第9回国語分科会敬語小委員会・議事録

平成18年10月2日(月)

10:00~12:00

丸の内仲通ビル・K2会議室

〔出席者〕

(委員)阿刀田分科会長,杉戸主査,蒲谷副主査,井田,大原,甲斐,菊地,小池,坂本,西原,山内各委員(計11名)

(文部科学省・文化庁)町田国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕

1 第8回国語分科会敬語小委員会・議事録(案)
2 敬語の指針(たたき台)

〔参考配布〕

敬語ワーキンググループの開催状況について

〔経過概要〕

1  事務局から配布資料の確認があった。
2  事務局から国語課長の異動について紹介があった。
3  事務局から配布資料2の説明が行われ,杉戸主査による補足説明が加えられた。説明に対する質疑応答の後,「はじめに」から順に意見交換を行った。
4  配布資料2の全体的な方向性については,おおむね了承された。また,本日の意見を踏まえた修正については,杉戸主査に一任することが了承された。あわせて,追加意見がある場合は,1週間以内に事務局まで提出することが確認された。
5  次回の敬語小委員会は,国語分科会の了承を経て公開される「敬語の指針(国語分科会報告案)」の意見公募期間が終わる12月の中旬辺りに開催することが確認された。具体的な日時については,阿刀田分科会長,杉戸主査,蒲谷副主査と相談して決定し,後日,事務局から各委員に連絡することとされた。
6  質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○杉戸主査
   この「たたき台」から始まる「敬語の指針」が,最終的な答申に至るスケジュールですが,この敬語小委員会のたたき台を修正したものが,国語分科会に上がり,そこでの議論を経て国語分科会報告案として公開され,1か月ほど一般の方からの御意見を伺う。それを受けて,修正したものを再度敬語小委員会,国語分科会で審議し,文化審議会での了解を得て答申になる。このようなスケジュールです。
 それでは,配布資料2の内容について御審議いただくことにします。第1章,第2章,第3章とありますが,それをほぼ3等分して議論していくということが一番分かりやすいと思います。そのほかに,「敬語の指針」という表題の案を今日初めてお出ししていますが,その表題についての議論,それから「終わりに」という部分についての議論,その二つも最後に少し時間を確保したいと思います。ですから,第1章から第3章までそれぞれ20分か25分くらいずつということを意識しながら,進めていきたいと思います。
 さて,「はじめに」も含めて第1章について,お願いしたいと思います。若干補足しながら始めます。
 1ページの「はじめに」を御覧いただきますと,最初に<検討の経緯・報告案の目的>があり,それから下の方に<従来の建議・答申との関連>とあります。特に着目していただきたいのは,1ページの下から6行目以降です。そこに,「本報告案は,直接は,平成12年の「現代社会における敬意表現」(答申)に続くものである。」で始まるパラグラフが次のページにわたってあります。今回の国語分科会が出発する前の段階から,今後敬語を検討する上で,平成12年の「現代社会における敬意表現」の答申を踏まえて,その中のいわゆる敬語に集中して審議をするという流れがありました。そこで,「現代社会における敬意表現」の考え方,精神に沿って,今回の審議を進めてきたということが書いてあります。「現代社会における敬意表現」の答申に示された考え方,精神というものはきちんと引き継いでいくということが書いてあります。「相互尊重」と「自己表現」という二つのキーワードを今回立てていこうという案を考えているわけですが,これらも既に「現代社会における敬意表現」の時の方針に盛り込まれた精神,用語でもあるということです。
 それから,2ページの下から4行目ですが,報告案の構成の中に「その上で,「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たち(文部科学大臣諮問理由)」を主たる対象として」という諮問の引用を改めて示しました。そもそもこの答申の内容が,これは,直接の読者というわけには行かないと思いますが,こういう人たちに向けて発信され活用されるということを意識した方がいいという議論が,最初の分科会であったと思います。その時,「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たち」を「主たる対象として」ということが確認されていますので,ここに書きました。
 最後の<「指針」としての性格>のところですが,敬語小委員会で議論していただく中で,「よりどころのよりどころ」という言葉を使ってまいりました。この先,この答申が出た段階で,学校教育あるいは社会教育のいろいろな場,あるいは会社の社内の人材育成の教育の場などで,敬語にかかわるマニュアル,言わばその現場ごとのよりどころが作られるであろうと思います。それを前提にしまして,そうした個別のよりどころに共通の,あるいは基盤となる全体のよりどころ,それが「よりどころのよりどころ」です。我々としては,そういうものを目指そうということを今まで言ってきました。そのことをあえて明示してあります。
 それから,3ページ以降,第1章について補足するとすれば,特に9ページ,最後になりますが,「5 敬語についての教育」というところであります。この答申が出た段階では,恐らく学校教育あるいは社会教育の方で従来行われていた敬語教育と今回の答申との関係が議論されるであろうと思います。その場合,これがすべてだとは決して思っていませんが,一つの論点として,今回この答申に盛り込んだ敬語の種類を五つに分けるという考え方が従来の三つの分類とどういう関係なのか,五つを示されて,さて学校教育の場でどう扱っていけばいいのかといったことが議論されるであろうということが,この敬語小委員会でも繰り返し指摘されました。そのことについて書いてあります。端的にそのことを書いたのは,9ページの下から6行目「したがって,この5分類は,従来の学校教育等において3~4分類の枠組みで行われている敬語の学習や指導と対立するものではない」です。その後,「段階的な指導も考えられる」,つまり例えばということですが,小学校段階では,これは従来の枠組みと同じ3分類,そして中学校・高校と進むに従って,そのうちの,いわゆる謙譲語の中をより分かりやすくするために,二つに分けるという措置をする。あるいは敬語を考える上で必要な区分けがあるということを示しただけですので,その部分について段階的に広げていく。丁寧語が丁寧語と美化語に分かれるというのは既に議論されていますので,そのことには直接触れずに書いています。そういうことについても,このように扱っていくことができるし,それが望ましいという,この先の議論に向けての,この答申の姿勢を書いてあります。
 それから,先ほどの氏原主任国語調査官の説明に,アンダーラインが残っているというお話がありました。ただし,直線のアンダーラインは消し忘れではなくて残るものです。例えば,40ページの上から4行目に「表現することもできる」と「も」だけに波線のアンダーラインが付いています。これが消し忘れの一例だということです。「も」を「が」とするか,「も」のままとするかで議論が白熱したりした,そういう痕跡(こんせき)です。3ページの下から10行目ぐらいに,「こちらです」「こっち」と直線のアンダーラインを引いています。これは,その部分をはっきりさせたいために残す下線です。

