第9回国語分科会日本語教育小委員会・議事録
平成20年5月26日(月)
10:00〜12:00
旧文部省庁舎2階第1会議室
〔出席者〕
- (委員)
- 林分科会長,西原主査,杉戸副主査,井上,岩見,尾﨑,加藤,佐藤,中神,中野,西澤,山田,井田各委員(計13名)
- (文部科学省・文化庁)
- 匂坂国語課長,西村日本語教育専門官,中野日本語教育専門職ほか関係官
〔配布資料〕
- 第8回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
- 第8回日本語教育小委員会での主な意見
- 地域における日本語教育の体制整備に係る主な論点
−ディスカッションペーパー−
〔参考資料〕
- 日本語教育小委員会の今後の検討スケジュール
- 国語分科会日本語教育小委員会における審議について(概要及び図)
〔経過概要〕
- 事務局から配布資料の確認があった。
- 前回の議事録(案)が確認された。
- 事務局から配布資料2と配布資料3についての説明があり,その後,資料の内容に関し,質疑応答と意見交換を行った。
- 次回第10回の日本語教育小委員会は,予定どおり6月26日(木)の14:00から16:00まで文化庁特別会議室で開催することが確認された。
- 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
○西原主査
中間報告を夏の終わりにまとめるということで,今年度の前半にするべきことをまず御議論いただくということを今回お願いしたいと思います。配布資料3【参考】にありましたような中間まとめというのを目前に控えているということでございます。
地域における日本語教育の体制整備のうち,地域の各機関の役割分担と相互の連携というのが1点目,それから日本語教育に必要と思われるコーディネート機能ということが2点目でございます。今お示しいただいたようなラインがそこに書かれているわけですけれども,配布資料3の【参考】の第2章と第3章というのは,前提とその結果という関係になっているものです。前提条件がなければ第3章の「地域における日本語教育の体制整備」はできないというふうに考えることもできるのですけれども,今回は目の前にある現実に対応するということから出発する視点で,コーディネート,あるいは連携,体制整備ということをお考えいただくということであろうかと思います。
それで,ここにいらっしゃる委員の方々はすべて何らかの形でこのテーマである地域の日本語教育ということにいろいろなお立場でかかわっていらっしゃるわけでございますから,そのお立場を離れることなく御意見を頂いても結構でございますし,それから全体的にこうあるべきだということで御意見を頂いてもよろしいかと思います。ボトムアップというか,目の前に生活者がいるということを今日は考える視点を外さずに,では何が必要かという御議論を頂ければと考えていますので,どうぞよろしくお願いいたします。結果として,これがなければならぬという前提の議論が帰着するのはもちろん大切なことだと思います。
また,皆さんが御自分でブレーンストーミングのための御意見をお出しくだされば,あとで事務局がそれをまたこういうアウトラインの中に埋め込んでくださるだろうというふうに考えますので,どうぞ御自由に活発な御意見をよろしくお願いいたします。
そういうことなので,配布資料3の「1 各機関の役割分担と連携」に限定とか,「2地域の日本語教育で必要とされる人材及び機関とその役割」に限定とかしたくはないのですけれども,一応,「1 各機関の役割分担と連携」というところをまず第一に考えて,事務局の方から?から?まで骨組みが示されてはおりますけれども,これにかかわらないような形でも結構でございますので,御意見を頂ければと思います。それからたまたま先回ヒアリング発表をしてくださった中神委員,それから傍聴席に国立国語研究所の金田智子氏も来てくださいましたので,もし確認できることがありましたら,お答えは頂けるのではないかというふうに考えます。
○佐藤委員
最初に,確認として申し上げるわけですけれども,ボトムアップで議論するとしても地域日本語教育体制についての議論を具体的に進めるのに当たって,国の基本的方針,去年から言っております「多言語多文化を背景とする人々が共に生きる社会を形成するため」のということをやはり並行していかないと,軸がずれてしまうということが1点あると思います。ボトムアップにしても,やはりそれ抜きになっているところがあります。国は特にそうであろうし,都道府県であれ,市町村であれ,その指針を示していくということがすべての地域について必要と思います。
