第12回国語分科会漢字小委員会・議事録

平成18年11月20日(月)

10:00~12:00

丸ビル・コンファレンススクエア・ルーム2

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,前田主査,林副主査,阿辻,岩淵,甲斐,金武,東倉,松村各委員(計9名)

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

  • 1 第11回国語分科会漢字小委員会・議事録(案)
  • 2 第12回漢字小委員会における検討事項

〔参考配布〕

  • 1 Yahoo! JAPANにおける用字用語について
  • 2 『新常用漢字表の作成に向けて』(「日本語学」2006年9月臨時増刊号)

〔経過概要〕

  • 1 事務局から配布資料の確認があった。
  • 2 前回の議事録(案)を確認した。
  • 3 事務局から,参考配布1,参考配布2についての説明があった。なお,参考配布2については,甲斐委員から補足説明が行われた。
  • 4 事務局から,配布資料2についての説明があった。その後,配布資料2にある「今日の論点」を中心に意見交換が行われた。
  • 5 次回の漢字小委員会は,12月19日(火)の10:00~12:00に開催することが確認された。会場については,決まり次第,事務局から改めて各委員に連絡することとされた。
  • 6 意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

○前田主査

 配布資料2にあります「本日の論点」の協議に入りたいと思います。
 この問題は,これまでにもかなり意見が出されている問題でありますけれども,できましたら本日の協議で,漢字小委員会としての共通認識といったような,基本的な方向を固めることができればと思っております。しかし,もちろんこれは非常に重要な問題でありますから,必要であれば,次回以降もこの問題について議論を重ねていきたいと思っております。
 新常用漢字表を作るに当たりまして,度々,準常用漢字というものについての話題が出てまいりまして,具体的にこういったものを作る必要性があるだろうという御意見が出されております。一方で,そういったものを作るとかえって混乱が生ずる,あるいは学校教育とのかかわりはどうかといった問題もありますので,まず,そういう基本的な問題,新常用漢字表の基本的な性格というところに戻って,ここで改めて議論していただければと思います。

○岩淵委員

 学習指導要領の観点に立ちますと,現在の常用漢字表は,二つの性格を持っていると言えます。一つは,小学校における学年別配当漢字1,006字で,これには読み書きをさせるという性格があると言ってよいと思います。
 これに対してその他の常用漢字については,「高等学校学習指導要領(平成11年3月)」において「主な常用漢字が書けるようになること。」などとしており,書けなければならないとは書いてありません。教育の世界での運用では,既に二つの性格を常用漢字表に与えた結果になっているように思います。ただ,これは国語審議会とは別の動きですから,必ずしもこの場での問題ではないと思います。
 現代の漢字使用を調べておりますと,パソコンが普及したことによって,読めればよいのだという漢字が増えているのではないかと感じられます。これはだれの責任ということではありませんが,例えば国際交流基金・日本国際教育支援協会が作成しています『日本語能力試験出題基準 改訂版』に1級レベルの漢字として,常用漢字表以外の漢字114字が入っています。この基準には合計で2,040字の漢字を収めていますから,当然常用漢字表の枠を超えてしまいます。ここに収められている漢字表を見ますと,現在ではほとんど使うことのない漢字であっても,日本文化の理解ということを考えますと,なければ困るということなのではないかと思います。そう考えますと,こうした漢字は日本語教育の世界では,恐らく「読めればいいのだ」という立場を採って漢字表の中に採用しているのだろうと考えられます。
 また,調査年代は少し古くなりますが,国立国語研究所で行われた中学校と高等学校の理科と社会科の教科書についての調査に現れてくる漢字を抽出してみますと,ここにも,常用漢字表以外の漢字が出てきております。これらも日常的にほとんど使われていないと考えられます。これは理科と社会科という科目の性格から来ているのでしょうが,仮名書きでは意味をとらえにくい,あるいは専門語であるという点から,教科書の中で漢字表記したのでしょうし,また,そこには振り仮名も付いているでしょう。
 こうした例を見ておりますと以前から甲斐委員がおっしゃっておられますように,<読み書きしなければならない漢字>と,<読めればよい漢字>という二つの漢字グループを認めるという考え方を採らざるを得ないのではないかという感じもします。特殊な例を一つ申しますと時代小説の中には『大漢和辞典』にも出てこない漢字の使用例を見ることがあります。このことは,作家個人のことですからやむを得ないことでもありますし,振り仮名も振られており悪いわけではありません。ここまで問題を広げないまでも,<読めればよい漢字>についての何らかの措置を取ることは大事ではないでしょうか。パソコンを使いますと,かなり意識しませんと,漢字が多くなってしまいます。私は大体,学生が読んでくれませんと困りますので,学生が読んでくれる範囲の漢字を使うようにしていますが,たまに第2水準の漢字を使ってしまっているのではないかという気がすることがあります。これは常用漢字表外ですから,もちろん,これを書くことを要求するわけではありませんし,時には読めなくとも仕方がありません。このようなことを考えますと,二段構えの考え方も必要だろうと思います。
 もう一点,前回の金武委員の御発言とも多少かかわってきますが,あるいは先ほど申しました『日本語能力試験出題基準』の漢字の扱いともかかわってくるのですが,日本人として,どうしても<読めなければならない漢字>というものがあるのではないかと思います。現行の常用漢字表でも,日本国憲法にかかわる漢字が入っているわけですが,こうした字は書けないかもしれませんし,読むこともほとんどないかもしれませんので読めないこともあるでしょう。しかし,これを省いてよいのかと思いますと考えてしまいます。

