議事録

国語分科会(第33回)議事録

平成18年10月23日(月)
14:00〜16:10
如水会館 オリオンルーム

〔出席者〕

(委員) 阿刀田分科会長,阿辻,井田,内田,大原,甲斐,金武,蒲谷,菊地,小池,坂本,陣内,杉戸,東倉,西原,林,前田,松岡,松村各委員(計19名)
(文部科学省・文化庁) 塩文化部長,町田国語課長,氏原主任国語調査官 ほか関係官

〔配布資料〕

  1. 国語分科会(第32回)議事録(案)
  2. 敬語の指針(案)
  3. 国語分科会の今期検討スケジュール(案)

〔経過概要〕

  1. 事務局から,事務局の異動(文化部長及び国語課長)について紹介があった。
  2. 事務局から,配布資料の確認があった。
  3. 前回の議事録(案)を確認した。
  4. 敬語小委員会の杉戸主査から,配布資料2についての説明が行われた。説明に対する質疑応答の後,配布資料2に基づいて意見交換を行った。その結果,本日出された意見を踏まえて,同資料の修正を行うことが了承された。なお,修正に関しては,杉戸主査に一任することも併せて了承された。
  5. 事務局から,「敬語の指針(案)」が答申に至るまでのスケジュールと国語分科会,敬語小委員会,漢字小委員会の開催予定について説明があり,了承された。
  6. 次回の国語分科会は,1月15日(月)の10:00から12:00まで開催されることが確認された。会場については,事務局から改めて各委員に連絡することとされた。
  7. 敬語小委員会の杉戸主査からの説明,質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。