それから,2点目に専門機関,専門家の果たす役割として,1ページ目の?に当たるのかと思いますけれども,日本語教育プログラム実施に協力するとか,改善に協力するとか,評価分析に協力するとか,協力という形で触れてありますけれども,これはやはりと言いますか,指針のプログラム作りである,そのところに専門家がいるべきだというふうに考えます。
それから,もう1点は,?の「ボランティア活動」というときに,地域の実施者というのがやはりボランティアに依存しているということは前から問題にされていて,その実施者自体にもやはり専門家を置くべきとするべきではないでしょうか。それは,その専門家を置くことによってボランティア活動がより多様化して地域の多文化共生社会の実現ですとか,いろいろな日本語を含む周辺の問題解決にも結び付いていくというふうに思うからです。その辺が抜けているかなというふうに思います。
○西原主査
そのことでございますけれども,それは【参考】「国語分科会日本語教育小委員会中間まとめ(イメージ)」としては「2 日本語教育の政策的位置付け」のところに書かれていることが前提となっているということです。また議論になっていくのですけれども,大きな想定としてはもちろん含めていただいて結構だと思います。けれども,今回特にフォーカスするのは,現実の私たちが持っている体制の中で何ができるのかということに,強いてフォーカスをおいていただけるとよろしいのではないかと考えます。今,佐藤委員がおっしゃってくださったことは正にそのとおりだと思います。
○中神委員
配布資料3の「1 各機関の役割分担と連携」でございます。「?都道府県の担うべき役割」の日本語教育プログラムでございますけれども,実は私,前回いろいろお話を承って,ここでいうプログラムとは教える方法論と教える内容に限定するものかなと思っていたのですが,今日,後でまた出てきますが,「2 地域の日本語教育で必要とされる人材及び機関とその役割」の方で「日本語教育プログラム」というのはかなり広い意味で,教室の開設,ボランティアの養成等々,行政がやらなければいけないことも含むのだと分かりました。今回,議論の前提として方法論や教える内容の問題より,もっと幅広くとらえて御議論されていくということになるのですね。
○日本語教育専門職
今,中神委員から御確認いただいた「日本語教育プログラム」という文言でございますが,日本語教育の内容や方法といった中身についてばかりでなく,実施に当たっての体制の整備についても含みます。今日ここに御参加いただいている委員の皆様それぞれに認識のずれがあるのではないかと思いますので,特に本日の議論は体制の整備というところにかかわる内容でございますので,中身とか方法はむしろ後期,後半の議論の中で取り上げたいと思っております。ですから文言といたしましては,今,中神委員がおっしゃったように日本語教育の内容に限られたものよりもう少し広い意味で「日本語教育プログラム」と申し上げました。
○中神委員
もし狭い意味つまり日本語教育の内容について議論するとしたら,各自治体それぞれの状況に応じてバラバラにやるというのは望ましくないと思っていたのですが,日本語教育プログラムの体制の整備というところの話となれば,例えば外国人が多い自治体と少ない自治体では当然状況が違いますので,自治体の実情に応じて対応できるようにしておくことが必要かと思います。
もう一つ確認ということで,今日は傍聴席にお見えでございますが,前回,国立国語研究所日本語教育基盤情報センターの金田智子氏が,お話しくださいました。非常に興味深く前回会議の議事録を読ませていただきまして,とりわけ資料の冒頭に,これは非常に重要だと思うんですが,今現在,「日本国内で実施されている教育プログラム,教材テストなどの全体を見渡してみると量的にも質的にも充実しているにもかかわらず,相互の関連性が見えにくい」という御指摘がありました。これは私も十分知っているわけではないんですけれども,集めた情報によるといろいろな大学,いろいろな研究機関で皆さん相当しっかりプログラムを開発してみえる。そして,相互の情報交換はもちろんされているとは思いますが,例えば学校で教える教育プログラムであれ,あるいは既に働いてみえる方の日本語教育であれ,そう特異なものというのはなくて,むしろスタンダードなものを日本全国津々浦々で使えるようなものを早く開発してほしいと思うんです。それをあまねく広めていく方がいいのではないかという気がするんですね。
