて中期計画の中でも書いてあるのですけれども,行っていることは非常に限られておりまして,メディア芸術祭の会場としていたりですとか,液晶絵画みたいな作品を今年度国際美術館で展示したりしておりますが,なかなかできないのが現状です。
 それはなぜかと言いますと,先ほどもデジタル学芸員というようなお話もありましたとおり,やはりそういう分野を専門にしている学芸員さんがなかなか確保できないからということがあるわけでございます。したがって,だから国立美術館でこういうことを対応するにはどうしたらいいのかなということを考えた場合には,やはりそうしたような人材を確保するということが一番かなということを思いながら話を聞かせていただいた次第でございます。
 全く個人的な感想を申し上げますと,岩田先生が今出しておられるような未来館でやっているような常設展示をなぜ国立美術館でできなかったのかなという思いはありますけれども,ただ先立つものはやはり体制かなと思った次第でございます。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 まだご質問等があるとは思いますが,時間がまいりました。2人の先生,本当にありがとうございました。何か新しい息吹とか,いろいろな問題点が浮き彫りになったと思います。
 それでは,本日の議題はこれまでにしたいと思います。
 では,次回の日時等につきまして事務局からご説明いただきたいと思います。

○清水芸術文化課長

 <次回日程(4月又は5月開催)の説明>

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 2点ほどあるのですけれども,先月20日にオープンしたマルイのゴスロリとかロリータファッションの専門館があります。皆さんとても入れないところですが,外国人が3割です。ツアーに入っているらしいです。クールジャパンツアーという,メディア芸術祭のときに加藤監督とお会いして絶対アカデミー賞取れるよと,言ったのですけれども,受賞されてよかった。「おくりびと」も興行収入が40億超えたのですか。

○安藤委員

 もう40億円を超えました。先週で超えました。

○浜野座長

 本当に明るい話題でよかったと思います。それでは,これで終わりたいと思います。本当にお2人の先生,どうもありがとうございました。

ページの先頭に移動