○甲斐委員

 私も,「標準漢字表」は参考になると一方で思います。しかし,ちょっと心配なことを申し上げようと思うんです。
 というのは,漢字の習得というのは,現在の常用漢字の場合でも,「読める」と言うためには音訓のそれぞれを読む必要があります。音訓のそれぞれをとなると,高等学校などでも,ある漢字に焦点を当てて,その学習が必要だろうと思うのです。「読めるだけ」というと,まず字体,画数,筆順は飛ばすわけです。しかし,字源は必要だろう。そうすると,<読めるだけの漢字>について中学校,高等学校でどのような学習が考えられるのか。そういう学習をした成果として,一つの音ぐらいだったら読めるかもしれませんけれども,本当にその漢字の音訓が読めて,意味が分かって熟語が使えてというような形で,社会人になった時に習得できているところまで行くためには,やはりある程度の実践的な指導が必要ではないかと思います。
 我々がこうやって机の上で議論していって,本当にできるのかどうかが心配でありまして,今,岩淵委員がおっしゃったように,例えば御名御璽の「璽」なんて今の高校生が読めるかどうかはちょっと分かりませんけれども,多分書けない。そういうことで,現在の常用漢字は「読んで書ける」ことを前提として一応やっているから,できるだけの指導をしているけれども,「読めるだけでよい」と言ったときに,どういう指導が考えられ,本当に「読める」というところに行けるのかをもうちょっと科学的にというんでしょうか,教育的に実証しないと大変心配であります。

○岩淵委員

 漢字数ですが,甲斐委員がおっしゃったように,習うことを考えれば当然制限があると思います。現在の常用漢字2,000字というのはかなりいい数字です。この2,000というところにある程度の基準を置いて,漢字数を余り多くし過ぎないようにすることは欠かせないことだと思います。

○金武委員

 準常用漢字として2段階にするかどうかは,今,言われましたように,全体の数をどうするかと関係してくると思うんですよね。つまり,数をある程度多く認めようとするのであれば,どうしても準常用漢字表的なものを考えなければならないと思います。仮に2,000字以内であれば,あえて2段階にしなくても,今でも学年別配当漢字が常用漢字表の中にあることで,一種の2段階になっていますのでいいと思います。<読めて書ける漢字>を教育漢字として義務教育で教える,それ以外のものについては「読めればいい」という形で収めるということになりますと,結局,全体の数によって別に設定するかどうかが決まってくるのではないかと思います。2,000字程度では,二つに分けるほどのものではないような気もします。

○前田主査

 これは技術的な問題ともかかわるわけですけれども,新常用漢字表のイメージがまだはっきりしていないわけですが,イメージするときには,実は全体の漢字数がどの程度のものかということが非常に問題になってくるんですね。
 今,お話がありましたように,現在の常用漢字表をある程度の基本と考えるならば,その延長として,新常用漢字表を選ぶ場合に,例えば2,000を幾らか超えるようなことは考えられても,それが3,000,4,000というわけには多分行かない。一方で,かなり多くの字数で考えて,その範囲を決めるとすれば,新常用漢字表の範囲はある程度抑えておいて,そのほかに準常用漢字表を作る必要が出てくるかもしれない。この辺のバランスの問題が多分あるんだろうと思うんですね。そういう点で,実際に,漢字を選んでいく場合のこと,そういったことも頭に置いて,いずれ議論を深めていかなければいけないと思います。
 そういった点で,今の御指摘は重要だと思いますので,それについてもまた御意見を頂ければと思いますし,そのほかにもいろいろな問題があるかと思いますので,続けて御意見を頂ければと思います。

○甲斐委員

 さっき数を申さなかったんですけれども,私は,新常用漢字表というのは高等学校までの教育の場をくぐらせる必要があると考えています。そうすると,やはり2,000前後であると思っています。
 それを超える部分を「準」とするのであれば,「準」は今の「表外漢字字体表」,いわゆる印刷標準字体ですが,必要とする理由があるならば1,000でも2,000でも幾らでも結構である,ただし,教育とは縁がないということであればです。やはり,教育の場で扱える漢字というのはどうしても,先ほど申したように,単に一つの漢字を一つの音で読むだけでは済まない部分があると思いますので,2,000前後ではないかと思います。

○林副主査

 今,2,000という数字が出ましたけれども,私も甲斐委員がおっしゃるように,これまでの当用漢字表以来のこういう表の性格や,社会の中でそういうものが受け入れられた経緯から見て,この程度で大体コンセンサスができているように感じます。
 私は,やはり常用漢字表を含めてこういう性格の表は,まず文字の習得が無理なくできるかどうか,同時に,それを使っていかに分かりやすく効率的な表記ができるかということ,習得を軽くし過ぎると仮名が多くなってかえって分かりにくくなるし,習得をうんと頑張ってしまうと,今度はほかの教育にも影響が出てくる。必ずしもたくさんの漢字を使えば分かりやすいとばかりは言えないから,その辺のバランスをどうするか,つまり,そういう性格の議論が,行き着くところ2,000という数字になって出てきているのではないかと思います。
 今の状況を見ますと,情報機器が発達していろいろなところが変わってきているんですけれども,私は例えば,こういうふうな見方もできるのではないかと思っています。つまり,だれでも書き手と読み手の両方になるわけですが,情報機器が発達して,書き手にとっては非常に環境が変わったわけですね。書けない字でも使えるようになった。ところが,読み手としての環境は存外変わっていない。
 それから,もう一つ変わっていないところがありまして,それは,つまりこの文字の習得ですね。文字を習得するには,やはり相当な負担が掛かる。文字の習得とか,読み手から言うと難しい漢字が使われるようになったから,受け身の形では変わったんですけれども,自らの何か表現するという点においては,そんなに変わらない。送り手の環境が変わったものですから,書き手の立場に立つとたくさん文字が使えるので,もう少し増えた方がいいという感じが強くなる傾向があるのではないかという気がしますが,現実的にその辺りを落ち着いて考えてみると,やはりもう少し読み手や習得という観点から慎重な判断をしていく必要があるかなと考えています。
 結果としては,やはり2,000前後という辺りがある程度のコンセンサスのある線ではないかと私も感じます。

