第18回国語分科会漢字小委員会・議事録

平成19年11月1日(木)

14:00~16:30

経済産業省別館1020会議室

〔出席者〕

(委員)前田主査,林副主査,阿辻,沖森,甲斐,金武,笹原,杉戸,武元,東倉,納屋,濵田,松岡,邑上各委員(計14名))

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

1  第17回国語分科会漢字小委員会・議事録(案)

2  第18回漢字小委員会における検討事項

3  国語分科会漢字小委員会における今期の審議について(平成19年2月2日)

〔参考資料〕

1  国語分科会及び漢字小委員会の開催日について

2  第12回漢字小委員会における検討事項

〔参考配布(委員限り)〕

○ 音訓調査に追加する漢字(メモ)

〔経過概要〕

1  事務局から配布資料の確認があった。

2  前回の議事録(案)が確認された。

3  事務局から配布資料2,3及び参考資料2についての説明があり,説明に対する質疑応答の後,配布資料2,3に基づいて意見交換を行った。

4  事務局から,参考配布のメモについて簡単な説明があり,更に調査に追加したい漢字がある場合は,1週間以内に事務局まで連絡することとされた。

5  参考資料1に基づいて,次回以降の漢字小委員会及び国語分科会総会の開催日が確認された。具体的には次回漢字小委員会は,12月5日(木)の14:00から16:30まで,経済産業省別館1014会議室で開催すること,国語分科会の総会については,12月10日(月)の10:00から12:00まで,1月28日(月)の10:00から12:00まで開催することが確認された。

6  質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

○濵田委員
 先ほどから社会生活ということ,その中での手書きということですが,常用漢字表も含めて歴史的にそうなっているんですよね。それは教育も含めてという意味でしょう。
 現在,漢字を手で書けなきゃいけないものには何があるんだといったら,テストだけじゃないですか。私は手でしか書きませんけれども,皆さんはもう情報機器で書いていますから,その辺りの変化というのをどう考えるのかというのは非常に難しいなと思いながら伺っていました。その辺りはどうなんですか。

○氏原主任国語調査官
 今のは,常用漢字表の前書きにある「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」という中の「一般の社会生活において,現代の国語を書き表す」という部分のとらえ方についてのお尋ねだと思いますが,この当時は手で書くことが前提とされていたという,そういう時代的な制約があるんですね。常用漢字表もそうですし,その前の大正時代から,もうずっと手書きだけがイメージされていたわけです。それが,近年の情報機器の普及ということで,正におっしゃったとおりテストぐらいしか手書きをする機会がない,あるいは学校の授業のときにノートに手で書くとかですね。そういう状況になっているわけで,全く状況が変わってきてしまったというのはそのとおりだと思います。
 ですから,これまでの考え方を変えないといけない部分が当然出てきます。これまでは手書きを前提とした漢字表であった。しかし,今は濵田委員がおっしゃったように,そこが明らかに変わってきているので,その変化を踏まえて,どういう漢字表がいいのかということを新たに考えていかなければいけない,そういうところだと思います。

○笹原委員
 参考資料2として,戦前の状況もお示しいただいたので,これに関してなんですけれども,2ページの中間報告,それの一番下にアンダーラインを引いてくださったところに「府縣名等ノ行政區劃ノ文字ハ取リ入レテアリマス」というふうにあるわけですが,この「府縣名等」の「等」についてお伺いしたいんです。例えば市の名前であるとか町の名前も取り入れたような形跡はあるのでしょうか。その時代だと,村の名前なんかはかなり特殊な漢字も含まれていたりするので,入っていなかったんだろうとは想像するのですけれども,もしお分かりになりましたら,教えていただければと思います。

○氏原主任国語調査官
 これはもう一度資料に当たってみないと分かりません。「府縣名等」の「等」の部分にどこまで入れてあるのかについては可能な範囲で確認してみます。何か分かれば次回に資料としてお出しします。今のことに関連することで申し上げると,当用漢字表の時も都道府県名は入れるべきじゃないかという議論はありましたし,それから当用漢字の字種を見直した常用漢字表の検討の時にも,都道府県名は入れるべきじゃないかという議論はありました。
 そのたびに結局は見送ることになってしまうのは,今,正におっしゃったとおりで,どこまで入れるのかという議論になると,うまく線が引けないというのが当時としての大きな理由です。例えば,都道府県名はみんな入れるとして,それでは政令指定都市は入れるのか,それ以外の都市はどこまで入れるのか,そういうような議論が繰り返されてしまうんですね。そして,町名まで入れるのか,村名まで入れるのかといった議論になっていくと,最後は,そういうものは別に考えるのがいいだろうということで,これまでも来たわけです。お尋ねになった点が,正にこれまで固有名詞を外してきた大きな理由の一つになっているということだけ補足しておきたいと思います。

○杉戸委員
 今日の配布資料2の最初のページの上の四角から矢印が引かれて下の四角へという考え方の再確認と言いましょうか,上の方と考え方そのものは基本的には変わらないけれどもという,そういう念押しのあった説明の上での変更だと思うんですけれども,これは私は,基本的にという,ちょっと奥歯に物の挟まった言い方をしますが,賛成です。
 気になるのが,下の四角の3(1)の最後にアンダーラインが引いてありますところに,「書くことができればよい漢字」,あるいは(2)の下の方4段目「手で書くことができる必要」,あるいは「情報機器を利用して書くことができる」,つまり,可能の形で書いてある点です。できるかできないかを問うている。それで定義をしようとする案ですね。この点が気になるわけです。それは,「常用」ということが基本的には頻度で定義付けられているということとの関係なんですが,「書くことができる」あるいは「できればよい」ということは,ちょっとうまく言えないので,比喩的に言いますが,既に教育の世界に入っている,そういう議論だと思うんです。使われるか使われないかということでなくて,使われたものを読めるかどうか,あるいは使うことができるかどうかという,それは教育の世界の話で,常用漢字というのは,それより一歩手前のものだろうというふうに,その線引きをすべきかと考えていました。
 今日の参考資料2の2ページの中間報告でも,それから3ページの南審議会長の報告でも,特に3ページの<参考(2)>と書いた方の「4標準漢字ノ内容」の3行目にアンダーラインがやはり引いてありますが,常用漢字の定義がある。「右ノ中常用漢字ハ」と書いて,最初の一文は,「一般ニ使用ノ程度ノ高イモノデアリマス」と言い切って,そこが基本的な定義なんですね,第一義の定義。で,「教育上ニオイテハ」と,次の説明として教育の話が出てきている。そこで「正確ニ書クコトヲ得ル様ニ」という可能の能力の話が出てくる。つまり,一般に使用の程度の高いものであるか,次の方の準常用漢字は,一般に使用の程度の低いものであるという,そういう頻度でまずは基本的な定義をして,それにつながることとして,教育上においてはどうかと,そういう2段階の議論をしている。この考え方は,これは一つの意見になるかと思いますが,今度の新常用漢字を考える上でも,是非区別していくべきかと思います。
 ですから,配布資料2の1枚目の定義,下の四角の定義を,じゃ,別の言い方でどうするのかということが次の課題になるわけですけれども,「常用」というのを出現頻度とほぼ等しいという印が2ページに,「常用性(≒出現頻度)」と,そういうことが書いてありますけれども,例えば,この語を書くのであれば,手書きの場合も機械で書く場合も,普通この漢字を用いるという,そういう段階の定義をして,それを常用漢字とする。そして準常用漢字の方は,手書きの場合は,この漢字を使わず仮名でもいいけれども,機械で書く場合は,この漢字を使う場合が多いと。繰り返しますけれども,できるかできないかという言葉は第2段階に取っておいて,普通使うというような,そういう定義の仕方で行ったらどうかというのが意見です。これは,現在の常用漢字表の前書きの第1文もそういうことだろうと思うんですね。「書き表す場合の漢字使用の目安を示す」という,そこでは能力も何も言っていない。

○松岡委員
 今,杉戸委員がおっしゃったことは,まず大きく範囲を決めるときに頻度から攻めるということは,多分全員の合意の上だったと思うんですが,そこは,まず確認されたということでいいのではないかというふうに思います。
 それから,私,今回矢印の上と下とを見て,進化というと変ですけれども,長い時間を掛けたけれども,ようやくこの表現が出たという思いがするのは,「読めるだけでいい漢字」から「情報機器を利用して書くことができればよい」というふうになったことで,正に私たちの文字生活を取り囲む状況の変化ということは,第一が情報機器の発達・普及ということだったので,それと対応する表現が出てきたなと思いました。これは大変喜ばしいというと変ですけれども,これだったという感じがします。
 というのは,前回も私申し上げたんですけれども,「読めるだけでいい漢字」という表現は,裏を返すと書けなくてもいい漢字というふうに,イコールで結ばれてしまうおそれがある。そうではない形でこれが出てきたなという気がします。そういう意味で,ここのところについては私は大賛成です。

○阿辻委員
 参考資料2の3ページの最後に,昭和17年の国語審議会答申「標準漢字表」というものがありまして,「魚部」と「鳥部」が列挙されておりますが,まず確認したいのは,アンダーラインが付いているのは,現在の表外漢字ということでしょうか。

