国立メディア芸術総合センター(仮称)設立準備委員会(第3回)
議事録

1. 日時

平成21年7月10日(金) 15:00~17:00

2. 場所

旧文部省庁舎 講堂(6階)

3.議題

  1. (1)関係者からのヒアリング2
    • ○浜村 弘一氏(株式会社エンターブレイン代表取締役社長)
    • ○原田 大三郎氏(多摩美術大学教授)
    • ○藤木 秀朗氏(名古屋大学大学院文学研究科准教授)
  2. (2)その他

4. 出席者

(委員)

安藤委員,石原委員,植松委員,さいとう委員,里中委員,土佐委員,中谷委員, 浜野委員,林委員,水口委員,森山委員,布川委員

(オブザーバー)

石川氏,岡島氏,甲野氏

(事務局)

高塩文化庁次長,清木文化部長,関長官官房審議官,清水芸術文化課長

(欠席委員)

古川委員,神村委員

(欠席オブザーバー)

阿部氏

○浜野座長

 それでは,ただいまから国立メディア芸術総合センター(仮称)設立準備委員会,第3回を開催いたします。
 本日はご多忙のところご出席いただきまして,誠にありがとうございます。
 本日は有識者として,浜村様,原田様,藤木様にお越しいただいております。ご多忙中のところご出席いただき,誠にありがとうございます。有識者の方々には,後ほどお話をお伺いしたいと思いますので,本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 なお,カメラの頭撮りは配付資料の確認までとさせていただきますので,よろしくお願いします。
 会議に先立ちまして,事務局から配付資料の確認,説明をお願いいたします。

○清水芸術文化課長

 それでは,お手元の配付資料の確認をさせていただきます。

 〈配付資料について説明〉

 それでは,カメラの方はここまでということでよろしくお願いいたします。

○浜野座長

 前回は,有識者のヒアリングを実施しまして,委員の方々からさまざまな意見をお伺いいたしました。本日も引き続き有識者の方々のお話をお伺いしたいと思います。
 本日お越しいただいた有識者の先生方を改めてご紹介させていただきます。
 株式会社エンターブレイン代表取締役の浜村弘一様でございます。よろしくお願いします。
 名古屋大学大学院文学研究科准教授の藤木秀朗様でございます。よろしくお願いいたします。
 多摩美術大学教授の原田大三郎様でございます。よろしくお願いします。
 有識者の先生からは,各10分程度ご意見を伺った後,各委員との自由討議とさせていただきたいと思います。2時間という限られた時間でございますので,長くお話しされているようでしたら,私のほうからアナウンスしますので,ご容赦願います。
 お話をお伺いするのは16:00を目途としていますので,よろしくご協力のほどお願いいたします。
 それでは,まず浜村様から,提出していただいた資料に基づき,10分ほどご意見を伺いたいと思います。

○浜村氏

 私は浜村と申します。エンターブレインという会社でゲーム雑誌の「ファミ通」というのを出しておりまして,そういった関係からお呼びいただいたのではないかなと思っております。そういうゲーム雑誌ですので,ゲームのジャンルから選ばれているという想定のもと,ゲーム視点で今回の施設のことをご意見差し上げられればなと思います。
 まず,1つめくっていただきまして,ゲームは今すごく世界中で大きく変わろうとしているんですね。何かゲームというと,少年犯罪の温床のように言われがちだったんですけれども,過去の歴史においては,漫画とかアニメも決して高い位置ではなかった話を松本零士先生もおっしゃっていたみたいですけれども,ゲームも同じようでして,やっているとばかになるみたいな方がすごく多かったんです。でも,漫画もアニメもゲームも日本が本当にお家元みたいなものなんですが,例えばゲームなんかは世界規模で産業として大きくなりまして,海外では文化と認めていただいて,非常に育成策みたいなものをやっておるんですね。
 3ページ目なんですが,税制優遇とか産業支援策というのは結構やっておりまして,例えばヨーロッパでは,フランスはアニメとかゲームとか漫画にもすごく造詣の深い国なんですけれども,例えばゲームの制作のジャンルでいいますと,コストのうちの20%が免税の措置を受けるという,申請ができるということになっておりまして,今回フランス政府はゲームの開発を支援することについて,欧州連合の執行機関で承認されたということで,フランス以外の国々でも欧州のほうではゲームの制作に関しては非常に保護をしていくというふうな方向性に今なりつつあるという状況があります。
 次,4ページ目なんですけれども,ヨーロッパの次はアジアなんですけれども,例えば韓国のほうでは国を挙げてゲーム産業を支援するということで,18兆円の基金をつくっているんです。これによって60のプロジェクトを推進し,国家レベルでゲームの開発を支えていると。
 こういったことは中国でも同じような形で,ゲームを文化と見なして行われているというふうな話も入ってきております。
 さらに5ページ目なんですが,欧州,アジアと来まして,北米なんですけれども,カナダもゲームの制作に関しては非常に優遇策がとられております。オンタリオ州で制作されたゲームの人件費やマーケティング,また完成品の流通コストの30%が税金の還付対象になるというふうな策も練られております。また,これはゲームだけではないんですが,アニメも含んだ形でコンピューターアニメーションと特殊効果の制作に要した人件費の20%が還付されて,またサウンドレコーディングに要した制作費とマーケティング費用の20%が還付されたりという形で,税だけではなく非常に優遇されている状況があります。また,今回のメディア芸術総合センターのヒントになる策というものもやっておられまして,施設だけではなく企業から弁護士を探したいとか,オフィス用のスペースが欲しい,ネットワークを接続したい,主にベンチャーだと思うんですけれども,そういった小さな会社が大きくなるに当たっては,税制面だけではなく,開発対象や人材育成の方向にも向こうでは便宜を図って行われているという状況があるんですね。
 もう一度アジアですけれども,中国の上海市にゲーム産業支援センターというのが今度設立されるようになったんです。6ページ目なんですけれども,これは韓国政府,また韓国政府の試みなんですけれども,センターをつくって,海外進出,中国に進出しようとしている韓国の企業に対しては施設を無料で使用することができ,また韓国政府による法律相談や宣伝などの優遇が受けられるなんてこともやっているんですね。韓国は国内にも支援センターをつくっておりまして,大きなビルを建ててオフィスを安価で貸し出ししたり,またゲームをつくる機材というのは非常に高いんですけれども,その機材を無料で貸し出しなんかして支援をしているんです。ゲームやアニメなどに関しては,このように支援策が国の策として堂々と行われているということが日本以外の国々で行われているんです。
 7ページ目なんですけれども,国内で6,000億の市場になったゲームなんですけれども,何が言いたいかというと,国営漫画喫茶というふうなことが新聞で躍ったりしますけれども,ゲームもアニメもコミックもそうなんですけれども,日本が生んだ優秀なコンテンツだと思うんです。それに対して国が支援をするというのは至極当たり前のことだと思っております。ゲームの産業に関して言うなら,ファミコンから始まって,延々と続いて,本当に日本のお家芸だと思うんです。右下に世界の市場の売り上げ規模を出しましたけれども,6,000億が日本ですが,アメリカやヨーロッパの合計4兆円を超える市場も,例えばその市場の半分は任天堂さんのプラットフォームが持っていたりするわけで,ある意味世界市場の半分以上が日本のお家芸が輸出された形で成立しているということだと思うんです。恐らくゲームもアニメも同じような状況だと思うんです。そのために,やはり箱ものだけでなく,人材の育成,最新技術の共有化,文化を支える土壌を育てるというふうな納得性の高い形でお金を使っていただければ,恐らく非常に評価される施設ができるのではないかというふうに考える次第でございます。
 具体的な方法というのを少し考えてみました。ゲームの視点から見たものですけれども,ミュージアムというのは非常に僕もあったほうがいいと思っております。文化としての作品の散逸がないほうがもちろんいい。プラスそれに加えて,ミュージアムと人材育成,韓国がやっているような人材育成を両目でにらんだ施設利用ができるなら,より評価されるものができるのではないかと思います。
 例えば,ミュージアム的機能でいいますと,家庭用のゲーム機というのは,今wiiを初めさまざまなゲーム機でダウンロードができる,再利用ができるので,アーカイブができつつあるんですけれども,ゲームセンターのゲームというのはまさにゲームの歴史の原点なんですが,そういったものはできたらすぐ売り切りで終わってしまって,資料も作品も散逸しておりますので,ぜひ早い段階からそういった資料を集めていただければと思います。
 また,家庭用のゲーム機はアーカイブができておりますので,そういったものに関しては,優秀な作品を集めて展示するということは非常に有意義であると思います。また,そういったものの選抜は我々,雑誌やメディアを持っている者がご協力できるように感じております。
 2つ目です。ゲーム制作を見せるという部分なんですけれども,作品の展示から一歩踏み込んで,そういったものをつくっている現場を体験してもらうということは,集客だけではなく人材育成に非常に有意義なのではないかと思うんです。
 例えば,モーションキャプチャーといいますのは,ちょっと難しいんですけれども,モデルの人の体中にセンサーをつけて,その人が動いているのをカメラで撮って,動きをデータにして取り込むという作業をするものなんですけれども,そういったものや3DのCGツールとか結構お高いものがあるんですが,こういったものを使っている現場とかを実際に展示して見て,ゲームってどういうふうにできるのか,その制作過程を見ていただくというのも非常に勉強になるかなというふうに思います。また,場合によっては,そこで道具を使って,ゲームの小さいものをつくって,DVDにその場で焼いてお持ち帰りいただくというのも非常に勉強になるかなと思います。
 同じ施設を,例えばゲームクリエーターを目指す方に,韓国政府がやっているように無料で開放して,それを一般の方が見学できるようにしてしまうとか,例えばツール以外にも海外の最新の技術文献なども結構貴重でして,今アメリカ,欧州とかが非常にお金をかけて国が応援しているもので,技術が向こうに負けていることが多いんですね。ですので,そういった参考文献なども一堂に集めて閲覧ができるようになってくると,ゲームをつくる現場の人間は非常に助かるのではないかというふうに考えたりいたします。
 また,ホールとしての活用というのはもうお考えだと思いますけれども,最新のゲーム映像の展示やゲーム音楽のコンサートをしてみる。これも結構集客を期待できるんですが,ぜひゲームクリエーターを目指す方に,CGツールやハードウェアの最新技術,それから国際的な市場環境を説明する講習会なども定期開催するような形で運用をしていただきたいなと思います。
 また,開発者を求めるスタジオの求人,これは小さな話に思うんですが,結構ゲーム産業では大きな問題でして,例えば一部上場企業のゲーム会社におきましても,ゲームの世界に就職すると言うと親御さんたちが,何よそんなヤクザな世界にみたいなことをおっしゃる方がいらっしゃって,こういう国がつくった施設,そのホールで求人募集をするというのは,ある意味,権威づけの意味でも非常にゲームの世界にとってみれば有益なものではないかなというふうな,人材を集めるという意味でも非常に大きなポイントになると思います。
 また,サイト,これはホールとは関係ないんですけれども,ミュージアム機能で集めた作品をデータベース化して世界中から見るというのは,これは当然お考えになっていらっしゃると思いますけれども,あわせてそこに開発者とパブリッシャーをつなぐサイトを,出版社をつなぐサイトをぜひ構築していただきたいなと思うんです。つくり手の方がアイデアや技術,意欲を見せて,それをパブリッシャーがアイデアをつないで作品にすると。映画の世界では,企画やアイデアと人とプロダクツがつながってエージェントみたいな機能はあるんですけれども,ゲームにはなかなかそういうのはございませんので,作品をつくるチャンス,人と企業が出会えるチャンスなんかができると非常に優位ではないかなと思います。
 あと,ミュージアムを運営していく上ではやはり集客,それから運営費を引き出さないといけないというところですね。コミュニケーションスペースがあると非常に集客ができるなというふうに考えました。今,ゲームの世界では,人が集まって,そこでつながって遊ぶというのがすごくはやっておりますので,明日発売になるドラゴンクエストなんかもそういう形で,明日250万出荷されるという話なんですけれども,つながって遊ぶというのが1つのトレンドですので,大きな集客になると思います。
 また,最後に,ゲーム文化の展開を見せるという意味では,ゲームのグッズの販売とかが結構大きなポイントになると思うんです。今日石原さんもいらっしゃっていますけれども,石原さんのおつくりになったポケットモンスターは世界中でたしか1億9,000万本今もう販売になっているんですね。ですので,そのポケモンのグッズが集まっているポケモンセンターには世界中からお客さんが集まって,観光名所として人がすごくたくさん集まるんです。こういった形で日本の文化であるゲームを見ていただいて,しかもポケモンセンターのような商品も買っていただくということで考えれば,収益も集客も大きく期待できるのではということで期待しております。
 ミュージアムをつくるということ自体,学術的に非常に価値があると思っております。加えて,その場所を人材育成の場所として開放することによって,より評価の高いものができるのではないか。ゲームやアニメ,コミックというものを世間で認めてもらう,評価されるというミュージアムがこういった形で活用されることを大きく期待したいなと思いまして,ご説明のほうを終わりたいと思います。
 ありがとうございました。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 それでは,続きまして原田様から提出していただきました資料に基づき,事業内容,その他の意見も含めて,10分ほどご意見をお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○原田氏