1 配布資料2についての説明

○杉戸敬語小委員会主査

お手元の配布資料2「敬語の指針(案)」を御覧いただきながら,全体の内容,構成の概略,それから,特に触れておくべき箇所をかいつまんで御説明してまいります。
最初は,表紙の「敬語の指針(案)」という,この名称です。審議の過程では,例えば「現代社会における敬語の指針」とか,「現代敬語の指針」とかといった案も検討されました。しかし,大臣からの諮問が,「敬語に関する具体的な指針の作成について」というものでありました。より基本的な内容を持った指針であるべきことを表現できる名称がいいだろうということで,端的な「敬語の指針」というものにしました。積極的に言えば,これから長く持つ,時代を超えたとまでは言いませんが,敬語の基本的な指針として示していけるものだろうという意味を込めて,この名称を選んでおります。
それでは,内容に入ります。1ページめくっていただいた「目次」を御覧いただきますと,全体の構成があります。
「目次」を御覧いただくと,冒頭の「はじめに」から始まり,「終わりに」に至る構成でありまして,付録の参考資料がありますが,本体部分は第1章から第3章の三つで構成されています。
1ページを御覧ください。「はじめに」の冒頭には,検討の経緯・報告案の目的を記しました。先ほど阿刀田分科会長からも御説明のあったとおりで,平成17年3月に文部科学大臣から出された諮問を受けまして,国語分科会,そしてその後に設けていただいた敬語小委員会で諮問のうちの一つ,「敬語に関する具体的な指針の作成について」の検討と審議を続けてまいりました。この間,敬語小委員会,さらにその中に敬語ワーキンググループ,さらに主査検討会という,3層構造の会議の場を設けて,検討と審議をしてまいりました。事務局で,それらを足し合わせたところ,合計38回になったということです。その記録は,先ほど御紹介のあったとおり,58ページ以降に「審議経過」として,時間も含めて掲げてあります。
今日のこの案は,全体の表紙の下の方に「国語分科会報告案」となっておりますとおりで,国語分科会から文化審議会への報告の案という,そういう位置付けのものです。今日の御審議でお出しいただくいろいろな御意見,御指摘を受けて,今後,必要な改訂を加えます。そして,いわゆる意見公募,広く一般に公開して,いろいろな分野からの御意見を頂く,そういう段階を設けて,更に改めて内容を固めた上で,答申案といたします。この答申案については,改めて国語分科会にお諮りすることになります。そういうような流れの中で,今回の報告案は,今後の答申の基盤となる,そういう案だというわけであります。
1ページの後半には,<従来の建議・答申との関連>を記しました。これは,敬語に関して,かつての国語審議会で大きく2度,建議や答申が出されております。そのことに触れました。昭和27年の建議「これからの敬語」,それから平成12年の第22期国語審議会答申「現代社会における敬意表現」,これらと今回の報告案との関係を簡潔にまとめてあります。下から8行目に,特に答申「現代社会における敬意表現」との関係を書いておりますが,その答申で扱われた,「敬意表現」のうち,特に敬語に焦点を絞ることを心掛けたというわけであります。
次の2ページを御覧いただきますと,<報告案の構成>があります。これは,第1章から第3章までありますということのほかに,その3行目からのところに「報告案は,敬語がコミュニケーションを円滑に行い,確かな人間関係を築いていくために欠かせないものであるという基本的な立場に立つ。その上で,敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たち」とあります。これは大臣の諮問の理由の中に入っている言葉を引用してあります,そういった人たちを主たる対象として考えた指針の案であると,そういうことを書いてございます。
それから,次の固まり,<報告案の性格>ですが,これは,端的に申しますと,下から2行目にあります<よりどころのよりどころ>,そういう言葉をこの分科会でも繰り返し申したことがありますけれども,上から3行目,「学校教育や社会教育での敬語の学習や指導,あるいは地域・職場・家庭など様々な社会生活での実際の敬語使用等のためには,それぞれの分野ごとに,目的や対象に応じた敬語の「よりどころ」が具体的な教材や資料などの形で今後も作成されるであろう」という,そのよりどころ,そうした<よりどころのよりどころ>に,この指針がなることを期待するという性格を持たせようとしています。
次の<報告案の使い方>ですが,そうした<よりどころのよりどころ>ですから,二通りの使い方を期待するということを書きました。一つは,まずは全体を通読していただきたいということ。これは,敬語というものがいろいろな種類を持っていて,それがそれぞれその種類同士の間で体系的な関係を持つものですから,部分的にだけ読まれるのでは不適当であるということを一つ書きました。
それから,二つ目として,下から4行目になりますが,「さらに」というところからです。そこに「全体を通読するとともに,必要な箇所を随時参照するというような利用も期待したい」とあります。これは,学習指導の必要に応じて,あるいは議論や疑問の都度,それに該当する箇所を選んで読んでいただく,そういう使い方も期待するということを書きました。いずれも,<よりどころのよりどころ>として活用していただくための使い方をあらかじめここに書いたというわけです。
3ページからは「第1章」に入ります。これは,表題のとおり「敬語についての考え方」でありまして,敬語についての基本的な考え方,あるいは留意すべき事項,それから,繰り返しになりますが,平成12年答申「現代社会における敬意表現」との関係にも触れております。
大きく,「第1 基本的な認識」が5ページまでで3項目,それから6ページ以降,「第2 留意すべき事項」で5項目掲げております。
3ページに戻っていただいて,3ページの「第1」の「1 敬語の重要性」。ここでは,この指針案を貫く敬語についての基本的な考え方をできるだけ端的にまとめようとしたつもりです。書き起こしは,御覧のとおり,「敬語は,古代から現代に至る日本語の歴史の中で,一貫して重要な役割を果たしてきている」と,それから出発しております。第1段落の一番下に,「このように敬語は,言葉を用いる人の,相手や周囲の人やその場の状況についての気持ちを表現する言語表現として,重要な役割を果たす」ということを基本的な認識として,3ページの一番下,下から4行目辺りですね,「敬語をどのように用いるとどのような人間関係が表現されるかについて留意することはもとより必要であるが,それと同時に,敬語を用いないとどのような人間関係が表現されるかについても十分に留意することが必要である」としています。
次の4ページへ行っていただきますと,2行目「敬語は人と人との間の関係を表現する(注意深く言えば,意図するか否かにかかわらず表現してしまう。)ものである」という,そういう認識も必要なこととして書きました。
その段落の最後,「現在も,また将来にわたっても,敬語の重要性は変わらないと認識することが必要である」ということですね。これは,世論調査で96.1%の人が今後も敬語が必要だという意見をお持ちであるということを踏まえて書きました。繰り返しますが,敬語についてのこの指針の中を一貫して流れる基本的な立場は,ここにこのように書いてあるわけです。
次に行きまして,「2 「相互尊重」を基盤とする敬語使用」。それから,下の方,「3 「自己表現」としての敬語使用」ということで,四文字の熟語を二つ,「相互尊重」と「自己表現」を,言わば,この敬語についての基本的な認識,あるいは敬語を支える気持ちの在り方,キーワードとして掲げました。
4ページを御覧いただきますと,その相互尊重についての基本的な考え方をまとめてあります。中ほどの,大きな段落の最後,「これに対して,現代社会は,基本的に平等な人格を互いに認め合う社会である」,それを出発点にして,その後,3行目,「前に例示した「敬い」や「へりくだり」という敬語の意味合いも,身分などに基づく旧来の固定的なものでなく,相互尊重の気持ちを基盤とした,その都度の人間関係に応じたものとして大切にされなければならないと理解すべきである」ということを強調してあります。ともすれば,「敬い」とか「へりくだり」とかという言葉で語られる敬語に託す気配り,これは昔のものだからやめた方がいいと今回の指針の案が示しているのではないかという,そういう受取方の報道が既にされていますが,そうでないということをここでも御覧いただきたいと思います。
それから,「3」に出てくる「自己表現」についてでありますが,人間関係を固定的にとらえる,あるいはこの場面で,この人にはこの言い方だけで行くといった固定的な敬語使用,これは避けるということにつながります。端的に申しますと,5ページの二つ目の段落です。「一つは」と書いてある段落の1行目終わりから,「「自己表現」とは,具体的な言語表現に際して,相手や周囲の人との人間関係やその場の状況に対する自らの気持ちの在り方を踏まえて,その都度,敬語を含めた言葉遣いに主体的な選択や判断をして表現するということである」と,「自己表現」を定義付けております。
最後の段落の4行目「「こういう敬語を使うと,人間関係や場面について,どんな気持ちが表現できるか。」,さらには前に述べたように「この敬語を使うと(あるいは,この敬語を使わないと)どのような気持ちが表現されることになるか。」と,自らに問い掛ける姿勢」,これが必要だ,そういった問い掛ける姿勢を持つ努力は惜しむべきでない,そのためのよりどころは第2章,第3章に書かれている,そういう示し方をしております。
6ページ以降が第1章の「第2 留意すべき事項」です。「1 方言の中の敬語の多様性」,「2 世代や性による敬語意識の多様性」,それから「3 いわゆる『マニュアル敬語』」について,それから8ページの「4 新しい伝達媒体における敬語の在り方」,9ページの「5 敬語についての教育」,この5項目を留意すべき事項として選んで記述しました。もちろん,ほかに留意すべき事項,振り返ってみれば,平成12年の敬意表現の答申には,別の項目も留意事項としてよく似た記述があります。そういったものには今回は触れないで,基本的にはその敬意表現の答申を踏まえながら,特に,今回,五つを選んだというわけです。
「1 方言の中の敬語の多様性」について,基本的には,全国共通語の敬語だけでなくて,各地の地域言語,方言にも特有の方言敬語と呼ぶべきものが非常に豊かに使われている。その中には,共通語の敬語の主要原理と異なる原理で使われる場合もある。例えば,共通語では身内敬語は避ける,自分の身内を立てるようなことは避ける,そういう原理があるわけですが,その身内敬語を非常によく使う方言もあるなど,共通語と異なる原理で使われる敬語もあるので,それもきちんと尊重していくべきだと,そういうことを書いてあります。
それから,「2 世代や性による敬語意識の多様性」ですが,これも,基調として,世代や性によって異なる敬語意識がいろいろ幅広くある。それをきちんとわきまえて大切にし合う,そういう精神が必要だということを書きました。
それから,「3 いわゆる「マニュアル敬語」」については,これはよく議論される領域なんですが,いつでも,どこでも,だれにでも同じ,画一的な敬語使用を求めるようなマニュアルが作られ,使われている。そういった利用の仕方は避けるべきであるということをまず書いて,しかし,マニュアルというもの自体は,その場における典型的な敬語の使い方の例ですとか,適切な具体例を示して,特に,初心者には不可欠なものであるということは認めたいと,そういうことを書いてあります。
それから,「4 新しい伝達媒体における敬語の在り方」。これは,高度情報化社会で登場したeメールですとか,ちょっと古いですが,ファックスですとかといった新しい情報媒体に関して,その中で使われる言語表現,さらにその中の敬語についていろいろ指摘がある。それについて,今後,メディア,情報媒体に即した,それぞれの特徴を生かした言語使用,あるいは敬語の選択の模索ですね,一つの型がやはり必要だという立場に立って,それぞれに適した型の模索が求められるといったことを書いてあります。
それから,「5 敬語についての教育」ですが,学校教育や社会教育で敬語指導・学習が必要だということは,前提として改めて書いてあります。体系的な学習,あるいは実践的な場面での敬語の習得,そういったことを,両面から大切に心掛けてほしいと,書いてあります。それで,9ページの下の1段落ですが,「なお」と書いてあるところ以下では,第2章では,敬語の種類を今回の案では五つに分けて説明するが,このことが,従来,学校の教科書で学年段階に応じて3種類であったり4種類であったりすることと決して対立するものでなく,つながるものであるということを強調してあります。教育上の適切な措置を期待するということで,特に,学校教育における敬語の扱いについて,その立場での審議,あるいは措置を,ここではゆだねたいという表現を案としてお示ししているわけであります。
次に,10ページからが「第2章 敬語の仕組み」と題しまして,「第1 敬語の種類と働き」,「第2 敬語の形」です。これらを,敬語の骨組みを示すという,そういう姿勢も採りながら記述してあります。先ほど申しましたように,敬語の種類を5種類に分けて考えることができるという立場で記述してあります。尊敬語,謙譲語?,謙譲語?(丁重語),丁寧語,美化語という5種類で,それぞれ括弧の中に,「「いらっしゃる・おっしゃる」型」ですとか,「「伺う・申し上げる」型」という典型的で,理解の手掛かりになるような実例も示しながら,五つの枠組み,種類を示しました。
このうち,「(2)謙譲語?」と「(3)謙譲語?(丁重語)」が,従来,謙譲語という名の下で一括して分類されてきた種類です。それぞれを特徴上二つに区分して考えることが,理解する上でも,適切に使い分ける上でも有効である,そういう考え方に基づいて,区分して示しました。謙譲語?の方には,「丁重語」という名前も添えてあります。これは,敬語の専門の研究の方で早くからこの類(たぐい)に与えられた名前の一つを選んで添えました。丁寧語と丁重語の区別などは,今後,例えば,学校教育の中でもし使うとすれば,非常に説明が大変になっていくであろう,あるいは一般の方たちには丁重と丁寧の区別はなじみにくいことであろうということで,あえて,それは直接表には出さず,謙譲語?,?という名前で区別しました。謙譲語?,?は,その区別だけを大切なものとしたいという,そういう精神として出したつもりです。
五つの種類それぞれについて,10ページの中ほど「1 尊敬語」のように,裸のアラビア数字の1から5までで節に分けまして,例えば,10ページの尊敬語,太いゴシック体の文字で基本的な解説,言わば定義を示しまして,その下に四角で囲んで,該当語例を具体的に列挙しまして,さらに,それぞれについて基本的な事項,あるいは重要な留意事項を[解説1],[解説2],あるいは[補足]といった枠組みで見出しを掲げて記述していくという,そういう構成を採っております。
15ページから16ページにかけて,先ほど来,新しい区分だとした謙譲語?と謙譲語?と,それを分けたことについての説明を,特に補足として記述しております。
それから,18ページの「6 尊敬語・謙譲語?の働きに関する留意点」ですが,1から5までで5種類の敬語の種類を基本的に説明した後,そのうちの尊敬語と謙譲語?,これは敬語の間違いとか取り違えとかが一番よく起こる種類なんですね,その二つについて留意点を書きました。敬語についての質問とか議論がよく起こりますが,国語課などにも質問がよく来るわけですが,そのうちの一番多いタイプが尊敬語と謙譲語の取り違えというようなケースです。
さらに,20ページを御覧いただきますと,「付」として,従来の3分類と今回示した5分類についての対照の図を表の形式でまとめてあります。
それから,「第2章 第2 敬語の形」ですが,言葉の形の方向から見た場合の敬語の基本線,それから注意点を記述しています。御覧のとおり,活字を小さくしたり,注を重ねたりして,かなり詳しいことを書き込みました。これもたくさん書いてあるという印象をお与えするかもしれませんが,重要なことだけを選んで,精選した結果,こうなったというところであります。
先ほど最初に申しました使い方のところで,全体をまず通読してほしいということも申しましたが,この辺りは,ひょっとしたら通読するのは大変かもしれません。疑問や議論の話題ごとに箇所を選んで読んでいただき,よりどころにしてほしいというところだと思います。しかし,もちろん体系的な記述ですので,まずは通読してもらいたいというのは最初にあります。この「第2 敬語の形」も,21ページ「1 尊敬語」から始まって,26ページの「5 美化語」の順で,1から5を「第1 敬語の種類と働き」の順序と並行して順番に並べてあります。
それから,26ページに,「6 二つ以上の種類の敬語にわたる問題」として「お」と「御」ですね。接頭語の「お」と「御」,あるいは二重敬語という,これまた敬語の形の上でよく疑問,問題になる,そういう事柄を取り上げてあります。
さらに,29ページを御覧いただきますと,「付」として,敬語との関連で注意すべき助詞の問題を取り上げてあります。具体的には「先生が〜してくださる」という言い方の「が」と,それから「先生に〜していただく」というときの「に」と,つまり「が」と「に」ですね。その助詞の使い分け,これもよく疑問が呈されます。そのことを取り上げて注記しております。ここまでが第2章です。
最後の「第3章」が,「敬語の具体的な使い方」の章です。第2章が敬語の基本的な仕組みを説明していて,<よりどころのよりどころ>という中でも,基本的な事柄のよりどころであったのに対して,この第3章は,問いと解説の形を採りました。具体的な場面や状況を示しながら,そこで疑問となったり問題となったりする事柄について,それを問いの形で四角に入れて示し,それについての言わば回答を記述するというものです。そして,回答だけでなくて,回答を支える基本的な考え方について記述する,そういう構成を採っております。全部で36の項目を並べましたが,それらを第1,第2,第3という節に分けまして,第1が「敬語を使うときの基本的な考え方」,第2が「敬語の適切な選び方」,それから,第3が「具体的な場面での敬語の使い方」と,そういうグループに分けました。
最初の方は解説は一つだけなのですが,33ページの「第2 敬語の適切な選び方」の項目,問いの番号で申しますと【7】からは,[解説1],[解説2]というふうに分けて記述しています。[解説1]は,四角の中の問いに対してできるだけ端的に答えを示すということです。どのように敬語を使えばよいか,どちらを選べばよいかということをできるだけ端的に述べています。それから,[解説2]は,もう少し基本に立ち返って,どちらがいいと考えるときの考え方や,問題の背景といったことに解き及ぶという,肉付けと申し上げていいでしょうか,そういう性格の事柄を記してあります。市販されている,いわゆるマニュアル本は,この[解説1]に相当する記述だけで終わるという嫌いがあります。それだけでは足りない,その基になった考え方を提示したいという,それを[解説2]で実現したいという気持ちを込めております。
第1から第3まで,全部で36の項目を今日は案としてお示ししております。途中段階では,この分科会でも,60幾つかの案をお示ししました。その前では,93だったかの項目を考えていた段階もありました。それらをまとめたり,あるいは割愛したりしながら36に絞り込んだところであります。
それぞれ第1,第2,第3とグループに分けた中を,やはり裸のアラビア数字で,例えば,30ページへ戻っていただきますと,第1の下,裸のアラビア数字で,「1 現代の敬語は,相互尊重を基本として使う。」という見出しを立てて,そういう性格の内容を扱っているということを見出しとしても示しながら記述しております。これらが第1では5項目,第2では6項目,第3では7項目というふうになっておりまして,全部で36問を18の項目に分けたということです。
詳しい内容を御紹介するわけにまいりませんが,全体の後半部の,特に,38ページの「第3 具体的な場面での敬語の使い方」を御覧ください。この固まりの中では,それ以前は狭い意味の敬語を扱っているのに対して,「敬意表現」と呼ぶべき言語事象も扱っております。例えば,【19】では一人称表現,「僕」,「わたし」です。あるいは,【20】では,二人称の「あなた」,あるいは,【21】では,手紙のあて名の最後に付ける敬称の「様」,「先生」といった事柄,あるいは,【22】では,自分の父親,母親を「父」,「母」と呼ぶかどうかといった呼称の問題も扱っております。これは,具体的な言語事項としては,昭和27年の「これからの敬語」で非常に端的に扱われた,結論だけが示された呼称の事項も,今回,解説1,2を含めて説明をして,この段階における指針を示したつもりであります。
さらに,42ページ以降になりますと,言葉の単位としてもう少し長くなっています。42ページでは「3 ねぎらいや褒めの問題」,44ページに行きますと,「4 能力などを直接尋ねることの問題」,あるいは「5 依頼の仕方の問題」といった,狭い意味の敬語も含みますが,もう少し長い言語表現としての敬意表現,その在り方についての疑問も扱っているというわけであります。
最後は,49ページになります。これが「終わりに」です。ここでは二つの事柄を取り上げて,指針のまとめに当たることを述べました。
一つは,繰り返しという面もありますが,敬語と敬意表現の関係を,もう一度概括的に述べております。49ページの下から二つ目の段落に「敬語について考えたり議論したりする際,往々にして敬語の細かな語形や使い方だけに過度に注意を向けることがないとは言えない。個々の敬語を適切に選んだり使ったりすることに配慮することは,もちろん大切なことであるが,更に重要なことは,敬語を含めた敬意表現を視野に入れて,その都度の言語表現の適切さを吟味する姿勢を持ち続けることであると言えよう。」とあります。第1章,第2章を通じて,特に第1章で強調した敬意表現の広がりの中の敬語を扱っていて,敬意表現についての考え方を受け継いでいるのだということを,もう一度念を押したということであります。
二つ目のこととして,将来にわたる敬語の重要性ということをまとめに是非とも書くべきだと考えまして,記述しました。将来にわたって敬語は重要な働きをするものであろうという,そういう前提で,最後の50ページを御覧いただきますと,一番上の段落の最後に「端的に述べれば,現代社会における言語コミュニケーションは,多様で複雑な人間関係の中で営まれる度合いをますます強めている。」と書いています。そうであってみれば,二つ目の段落ですが,「多様化し複雑化した人間関係の下に行われる現代社会のコミュニケーションにおいて,その重要性は,これまで以上に高まっているものと考えなければならない。さらに,社会や生活様式のこうした変化が,この先も持続するものと考えれば,敬語や敬意表現の重要性は将来においても変わらない。」とあります。ここで言う「重要性」とは,敬語や敬意表現の重要性のことです。そして,最後の段落の下から2行目には,「古代から現代に至る日本語の歴史の中で,一貫して重要な役割を担ってきた敬語を,現代社会に生きる我々が将来にわたって受け継いでいくためにも不可欠なものである。」ということをまとめとして掲げました。
随分長くなりましたが,以上,内容と構成を説明しました。50ページ以降の参考資料については,説明を割愛いたします。
繰り返しになりますが,案作りに際して,指針を示す相手として意識していたのは,大臣の諮問理由説明にもあったとおり,敬語を必要とする人たち,敬語に困難を感じている人たちを中心にしているつもりです。さらには,そうした人を取り巻く人々,その周りにいてよりどころ作りに携わる人たち,よりどころを使って指導したり導いたりする立場の人たち,そういう人たちのよりどころに使ってほしい,よりどころとして活用してもらいたいと思っています。そういう姿勢を込めてはどうかということで,この案をまとめた次第です。どうぞ,忌憚(きたん)のない御意見をお願いいたします。