実は私どもは,どういうふうにすれば子供あるいは大人の方の日本語教育を進めていけるかという体制整備はできるんですけれども,その方法論について実はスタンダードなものが見えてこないというのが一番大きな悩みでございます。地元の大学の先生にいろいろお願いして勉強しているんですけれども,それが本当に,今,日本にあるもののうち一番いいものかどうかという自信がございませんので,もし金田氏がこの前御指摘になったように既に十分そういった取組であるということであれば,できればそういったものを比べながら,あるいは統合しながらより良いものをまとめていっていただきたい。これは多分各自治体では難しいと思いますので,そのところはできれば国の方に是非お骨折りいただきたいと思っているんです。実態についてはいかがなものでしょうか。
○西原主査
国立国語研究所において進められてる日本語教育に関する研究,その中で金田氏が総括なさるその部分で,実はいろいろな典型的な教材を,比較検討するデータが既におありですよね。
○金田智子氏
そうですね。前回のヒアリングの中でもお話しさせていただいたように,海外の移民関係のプログラムですとかテキストに関して,そして国内のものについても上級者向けのシラバスですとか,難民関係のもの。シラバスに関してはそういったものを比較対照するような作業を行ってきました。
並行して,国内で刊行されている職業教科書で,比較的発行部数が多い,よく売れているものを選びまして,なおかつまだ発行部数は少ないけれども,比較的方法論として新しいと思えるものを選んで,その内容を調査し,生活者のための日本語教育の学習項目を明らかにするというプロジェクトを担っております。
国立国語研究所の私が関係する中ではそのようにやっていますけれども,多分また別の,例えば,昨年度,文化庁から日本語教育学会に委嘱された作業はまた別のものでございます。そちらは,尾﨑委員が委員長をなさっていますので尾﨑委員にお伺いしていただければと思います。
○中神委員
今まで実感として,たくさんの方法論が開発されているにもかかわらず相互で検証し合っているというようなことは余りされていないのではないかという感じはございますか。
○金田智子(国立国語研究所)
例えば帰国者向けのシラバスは,非常に充実したものがあるわけですけれども,それと例えばすごく分かりやすく話をしてしまうと,留学生向けに,留学生を想定して作られたプログラムとか,あるいは留学生を想定して作られた試験であるとか,多くの日本語学習者を想定して作られている日本語試験なども関連性は見えないというか,関連付けようと思えば関連付けられると思うんですけれど,それが明確に私たち関係者がサッと参照できるような形にはなっていません。そういう資料はありません。
○尾﨑委員
日本語教育というのにわざわざ「地域における日本語教育」というふうに修飾語が付けてあるのですね。この違いはとっても大きくて,「日本語教育」と呼ばれる部分では大学であれ,日本語学校であれ,それを仕事としてきた日本語教育関係者の蓄積があるんですね。それから,中国帰国者の方たちに対してもインドシナ難民の方に対しても膨大な蓄積があります。このような蓄積というのは教育機関があって,ある一定の期間は日本語の勉強に集中できる,勉強するという前提で,教えることを仕事としている人間がやってきた,そういう大きな枠組みの中の日本語教育なんです。
ところが「地域における日本語教育」といったときに,じゃあ一体だれが教えていて,どういう人がどういう条件の中で勉強しているかと考えますと,週に大体1回,時間は90分からせいぜい2時間で,教える人の多くは日本語教育について特に勉強していない一般市民の方なんですね。教室に来る人も忙しかったら休んだり,すぐ来なくなったりというようなことが起きているので,「教育」という言葉でイメージするような学校があって,設備が整っていて,教師がいてというような教育とは随分違う状況の中で,半ば自然発生的に,教室が開催され活動が行われています。また,状況は変わってくるものですから,国際交流協会とか自治体の方が何とかしなければということでやっているんです。けれども,どうしても基本的にはボランティアの方がやってきたものをそのままボランティアの方の活動をもっと良くするためにどうしようかという議論で進んでいってしまうと,日本語教育の蓄積をどう生かすかというところもなかなかうまくいかない。昨年度,文化庁の委嘱を受けて日本語教育学会としてやったときに,それはずっと議論になっていたわけです。中国帰国者とかインドシナ難民とかでお仕事をした方も大勢委員に入っていますので,日本語教育の蓄積を地域における日本語教育と,この条件の中でどういうふうに組み合わせていけるかというのが実は議論の根幹の部分です。