○氏原主任国語調査官
 はい,表外漢字ということです。

○阿辻委員
 それは分かりました。
 この昭和17年の段階で,例えば「鯉」とか「鯛」は常用漢字になっているんだけれども,「鯨」は準常用漢字になっている。これは何か,しかるべき判断の基準というのはあったんでしょうか。それとも1個ずつみんなで検討していって,「鯨」はいいんじゃないかということになったんでしょうか。
 今回同じようなことが起こる可能性が大いにあるわけですね。頻度表で選んできて,これをAランクとレッテルを張るか,Bランクとレッテルを張るかというのは,何らかの客観的な論拠というのを設定し得るものか,そこが非常に大きな問題じゃないかなという気がするんですけれども,その辺に関して,今後何か各委員の方々にお考えがあればお聞かせいただきたいと思うんですが…。

○笹原委員
 この「鯨」が常用漢字に入ったというのは,恐らく「鯨飲」であるとか,「捕鯨」であるとか音読みされる頻度が高いということがあってではないかと思うんですが…。

○阿辻委員
 いいえ,昭和17年の段階では,「鯨」が準常用漢字に入っている。「鯉」は常用漢字で「鯨」が準常用になっているのは,何らかの理由があったのかということです。現在の常用漢字に「鯨」が入っているということを伺っているのではありません。

○前田主査
 これは,その当時の検討資料はもうないわけですね。

○氏原主任国語調査官
 はい。これは,3ページの上の方に書いてありますけれども,新聞社とか印刷会社とかの,こういう資料を使って検討しているわけですね。この時は基本的に出現頻度でやっていますので,当然,「鯨」よりも,「鯉」や「鯛」の方が頻度が高かったということがあると思うんですね。
 今,笹原委員がおっしゃったのは,むしろこの時期に準常用漢字だったものが,戦後になって少し昇格したというか,当用漢字になった理由として,「捕鯨」とか「鯨飲」とか,そういう音で使う語があるので,これが要するに当用漢字に昇格した理由だろうという,多分そういう御指摘だと思うんです。
 ですから,この調査をした段階では,意外に感じるかどうかは別として,この当時としては,「鯨」よりも,やはり「鯉」だとか「鯛」の方が,日常生活の中ではよく使われているという判断があったんだろうと思うんですね。これは,飽くまでもこの当時の実態を踏まえているということは言えると思います。

○前田主査
 当時の資料がないので,はっきりしたことは言えませんね。ただ,今,氏原主任国語調査官がおっしゃったような,そういう判断はせざるを得ないわけです。

○甲斐委員
 配布資料2の,「読めるだけでいい漢字」と「読めて書ける漢字」という分類が今,根本から問題になりつつあるので,私が弁明する必要はないけれども,そこの最初からの流れを説明してみたいと思うんですね。
 そうすると,今回の常用漢字の改定というところには,漢字の使用について,かなりの凸凹があるということはもちろんですけれども,情報機器の活用という社会の変化というのが大変大きかったと思うんです。したがって,読めるだけでいい,読めて書けるというときには,どうしても手紙など手書きをしないといけない場合である。こういうような手でペンを持って書く場合と,それから後はパソコンやワープロで打っていけばよいという,こういう社会状況ということが,昨年大分話に出たと思うんですね。
 それを前提として考えていくと,ここのところで,さっき杉戸委員に言われて,なるほどと思ったんですけれども,3番の(1)に「情報機器を利用して書くことができればよい」というのは,その前提として,情報機器の日本社会における位置付けということがあるわけですね。それを前提として,我々は議論してきた,それがこの言葉に出ているわけです。だから,改めて常用漢字というのを定義していくとしたら,さっき出たような話になるのではないか。これはこれで,今までの流れで言うといいのではないかというふうに思ったわけであります。

○前田主査
 今期は前期を受けているわけですから,前期で常用漢字表の改定を考えようと,そういう大臣からの課題が与えられたわけですが,その時に既にもう情報機器ということが入っているわけですね。だから,その辺りが前提になって議論をしていて,それでこういう文面で書き出す場合に,もう前提となっている,そういった面について,ちょっと後の説明が不足だったというふうなことですね。

○沖森委員
 「常用」ということを,改めてお聞きしながら考えていたんですけれども,つまり文字でもって語を書き表すわけですから,語の重要性と言いますか,それと関連しているのではないかというふうに思うんです。つまり基礎語と言うか,あるいは重要語彙と言うか,それは漢字の頻度ともちろんかかわってきますし,もう一つ漢字の頻度というと,造語能力がどれだけあるか造語力の問題というのもきっとあるだろうと思うので,常用というのを考えてみると,結局その言葉が重要であるという重要さを,ある意味で選んでいくということになるのではないかという気がしたわけです。
 音で書く場合,つまり漢語と言いますか,字音語での問題と,もう一つ訓でもって書く場合の問題というのが多分あるだろうと思うんですけれども,訓で書く場合のことを特にここで少し,私自身の考え方で言いますと,参考資料2の2に,「4感動詞・助動詞・助詞のためのものは取り上げない。」,それから「5代名詞・副詞・接続詞のためのものは広く使用されるものを取り上げる。」と,こういうふうに書かれているんですけれども,日本語には正書法と言いますか,どの字を書いたら正しいか,あるいはそれ以外では間違いだと,そういう考え方が基本的にないので,よく日本語に正書法がないと言われるんですけれども,少しでも表記に体系性を持たせるとすれば,例えば,この前も話が出ていました「すべて」というような副詞は,やはり平仮名にしておいた方がいいのではないか,それから,「ただ」とか「ただし」とかといった場合も,やはりこれは平仮名にしておいた方がいいのではないか。体系性と言いますか,体系のエレガントさというのも重要で,例えば,「すべて」というのが「全て」と書いてあるのが頻度として多いと言われても,そうではなくて,やはりこれを選んだときに一つの体系を持って臨んでいるんだと,そういう正書法的な考え方というのも非常に重要ではないかなというふうに思っております。

○東倉委員
 「情報機器を利用して書くことができればよい漢字」,それを準常用漢字と定義することは,私は賛成です。
 それで,この定義の仕方なんですけれども,今まで手で書きたかったんだけれども,情報機器しか利用できなかったという,手が不自由な人に代表されるハンディキャップのある人の場合に配慮して,手で書くということ自体を,今まで手書きが全盛であったがゆえに,「手で書く」「手で書く」という言葉をクローズアップし過ぎて,ちょっと気になったということがあります。その点と,それから,この資料では,「情報機器を利用して書くことができる」ということになっているんですけれども,情報機器を利用するもう一つの側に,情報機器を利用して読むことができるということが日常的にやり出されているというのが,目の不自由な人の読み上げというようなことなんですね。
 情報機器を利用して読み書きができれば,そういうふうに定義しちゃうと,両方ともコンピューターが全部やってくれるということになって,全部の漢字が読み書きできますよということで定義にならないものですから,そういうこともあるということにここではとどめておきますが,「書くことができる」ということの内容の表現が,ちょっと引っ掛かるところがあるというふうに感じました。

○武元委員
 この常用漢字表の前書きの「1」の文章を読んでおりまして思うことなんですけれども,「現代の国語を書き表す」の「書き表す」というのは,これは,ここにも書いてありますように,世間一般に出回っている各種メディアにおいて書き表されているという意味であって,すべての国民一般がそう書いているという意味ではないんじゃないかというふうに思うんです。つまり,その場面では,国民一般的という言い方は不適切かもしれませんけれども,そういう人たちがそれを読んでいるという関係ではないかという気がいたします。
 その先を考えていきますと,冒頭に杉戸委員がおっしゃったことと同じになるんですけれども,結局,世間一般では,このように漢字が使われているということを国民一般が理解をすべきであると,そういう関係になることではないかという気がいたします。そこに恐らく頻度数調査が関係してくると,そのようにとらえるべきではないかというふうな気がいたします。
 それから,もう一つ申し上げたいんですけれども,情報機器を使って書ける漢字というふうにおっしゃいましたけれども,恐らくそれだけでは不十分じゃないかという気がいたします。つまり,そこにはやはり分かるという条件が伴っていませんと,何か誤用も認めてしまうような余地があるような気がいたしますので,やはり,意味が分かって情報機器を使って書けるというふうに,準常用漢字と言うかどうかは分かりませんけれども,そのような定義をすべきではないかという気がいたします。

○笹原委員
 先ほど沖森委員から日本語を書く漢字なので,語という観点が必要だということで,私もそれはもっともなことだと思っております。先ほど,「鯨」が戦前から戦後に地位が大逆転したということが,この資料から分かるとあったとおり,このことが音読みがあったから逆転したとすると,それは大きな意味があったんだろうと思うんです。つまり,音読みで「捕鯨」なり「鯨飲」なりという言葉があって,その言葉があるということを踏まえて,この「鯨」という字に公認を与えようということがあったというふうに資料から推察されるわけですが,そうだとすれば,語という観点を必ず頻度というものと併せてというんでしょうか,持っていたという点は注目しておきたいなと思います。 杉戸委員も,先ほど常用漢字の今後の定義の可能性として,この語を書くなら普通この漢字を使うと,「この語を書くなら」という観点をお示しくださいましたけれども,私も頻度というのはものすごく大切なわけですが,語という観点も常に意識しなければいけないなというふうに感じたということです。