○甲斐委員
   先ほど言われた9ページの下の方の5行分のことであります。この5行分というのは,20ページにある「付 これまでの三分法との関係」というのと関係しているところだと思います。これは,20ページで申しますと,三つに分ける「これまでの分類」がこれまでにあり,今回提案しているのが,「ここでの分類」ということであるわけです。「これまでの分類」は上位分類であって,「ここでの分類」はその下位の第2段階での分類であるとすれば,9ページの下の方の「この5分類は,従来の学校教育等において3~4分類の枠組みで行われている敬語の学習や指導と対立するものではない」というところとちょうどいいわけです。しかし,「ここでの分類」は,過去に分けたものを更に五つに細分した方が良いのだということでありますから,その下から5行目のところに,「例えば,小学校においては3分類による指導を行い…」といったことは書かない方が良いと私は思うわけです。これはもう学校教育に任せてしまう。この文化審議会としては,最初3分類で指導してもよいということではなくて,もしそれをしたら,例えば,小学校において,これが初等中等教育局で,それでは小学校は3で行くか,中学校は5で行くかとなると,どこかの学校が小学校段階で,うちは最初から5で行こうとか,凸凹になることも考えられる。私立の入試は5を採るか3を採るかといった問題も出てくるわけで,3というのはこれまでの分け方であった,これからは正しくは5で行くんだという,しかも,「指針」という言葉があるわけですから,希望としては,9ページのその部分の記述はやめていただけると良いのではないかということであります。

○杉戸主査
   そうしますと,この議論の中で,今,丁寧語についての扱いが2通りある。例えば中学校段階でも,丁寧語を一くくりにする分け方,それを丁寧語と美化語に区分する分け方,それが教科書の記述として2通りあります。そういうこともあるということを踏まえて,一つの学校段階あるいは学年段階で統一的に行われていることが望ましいというお立場での御発言と思いますが,今度の,謙譲語をⅠとⅡに分けるということについても幾つかの考え方があり得る中で,今回はこれをお示ししたということです。

○甲斐委員
   言葉を補足しますと,教科書の編集会議で,小学校及び中学校では敬語をどのように分類するかということで,専門的な研究者が入っているものですから,いろいろな案が編集会議で対立します。その時に,結局のところこれまで3分類で来ているのだから,せめて美化語ぐらい加えてもらえると有り難いといったところで,いつも終わっているんです。これを拝見していますと,五つの分け方は大変結構です。したがって,理論的にしっかりとした提案で,5分類になっているということであれば,これはこれでいいんじゃないかと私は思います。

○杉戸主査
   前向きな意味で,「例えば」以下の,指導についての記述を消すということですね。

○甲斐委員
   そういうことです。

○阿刀田分科会長
   1ページ目をパッと見て,そして,これは多分最後に論議しようという表題の「敬語の指針」ということともかかわってくると思いますが,例えば「敬語のついての考え方」,「第1 基本的な認識」と来る。この「認識」は「考え」としたらいけないんだろうかといったことをちょっと……。「認識」と「考え」は確かに違うし,ここは「認識」の方が的確だとは思うんですけれども,できるだけ見出し語を易しくした方がいいかなという気がしました。第1章を「敬語についての考え方」としているので,それを受けて「基本的な認識」というよりは「基本的な考え」としても行けるんじゃないかなという気がするんです。確かに,ここを「認識」とした意味は分かるんですが,「認識」という言葉はある意味では少し硬い。「認識」が硬いと言われても,ほかの言葉では書けないよと反論されれば,それはそうなんですけれども,できるだけ可能な範囲で,特に見出しみたいなものは柔らかめにすることを一貫してこの答申では一度は考えていきながらやった方がいいんじゃないかと思います。たまたま1ページ目にそれを見たものですから,そんなふうに感じました。これはきっと,「敬語の指針」という言葉をどうするかという問題に一番鮮明に表れる問題だと思います。ちょっと今気が付いたので申し上げます。

○杉戸主査
   こういう資料作りの進め方の常として,目次は,かなり最終段階の作業になりました。原案として本文の方を検討してきて,最後に目次にずらっと並べると,いろいろの点が気になりまして,今度は目次からさかのぼって本文の見出しなどを見直すということもありました。御指摘の「基本的な認識」も確かそういう経緯があったかと思います。「第1章敬語についての考え方」として,その中の節で「認識」という言葉を出しています。
 一方,目次の2ページ目を見ると,「第3章 敬語の具体的な使い方」の「第1 使うときの基本的な考え方」というのが出てくるんです。「使うときの基本的な考え方」で分かるから,第1章の第1も「基本的な考え方」にしようということであれば,今の阿刀田分科会長の御意見は確かに行けると思います。

○西原委員
   どう書いてあるかということとはちょっと違うことなんですけれども,すばらしいまとめ方をなさったと,こういうのは余り建設的な意見ではないのかもしれないんですけれども,こういう感想を述べさせていただきます。
 なぜかということなんですけれども,昭和27年に「これからの敬語」という建議が出たときもそのようなラインには乗っていたんですけれども,「指針」というタイトルになるかどうかは別として,教育的な部分も担ったような形で出る報告書がこういうトーンで書かれているということがとても良いことだと私は認識します。そして,なぜ良いことかというと,このように書かれることによって,日本語の敬語というのが,世界の諸言語の中で一般的に扱われている敬語の扱われ方と並んだということになるからです。例えば,答申となったものがそのまま英語に訳されたり,ほかの言語になってその国の言語を母語とする社会学者の目に止まったとしても,遜色なく受け入れられると感じるものですから,そのことを建設的な感想として述べさせていただきたいと思います。

○杉戸主査
   例えば,6ページから始まる「第2 留意すべき事項」について,先ほどの教育の問題も含めて5項目を選びました。「1 地域方言の中の敬語の多様性」,「2 世代や性による敬語意識の多様性」,「3 いわゆる「マニュアル敬語」」,それから「4 情報化社会における敬語の在り方」―これはインターネットなどを使った新しいメディアでの敬語ですが,その四つを「5 敬語についての教育」という教育の問題とともに選んだわけです。
 これ以外にここで扱うべき留意すべき事項,あるいはそういう領域といったものはあるのかないのかということはいかがでしょうか。「現代社会における敬意表現」の答申の中にはそれ以外にも幾つかの項目が挙がっていて,そのことにここでは触れていない,しかし,その「現代社会における敬意表現」で書かれた精神は引き継いでいるということは,「はじめに」のところに書きはしました。ただ,個人的には,敬語に絞り込んだ場合にもこの点は更に強調しておくべきだといったことがまだあるかもしれないなという気持ちが少し残っています。

○阿刀田分科会長
   敬語小委員会の話の中で聞いてきたことで,「敬意表現」というのが入っているのは,そういうことなんだなと分かりました。ただし,今回の答申は敬語の使い方ということがかなり明確に諮問されて,それに対して答えるという形なので,「敬意表現」についての考え方や問題点,前回の答申などを含めた配慮は,むしろ「終わりに」などでなされるべきであるということも考えられましょう。どこまで書き込むかはともかくとして,今回は具体的に敬語をどう使うかということについての答申であるために敬意表現のことはそんなに内容的には触れなかったが,こういう点は当然留意されてしかるべきであるといったことを触れればいいのではないか。余り中身で敬意表現のことに立ち入ると,今回の答申の目指すところが不明確になる可能性があるので,ここではむしろ入れない方がいいような気がするんですが,いかがでしょうか。
 特に前回の敬意表現の答申をおまとめになった委員の方がいらっしゃるので,その辺りとの兼ね合いをお聞かせいただければと思います。前回の委員会がやってきたことというのは引き継がなかったら意味がないと思いますので,それは「終わりに」辺りが一番適切な場所かなと思っております。あるいは,それも今回は必要ないんだという意見もあるのかなとは思いますが…。