 原田です。よろしくお願いします。
 私はCGを中心とした映像関係の仕事や作品づくりの仕事をしています。あとまた,多摩美術大学の情報デザイン科のアートコースというところで先生もしています。この情報デザイン科のアートコースというのはまさにメディア芸術を教えるコースのことです。
 私は1999年から文化庁主催の文化庁メディア芸術祭において,審査員としていろいろ参加させていただきました。そのときはロボットの展覧会だったと思います,企画展があったと思います。そのときはまだ文化庁メディア芸術祭はそれほど認知度がなくて,審査員の方々とか運営の方々と,何とか大きな盛り上がりになるように,皆さんで奔走したことをはっきりと覚えています。
 その文化庁のメディア芸術祭も今年で12回という回を重ねて,何と入場者数が5万人を超えました。正直言ってびっくりしました。世界中でいろいろなメディアアートの展覧会が行われていますが,5万人という数の集客があるのは,恐らくこの日本の文化庁のメディア芸術祭が多分一番大きい展覧会だと思います。
 あと,私は文化庁メディア芸術祭の中においてアート部門の審査をしているのですが,実は昨年アート部門の作品の応募数が1,000点を超えました。1,000点というのは実はこのメディア芸術祭の全体の作品応募数の約半数になります。それで,より特徴的なのが,この1,000点のうちの約4割が実は海外からの応募だったということです。約400点近くが海外から来ました。
 さて,私が最初この文化庁メディア芸術祭の審査に参加したときに実は一番奇妙に思ったことは,メディア芸術というか,メディアアートというくくりの中に,漫画やアニメやゲームが含まれていることでした。それとあと,プロとアマとか,個人とか企業とか,制作の状況が全く異なる作品を同じステージで評価するというのが非常に変わっているなというか,正直言ってよく理解できませんでした。たしか,最初に参加したときにソニーのアイボが大賞を受賞したんですけれども,アイボと個人でつくったインタラクティブな作品をどう比べてどう評価すればいいのかというのは,今だから言いますけれども,よくわからなくて非常に困りました。
 ところが,実際に展覧会を開催していって,またそれが回を重ねるうちに,だんだん自分の中ではっきりしてきたのは,これは日本の新しい表現とか芸術を同じステージに乗せて同等に評価するという,そういうことが何となく自分の中でメディア芸術祭のある意義といいますか,そういうのが生まれてきて,それ以降そのことに対して大きく疑問を持つようなことはなくなりました。それはもしかすると慣れたということかもしれませんが。
 日本の場合,文化庁の定義によると,メディア芸術とは映画,漫画,アニメーション,CGアート,ゲームや電子機器等を利用した新しい分野の芸術の総称ということになっています。この文化庁メディアアートのアート部門は,このCGアート,電子機器等を利用した新しい分野の芸術に対応しています。
 ちょっとややこしい話なんですけれども,ここで混同してならないのは,メディア芸術という呼び方とメディアアートという呼び方は,若干ニュアンスが違うということなんです。それは単純に英訳とか和訳とか,そういう問題ではありません。海外で一般的に認知されているのはメディアアートという呼び方でありまして,これは日本での言い方のメディア芸術の中の1つである,さっきちょっと言いましたCGアートや電子機器等を利用した新しい分野に対応するものです。つまりメディア芸術祭でいうとアート部門のことなんです。
 そもそも海外で認知しているメディアアートとはどういうものかというと,それは実はファインアートの1つの領域であり,ちょっと1ページに書いてあることを参考にすると,芸術表現に新しい技術的発明を利用する,もしくは新たな技術発明によって生み出される芸術とあります。つまり,CGアートとかというようなことに限らず,多種多様なテクノロジーに関する新しいいろいろは表現を含んでいるということです。そして,このメディアアートの特徴として,他のファインアートの作品に比べて非常に大きな点が,商業化とか産業化の可能性が非常に高いということなんです。それはどういうことかというと,作品がある商品やサービスになる可能性を持っているということです。
 そこで,そのような性質を持った,いわゆる海外的に認知度の高いメディアアートという呼び方をされるジャンルと,日本において特に顕著なのですが,皆さんご存じのように既に商業化とか産業化を達成している映画とか漫画とかアニメーションが1つになってメディア芸術という独特の世界を構築したと。このことは日本においては当然のことだったかもしれませんし,日本だから可能だったのかもしれないと思っています。
 この日本のメディア芸術というくくりの先見性が,実は一般的に正確に理解されないままアウトプットされたことが,今回の国立メディア芸術センターに関するさまざま聞こえてくる報道の1つの要因となったような気が僕はします。認知度が高い漫画やアニメーションとかゲームとかそういうのが先にクローズアップされて,アニメの殿堂とか国立漫画喫茶とか呼ばれてしまったと。そこには,本来はメディア芸術とか,あるいはメディアアートという言葉が入っているはずなのに,いつの間にかそれが消えてなくなってしまった。そういうふうに感じています。
 私は先ほどから言っているように,メディア芸術祭の審査や自らがメディアアートの制作にかかわっていることからも明確なのですが,当然国立メディア芸術総合センターの設立に関しては賛成ですし,非常に期待をしています。ただ,せっかくつくるならば,中途半端なものではなく,何かしらメディア芸術の象徴となり得るような施設であってほしいとも思っています。いろいろ経済的な問題があらわれたときだからこそ,何かしら実態が不明瞭なもので終わるのではなく,国民の皆さんや,あるいは世界中の方々に誇れるようなものであってほしいと思っています。
 この発表をしなければいけないということもあって,ちょっといろいろ考えたときに,1つ浮かんできたキーワードは,過去と現在と未来という言葉です。
 ここでいう過去,これは皆さんがいろいろおっしゃっているアーカイブとか,作品を収蔵するとか,そういう事柄に当てはまると思います。文化庁メディア芸術祭も当初からその受賞作品のアーカイブの問題や収蔵に関しては議論されてきました。ただ,もしかするとこれは既存の施設やサービスとの併用という方向性もあるかもしれないとも思います。
 僕は映像専門なので,例えば映像に関して言うならば,圧縮されたデータでよければ,実は今ユーチューブにアップロードするのが一番安上がりで,一番信頼性が高く,安全で,一番公共性も高いと思います。問題はいわゆる圧縮する前のマスターと呼ばれる非圧縮のデータのことで,そのデータ群をどうするかというのは,いろいろと問題があって考えなければいけないと思います。あと,例えばさまざまなデバイスとか,コンピューターを使ったインタラクティブなインスタレーションとか,そういうことのメンテナンス,そういうことは収蔵という部分に関して,アーカイブということに関しては考えなければいけないと思います。
 そして,次に浮かんだキーワードの現在,これはまさに今のことなんですけれども,私は国立メディア芸術総合センターはやっぱり生きた場というか,呼吸している場であってほしいと思っています。つまり人々が集まって学んだり遊んだりするような,そういう動いている場というか,そういうことです。単純にアーカイブがあるとか,作品が並んでいるとか,そういうことではなくて,そこで何かが行われて,事件が起こって,何かがつくられて生まれている場所と,そういうことであってほしいと思います。
 実はその場のことを考えると,私はある1つのことが思い出されます。それは私が通った,手前みそであれなんですけれども,筑波大学の大学院にあった工房のことなんです。その工房にはさまざまなその当時の最新の工作機械や,あるいは車1台入る塗装室があったりとか,プラスチック加工室なんかが整備されて,学生たちはそこに24時間,さほど規制もなく,自由に出たり入ったりしてそこでつくっていたんですね。金属彫刻をつくる学生もいれば,キネティックアートをつくる学生もいると,あるいは写真を専攻している学生もいると,あるいはフォログラフィをつくっている子もいると。そういういろいろな思考を持った学生たちが集まってうだうだする,作品をつくったりとか会話をしたりするサロン的な場だったんです。
 大学院のとき私の専攻はビデオアートだったんですけれども,私もやっぱりなぜか毎日その工房に通うと,みんなと話すというのが日課になっていました。実は私が通ったこの2年間にその工房に出入りした学生の中には,それこそ今手前にいらっしゃる石原さんがいたり,木村伊兵衛賞をとった写真家の畠山さんがいたり,岩井俊雄さんがいたり,土佐さんがいたりという,そういうメンバーがその工房にみんな集まって何かしらやっていたわけですね。今考えると,あと工房がその現在の日本メディア芸術の下地をつくったと言っても過言ではないなと僕は思います。多分漫画の世界で言えばトキワ荘というやつですか,多分それと近いような存在でした,筑波のその工房は。
 国立メディア芸術総合センターにおいて,同じような工房をつくってほしいということはないですが,やっぱりさっきからも言うように,何かしら物が生まれる場所というか,クリエートされる場であってほしいと思います。
 実はディズニーランドより楽しいのは,ディズニーの実際の制作を行っているスタジオで,またジョージ・ルーカスでいうならば,ルーカスのスカイウォーカーランチ,そういう制作をやっている間というのが実は非常に楽しく,おもしろいです。例えば,ディズニーだったりすると,白雪姫からオリジナルのアニメのセル画がだんと並んだ長い廊下があったりとか,あとスカイウォーカーランチでいくと,撮影で使ったライトサーベルが食堂のところに置いてあったりとか,そういうところは非常に興味深いし,楽しい空間ですし,またそういう場で仕事をするというのは,何かしら仕事をするほうからすると誇りを感じるといいますか,そういう場です。
 今私がいろいろ言ったことは,映画とか映像に焦点を当てた例ですけれども,それは日本が誇る漫画とかアニメとかゲームとかメディアアートとか,いわゆるメディア芸術でも日本独特のこういう場づくりというものが可能ではないかと私は思います。
 最後の浮かんだキーワードが未来のことです。ここで私が強調したいのは,実は教育のことです。それも子供たちの教育のことです。今の子供たちは生まれたときから携帯電話とかインターネットとか,そういう新しい先端技術の空間の中に生きているわけですけれども,ただ新しい技術とかそういうことがもたらす意味や価値,または害をやっぱり正確に伝えなければいけないと思います。そうしなければ,それを判断し,自分である価値感を決めていくというか,考えていくというか,そういうことが行われないと思います。
 最初に述べたように実は私は大学で教えているのですが,時々感じるのは,大学生ではもう手遅れだということなんです。もう大学に来た段階で,ある種何かしら色に染まっていて,あるいは受験勉強とかそういうことを越えてきたものですから,何か色が決まっているんですね。だから,もうちょっと若いときにテクノロジーとかそういうのを見せてくれる,力とか楽しさとかそういうのを若いときの中学校とか小学校とか,そういう年代に教えることができないかなと思っています。もし可能ならば,新しくできる国立メディア芸術総合センターにおいても,そのような学校の枠を越えた何かしら,ワークショップといいますか,そういうことが実現できるといいなと思っています。
 最後にちょっと言いたいことは,今回年末からいろいろ無駄遣いという言葉と一緒に,この国立メディア芸術総合センターのことが取り上げられてきたんですけれども,実は僕も最初は一般の人と同じように,アニメの殿堂とか,国立漫画喫茶とか,そういう言葉が先行してきて,正確に把握していなかったんですけれども,実はそれが実はメディア芸術のことなんだと知ってびっくりしたのが本当のところです。
 年末からのいろいろな不況の中,無駄遣いとかのスローガンとともにアニメの殿堂とか,国立漫画喫茶とか,そういう言葉を聞かされると,だれもがそれに対して負のイメージを持つのが当たり前だと思います。例えば,おなかを空かせている人がいると,その人に漫画を与えることというのは多分無意味なことだと思います。何かしら立場が違うところから何かと比べられて,無駄遣いだと指摘されると,それを論破する言葉を私たちは探せずに沈黙してしまいます。しかし,人はパンのみにて生きるにあらずという言葉にありますけれども,芸術的活動を行える,またそれを求めるのがやっぱり人間だと僕は考えています。年末からの不況のニュースの中,年が明けて飛び込んできたのは,皆様もご存じのようにアカデミー賞の2つの優秀なすばらしい作品と,芸術ではありませんけれども,WBCの2連覇のことだったと思うんです。あのニュースで私たちは喜んだし,感動したし,誇りに思ったし,勇気をもらったのはやっぱり事実だと思います。その芸術が社会に果たす役割は,身近でいえばそういうことだと思うんですけれども,芸術にはそういう人々の価値を与える力が僕はあると信じていますし,そういう仕事にこれからも携わっていきたいなと僕は思っています。
 以上です。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 ちょっと次に行く前に,その筑波の工房はどうなったんですか。