2 質疑応答・意見交換

○阿刀田分科会長

大変膨大な資料であって,毎回会議に参加していても,新たに勉強することが非常に多かったというのが率直な感想なんです。報告案を通して読み返して,初めの第1章の説明は,率直に申し上げて,非常に分かりやすいです。第2章の謙譲語?,?に入ってくると少し理解するのに難しいところも出てきます。書いてあること自体は理解できます。しかし,飽くまでも,この指針は,一番典型的な例を挙げて説明しているわけで,ここを理解しただけで,果たして,そのほかにも想定されるであろう類似の例をちゃんと自分が使えるだろうかという問題については,なかなか難しいところがあるのかなということを考えたりしながら読みました。でも,非常に懇切に説明されている。ただ,懇切過ぎることも,また問題ではないかという気もしました。取りあえず,ぱっと読んで分かることを求めているという人も一杯いるわけでして,その辺,どの辺りに落としどころを置くかというところでは,きっとワーキンググループの方でも随分苦労されたポイントではないかと思います。それでもなお,少し分かりにくいところもあるのかなという気もするんですが,それは,杉戸主査が悪いのではなくて,日本語の仕組みそのものの問題だと思います。日本語には,どう説明したって,こうとしか説明できないところがあるというのが私の率直な感想でもあるわけです。
御説明いただきましたが,まず,取りあえず,御質問のようなことから伺いたいと思いますが,いかがでしょうか。(質問出ず。)
特に,御質問がないようですので,もうざっくばらんに,御意見,あるいは御感想など,おっしゃってくださいませ。特に,漢字小委員会の方々はここまでまとまったものを御覧になるのは初めてだと思いますので,御意見,御質問,どちらでも結構でございますので,どうぞ。

○金武委員

敬語小委員会の方々の大変な御努力の成果でありますので,全くそちらの方に欠席しておりました私が何か意見を差し挟むのは非常にはばかられると言いますか,言いにくいのでございますけれども,これが国民に公開されたときに,国民の一人として,こういうような感想を持つ人もいるのではないかという程度で,ちょっと感想を述べさせていただきたいと思います。
まず,杉戸主査がおっしゃったように,これは通読していただきたい。通読することが必要だと思うんですが,敬語についてどちらかと言うと正しく使うことに不安を持っている人たち,敬語についていろいろ必要だと思うけれども,不安であるというような人たちを対象とするとすれば,大分絞り込んであるとはいえ,まだ長過ぎるのではないか。なるべく簡潔な方が通読するにはいいので,これだけのものを果たして読みこなしてもらえるかどうかということがちょっと心配だということです。
そして,言葉遣いの中に,全体としては非常に易しくしようと書かれているんですけれども,例えば,4ページの「2 「相互尊重」を基盤とする敬語使用」の下から3行目のところに「基本認識が定着していることを含意して」とあります。この「含意」という言葉は,小規模,中規模の国語辞典では載っていない言葉だと思いますので,もう少し易しい言葉に言い換えた方がいいのではないかという気がします。
それで,長過ぎると言いましたけれども,第3章の「敬語の具体的な使い方」については,これは例がたくさんあった方がいいわけですから,この部分は長過ぎるとは思いません。むしろ大分問いを削られたようですけれども,具体的な例はたくさんあった方がいい。ただ,解説はなるべく短くして,できれば疑問に対して,あるいは疑問や問題がある問いに対しては,適切であるなどという答えを最初になるべく簡潔な形で出してはどうか。もちろん,そういうふうに努力されていますけれども,ちょっと[解説2]でそれがはぐらかされているように感じるところもあります。
例えば,33ページです。「1 尊敬語にするための形の問題」の【7】ですが,「御利用される」,「御説明される」のような形は,[解説1]では適切な敬語だとは言えない,現時点では「利用される・利用なさる・御利用になる・御利用なさる」などが適切だと言えるというようにお示しになっていますので,これで十分というか,よく分かると思います。しかし,[解説2」で,最後の方になってくると,「次第に使われるようになってきており,将来は尊敬語の一つの形として定着していく可能性もある」とある。これは,そのとおりかもしれませんけれども,こういうふうに言われますと,では使ってもいいのか,許されるんだというようなふうに取る人が当然いると思うんです。それも含めて,それらの言葉というのは全体として本人の判断で使うものだということがここにありますので,それを容認されているのかもしれませんが,私としては,やはり適切な例を出したのであれば,この[解説2]においても,使われるようになってきているが,現時点では[解説1]のこういう例の方が無難であるとかというふうな結論を出した方が,読む方にとっては分かりやすいのではないか,そういうような例が幾つかあるように感じました。

○阿刀田分科会長

質問の御趣旨は本当によく分かるし,それを反映していかねばならないなとは考えております。実に難しいところがあって,敬語小委員会の方々も,ある意味では断言しにくい,そこまで言っていいのだろうか,というためらいがそのまま現れているところが多いのかと思います。腹のくくりようと言いますか,やはり分かりやすくするために,多少の批判は受けたって,もうこうなんだと言い切ってしまうという,その度胸の決め方みたいなところの迷いがまだ残っているのかなとも考えていますが,杉戸主査から,何か,今の御質問に対してございますか。