○杉戸主査
   少しだけ補足しますと,後ほど御審議をいただく第3章では35問の問いが立ち,解説があるわけですが,特に後半に,「敬語」よりももう少し広い意味の「敬意表現」,例えば41ページ「3 「ねぎらい」と「褒め」の問題」,あるいは43ページ「4 能力などを直接尋ねることの問題」といったものは,御覧のとおり,敬意表現の領域の話です。ただ,これもやはり問いとして,よく出てくる質問なのだから扱うべきだと判断しました。例えば,「御苦労様」「お世話様」「お疲れ様」というねぎらいに当たる言葉が,つい最近の「国語に関する世論調査」でも話題になり,マスコミ等でも取り上げられました。それは一般的には敬語の領域の中の問題の一つだという認識もあるようで,あえてここに積極的に残そうとしたわけです。「終わりに」の方に,「敬意表現」とのつながりを少し書くということは押さえておく方がいいことだと伺いました。「はじめに」との連携,1ページから2ページに先ほど補足で申し上げたこととの対応からすると,「終わりに」でも必要かと思います。

○甲斐委員
   7ページから8ページにかけての「3 いわゆる「マニュアル敬語」」という中の「マニュアル」という言葉がとりわけ8ページの上の方でたくさん目に付く。否定的な使い方をしている言葉をたくさん使うのはいいのかなと思います。5ページを見ますと,ここには「固定的な敬語や言葉遣い」「固定的な考え方」という使い方をしているんです。これがほぼ7ページの「マニュアル敬語」というのと通じる考え方ではないかと思うのですけれども,この「マニュアル」という言葉は,どうしても使わないといけないでのしょうかということを質問します。

○杉戸主査
   「マニュアル」は片仮名言葉でかなり定着度の高い言葉だということを思っています。もし片仮名言葉を使わなければ何になるだろうか。この7ページから8ページにかけて,いわゆる「マニュアル敬語」について書いてあることは,マニュアル自体を否定するものではなく,必要なものでもあるとしています。ただ,その中身や使われ方が問題だという趣旨の二つの固まりを書いてあります。一概にマニュアルを全部否定しているわけではなくて,日常いろいろな分野で「マニュアル」という言葉が使われていますから,残したわけです。確かに遠目に見ると片仮名の「マニュアル」がたくさん出てくる。ただ,できれば,この線で行くということでいかがでしょうか。「マニュアル」という言葉を極力避けるということでなくて,もちろんもうちょっと減らす工夫はしますけれども…。

○甲斐委員
   それと,5ページの「固定的な」という敬語,言葉遣いとか,これとは直接には結び付かないんですね。

○杉戸主査
   そうですね。5ページの方は,もうちょっと幅広い敬語についての姿勢といったものを「固定的」と呼んでいます。確かに,8ページの10行目ぐらいでしょうか,「いつでも,どんな相手にでもマニュアルに示された言語表現だけで事は足りるとするような受け止め方」と書いてあります。これは,言わば固定的なマニュアルの利用法だと言えますが,5ページの方はもうちょっと幅の広い,マニュアル以外でも,人間関係を固定的にとらえるとか,こういう人間にはこういう敬語だという,人と言葉を固定的にとらえるとか,そういったより広い意味の「固定的」という意味だと思っています。

○大原委員
   6ページの「1 地域方言の中の敬語の多様性」というところなんですけれども,上から3行目に「例えば,関西地方を中心とする西日本では「~はる・~やる」」というのが書かれてあります。「~しはる」とか「言わはる」とかというのは使うんですが,「~やる」というのは,7ページに,「卑俗さ・ぞんざいさを感じ」るというのがありますけれども,私たち関西の人間にとっては丁寧な言葉の中には入らないんです。これはどういうことで挙げられているのでしょうか。

○杉戸主査
   「~しやる」とかの助動詞の「やる」もですか。

○大原委員
   「~しやる」とかというのは,むしろ丁寧ではなくて,仲間内や,それから否定というか,「~しやるねん」とか「言いやるねんわ」とかということでは使うんですが,丁寧に言うときは「言わはる」とか「しはる」とかになるんです。それで,どうしてこれに「~やる」が載っているのかなと思ったんですが…。

○杉戸主査
   今のような非常に生き生きとした使い方の中では,確かにそういう使い方だなと思って伺ったんですが,もともとは敬いの気持ちのこもる言葉であると分類されているので…。

○大原委員
   そう分類されているんですか。そうですか。

○杉戸主査
   「~はる」もそうなんです。「~はる」もそこに書いてあるとおりで,共通語の「~れる・~られる」と同じような尊敬なんだけれども,もっと親しみのある気持ちがこもると言われています。そのことは,後ろの方の第3章の中の問いに,繰り返しですけれども,「~はる」の例を持ち出して触れています。

○大原委員
   私は日常的には「~やる」という言葉は丁寧じゃないと思っていますので…。

○杉戸主査
   そうですか。では,6ページのこの部分に「~やる」を出すことについては,もう一度よくチェックしたいと思います。

○阿刀田分科会長
   少し戻りますけれども,「マニュアル敬語」という言葉は使用してもいいんじゃないでしょうか。敬語ということを思い浮かべたときに,皆さんが使っているのは,マニュアル――,本屋に行って「敬語の使い方」とか何とかと書いてある本によっているなという,マニュアルというものによって規制されている部分が非常に多いわけです。だから,あのマニュアルというものをどう考えたらいいんだということはやはり「マニュアル」という言葉で出すのがいい。これを「手引書」などと書いてみても,何だかマニュアルのことを言っているんだなということを頭の中で考え直さないと駄目ですから,そういうところは踏み込んで,従来のお役所では,こういう使い方は余りしないのかもしれないんですが,分かりやすいということは非常に大事ですから,ここは「マニュアル」でいいんじゃないかなと私は思います。

○西原委員
   ここで言っているのは,マニュアル敬語の妄信を戒めているわけですね。そうすると,「過度なマニュアル言語」とか,「マニュアル敬語の妄信」という言葉がいいのかどうかはよく分かりませんけれども,そのような見出しにすれば趣旨も生きるし,「マニュアル敬語」という用語そのものを批判しているのではないということが分かるのではないでしょうか。「いわゆる」と言うから,何となく悪く聞こえるのではないでしょうか。

○山内委員
   私どもはいわゆるマニュアルを使っている側ですけれども,このところいろいろな形で「コンビニ言葉」だとか,そういうことも含めて,マニュアルをただ棒読みで言うことに対する批判があるということを認識しています。だから,あえて「いわゆる」という言葉を付けてくれたのかなと思いましたので,割とすんなり,自分たちのマニュアルはここのところを気を付けて作らなければいけないなと素直に受け入れられました。あえて「いわゆる」と付けたことで,はっきりするかなという気はします。

○杉戸主査
   考えてみると,「1 地域方言の中の敬語の多様性」「2 世代や性による敬語意識の多様性」「3 いわゆる「マニュアル敬語」」といった見出しの1行の中に,その節における主張のどこまでを掲げるかですね。
 つまり,「3 いわゆる「マニュアル敬語」」の場合は,話題だけ書いてあるんです。「マニュアル敬語」がどうだということは書いていない。さらには「マニュアル敬語」をどうすべきだということも,見出しには書いていないわけです。
 ところが,「1 地域方言の中の敬語の多様性」とか,「2 世代や性による敬語意識の多様性」とかというのは,こういう状態になっているというところまで書いてあるわけです。多様性をどうするというところまでは書いていないけれども…。つまり,「マニュアル敬語」への注意が必要だとか,この妄信を戒めるという西原委員の御意見がありましたけれども,そういう姿勢あるいは答申として指針を示すようなことまで見出しに書き込むかどうかということもあるのだろうと思います。