○原田氏

 どうなったか……

○浜野座長

 筑波の先生がいらっしゃるから。

○原田氏

 まだありますか。

○土佐委員

 まだあります。実はその筑波の工房の技官というのを2年間やっていまして,いわゆる工場長みたいな仕事だったんです。現在もあるんですが,やっぱりものをつくるという元気がなくなってきているために,フライス盤という僕がずっとガーっと使っていた機械がほこりをかぶっている状況にあって,ちょっと悲しいものがあります。

○原田氏

 ビデオアートをやろうが,いろいろレーザーとかフォログラフィをやろうが,みんなそこに行って何かつくっていたんですよね。何か不思議な場だったよね,あれはね。

○土佐委員

 そうですね,混沌でしたね。

○原田氏

 おもしろかったと思います。

○浜野座長

 では,メディア芸術総合センターができたら,彼を技官にして。

○原田氏

 いいと思います。

○浜野座長

 ありがとうございました。
 続きまして,藤木先生から提出していただいた資料に基づき,事業内容,その他の意見も含めて10分ほどご意見をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

○藤木氏

 名古屋大学の藤木と申します。今日はお呼びいただき,ありがとうございました。  私は映画や映像文化について,歴史や理論の研究をしています。今日はこの日に備えて,国際的に広がっているメーリングリストで意見を募集してきました。このメーリングリストには,日本映画や,あるいはアニメ,漫画,それからメディアアートも含めて,メディア芸術とよべるような分野に携わる国内外の研究者が数多く登録しています。約3,000人ぐらい登録していると思われます。ですから,これからお話しすることには,そこでの意見が反映されています。
 重要なことは大きく分けて2つあると考えています。1つはこのセンターをどう正当化するか,国民あるいは世界の人たちに対してどう理解を求めるかということが1つ大きな課題だと思っています。もう一つは,現実的に(117億の補正予算以外に)財政が必ずしも確保されていないという中でどうやりくりしていくか。この理想的なビジョンと現実な対策というのをどうつり合わせていくのかというのがすごく大きな問題だと思ってます。
 理想を示すということが必ずうまくいくとは限らないんですけれども,でもほかの人を説得する際に理想的なビジョン,長期的なビジョンというのは必ず必要だと思うので,まず最初にこの理想的なビジョンについて,多少無理を承知しつつお話ししたいと思います。その後で,より現実的なことについてお話しします。
 それから,本題に入る前にもう一つ,私が重視していることとして3つの観点があります。1つは研究・教育という観点です。もう一つは利用者という観点です。ここに来る前に,委員会のメンバー構成を確認させていただいたんですが,つくり手の方や業界の方が多くて,それはそれですごく重要だと思うんですが,ともすると利用者の観点が忘れられがちかなというふうに思っています。ですので,今日はその利用者の観点からしゃべるということに意義があると考えています。
 それから,第3に,これは皆さん共通だと思いますが,グローバルな視点というのが重要になると考えています。
 では,最初に理想的なビジョンについてお話しします。まずは,教育・研究に役立つことが非常に重要だと考えています。単なる商業主義だとどうしても軽蔑を受けざるを得ないところがあります。レジャーランド化されたり,あるいは「アニメの殿堂」と揶揄されるように,消費文化の延長のようになると,軽蔑につながってしまいます。今度国家のお金でセンターを立ち上げるということは,ある種アニメや漫画も含めて全てを知的な文化財,公共的な文化財として守っていこうということですよね。であれば,教育とか研究とかということと連携していかなければいけないと思っています。
 実際に文化庁の調査にもあるように,最近日本研究とか日本語を学びたいという海外の子供たちの動機の大半がアニメなんですね。アニメは単に消費文化というだけじゃなくて,日本に興味を持つ,そういう入り口にもなっているということがあります。ですから,知的文化財として保護し,そしてそれを利用者に利用してもらうこと。また,日本に興味を持ってもらい,より深く日本のことを勉強してもらって,国際的な理解とつなげていくということ。この2つの観点が重要だと考えています。
 大学では今アニメを教えるところ,漫画を教えるところが非常に増えていまして,例えばハーバードのアジア研究の図書館でも今漫画を収蔵し始めています。それぐらい教育的な価値が認められていて,アニメを教えるクラスも増えているわけです。ですから,そこのところを重視して,教育機関と連携していくということが重要かなと思います。
 それから,理論的な研究にはしばしば批判的な研究も含まれます。そうした研究には,日本の文化とか,歴史を批判的に検証するということも含まれますが,それに対して寛大に対応していくということがさらにセンターや,センターを立ち上げる側に対する敬意を獲得していくということでもあると思うんです。そこで閉鎖的になると,逆に軽蔑を生むということがあると思います。
 それから,今のことに関連しますけれども,利用者のニーズに一つ一つこたえていくということも重要だと思っています。もちろん一般受けをするような展示というのも重要ですけれども,個々の研究者というのはそれぞれニーズが違うんですね。よく私が聞くのでは,フィルムセンターの方が今日いらっしゃっていますけれども,フィルムセンターのスタッフの皆さんはいい方ばかりで,いつも親切にしていただくんですが,でも海外の研究者とかの評判を聞くと,必ずしもよくない部分があるんですね。それは個々のニーズに余りこたえていない部分があるからだというふうに私は認識しています。もちろん財政的なところで難しい面もありますけれども,利用者のニーズを聞いてフィードバックしていくという,そういうシステムを確立していくということが1つ重要かなというふうに思っています。
 グローバルな敬意に関してなんですけれども,今申し上げたように教育とか研究というところにアピールしていくということが,今まで重要な文化と必ずしも認められてこなかったアニメとか漫画とかというものをより重要なものとして位置づけていくということにつながると思っています。実際に,アジア研究学会(AAS)というのがあるんですが,そこで近年アニメや漫画についての発表がどんどん増えています。それぐらい研究者,それから教育の現場で,アニメとか漫画に関心が持たれているという現状があります。それを生かさない手はないかなというふうに思っています。
 具体的な提案なんですけれども,もし可能なら委員会に国内あるいは海外の研究者を入れてほしいと思います。現在の委員会では,純粋な理論的に研究をなさっているのは浜野先生だけではないかなと思っているんですけれども,それに加えて少し増やしていただけたらなと思っています。
 資料に挙げたMaureen Donovanさんはオハイオ大学の教授なんですけれども,かなり精力的にアニメとか漫画に関するアーカイブについて活動されている方です。これは2番目に申し上げたいことと関係するんですが,彼女も主張されているように,著作権に関するところの調整をやるようにしてほしいと思います。研究や教育目的に対して著作権に関する特別な措置をしてもらえると,教育の現場で使いやすくなるということがあります。これは短期的に見れば,企業の側から見れば損に見えるかもしれませんが,長期的に見れば,それだけ教育の現場でどんどんアニメに触れる機会を増やしていくということですから,必ずしもデメリットではないと思います。北米日本研究資料調整協議会という,著作権の管理や交渉を請け負う非営利団体の拠点がハーバードにあるんですけれども,Donovanさんもそこにかかわっています。構想されているセンターでは,そういう機関と連携して著作権の問題を調整してほしいと思っています。
 あと,保存資料として,研究者にとってはもちろん作品や作画とか,そうしたプロダクションにかかわるものがすごく重要なんですけれども,その他,企業の関連資料とか官庁,政府に関係する資料とかもさまざま利用価値があります。そうした資料に利用価値があるということは,利用者に聞かなければわからないという面もあると思うので,やっぱり利用者,特に研究者とコミュニケーションをとってその意見を取り入れていくということが重要だと思います。
 4番目に,今言ったことなのですが,研究機関,それから教育機関と連携を持っていくことが重要です。(教育現場や著作での)センターの資料の使用に対して個々にお金を課すことを考えてらっしゃるかもしれませんが,そこはむしろ無料にして,むしろ寄附金を募るとか,協力を求めるとか,あるいは年間や複数年の契約を結んで,ある程度無制限にアクセスできるようにするとかという提携の結び方をすると,財政的にも少しいいかなと思うし,国際的な評価もよくなるというふうに考えています。
 それから,5番目ですが,長期的な展望というのが非常に重要だと思っています。先ほど利用者のニーズを聞くことの重要性を申し上げました。これは民間企業の中でマーケティングの技術とか非常に発達していると思いますから,そういうのを取り入れることが非常に重要だと思います。と同時に,その一方で,やっぱりあくまで持続的な国家的予算を求めていく,あるいは地方自治体の予算を求めていくということが大切です。それは実際には,なかなか難しいとは思いますが,それでも漫画やアニメやメディアアートやそういうものだって重要な国家の文化的な財産なんだということをアピールしていく,それを訴えていくためには,お金を要求していくということが重要じゃないかなと思っています。
 ということで,こういったことは必ずしも実現可能ではないかもしれませんが,でもセンターの国際的な敬意を獲得して,そして国内の人々にも納得してもらうためには,こうした努力が必要だと考えています。
 最後に,現実的な対策を少し考えました。ニューメディアを活用するということで,財政面を少しカバーできるんじゃないかと思っています。それは年間費,あるいは数年,3年とか5年ぐらいのスパンで,インターネットを介したグローバルなメンバーシップ制度をつくりまして,ある程度お金を徴収して,そのかわりに期間内は無制限にアクセスできるというものです。そのためには資料を電子化するということに投資する必要がありますけれども,でも長期的に考えれば見返りはそんなに悪くないと思います。世界の人たちがアクセスしますし,それからやっぱりアニメ,漫画というのは国際的に非常に注目されていますから,研究者からファンのレベルまで,さまざまな人がアクセスしてくれる可能性があるというふうに考えています。
 さらに,このメンバーシップを利用して,利用者のニーズを調査するということもできると思います。大量にメンバー登録しますから,それを解析していく作業は大変だと思いますけれども,先ほど申し上げたように民間企業でマーケティングの調査というのはかなり発達していますから,そういうところから知恵をお借りして,うまく利用者のニーズを分析して,それをセンターの運営に生かしていくということができるんじゃないかなと思っています。
 そして,3番目に,先ほどもお話がありましたように,スペース,交流の場をセンター内につくっていくことが非常に重要だと考えています。プロデュサー,業界の方,クリエーター,研究者,そういう人たちがふだんかかわることは余りないですね。そういう違うセクターにいる人たちがかかわることがないというのが,今までちょっと残念な部分だったと思うんですけれども,異なる立場にいる人たちを積極的にかかわらせていく,そのための場になるんじゃないかと思っています。そして,今申し上げたメンバーシップ制度によって,メーリングリストとかそういうのをつくれば,その集会やワークショップなどを開きたいというニーズを引き出すことができると思います。それをうまく利用して,定期的にそのセンター,建物を利用してもらうというふうにすれば,箱物というふうに呼ばれなくて済むかなというふうに思っています。
 以上です。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。
 それでは,以上3人の先生方からの意見を踏まえて,意見交換を行いたいと思います。せっかくなので,浜村さんのご意見を水口さんと石原さんから何か補完するようはあれはありますか。せっかくなので順番に。では,次はメディアアートのご専門の方。