○阿刀田分科会長

 質問なんですけれども,「漢字が書ける」ということは,どういうことを言っているのでしょうか。私は,自分が文筆に携わっていながら恥ずかしいんですけれども,書き順まできちっと考えて書けているのか,細かいところが「皿」なのか,「四」なのかというような問題は非常に怪しいわけです。難しい字などは「大体このくらいのところ」というものを,結果的に当たっているから良かったということで,本当に正しく書いているかとなると相当怪しい。多分これは,世間の普通の人は皆そうなのではないか。
 だから,「書く」ということを厳密に言って,学校教育におけるような「書く」ということを考えたら,それは随分大変な,今あるものでもなかなか書けない。正しく書くということで言えば,書けない部分も随分あるし,これからワープロの時代になったらます ます書けなくなっていくでしょう。けれども,何となく大体の字形を知っているということが「書ける」と言える部分も出てきている。ワープロの文字選択のような場合は,「書ける」とは別に「打てる」というような,「打てる」ということは「読める」に近いけれども,「書ける」ということとも,少し関係があるのではないか。ワープロ時代には,そういう曖昧模糊(あいまいもこ)とした意識の人が非常に多くなっていくんだろうなという気がして,「書ける」と言うときに,どのくらいのことまでを言うのかをどこかで考えておかないと,実態と非常に違うものになっていくかなという気がいたします。
 学校教育では,きちっと書けることを前提とされているわけですね。正しい書き順で書き,かつ「皿」は「皿」,「四」は「四」とちゃんと書き分けられるようになることを目的とされているわけですね。ワープロの時代になってきますと,だんだんその辺りの意識は薄くなっていきそうですね。

○前田主査

 学校教育のことが問題になってきそうですが,松村委員,その点いかがでしょうか。

○松村委員

 私は,同じ意味で<読めるだけの漢字>の「読める」がどういうことを意味するのかが問題かなと思っています。
 今まで何回かここで申し上げたように,先ほど岩淵委員がおっしゃったことと重なるんですが,現在の常用漢字の中でも結局,私は義務教育の現場にいるので,義務教育の段階では,常用漢字1,945字のうち1,006字を正確に書く─というか,私たちが考える「書く」は,高校入試の問題に出されて,いつでもきちんと書けるということが前提ですけれども,その1,006字については正確にきちんと書くことが求められている。 ということは,常用漢字の約半分くらいの漢字については「読むだけでいい」という形で義務教育は卒業しているんですよね。そして高校卒業の時点で常用漢字の読み書きができるようにして,一般社会人となる。だから,今,一般社会人に求められている漢字の能力は高校卒業の段階であって,中学校の義務教育の段階では約半分の漢字で卒業させているという状況があるわけです。
 その中でさえ,読むことでどういう問題があるかというと,例えば,教科書の中で,<読めればいい漢字>をどういうふうに読ませているかというと,普通なら文学作品や文章の中に使われている漢字を読ませる─読ませるということは,意味が分かって読ませるということになると思うんですね。ところが,それでは間に合わない漢字については特設のページを設けて,「こういう読み方」という読みにだけ焦点を当てたページが教科書に出てくるという問題があります。そうすると,その場合の「読む」というのは,意味が分かって文章の中で使える読める漢字ではなくて,漢字の表記として,表記された漢字を読むことができるという意味だけで終わってしまうおそれがある。このような課題意識はいつも持っています。
 今後,準常用漢字という形で<読める漢字>の範囲が広がるということは,学習の 段階で「書けて読める」「読んで書ける」という漢字の範囲も広がるだろうと考えます。 そうすると,読むことについてどこまで求めるかということも,もう少し議論しなければ いけないことになるのかなと思っています。

○東倉委員

 今,お話を伺っていて,非常に難しい話だなと思いました。それはすなわち,考えるべきパラメーターが非常に多いんだなということなんです。
 「読む」というのはどういうことか,「書く」というのはどういうことか,いろいろなレベルがある。それを大ざっぱに分けると,「書く」について言えば,非常に厳密に書く,筆順とか細かいところまで含めて教育でやっておられるような形で書くのが一番厳密な「書く」という意味で,それが一つあるだろう。それから,もう一つ,それとは大分違うレベルで,さっき阿刀田分科会長がちょっと話された,要するに,書いた漢字が読み手から見てほとんど100%の確率でその字と認識される,ほかの文字とは違って,その字1字に認識されるといったレベルがあるだろう。
 「読む」方にもそのような2段階があって,その字の読みだけが分かるという,レベルとしては浅い「読む」というものから,音訓すべて含めて使い方まで分かって読めるというレベルまであるだろう。ですから,そういうふうな,いわゆる「読む」「書く」がどういう定義で,それがどうあらねばならないかを議論するのは,かなり難しい話だなと受け取りました。
 そのときにまた,字数が幾つかとか,いろいろなパラメーターが出てきて,一体どこから決めるのか,「ここから決めるべきだ」というある意味での根拠を持って決めないと,なかなか議論が収束しなくて決まらなくなりつつある。
 一つの考え方としては,これが一番いいと申し上げるわけではないんですけれども,「読み」「書き」というのはいったん外して,それから,教育というのも外して,いわゆる日常生活で今,情報化ということも入ってきて,今の実態から見てどの漢字が「使う」という意味で必要なのかをまず見ていく。それが千幾つなのか二千幾つなのかという中で,これは本当に読んで書けなければいかん,これは実態的には読むだけでいいなどというものがあるなら,それはそういうふうに分かれるでしょうし,すべて読み書きが必要だということになるなら,それは分ける必要がないというシナリオもあるのではないかという気がしました。
 それから,教育で「書く」といっても,今の議論での読み書きというのは,「筆記」という意味の「書く」という前提になっていると思うんですけれども,以前からここで議論がありますように,筆記と書字は,やはり一つの漢字政策として重要だということを打ち 出したいということになっていたと思います。
 ちょっと話はそれますけれども,いわゆる情報機器が幾ら入ってきても,教育では,今までやっていたようなものを今後も,まだしばらくの間はこれを堅持していくんだといった立場をある根拠から採るかどうかということも一つの視点だと思うんです。それについては,この間ちょっと私がお話しした後,NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げていました。日立製作所の小泉英明さんという脳科学者が,今,そういう問題をかなり深く突っ込んで研究されていて,次のようなことをおっしゃっていた。いわゆる筆記で物を書くということは,漢字を書くというレベルにはとどまらない,書かないと語彙とか語句の使い方とかというところまで影響してくる。それから,もっとその先の知的活動まで影響するというのが脳の活動を計っていると出てきつつある。そういう最先端の研究がある。そういうことになると,「書く」ということを今後も非常に重視していかなければいかん。それは漢字だけにとどまらず,大げさに言うと,我々の知的活動をより良い状況に保つためには「書く」ということを積極的に守っていかなければいけないんだというような方向になるのかもしれない。
 ちょっと長くなりましたけれども,言わんとすることは,いろいろなパラメーターがある中のどこをフィックス(fix)していくんだということを,何らかのプライオリティーを付けた上で出していかなければいけないだろうという感想を持ちましたということです。