○納屋委員
 今日は中学校の松村委員がいらっしゃいませんので,もしいらっしゃれば,中学校の立場で御発言になるだろうと思って,私,伺っているんですけれども,教育の方はいったん除いてというふうにおっしゃっていますので,高等学校の方の立場からと言うのはちょっと奇妙かもしれませんが,言葉を使う方,漢字を使う方からしますと,先ほどの話の中で言えば,国民学校を出るというのは全国民だろうと思います。つまり,現在の義務教育のところで言えば,全国民がやっているということなんだろうと思うんです。そのところで1,000ちょっとの漢字を書けるようにという,やはり身体的な動きとしてそれをとらえているところがあって,常用漢字については,高等学校の段階でも,「主な」という形で,書けるところを制限しているところもはっきりしているわけですね。
 そういうことから,このことについて常用漢字自体がこれだけ長い間,「常用漢字」という言葉でもって集団が表されていること自体が,私は文化と受け取りたいところがあるんです。つまり,それだけ親しんできたもので,今までの議論からすれば,削られないというのは分かったのでいいのですけれども,これをまた増やされるというのも,必ず国民は,一度は中学校までの教育を味わうわけなんだけれども,その時に増やされるということについては,非常に抵抗感がある。
 だから,杉戸委員が言ってくださったように「情報機器を利用して書くことが」と,それに武元委員の方は「書くこと」だけでは分からないと。私だったら,これは「利用して正確に書くことができれば」と書いてあれば,もうそれでおしまいかなというふうに感じているんですけれども,同音異義語があったりするから,だから正確に書ければいいということなので,それで終わりだと思っているんですけれども,そういう点からまず一つ,大きくは増やさないという共通の観点があるように思います。
 頻度数だけで行きますと,「御名御璽」の「璽」という字なんかは風前のともしびのように受け取られて,とんでもない話で,高等学校でもそうなんですけれども,漢字の場合には,補助教材を持たせていることが多いです。普通科は特にそうです。専門課程の方とか定時制課程とかになってくると難しいところはありますけれども,補助教材として,常用漢字の範囲を書けるようにというふうな努力をしているわけです。だから,その章立てが1回30字ぐらいでしょうか,40字ぐらいでしょうか,まとめて30回ぐらいで勉強できるようにというような形の努力をしているわけです。
 ですから,そういうことからすると,それが増えていくというのはいいじゃないか,もう少し増やしてもいいじゃないかとなると,なかなか大変なところが出てくるから,余り増やさないという大前提に立つと有り難い。
 それから,特別漢字,準常用漢字というふうなことで,「準」というふうに言われたときに,ここが問題のところなんだと思っているんですけれども,正確な定義付けをしていただかないとよく分からないですね。後でまた減ってしまうのかというような感じがあって,これは寂しいですね。そんな一時的なもののために一生懸命やるのかということに…。ここまでという線引きが,やはりちょっとあやふやになるのではないかなという感じを受けています。

○邑上委員
 私も,中学校の松村先生がいらっしゃらないので,小学校の方の立場からお話し申し上げます。
 今までの御議論と今回の御説明で,定義の仕方が,なるほどと納得させていただいた部分があります。ただし,その基本には,先ほど氏原主任国語調査官がおっしゃったように,コミュニケーションツールとしての漢字ということをやはり大事にしていきたいという思いがあります。小学校などにおいても,受け手と使い手は一緒,つまり読めるという受け手と,それを相手に発信する使い手というのを一緒に教育しております。教育については,次の段階というお話もありましたけれども,その辺りはすごく大事にしたいなということがあります。
 それから,手書きというのは教育界の中でもすごく大事で,思考,それから理解,次の漢字の推測,そういうところにもつながる大変重要な能力だというふうに思っております。ですから,情報機器でも,Bの準常用漢字の理解はよく分かりましたが,高校の委員と同じように,これ以上たくさん数を増やしますと,小学校教育においても,例えばルビが増えてしまうと,かなり現場では混乱があります。小学校の1,006字が書ける段階で中学に送るというふうに言われておりますが,やはり受け手と使い手の一致という意味では書きもやりますので,1,006字,卒業させるまで頑張ります。そして,それをまた中学の3年間で受けていただいて,その1,006字を確実にという基本ができて,初めて高校に行くのだなということがよく分かります。
 そういう意味でも,教育界に入ってきますとその漢字は大事にいたしますので,数を増やすということは,ルビ付きの教科書の文字が増えるということにもつながるのではないかということを私は危惧しております。その辺りを是非考えていただきたいということと,小学校においては訓読みを広げていきたいなと思います。語彙を増やすという意味で,その辺りを見ていきたいなというふうに思っているところです。

○阿辻委員
 教育用の漢字を決めるのは学習指導要領だろうと思いますので,我々が今与えられている任務というのは,日常生活において,必要な漢字の字種を選定することであって,その中に集まってきた漢字の中で,文部科学省のしかるべき組織が学習指導要領をお作りになるわけですから,二の次の問題とは申しませんけれども,現場の教育ということはもちろん重要ではありますが,それ以外のファクターも含めて字種の選定を行うべきだという気がいたします。
 学習指導要領は,当然,新しい常用漢字表が発表されれば,それに則して,きっと文部科学省の方が小学校の学習指導要領あるいは中学,高校の学習指導要領の改訂というステップに移っていくのだろうと思いますので,それはそちらにお預けするべきことであって,我々がどうのこうのとするということではないだろうという気がします。
 もう一つは例えば大きな果物かごがあって,出現頻度数などの調査によって2,000個のリンゴが浮かび上がってきたら,そのリンゴを果物かごに入れる。赤いリンゴにするか緑のリンゴにするかというのはファジーな話でありまして,例えば,剥奪の「剥」,金メダルを剥奪するときの「剥」という漢字は,Aで書かれている「だれしもが読めて分かって書けるというタイプ」なのか,Bの「読めて分かればよくて電子機器で書くことができればよいというタイプ」なのか,例えば,Bのタイプを緑のリンゴと比喩しますと,Aの赤いリンゴにするのか,Bの緑のリンゴにするのかというのは,我々が決められることではないだろうという気がいたします。取りあえずすべきことは,果物かごに入れる赤か,緑かに染められる可能性のあるリンゴを選ぶことである,私はそこから着手をしていくべきだというふうに考えています。

○杉戸委員
 今の阿辻委員の御意見に重なることだと思いますので申しますが,今日の配布資料2の1ページの二つの四角の中の,「3」というのは,配布資料3の1,2,3の流れの中の「3」であるわけですね。

○氏原主任国語調査官
 はい。

○杉戸委員
 そうしますと,その「3」をさかのぼって,それに対応する「1」というのは,つまり配布資料3の2ページの下の方の1,そこですよね。

○氏原主任国語調査官
 はい,そうです。

○杉戸委員
 となりますと,Ⅱの1の「(1)漢字表作成の意義」という中に,現在の常用漢字表の前文が引用されて,この(1)の意義の書きぶりは,現在の常用漢字表の「法令,公用文書……云々うんぬん」,これを基本的に引き継いでいくと,そういうふうに私は読んでいるんですが,それは間違っているということならば,また御指摘いただきたい。
 申し上げたいことは,ここの「法令,公用文書……など,一般の社会生活において」の「漢字使用の目安を示す」,そういう範囲が1,945字なんだと,その数を増やすかもしれないけれども,その基本的な性格は引き継ぐ。そのことと,今日,新たに改定が加えられた資料2の「手で書くことができる」あるいは「情報機器を利用して書くことができる」,そのこととはどういうふうにつながるかですね。
 つまり,法令とか公用文書,新聞,手書きか,情報機器を使うか,それは普通の一般の社会人の生活には考える必要のないことだと思うんです,そういう法令とか公用文書を手書きにするか,ワープロで書くかということはですね。うまく言えないんですが,そのことには距離があると…。常用漢字表は,こういう範囲の一般の社会生活においての漢字使用の目安だと,そういう文字集合を示す。その定義をするときに,手書きができる,あるいは情報機器を使って書ければいい,そういうようなことにすると,その間が非常に距離があることになりはしないかということを申し上げたかったんです。常用漢字そのものをきちんと定義付けることが必要だと思いますが,それは手書きか,情報機器の使用かによらず,そして更に書けるか書けないかということによらず,別の言葉でまずは定義付けて,それが結果的にこういう性格を持つ,手書きで書けた方がいい,情報機器で書ければいいとか,そういう性格付け,あるいは青いリンゴ,赤いリンゴの区別がその次の段階として付与される。それが,さらに,次の段階で教育の学齢に応じた漢字の配当が検討される,そんな段取りが必要じゃないかと思うわけです。

○甲斐委員
 私も,さっき阿辻委員が言われたところで,今の杉戸委員と同じような感想を持ったんですけれども,つまり邑上委員が,書ける漢字と読めるだけでいい漢字というのは,今の教育漢字と常用漢字の関係をほぼ表しているということを言って,そして学校教育に,読めて書ける方を増やしてほしくないということを言った。それに対して,今度は阿辻委員が,自分らはそういう気はない,常用漢字をとにかく決めるんだということを言われた。それはそれでいいわけです。
 そうすると,常用漢字をとにかく我々は,漢字ワーキンググループで3,000字ぐらいの頻度数と,それから前から出ている戸籍謄本の「謄」のような社会的に有用性のある漢字という別の物差しを使って幾つか特別漢字を入れて,それと2,000になるかどうか分かりませんけれども,ある程度の漢字を出したとする。そこには,使用頻度というのを付けたというところが,今回の新しい常用漢字表の提案になるだろうと思うんです。そこに,読めるだけでよいということをやれば,これはもう学校教育に直結するわけです。書けなければならないとなったら,義務教育ということが出てくるわけですから,そういうことで言えば,「読めるだけでいい」と「読めて書ける漢字」という,ここの見方はどうするとよいかというところは,やっぱり検討していかないといけないのではないかというふうに思いました。