○水口委員

 基本的に話されたことは非常に意味のあることだと思います。特に前回も出ていましたけれども,アーカイブ化することに関してはかなり重要性を私個人も感じていまして,前回もお話ししましたけれども,古いものはもう20年以上たっていますので,アーケードゲームとか,本当に初期のファミコンですとか,それ以前のものとか,家庭用コンソール,それからPC系も含めていろいろあると思います。それはやっぱり1つの流れにして,ちゃんとストーリーにしてあげることは非常に重要なことかなと思います。
 それと,スタジオとかを常設するのかどうかというのは,ちょっと議論があると思うんですけれども,例えば制作フローがわかるようなそういうコーナーを全部つくるみたいなご指摘も浜村さんからいただきましたけれども,やっぱり非常に技術的に流れの速い世界ですので,そういうことに余り左右されることなく,恒久的にそういうフローとかそういうものを展示できればいいのですが,非常にそこら辺は難しさはあると思いますので,その時代その時代に合わせたような,形を変えていけるような,そういう何かコーナーがあればいいのかなと思ったりしました。
 全般的には非常に興味深いお話を聞かせていただきました。やっぱり海外の今から10年ぐらい前は,恐らく日本のゲーム産業における比率というのは大体3割ぐらいと言われておりましたけれども,アメリカ,ヨーロッパを中心に,最近では韓国,中国が非常に産業力として大きくなってきていると。ここにいろいろな意味での文化的,産業的支援が動いたのは事実でありますので,ここで日本のお家芸であるこの産業を確固たるものにするような,そういうことができたらなと,もちろん文化的にもそういう確固たるものにできたらなというふうに思いました。

○浜野座長

 では,石原さん。

○石原委員

 1つだけ自慢話をさせていただくと,昨晩ギネス認定委員会からポケモンがギネス記録をとったという報告がありまして,中身は前売り券を最もたくさん売ったアニメ映画ということでした。昨年の映画で,ポケモンは映画前売り券を238万4,000枚売りまして,それが一応ギネス記録認定となったのです。
 そういった映画でどれだけ前売り券を売ったかという話と,このメディア芸術というのは,全く関係ない対極にある場所にもあるんですけれども,僕にとっては浜村さんが示していただいた夢のある,そしてたくさんの来場者が勉強して帰れる楽しい施設ということの中に,ポケモンセンターもあるといいなとかいうふうなこともちょっと思ったりしました。
 ですので,浜村さんがまとめていただいたことは逐一最後までそのとおりだなと,こういうセンターができるといいなというふうに感じました。一方で,原田さんがご指摘されていた,やはり無駄遣いとは何かということについて僕もずっと考えていまして,これを指摘されるとあらゆるものは無駄遣いだということにもなるんですけれども,昨日,明和電機の土佐さんがおっしゃったように,やはり国営漫画喫茶という言葉と,あのセンターの構造図の絵が圧倒的にマイナスイメージを形成したと。そのことは本当にもうぬぐい去ることができないので,いっそそういうイメージは払拭して,新しい言葉を考えたほうがいいんじゃないかというふうな意見も出ていましたが,それについて僕は余り賛成できません。ただ,やはり随分やられっぱなしだなという印象もあって,むしろそういうことをうまく先導して,メディアを操作して,導いてきた人たちをもう少ししっかりととらえる方法はないのかと。
 例えば,国営漫画喫茶ほどいい言葉はないかもしれないけれども,日本の未来の文化を破壊した政治家とか,あるいは文化のジェノサイドA級政治家とか,そういう特集を今こちらに来ておられるメディアに組んでいただいたり,取材してもらったり。ファミ通に載せて効果があるかどうかはわからないんですけれども,何かメディアの方にもそういった協力をしていただいて,このイメージがどのぐらい正しく伝わるかと。あるいは間違って伝わるのなら,こういった間違った伝わり方もあるでしょうというふうにやってみるとか,そういうことをちょっと考えております。
 以上です。

○浜野座長

 ちょっと浜村さんにお聞きしたいんですけれども,ゲームがずっと継続してアーカイブされているところというのはないのでしょうか。例えば,国会図書館は納本制度というのがあって,いろいろなものを保存していますよね。映画だけは当分の間免除するということで,現在に至っています。次にお聞きしたいのは,顕彰制度です。任天堂の宮本茂さんは,アメリカでつくった「ゲームの殿堂」の第1号になったし,つい最近フランスのレジオン・ドヌール勲章を,つい最近とられました。日本は何も報いてないのですが,センターと関連して顕彰制度がつくれないかと私は願っています。

○浜村氏

 アーカイブをつくる場所というのは実は余りなくて,任天堂産がwiiのバーチャルコンソールというのをやっていらっしゃって,そこにいろいろなものが集まってきて,だんだん吸収されていると思いますけれども,例えば大きなソフトハウス,水口さんがいらしたセガさんでも恐らく昔のものというのは散逸するものが結構増えていると思うんです。ですから,本当に日々消えていっていると思います。今,バーチャルコンソールの昔のものをつくるのも,昔のものがないので見てつくったりしているというふうなものもあるぐらいですから,ぜひ早期に手をつけるべきだなというふうに思います。

○浜野座長

 国会図書館の納本制度は法律で決まっていますから,納本しないといけないけれど,例えばセンターができて,ゲーム1本ずつはつくったら納めてくださいとお願いしたら協力してくれますかね。

○浜村氏

 協力してくれると思いますよ。恐らくそれはできることだと,そんな難しいことではないと思います。勲章とかいうことだと,ゲームの会社が集まっているCESAが経済産業大臣賞みたいなのをつくったりとか,そういう形のものをやっていたりはするんですけれども,やっぱりゲームの世界の中だけのものだったりしていて,余り広く認められるものにはなっていないですね。

○浜野座長

 ほかにこの関係で,では原田さんの関連で土佐さんと中谷さんと森山さん,ぜひ。
 では,土佐さんから。

○土佐委員

 この会合に出るようになって,自分の理想のメディア芸術センターというのはどういうものかなとずっと考えていて,今日原田さんからファクトリー,工場というキーワードをいただいて,おっと思ったんです。それまでやっぱりそういうセンターがもしあると一般的に考えたら,集めるというアーカイブのものと,それを編集するというラボ,それからそれを見せるというショールームという3つに分かれて,そういうイメージがあったんですけれども,そこの中にファクトリーというイメージを今日いただいて,おっと思いました。
 メディアアートとメディア芸術では違うというお話だったんですけれども,やっぱりそれは一般の人は本当によくわからない,どんなに説明してもメディアアートとメディア芸術の違いはわからないと僕は思います。ただ,例えばからくり,からくりというと皆さん,多分庶民の方,大衆の方はわかると思うんですね。
 中心に何があるかなと僕はずっと思っていたんですけれども,やっぱり日本人とテクノロジーの関係がどうもやっぱり海外と違うなというのを,明和電機という活動で外に出て行くたびに思いまして,特にメディアアートに関していいますと,海外の方というのはメディアとかテクノロジーに対してすごく対抗意識というか,対立するものというのにすごく考えが近いんですけれども,日本人のメディアアートというのはものすごくあっけらかんと,楽しい,プレーフル,楽しいんですね。その違いがすごくあって,それはやっぱり日本人の遊び心なんだなと僕はいつも思っています。
 大好きな話で,花火が日本に伝わったのですごく世界的な芸術になっていますけれども,もとは火薬という武器だったものを,江戸時代に鎖国しているときに,火薬というもので大砲をつくることをせずに,ひたすら遊びの花火をつくって,結局開国するときに黒船が大砲を撃ったときに応戦できなかったというすごくおもしろい話があるんですけれども,その当時はよくなかったかもしれませんけれども,今考えればそういう技と遊びという2つがやっぱり日本人の特徴で,それは本当に昔から,瓜にかきたる稚児の顔の時代からずっとあるお話で,それは多分アニメも漫画もメディアアートもやっぱりずどんとど真ん中を貫いているものじゃないかなと思いました。
 なので,メディア芸術センターというか,今日はメディア芸術研究所のほうがいいんじゃないかと思ったんですけれども,そういうものができた場合には,ずどんとそういうものが中心にあって,来た,クリエーターもそうなんですけれども,一般の方もそれを見て,日本人が日本人ってこんなにおもしろいんだということをまず自覚できて,ものをつくる,クリエーションするということの勇気をもらうようなそういうセンターになれば,研究所になればいいなと思いました。

○中谷委員

 お三方の貴重なお話,大変ありがとうございます。
 原田さんのつくられたレジュメと内容に関しましては,私も非常に同感で,ほとんど同意見なんですね。今,私だけではありませんが,13日に向けて,大変13日が貴重なというか,我々がしなければいけない一番大事な仕事は,これは提案を13日までにさまざまに出すんですけれども,それを考えると本当に夜仕事をするしかないものですから,寝ずにやるような状態で,今もう10日だというふうに,あと3日しかないこの現状において,原田さんのこの提案は非常に貴重な提案となったというふうに思っています。
 原田さんにお聞きしたいんですけれども,やっぱり今土佐さんもメディアアートとメディア芸術の違いは,これは到底わからないものだというふうにおっしゃったんですけれども,こういう今大事な時期に,これはわからないで済まされない状態だと僕は思っていまして,メディアアートをちゃんと芸術として皆さんに認めていただくためには,やっぱり体系化することが芸術の意義なので,今こそメディアアートがどういうようなもので,日本の独自な場づくりをするために何がメディアアートなのかということをちゃんと表現したいというふうに思っています。
 それと同時に,メディア芸術という言葉も,今6つぐらいの柱がこのメディア芸術の中に立てられていて,それがどういうような体系化を持って成立して,これから未来へ向かっていくのかということを示していかない限り,やっぱりこのセンター構想というのは理解されないと思うんです。
 それにおいて,原田さんがいらっしゃる大学の先生方は非常にこのメディアアートに関してキーパーソンが私は各分野にいらっしゃると思っているので,ある意味体系化されているんじゃないかと思うんですが,その辺のところをちょっとご意見をいただきたい。