○井田委員
   この「3 いわゆる「マニュアル敬語」」の項に関しては,それだけで十分だと思います。今の人は,ここだけは絶対に読みます。例えほかを読まない方でも,ここだけはもうこのタイトルだけで必ず読む項目だと思いますので,私は,この「3 いわゆる「マニュアル敬語」」という見出しで十分だと感じています。

○甲斐委員
   先ほども申しましたが,私が問題を感じたのは,8ページの上の段に「マニュアル」という言葉が多用されていることです。これがとても感じが悪い気がします。しかし,先ほど杉戸主査が数を減らすと言われたから,それならそれで結構です。
 しかし,別の言い方がいろいろあるんです。たくさんの敬語の本が発行されているんですが,「マニュアル敬語」というタイトルの本は1冊も出ていません。それらは実用的な敬語の指針なんです。それをひっくるめて「マニュアル」という言葉でここは呼んでいるわけで,そこのところなんです。だから,別の言い方はないですかと聞いたわけです。

○杉戸主査
   では,基本的には,先ほど私が甲斐委員の発言に対してお答えした線を検討するということを,本文の方で工夫する。見出しは基本的にこのままで行くということにさせていただきます。
 時間の方が気になります。申し訳ありません,「はじめに」と第1章について,またお気付きの点があれば,後で御指摘いただくことにして,第2章に進みます。
 当初,第2章は「よりどころのよりどころ」という,全体の中での<基本的なよりどころ>を示す,それに対して第3章は<具体的なよりどころ>を示すということをイメージして敬語小委員会でも議論してきた部分です。
 したがって,第2章は,言わば敬語の中身そのものについて,その骨組みなり肉付きなりをきちんと説明する部分になります。そのように努めた案になっています。10ページからが「第1 敬語の種類と働き」,21ページから「第2 敬語の形」という大きな柱の下に,基本的には五つの分類の敬語の種類について記述しています。御覧いただきますと,[補足]あるいは[解説]が二重,三重になっている部分があります。これもできるだけ読んでやろうという気持ちをそがないように,印刷上も含めてこの先工夫が必要でしょうが,それ以前の段階として,書いていく枠組み,解説とか参考とか注とか,見出しを工夫して整理してあります。それから,文字の大きさも変えてあります。いかがでしょうか。

○西原委員
   12ページと13ページに名詞の謙譲語Ⅰ,Ⅱというのがあるんですけれども,このところ非常によく聞く若者言葉の中に「自分」という代名詞があって,これがどこに当たるものなのかということも,例として位置付けておいていただけると有り難いなという気がいたしました。

○杉戸主査
   「自分」,それを呼称として使うということですか。

○西原委員
   「私」という意味で,「自分」を使っていると思うんですが,頻繁に。

○杉戸主査
   「自分が行きます。」とか。

○西原委員
   「自分は○○です。」とか。

○杉戸主査
   「自分」というのは敬語という前提でしょうか。

○西原委員
   一人称単数なので,何らかの形の謙譲語のつもりで若者たちは使っているのではないのかと思うんですが,いかがなものなんでしょうか。

○大原委員
   相手に対しても言いますよね。「自分,言うたやん。」というのが,「あなたが言ったじゃない。」という意味で使われることもありますね。

○阿刀田分科会長
   方言では「自分,どこへ行くんか。」とかと相手を言うことがありますよね。

○西原委員
   それはそうですね。私は一人称単数のつもりで,どこに位置付けられるのかということを聞いたんですが,「御自分でどうぞ。」という,二人称の「御自分」というのもありますね。

○杉戸主査
   「自分」が二人称に使われるという形では,西原委員の「御自分」というのもより丁寧な形ですね。
 いわゆる「私」や「僕」という一人称の形式については,37ページの「第3 具体的な場面での敬語の使い方」の「1 自分や相手の呼び方の問題」の,【18】,【19】の問いで呼称を扱っていますが,ここで一つ工夫が必要かと感じました。「自分」という二人称については,確かに直接扱っていなかったと思いますが,敬語の基本的な枠組みを説明するという第2章で扱うべきかどうか,これはちょっと考えなければいけないところです。
 ほかの人称にかかわる体系的なことについては,それをどのように扱うかは,第2章には出てきていないですね。

○菊地委員
   第2章は,自分とか相手とかの呼称は避けて,第3章にゆだねたというところがあります。それと,今,若者言葉とおっしゃったんですが,確かに若者言葉という面もあるでしょうが,方言の問題も多分あり,軍隊などでは一人称代名詞として「自分」を使うように指導したとかということもありまして,かなり歴史的・地域的な事情を調べないと書けないんじゃないかと思うんです。その調べがついたら,第3章の今,主査がおっしゃったところに取り入れる可能性があるけれども,ちょっと今の段階では…。

○西原委員
   第2章でないということは分かりました。第2章には人称代名詞はないわけですね。

○菊地委員
   はい,そうです。

○杉戸主査
   昭和27年の建議「これからの敬語」の中では,項目として「あなた・私」を1行くらいのコメントですけれども,書いてあります。そのことを今回の答申でどう受け止めるか,どう引き継ぐかについて,触れないわけには行かない。しかし,第2章ではなくて第3章の,先ほどの二つの問いで受けようということです。その中に,具体的に「自分」という形式についても,この先,工夫をしてみます。

○阿刀田分科会長
   西原委員が一人称の「自分」についておっしゃったのは,実際に頻度が非常に高いからでしょう。

○西原委員
   そうです,聞く頻度が非常に高いからです。

○阿刀田分科会長
   考えてみると,自分よりは目上というような人の中にいるときに「自分」を使うことが多いような気がしますね。「自分はそのように思いません。」とか「自分はうなぎは嫌いなんです。」とかと言うときには相手が目上であって,相手が対等のときに「自分は…」という言い方は余りしないようですね。ちょっと上下関係があるか,公的な場面であるという感じのときに「自分」を使う例がかなり頻繁だという印象があります。
 二人称の人称代名詞としては「われはそれが好きなんか。」などと言うときの「われ」ということの原義は「私」でしょう。相手のことを「われ」という例はありますよね。あの「われ」は,本来自分であるものをそこにずらして,「お前は自分の主張として…」といった意味で「われ」と言うのですね。人称を考えたら非常に難しい問題や,例外的にいろいろなことはあるんでしょうけれども,「自分」は聞くことが非常に多いから,やはり触れておいた方がいいなという感じはしますね。

○氏原主任国語調査官
   今話題になっている「自分」ですけれども,昭和27年の建議「これからの敬語」の「1人をさすことば」の「(1)自分をさすことば」の中に出てきます。具体的には,ここに「1)「わたし」を標準の形とする。」,「2)「わたくし」は,あらたまった場合の用語とする。」とあって,その「4)」として「じぶん」を「わたし」の意味に使うことは避けたい。」と出てきます。この時に,既に「自分」を避けたいと書かれています。