○杉戸敬語小委員会主査

確かに腹をくくる度合いの問題というのはあるわけでして,御指摘いただいた33ページの【7】の「御利用される」の問題,それから次の【8】の「御乗車できません」,これにもよく似た問題があります。これは,どの線でまとめるか,表現ぶりをどの線でまとめ,言い終わるかというところが非常に時間の掛かった項目でありました。
具体的に申しますと,これらの言い方の判断について地域差がどうもあるのではないかという議論もありました。もちろん,世代差もあるだろうということですが。線引きとして,この指針案の段階で,どこに基準線を置いて記述するか,これは,御指摘のとおり,一番悩ましい問題です。
例えば,【7】は[解説2]の最初の4行だけで終われば,[解説1]の姿勢についてきちんと言い終えたことになります。ですが,将来にわたってそれが大丈夫かと,そういう議論もありました。「御利用される」というのが,将来,ずっと間違った敬語として,間違いであると言い続けられるものであり得るだろうか,そういうことを予測する意見もあり,そこも捨て切れなかったというわけです。というようなことで,言わば歯切れの悪い,結果的に,読み手の気持ちに奥歯に物の挟まったような思いを与える,そういう箇所になっていることは否めません。もう少し工夫をする余地があるということを今の御指摘で,私は受け止めております。

○阿刀田分科会長

本当に,端的に言えば,どこまで言い切っていいのかという問題で,敬語は,玉虫色の部分というんですか,断定できないような部分がたくさんある。それに対して,あえてどの辺りの態度で我々はこの指針を出していくのかを決めなければならない。
玉虫色をもっとはっきりさせて言い切ってしまうと,確かに,学術的にと言うと少し問題かもしれませんけれども,言い過ぎになってしまう。あるいは現在,実際に使われている用例から考えて,そこまで断定するのは少し過度であるというようなことでも,いや,こうであるということを,やはりかなり鮮明にしたいという考え方もある。この会の会長の立場としては,できるだけはっきりしたものを出していった方が良いのではないか,できるだけそうありたいということは一貫して考えてきたことではあります。
さはさりながら,やはりそこまでは断定できないという,その辺りのところをどこまでこの会のコンセンサスとして考えていくかということについて,このくらいでいいんだ,いや,もっとはっきり書けとか,その辺りの御意見もあったら出していただきたいのです。この指針は,ある意味では,国語分科会の責任においてこれを提出していくわけで,それぞれの委員の方にも,漢字小委員会の方にも,皆,責任があるわけでして,この辺りについて,御意見を是非承りたいところだと思います。

○阿辻委員

責任を負わされる可能性もないわけではないということなので,教えていただきたいんですが,大変膨大な資料をお作りになりました御努力に心から敬意を表します。数日前にこれが届きまして,ざっと拝見いたしまして,今回の最大の,私にとりましてショッキングであったという言葉で表現しても過言ではないと思いますが,20ページにまとめられております3分類と5分類ということで,私は,ずっと子供のころから,つい先日に至るまで,日本語の敬語は,漠然と,尊敬語と謙譲語と丁寧語という三つの領域に分けられるものだということをもう知識として持っておりまして,それが今回,5分類という形で提示されました。
これは恐らく,世間に対して一番大きな驚きというふうに呼んでよろしいのではないでしょうか。世間をおっと思わせるというのは,その分類が変わった,あるいは増えたということだろうと思います。もちろん,例えば,謙譲語?と?はどこが違うのかというのも,15ページに御説明はもちろん書かれてはおりますので,そこを熟読すれば多分分かるんだろうなと思っておりますし,丁寧語と美化語というのも,その違いについては恐らく理解できるのだろうなと自分では思っております。ですが,あらかじめお伺いしておきたいのは,この五つの分類が,例えば,専門家の方々の中では,日本語学会であるとか,あるいはそういう敬語をめぐる専門家の討論の中ではもう既に定説化しているものなのか,それとも,これに対する反対意見,あるいは修正意見というものが学会の内部ではそれほど存在しないのかということを教えていただければと思います。それから,それが小,中,高の現場の教育に,今後,恐らく,反映されていくのだろうなと思いますが,その教育という方面への反映に関して,今回の敬語小委員会はどのようにお考えになってきたのかということ,その辺りのところもちょっと教えていただければと思います。

○杉戸敬語小委員会主査

第1の点の,敬語の分類に関する,敬語の専門の研究の世界での状況ですが,この内容での5分類については,もう問題なく定着しているというふうに考えております。ただ,用語の面で,「丁重語」という名称はいろいろ議論なり,まだ決着の付いていない点を残しております。とにかく,枠組みとして,この五つは大丈夫だと思います。何しろ,更に細かく分類する必要があるという意見も昔からあるくらいですので,分類が増えるという点は問題ありません。学会での議論も,きちんと踏まえております。
第2の点,初等,中等教育の学校教育での扱われ方がどう予想されるかということですが,敬語ワーキンググループとしてどう考えているのかということに関しては,第1章の最後の部分,9ページの「5 敬語についての教育」の最後の部分に書いてあります。最後のパラグラフで,「学校教育等で行われた前述の3分類ないし4分類のうち,謙譲語と一括されてきた語群だけについて,それらの敬語としての性格をよりはっきりと理解するために必要な区分けをしたものである」とありますように,これまでの学習指導と対立するものではないという立場を書いております。
更に踏み込んで,学校教育でどんな扱い方が必要であるのかも,敬語ワーキンググループ,あるいは敬語小委員会では議論する機会がありました。今の「5 敬語についての教育」の第2段落,「現在の小学校や中学校では…」というパラグラフで,敬語指導に幾つかの段階があるという事実にも触れました。具体的には「丁寧な言葉と普通の言葉」,「敬体と常体」という2分類から敬語に絡むものの学習・指導が行われているという段階,そして,尊敬語・謙譲語・丁寧語の3分類,あるいはそれに美化語を加えた4分類の段階があります。敬語の分類に関しては,大きく言って二つ,三つ,四つという,そういういろいろな枠組みが学校段階,学年段階で行われている。その中では,4分類が一番細かかったのですが,そのうちの1種類である謙譲語を内部的に区分けしたという,そういう案ですので,これは,私どもとしては混乱は来さないはずであると考えています。
別の分類のグループに入り込むような形で,ごちゃごちゃと分類し直したら,これは大変なことになると思いますが,そうではない。謙譲語をより―「より」と言うか,一歩だけ細かく区分けしたというだけです。学校段階,学年段階,習得段階に応じて,その段階的な,基本的には三つなんだけれども,そのうち一つは,もうちょっと詳しく見るには二つに分けて考えると分かりやすいよというような説明の仕方は,少なくともあり得るだろうというふうに,これは個人的には思っております。それが具体的に学校教育の方でどのように扱われるのかまでは,この指針案の持分ではないという判断もあり,下から3行目のように,「別途の教育上の適切な措置にゆだねたい」としたわけです。そういう姿勢を採っていますので,混乱は来さないはずであると信じております。

○阿刀田分科会長

実は,少し安心したんです。私も最初は分からなくて,どういうことなんだろうと思い,それは私がただ学力がないというだけのことだと思っていたら,同じ言葉の専門家の阿辻委員が,やはりすぐには分からないというか,そのことに関する御質問を出したので,非常に安心しました。
伺ってみれば,学会関係者の間では,この五つの分類というのはもう定説というか,かなり浸透しているものなのであるという。ただ,今まで三つということが非常に世の中に広がっているものですから,ここに対して五つという分類を持っていくことは大変抵抗が多いのではないか。この辺りをどうしようかというようなことが議論にもなりました。五つというのが学術的に正当なものであるならば,分科会の総意として,やはりここでそれを打ち出した方がいいのではないかと思っています。多少の混乱というのが起きるとしても,そのことによって敬語というものがもっと明らかになり,構造が分かりやすくなるのであれば,良いと思います。特に外国人に説明したりするときなんかには今までの分類では非常に難しいという意見なども伺いまして,それならば,思い切って,ここで五つの方を打ち出してみようということになったわけです。
20ページの表にもありますように,謙譲語?には「丁重語」というような言い方もあるらしいんですが,ここが悩ましいところでした。謙譲語?,?としたのは,従来の謙譲語という一つの分類が,ここに?,?にすることによって残っているんだということなのです。皆さんが今まで謙譲語と思っていたものの一部を,いきなり「丁重語」としてしまうと,今までの謙譲語と全く別なものになってしまうような印象を与えるので,今まで皆さんが謙譲語と考えていたものが?と?に分けられるんですよという意味で,謙譲語?,?としました。ちょっと説明的に学会などでよく言われているらしい丁重語というのを括弧でくっ付けたというのが,この表の悩ましい,苦心の跡です。もしこういうものが世の中にもう少し定着して,3分類というものに対して,皆さんが持っていらっしゃる考え方が変わって,やはり5分類の方が適切なんだということが浸透していったら,もう少しこの辺の名前の付け方も考えていった方がいいのかなということも含みながらの今の結論であるということです。

○小池委員

先ほどの金武委員の[解説2]ではぐらかされるような気がするという御意見に,ちょっと私なりにお話ししようかなと思ったんです。
これは,[解説1]と[解説2]の役割分担の話だろうと思うんですけれども,問いがあって,それについての基本的な考え方が[解説1]で出ている。これはお分かりいただいているとおりなんですけれども,[解説2]は,その考え方ということです。
考え方を示す方法というのは二つあるのではないかと私は思っているんですね。それは,[解説1]で,なぜそういう見方が出てくるのかという考え方の解説まで行ってしまうというのが一つの在り方です。もう一つは,[解説1]でこの見方はこうですと示し,[解説2]で,でもねということで,考え方の背景,背後には,こういう考え方があってというものを入れていくというものです。つまり,[解説2]の方は,考え方についての説明ですけれども,言い方を変えていうと,複雑性についての記述であるのです。これは金武委員はお気付きですけれども,やはり通読して,それから何度もまた必要に応じて振り返っていただくという中で,[解説2]について―複雑性ですから,もともと分かりにくさがあるわけですが―評価してもらえることになるでしょう。また,基本的な考え方として「自己表現」を示しているということも考えていただくと,[解説2]の意味合いも,よりくっきり出てくるのではないかなと思います。こういうふうに思いまして,私なりにちょっと申し上げようと思ったわけです。