○原田氏

 大学ではおっしゃるとおり,ある程度結構学生が,今4年合わせると240名ぐらいいるんですけれども,その240名という数は多摩美の中でもかなり大きな学科になっているんですけれども,結局何をやっているのあそこというのは毎年言われて,それはさすがに僕たちも,そろそろちゃんと説明しないとまずいなということはおっしゃったとおり感じていて,ずるいんですけれども,それこそ今メディア芸術というそういうくくりといいますか,そういうことと,うちのところはトップの人たちがいろいろいて,そういうところをちゃんと歩調を合わせてきちっと語っていかなければいけないなというのは,まさに今そういう作業をやらないとまずいと大学の中で言われています。

○中谷委員

 一緒に歩んでいっているわけですね。

○原田氏

 そうですね。それを本当に体系的にきちっとメディアアートというか,そういうことをやる,実際に例えば文化庁メディア芸術祭でアートコースのコーナーに来ると,みんな非常に楽しいというか,喜んで帰りますよね。多分メディア芸術祭の中ではアートコースの部分のあの展示が一番みんなが楽しんで帰るから,ああいう実際に見るとおもしろい,そういうことをうまく言葉とかやらなければいけないなとは本当に思います。
 僕たちはやっぱり非常に難しい言葉を使っちゃうわけですよ。メディア何とか,デバイス何とかといって,それが意外と通じないというのが最近本当にみんなわかっていて,反省しています,おっしゃるとおり。

○中谷委員

 あともう1点,日本メディアアートには芸術系の方がメインの場と,それから工学系のバーチャルリアリティなどを研究していらっしゃる,そういう幾つかのステージがあると思うんですけれども,その関係というのはどういうふうにとらえていらっしゃいますか。

○原田氏

 それはまさに僕の大学でも,漫画をかいている子の隣で,ハンダごてでデバイスをつくっている子がいて,混沌としているんですけれども,何となく子供たちはお互いを認め合っていて,お互いのおもしろさを議論しているし,はっきり分けて,今実際の大学ではラボごとにそういうような志向性を持ったラボで分かれていますけれども,それが混沌としているところをよしと今はしています。

○中谷委員

 わかりました。13日に向けて,提案のために頑張っていきたいと思います。

○原田氏

 そうですか,頑張ってください。

○中谷委員

 また電話をかけるかもしれません。

○原田氏

 電話ください。

○森山委員

 私もお聞きしていて,メディアアートとメディア芸術という言葉のカテゴリーだとか,それから戦後から現在に至るまで,もしくは戦前にさかのぼるメディアアートの長い歴史があって,系譜があるわけですけれども,その体系化というのが非常にうまいこと,例えば現代美術の領域だと椹木野衣さんとか,村上隆さんがスーパーフラットとか,いろいろなアニメとか美少女とかというキーワードまで使って落とし込んできた,きちんと体系化してきたものありますが,メディア芸術にとっては今がチャンスで,やっとここで拠点ができることによって,学問としても成立するし,産業としても成立するし,拠点としても成立するというようなチャンスに来ているというふうに思います。
 私も先ほどお話が出たトキワ荘的な1985年前後の筑波大学の工房には出入りしていたんですけれども,皆さんのようにアーティストとしてそこに学んでいた人たちだけではなく,書道のコースだとか,私のような美術史のコースの学生たちも,半ば強制的にすべての実技のハンダづけから,溶接から,日本画を描く,鳥獣戯画を模写することから,あとは80年代前半は非常に早かったと思うんですけれども,フォートランというコンピュータ言語を必修で,しかもコンピュータグラフィックスの日本における先駆者の方々に教わって絵をかかなければいけないという,そういう中に強制的に投げ込まれ,非常に混沌とした中で,本当におもしろいシナプスファイアを体験することができました。
 今度のメディア芸術センターは,やっと機が熟して,今まで何度も挫折してきたかもしれない,成立してこなかった,すんでのところで成り立たなかったかもしれないセンターが,日本の表現力の象徴として,拠点として成立する機会です。やっぱり教育の問題というふうにとらえてもらえれば,先ほどの敬意を獲得するということではないですけれども,途端に皆さんもひとりよがりな表現の問題ではなくて,自分の問題,自分たちの子供たちの将来の問題というふうにとらえてくれるというところがあると思います。そこにメディアアートだけではなく,漫画もアニメーションもゲームもメディア芸術という非常に独自性のあるカテゴリーでもって,渾然一体となってともにあるという施設にするべきです。
 規模が大きくても,小さくても,諸外国に成り立っているこの領域の施設は複合文化施設です。研究機関もあれば,産業の機関もあり,展示の施設もあるというふうに,規模の大小はあれど必ずそのように成立していますし,ましてや日本においてはテクノロジーへのかかわり方がほかの外国とは違う特殊な表現力を持ち得る国ですので,なおさらそのような成立の仕方をする施設を持つべきだと思います。
 私たちはつくばにおいて,1985年の筑波科学万博というエポックを体験しています。大阪万博と同じように人間とテクノロジーについて,そしてメディア芸術について,日本が世界に発信できるエポックとしてのそういうものをせっかく体験していますので,それを恒久的な拠点として成立させるチャンスとしてそのために具体的な提案を,それこそ13日までに,提案を力いっぱい書こうと思っております。
 先ほど中谷さんからアートのアプローチからだけではなく,工学的なアプローチという話がありましたけれども,私も美術館で企画をしたり,作品を集めたり,ワークショップをやったりというだけではなくて,東京大学とか早稲田大学とか,大学院のほうですけれども,主に工学系のところにメディアアートを教えに行くチャンスに恵まれております。それはやはりアートからだけのアプローチではなく,工学系からのアプローチも非常に重要で,なおかつ日本が世界に誇れるもの,ものがもう1つ,「テクノロジー」としてありまして,メディアアートを支える基盤的技術とか,あとは重畳的な,いろいろなマルチモーダルな多層構造になっている視覚的な,五感を使うような手法で展示をする,表現をする,考えを外在化するというような研究は大変進んでおりますし,そこに投入される予算も非常に重要なことに,文化系の予算よりも大きいというふうに思っております。その成果を見せる場がこういう拠点であり,その成果をトキワ荘的な混沌の中で新しい世代が見ると。そういう,スケーラブルで,モジュールがいろいろ形を変えていろいろなところに偏在するような施設を成立させるということに努力を惜しむべきではないと思います。
 2002年に小中高でメディア芸術が美術の時間に必修になった際に,東京都写真美術館の映像部門の私たちのところに小学校の先生たちがどんどん電話をかけてこられて,見せる場所がないと,子供たちに体験させたいんだけれども,見せる場所がないと,学校にコンピューターがなかったり,見せにいく美術館がないとおっしゃっていたんです。だけど,そういうことは本当は必要ないと。手の中で映像,メディアが生まれていく瞬間,音としてもいろいろな形で作品が生まれていく瞬間を体験させる出前授業とか,日本アニメーション協会の皆さんに協力してもらって驚き盤をつくりに行くとか,つくりに来てもらうとか,明和電機の土佐さんみたいな方々にお願いして電子工作のワークショップをやったり,すでにそういうことからもスタートしてきていますので,さらにそれを一般化したいと思います。最初に学問として成り立たせると同時に,社会へ共有する方法として教育の機能を付加する,それを忘れず進めるべきであると思っています。
 以上です。

○浜野座長

 それでは,安藤先生。

○安藤委員

 とてもおもしろいご意見をいろいろいただいて,ありがとうございました。  僕が今感じるのは,まず若干皆さんはメディアという形の中で,漫画,アニメあるいはゲームということに集中してお話しになられておられるんですが,今土佐さんから技と遊びと,すごくいい表現だなと思ったんですが,さっき原田さんがおっしゃったようにメディア芸術という形はもともと科学技術の発達の中で生まれてきている。そうすると,科学技術というのはいろいろと進化していくものだから,メディアというものはいろいろと進化していく。そういうとらえ方をしていかないといけないかなという気がしていまして,そうすると大もとにあるのは当然科学と芸術みたいな,今技と遊びというふうに土佐さんはおっしゃった,そういうようなものが両輪として動いていくようなものと思います。
 そうすると,根本にまず考えつくのは映画ですね。アカデミー・オブ・アート・アンド・サイエンスという,つまりアカデミー賞の名前になっているアート・アンド・サイエンスというものが,つまり科学と芸術が一緒になったときに映画が生まれて,もちろん漫画というのは先日松本零士さんが,もっと前に鳥獣戯画みたいなものがあったと仰ってましたけれども,だから今科学と芸術,技と遊びというところが,ある種どこかで結びつく形で,漫画や映画,アニメなどがきっとあるんだろうなという気がします。
 だから,そういう感じのものとして考えた場合,つまりさっき原田さんが過去,現在,未来という分け方をされましたけれども,その未来というところは不安定なんですよね。技術がどのように進化するか未知数だから。だから,原田さんが体系化はと言ったとき,いつも最後は何となくというそういう形でと仰った。その気持ちが僕にもとてもよくわかるんです。つまり,歴史的な体系化とか現在存在する部分での体系化ということは重要なことです。だから,そこの部分というのはアーカイブだとかそういう形の中できっちりすべきだけれども,原田さんのおっしゃっているサロン的,生きた場,遊ぶ場所,呼吸している場所みたいな自由で未知数な部分のところが,未来的に,ある種新しい芸術を生み出していく,表現を生み出していく,あるいはクリエーターを生み出していく場。
 だから,僕も大学で教えていますけれども,体系化という言葉は,やっぱり僕ら言ってみれば大学の教育機関にいる人たちのある意味での悪い部分というふうに僕は考えます。つまり,いつもそこは反省しなければいけないところがある。
 藤木先生には申しわけないんですが,この教育・研究というのは僕らにとっては1つの大きな命題なんだけれども,その中で,ある種の体系化みたいな数値的論理的に決めることというのは,アーカイブとか現在のワークみたいなところでは確実に重要なことだけれども,未来みたいな創造だとか発信だとかいうところに関して言えば,もっと開放しなければいけない。自由でなければいけない。さっき原田先生が子供たちのためにというのをおっしゃっていた,ここの部分で考えたときに,そのときにもちろんある部分の過去に関しての体系化は必要,数値化は必要,そういうものはあるんだけれども,もっと僕らなんかの,こんな年とった者がわからないフィーリングを自由に大切に,だから原田さんが子供のときにやらなければだめなんだ,大学では遅いんだ,と仰る。僕も同感です。そういうフィーリングをこのメディアのところに持ち込んでくれば,素晴らしいものが生まれる。
このメディアという言葉が,おなじメディアと呼ばれるテレビや新聞に錯乱されているという感じが非常におかしい,矛盾している形があるんだけれども,ここが新しい形態としてのメディアの宿命なんでしょうね。
 だから,さっき藤木先生のところで,一般の方々をどう説得していくかという話がありましたが,逆説的に言えば,一般の方々への説得,僕は説得は要らないような気がした。さっき土佐さんが花火とおっしゃったけど,花火なんて無駄なものですよね。パンと比べられたけれども,パンと花火といったら普通だったらパンでしょう。今日か昨日のニュースでやっていましたが,須賀川だったか,花火大会がどんどんなくなってしまっているとか。不況で。日本のある種の表現文化としての花火が危ないということでメディアの方がおっしゃっていた。そこですよ,メディアの方。ぜひ。そのことをニュースで言っておきながら,なぜこれを単純な漫画喫茶だと揶揄してつぶそうと思うか。つまり花火というものとパンと比べちゃいけないんですよ。やっぱり武士は食わねどみたいなことを原田さんはおっしゃったけれども,ボーンと上がって,もしかしたら何十万円かもしれないものが1発でボーンと消えていく粋さ加減というのを,日本人は文化として持っていたわけ。そこを消していいんですかという部分。花火も,ある種のメディア芸術なんですよ。
 つまり無駄というものが,無駄遣いという言葉で原田さんはおっしゃったけど,これがいかにある種の文化にとって大切か,すべてが無駄遣いだと僕も思う。それを大切にしないと,やっぱりこういうものは絶対になくなってしまう。花火はなくなるは,夜の風景はなくなるは,浴衣でどうこうすることはなくなるは,要するに日本人がなくなってしまうというふうに僕は感じます。今,原田さんのこのご意見は見事だと思ったんだけれども,そういうふうに感じました。