○阿刀田分科会長
   軍隊のにおいが非常に強いからですね。

○氏原主任国語調査官
   はい,恐らくそうだろうと思います。そういう意味で,「これからの敬語」を検討している時分にもかなり話題になっていた言葉なんだろうと思います。

○阿刀田分科会長
   やはり軍隊の用語だったということなんだろうと思いますね。

○西原委員
   人称代名詞については,第2章から外して,第3章に送っていただければ結構です。

○杉戸主査
   ほかの点でいかがですか。
 今日は御欠席ですが,7月のこの敬語小委員会で,佐藤委員,――伊奈かっぺいさんから,第2章の説明の記述が行ったり来たりするということが気になるという指摘がありました。読んでいくと,「前に述べたように」とか,あるいは「後で述べるように」とか,そういう書きぶりが目立つので,それはやめてほしいというものでした。そのことはほぼゼロにしたつもりです。原案を作る場で,かなり努力してもらいました。そんな書きぶりも含めて,お気付きの点はいろいろあるかと思いますが,いかがでしょうか。

○阿刀田分科会長
   御用とお急ぎの方はここだけを読んで,そうでない方はここまで読んでくださいという方便ができたらいいところがありますね。随分きちんと敬語の本来の在り方とは,こうであるということを説いている部分と,とにかく使えればいいんだから,そういう理屈は要らないというところがありますので…。まあ,そういうわけには行かないんでしょうが。感想としては,御用とお急ぎの方は赤で囲んだところを見てくださいという感じの出し方もあっていいのではないかと思いますね。

○西原委員
   第2章の目次の中で,「付 これまでの三分法との関係」,「付 敬語との関連で注意すべき助詞の問題」という部分がありますね。これは,番号を振らずにこのまま残すのでしょうか。

○杉戸主査
   はい,そういうつもりでこうしてあります。

○西原委員
   何か振ってしまってもいいような気もします。

○杉戸主査
   これも,「6」となっているのが第2章の第1,第2にそれぞれあります。第2章の第1,第2では,「1」から「5」までが本体部分だとすれば,それの中の幾つかにまたがるちょっと複雑な問題を「6」として扱っています。そういう意味では,今「付」となっているものを「7」とする可能性がないわけではないということも考えましたが…。

○西原委員
   ただ,第1,第2で対応しているわけではないですね,この二つの「付」は。

○杉戸主査
   そうですね,対応はしていません。第1の方の「付」が,三分法と五分法の関係の表の説明だけですね。それから第2の方の「付」は,動詞の敬語とか名詞の敬語以外に,それと同じ文の中で出てくる助詞の問題ですから,言わば文法的な領域に入って,敬語そのものではない。「~にしていただく」か「~がしてくださる」か,「が」と「に」の問題だけなんです。ですから「付」にしたわけです。
 五つで行く,そして,それぞれの名称はこういう,例えば10ページに「次の5種類に分けて考えることができる」という冒頭に掲げたものを考える,それから,それにより具体的な言葉の形も添えて,分かっていただきやすいように,「いらっしゃる・おっしゃる」型という見()しも括弧で添えた。そういう示し方なんですが,改めて今日御覧になって,この示し方で,この先進んでもよろしいでしょうか。

○阿刀田分科会長
   手続的に,今日これを頂きましたね。これは今さっと見ても細かいところはなかなか挙げられないんだけれども,各委員がもう一度見て意見を出すチャンスはあるわけですか。

○杉戸主査
   是非,意見を頂きたいと思っています。最初の氏原主任国語調査官の説明にあったように,10月23日に国語分科会があります。それまでにこの案を更にきちんと整えて出すことになっています。ですから,3週間ぐらいございます。その3週間のうちの前半は,今日敬語小委員会の委員の皆さんから頂いた御意見を,敬語ワーキンググループなり,主査,副主査,主任国語調査官の3者打合せなりで定着させていくという段階です。今後ということで言えば,できるだけ早めに,1週間以内くらいに御意見を頂ければと思います。

○阿刀田分科会長
   こういう形で合議するチャンスはないわけですね,この会としては。

○杉戸主査
   敬語小委員会は10月23日の国語分科会以前にはないです。この辺りはどうでしょうか。

○氏原主任国語調査官
   今回どうしてもということになれば,各委員の御予定を伺って,予定していなかったけれども,臨時に敬語小委員会を国語分科会の前にやるということはあると思います。
 10月23日以降は,23日にどの程度意見が出るかにもよると思いますが,普通であれば,もう敬語小委員会は開催せず,そのまま公開に入っていくということになると思います。敬語小委員会の先生方もまた23日に意見をおっしゃることはできますので,そこで言っていただくというのが通例の形です。

○阿刀田分科会長
   国語分科会になると,敬語小委員会に所属していない委員も倍くらいいらっしゃるわけですね。そうすると,従来の審議過程なども余りご存じない方も入ってきます。この「たたき台」は国語分科会の委員には事前に送られるのですか。

○氏原主任国語調査官
   お送りしようと思っています。ただし「たたき台」そのものではなくて,今日の御意見によって修正した,23日の国語分科会での配布資料となるものをお送りするつもりです。やはり,事前にお目通しいただかないと,ちょっと23日の議論は難しいと思いますので。

○阿刀田分科会長
   そうすると,分科会では,そういう手続を経た上で,ここの委員も混ざっていただいて討議をすればいいでしょうか。個別に,私はここのところにこういう意見があるというのは,今までの議事録の修正と同じように事務局に言っていただいて,そして,敬語ワーキンググループにもそれが反映されるようなことをやった方がいいけれども,合議でやるのは国語分科会で,漢字小委員会の委員の方もいらっしゃるけれども,敬語小委員会の委員が積極的に発言があれば,発言していただくようにするという手続でいいですよね。

○氏原主任国語調査官
   はい,それが普通の形だと思います。

○阿刀田分科会長
   我々も,いきなりここでこれを出されても,きちんと読まないで,さっさと目を通しながら話していますけれども,大丈夫かと言われると少し不安があります。もう一度きちんと読まないと,ちょっと心配というか,これだけ御努力いただいたので,「心配」という言葉は適切ではないんですけれども,意見を言えと言われると,もうちょっときちんと読まないと心配です。

○杉戸主査
   ですから,10月23日の国語分科会でも同じようなお気持ちを委員の皆さんに与えないように,事前にお送りするのを,今回お送りしたのよりも更に余裕を見て,10月23日をさかのぼって1週間ぐらい前にはお届けできるよう,今は努力目標としてそう思っています。そのためにも,今日頂けない個別の御意見を早めに頂くということをお願いします。

○菊地委員
   第2章で,改めて御意見を頂くということであれば,補足説明を簡単にさせていただいた方がいいのではないかというところがありますが,よろしいでしょうか。