○阿辻委員
 先ほど申しましたことは,ちょっと大胆過ぎたので,もう少し補足させていただきますが,去年でしたでしょうか,この議論の発端の一つとして,憂うつの「鬱」という字が話題になっていたことがありました。「彼は今,うつ状態だ」とか「そううつ病だ」というとき,今は交ぜ書きで書きますけれども,電子機器の普及によって,憂鬱の「鬱」というのは,あれはかつて手書きでは書けない漢字の代表みたいな位置付けでしたけれども,今や携帯電話でも簡単に書ける文字になっています。そのときに,交ぜ書きで書くのか,その憂鬱の「鬱」が常用漢字に入っていれば,情報機器で使えるわけですから,公用文とか社会生活一般で「鬱」という漢字が使えるようになるわけですね。
 例えば,「鬱」が新しい常用漢字表に入った段階で,これまでは交ぜ書きで書いていた表現が漢字を使って書ける。ほとんどの方がそれを読めて,意味がお分かりになる。だけれども,その字は手書きでは書けない。この字,手書きで書けないよという反論が起こったときに,いや,情報機器で書けるじゃないですかという手当てをこちらがしておけば,頻度数の点で問題がなければ,常用漢字に入る資格があるのではないかという気がするんです。その段階で,「鬱」という字は,手で書ける必要はありませんということを明示する必要なんか,どこにもないわけですね。大きなざるの中に「鬱」というリンゴをほうり込んで,それを赤く塗るのか,緑に塗るのかは,それは社会の判断だというふうに私は思っております。
 だから,二つの構造に分けるというのは魅力的な考えではありますけれども,実際にその線引きをどこでするかというのは至難のことだろうと思いますし,それをめぐっては社会的にものすごい大きな反響が出てくると思いますので,その辺はファジーにしておく方が,比較的いろいろ便利に活用できるのではないかという気がいたします。

○金武委員
 個々の字種をどう選定するかということと,常用漢字の基本的な性格をどう考えるかということとが,どうしても一緒になるんですけれども,一緒になってしまうと進まないような気がします。
 それで,前期から結論が付いていることなんですが,取りあえず頻度で3,000字程度からまず絞っていく。具体的に絞っていくときに,初めて,この字はどういう理由で選ぶのか落とすのかということになるわけで,まずは具体的に漢字ワーキンググループである程度絞っていただいて,実際の字種が出た時に,ここで議論した方が具体性が出てきて進むような気がします。
 それから,基本的な性格として,「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示す」ということがもしそのまま受け継がれるとして,この「書き表す場合」というのは,当然時代によって,現在は新聞などは,役所もそうでしょうけれども,情報機器で打っているわけですから,この部分の「書き表す」というのは,当然そういうことが含まれる。むしろ一般の日常生活の手書き,手紙のようなものが中心ではないような感じがします。「書き表す場合」という言い方は…。
 それと,字種を具体的に選定していく場合の基準として,先ほど正書法ということが言われましたが,戦後の国語改革の考え方としては,とにかく複雑多様な表記法のある日本語をなるべく簡単にしていこうという出発点があったと思います。その反動で余りにも制限し過ぎたということが出てきたんですけれども,基本的に,例えば仮名遣いにしても,送り仮名にしても,これは正書法の考え方で言えば,一語一表記ということは比較的取りやすいので,特に,現代仮名遣いではほとんど今例外がない。許容があるにしても,許容を使わなければ,ほとんど正書法になっているんじゃないかと思います。それから,送り仮名も本則だけで行けばそろっている。
 ところが,漢字仮名交じり文ということを考えると,漢字を使うのか,平仮名を使うのか,片仮名を使うのか,あるいは交ぜ書きにするのかということで,その正書法は,日本語の表記から言えば一語一表記にすることは不可能ですから,ある程度幅があるにしても,新常用漢字表の字種を選ぶ場合においては,そのことを頭に入れておいた方がいいのではないかと思います。頻度が多くても,書き方が,これは漢字を使わない方がむしろ正書法の立場としてはいいという,戦後の国語表記の原則から行って,新聞や雑誌で,例えば,助詞とか助動詞とかはほとんど仮名書きにしている。ですから「為(ため)」という字が,音訓で「い」はあっても「ため」がないのは,平仮名で書けということだと思いますし,一般的に新聞で「ため」を漢字で書くことは,仮に音訓があってもないと思います。しかし,今の若い人で学校教育を受けてきた人の場合はどうか知りませんけれども,年配の人は「為」を漢字で書くわけです,「○○するため」という場合でも…。
 そういうように,一般的には漢字を知っていれば漢字を書いてしまう。まして,情報機器で打てば出てしまうというような場合には頻度が多くなる可能性もあるので,特にブログなどを見ていますと,かなり文字の使い方がいい加減のような気がしますので,余り頻度だけで考えるのもどうかと思うんです。今,いわゆるワープロソフトは,「○○するため」と言えば大体平仮名が出るようになっていますので,そういう意味の規制はされています。つまり機械が正書法の一部を担っている。送り仮名なんかもそうですが,そういうことも頭に置いて字種を考えていくことが必要だと思います。

○前田主査
 これまでのところで,事務局の方から何か補足することがあれば,お願いします。

○氏原主任国語調査官
 はい。それでは,配布資料2の2ページ目をちょっと御覧いただいて,先ほど時間の関係で省略してしまったんですが,前回の議論の中でも,例えば「歌舞伎」などという語をめぐって,特定の分野にいる方にとってはそれは非常に常用されている語であろうというようなお話が出ていました。正にそこでは常用漢字なわけですね。それからもう一つ,先ほど杉戸委員のお話にもありましたが,常用漢字表の前書きが2ページの上の方の(1)に引用してあります。前書きの「1」の「法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活(における漢字使用の目安)」,「2」の「科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」という下線部はペアにして読むべきところで,要するに専門分野には専門分野なりの漢字の使い方があるでしょうから,そこについてはこの漢字表は口出ししません。専門分野でない,一般の社会生活での漢字使用の場合は,共通性の高い,つまり共通性が高いということは,お互いにその漢字を使ってコミュニケーションができる,ある漢字を使ったときにその漢字が分からなければ相手に伝わらないわけですから,お互いに共通して使う漢字の土俵を決めておきましょうというのが,よく言っている「広場の言葉」に当たるわけですけれども,そこの漢字を決めるものであって,専門分野は別ですよと言っている。
 それから,「個々人の表記」というのも,これも個人的な,例えば自分で日記を書くときにまで常用漢字なんか意識しなくていいですよと言っているわけです。ただ,自分で書いても,それが一般の社会生活にかかわっていくような文章であれば,常用漢字表の範囲を守って書けば,それは漢字仮名交じり文として読みやすく分かりやすい文章になりますよと,そういう漢字表なわけです。
 ですから,そもそも常用漢字表の現在の前書きにあるような性格の漢字表でいいのかどうかということを,やはり確認しておく必要があると思うんですね,そして,「3」に「固有名詞を対象とするものではない」とあります。繰り返しになりますけれども,これまでは,固有名詞を対象とするものではないという理由の下に,大阪の「阪」とか岡山の「岡」とかという非常に頻度が高い字が外れてきた。これもこのままでいいのかどうかについては,字種を選定していく過程でもう一度考えましょうという話になっています。ここも今後の論点の一つです。
 その下に,(2)として,内閣告示,内閣訓令になる一つ前の段階の答申の前文から引用したものを掲げています。そこに,「常用漢字表は,法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等,一般の社会生活で用いる場合の,効率的で共通性の高い漢字を収め,分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安となることを目指した。…略…なお,ここに言う一般の社会生活における漢字使用とは,義務教育における学習を終えた後,ある程度実社会や学校での生活を経た人々を対象として考えたものである。」とあります。そういうことで,常用漢字表自体は,義務教育を終えて,ある程度実社会や学校などでの生活を更に続けた,そういう人たちを対象としているということで,義務教育よりはもう少し年齢の高い人たちを対象として考えているわけですね。
 この辺りが常用漢字表の基本的な考え方だったわけですけれども,これに関しては,これまではこういう方向で行こうというところは,何となく委員会としても合意されているような雰囲気になっていましたけれども,ここもやはりきちっと確認しておく必要があると思います。そうでないと,常用漢字というのはそれぞれの分野によって違うという話に当然なるわけですが,この常用漢字表には,もともとそれぞれの分野,それが専門分野にわたるものであれば最初から排除されています。今非常に難しいのは,その各種専門分野が一般の社会生活の中に相当入り込んできていますよね,特に科学の分野とか。そういったところで,ここも非常に線引きがしにくいんですが,考え方としてはこれでいいのかどうかというところも,この場で決めておいた方がいいだろうと考えています。これは,先ほどの杉戸委員の御発言や,前回の議論を伺ってのことでもあるのですが,やはり一度きちんと確認しておく必要があるだろうと思います。