○浜野座長

 原田さんの書かれたものに共感するのは,今決めてしまってはいけないことが多いということです。メディア芸術祭を開始したときのゲームと今のゲームの水準は違っていて,100年後のゲームはどうなっているかわからないのに,すべてを決めてしまって未来の人に託す部分を残さないというのはおかしい。現在こうだからということだけで決めるのは。
 メディア芸術祭を始めるときに「メディア芸術」という名称について批判が多く出ました。原田さんも含め審査員からも,どういう分野を含めるかということで,議論が噴出しました。何で漫画を入れるんだとか,何でゲームを入れるんだとか,いろいろ意見は出ましたが,その段階ですべてを決めてしまうのは危険で,わからないことでも可能性はあるし,可能性を排除するよりは,ジャンルの名称があわなければ名前を変えればいいじゃないかいうことで開始しました。そのことが今の問題の元凶にもなっているのかもしれません。

○安藤委員

 あともう一つ加えて言いたいのは,皆さんにベースに映画というものがいかに大事かということも含めて考えていただきたい。いつも何かそういう形の論議になって,メディアというと漫画だ,アニメだ,ゲームだ。今日本として一番活力を生んで,民営的にも非常に力があると。ところが,昔のものは散逸するからとおっしゃるけれども,それが25年とか30年とか,映画はもう100年なので,相当散逸しているんですよね。だから,そういう意味では,僕は声を大にして申し上げたいけれども,このメディアのこれとともにですが,やっぱりフィルムセンターみたいなものがきっちりと独立して,その前提条件としてはちゃんと人間とお金をそこに入れて,映画というものをきっちりしながらこれと連携させていくと,新しい表現が絶対生まれる。新しいテクノロジーがすでに身についた子供たちが来るようにすれば,そこに絶対新しい,しかもそこにはちゃんと日本人というものが存在する,つまり映画の物語構造の中には恐らくかなりの日本人の心が入っていると思うわけですが,そういった新しいものが生まれる。花火と一緒だと思うわけですよ。そういうものをきっちりと融合させた中でやれば,恐らくそれは言ってみれば精神的なパンになり得ると思います。

○安藤委員

 いや,もうぜひそうなんですが,そこには国のサポートがなければ。つまり独立させますよ,でも人数とお金は今のままというのではだめです。独立するということはどういうことかというと,より大きな仕事をより広く,より有機的なことができる礎にならなければいけないということなんだけれども,それが人数がどうなるのかとか,お金がどうなるのかということのバックボーンがないと,恐らく逆につぶれてしまう可能性がある。もっと仕事をしなさい,だけどお金はありません,人数はこれですということが一番最悪だと思っています。

○浜野座長

 了解いたしました。  里中先生。

○里中委員

 今日は本当にすばらしいご意見をありがとうございます。先ほどから13日,13日と言っていますけれども,一般公募もしておりますので,じゃんじゃん,みんなでどんどんいろいろな意見を入れていったらいいと思うんです。つまりこれだけの意見が集まったという,数も説得力のうちですので,すごく大事なことだと思うんですよ。
 今いろいろ世間から誤解を受けているのは,最初に出た言葉がすごくわかりやす過ぎるマイナーイメージ。意図的だとは思いますが,そういう言葉が出てしまって,打ち消すのが大変なんですよ。打ち消すよりも,もっとそれを上回る怒濤のようなプラスイメージで押しのけていかないといけないと思います。
 私も原田さんと同じように,一番最初聞いたときに,こういうメディア芸術と結びついているというイメージがなくて,漫画家ですから漫画のことはよくわかりますので,国立漫画喫茶なんか絶対に要らないんですよね,国立漫画図書館も絶対に要らないんですよ。何でこんなものつくるんだと思っちゃいました。その誤解は1日で解けたんですが,これだけ人に誤解を与えるような,慌てて発表しなければいけなかったという,つまり予算がついたら何か書類を提出しなければいけない,通す前にという,そういう習慣だったと思うんですね,察するところ,憶測ですけれども。そこを突かれて,また各マスコミが非常にわかりやすい,子供の正義のような言い方で,117億というお金が本当に大金なのかどうか,ちょっとまたいろいろ意見はあると思うんですけれども,無駄遣いという言葉で一掃しようとしているという大変悲しい,子供っぽい展開になっていると思うんです。でも,誤解を招かないように準備万端整えてというのが知恵なんでしょうが,ちょっとそれが残念だったなと思います。
 ただ,私自身も後からいかに大変かというのは,あれ以降可能な限りありとあらゆる,ふだんだったら断るような小さい取材も全部このことに関しては受けて,一生懸命説明するんです。メディアアートとは何か,世間の人は何もご存じなくて,漫画とアニメばかり注目して誤解しているけれども,漫画とアニメのことについてばかり言うと,ここに含まれているほかの分野に対して失礼だと思うんですよ。メディアアートを説明するために,テレビ局なんかもわからないから説明してほしいと言うから,説明よりも画像を見ていただくのが一番いいだろうと。CG-ARTS協会にお願いして,メディア芸術祭の立体の体験型の触って始めて動くという,これはもう一目見ていただければわかるんだからと,そういう映像提供しても,それはちっとも使っていただけないんです。
 本当に悲しいのは,世間は聞きたいことしか聞こうとしない,マスコミは世間が聞いてくれそうなことしか言ってくれないという,ちょっとここのところ,この1週間,10日,ひがみ根性の中で生きていますので,そんな感じでいるんですよ。
 ですから,本当はマスコミというのはそれはどういうことなのか,一生懸命聞いてくださるメディアもあるんですね。ですから,ちらほらと,どうも漫画喫茶でもないし,アニメの殿堂でもないようだと言ってくださるところもあるし,そう発表してくださるところもあるんです。ですから,最初ひどいイメージであればあるほど,何か本当は違うらしいよというと,反動でかえってプラスイメージになるかなとはかない期待をしているんですが,この13日というのは非常に緊迫した,本当締め切り,私たちはみんなほかの仕事の締め切りをさしおいてでも一生懸命に何とかしなければと思っています。
 ここで先ほどちらっとお話に出ました,何でこのメディア芸術で漫画とかアニメとか,どこがつながるんだというんですけれども,漫画家として一生懸命漫画について考えてきた身としましては,日本の漫画がどうして世界にこれだけ浸透したかというキーワードとして,一々こんなことだれも発表しないので気がついてもらっていないかもしれないんですけれども,私が思うところ,日本人は二次元の漫画という画面表現の中に,時間経過の概念を構図,コマ割りであらわそうとしたんです。これがものすごい最大のポイントで,この表現の原点というのは鳥獣戯画からもう既にあるわけなんです。絵巻物の中にある時間経過の概念というのは,日本人は難なく自分のものにして,発想して表現してきたわけです。それがあるから漫画もこれだけ発展したし,アニメにおけるデフォルメ能力も,発達したと思います。
 一昔,二昔前のアメリカ製の,動きがなめらかであれば高級なアニメであると。つまり人間の体で実写をとっておいて,それをコマ起こししてアニメにするからなめらかに動く,それに比べて日本の漫画は予算がない中工夫してやるものですから,コマが非常に少なくて,動きがぎくしゃくしている。動きがぎくしゃくしているところからスタートするので,思い切った,つまり現実にこの世にいないような骨組みの生き物たちもデフォルメしてデザインすることができるわけです。
 そういうことがゲームキャラクターの創造につながっていると思いますし,世界中がかわいいという概念。これは昔はアメリカのお人形さんがかわいいと言われて,アメリカ人に言わせると,日本の漫画のキャラクターとかアニメのキャラクターは気持ち悪いと言われてきたんですよね。それが今や,ポケモンのキャラクターをかわいいと言う,あの日本人的発想によるキャラクターづくり,あの顔のつくり,顔のバランス,顔と体のバランス,それをついにアングロサクソンはかわいいと言ったわけですよ。これはすばらしいことなんです。
 ところが,うかうかしていますと,例えば花火に関しましても,世界でわかっている方はわかっている,日本の花火が世界一。だから,サウジの大金持ちなんかは誕生祝いに日本の花火師を呼んで,日本の花火を砂漠でやるわけですよ。世界のおもだった大会,オリンピックとかでも,すばらしい花火は日本製なんですよ。ところが,マスコミはそういうことは余り言ってくれないんですね。そして,花火の歴史は中国から始まったと,これで終わっちゃうわけですよ。
 そして,今,ゲームにしても漫画にしてもアニメにしても,中国や韓国がどんどんセンターをつくっています。彼らはアジア的テイストのアニメとか漫画の発祥の地はここであるという,すりかえるなどというと,ちょっと悪意に満ち満ちた受けとめ方かもしれませんが,そういうことも可能なように準備を整えているわけです。
 だから,ゲームにしましても,ゲームキャラクターの魅力というのは漫画的発想から来ていると思いますし,すべてつながっているわけなんですが,日本人のいいところというのは境界線とつくらないことだと思います。そういう日本人らしい特性がこの分野で十分生きてきた,これをぜひ国として検証しないことのほうがおかしいと。検証して,それによって若い人たちの想像力を喚起して刺激を与えて,せっかくの文化資産を経済効果につなげるという,ここで行くしかないと思います。
 このセンターの構想が,民主党は政権をとった暁にはこの計画は凍結すると,無駄遣いをなくすんだと。言わせてもらえば,たかだか117億円をつぶすことを,ものすごくすばらしい,大改革のようにおっしゃっているわけですけれども,こんなことを言うと後々たたかれるかもしれないんですけれども,ぜひその考えが非常に単純過ぎるということに気がついていただけるように,もし本当に凍結なさったときには,じゃこの分野はどうしてくれるのかという代案を示していただけるような,それぐらいの強い力で怒濤のように攻めていかざるを得ないと思います。ですから,一般の方からの意見受け付けは17日まででしたか。

○清水芸術文化課長

 同じ13日です。

○里中委員

 13日ですか。ですから,ぜひいろいろと批判なさっていたマスコミの方からも意見をいただければうれしいなと思います。
 ですから,さっき言いましたように,メディア芸術という言い方が非常にわからないんですが,メディアアートについては本当に見ていただければわかると。そのメディアという横断的な概念によって漫画的発想,それこそ鳥獣戯画が何で漫画のルーツだと言われるのか,私は漫画家でありながら長い間わからなかったんですが,やっぱり絵巻物とデフォルメされた動き,キャラクターというところが出発点だなと,長い間かかわればかかわるほどわかってきます。それと時間の流れの概念を絵であらわす,平面であらわす,そこからいろいろ発展してきたんだなということは自信を持って言いたいと思います。
 人はパンのみにて生きるにあらずなんですが,人は確かにパンがなくては生きていけません。そんなことを言うと,米があればいいじゃないかという,しゃれみたいな話になるんですけれども,長い間漫画にかかわってきて私がやっている仕事は,世の中にとって必要なのかどうなのか随分悩みました。漫画なんかなくても人は生きていけるんです。だけど,人が生きてきた実感を味わうというのは感動なんです。生きていてよかった,命が大切だ,人の心とは何だろうということを本当に実感するときは感動したときなんです。音楽でも,絵画でも映画でもダンスでも何でもそうなんですけれども,感動なくして人は生命の根元にたどりつくことはできないと確信しております。ですから,パン以外のもので人は生きているんですね,結局は。そのパンも栄養価だけを考えると,総合栄養食でいいと思うんですけれども,おいしいというのはやっぱり感動なんですよ。だから,お料理は芸術と結びつくんだと思っています。
 何だか意見表明みたいになってしまいましたけれども,本日のお三方のこの提案というのは,この13日締め切りの非常に力強いバックアップになると思います。ありがとうございます。と同時に,つぶされるかもしれないので,記録に残る場で言いたいことは言っておこうという,そういうふうに思っております。失礼いたしました。