○甲斐委員

 今,東倉委員がおっしゃったことで,教育も外し,何も外して日常生活の実態というところですね,我々は今,この「漢字出現頻度数調査(2)」を使っているわけです。これ,私も今,ちょうど大学院の授業でこれを使って,上位に何が入っているかを見ています。そうすると,医学辞典が関係しているのか,例えば,「尿」という漢字があります。あれが871位のところに入っているんです。871位は,とても頻度が高い方です。
 この資料は,とても良くて,私は9割方いいと思うんです。けれども,十分な検討をしないまま,この順位にだけ従って増やすのはどうかと思います。ということで,日常生活で,それも,これからの日本人の言語生活等でどういうものが必要かというデータが,やはり欲しいんですね。それで,この前から国立国語研究所に是非調査をと思っているんですが,できるだけそういう円満な,大きなデータですね,これも大切であると考えています。「漢字出現頻度数調査(2)」以外にも,本当にこれが日本の社会人の生活として必要だといった形の頻度数調査があると有り難い,これが一つであります。
 さっき教育を除いてと言ったんですけれども,やはりどうしても三つ考えないといかんと思うんですね。一つは教育です。それから,日常生活の漢字使用の実態です。それからもう一つは,「鶏」が入っているけれども何は入っていないというような,漢字の体系的な扱いの問題なんですね。反対語はどうだとか並びはどうだとか,旁(つくり)の面ではどうかとか,そういう三つのところを,頂点にして三角形を作って,その真ん中に出てくるものが正解なんだろうと思うんです。けれども,前田主査がおっしゃるように,どこかで,例えば,およそ2,000であるといったところを決めて,そこから何をどうするかというところへ入っていかないと,仮にでいいんですけれども,どこかで一つだけ決めていけば,後はおのずから付いてくるような感じがあるんです。
 そういうことで,仮にでいいですけれども,どこかで「えい。」と,やはり2,000字の前後1割にするとか,何か決めていただけると良いと思います。

○前田主査

 「えい。」と決められるような明解な視点があればいいんですけれども,これはなかなか難しいところで,ある意味では,仮に決めておいて,それによっていろいろ検討して,また元に戻ってというジクザクなやり方をせざるを得ないかもしれませんね。

○甲斐委員

 ええ。それで「仮に」と申しました。

○前田主査

 そういう点で言えば,新常用漢字表だけにするか,新常用漢字表に加えて準常用漢字表を決めるかどうかという二者択一でなくて,その両方の案を考えてみて,そして結論を出すということもあり得るかとは思うんですよね。
 それから,先ほど私も出しましたし,ほかの方からも出ていた漢字数の問題ですね。常用漢字表は,これまでずっと行われてきていることと,その前にある当用漢字表までの長い歴史を考えてみると,これは,かなり有効な方法であって,効果があったと私は見ているんです。その辺のところがもし実績として信頼できるならば,今の常用漢字表の字数も一つ,かなり大きな目安として考えてもいいかなという感じもするんです。
 こちらの方を先にある程度,目安として考えておけば,それに合わせてほかの方の融通を利かせていくというやり方もあると思いますが,いかがでしょうか。

○阿刀田分科会会長

 甲斐委員がおっしゃった三角形のことと,今,前田主査がおっしゃったことを考えると,三角形の一つは教育ということですから,教育の現場辺りからは,やはり2,000は超えないでほしいというようなことは既にかなり顕著に出ているのではないでしょうか。だから,前田主査のおっしゃったような点と,それから教育の現場といったことから,取りあえず,2,000くらいの数を考えていくというのでいいのではないでしょうか。

○前田主査

 一つにはそうですね。

○阿刀田分科会長

 一つはその辺りを考えてみてからではないでしょうか。今の頻度表がどこまで信じられるかという問題もありますし,それから,さっきの漢字の体系といった問題も,魚はなぜ三つしか入っていないんだとかいう,「鮭」だって結構食卓には乗ってくるではないかといった理屈も少しは出てくるかもしれませんが,それは2,000という数の調整の中で考えていくということで,方向は少し出るのかなと思いました。

○前田主査

 先ほど松村委員から,学校教育の問題と学年別の配当表とのかかわりなどを,お話しいただきまして,中学や,高等学校などのことにも少し触れられましたが,そういった方面まで含めて,いわゆる常用漢字表の2,000字ほどの数はある程度,支持されているということは言えましょうか。今,お話があったように,余り増やしてほしくないということがあれば,当然出てくる意見であると思いますが。

○松村委員

 そのようなことを最初から申し上げていたんです。ただ,本当に,学校教育における漢字指導の在り方というのは,指導の在り方とのかかわりなので,私も,いつもここで議論になっていることとは土台が違うのかなという気はしておりまして,学び方,習得のさせ方というレベルはまた別にあるとは思っております。
 ただ,それにしても現段階では,参考配布の『新常用漢字表の作成に向けて』で冨山教科調査官等が書いていらっしゃいますけれども,ある漢字がどの程度書けるかという設定通過率などで言うと,「読み」と「書き」の能力ではかなりの乖離があるということは,どの校種の学校でも今,言われていることです。やはり全体としては,余り増やす方向ではなくて,基本的には使用頻度による中身の入替えのようなことも含めて,余り増やさない方向でというふうには,今の段階では私も考えています。
 そうすると,やはり2,000字というのは一つの目安─要するに1,945の今の常用漢字をそんなに増やさない程度ということ─にはなろうかなと思います。その辺で,私も賛成です。

○金武委員

 常用漢字とはどういうものであるかということで,それを選ぶ基準として,(1)まず使用頻度が高い,それから,(2)だれでも書ける,(3)だれでも読める,(4)だれでも意味が分かるというぐらいの条件が満たされればいいと思うんです。この頻度の上位3,000字なら3,000字の中で書ける順位とか読める順位とか,あるいは意味が分かる順位ということの調査を国立国語研究所はやられるわけですか。
 つまり,個々の文字について,頻度以外に読める順位,書ける順位,意味の分かる順位というものが出れば,それが一つの客観的なデータになります。仮に2,000字を選ぶのであれば,そういうものを総合して,上位にあるものが検討対象になるのではないかと思いますし,それよりかなり外れれば,現在の常用漢字表にある字でも削っていいのではないかということが客観的に判断しやすいと思うので,とにかくそういう調査がなるべく早くできればと思っております。