○前田主査
 確かにそれが必要ですね。それから,前回の意見を承って,常用漢字表の字数のことをこの間ちょっと私も申しましたけれども,教育の方とのかかわりで言うと,字数を余り増やしてほしくないということになる。余りというまとめ方でいいのかどうか分かりませんが,そういう意見が強かったように思いますが,個人的には,私のところにいろんな手紙とかそういうものが来るわけですが,多いのは字を増やせというふうな方向が強いんですね。それで,その辺りのところが世間的にはかなりあるのかなと,私は前々から思っていたんですが,これは「表外漢字字体表」の検討のころからですけれども,そういう点はいかがでしょうか。
 もしその点が,例えば,2,000字前後とか,2,000字以内とかというふうな形で考えるとすれば,これはもう当然前回かなり中心的な話題になったように,準常用漢字表なんていうものを考える必要はないわけなんですね。この字数の目安みたいなものが考えられていると,漢字ワーキンググループとしては非常にやりやすいというか,やりやすいなどというのは妙な言い方かもしれませんが,私としてはそういう印象を持っているんですね。それで,もし字数を増やしてほしいという要望が強ければというようなことも考えていたわけなんですけれども,その辺りのことで何か御意見があれば…。

○松岡委員
 質問なんですけれども,仮に新しい漢字表の字数が例えば3,000とかとなった場合,教育へのプレッシャーというのは,どこからどういう形でどの程度生じると考えるべきなのでしょうか。そこのところが,何か私にはもう一つ見えないんですね。増やさないようにという教育の現場からのお考えというのは,一人一人の生徒とか先生の労力とかを考えれば,義務教育の中で生徒たちが習得しなければならない字数というのは,そうそうやたらに増えちゃまずいというのは十分分かるんですけれども,それと常用漢字表の字数を増やしたこととが直線的につながる,それだけのプレッシャーになるものなのかどうか。つながるとしたら,それはどの辺からどういう形で,どういう意図を持って行われるのかというのが,ちょっと今私の頭の中でつながらないので,どなたか御存じだったら教えていただきたいんですが…。

○甲斐委員
 平成16年2月の文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」の中で,常用漢字について,やはりかなり強い言及がありました。特に小学校でも振り仮名を付けて出せというようなものですね。したがって,常用漢字表というのは義務教育とは切っても切れない関係にあると私は思っているんです。
 ただ,今回の選定のある一つの過程で,学校教育の問題は,ちょっと置いておこうとなっている。そして,とにかく漢字を3,000字ほど集めて,頻度順に並べて検討してみようということになっている。そこで私も黙っているんですけれども,しかし実際は,それで2,500に増えたとなると,その中の「準」の部分は学校教育とは区別しますねというふうなことになっていくわけですね。したがって,やっぱりこれは漢字ワーキンググループにやっていただいて,結果を見て,それからどうするかということになるのではないかと思うんです。
 というのは,もうちょっと言うと,やっぱり国語審議会,文化審議会の流れというのがあって,学習指導要領の今度の改訂は,前の「これからの時代に求められる国語力について」は十分に受けております。そうすると,それを今度はこちらの方が無視して,学校教育は別ですよというわけには行かないというのが私の意見なんです。

○金武委員
 新聞は書き手でもありますけれども,読者というのを想定しているので,できるだけ大勢の国民に読んでもらいたい。そのために,当用漢字の時代から,ある程度それを目安というか,当用漢字の時代はほとんど制限して新聞を書いてきたわけですけれども,常用漢字が義務教育もしくは高等学校も含めて,高校を卒業するまでにはマスターしている漢字であるから,その範囲で新聞を書けば,辞書なしで読んでもらえるだろうと,そういう立場で作ってきたわけです。だから今回もし常用漢字が非常に増えて,それが教育とかい離するということになると,新聞がそれを全部使うのは,書き手としては便利だけれども,読み手には負担が掛かってくるということで心配ですね。
 この前も申し上げましたけれども,現在,各新聞社が常用漢字にプラスして使っている表外漢字というものは40字から,多くて6,70字なんですね。ですから,いずれにせよ,1,945字から11字は使っておりませんので,実際は2,000字を超えていないか,超えても2,050字とかせいぜいその辺りで,一番多く使っている社もそうやっていると思います。もちろん,難しいと思われるものにはルビを振るようなことも今多くなっておりますので,新常用漢字が2,000字より増えても,それはそれでそういう結論になればいいとは思いますが,私としては,2,000字前後で収めた方がいろんな点で良いのではないかと思うんです。その後に,2,000字前後に増やす字種の選定について,客観的あるいは説得力があるような理由が付けられれば,それで良い。
 したがって,例えば,前回では固有名詞に主として用いられるものは取り上げないということは,今回は一応それも御破算にしてということになっておりますので,大阪の「阪」のようなものをもし入れる場合に,どういう理由で入れるのかということが分かれば,それはもう大阪の「阪」はだれでも読めるし書ける字ですから,常用漢字に入ってもそんなにおかしくないと思っております。

○納屋委員
 私は,先ほど,常用漢字表自体が国民の文化だというふうな言い方をしたのですが,長い間使ってきていると,大体この辺りだろうというものが,こんなことを言うと大変申し訳ないんですけれども,そういう感じがしているわけですね。ですから,私は増えないものと思っているんですけれども,数が大幅に増えていったとすれば,やはり一時的に混乱が生じると思います。
 それから濵田委員が最初にお話しになっていらっしゃったんですけれども,世間で,結局手書きの漢字をといっても,それは試験の時しかないというふうなおっしゃり方をなさっているんですね。現実にそうだと私も思います。別に大学入試センターテストだけじゃないんですけれども,それはやっぱり中学の入試を見ても,それから公立のものもそうですし,大学もそう,それから,就職試験の時…。最も私がすごいと思うのは,警察官になるのに随分漢字を重視しているんですね。そういうふうな文化伝統というんでしょうか,今までの流れが断ち切られるようなことがあるんじゃないか。つまり試験の仕方で,情報機器を活用した形での試験ができるならば,また,別な形なんだと思いますけれども,人間の身体的な中での活動でというふうになってくると,やはり今は紙でというふうにしか,私にはちょっと思い付きにくいところがあるんです。
 ですから,阿辻委員がおっしゃったのはもう明確,それから杉戸委員がおっしゃったことも明確で,やっぱり使われている,ここに書かれているような形で国民生活の中でよく使われる漢字というのは,もう当たり前だと私は思います。それも当然だと思って受けているんですけれども,教育の方でも,全員が義務教育を受けるわけだから,それもやっぱり文化ではないか。そこのところも少し配慮をして,作業に入っていただけませんでしょうかということです。

○沖森委員
 今のままの定義と言いますか,常用漢字の定義で行きますと,書けなければいけないということで選ぶわけなんですけれども,実際に教育漢字が1,006というわけでして,現在の常用漢字が全部書けなくてもいいということですから,恐らく1,000から1,900の間ぐらいに収まるだろうと思うんです。そういう意味で言うと,2,000を超えるということは,それは非常に記憶の負担になると言いますか,余り効率のいいことではないというふうに私は思っております。
 では,どこまで書けたらいいのかという問題は非常に難しくて,それは私も,だからこれは書けなきゃいけないんだというふうに決めることはできないと思っております。結局,使う頻度ですよね。語彙として広い範囲で用いられていて,どの分野でもよく用いられると,そういう何か一つの目安というものを,まあそれだけじゃないんですが,いろんな目安を立てて,柱を立てて,その中から,これは手書きでなきゃいけないんだというふうなことを決めていただくと言いますか,そういう合意ができないと,なかなか手で書くべき漢字というのを選ぶのは難しいことかなと思っております。