○杉戸主査
   はい。

○菊地委員
   一つは,先ほどの杉戸主査あるいは氏原主任国語調査官の御説明にもなかった点なんですが,考えてみますと,前回7月に御覧いただいたものに比べて一つ大きな変更点があります。それは五つに分類した場合の3番目のタイプの名称ですが,この点はお伝えしていなかったでしょう。前回のバージョンでは,尊敬語・謙譲語・丁重語・丁寧語・美化語となっておりました。それで行くつもりだったのですが,敬語ワーキンググループでかなり議論をした上で,丁重語と呼んでいたものを謙譲語Ⅱとし,それに伴って謙譲語と呼んでいたものを謙譲語Ⅰとし,謙譲語Ⅱの方には「(丁重語)」を添えるということで,一種妥協いたしました。詳細を申し上げると長くなりますが,7月の委員会で,今日は御欠席の内田委員から,「例えば丁重語と丁寧語は近いのではないか,これらは一つのまとまりではないか」といった御意見がありました。一方,丁重語はある意味で謙譲語と近いものなわけで,実は連続しているところがあります。それで研究者の世界では一つの考え方として五つに分けるということが一種有力になっていて,敬語ワーキンググループでもそれに従ったところがあります。けれども,学校教育等のことを考えますと,今までの謙譲語が二つに分かれたんだということをある程度明示的に示さないと,教育現場の支持が得にくいのではないかということが一つの動機になって,丁重語を謙譲語Ⅱと改めました。極めて厳密に言うとするならば,(2)謙譲語と(3)丁重語は一つにまとめた上で二つに分けるべきではないのかという御意見もあろうかと思いますが,そこは一種玉虫色で処理したというところです。つまり,上位分類,下位分類となると話が複雑になるので,結果としてフラットに五つに分ける。そして,名前の上だけで一種上位分類のような意味合いを出すという非常に玉虫色の妥協策ですが,これが敬語ワーキンググループとしての趣旨を伝え,しかも一般への普及を図る一種の方便ではないかということでございます。

○阿刀田分科会長
   非常によく分かります。

○菊地委員
   それからもう一つは,今,阿刀田分科会長のお話を伺っていて,簡単に言うと繁簡よろしきを得ていないということかとも思うんですが,この辺りについて少し申し上げます。
 実は,御用とお急ぎの方は,最小限,それぞれの[解説1]という部分をピックアップしてお読みいただくと,ある程度の情報は得られるということにはなっております。しかし,現在のスタイルがそれをほのめかすようになっていない点は問題かなと思いました。 解説の中には,解説1,解説2,解説3,それから補足などとなっておりまして,補足は明らかにグレードが低いんですが,書かないわけに行かないというところがあります。
 解説2以下は,解説1に比べれば確かにワンランク低いのですが,なぜこれを解説という名にとどめたかというと,一応定義,例えば尊敬語というところですと,10ページですが,「相手側又は第三者の行為・ものごと・状態などについて,その人物を立てて述べるもの」とありまして,例えば「ものごと・状態」とか,「人物を立てる」とかというのが定義に出てきます。その定義に関する部分の説明ということですので,ちょっとこれは補足よりはランクが高いという気持ちが解説2,解説3という書き方に至っているのです。これは場合によっては考えてもいいのかなと思います。ただ,敬語ワーキンググループでは,ここで例えば主解説,従解説,そのまたおまけみたいなグレードを作るのもうるさいのではないかということで,これはかなり早い段階ですが,その議論を経て,こうなった経緯はあるので,強いて言えば[解説1]までをゴシックで示すとか,そんなことはあり得るのかなといったところです。
 さらに,もう1点ですが,17ページの第2章の「6」は,先ほど杉戸主査から御説明があって,ここに入ったのですが,実はこれは私の手を離れてから杉戸主査と氏原主任国語調査官の御判断でここに入ったところがあります。反対ではないんですが,ちょっと懸念もあります。お読みになってきた場合に,「1」「2」「3」「4」「5」とあって,尊敬語から美化語までの説明が済んだところで,また尊敬語と謙譲語だけをピックアップして,ここで別の観点から補足を加えていると読まれるだろうと思います。これが読者にもしかしたら違和感を与えるかもしれない。
 本当はこの部分は,第2章の1があり,2があり,要するに第2章の最後に置いておくということにワーキンググループの段階ではなっていたものでした。ある観点からはそうだし,別の観点からはここにあった方がいいんだろうと思うんですが,何でまた尊敬語・謙譲語の話に戻るのかなと思われる可能性があるかなという気がします。
 それから,この「6」の部分は個人差などに言及している部分で,「5」までは個人差に言及していなかったということがあるので,置き所がここでいいかは,なお検討の余地があろうかという気は一方ではしております。そんなところが補足説明と微修正の余地があるかもしれないとしたらということをちょっと補足させていただきました。

○杉戸主査
   最後の点については,確かにそういう経緯で,今日の「たたき台」になりました。その趣旨は,「第1 敬語の種類と働き」,「第2 敬語の形」という構成を採っている点にあります。今,最後に菊地委員がおっしゃった第1の「6」を一番後ろに持ってくると,「敬語の種類と働き」があり,「敬語の形」があり,またその後で意味的な話に戻るということになってしまいます。それを避けて,種類,働きで意味的な説明があって,それの核心に触れる補足であるので,第1の「6」にしたということです。それも,今後再確認する,より良い形が別にあるというのであれば,可能性は残しておきたいと思いますが。
 ぼつぼつ第3章に入るべき時間になっていますが,第2章については,ここまでとしてよろしいでしょうか。
 それでは,30ページ,第3章について御覧ください。これは,これまでの経緯からすれば,【1】から【35】までの問いを立てて,それに対して解説を加えるという,35という数字に落ち着いた段階の案です。当初は96だったか98だったか,そういう問いを考えて,その答えも解説も準備し始めたわけです。それを,一つには数を減らす。そしてもう一つは,分類をして,問題意識の領域を整理して柱立てをするという,その二つの工夫をした案にしているつもりです。
 それで目次を御覧いただきますと,第3章が一番細かな全部で18の枠組みです。「第1敬語を使うときの基本的な考え方」,「第2 敬語の適切な選び方」,「第3 具体的な場面での敬語の使い方」とし,それぞれ五つ,六つ,七つという小分類の見出しが立ててあります。この第1,第2,第3という単位のまとめ方は表題で表したつもりですが,第1が使うときの基本的な考え方,それから第2が言わば形の問題として,適切な選び方,形に関する疑問,第3が具体的な場面での敬語の使い方。この第3は何かちょっととらえどころがない表題かもしれませんが,呼称の問題,あるいは「ウチ・ソト」,自分側の人と認識するか,相手側の人と認識するかといったこと,さらに,今日の前半でもちょっと触れました敬意表現として扱われる「ねぎらい」とか「褒め」,あるいは能力などを直接尋ねること,依頼の仕方といった狭い意味の敬語以外の疑問で,しかし最近の「国語に関する世論調査」などで非常によく話題になり,一般には敬語の問題として,これはうるさく言えば,敬語の問題だけではないわけですけれども,敬語の問題として扱われるような問題も扱っていく。そういう区分をしました。どうぞ御意見をお願いします。
 これもちょっと漠然とした印象を伺うことになりますが,一つ一つの解説の量はどうでしょうか。解説は,33ページの「第2」辺りから【解説1】と【解説2】に分けて書いてあります。【解説1】はその問いへの直接の回答,そして【解説2】はそれについての言わば肉付け,考え方の解説という構造を持たせてあります。量はこれくらいでいいでしょうか。書き込もうと思えば書き込めることを割愛に割愛を重ねるという方向でこうなっていると言うと未練がましいんですが,そういう段階です。しかし,これでも長いんじゃないかという御意見も一方で,ものによってはあるかもしれません。