○阿刀田分科会長

話合いを分かりやすくするためにも,例えば,この話合いの中で,いっそのこと[解説2]は取り除いてしまえという意見があったとしても,それは一つの考え方ではないかと思います。せっかく設問にしているんだから,もう[解説2]は取っぱらってしまって,[解説1]だけで突っ切れという考え方も,もしかしたらあるのかもしれない。しかし,それでは,敬語小委員会の委員としては大変苦しい。なぜなら,そこまで言い切れるものでもないところがあるからです。今,小池委員委員がおっしゃったように,[解説2]には,[解説1]の理由,あるいは,さはさりながら,こういうこともやはり言っておかないとというものが入っている。確かに,[解説2]まで,皆さん,一般の方に通読してくださいというのは少しつらいところもあるんですが,そんなことを言うと,第2章全体が非常につらいところもあると言えばあるんですが,第3章の[解説2]は全部取ってしまえという,このままで全部取っていいかどうかももちろんありますが,多少の修正はするにせよ,[解説2]は思い切って取ってしまえという考え方もあり得るとは思うんですね。ただ,それは幾ら何でも少し刈り込みが過ぎてしまうのではないかという気もするんですが,その辺りも含めて,御意見,いかがでしょうか。

○内田委員

この全体を拝見しまして,今のことと関連しておりますけれども,50ページの「終わりに」の,言わば結論に当たるようなところで,敬語は,「我々が将来にわたって受け継いでいくためにも不可欠なものである。」と,かなり敬語を大事にしていこうという姿勢が駄目押しのように書かれています。
それで,3ページからの「基本的な認識」のところで,ポイントが3点あります。一つは,人間関係をどのようにとらえているかを表現する働きを持つ,それが敬語であるということ。次の2点目で,相互尊重の気持ちを基盤とした,その都度の人間関係に応じたものとして大切にされなくてはならないと断り書きを入れ,しかし3点目として,敬語の使用は,飽くまでも自己表現であるべきだと来る。そして,自己選択するとき,これはどういうふうに対人関係を考えるかという,そうした背景的な価値観があって,主体的に選んでいくべきであるという,自主性に任せるような形で書かれている。
私は,これはとてもいいと思ったんですが,この「基本的な認識」の5ページ目の,段落のところの最後の文を離して,「言葉は人々の生活の必要に応じて変化,増殖するものである。報告書では,現代における敬語の使用の「よりどころ」を示すので,参考にしていただきたい。」と,これからも変わり得るんだという,その中の今の時点での「よりどころ」であるというようなことを前に置いておいてはどうかと思います。
そうすれば,先ほど来,問題になっている,金武委員が御指摘になったような[解説2]のところというのは,言わば手引書であり,「よりどころ」でありますから,むしろ端的に,これはまずいとする。「現代における」というのが前にありますので,それで,まだいろいろな可能性がある,変化する可能性があるし,もしかすると,誤用がいずれ定着するかもしれない。もうそれは前のところで言ったということにして,なるべくシンプルにということであれば,[解説2]というのは余り歯切れの悪くない形で,ここでは可能性があるだろうで留め置くのではなくて,やはり現代はその[解説1]のような答えが望ましいと考えるというように,むしろ,はっきりと言い切っていただいた方が迷わなくて済むのではないか。
あるいは今,阿刀田分科会長が言われたように,取ってしまってもかまわないのではないか。あるいは後ろの方にこの解説のところを詳しく載せて,さらに,その考え方についてはこれを参照されたいというような形にしておく。巻末に持っていくというようなこともあるのではないかというふうに思います。

○阿刀田分科会長

実際に作業をされていたワーキンググループのお立場では,指針の構成として,今のような考えを取り入れながらやっていくことは可能でしょうか。

○杉戸敬語小委員会主査

敬語ワーキンググループの議論の中でよく出ていた言葉が,「賞味期限」という言葉です。ここに書かれる内容が,将来にわたってどれくらい命脈を保つか,それは覚悟しなければいけない話であるということを話題に応じて議論してきたつもりです。先ほど御指摘の【7】の項目についても,賞味期限が非常に焦点化された項目でした。それなので,その[解説2]の後半部分はこういう形で残さなければいけないと,そう考えたことにつながったわけです。
歯切れの悪さは残るけれども,その賞味期限を少しでも長く持たせたいと,そういう思いがこもっていることは確かです。現代の基準ではとか,今の時点での敬語意識ではとか,そういう限定を付けたものを記述していくというのを,例えば,内田委員の御意見のように,5ページに書くこともあり得るとは思います。ただ,それがどこからどこまで,どの部分がそうなのかということがなかなか示し切れないだろうということを逆に考えますので,そこははっきりとは書かずに,敬語というものの,結局,現代の敬語のことを書いているわけですが,敬語についてのより基本的なとらえ方に基づけばこうだということを書ける範囲で書く,そういう範囲を守っているつもりであります。

○蒲谷敬語小委員会副主査

今の[解説1]と[解説2]の問題ですけれども,考え方として,例えば,【7】,【8】辺りに焦点化されているんですが,【7】,【8】の[解説1]で書いたこと,特に【7】の[解説1]では,現時点ではこちらが適切だというような,そういう書き方にしています。それから【8】の方がもう少し明確であって,[解説1]としては,「御乗車できません」ではなく,「御乗車になれません」が適切な形であるというふうに示しています。これについては,[解説1]で明確に言い切るというところで,それ自体は特に迷いはないんですね。歯切れが悪いということではないというふうに理解はしています。
ただ,[解説2]が何のために必要かということで,先ほども御意見がありましたけれども,そうではない考え方が現時点であるんですね。将来どうなるかとか,これから先,広まるだろうという予測ではなくて,現時点であるんです。例えば,「御利用される」という言い方について,非常に肯定的な考え方もあるんですね。もし例えば,この【7】について[解説1]だけが出たとすると,これは非常に規範的で,こうでなければいけないということを示した解説だというふうに多分理解されると思います。[解説2]が,例えば,全くないとしたら,この指針は要するに伝統を重視するものだと理解されます。あるいは,例えば,これは現在の調査において,「御利用される」ということに対して特に違和感がない,これでもいいと考える人の方が,むしろ,結果によっては多いということもあります。現実に,この言い方は非常に多くなされているという,その現在の状況があるのです。そのことを全く無視して,[解説1]だけで果たして説明が可能なのか,もしこの[解説1]だけが出たときに,果たして一般にどういう受け止められ方をするのかというのは,やはり非常に不安だと思います。
ただし,どちらでもいいですよというのが非常にあいまいであるということがあるので,[解説1]では,こちらの方が適切である,これは不適切であるということは明確にしています。しかし,それだけではやはり終わらない。そういう問題ではないというのが特に第3章の課題ですね。第2章の敬語の仕組みは,ある程度こうだということが言い切れると思うんですけれども,第3章はやはりいろいろな考え方があるし,現実にいろいろな言い方がされている。しかも,それはただ単に間違えたというふうにして処理されるものではなくて,現実に行われている形には,やはり現実に行われている理由がある。それでは,その理由は何なのかということをやはり書いて示す必要があるというのが,この[解説2]の立場です。もちろん,中には確かに歯切れの悪いのがあるのかもしれませんけれども,趣旨としては,そういうことまでを一応きちんと簡潔に説明したいというのが執筆者側の意図ということになります。

○甲斐委員

意見が二つあります。一つは,9ページの一番下のところであります。先ほど阿刀田分科会長が,既に世間にある考え方に少し遠慮して,謙譲語?,?に分けて,?の方には括弧して丁重語と付けたとおっしゃった。この「敬語の指針」,大変よく分類されていると私は思うんです。これが昭和27年に出た「これからの敬語」にきちんと取って代わるものであるとすると,半世紀は生きるかもしれないというふうに思うんです。丁重語でなくて,謙譲語?とするというのは,大変に,簡単な言い方をすると,移行措置的な扱いだと思うんです。私は,丁重語は括弧で包むのでなくて,最初に「丁重語」として,その後に括弧して(謙譲語?)と付け加えるというように,謙譲語を外したんだ,分けたんだというようになさるのがいいのではないか。移行措置でない方が良いのではないかと思いました。この分類の仕方は,これからきっと,ずっと学会でも認められ,いろいろなところで生きていくはずですので,最初から「丁重語」という用語を与えていただけると有り難い。
それからもう一つは,今質問があった[解説1],[解説2]のことです。「敬語の指針」というのがすっきりした形で出るのが良いというのは,もう全員がそうなんであります。昭和27年に出た「これからの敬語」の場合も,「これからの敬語」という冊子と「これからの敬語 解説」というのと2冊出ていると思うんですが,[解説2]というのを,解説編というような別冊という形にするというのはできないものかというのを伺いたいと思います。この「敬語の指針」は<よりどころのよりどころ>であるから,何らかの啓発書を出そうというような人は,どうぞ,その[解説2]もお読みくださいということにする。というのは,先ほど金武委員が質問されたところで言うと,将来,そうなるかもしれないというときの将来というのは,ひょっとしたら,10年後とか15年後とか,よく分かりませんけれども,わずか5,6年後という可能性はないんですね,もっと先だと思うということから言うと,解説編を別途に添えられるのが良いのではないかというようにも思うんです。