○前田主査

 先ほど甲斐委員からも実際に参照すべき「漢字出現頻度数調査(2)」のことが話題に出ましたし,今,金武委員からも頻度数調査が話題に取り上げられました。
 前の国語審議会では,いわゆる表外漢字の字体を定めるに当たって,特にこの「漢字出現頻度数調査(2)」を利用したわけです。この場合については,かなり限定された範囲のことでありますので,今の問題ほど多岐のパラメーターを考えなくても済んだのではないかと私は思っております。こういう頻度数調査については,その時にもいろいろな議論があり,また,問題点もあったわけです。具体的には,私などは,これが法務省の人名用漢字の選定の時に利用されたことについては非常に,後からですけれども,違和感を持った。そういった,どういう資料を用いてどういう判断をしていくかは,何のために新常用漢字表を定めるのかということにも密接にかかわってきます。前の国語審議会にも御参画いただいて,いろいろこういった点の御検討を頂きました阿辻委員からも何かおっしゃっていただければと思いますが。

○阿辻委員

 皆さん方の御意見を聞いておりまして,すべて大変妥当だなというイメージですね。
 私は,「書けなくても読めたらいい」という漢字を設けたらどうか,というのは最初から主張もしておりましたし,賛成なんです。パラパラと見ていまして,例えば,戸籍謄本の「謄」は常用漢字なんですが,普通の人々が戸籍謄本の「謄」は書けないだろうという気がするんです。同じように,物価が高騰するの「騰」も常用漢字なんですが,高騰の「騰」の方は多分法律用語ではないだろうと思うんですね。戸籍謄本の「謄」は法律用語─法律用語ってあるんですかね─つまり民法か商法か,ああいう法律に出てくる言葉として,多分「謄本」というのはあるだろうと思うんですね。それは今回,規格として定めていくときに,法律に入っている言葉はやはり外せないだろうという気がするんです。
 いかに使用頻度が少なくても,社会生活の中で「謄」なんてほとんど使わないと思いますけれども,だからといって外すと,例えば経済産業省とか法務省などは,たちどころに困る事態が起こるのではないかという気がします。
 話が散漫になってしまうかもしれませんが,配布資料2の昭和17年の漢字表を見ていますと,特別漢字というのがあって,これは何か皇室とか憲法とかということですが,これと同じような発想で,ある意味では法律などで必ず必要になるという意味の新しい特別漢字を設定できないのかなという気がします。
 昔,法務省の方から聞いた話なんですが,御名御璽の「璽」と「朕」は,日本国憲法の発布のための詔か何かがあって,そこに使われているんだという話を聞いたことがあるんです。もしもそれが使われているんだったら,「朕」と「璽」は現在,生きている法律に使われている文字である可能性があるわけですね。そういうことを考慮すると,もしも法律用語という枠が作れるんだったら,そこにほうり込んでしまう方法もあるのではないかと思うんです。そういう可能性はないのかなというのが,先ほどから議論を伺っていて,まだどなたもおっしゃっていないことかなと思う次第です。

○前田主査

 今の話題は,先ほど金武委員のおっしゃいました,こういう頻度数の調査以外に漢字の中身を考えるという視点ですね,そういった一つの例になるかと思います。
 それから,漢字ごとに漢字の使用法のようなものを付ける必要があるのではないかといったことが前から話題になっておりましたし,また漢字1字で考えるのではなくて,それが語としてどう使われているかといった例も挙げるべきではないかといった話題が出ておりました。そういったことともかかわりますけれども,実際に調査をして結果の出ているものだけを使えばいいということには必ずしもならないわけで,その点では,これはもう国立国語研究所にお願いしなければならないことが多いのではないかとは思います。ただ,「こういったことが必要だ。」ということになっても,急なことでは間に合いませんので,その辺のところは少し早めに,今までにお願いしていたものもありますけれども,改めてお願いする必要もあるかと思います。そういう点では,この頻度数調査のことは新聞社と印刷会社にも,お願いしております。

○甲斐委員

 国立国語研究所への依頼ですけれども,部門長,研究員が前から毎回ずっと出席していたんですね,いつ依頼があるかという感じで…。今日は,見たら管理部長が一人おられる。管理部長がお見えだから,今日お願いすればそれで通ると思うんですけれども。前は部門長,研究員が複数名いつも控えていて,「今日あるか,今日あるか。」ということで待機していたと思うんです。

○前田主査

 これはもう大変なことだと思います。国立国語研究所には,本当にお世話になっていると言わざるを得ない。調査について事務局から何か…。

○甲斐委員

 やはり「我々はこういう趣旨だ。」ということで,後は主査,副主査とこちらで相談して早めに国立国語研究所に調査をお願いしないと,調査依頼を受けてもすぐには返事ができないわけで,正式な答えが出てくるまで何か月も必要ですので,早めに頼むのが良いのではないかと私は思うんです。
 国立国語研究所は,私が辞める時からもう覚悟をして,受けようということで来ているんですね。あれからもう2年近く経過しておりますので,是非決めていただきたいと思います。