○阿刀田分科会長
   このぐらいは必要ですよね,ずっと見ていますと。

○西原委員
   全体の枚数に制限はあるのでしょうか。

○杉戸主査
   それはないと思っています。ないですよね。

○氏原主任国語調査官
   はい,特にありません。

○西原委員
   【解説1】の方の分量はこれで十分,とてもいいと思うんですが,【解説2】の方は,もっと書きたければお書きになった方がいいかなと思うんですが…。つまり,余り削っていただくと,かえって素人には分かりにくくなるんです。だから,書き足りないと思っていらっしゃる箇所が残っているのであれば,それは戻していただくぐらいのことはお任せしてもいいんじゃないのかなと思っております。

○杉戸主査
   それは特に【解説2】の方ですね。

○西原委員
   はい,【解説2】の方です。

○阿刀田分科会長
   人の呼称の問題です。例えば,私は「先生」という呼び名は余り好きじゃないんです。自分も「先生」と呼ばれることは本当のことを言うと余り好きでない。「先生」と呼ばれると,後ろにだれかいるのかなと思うぐらいです。教師が職業である方に「先生」と呼ぶのは別にこだわりはないんだけれども,「先生」という呼称がいいのかという問題はあるのではないかと思います。
 それから,このごろは,「御主人」と呼ぶことにも気を遣うことがある。まず,自分の亭主を「主人」と呼ぶことは嫌だという女性が非常に多い。我々は,女性にその人の夫のことを「御主人」と呼ぶのが一番普通なんです。だけど,自分の夫を「主人」と呼ぶのは嫌だと言っている当人に対して,その夫を「御主人」と呼ぶのはものすごく抵抗があるんです。これは本当に雑談になってしまうんですけれども,田辺聖子さんの「かもかのおっちゃん」という人が亡くなった時に,弔電を打つのに何と言ったらいいか…。「御主人」というのは,田辺さんと「かもかのおっちゃん」という人との関係を考えると,結婚はされていたようですから,いいのかなと思う反面,どう見ても田辺さんから見て「かもかのおっちゃん」は「主人」じゃないなという気がするんです。その時に何と言ったらいいかと思って,私は結局いろいろ考えた末,「御夫君」という古典的な言葉を使って電報局にそれを言ったら,「それはどういう言葉ですか。」と電報局の人から聞かれて,「普通は「御主人」とおっしゃるはずですが…。」と言うので,「御主人」というのは私はこの際使いたくないんだということで,その時点で私は「かもかのおっちゃん」という方はどういう(みょう)字の方かということも知らないんです。あの人は「かもかのおっちゃん」という人だという,「かもかのおっちゃんの御逝去を悼み」ではとても無理だということで,非常に困ったことがあるんです。「主人」をめぐる問題というのは,今結構使いにくいところはあるんですが,これは敬語の範(ちゅう)ではないんでしょうか。「先生」とか,そういう過度に相手を…,「御大」などと言われたら,もう本当にばかにされているんだろうなとしか思えませんし,それは今回の範疇ではないですか。

○杉戸主査
   先ほどの37ページ,38ページの【18】,【19】の問いでは,一人称から,「あなた」という二人称のこと,それから次の39ページの【22】の問いでは,学校の中での「先生」という呼称について問いを立てて解説を加えるということをやっています。ですから,今回の答申の扱う範囲には入ってくる問題だろうと思うんです。
 ただ,それは狭い意味の敬語そのものとしては,今回は考えていないということです。ボーダーラインと言いましょうか,正に敬意表現あるいは昔から待遇表現と言われるものにそういう人への呼称の表現が入っていますから,具体的に「主人」という言葉を扱うかどうかの選択ですね。それには及んでいないという段階の案なんです。

○阿刀田分科会長
   女性の方々はどうでしょうか,「主人」という言葉についてのお考えは。とてもつらいですね,どう呼んだらいいのか。

○大原委員
   便利だから使うということはありますね。「先生」と言えば間違いないんです。それから「御主人」と言えば間違いないとか…。そういう使い方はありますけれども,私たちの友達関係の中では余り「御主人」は使わない。それで困るんですけれども,「お連れ合いは…」というように言ったりしてますね。

○杉戸主査
   「私の配偶者が」とおっしゃる方も…。

○大原委員
   私は「大原」で仕事をしていますので,夫のことは「吉田が」とは言えますけれども,普通の方はそんなふうには…。

○阿刀田分科会長
   違っているといいんですけれども。

○大原委員
   はい。

○甲斐委員
   全然違うことですが,先ほど長さのことが話題に出ていたんですけれども,私の希望としては,行間を書き加えていただきたい。これを基にして,いわゆるマニュアル本がまた出るかもしれないけれども,しかしこれだけを基にする人が多かろうと思うんです。そこで,しっかりと書いていただきたい。
 例えば30ページの第1のところですけれども,第1のところは,特に書いた方の気持ちがこもっている,強く出ている。例えば,問題【1】の最後の3行で言うと,「すべての人は基本的に平等である。だからこそ,お互いに」と言って,「なのである」と,最後は「必要なのだと言える」と書いて,とても強い気持ちが出ている。多分この方は,もっと書き足してくださると,文末が簡潔になっていくんじゃないかと私は思ったんです。そこで,書き足していただいて,例えば「だからこそ」とかというところでも,昭和27年の建議「これからの敬語」では,基本的人格の尊重というのがあった,それに対してここでは我々は基本的に平等であるという立場を採るとかといったことを書き足してくださると,「だからこそ」といった強調表現は消えていくのかなと思うんです。これが一つです。
 それから,第3章の文末を,例えばだれかが通して御覧になって,できるだけ簡潔に,「であるのである」とかという形は,なくしていただくような文末にできないかなということを思っております。

○杉戸主査
   二つの御意見のうち,前半の方については,西原委員の御意見と同様に,そちらの方向で更にまとめを確定していく段階で考えます。
 それから文末なんですが,これが実は案作りで一番悩ましいところです。それで通してだれかが目を通すようにという御意見でした。これは是非ともやらなければいけなくて,案作りの段階では,それは私の役目だろうと思っております。それで,問題あるいは事柄によって違うわけですが,「○○である」と言い切れる内容と,「○○だと言ってよい」くらいまでは言える段階,あるいは「言えるであろう」といった段階,そういう(にじ)の色のスペクトルのようにいろいろな表現が選びたくなる,そういう問題が並んでいる。ただ,それを余り微妙に書き分けたとしても,恐らくそれはきちんと伝わらないおそれがある。表現としてはっきりさせた方がいいということは御指摘のとおりですので,これは最後の段階まで繰り返し文末については気を付けていきたいと思います。多分,その文末でこの答申の姿勢が現れてしまう,文末がそれを表現してしまうということがあると思いますので,そこは極力注意したいと思います。

○阿刀田分科会長
   文末については,現状よりはもうちょっと断定的になってもいいんじゃないかなという印象を私は持ちます。例えば38ページの上から7行目ぐらいですか,「つながっているのである」は「つながっている」でよかろうと思いますし,「のである」を付けた気持ちはよく分かるんですけれども,できるだけ断定的に言った方がいい。どのように書いてあっても,文句を言う人は必ずいるんですから。