○杉戸敬語小委員会主査

甲斐委員の後半の御指摘,解説編ということ,これは,敬語小委員会発足当初から,答申が出た後の段階でなすべき仕事として,それをどういう主体がやるべきかは別にして,普及活動,あるいは更なる説明の活動として,DVDなどを作ったらどうかという話も含めて出ておりました。そういう中で,仮に今回,この案で行くとしても,更に説明すると,より事例が豊富になったり,解説が肉付けできたりするという事柄が,この案では書かれていない面ももちろんあります。これについては,この先の普及,広報の仕事の中に織り込んでいくということが必要であるということは出ていました。肉付けは,普及活動で行うということは十分考えなければいけない。その中に,今日の案の,例えば,[解説2]を全部回すというのは一つのアイデアとしてあり得るわけですが,我々としてはそれは考えなかったということです。端的に言えば,自己表現として自分で工夫していく,その場に応じた適切な敬語を選んでいくために,どう考えるといいかということを示したい,それは,[解説1]でなくて,[解説2]であるので,それを落とすことは,今回の指針案の一部分の趣旨をそぐことになる,そう考えています。
それから「丁重語」という名称をどうするかですが,これは本当に悩ましい問題で, 確かに移行措置的な受取方はあり得ると思います。しかし,先ほど阿刀田分科会長が補足してくださいましたように,従来の謙譲語が分かれているという,これまでとのつながりは非常によく表現できる,少なくともそういう名称になっている。そこを重視して採用したという経緯があります。「丁重語」という言葉自体もそうなんですが,謙譲語?に与えるべき適切な用語を,ちょっと消極的な言い方になりますが,探しあぐねている。これは,私どもも含めて,学会全体がそういう段階にあります。いろいろな言葉が提案されていますが,定着はしていません。最初の御説明の中で,丁寧語と丁重語が二つ並んだときに,それをどうやって説明するんだ,これは大問題になるだろうと思われますと申し上げました。それで,今回は謙譲語?,?という,従来の3分類とのつながり,連続性がよりよく表現できる道を選んだと,そういうことであります。

○東倉委員

私は,この国語分科会の委員の中で,多分,専門が国語からは遠い方かと思います。それで,そういう一人として率直な感想を申し上げたいと思うんですけれども,まず,これを郵送していただいて驚いたのは,すごい資料ができたなということですね。これから漢字の方も大変だなという印象を受けて,それで,ざっと読ませていただいたんですけれども,まず,第一感は,かなり難しいということでした。なぜ難しいかというのを考えると,やはり非常に欲張った資料だということなんだと思うんです。いろいろなことを盛り込もうとしている。それで,非常に体系的な正確さを期して,いろいろなところにすきがないように作られているという意図があるのではないかなと感じました。
それで,この位置付けを見たときに,一般の人向けだという側面が一つあって,一般の人に通読ということを勧めているわけです。けれども,これは一般の人という定義が難しいんですけれども,「一般」というのが,本当に私がイメージとして持っている一般としますと,一般の人がこれを通読するというのはなかなか難しいのではないかと感じます。先ほど欲張った資料と申し上げましたが,端的に,何を欲張っているかということを一言で表すと,<よりどころ>と<よりどころのよりどころ>という,その二つを含めようとしている点だと思います。<よりどころのよりどころ>という点では,私はそんなに大きな問題はないのではないかと感じています。
ですけれども,<よりどころ>ということで,最初に書いてありますように,「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たち」というマジョリティー(majority)の人たちにとって,今までの一般の敬語の本で分からなかったところを,これを見ると分かるということでは,非常に意識の高いレベルの人は満足させるでしょう。けれども,先ほど出ました三つの分類が五つになるとか,それから第3章の[解説]でいろいろな可能性が書いてあるとか,そういうことでは,これまで敬語を使いたいんだけれども,その使い方が難しいと意識していた国民に余計難しくなったのではないかという印象を与えやしないかということを感じました。ですから,その辺,どちらをどう採っていくかというのが非常に難しいことはよく分かっているんですけれども,今後,これをどういうふうに発信していくかというときに,一つ考えなければいけないところではないかなという感想を持ちました。

○西原委員

これを責任を持って出した方の敬語小委員会に属しておりますので,今までのことについて,「これでいいのだ」という応援演説をしたいと思います。杉戸主査が広報ということをさっきおっしゃった。その広報の在り方の中で,これをどう使っていくかとも関連するんですけれども,例えば,「一般」という,一般がどういう方なのか,その一般の切り方によっては,第3章のみ切り離したり,又は第3章の[解説1]のみ切り離したりというようなことが,電子媒体になっていれば,簡単にできると思うんですね。ですから,冊子として,あるいは答申として,これをもっと簡単にしてしまうというよりは,むしろ,これはこういう形で第1の段階の答申というふうに考えて,これを普及するということにおいて,いろいろな,今出たような御意見を反映した切離し及び再編成ということをお考えになるということがあるのではないかと思いました。そういうことを前提とするためには,このような形である方が基本的な文献としてはよろしいのではないかというふうに考えます。

○東倉委員

今のようなお考えなら,私は賛成です。

○阿刀田分科会長

つまり,付け加えるよりは削る方がずっと楽だということですね。

○東倉委員

これを一つの源泉として,ここから,こういう人向けには,「あなたはここだけを読め ばよろしいですね」,あるいはこういうニーズの人には「ここだけですよ」というのがう まく切り取れるような,そういう形がいいだろうということです。「これしかないよ」と言 われると,ちょっと戸惑うのではないかという気がします。

○阿刀田分科会長

その辺りのプレゼンテーションのやり方について,初めの辺りに少し触れておいてもよろしいかなということですかね。そんなふうにしながら,実際問題として,裸のものを出して,そこにもっと何かを付け加えていくというのは大変なことですから,ここまで詳細なものを出して,ここから,この辺りとこの辺りは,御用とお急ぎの方は,どうぞ,取り除いてくださいというような方針の方が,実際的かなという気もいたします。

○林漢字小委員会副主査

こういう指針というのは,国民に共有してもらうことをやはりねらいにしているわけでございます。そういう点から,ちょっと質の違うことを2点申し上げたいと思うんですね。
一つは,これは私も本当によく検討された,非常に立派な内容だというふうに思っております。特に,敬語を非常に多面的にとらえて検討され,具体性が中にたくさんあるということで,非常に敬服いたしております。ただ一つ,ちょっとこういうことを付け加えてはいかがかという提案でございます。せっかくこういういい答申が出て,それでそれがいろいろ使われるようになっても,例えば,JRのアナウンスなど,公共の場面での言語使用で,敬語について不用意な表現が使われますと,結局,この指針が現実に結び付かないというようなことがあります。教育についてお触れになっていますから,もうちょっとそこのところを広めて,公共の場での言語使用においては,やはり標準的な敬語を重視する必要があるとか,心掛ける必要があるというようなことを付け加えていただくと,この効果も少し社会的に大きくなるのではないかなというのがあります。これが1点目でございます。
それからもう一つは,ちょっと具体的な問題ですが,やはり私は3分類に慣れているせいもあるのでしょうが,学者の先生方には,仮にこれが非常にもう共通のことであるいたしましても,ある程度の混乱は予想されるし,避けられないと思うんです。その一つの事例について申します。例えば,先ほどの甲斐委員とちょっと考え方が違ってしまうのかもしれませんが,丁重語と丁寧語の問題が出てまいりまして,一般的に,この「丁重」,「丁寧」というのは類義語の関係にございますので,謙譲語の方の下位区分に,その類義語の一方を持っていくと,用語の問題として分かりにくいかなと感じるんです。これは技術的に解決できなくはありません。さっきいい言葉を探しても,なかなか見付からないというお話がありました。私も何かいい言葉があればと思っているんですが,自らは見付けられないのですけれども,例えば一つの方法は,丁重語はもう削ってしまい,謙譲語?,?にとどめるとか,あるいはまた別なことをちょっと考えてみるとか,いろいろなあるのではないでしょうか。類義関係にあるものの一方が,謙譲語という別の区分の下位に用いられるという用語の問題で,少し一般の人には違和感が生じてしまうのではないかなという予想がございます。
それからもう一つ具体的な問題ですが,謙譲語?の方に「参る」というのがその典型的な例として挙がっております。この「参る」という言葉,これは平安時代から非常に難しい,使い方の複雑な言葉でございます。平安時代には「参る」は尊敬を表す場合と謙譲を表す場合とがあって,一つの言葉で尊敬と謙譲の両方に使われる例というのは,やはり使い方としては非常に難しいというふうに言っていいだろうと思うんですね。謙譲語の方は,だんだん,歴史的にいうと,丁寧語に変化してくるものがあるものです。謙譲と丁寧というのは,要するに,一つの単語が両方の使い方を持っているというようなことは歴史的に見てもごく普通のことだろうと思うんです。それで,現在も「参る」というのは,なかなか難しい言葉だと私は認識しております。ここの例にありますように,「明日から海外へ参ります」というときの「参ります」は,正にこの謙譲語?に相当するもので,ここの説明にぴったり合っていると思うんです。しかし,例えば,上司が「君,いつ来てくれる」と言ったら,「15:00に参ります」と答える。こういうときの「参ります」というのは,もうこれは謙譲語?の区分に入ってしまうと思うんですね。目当ては,やはりこの「15:00に伺います」と「15:00に参ります」と互換性があるという点にあるわけです。「伺う」は謙譲語?で,それで「15:00に伺います」といったら謙譲語?で,「15:00に参ります」といったら,これは謙譲語?で,こちらの方が丁重語だというようなことは,なかなか区別が付きにくいのではないかと思うんです。正に,これは歴史的に見ると,この「参る」という言葉が今,変化しつつあって,それで,平安時代でも,「参る」というのは一般的な使い方としては謙譲の使い方が多いだろうと思うんですけれども,「参る」が徐々にそういう丁寧語化しつつあるということなのでしょう。その中では,用法からいって,本来の謙譲語の使い方,つまり謙譲語?のカテゴリーの中にまだ入っているものと,それから出て,正にここで言っている謙譲語?(丁重語),あるいはもっと進めば丁寧語の方に動きつつある事例とありますので,「参る」はもう丁重語であるというふうに,言葉をぎゅっとその分類の中に押し込めてしまいますと,ちょっとそういう歴史的な事実や単語の使われ方と言いますか,現実の使われ方に合わなくなる例が出てくるのではないかと感じます。その辺りに混乱の原因が生じる可能性がありますので,御配慮いただければと思います。