○氏原主任国語調査官

 調査の話が出ていますので,お話しするんですが,御指摘のような調査について は,国立国語研究所には既にかなり前から依頼してあります。
 ただ,金武委員がおっしゃった理解度の調査というのは,ちょうど甲斐委員が所長でいらっしゃった時に,50年ぶりの日本人の読み書き能力調査という形で,新聞などにも大きく取り上げられましたので,そのイメージでおっしゃっていると思うんですね。読み書き能力調査については国立国語研究所でも検討しているとのことですが,かなり難しいと聞いています。要するに,読み書き能力調査というのはGHQの時代にやったわけですが,あの時代はGHQの圧倒的な威光があって,調査に協力しないと自分の命が危なくなるのではないかと心配して受けにきた人もいるといった話まであります。
 今,これをやるとなると非常に難しいと思います。つまり,簡単に言うと日本人全員に書き取りをやってもらって,書けるか書けないかを調べなければならないわけです。そうすると,書ける字があったり書けない字があったりする。こういう時代で,だれがどういう能力を持っているかということ自体,非常にプライバシーにかかわるわけで,当然国立国語研究所でもかなり苦慮されているわけです。ですから,理解度についてはどのくらいの調査が実施できるのかがよく分からない面があります。
 もう一つの考え方として,先ほど金武委員がおっしゃったような,2,000字であるとか3,000字であるとかの漢字を書けるかどうかを調べるのは大変ですよね。例えば,2,000字の書き取りなんてこと自体,そもそも無理ですよね。ですから,現実的には,幾つかサンプルの漢字を選んで行うしかないわけですね。一人せいぜい100ぐらいでしょうか。100でも多くて大変だと思いますけれども…。
 そういうことで,読み書き能力調査がどうなっていくのか,現時点ではよく分かりません。ただこれとは別に,今,国語課で新しい頻度数調査について取り組んでいます。先ほどから話題になっている「漢字出現頻度数調査(2)」は凸版印刷による調査ですが,対象となっている総文字が1億2,700万,そのうち漢字を抽出すると3,330万です。新しい調査では,もう少し規模を大きくして,延べ漢字数で5,000万ぐらいの調査を進めています。前回までと違って一番意を用いたのは日常生活にかかわりの深いジャンルの出版物を調査対象に入れるということです。「漢字出現頻度数調査(2)」には週刊誌が入っていなかったんでが,前から週刊誌も対象にして調査をやれないかという気持ちがありました。一般の言語生活の中では,医学用語辞典よりも週刊誌の方がずっと多く読まれていると思います。それで今回,新たなプログラムを作って週刊誌を入れる方向で作業を進めてもらっています。
 それからもう一つ,これはサンプル数が少ないんですけれども,教科書という分野があって,実際には,小学校の時代から教科書に表外漢字が出てくるんですね。例えば,社会科では人名や都道府県名などで出てきます。そういうことを考えると,表外漢字と言いながら実は小学校の時から目に触れているようなものには一体どんな字があるのかをきちっと見る必要があるだろう。それで,今,教科書の方も含めた調査をお願いしています。なるべく日常生活で目にするような資料を増やす方向で進めています。
 それから,先ほど,前田主査がおっしゃったように,新聞調査も,「漢字出現頻度数調査(2)」の時には読売新聞にお願いしたわけですけれども,今回,読売新聞と朝日新聞の両方にお願いして,2社で調査を進めていただいています。ですから,新聞などについてはかなり充実した調査結果が出てくると思います。
 それで,ここで先ほどの理解度の調査と話を結び付けると,国民全員の読み書き能力を直接調べるのは非常に難しいわけです。ですから,例えば大学生や新入社員ぐらいを対象にして調査するとか,そういったことを考えなければいけないということもあります。同時に,日常生活でよく使われている漢字というのは,既にこの段階で5回調査をやっていますので,大きな調査だけでも今回が6回目,7回目になるわけですね。そうすると,どういう漢字が世の中で使われているかというのは,もうかなり分かっているわけです。今回の5,000万字ぐらいの規模の調査が出てくると,それはよりはっきりするだろうと思います。
 今,日本人がどれくらい書けるのか,読めるのかという実態を知ることは非常に大事なことです。しかし,それとともに,現実にこれだけの漢字がこういう頻度で使われている,そうすると,日常の言語生活を送るためには,どのくらいの漢字が読めたり書けたりしないと困るんだろうかということを知ることも大事です。正に先ほど東倉委員がおっしゃった話とつながるんですけれども,そういう観点から,やはり漢字小委員会としての見識をもって「このくらいの漢字は書けなければいけない」とか「読めなければ困るだろう」と示す。そして,現実にこういう種類の漢字がこれだけいろいろなところに出てくるんだからという方向からの検討も併せて大事にしていかないと,現実的にはなかなか難しいだろうと思うんですね。
 国立国語研究所の方でもいろいろ検討してくださっているので,理解度調査の結果についてもいずれ出てくるのかもしれませんけれども,やはり一般の人に漢字のテストをやるみたいなことは,今,ほとんど不可能だと思います。大体,国勢調査でさえ最近は拒否する人も多いくらいで,文化庁でも「国語に関する世論調査」をやっていますけれども,昨年辺りから回答してくれる人のパーセントががくっと落ちてきています。そういったことも考えると,漢字の読み書き能力などは,非常にプライベートな部分にかかわるところで,拒否される可能性が高いのではないかと思います。
 そういうことを考え合わせると,理解度調査の実施を追求していくというのは,なかなか難しい面があると感じています。実際にもう国立国語研究所にお願いしていますけれども,そこから出てくるものが,本当に今,この委員会で話題になっているようなことにきちっと見合う形で出てくるかどうかは,非常に厳しいところがあると思います。
 ですから一方で,今,申し上げたように,頻度調査などは非常にきめ細かくこれから結果が出てきますので,それを見て実際に使われているものを洗い出して,やはりこれぐらいは必要なんだろうという,そちらの議論も大切にしていかないと現実的にはなかなか検討を進めることが難しいのではないだろうかと感じております。

○阿辻委員

 今の氏原主任国語調査官のお話,大変面白く伺ったんですが,どれだけの漢字が読めなければならないかというのは,種々の調査で割と浮かび上がってくるだろうと思うんですね。それに対して,どれだけの漢字が書けなければならないかというのは,かなり難しいと思います。
 現在の行政では,教育用漢字の1,006字は小学校の6年間を通じて書けるようにならなければならないと定められていて,それ以外の常用漢字のほとんどが,高校卒業まででしたっけ,「読めることが望ましい」ということなんですよね。そうしますと,1,006と1,945の差の九百幾つというのは「必ずしも書けなくてもいいけれども,ほとんどが読めることが望ましい」という位置付けなんですよね。
 そこの部分がこれから膨れていくのは大いにあり得る話で,新しい頻度数調査によって,読めることが望ましい文字は,例えば,思い付くだけでも憂(うつ)の「鬱」とかはく(はく)奪の「はく」とか,これまでの表外漢字の中で使用頻度の高いものはたくさんありますから,そういうものがそこに浮かび上がってくるだろうということは当然予測が付く。問題は1,006字の教育用漢字以上に「これだけの漢字は書けなければならない。」というのを,何でもって認定するか,そこのところが非常に大きな問題だろうという気がします。