○浜野座長

 里中先生の意見を引き継いで言うと,原田さんがおっしゃった言葉の問題というのは,実は漫画のところが緊急を要する状態にあります。マスコミはフランスに漫画博物館ができたと報道していますが,あれは漫画博物館ではない,バンド・デシネ・ミュージアムです。バンド・デシネと漫画は表現形式が全く違う。だから,フランスではマンガはバンド・デシネのサブカテゴリーということになってしまいます。手塚先生のコーナーもありますが,バンド・デシネ・ミュージアムの中に漫画があるわけですよ。
 韓国に漫画ミュージアムがあると言って報道するけれども,あれはコミックミュージアムです。コミックの中に漫画を入れようとしているわけで,サブ部門として。でも,先生おっしゃっているように,ストーリー漫画というのは日本の手塚先生とかが一緒につくり上げた形式で,世界のデファクトになった。だから,漫画とバンド・デシネとコミックと全く違う,ビジュアルノベルも全く違い,今覇権争いになっているわけです。「漫画」という言葉を我々はどうするのかという段階に至っています。緊急かつ重要な問題です。各国には戦略をもって臨んでします。
 韓国にも専門施設があり,6月20日にはアングレームにもミュージアムができました。じゃ,何で日本にないのということです。

○里中委員

 今の浜野先生のにつけ加えさせていただきますと,漫画という言葉で日本の漫画のスタイルと一時期世界中に広まったわけです。だから,ヨーロッパでも,漫画と書いてあると日本式の漫画のスタイルだということが浸透したので,フランスとしてはバンド・デシネの復権,漫画に駆逐されたくないという。
 それと,アジアにおきましては,日本においてこれだけ漫画のスタイルが発展して,漫画が総合芸術にまでなったんだから,敬意を表して漫画と言おうと,今から15年ぐらい前には中国も韓国も周りの国々もみんな漫画という言葉で統一して,これがヨーロッパ文明に対する対抗意識みたいなので使おうとしたんですよ。ごく近年までそうなっていました。ところが,ここのところ各国が国を挙げて自国の漫画を後押しして,お金をかけて,欧米に対しての売り込み攻勢をかけているわけです。そうなりますと,漫画という言葉を使うと,これはイコール日本のものだということで,中国は今意図的にマンファという言い方をしています。だけど,マンファと言うと実は中国における連環画という挿絵のようなそういう漫画なんですが,がしかし,中国としてはアジアの漫画の拠点になろうとして,マンファという言葉で表現し直しています。だから,韓国がマンファと言うと中国寄りになるし,漫画と言うと日本のになるから,コミックという言い方をすると。国策もあって,後押しされて,つまり世界の中のこういうストーリー漫画の中心地たらんとんして,一生懸命お金をかけて頑張っていると,そういう背景がありますので,どうかよろしくお願いします。日本だけです,本当にないのは。

○浜野座長

 布川さん,いかがですか。

○布川委員

 本当に今日お三方のお話をずっと聞いていて,わくわくしていました。しかし,このわくわく感というものを打ち消されるというのもある訳で,非常にじくじたるものがあります。先程,里中先生からもお話が出ましたが,私はアニメプロダクション,ぴえろという会社を経営しておりますが,日本のアニメーションのルーツのような部分です。先ほど漫画という言葉が,日本の浸透だということで浸透されているように,アニメという言葉も日本のアニメーションという意味で浸透されているようで,アメリカではカートゥーンですとか,アニメという言葉を使いませんよね。アニメという言葉は,もはや日本のアニメーションということで世界的に広まっているという部分があります。
 日本のアニメプロダクションのルーツを探ると,横山隆一先生の辺から語り始めれば,おとぎプロですねご自身も漫画家でしたが,その後に商業的なプロダクションとしては東映動画ができました。現在は東映アニメーションという社名に変わりましたが,手塚治先生が当時,まだ虫プロをつくる前に,劇場映画「西遊記」を制作するために東映動画に監督として入られました。先生の目的は「西遊記」をつくるのも1つの目的でしたが,虫プロをつくるために,スタッフをヘッドハンティングするのも目的だったそうです。当時,やっぱり東映動画しかありませんでしたからね。あの当時,今はございませんが,スタジオゼロという会社もあり,その当時は石ノ森章太郎先生,赤塚不二夫先生や藤子不二雄先生といった漫画家の方々がやはりアニメプロダクションをつくりました。このように,日本の漫画と日本のアニメーションというのは,ある面からすれば,非常にイコールな関係にありました。
 その後,今日のゲームの世界まで及んでいくわけですが,先ほど石原さんのほうからポケモンがギネスブックに載ったというお話を聞きました。当社も「NARUTO」という作品を今制作していますが,今年の夏も劇場映画を上映する予定です。いつも打倒ポケモンだと言っていますが,ギネスブックに載られてしまったという部分でいえば,同じプロダクション,作品創りをしている立場としては悔しいものがあります。とはいえ,こういう形でやはりお互いが競い合って今日まで来たとも思っております。しかし,我々の業界の歴史を知る場は本当にないと思います。 先ほどいろいろな国のお話も出ましたが,私も幾つかの国のミュージアムを見てまいりました。本当にこういうものが日本にあったらなという羨ましさも含めて見てきたこともあります。
 また,昨年上海でテレビ祭というのがあり,アニメーション部門で審査員を引き受けました。約1週間ホテルに缶詰にされ,アニメーションの審査員も初めての経験でしたが,私自身この仕事をやってきて,あれだけの数のアニメーションを見たのは初めてであり,まだ,相当な数の中国のアニメーションを見ました。
 すべてではないですが,やはりほとんどがジャパンスタイルですね。本当に日本のキャラクター,日本のストーリーを含め,一つ一つの表現の仕方を懸命によく研究していました。言葉一つ一つはよく理解できませんでしたが,大体1本作品を見ると,ああこれはあのアニメのパクリだなとか,この作品は数年前のあの作品のパクリだなといったようなことも随分感じました。また,いろいろな中国のアニメ関係者,政府の方々が非常に熱心に我々の話に耳をそばだてて聞いているとも感じました。
 中国の場合,国が制作費を援助しているたけに,意気込みが違うと感じる半面,国に企画を出して作品をつくるためそれで果たしておもしろい作品が集まるのかという疑問も感じました。こういう事が必ずしも良いとは言えない部分もありますが,制作する作品に国としてどう補助していくのかというのは難問ですが,業界にとっては大変大事な事でもあります。 先程の3人の先生からのお話を聞いてわくわく感があり,私も経営者でやっていましたから,どういうものをつくったほうがいいのかなという,すごく具体的なことをずっと考えていました。しかし,これはまた難しいですね。国がやるわけですから,やはり民間にはまねできない独自なものをやはりつくっていくというのは,相当頭を絞らなければできないだろうし,我々にとってみれば,これはものすごく楽しいことではないかなとも思います。本当にそういう面では千載一遇ではないけれども,こういう機会を与えられていることに,ようやく我々の業界もそういったスタート地点に立てたのかなということだけでも,国民には本当にわかってもらいたいなと思います。
 アニメプロダクションのひがみ根性かもしれませんが,アニメプロダクションというのは,弊社も三鷹にありますが,大体西地区にあるんです。西というのは大体太陽が沈むところにありまして,大体日の照る東地区には,テレビ局だとか代理店だとか,メディアの基盤があります。しかし我々のようなものをつくる側はほとんど西側にあります。もうそろそろサンセットではなく,サンライズになろうよというところで言えば,ようやく我々の業界にも日が昇り始めたかなと思います。これからこういった仕事にあこがれる青少年のためにも,ぜひ実現してもらいたいなと思いますし,その方向で皆さん頑張りましょう。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。余談ですけれども,ハリウッドを突っ切っている道もサンセットブルーバードといいます。そういう題名の映画もあります。縁起がいいのではないでしょうか,実は。

