特別史跡キトラ古墳 墓道部の調査 調査概要

2002年7月10日

調査主体:
文化庁
受託機関:
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
調査協力:
奈良県教育委員会(県立橿原考古学研究所)、明日香村教育委員会
遺跡の所在地:
奈良県高市郡明日香村大字阿部山字ウエヤマ136番地の1
遺跡の規模と構造:
円墳(二段、直径13.8m)、
内部主体は横口式石槨(よこぐちしきせっかく:側壁と天井に絵画)
調査面積:
15平方メートル
調査期間:
2002年5月7日~6月14日
はじめに
キトラ古墳は、1978年頃にその存在が知られるようになった、いわゆる終末期の古墳である。明日香村が1983年に横口式石槨内部をファイバースコープによって調査したところ、玄武の壁画が発見され、高松塚古墳(明日香村平田、1972年に壁画発見、国特別史跡)に次ぐ、飛鳥の壁画古墳として一躍有名となった。1997年には範囲確認調査が実施され、墳形と規模が判明した。さらに1998年3月、小型カメラによる石槨内部の再調査がおこなわれ、青龍・白虎と天文図が新たに発見された。これを受けて、2000年11月に国特別史跡に指定。2001年3月には、3度目の石槨内部調査で南壁に朱雀が発見された。
こうした一連の調査によって、壁画がきわめて危険な保存状態にあることがわかったため、文化庁は、2001年7月に壁画と古墳保存のための委員会(「特別史跡キトラ古墳の保存・活用等に関する調査研究委員会」)を設置して具体的な検討を開始した。委員会の意見をふまえ、12月には、高性能のデジタルカメラを挿入し、不明であった盗掘坑の状況を詳しく調べ、実際にどういった保存作業が可能であるかを探る予備調査を行った。
2002(平成14)年度は、保存作業の万全を期すために、まず石槨内と同じ環境を保てる仮覆いを設置する計画である。今回の調査は、仮覆屋建設に必要な基礎的資料の収集、なかでも石槨の南にある墓道に関して、その規模と構造を解明することを主な目的とした。
調査の成果
2001年3月と12月の内部調査前に発掘した探査坑を再発掘し、これを手がかりに東西4m×東側南北5m・西側南北3mの調査区を設定した。横口式石槨南壁までは約1.3~1.5mを隔てている。発掘調査の結果、盗掘坑と墓道を確認した。
盗 掘 坑
すでに、2001年3月の明日香村教育委員会の発掘調査でも確認されていた。 今回、調査区北壁の断面で、東西幅約3m、深さ1.5mの規模を確認した。盗掘坑の底近くには、盗掘時に破壊した、凝灰岩製石槨石材の砕片が散在する。1点だけだが、やや大型の石材破片(長さ25cm)が出土した。埋土から瓦器片が出土したので、盗掘の時期は平安時代末から鎌倉時代(12~14世紀)と推定される。
墓 道
墓道とは、横口式石槨(よこぐちしきせっかく)へ棺を搬入し、さらに南の閉塞石(石槨南壁)を設置するためにもうけられた通路状の施設である。
墓道は古墳の墳丘盛土から掘り込んであり、幅2.35~2.65m(底面で2.3~2.45m)、調査区北辺での深さは1.5mある。検出できた長さは、東側で3.5m、西側で1.8mである。調査区は石槨南壁と1.3mを隔てるので、墓道の残存全長は、東側で約5mと推算できる。西壁は真北(国土方眼方位)より北で西に5度、東壁は北で西に11度振れているので、ごくわずかではあるが南で広くなっている。
墓道の床面は、最も高い北側(石槨側)0.3mだけがほぼ水平で、それから南側は緩く南に傾斜する。水平な北側床面の標高は144.38mで、これは推定される横口式石槨床面の高さとほぼ等しいので、このままの高さで石槨まで延びていると推測してよかろう。
墓道は、下部が堅い版築土で埋められ、その上に多少突き固めてはあるがやや軟質の土を重ねていた。堅い版築土層は南で薄くなる。埋土は墳丘の基盤層(版築土層)や積み土(墳丘土)とは土質に違いがある。埋土からは、土師器と須恵器の小さな破片が出土したが、時期を特定できるものではない。
コロのレール痕跡
墓道の床面には、南北方向に3条(あるいは4条か)のコロのレール痕跡がある。コロのレールとは、閉塞石(南側側壁)を運び上げたときのコロ(転)の下にそれと直交して置いた木材を指し、それを抜き取った痕跡が残っていた。床面に張られた茶褐色の粘質土とよく似た土で埋められており、東西の2条は幅約15cm、心々距離は1.35m(内法の距離1.2m)である。中央の1条は、土層堆積観察用の畦に大半が隠れているが、幅約60cmある。レール痕跡の方位は、真北から西に8度振れている。これは墓道の東西両壁の振れを平均した値に一致し、横口式石槨の方位を反映している可能性がある。
墓道と石槨との関係
横口式石槨の南西隅を開口している盗掘坑の位置とこれに沿って挿入されたガイドパイプ(内径15cm)の位置から判断して、墓道は横口式石槨の南側正面に正しく位置すると判断できる。
参考(終末期古墳で墓道を検出した代表例)
  1. 高松塚古墳(明日香村平田)  墓道全長5.5m、幅は石槨前面で2.4m、南端で約3m。床面に4条のコロのレール痕跡。レールは角材。レール痕跡(溝)の幅・深さとも20cm。石槨の前面左右に柱穴、中央に杭の痕跡があった。墓道は版築土で埋められる。
  2. マルコ山古墳(明日香村真弓・地ノ窪)  墓道幅2.17m、高さ0.98m。中央に礫を詰めた排水用暗渠(幅46cm、深さ26cm)があり、床面にはレール痕跡が4条ある。墓道は版築土で埋められる。
  3. 石のカラト古墳(奈良市神功1丁目) 墓道幅約3mだが、石槨との取り付き部で狭くなる。床面にコロのレール痕跡が2条。長さ4mを確認。溝幅30cm、心々距離0.7m。このレール痕跡を埋め戻した後に、石槨南端から2.6mの所に、礫敷き(0.8×1.1m)を設置する。

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