○甲斐委員

 義務教育の中で1,006字が書けなければならないというのは,高校入試の書き取りに出るからですね。それから大学入試で,センター試験には書き取りはないですけれども,しかし,2次試験で書き取りを出すとすれば,常用漢字の範囲内なんですね。したがって,もちろん御名御璽の「璽」などは書き取りに出さないでしょうけれども,1,945字のうちの,例えば1,800とか1,700ぐらいのところで選んで書き取りを出しているだろうと私は思うんです。ですから,今は「書けなければならない」というのは,やはり大学入試としては生きているように思います。

○前田主査

 センター試験の漢字の出題については,漢字の書き取りの代わりに,客観的に採点できるよう,どういう出題が可能かということで,随分いろいろな意見があって,現在は大体定着しているようですね。あの場合には,「書くことの代わりに」という気持ちが相当あったのではないかと思いますね。
 ただ,実際に結果的には,漢字が判読できれば大体答えられる形ですから,書くことにつながっていないことは確かです。しかし,あの当時は,自分で文などを書かなければならない状況だったから,それほど問題ではないと─問題はあったかもしれませんけれども,何とか補えていたと思うんです。しかし,今のようにワープロや携帯などが普及してきますと,本当に書けなくなってきているということがあって,逆に言うと,ああいう出題の仕方も考え直さなければ行けないのではないでしょうか。もし試験がなければ,漢字を学習しないという状況が現実にあるとすれば,それを助長していることにもなりかねないということが,ちょっと気になっています。
 そういったことで,一つは,最初の話に戻りますけれども,例えば,2,000字ぐらいということは今,かなり話題になりましたが,これが非常に増えるような形で漢字の問題をこの漢字表の中に入れるとすれば,これはやはり準常用漢字表でも作らないとどうにもならないだろう。それに対して,それほどは考えなくていいというようなことであるならば,字数はなるべく少ない方がいいということはありますけれども,常用漢字表を改訂するだけで何とか収まるかもしれないとも感じています。

○阿刀田分科会長

 もう一つ大きな問題があることに気が付いたんですが…。これは,ある意味でここから外れる問題かもしれませんけれども,「書ける」という意味では,今,ここで使うのはどの漢字が正しいかという問題もあるわけですね。「検討する」を「見当」と書いてしまうようなことは字そのものの問題ではなくて,ここに何を使うかという問題です。これは「読める」とはちょっと違う,どちらかと言えば「書ける」方に属する問題で,あえて言えば「使える」という問題なのかもしれませんが,これは漢字の制限とは少し違うことですよね。
 ですけれども,字が「書ける」という問題とはまた別な,むしろ本当に重要なのはそちらかなという気がします。書き取りをしてみろと言われて困ることの中に─調査をしなくても何かそういうことを,こういう論文はないのかもしれませんが─,人間はどういう漢字が書きにくいのかといったようなことが隠されているのではないかと…。
 今,ずっと名札を見ていたんですけれども,副主査の「副」なんて随分字画は多いけれども,これは「一」と「口」と「田」と仕組みが分かっているから,こういう字は余り間違えないだろうと思います。ですが,岩淵委員の「淵」なんていう字は嫌だなという感じがしますし,東倉委員の「倉」という字なんかも,点があるのかないのかとか,そういった問題が入ってくると,そういう意味で書けないということはある。だから,書きにくい字というのはある程度推測できるのではないか。漢字というのは,どんなに字画が多くなっても「こういう単位で作られている構造物だな。」ときちっと仕組みが分かれば書ける。けれども,何だかどう書いていいのか分からないようなものが入っていると,途端に書きにくくなる。ということで,書きにくい漢字というのは調査をしなくても,ある程度予測できるのではないかという気もします。
 問題なのは,言葉との関係において,どうしても書けないものというのは限定されるでしょうけれども,その辺が一番難しいところかもしれないなという点です。「書く」という問題には,意外にそこのところが引っ掛てくるのかなということです。こういうことは 全く別な問題ですか。この委員会で議論する問題とは違いますか。

○前田主査

 それは非常に重要なことだと思います。前提としては,これは前文に書いてありますけれども,そのように「正しい使い方はこうだ」ということを,例えば公共機関における印刷物とか,いろいろ場は限定されているけれども,その中での基準を出すことが,こういう漢字表を作る意味だと思っております。ですから,その点からの判断は非常に重要なことではないかと思います。

○林副主査

 今,阿刀田分科会長がおっしゃったことは本質につながっている問題だと思います。
 歴史的に既にそうなんですけれども,漢字のような文字は,結局その一字一字,単字でとらえられやすいんですね。ですから,文字の読み書きといっても,字を覚えるときには一つの文字の字形を覚える。それから,その読み方とか,あるいは意味といっても訓ですね,そういうふうなものを覚えることが教育のベースにはなっていると思うんです。ところが,実際にそれを使うというレベルになりますと,それを組み合わせて熟語にして使ったりしますし,和語の場合には送り仮名を付けたりしてその文脈に収めますから,やはり一つ一つの要素文字としての文字を習得し,それを使って我々が生活するわけです。その場合の言語の単位というものは,やはり整理しながら考えていく必要があろうかと思います。
 そういう点で,阿刀田分科会長がおっしゃったことは非常に示唆深いと感じました。同時に,これは阿辻委員がおっしゃったことと非常に関係が深いと私は思っておりまして,こういう国民的に共有できる標準を作る場合の<書ける漢字>の範囲というのは,今のようなところを考えますと,やはり語彙調査をして,だれもが使うような基本的な言葉に出てきやすい漢字であることが大事です。もちろんそれだけではなく,さっきの法律用語ではありませんけれども,普通の人だったらめったに書かないような字でも,社会生活をしていく上ではどうしても欠かせない語彙といったものがあります。ですから,語彙のレベルで,技術的にそれがどういうふうにできて,あるいは現在どこの段階までそういうふうなデータがあるのかといったことは,私,今ここできちっと把握しておりませんけれども,そういうものをちゃんと見極めていくことが,本格的な標準を作るということにつながるのかなと思います。
 それにしても,今の1,006字を決めるときにどういう議論をし,どういうデータに基づいて決めてこられたのか,そこら辺りも私自身が十分理解しないまま申し上げましたので,当たり前のことを申し上げたのか,あるいはちょっと見当違いになってしまったのか分かりません。ですが,基本的には,繰り返しになって恐縮ですけれども,漢字のような文字はどうしても,昔からずっとそうなんですけれども,単字レベル,要素文字として考えられやすいんですが,実際に使うときにはそうではありませんので,そこの,つまり使用レベルをもう少し我々が整理して,データを作っていく必要があるのかなという感じがいたします。