○井田委員
   42ページの【28】「とんでもございません」の問題なんですが,これはまだ最終チェックが済んでいないところだと思いますけれども,最後まで読んで,では「とんでもございません」はいいのか,駄目なのか。そのようにいわく言い難いものだから問題になっているわけですけれども,もう少し,はっきりしてもいいのではないかと思います。例えば,35ページの3,謙譲語Ⅱ(丁重語)に関する形の問題の【13】のところですと,「御持参ください」とか「お申し出ください」などは,「既に謙譲語Ⅱとしての働きを失っているものと言ってよい」と,解説で割合はっきりと書いていますね。「持参」は構わないという立場に立っていますね。それぐらいのことは,「とんでもございません」に対しても,もはや「とんでもございません」は「とんでもない」の誤りとは言えない状況になっているとか,いないとか,そのくらいまでは踏み込んでもいいのではないかと思いました。

○阿刀田分科会長
   認めるのか,認めないのかということのコンセンサスはなかなか得にくいでしょうね,この問題は。ここでも得にくいんじゃないかな。ここでは駄目の方が強いかな…。

○杉戸主査
   この敬語小委員会が結成される前から,「とんでもございません」をどうするかということが話題になっていました。確かに御指摘のとおり,今日の案は「とんでもない」という,その言葉を敬語的に言うことの説明が中心になっているんです。「とんでもございません」になった後の,その形についての考え方なり評価なりはまだ十分書き込んでいないと思いますので,そこは検討の一番のポイントにしたいと思いますし,検討します。

○蒲谷副主査
   原則として,相手からの褒めや称賛に対して,それを軽く打ち消すというときには,既に「とんでもございません」という言い方は,認められるということだとは思うんです。ただ,それと「とんでもない」が「とんでもございません」になるということとは,少し別の話としてというところがちょっと分かりにくくなっているのかなと思いました。もうちょっとそれをはっきり書いた方がいいかなと感じています。

○杉戸主査
   非常に慌ただしいのですが,最初に申し上げたように,表題の「敬語の指針」という案を今日お示ししています。このことについての御意見,それから「終わりに」にどういう内容のことを書くかということについての御意見,それを短い時間ですが,是非頂きたいと思います。
 今の段階では,表題として「敬語の指針」という案をお示ししました。最初の氏原主任国語調査官からの御説明にもあったように,例えばほかに,「現代社会における」という修飾語を付ける「現代社会における敬語の指針」という案,さらに,敬語だけに修飾語を付けて「現代敬語の指針」という案が敬語ワーキンググループでは挙がっておりました。ただ,特に第2章の書き方を改めて読み直してみると,どうもこれは時代を超えた敬語の基本的な考え方を記述しているということが強く感じられまして,「現代社会における」といったことは要らないんじゃないかという積極的な意味も込めてさっぱりさせたということがありました。
 ただ,その議論をしている中にも,この答申がまとまって,世の中で読んでいただくについても「賞味期限」というものはあるだろうし,それは覚悟しなければいけないだろうということも議論しておりました。その辺りをどう表題で考えるかです。

○阿刀田分科会長
   「現代」とか何とかというのは必要ないんじゃないでしょうか。現代に決まっていると言えば決まっているし,現代とはいつを指すのかというのも非常に不明確な言葉ですし,余り「現代」とか何とかということはなくていいんじゃないかと思います。最終的に私は「敬語の指針」に賛成なんですが,「指針」というちょっと硬い言葉でいいのかという,そこだけはむしろ…。

○杉戸主査
   むしろ「指針」の方に引っ掛かると言うことですね。

○阿刀田分科会長
   「敬語とは何か」みたいに,易しくすればするほど不明確になっていくということは間違いないんですが,易しい方が一般には受け入れられやすいんじゃないかなと思います。ただ,結果的には短いタイトルの「敬語の指針」でいいかなと私は思います。大体,公の文書を出すときに,「現代の」とか何とか付けるのが割と好きなところはあるんですけれども,それを思い切ってこれくらいでいいかなとは思います。

○甲斐委員
   私も「敬語の指針」がベストだと思います。「現代」を付けない方が良いと思います。これが出ると,多分,古典文法における敬語などという問題が出てくるけれども,そちらへの影響も出ると思うんです。これまでの敬語の分類の見直しなどにも大きな力を持っていくだろうと私は思います。そこで「現代」とか「これからの」と付けなくて,とにかく現在考えられる敬語の考え方の最高のところが,ここで提案されたのだという意味があります。それから,「指針」という言葉は硬いですけれども,これが一番的確に敬語についての切り込みをする,そういう用語であると思います。そういう点で,大賛成です。

○杉戸主査
   古典の敬語に関しても敬語ワーキンググループで議論が時々出てきました。それで,特に今回の謙譲語のⅠとⅡの区分は,古典を考える上でも非常に分かりやすい枠組みを示すことになるという考え方を持っています。だから,「現代」を外すということに直結したわけではありませんが…。
 それでは,この敬語小委員会としては,「敬語の指針」という端的な表題を案として,この先も進んでいくということにします。
 あと残された時間で,48ページに今の段階のものが書いてあるだけの「終わりに」なんですが,今日の御議論の中で,「相互尊重」と「自己表現」という第1章で掲げた二つの基本的な概念,考え方をここで更に敷衍(ふえん)するという御提案,それからもう一つ,敬意表現との関係を改めてまとめの段階で触れておくという御意見,二つをこの部分について頂いたと思います。それ以外で,是非ともこういうことを書くべきであるというような御提案はないでしょうか。

○西原委員
   最初のところに「よりどころのよりどころ」ですと書いてあるわけですけれども,それを「終わりに」でもう一度繰り返して,もう少し積極的にどのように使ってほしいという希望があるのであれば,それを具体的に少しお書きになってもいいかなと思います。
 それから,これはちょっといいのか悪いのか分かりませんけれども,この種のものでいつもこの部分に来るのは,こういうことはしなかったぞとか,こういうふうには読んでほしくないぞといったことについて限定的に言及しておくということも一般的にはよくあり得ることではないでしょうか。警告の部分というか何というか,積極的な希望と言えば,希望ですけれども,そこをもしお書きになろうという御希望が,敬語ワーキンググループの中におありになるのであれば,可能性としてお考えいただいたらいいんじゃないのかと思います。ただ,そのようにしたくないという御希望も尊重はしますけれども…。

○杉戸主査
   現状では,ちょっと乱暴にまとめ過ぎているかもしれません。余り未練がましいことを書きたくないということなんです,最後のところは。

○西原委員
   分かりました。

○阿刀田分科会長
   私も,余り未練がましいことを書きたくないということに賛成です。

○杉戸主査
   では,よろしいでしょうか。ほかの部分,それから第3章の後半の10問ぐらい,これは敬語ワーキンググループでの意見は踏まえた案にはなっていますが,最後の詰めの直前の段階での案を今日お示ししましたので,できるだけ早くこれをまとめて,敬語小委員会の委員の皆さんには御覧いただけるようにいたします。
 そして,先ほど阿刀田分科会長からの御質問もあったとおり,国語分科会までの3週間の日程の中で,その前半に,具体的にはここ1週間ぐらいの間に,より具体的な御意見を更にお聞かせいただければ,それも踏まえて,この案を修正していきたいと思います。
 さて,それでは,ちょっと大急ぎで通り過ぎた部分が多くて申し訳ないのですが,配布資料2についての審議はここまでとしまして,このほかに何かないでしょうか。特にないようでしたら,本日の協議はここで終わりにいたします。
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