○林副主査
 文字の習得とか手書きの問題というのは非常に大事な,特に漢字のような性格の文字にとっては非常に大事な問題ではあるんですが,やはり常用漢字のような性格を持ったものを議論していく過程では,そこへ余り深入りし過ぎると,ちょっとその目標がずれてくるのかなというふうな感じを私は強く持つんですね。
 確かに,常用漢字ができたころと比べると大きな変化がありまして,一つは,言語そのものに変化があった。もう一つは,特に書く手段に大きな変化があって,情報機器が非常に発達をしてきたということですが,そういう事態の中で対応できる新常用漢字表ということを考えるというのが今回のミッションです。私が自戒をしておりますのは,やはりそういう大きな変化に流されて,こういう施策が追認的になり過ぎると─事態を追認すること自体は大事なことなんですが─なり過ぎるというふうなことは,やはりこういうものを有効な施策として示していくには,その見識において少し深みが足りないのかなということです。
 大事なのは,やはりこういう情報化社会で,国民共通の言語材として漢字というのは一体どの範囲に定めておく,あるいは目標をどの程度に置いたらいいのかというふうなところに,我々の言わば知恵を集約するということであって,特に,どの範囲というときに考えなければいけない重要なファクターというのが二つあって,一つは読みやすい文章を書くのに必要な漢字ということ。情報化社会なものですから情報が多くなって,読み手の負荷というのが非常に大きくなっている。これは,一つの変化なんですけれども,それに対応するためには,やはり読み手において効率性の高い書記法というふうなものが非常に重要になってくるわけで,そういうときに必要な漢字の範囲というのは,具体的な漢字をイメージしながら,どれくらいなものになるだろうと考えなくてはいけない。一方,同時に一定の努力で習得可能な範囲に収まらないといけませんから,この二つの言わば条件を中心にして,要するにこういう情報化社会での国民共有の言語材としての漢字というのはどの範囲に収まるかというふうなことを,やはり足元からきちっと説明できる,そういうスタンスを固めていく必要があるのではないかと思うんです。
 それでは,余りにも抽象的なもので終始し過ぎるのではないかということに関して,あえて予測として申し上げますと,私も恐らく限度は2,000字ぐらいの規模になるのではないかというふうに,予測としてはそういうふうに思いますけれども,しかしそれは結論が先にあるのではなくて,今のような方向で具体的な議論を詰めていく。その結果として,そういうふうなものが出てくることが予測されるし,望まれるということではないかと思います。
 ついでに,文字の習得ということに関して言いますと,これは文字に限らないんですけれども,実は言語習得というのは,私どもの一生のかなりの年齢までその習得の時期というのは及んでおりまして,文字というのはもちろん義務教育の範囲内で習得して,後はそれを使って生活しているというわけではない。ましてや,高校までに学習したもので事足りるというようなことでもなくて,実際に,例えば,実社会に入っていって,どうも自信がなかったような漢字というのは,辞書を引いたり人の書いたものを見たりして自然に覚えるんですね。敬語みたいなものもそうなんですけれども,言わば習慣性の非常に強い,それに依存している手段というのは,やはり社会に入っていって必要なものを覚えていきますから,実際に普通の人が頭の中で漠然と感じている以上に,実は習得の期間というのは一生の間で相当長いのではないか。
 だから,文字の獲得ということは,必ずしも義務教育,あるいは高校までの教育ということの中だけで考える必要はない。それよりは,本当に国民にとって読みやすい文章を書くには大体どの程度の漢字が必要なのか,そういう角度で,問題を具体化していくということが今回非常に求められている重要なことではないか。そのときに,余り事態追認的になり過ぎないで,少し我々の見識をそこにしっかり深めていきたいということではないかなというふうに思います。

○前田主査
 かなりいろいろな御意見が出てきまして,いろいろと分かったところもありますが,残り時間が少なくなってきましたので,確認みたいなことになりますけれども,極端な例を幾つか,先ほど漢字を増やしてほしいという希望が一方ではあるということを申しましたが,逆に,漢字は廃止すべきだという意見ももろちんあるわけですね。これは,例えば文化審議会の総会の時に前期のまとめが報告されたわけですが,その時に,漢字の廃止の方向というのが御質問で出たんです。その時の私自身の答えは,現状として,ここしばらくの間には漢字廃止の方向には行かないと思っている,だから,今の状態を守りながら変えていくというふうなことが必要ではないかと。つまり,その場合には,当然常用漢字表というふうなものが考え方の基本になると思っているんですが,そういう極端…,私が極端と思っただけですけれども,私の友人の中にも,漢字廃止の方向というのを世界的な範囲で言うと考えるべきだという意見の方もおられますし,そういうこともあるということです。
 しかし,前期の国語分科会で報告してきましたように,一応そういうふうな形で考えていきたいというふうなことは,これは最初に申し上げるべきことだったかもしれませんけれども,もし御意見がありましたら,おっしゃっていただければと思っています。
 それから,いろんな考え方があるわけですから,もちろんこういう制約というふうなことは気に入らないということもあるわけで,制約を何とか守っていくというか,これは今の漢字文化という中で自由な個性を発揮した表現をしていくということにもつながることでもありますし,また一般に広く共通の理解をしてもらうというふうなことで,今,林副主査のおっしゃったような考え方が,やはり基本になってくるのかなというふうに思っているんですが,その辺のところにつきましても,皆さんの御意見を頂けたらと思うのです。ちょっと余分なことになるかもしれませんが,これから考えていく場合の前提として一言申しましたので,御意見を頂ければと思います。

○濵田委員
 どうしても文字,漢字という場合,教育と無関係ではあり得ないと,これは私ずっと思っております。最近,ゆとり教育の見直しというのが盛んに言われ始めましたので,そうなりますと,常用漢字の数だけの問題ではないだろうと思うんですけれども,もう少し国語力を付けるために授業時間を増やせとか,そういう流れになってくるんじゃないかというふうに思うんですね。
 一昨年作りました「文字・活字文化振興法」も,OECDの中で子供たちの読解力が非常に悪くなったというので,政府の皆さんも慌てて,何とかしなくてはいかんということになった。これは我々出版界も一緒にやっておるわけですけれども,その中でも,やっぱり言語力とか国語力という言い方をしていますけれども,これは今後どういうふうに教育政策に反映されるのか,今のところ読めないんですね。漢字の問題だけ議論しているのと,教育の流れが今度どう変わるのかが連動しないと,おかしいものになるんじゃないかというのがあるんですけれども,その辺はどうなんですかね。

○前田主査
 最初からその点についての見通しを付けていくというのは,ちょっと難しいと思いますが,実際には,例えば名前の問題なんかは,これはもう明らかに世間的な状況が非常に変わってきていて,そういったものに応ずる形で,法務省のああいう改定があったと思うんですね。その点では,旧国語審議会の表外漢字のこともそうでしたですし,多少遅れぎみであったということは,これは認めざるを得ない。今回も,名前のことについて,固有名詞についてどうするかというふうなことが問題になって,一定の意見は付けたい。しかし,漢字表に取り上げる字種自体にはそのことは出てこないような形になりますね。だから,そこのところが実際のこれからの状況の中で遅れた形になるかどうかというところが,私自身も心配なところなんです。個人的には,少し前進というふうな形で,大幅な改定はしないで済めばというふうには思っているんです。
 だから,文化的な要請として,非常に多くの学習漢字を要請されるというふうなことは,今のところ,私としては想像していないです。これは,これから審議していく中でそういう問題が出てきたときには,改めて考えざるを得ませんが,今のところは,個人的にはそういうふうな気持ちでおりますが,いかがでしょうか。

○金武委員
 教育のことはさておいてという話もありましたけれども,どうも今日の話では,常用漢字表と教育とは,やはり密接な関係があるわけで,そういうことを考えて,総字数が2,000字より余り増えない方がいいというふうになる場合,どうしても使いたい漢字,特別な分野では使っているし,一般的にもそれが利用されているというのは,もう前々から言われているような歌舞伎の「伎」のようなもの,これは前期で私が新聞界の実情を説明しましたし,前回の委員会でも言いましたが,新聞では,「歌舞伎」とか「浄瑠璃」とか「小唄」とか,これらはその熟語に限って使用を認めています。したがって,新聞常用漢字表の中には,歌舞伎の「伎」は入っていないけれども,ルビなしで「歌舞伎」という熟語については使えます。
 そういう形は,ちょうど今の付表で,字種は常用漢字だけれども,本表の音訓では認められていないというものが入っているわけですが,それを新聞界では,制限字であるけれども,これは常用漢字並みに熟語としてなら使うという表を作っておりますので,この前,資料で提出しましたように,もし今後の字種の選定のときに,熟語としては使うけれども,ほとんど応用範囲のないような字については,そういう第2付表みたいなものが作られれば,常用漢字本表の字種は増やさないで済むのではないかというふうに思います。実際,単独の漢字では読めなくても,熟語だったら読めるという言葉というのはたくさんあるわけですから,そういうような表を作るのも意味のないことではないんじゃないかと思います。

○前田主査
 文化力というか,そういう文化的な方面の用語に用いられるような漢字,あるいは教育の方でも,理科とかそういう方面なんかでもどうしても必要な表外の漢字というのがあるわけですね。今,金武委員がおっしゃったように,何らかの形でそのことについて触れることができればというのは一つあります。
 私は,個人的な意見で申し訳ないんですが,準常用漢字というふうな,非常に難しいという御意見が多かったんですが,そういうあいまいな地帯を設けるのも一つの方法かなと思ったのは,そういう問題のあるようなものはそこに入れてしまえば,扱いが非常に楽になるのではないかと思うからです。決める場合のことを考えて,ちょっと個人的には思っていたんです。これなら,かなり書けない字とかいろんな字が入ってもおかしくないかなと,こういうふうに思ったんですが,全体の方向としては,すっきりとした形でいくためには,やはりそういうものを設けない方がいいというお考えがどうも全体の御意見に近いようですから,その範囲で考えていって,それでうまく行かない場合にまた御相談するというふうなことになろうかと思っています。これは,ちょっと先取りした形になってしまい,申し訳ございません。

○武元委員
 私が聞き逃しているのかもしれないんですけれども,先ほど氏原主任国語調査官から御説明のありました昭和17年における標準漢字表の中の準常用漢字というものは,常用漢字の延長線上にあるもの,端的に言えば,常用漢字よりも出現頻度が相対的に小さいものというふうに考えてよろしいのでしょうか。
 それからもう一つ,少々先走りするかもしれないんですけれども,新しい常用漢字,特にコアになる常用漢字というものを選定するに当たって,具体的な進め方としては,やはりいろいろなさっておられる頻度調査に基づいて,例えば2,000なら2,000の漢字というものをざあっと並べてみて,その上で,さっき林副主査がおっしゃったような読みやすい文章を書くためにというようなこととか,総数の問題であるとか,それから今の常用漢字とはどのような違いが生じてくるのかというふうなことを見ていく,そのように進めていくことになっていくのでしょうかという,その2点をお伺いしたいと思ったんですけれども…。