○阿刀田委員

 頻度数の調査というのは,当然それを反映するでしょうね。よほど特別なことでなければ,単字で出ていることはないでしょうし。書き取りの試験は単字で出すことはほとんどないわけでしょう。

○林副主査

 ただ,子供たちを見ていますと,文字を覚えるときには要素文字の単字で,同じ升に同じ字を書いて字形を覚える段階と,それから漢字のテストになると,今度は短文の中に入っている単語を書かせる試験の段階とがあります。さらに,その上に行くと,そういう段階を超えて,つまり自主的な学習にゆだねざるを得ない部分が出てきて,さっき言った九百何字というのは,かなりそういう性格の強いものだと思います。
 そういうことで言うと,更に問題が膨らんでしまうかもしれませんけれども,常用漢字みたいなものを決めて,その常用漢字は中学とか高校で必ず教育しなければいけないものなのでしょうか。もちろんそういう考え方もあり得るけれども,これは「社会全体で生活するときには,この程度を標準としましょう。」という約束なので,場合によったら,つまりここまではきちっと義務教育の課程で教える,この辺りは高校ぐらいまででやるとする。しかし,どうしてもそこで残るものがあって,これは,敬語でも何でも言語の習慣というのは同じですけれども,そういう環境の中で獲得していく。つまり,そういう習得過程は一生続くわけですね。
 例えば,職業が変わって新しい集団に入れば,そこの言語習慣が知らず知らずに身に付くし,また身に付けなければいけないということで,そういう広い意味での言語習得というものを生涯のレベルで考えたときに,常用漢字みたいなものを作ったら,それは「必ずどこかで完全にそこまでは勉強しなければいけない。」と固く考えるべきものなのかという辺りについても,若干の議論の余地があるのではないかと思っています。

○岩淵委員

 少し後戻りしてしまいますが,先ほどからの御意見を再度考えてみますと,調査年代は古いのですが,国立国語研究所の『現代雑誌九十種の用語用字』の漢字表を再検討してみることが必要だと思います。そうしますと,語レベルの表記の問題もそこから取り出されますから,役に立つはずです。
 また,書きにくい漢字という点については,法務省の「誤字俗字・正字一覧表」(「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する「誤字俗字・正字一覧表」について」,「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する通達等の整理について(通達)」,「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する通達等の整理について(依命通知)」)を使ってみるのもよいのではないかという気がします。
 2,000字という点については,『現代雑誌九十種の用語用字』において,2,000字あれば日本語の文章の約99パーセントが読めるという統計結果を出しているのですから,このことも念頭に置いておくべきではないでしょうか。

○甲斐委員

 さっき阿辻委員から特別漢字の提案がありましたが,私もそれを支持したいと思っているんです。というのは,先ほど例に出された「戸籍謄本」ですけれども,私も授業の時にこれが話題になって,「戸籍謄本」というのは,これで見ると3,000番を超えているんです。頻度数で3,000番を超えているときに,2,000字にはどうにも入れようがない。しかし,「戸籍抄本」と「戸籍謄本」というのはどうしてもペアで必要である。そうすると,これは書けなくてもいいが必要である。皇室敬語と一緒なんですけれども,そういうものをまとめて,これはそれこそ書けなくてよい,しかし知っておくべきだということで,「特別」という名前で,どれぐらいの字数になるのか分かりませんけれども,出すと良いのではないかと私も思います。
 それから,この表で言うと,昔の単位で1厘の「厘」などが入っているんですけれども,こういうものは捨ててしまうとか。ただ,拝謁の「謁」は,やはり入れた方が良いのではないか。「朕」も同じように,入れなければならない。そういうようなことで,頻度数や日常の生活の普通のところでは,どうにもこぼれるんだけれども,別の見方で救わなければならないものを特別漢字として扱っていく。これは,教育の部分とはまた別の問題であるので,とにかく拾うという発想が必要かと思います。

○前田主査

 この別の検討の中には,それによって,今の常用漢字表から削る漢字といったことが当然入ってくるわけですね。

○甲斐委員

 そうです。

○阿辻委員

 今の甲斐委員の御意見に全く同感なんですが,先ほど林副主査のお話にあった中学校の国語教科書に常用漢字が出てくるかどうかで,例えば「弾劾裁判所」というものは,大体社会科か政治経済の教材にまず出てくるんですね。「弾劾する」という動詞は,もちろん現代国語の文章に出てきたって不思議ではないんですが,多分,中学校の教科書では「弾劾」という言葉は使われないのではないか。でも,中学の社会科の教科書には必ず「弾劾裁判所」が出てくるんですね。弾劾の「劾」というのは常用漢字に入っていますので,国語だけに限定して調べていくと,ちょっと社会の本質を見損なってしまうことがあるのではないかという気がいたします。

○前田主査

 今日は,新常用漢字表の基本方針,特に準常用漢字設定の是非が解決できればということで,最初から今日決めるのは難しいかなと思ってはいたんですが,予想どおりで,やはり検討すべきところがいろいろ出てきました。それから,新常用漢字表を決めるに当たって,こういう点は配慮すべきだといった重要な幾つかの視点について御指摘いただいたので,その点,非常に有益だったと思います。
 どういうバランスで取り組んで,新常用漢字表を決めていくのかということの中に,準常用漢字,あるいは今日初めて話題になりました特別漢字といったものも入ってくるのかしらというふうに思います。
 そういう点で,今日,結論には至りませんでしたけれども,新常用漢字表の基本方針については,かなりいろいろな点がはっきりしてきたのではないかと思います。この後も続けて議論して,深めていった方がいいのではないかと思います。今日,話題が出て途中になったこともありますので,そういったことも含めて次回議論していただければと思います。今日はそういうことで,この議論を打ち切りたいと思います。
 そのほかのことで,何か委員から御提案とか疑問とかございませんでしょうか。特になければ,以上で協議を終わりたいと思います。

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