○杉戸敬語小委員会主査

幾つか御指摘いただきました。公共の場面での問題のある敬語使用についても触れるべきではないかと,その点は改めて追加するということも含めて考えたいと思います。実は,案が出されて,どうしようかという議論があって,削ったという経緯のあるテーマでありました。
それから,「丁重」と「丁寧」,類義関係にある用語を二つ,その敬語の種類の名称として並べることの問題。一方は括弧に入れた二次的なものであれ,並べるのはいかがかという,そういう御指摘でした。これは御指摘のとおりであるというふうに受け止めますが,やはり謙譲語?と謙譲語?に分けるだけよりは,新しく分出してきた方に一つ名前が考え得ると,そういうことの姿勢も一方で示したい。それで,従来専門の領域で使われている中で一番適切と思われるものを残したという,そういう経緯の言葉です。
最後の御指摘については,35ページの第3章の問答の形式の【13】の項目です。ここで具体的な場面を添えて説明しています。実は,林委員の御指摘の例については繰り返し,敬語ワーキンググループでも議論されました。「明日は田中先生のところに参ります」というのを田中先生に向かって言った場合,それは謙譲語?の意味を持つのではないか。いや,それはそうでないんだという。例えば,私などはその謙譲語?の意味を非常に強く感じるタイプの人間だと反省したのでありますが,これは,35ページの解説2の最初のところに書いてあります。第2行目ですね。「第三者である「田中先生」を立てる気持ちが表現できると感じている人も多いようである」。これが,御指摘の一番のポイントだと思います。その点と,それから謙譲語?という,話し相手への気配りを表すという,そのこととが,言わば,この例については重なって現れるということが付いて回るわけです。その点をどうやって整理するかというところを工夫した結果が,この【13】の問いであったわけです。最後の最後までこの問いはなかったんですが,これを入れることによって,その点が説明しやすい,分かっていただきやすい例になるだろうと,そういうことがありました。
ただし,説明の方向は,「参る」という言葉をいろいろな場面に置いて考えることは 必要だけれども,端的に言うと,「弟のところに参ります」とは言えても,「弟のところに伺います」とは言えないわけです。そういうことですっきりと二つを分けている,そういうことになります。

○蒲谷敬語小委員会副主査

今のところはもうずっと話題になってきたところですので,ちょっと違う観点でお話ししたいと思います。要するに,3か5かという議論は話題にしやすくて,非常に取り上げやすい観点のように思うんです。3分類が5分類になる,これは大変だ,複雑になる,面倒くさいということになると思うんです。しかし,敬語の仕組みを考えたり,敬語の実際の使い方を考えるときに一番重要な観点は,この敬語というのは,敬語としての性質は一体どういう性質なのかということだと思うんですね。
「伺う」という敬語は一体どういう性質を持っている敬語なのか,「参る」という敬語は一体どういう性質を持っている敬語なのかということが,とにかく最初に問われなければいけないことであって,その結果として,今お話のあったように,例えば,「私の弟の家に伺いました」とは言えない。「私の弟の家に参りました」というのは,それは相手に対して改まって伝えることができるんだとなるわけです。すなわち「伺う」と「参る」とは非常に似ている敬語ではあるんだけれども,実は敬語としての性質に違いがあるというところが一番重要な問題であって,それが結果として3か5かという問題につながるんです。一番伝えたい事柄は,3か5ではなくて,「伺う」と「参る」は敬語としての性質が違うのだということなんです。
ですから,できる限り,これはまた広め方の問題もあるのかもしれませんが,どうしても3か5かという方が話題にしやすいんですけれども,できれば,そういう形で伝えたくはないというのが作成側の者のねらいです。要するに,敬語の性質が一番問題なんだということですね。ですから,その中で,例えば「参る」という敬語で,「だんだん寒くなってまいりました」という,そういう使い方もある。いわゆる丁寧語に近いような使われ方をするというところの性質が問題なのであって,「参る」という敬語がどこに入るのだということが問題なのではないのです。飽くまでも「参る」という敬語は,こういう状況で使われればこういう性質がある,こういう状況で使われたら,こういう敬語的な性質があるんだというところをとにかく広めていきたいなというのが作成者側のねらいです。

○金武委員

今おっしゃった5分類というのは確かに話題になると思います。性質が違う,こういうふうに使い分けられるから違うという説明は,よく読めば分かるので,これはこれで良かったのではないかと思います。そして,やはり今まで謙譲語に分類されていたものですから,謙譲語の?,?と分ける方が一般には取りあえず分かりやすいと思います。
それで,ただ,この全体を通しまして,先ほど東倉委員がおっしゃったように,敬語を正しく使うのは難しいけれども,正しく使いたいと思っている層に対して,余計難しくなったのではないかと思わせないような,どこかにそういう文言と言いますか,何か工夫が必要かなということを感じます。簡潔に,もう少し短くした方が読みやすいのではないかということです。
それから,その[解説2]が[解説1]と違って,現代のいろいろな言葉の変化というものについて解説するのはいいのですけれども,先ほどから内田委員も言われたように,[解説1]と反対のことを言った場合には,最終的には,こういう説もある,あるいはこういう状況があるが,現在では,規範的にはこうであるということは,やはり最後にはきちんとしていただいた方が一般には分かりやすいのではないかと思います。結局,一般の人が敬語の指針として受け取るわけですから,指針に当たる部分が二つも,三つもあるというのは,どうも分かりにくいということです。
もう一つ,これは個人的な感覚なんですが,45ページから46ページにかけての【33】ですね,「それ,取ってもらっていい(ですか)。」とか「こちらの書類に書いていただいてもよろしいですか。」という問いに対して,[解説1]は使っていいのか悪いのかというのがはっきりしない。私なんかは,やはり回りくどいから使ってほしくないと思うんですけれども,どうも,[解説2]の方を見ると,最後に「相手に許可を求める表現の持つ丁寧さや配慮を表す点が生かされた表現だと考えることもできよう。」とあるので,奨励というほどでないにしても,何か,文化審議会としてはこういう言い方も十分認めているように取れるのですが,そういうふうに取ってもいいのかどうか。例えば,「取っていただけますか」とか「書いていただけますでしょうか」で私は十分よく分かると思うんです。持って回ったような言い方に対して,ちょっと肯定的過ぎるような気がしますので,もう少しそこのところを考えていただければ有り難いというふうに思います。

○阿刀田分科会長

全体的にもう少しトリミングをして,特に第3章辺りは,はっきり断定できるものは断定して,回りくどいのは回りくどいということまでで,すぐにやめて,くどいけれども,どうであろうかというところまでは余り言及しない方がいいのではないかと思います。そういうようなところは,よく見ると,まだ少し残っているかなと思います。それは十分にこれからでも対応可能なことだろうと思います。
どうでしょうかね。謙譲語?,?という分類で行くということでよろしいのではないでしょうか。これは一番問題になるところだと思います。私も,林委員がおっしゃるように,丁重語と丁寧語とを二つ並べたら,これは何だというのがまず出てきそうな気もします。甲斐委員がおっしゃるように,確かにここではっきり分類できるんだったら,ぱっとした方がいいというのもそうなんです。しかし,適切な言葉が見付からないということと,謙譲語という言い方がずっと続いてきた以上,謙譲語?,?という形で持っていくのが妥当かなという気もするんです。その辺りを一つのコンセンサスとしていただきたいかなというふうに思いますが,いかがでしょうか。

○内田委員

やはり謙譲語?と丁寧語でいいのではないでしょうか。丁重語としたときに類義語であるということも気になります。しかし,謙譲語と丁寧語の間に,やはりグレーゾーンがあって,そこのところを少し特化させるためにというふうなことであれば,謙譲語?として,括弧して丁重語というのを付けていただいた方が…。

○阿刀田分科会長

現状どおりということですね。

○内田委員

ええ,そうです。謙譲語?,?とやると,余計に,ではどこからどこまでというふうになるので,やはりこの20ページに示してくださったようなスキームで提示して,必ずこの「○○型」という例も入れるという,そういう形で提示した方が分かりやすいのではないか,そんなふうに思います。

○松村委員

ここで専門家が集まって論議していることを,私は現場で子供に教えなければいけない立場にあります。子供がこれを理解できるかというところで気になっております。先ほど,もう学会でも定着しているということでしたが,現場でも敬語を幾つかに区別して教えるということは,今までもやっておりますので,新たに謙譲語?,?という形のように区別したとしましても,そのこと自体が全く新しいことでは確かにないと思うんです。ただ,謙譲語?,?をどういうふうに理解させていくかというところでは,かなり子供の側に抵抗があるだろうということは,ここで皆さんが論議しているのとは本当にもっと違うレベルのところで,大変だなというふうに思いながら聞いておりました。
「向かう先を立てる」というところで謙譲語?を説明し,相手に対する敬語ということで謙譲語?を説明している。先ほど,林委員がおっしゃった,35ページのところですが,実は私も,この資料が送られてきたときからずっと見ていたところです。「参る」と「伺う」の区別は,確かに,向かう先を立てるのが「伺う」。そして,自分自身をへりくだってと言いますか,丁重に,自分の立場を表した敬語として使うのが謙譲語?の「参る」と言うわけです。だから,弟のところに「参る」は言えるけれども,「伺う」は言えないんだよという説明はできるんですが,例えば,この例でいうと,加藤先生に向かって「田中先生のところに参ります」と言うことは,この解説のとおり説明できるかなと思ったんですが,加藤先生自身が「あなた,明日,何時に来られる」,「15:00に参ります」というふうに言ったときは,この加藤先生自身が向かう先になるので,これで行くと,謙譲語?,?の区別を子供たちの教育の場で説明するというのはかなり混乱するかなと思うんですね。
先ほどのお話で,本当に敬語というのは,「参る」というのはこういうときにこういう使われ方をする,こういう相互尊重なり,あるいはその場の自己表現としての選んだコミュニケーションができるんだよという言い方はできるけれども,やはり謙譲語?と謙譲語?の区別をどこでどういうふうに説明していくかということをもう少し分かりやすいような言い方がないものだろうかというふうに思いながら聞いておりました。
それから,全然別のことで,もう一つだけお話ししたいと思います。ここでも方言に関する問いがあって,最後の例の最後のところでも,「関西に行くと」という【36】の例がありますよね。この「〜はる」については2か所で触れていて,かなり丁寧な説明をなさっているというふうに思いました。そこで,今,敬語のところでちょっと疑問に思っていることがあるので,方言同様,この例示として取り上げていただけないかなと思うことがありますので,ちょっと申し上げます。
近ごろ,病院の患者への対応ということがいろいろなところで問題になっていて,私の行く病院では,私のことを「松村様」と呼んでくれるんですね。それから「患者様」という張り紙がしてあるんです。患者と病院の関係というのは,やはりこれは,場の関係としては,「様」という敬語を使うような場ではないのではないかなといつも思いながら医者に行っております。その辺のところというのは,ここのところ,いろいろな病院に行くと,張り紙なんかでそんなこともあります。指針でも,少し紙面を削ることができるのであれば,その辺のところも取り上げていただきたいなと思っております。