○布川委員

 もちろん良い所も沢山あります。自然も豊かですし。

○浜野座長

 林さん,いかがでしょうか。

○林委員

 検討会から加えると,会合ももう今日で7回目ぐらいになって,今までは実現に向けていろいろな意見を意欲的に言って来ましたが,ちょっと今日は疲労感を感じています。というのは前回会合があったのはおととい,その後民主党のマニフェストが発表されて,民主党政権としてはこれを廃止の一番手に公約したわけです。ということは,結局民主党政権にもし代わってしまったら,何のことはないこの話はポシャって,一生懸命こうやって本当に皆さんがいい意見を言ってくださっても,政権がかわるとポシャって,ポシャるとまた10年,20年という単位で実現しないみたいな日本の状況というものについて,本当のところどうすればいいんだろうかなという壁にぶつかりました。
 今日も本当にいい意見をお聞きしたんですが,結局ここにいらっしゃる方は,委員の方もそれからおいでいただいているゲストの方も賛成派の方なわけですよね。だから,できるといい,あるいは欲しい,必要だ,つくるのならこんなものをつくりたいということについては,議論はどんどん進んでいるし,それ自体は一方でやっておくべきだと思うんですが,ただもう一方で,これは我々の役割じゃないかもしれませんが,本当に実現化するためにはどうすればいいか,つまり設立を準備する委員会というよりも,実現化させるにはどうすればいいかということを考えていかないと,今国民の世論も誤解も含めて批判的だし,それから民主党は政権をとったらやめると言っているし,何がよりどころになっているのかみたいなことが非常に見えづらい。
 ここまで文化庁が一生懸命やられて来たわけですが,少し前向きに話すとすれば,日本は,この後21世紀は当面高い経済成長は望めないわけですから,早く文化国家として文化庁が文化省になり,文化大臣ができ文化力でもって世界のポジションをとっていく,さらに産業的に言えば,いわゆる従来の自動車とかそういうものだけではない,エンタテインメント産業とか,コンテンツ産業とか,国際観光産業を伸ばしていかない限り,この国の先はないというぐらいに思っており,今回の話は本当に実現させなければいけないと思うんです。
 とにかくどう実現させるかという視点でいいますと,端的にちょっと幾つかのポイントを申し上げますと,1つはこれは緊急経済対策の補正予算で出ているわけですから,緊急経済対策というのは要するに経済振興効果がどれだけ期待できるのかみんな必要だということはあっても,なぜ今なのかということのロジックをちゃんとつくらなければなりません。早くやらないと,松本零士先生がおっしゃっていたように,今だったらまだ資料とかいろいろなものがあるけれども,時間がたつに従ってなくなっていくんだという意見に象徴されているように,緊急対策の中でなぜ今やるのかということのロジックをもうちょっとちゃんと伝えていかなければいけないんじゃないかと思います。
 それから,批判の中にも出てきていますが,なぜ箱だけなのかという,これも決して箱だけではなくて,先日高塩次長のお話にもあったように,国としては継続的かつ連続的な運営費もメディア芸術振興という予算の中で考えていかれるということではありますが,それも別に保障されている話ではないわけです。ですから,基本構想にあるように,収入が1億5,000万円ということは,おそらくこういったものがつくられていったときには,多分年間10億円ぐらいの運営経費はかかります。それは,例えばフィルムセンターを見ていても,あれだけのすごい仕事を10名程度のスタッフの方と年間約10億円ぐらいの予算でおやりになっているわけで,このメディア芸術センターというのは映画だけじゃなくて他のものも入ってくるわけです。そうやって考えても,保存収集から展示から調査研究から人材育成からと,いろいろやりたいことがあるわけで,それを実現させるための経費というのはやっぱり最低でも10億円は見なければいけない。つまり,残りの8億5,000万円というのは本当に国が保障してくれるのか,ほかに民間委託で物販とか貸館とかそういったもので上がってくる収益があるとしてもそれは知れているだろうと思うんです。申し上げたいのは,そういう意味で,なぜ箱だけなのかということについての議論もちゃんとしておかなければいけません。
 今は補正予算の話でしたが,2つ目は,これも国民の合意形成のためには,もう一回目的というものをはっきりさせていくべきです。私は基本構想をもう一回読み直してみたんですけれども,役割・機能として保存収集だとか展示だとかということは,幾つか項目があるわけです。それから,期待される効果についても,観光振興とか文化振興とか産業振興というのがあるんですが,これらを一堂に会したときの目的は何なのかということが,実は書かれているようで書かれていないんじゃないか。それをやっぱりシンプルに短い言葉で,巨大漫画喫茶じゃありませんが,そういうことでアピールできるような目的をはっきり打ち出すということが,合意形成のために必要なのではないかなと思います。このセンターができて,どんなゴールを目指しているのか,あるいは達成基準を明確にするというか,どういう状態になることを我々は望むのか,その達成基準みたいなものをはっきりさせる,そういう基本的な方針にかかわることももうちょっと詰めなければいけないだろうなと思います。
 3点目は,国民の合意形成ということ,これはとても重要な部分がありまして,結局これは民主党が言っているだけじゃなくて,国民が批判的な立場に立っている限りうまくいかないんだろうと思うんです。国立漫画喫茶,アニメの殿堂と受けとめてしまっている誤解を払拭させるためには,実はここにはメディアアートという分野もある,それから映画もちゃんと何らかの形で位置づけられる,そういうことを,漫画,アニメということだけがクローズアップされないためにも国民の皆さんに対して発信していくべきではないかと思います。
 それから,松本先生がおっしゃったいわゆるサブカルチャーとかオタクに対する巨大なる偏見みたいなことがありますよね。ところが,漫画にしてもオタクにしても,海外では日本の文化として認められているわけですから,サブカルチャーやオタクへの偏見を切り返していくためのロジックというものも考える必要があります。 税金の無駄遣いという話も国民の中にありますけれども,これに関しては福祉と文化を同じ次元に上げて,文化をやめて福祉にという話は全然次元が違うんですね。このことはもういかんともしがたいんですが,少なくともこういうものができることによって,税金が使われた結果,人々の心の感動が生まれ,産業が活性化することによってもたらされる利益,あるいはそれが国民にもたらされる利益というものが何なのかということを考えていかなければいけないだろうなと思います。
 あとは方法論なんですが,この場の話じゃないと思うんですけれども,反対している方の意見と賛成している方の意見をどこか公の場で戦わせて,なぜ反対なのかなぜ賛成なのかということについても,もうちょっとはっきりとした議論の場をつくる必要はないのかな。そういうことをちゃんとマスコミにも伝えていただくというようなことが必要かもしれませんし,またここでは皆さんも個人としての参加をされているわけですが,例えばアニメーションでも漫画でもそれぞれ協会があるわけですね。日本漫画家協会とか日本動画協会とか,日本アニメーター演出協会ですとか,あるいはゲームにもコンピューターエンターテイメント協会とかあるわけですから,そういう業界の団体がこういうことについて何か声明文を出せないのかというようなこと,あるいは本当はその団体の中でも賛成と反対の人はどのぐらいいるんだろうかみたいな,個人だけの発言ではなくて,少し業界というところでのメッセージ性というものを出していけないものだろうかなと思います。
 それから,これは先の話なんですが,計画のリアリティについてもどうやって建設から設計に至る8月からのプロポーザル,競争入札から,年内までに決めて,来年の1月ぐらいから全部場所とか何とかうまく決まって着工し,平成23年度中に完成ということは,2年しかないわけですよね。しかし,通常こういう建築物を2年で仕上げるというのは余りリアリティがないというか,それこそ万博の博覧会のパビリオンだったら2年ぐらいで仮設建造物でできますけれども,これから半永久的に残る建物を建設するというのは,専門家の意見だと最低5年かかると言われています。そういったリアリティの整合性をどうとっていくかということも,この後考えなければいけないだろうと思います。
 それから,最後に,マスコミの皆さんがいらっしゃるのであれですけれども,やっぱりマスコミ対応の広報計画みたいなものがちょっと後手に回っているかなと思いますので,反対意見の中にある問題点は何なのかということもニュートラルにマスコミの方にはとらえていただいて,余り批判のところだけを強調されるのではなくて,ジャーナリズムとして批判論の中にある問題は何なのかみたいなことも考えていただきたいし,逆にそれはマスコミの皆さんにお願いするというよりは,もう少し広報,PRというものを戦略的にやっていく必要があるのではないでしょうか。
 そういったことで,実現化に向けて引き続き頑張っていきたいと思いますが,これからはちゃんと作戦を練りながら進めていかなければいけないなというように思っています。

○浜野座長

 我々は意見に対して個人的な批判を甘んじて受けますが,政治家は政党や選挙など,個人の思いとは別の論理に縛られています。個人の資格で発言されないと何か別の思惑のプレゼンテーションになる可能性がないとはいえない。議論ではなくマスコミ向けの発言では困ります。個人の立場で反対の方を呼んで聞くというのはいいと思うんですけれども,この場で政治家の方々と話しあうというのは私は避けたいと思う。

○林委員

 私も別にこの場でということではなくて,とにかくずっとこの間の7回の会合は,委員の方も皆さん賛成,それからゲストの方々も賛成,当然文化庁は推進母体であるという方々の集まりなので,どこかでそういう場が必要なんじゃないかなということで申し上げました。

○浜野座長

 ちょっと時間が押しているので,さいとう委員。

○さいとう委員

 私は去年の8月からこの審議会には参加させていただいているんですけれども,多分この中では一番素人に近くて,こういうところの事情とか,どうしてこういうふうになっているんだろうということがさっぱりわからないままずっと参加してきました。正直言って初めて参加したときには,美術館と漫画というものが余り相入れない部分を感じていました。アーカイブとしての機能はもちろん漫画には必要だとは思っていましたが,私を含めて全部の漫画は必要ない。代表的な漫画だけでいいだろうと思っていました。けれど,参加するにつれていろいろな業界の方々,ほかのメディアアートの方々のいろいろなレクチャーを受けまして,こんな世界があったんだとか,こんなふうに美術館というものを必要としているんだということがだんだんわかってきました。本当に去年の2月ぐらいの段階で,そこまでは,かなりまったりとこの会議は続いていて,とても感動できるお話とか,すごく勉強になることをいろいろ聞かせていただいて,毎回目が開く思いでした。
 ですから,今回こんな騒ぎにはなっている中で,来ていただいた今日のお三方のご意見なんかを聞いていても,とても教育的な見地というか,人を育てていくということがとても大事だというところにこそ意義を感じます。漫画はかなり個人でやっていくものなのですが,やはりここのセンターがちゃんとそういうふうな機能を持って成立すれば,漫画家にとってもとても新しい出会いがあって,漫画家とはこういうふうにして仕事をしているんだよということも,具体的に作業を見せるというのもおもしろいなと思って聞いていましたので,そういうところがぜひ実現できればいいなというふうに思って聞いていました。
 あと,里中先生はかなりいつもお詳しくて,すばらしい意見を述べてくださるので,私はいつも感心して聞くばかりなんですけれども,やっぱり漫画の中の時間をあらわす部分というのは非常にすぐれた部分で,それは日本の漫画にしか今までなかったという点に,すごく同意します。例えばページをめくるということを頭に入れながら画面構成を考えて,間をとっていくとかというリズム感みたいなものは,海外の漫画ではなかなか難しいというか,それは国民性なのかもしれないなというのは私もかなり前から思っていたので,それは多分映画とかにも通じるものですので,漫画というものの大事さというのは,私はこの会合に参加しながらだんだんわかってきたところですので,ぜひセンターを実現させていただきたいと。かなり危機感が私も募ってきてはいるんですけれども,もし選挙の結果でこれが成立しなくなったとしても,何らかの形でもう一度提案していけるような体制が整えば,ちょっと安心できるかなというふうには思っています。  以上です。

○浜野座長

 植松先生。

○植松委員

 この2回の6人の方々の話は大変勉強になりましたが,ちょっと具体的な話になってしまうかもしれないんですが,図書の世界で言えば保存,蓄積,展示,利用というふうな流れでいうと,古い時代の本がどういう紙を使い,どういうインクを使い,どういうのりを使ってできているのかという書誌学的な,本物を生きたまま保存してそれを利用させる,研究するという部分と,一般的な利用にはコピーとかデジタルに変えたものでもよいというふうなことがあるわけで,先ほどお話があったような20年前のゲームを20年前の機器を使って利用者に体感させる,それは多分処理能力が低いことでおもしろさみたいなものも生み出している部分もあるので,最新の機械に変えてしまうと,その辺はおもしろくないのかもしれないとかというふうなことがあるわけですよね。そういう動態保存するようなものなのか,媒体変換してもいいものなのかというのも,研究と利用,あるいは人材育成と集客ということをどういうふうに両立させるかというところで,実現させていくためにはどこかで1回議論しないといけないところじゃないかなというふうに思っております。
 それから,最近のボーンデジタルのものでも,アーカイビングしていく中で,例えばそこで使っている画像ソフトみたいなものがどんどん変わっていってしまうので,それを次々に最新のバージョンに合わせていくということだけでも相当の経費と手間がかかると思うんですね。そういうことも本気でやっていくのかどうかというのは,映画なんかだと1回ぱっとされてしまえばある程度とまるわけですけれども,ボーンデジタルのものはそうもいかないので,そこは図書館界もみんな悩んでいるんですけれども,こういう部分でも悩まないといけない問題ではないかなと思います。

○浜野座長

 どうもありがとうございました。連続して時間が超過してしまいました。10年ぐらいたったら,あの歴史的な瞬間にいたんだねという語りぐさになるぐらいのつもりで,覚悟しておつき合いください。橋本忍先生みたいに,そういうことがあったのはということを書き残す人が必ず出てきて,歴史は必ず検証されます。安心して正論を言ってください。内輪の話もたくさんありましたが,3人の先生方,本当に貴重な意見をありがとうございました。
 次回は各委員からの提案やホームページで募集した提案につきまして議論していただきたいと思います。その後,基本計画作成に向けた準備をしていきますが,何度も出てくるように13日に締め切りをしていますけれども,たくさんの資料を生のまま提示しても議論にならないので,基本計画作成のたたき案を準備委員の中から数名募って作業を進めたいと思いますけれども,よろしいでしょうか。それで,人選については,私に一任していただきたいと思うんですが,やりたいという方がいらしたら,ぜひ一緒に作業をして,私のほうまで申し出ていただきたいと思います。
 では,次回の日程につきましては,事務局からご説明お願いいたします。

○清水芸術文化課長



 〈配付資料の説明〉

○浜野座長

 それでは,熱心な議論,どうもありがとうございました。
 これにて閉会とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

17:10 閉会

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