○氏原主任国語調査官
 準常用漢字は,参考資料2の2枚目の方にも3枚目の方にも出てきますが,3枚目の方が分かりやすいかと思います。3枚目のところですけれども,この四角に入っている4番に「標準漢字ノ内容」というふうに書いてあって,ここに「常用漢字ハ國民ノ日常生活ニ關係ガ深ク、一般ニ使用ノ程度ノ高イモノデアリマス」,それは「教育上ニオイテハ、國民學校全課程修了者ガ必ズ正確ニ讀ムコトヲ得、マタ正確ニ書クコトヲ得ル様ニ學習セシムベキモノデアリマス。從ツテコレヲ全部國民學校ノ國語讀本中ニ提出シ、カツ書取練習ニハコノ範圍ノモノヲ課スベキモノト認メマス」とあります。常用漢字はこういうものですね。
 その次に,「準常用漢字ハ常用漢字ヨリモ國民ノ日常生活ニ關係ガ薄ク、マタ一般ニ使用ノ程度モ低イモノデアリマス」ということで,基本は正に今おっしゃったとおり,出現頻度数すなわち使用度で決めているわけです。使用度の高いものを常用漢字とし,準常用漢字は常用漢字よりも使用度の低いものなんですね。ここが先ほど申し上げた,この標準漢字表の分かりやすさなんです。だから,常用漢字と準常用漢字の位置付けが非常に分かりやすいんですね。使用度が高いものを常用漢字と決め,それに準じるものを準常用漢字と決めただけなんですね。
 ところが,現在の常用漢字は,使用頻度だけではなくてそれ以外の要素が入ってきているものですから,常用漢字と言いながら使用頻度の低い漢字が入り,常用漢字と言いながら使用頻度の高い漢字が外れているという,こういう選び方をしているものですから,この部分が,やはり一般から見てもなかなか分かりにくいのではないか。そして,この漢字小委員会においての議論の中で,それが時々委員の方々の持っていらっしゃるイメージの違いに反映しているのではないかということを,私が感じたものですから,最初に,常用漢字というものはどういうものなのかということをきちっと,少なくともここの共通認識を作っておかないと,後々この問題をずっと引きずっていくんじゃないかということで,あのように申し上げたわけです。それが一つです。
 それから,2点目の方ですが,これは前回も申し上げたんですが,もう決まっているんですね。何が決まっているかというと,配布資料3の(3)にあるように,何を最初の作業としてやるかというと,最初に3,000から3,500字程度の漢字集合を特定し,そこから絞り込むという作業過程を考えていくことです。これはもう合意ができています。
 機械的に,(1)にあるように「教育等の様々な要素はいったん外して」,つまり教育を考えると2,000字が限度だろうとか,覚えるということを考えるとやはり2,000字程度が限界だろうとか,そういうことはあるんですが,最大限の字数を考えた場合に3,000字から3,500字の漢字集合を考えれば,まず漏れがないだろうということをここで合意しています。具体的には,機械的に3,000から3,500字程度の漢字集合を作ってしまって,そこから不要な漢字を落としていく,そういう形で絞り込んでいく,そういう作業過程を考えていくということは既に確認されています。それで実際にやり始めてうまく行くかどうかは分からないんですけれども,取りあえずそういうことになっています。
 最初に前田主査の方からお話がありましたが,これから実際にこのような方法で漢字ワーキンググループで作業をしていくわけです。その時の検討用に,現在,国語課の方で3,500字の漢字表を作り始めました。つまり機械的に3,500字まで選んだら,こういう漢字表になりますというのを今国語課の方で作っています。漢字ワーキンググループでどのくらいまで検討が進むか,分かりませんが,次回の漢字小委員会では,委員の方々に,作業の結果,今2,800字ぐらいになっていますとか,あるいはなかなか減らせないで3,000字ぐらいのままになっていますとか,いずれにしても検討結果を見ていただくことになると思います。
 ですから,やり方は既に決まっていますので,とにかくこれにのっとってやってみるということです。ただし,その検討に当たっては,やはり委員会の意向を踏まえたいというお気持ちが,前田主査の中に非常に強くありますので,それで,委員の方々にその辺りについてはどうでしょうかということを,今日と前回の2回にわたってお聞きしていると,そういう流れでございます。

○甲斐委員
 『国語関係答申・建議集』の平成19年の469ページ,その真ん中に「情報化時代に対応する漢字政策の在り方を検討するに当たっての態度・方針」というのがありまして,それの2番なんです。昨年一度質問したことがあるんですけれども,その2番の(2)のところであります。「実態調査については,漢字の頻度数調査だけでなく,読み書き能力調査,固有名詞,特に人名,地名の調査も実施する必要がある。固有名詞については,現在の状況だけでなく,過去の状況についても調べる必要があろう。これらの調査については,専門の研究機関である独立行政法人国立国語研究所の協力が不可欠であろう。」というのがある。この中の,特に「読み書き能力調査」のところについて,前に伺ったときには既に発注しているというような記憶があったんですけれども,これは,どうなっていましょうか。

○氏原主任国語調査官
 発注したということはないです。もう既に取り掛かっておりますと申し上げたのは,例の,3文字単位で切って,その漢字がどういう文脈で使われているのかを調査するという,今回メモとして配布しております,調査のことを申し上げたんだと思います。
 読み書き能力調査につきましては,世論調査のような形では非常に難しいので,学校とか,それから私が具体的に申し上げたのは,例えばということで新聞社に入ってくる新人の人たちを対象に読み書き能力調査をやっていただいて,そういった方たちがどのくらいできるのかとか,そういうふうに具体的にお願いできるところを考えていかないとなかなか難しいので,これについては,委員の皆さんにも御相談させていただきますということを申し上げたと思います。

○甲斐委員
 国語研究所への調査の依頼はなかったということでしょうか。

○氏原主任国語調査官
 国語研究所への調査の依頼ということであれば,かなり前に,そういうお願いをしたという事実はあります。

○杉戸委員
 60年くらい前の読み書き能力調査と同じような質の調査をして,それと比較できることが求められると,そういう話が発端だったと思います。それについては今,全くそのままの調査票を使ったりしてやることが本当に意味のあることかどうかという基本的な検討を進めています。それで,文字の読み書き能力というよりは,漢字を中心にした文字の認知能力というか,そういう角度から調査しやすい形式ですね,データを得やすい形式で何か工夫はないだろうかと,そういう形で検討をしているところです。これは,時間を掛けてやるべきだと,むしろそういう姿勢で考えています。
 先ほど氏原主任国語調査官もおっしゃいました学校での国語の力としての試験の形の能力調査はしやすいけれども,いったん学校を離れた場での試験というのは非常に難しい。その調査の困難さを覚悟の上で,それを前提にして,どうしたらそれがデータとして得られるのかを工夫しようと,そういう段階に至りました。
 それから,今読み上げられたところには,「固有名詞,特に人名,地名の調査も」というんですが,これはたまたま戸籍の文字ですとか住民基本台帳の文字ですね,これは人名も入りますけれども地名も入る。そういうところの文字の基本的なデータベースの仕事をここ数年間続けています。そのことのデータも,これはあるプロジェクトに参加してやっているデータですので,そのデータの取扱いは,個人情報に密着していますので取扱注意なのですが,その点さえ注意すれば,こういうところでの資料として活用していいと,そういう範囲もありますので,御利用いただける形,求められる形がはっきりすればそういうことになるだろうと思っています。
 それから,氏原主任国語調査官への質問です。例えば頻度数を基盤にした,2,000字とか,3,000字の調査をするときの頻度数調査の基盤になるデータですけれども,常用漢字表の前文にある,法令文とか公用文書とかそういったジャンルのデータが,例えば『漢字出現頻度数調査(3)』の調査にはジャンルとして入っていないですよね。そういうところの偏りを気にしておいた方がいいのではないかということを申し上げたいんです。本調査の凡例,括弧の付いたページ数の3ページなどに,どういうジャンルから何冊,何文字という表があり,そして,具体的に単行本では書名で並んでいます。そういう全体像が,文字数や語数は非常に膨大なデータであっても,扱われているデータのジャンルがどういうものであるのかを気を付けたいと思うんです。
 そして,特に常用漢字,少なくとも常用漢字表が「法令,公用文」というふうに書き起こしで始まっている,そういうジャンルにおける漢字使用の目安だということ。これが引き継がれるかどうか別にして,現状を把握する上ではそういうジャンルも問題で,その辺りについてのデータを,これから先の作業,漢字ワーキンググループの作業でどんなふうにやっていただけるか。
 いずれすぐにはね返ってくる質問を予想してみますと,現状の国語研究所の手持ちのデータですと,法令文は残念ながらまだありません。公用文書については,国の各省庁が出している白書について,これはある種のサンプリングを経ていますが,500万語のデータが今できていまして,それをどんな語でどんな文字が使われているかを,今ちょっと席を立って担当者に聞いたら,97%くらいの精度で示せる段階までは来ていると,そんな段階にあります。
 つまり,そういうジャンルを意識して,それに基づいたデータで3,000から3,500字の出発点の情報を得る。これは文字数を減らしていく過程でも,絶えずそういうチェックを掛けながら,データを作るのは時間が掛かることですが,いつも完全なデータがそろうとは限らない。しかし,こういうジャンルのデータは押さえておくべきではないかという,そういうことは,できるだけ丁寧にやっておかないといけないんじゃないかと。漢字ワーキンググループが開始されますので,そのことを申し上げました。