○阿辻委員

今の御発言で,方言についてお触れになりましたので,本当に一言だけ申します。6ページの「1 方言の中の敬語の多様性」という見出しのところです。方言を取り上げてくださったことは,東京以外の出身の者としては大変うれしいのでありますが,関西方面で,今,松村委員が例示されました「〜しはる」という言葉ですが,「うちのお父さん,家にいてはります。」は,違和感がないのですが,「庭のお花,きれいに咲いてはりますねえ。」は,京都では申しますが,大阪,神戸では申しません。同じ関西と言いましても若干違います。「庭のお花,きれいに咲かせてはりますね。」だったら,これは完全に京阪神共通になります。枝葉の問題にこだわって恐縮でありますけれども,方言を扱うんだったら,くくり方を,もう少し絞り込んでということをお願いしたいと思います。

○阿刀田分科会長

本当のところを申し上げますと,方言の敬語についてまではとても入り切れなかったというのが敬語小委員会の実情だったと思います。これをやるとなると,また委員のメンバーも少し変えて考えないといけないのかなと思っております。今回,余り方言までは入れないかなと思っているんですが,大原委員,御専門の立場からどうぞ。

○大原委員

方言の指導をしている者としては,これを<よりどころのよりどころ>として,もう一つ別に,地方語版と言いますか,そういうものを作っていかなければいけないんだなと感じています。だから,これは<よりどころのよりどころ>として読んでいけばいいんだなというふうに理解しておりましたが,今おっしゃいましたような,ちょっとした文章でも気になるところは確かにございます。

○阿刀田分科会長

いろいろな意見が出ましたが,基本的に,2ページですか,ここのところで「「敬語が必要だと感じているけれども,現実の運用に際しては困難を感じている人たち」(文部科学大臣諮問理由)を主たる対象として」と言っているんです。これを本当に主たる対象とすると,普通に考えてみたときに,このままだとちょっと問題はありますよね。ですから,主たる対象としてこれを編んだけれども,そういう表現は適切ではないでしょうが,御用とお急ぎの方にはこんなふうに利用していただきたいというようなことも少しこの辺りで触れておかないといけないのではないか。本当にこれが真っ正面から,こういう意味での一般の方を対象としたものだと言い切ってしまうと少し問題があるかなと思います。ただ,今いろいろおっしゃったことを厳密に語ろうとすればするほど,これはますます難しい指針になってしまうということも事実なので,今日の意見を踏まえて,この後,敬語小委員会の方にゆだねていただきたいと思います。同時に,手続としては,このまますぐと申しますか,これに若干の修正を加えて,一般からの意見公募に出すわけですね。そして,それを踏まえた上で,もう一度か二度,多分,二度になりそうですが,敬語小委員会を開いて,そして最終的な答申にまとめていくということになろうかと思います。敬語小委員会では,相対立する意見もありますのでなかなか難しいところもあるんですが,今日の意見を適宜くみ取っていきたいと思います。
冒頭にも申し上げたように,日本語の敬語というのは本当に厄介な代物で,簡単に行けと言われても,なかなか簡単に行かない。だけれども,説明を簡単にしてほしいという要望も多い。これはもう,本来的に矛盾を持ったところから始まっているので,敬語小委員会の方々は大変で,特に敬語ワーキンググループは大変かと思いますが,今日の意見が大きな意味で加えられるように配慮しながら,もう少し詰めたものにしていきたいと思います。ただ,全般的に,形がどうあるかはともかく,もっとすっきりしたものにしろ,思い切って踏み込め,どちらかと言えば,遠慮しいしい小出しに出すという方ではなくて,分かりやすく,明快に,鮮明にせよというのが今日の国語分科会の大きな流れであったというふうにくみ取りました。これ以後の修正は敬語小委員会の方にゆだねていただきたいということで,この件は終わりにしたいと思います。次に事務局の方から,今後の日程についての説明をお願いします。

○氏原主任国語調査官

本日の配布資料3として「国語分科会の今期検討スケジュール(案)」を出しております。これは,前回3月の総会でお出ししたものに手を加えたものでございます。見ていただきたいのは,真ん中の二重線で,これが本日の総会,今期第2回ということで,今日は,これに従って,国語分科会の報告案について検討したというわけです。
この後の日程ですが,今,阿刀田分科会長の方からもありましたように,これに手を加えたものを,11月の上旬から12月の上旬,具体的に申しますと,11月の7日か,8日辺りから1か月間,意見公募を行います。恐らく,いろいろな御意見が出てくるだろうということが予想されます。
それを受けまして,12月18日に敬語小委員会があります。その敬語小委員会で,いろいろ一般の方から意見が出てきますので,どれを受け入れて,どれについてはどういう処理をするかということを検討していただく。そして,その検討に基づいて修正を加えたものを事務局の方で整理しまして,年末に先生方のところにお送りしたいというふうに考えております。年末年始のお忙しいところ誠に申し訳ございませんが,少しお時間のある時にでもお読みいただきまして,年明けの1月8日までにそれについての御意見を頂くという予定です。ここでいただいた御意見を踏まえて,更に修正したものを1月15日の国語分科会の総会で検討する。ですから,もう一度,総会の場で,一般の方からの御意見も取り入れた形で修正したものを見ていただくことになります。
ここで,1月15日のところを見ていただくと,1月15日の「前」,国語分科会総会第3回ということで,この「前」と書いてありますのは,その1行上にありますように,会議の時間が10:00から12:00ということで,午前中に国語分科会総会をやりまして,これは敬語小委員会の先生には大変申し訳ないんですが,その午後,それを受けて,最終的な確認も兼ねて,敬語小委員会を開催したいと思っております。ですから,1月15日は午前と午後と,敬語小委員会の先生には重なる形になりますけれども,よろしくお願いいたします。敬語ワーキンググループは,その間,必要に応じて,杉戸主査の御判断で何度か開くことになると思います。
それから,1月29日,国語分科会総会第4回ということで,ここで,国語分科会報告としての敬語の指針を確定する。この時に,併せて漢字小委員会からの報告についても見ていただく。これは,1年間,漢字小委員会の方も,右側にありますように,毎月,1回ずつ,開催を重ねておりますので,1年間通してどういうことをやってきたのか,その中で何が決まり,何が今後の課題なのかということを明らかにした資料を作成した上で,併せて先生方に見ていただくというものです。1月29日に国語分科会の報告としての「敬語の指針」が確定すれば,その次に,19年2月初めということで,文化審議会の総会に報告する。文化審議会の総会ですが,これは文化審議会全体,阿刀田分科会長が会長を兼ねていらっしゃるんですが,文化審議会の総会で国語分科会から報告された敬語の指針を議論していただいて,それでよろしいということになれば,この2月の初めに文化審議会の答申として文部科学大臣にお渡しするという,そういう流れになっております。以上が,本日の国語分科会総会から2月初めの答申に至るまでの大きな流れということになります。
最後に,右側の漢字小委員会の件でちょっと申し上げたいんですが,明日の午前中に漢字小委員会がございます。これに関連して2点申し上げます。まず,前回の議事録を漢字小委員会の先生方には,本日,机上配布させていただきましたので,できれば明日までにお目通しをお願いしたいということが1点。それから,明日の漢字小委員会は,お二人の委員,金武委員と東倉委員から,一応ヒアリングという形でお話しを頂いて,それに基づいて議論することになっておりますということが2点目です。金武委員の方には,新聞表記と国語施策との関係ですね。それから東倉委員の方は,情報化というものをどういうふうに受け止めて,それと漢字政策とをどう考えていくのかという,その辺りを焦点としてお話しいただくということになっておりますので,そのことも併せて御承知おき願いたいということでございます。

○阿刀田分科会長

本日の審議は,以上で終えたいと思います。
文化審議会の制度,形作りがちょっと妙なことになっていて,文化審議会という会合があって,最終的に文化審議会が決定したことを答申するということになっています。これだけ綿密にやってきた敬語の答申が目下の一つの目標となるのでしょうが,敬語について,文化審議会のほかの部会の委員の方々がいろいろ言われるだろうと思います。こっちから言わせると,時によってはほとんど素人の御意見というようなものが飛び出したりします。しかし,文化審議会として答申する以上,その方々もみんな責任があるということで,ある意味では大変迷惑というか,不適当なことが行われるわけです。
それでも漢字や敬語は,日本語だということでは同じだからまだいいけれども,著作権のことをやっておられる方や文化財保護をやっておられる方まで責任を持って答申に加わるんだというのは,何だか私は非常に不思議な気もするんです。しかし,そういうことになっている以上,そのプロセスを踏んでいかねばならないというところがございます。それだけに,この分科会の方々には積極的な意見を出していただいて,より良いものに詰めていきたいと考えておりますので,よろしくお願いいたします。
これをもって本日の国語分科会を終わります。本日は,お忙しい中どうもありがとうございました。

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