○氏原主任国語調査官
 お話の趣旨は,とてもよく分かるのですが,法令,公用文はやらなくていいだろうという判断が私の中にはあります。なぜかと言うと,法令は特にそうなんですが,非常に厳密に,用字・用語については審査するんですね。何を審査するかというと,法令については,基本的に常用漢字表にすべて従うことになっていて,特に我々のように役所にいる人間にとっては,内閣訓令という形で命令が出ていますので,常用漢字の範囲内で基本的に書かなければいけませんし,それから現代仮名遣いで書かなければいけない,送り仮名の付け方についてもそれに従わなければいけないわけです。ですから,法令から出てくるデータというのは,基本的にはそのことを確認するだけのことになるだろうというふうに私は受け止めています。それから,公用文書に関してもそれに非常に近いところがあります。
 御指摘の『漢字出現頻度数調査(3)』の調査対象資料が,基本的に単行本それから月刊誌だとか週刊誌だとか,いわゆる公用文と呼ばれるもの以外で構成されている理由というのは,そういう縛りがない中で,どういう文字というか,漢字が使われているのかということを調べたいからなんですね。
 その意味では,実は新聞もかなり公用文に近い表記が行われているという実態があるんですけれども,ただ新聞の場合には,かなり固有名詞が出てくる。もちろん法令などでも出てきますけれども,その固有名詞の漢字がどのような範囲で使われているのかというのを見たいということもありました。新聞調査も,本当によく使われている字種というのはやっぱり常用漢字です。新聞常用漢字というのがありますけれども,これは,常用漢字で使わない字が11,逆にプラスして表外漢字でも常用漢字並みに使うものが,さっきのお話にもあったように40字から,多い社で70字ぐらいあるわけですね。
 法令や公用文に話を戻しますが,基本的にその範囲で文章が書かれているので,そのような文章については,基本的には調べなくてもいいのではないかというのがあって,もちろん杉戸委員がおっしゃったようにやれば非常に丁寧だと思いますけれども,特に法令などは厳しくやっていますので,改めて行う必要はないだろうと考えたわけです。ただ,ちょっと関連して申し上げると,昭和50年代に法令でどういう表外漢字,当時の表外漢字ですが,それが使われているかという調査を国語課でやったことはあります。ですから,今のお尋ねについては,これから調査しなければいけないかどうかも含めて主査,副主査と御相談したいと思いますが,これから,行われる字種の選定の時には,法令・公用文については,常用漢字の範囲という押さえ方をしておけば,そう大きくは違わないだろうということで,そういう理解を私がしていたというところがあります。

○杉戸委員
 文字単位で考える場合は,氏原主任国語調査官のおっしゃるとおりだと思います。それで,一つ一つの文字がどんな語の中で用いられているのか,それも確かめながら常用漢字の字種の選定はされるべきだと基本的に思います。そうなりますと,法令であれ,公用文であれ,どういう語を常用漢字をきちんと守って書いたか,その情報が不可欠だろうと思っています。それを申し上げるのをちょっと忘れました。

○前田主査
 資料は御提供いただければいただいて,参考になる場合には参考にするというようなことでどうでしょうか。それを全面的に,最初から頻度の方にかかわって考えていくというのは,ちょっと今の段階では難しいかと思います。

○笹原委員
 法令に関して気付いたことがあるので…。基本的に氏原主任国語調査官がおっしゃるとおり,厳しく審査されているはずだということで,私も時々眺めていると,新しくできたような法令でも,車両の「両」に車偏がくっ付いているのが法令の文言の中に出てきたりするのがあって,むしろそれは何かが起こっているんだろうと思うんです。そういう極めてまれなケースというのも,どうもありそうだと思います。
 あと,音訓調査に追加する漢字についてなんですけれども,実は昨日までということで2枚分の紙を作っていたんですけれども,作りながら,どうしても自分の中で基準が明確にできなかったというところで,実はお出しできなかったということがあります。2枚ほど作って,その後,新聞なんかを読んでいますと,例えば,「誘(いざな)う」という言葉が振り仮名付きで出てきたりする。また,「裸」の「足」と書いて「裸足」というのが振り仮名付きで「広報東京都」なんかに平気で使われている。また,「日向ぼっこ」の「ひなた」が漢字で書いてあって振り仮名が付いていて,これらはいずれも常用漢字の音訓でないわけです。こういうものが見付かってしまうというところから,取りあえずこれはこれでお出ししたいとは思うのですが,もし今後の作業の中で,また必要なものが出てきたときには,これは大変な作業だと前回伺ったので,よく絞り込んだものをお出ししたいという気持ちが強いのですけれども,出てきたときには,お手数ですけれども,調べていただければと存じます。
 それから,これをやりながら,例えば「列車が込む」という場合の「こむ」は,混雑の「混」を書くのは通常誤用というふうに切り捨てられるわけですが,活字メディアには本当に少ないわけですけれども,何と言いましょうか,歌を書いた歌詞カードなんかを見ていますともう平気で,むしろそれ以外を見付けるのが難しいぐらいに出てくる。学生の作文なんかも,ほとんどがそれで書かれている。そういうものについても,誤用と分かってはいるんですが,取りあえず盛り込んで書かせていただければと思います。
 あと,口語性の高い語彙ですね,例えば「おうちに帰る」の「おうち」というのは,余り新聞には出ないわけですけれども,作文なんかを見ていますと,「お家」と書いて「おうち」と読ませる。これは明らかに表外訓なわけですけれども,そういうものも,要る要らないは別として,「おなか」の「腹」というのも含めてですが,入れさせていただいている。接尾語的な,「私たち」の「たち」を「達」と書くというのも,結果的には接尾語的なものは要らないんだということになるかもしれませんけれども,入れさせていただいております。
 最後に,質問として1点だけ。凸版調査のルビというものについては,検出することは,やはり難しいでしょうか。例えば,「誘(いざな)う」というのが,文字列としては「誘(さそ)う」と「誘(いざな)う」と同じように出てくるわけで,紙面では振り仮名が振ってあって明らかな区別があった場合でも,データとしては取り出せないと,そういう技術的な制約がもしあるということでしたら,それはそれで仕方ないと思うわけですが,その辺はいかがですか。

○氏原主任国語調査官
 今回の調査で,ルビが付いているものの扱いがどうなっているのかを知りたいということですね。元の資料には,当然,ルビが付いているものと付いていないものとがありますが,今回の,前後3文字で切る調査では,ルビの部分は基本的に外して行うことにしています。ですから,たくさんの漢字について,ルビを付けた形での調査をすることはできないと思います。ただでさえ膨大な量になりますので…。ただ,ある特定の漢字についてということで,幾つかの漢字に限定できるのであれば,可能かもしれません。そういうことならば,実現に向けて努力したいと思います。
 今おっしゃったように,「誘う」に「いざな」というルビが振ってあるのを,ルビを振るとしたら「いざな」しかないと思いますけれども,「誘(いざな)う」についてのルビがどのくらい出てくるのかを調べよということであれば,ほかにもそういう漢字を教えていただければ,例外的に調査することはできるかもしれません。
 ただ,その場合には,前後3文字だと難しいので,もっと大きな単位にしないと駄目ですね。ですから,ほかの委員の方もそうなんですが,そういう字がもしあれば言っていただければ,凸版の担当者とまた詰めたいと思います。

○金武委員
 今のにちょっと関連してですけれども,「描(えが)く」と「描(か)く」,あれは区別できないですよね。

○氏原主任国語調査官
 「描(えが)く」という方にルビがもし付いていれば,ルビの調査で出てくる可能性はありますね。表記された形としては全く同じ,「描」という漢字に,「く」になってしまうので…。もしどうしてもということであれば,ルビの調査をしてみる価値はあるかもしれません。確かに「絵をかく」というのは,「描」の方を使いたいですよね。

○金武委員
 どのくらい出るかなと思ったけれども,これはちょっと区別できないと思って,私,出さなかったんです,「描」は…。

○氏原主任国語調査官
 分かりました。それでは,「描」を追加しておきます。

○甲斐委員
 私も,氏原主任国語調査官に調べていただきたいことがあるんです。昭和45年の5月に,当用漢字改訂音訓表(案)というのがありまして,これを見たら,応用の「応」というところに,「こたえる」という訓を当てて,語例として「応える」,「手応え」という言葉を入れているんですね。ところが,これがその翌年ですか,この「(案)」が取れるんですけれども,取れた時に,今の「応える」という訓が切れてしまうんです。ここだけぱっと見たんですけれども,そういう資料ですね,例えばこの昭和45年の音訓表で,ここまであって消えたものは何があるかというような,そういう資料が文化庁にないのかなと思ったんです。

○氏原主任国語調査官
 昭和45年の案の段階であった音訓のうち,最終の答申段階で落とされた音訓の一覧表のような資料があるかということですね。当用漢字改定音訓表は昭和47年の6月に答申が出て,翌年の48年6月に内閣告示,内閣訓令として公布されています。ただ,国語課にあった資料なども最近のものはともかくとして,かなり廃棄されていますので,あるかどうか分かりませんが,調べてみます。分かれば,次回,お答えいたします。

○前田主査
 それでは,今の件はそういうことにしていただいて,今日の協議についてはこれで終了したいと思います。長時間にわたり,ありがとうございました。
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