その議論で行き着いてきたことは,日本人がこのような活動にかかわってくださることが多文化共生のためには是非とも必要で,そのことは大いに広めていきたい。でも,一方ではボランティアの方に依存していてはもうらちがあかない。だから,国として自治体としてプロと呼ばれている人間,つまり大学なり日本語学校なりでプロとして教えている人間が今度は地域の日本語教育のプロとなり,自分の仕事としてやったことがちゃんと評価されるような立場に立ってやるべきだと思うのです。そのときには一体どういう中身で何をするか。
さらに地域における日本語教育が成立するために必要な社会的な条件というのをどう作るかということをこの委員会ではまとめていくのだと思います。具体的な中身,方法については,当然,日本語教育の蓄積をどう生かすかということで,一方では今議論をしていますので,今年度も引き続き,できれば文化庁の委嘱も頂いて,その部分はもっと詰めたいと思っています。ですから,実際に教室でボランティアの方と外国人の方が我々が提供するような学習素材を使ったらどういうことが起こるのかということもきちっと検証した上で,どの部分は本当のプロが必要なんだということを明らかにしたい。そういうふうに思っていますので,日本語教育というのが実は地域における日本語教育という修飾語が付いたことによって随分違う土俵だということを是非御理解いただきたいと思っています。
○加藤委員
私も前回の会議から今回に至る間に,二つほどこの「地域」ということにとても関係あるなという場面に遭遇しました。一つ目は,先ほどの最初の御質問にあったことなんですけれども,私たちが考えているコーディネーターであるとか,制度が指すのはいったい何かといったことです。一つ聞いた話で,東北地方にお嫁さんとして来る。そのとき,その人たちは,顔写真だけで選ばれて,それで嫁としてやって来るという現状があります。そうした場合,その家のお父さんやお母さんというのは日本語教育なんていうのは全然要らないんだということをまず主張なさる。それに対してコーディネーターは,「いや,日本語をやっていかなければいけないんだよ」ということを説明して日本語教室まで外国人のお嫁さんを車で送り迎えまでしてというような現状もあるんだという話を聞いたんです。それというのは,実を言うとJICAの青年海外協力隊で戻ってきた方たちが非常にそういう意識を持っていて,そういう役割を果たしています。その話からだったんですが,今私たちが「地域の役割」といった場合にいわゆる日本語教育というクラスの中での教え方であるとかということでなくて,もっと広く,どうやったら学習者となる人たちがそこまで足を運ぶのかというようなことまで考えない。ただ単に集まってきた人に対して日本語を教えればいいというものではないと思ったのが一つです。
それともう一つ,名古屋にある日本語学校の関係の会議に行っていろいろ話をしたのですが,実際には学校の中に外国人労働者であるとかそういった人たちがいるにもかかわらず,行政との関係はなく,それは全く切り離された形で開催されていました。もっともっと連携をしたらいい形でできるのではないかなというのは,私はそこでは部外者ではありますけれども,この間,お話を聞き,実際,私たちと横に連携している日本語学校の名古屋の人たちが,国の政策についてまったく知らないという話を聞いて,もっと国での対応状況について知ったら力強く感じるのではないかなということを思いました。今日の議題も広く,そして本当に連携という具体案を出して,きちっと評価もされ,それで組織の中に位置付けられるというようなことになればいいなというふうに,この1か月の間に思いましたので申し上げました。
○岩見委員
今のことに関連してですけれども,学会の中でも「地域における日本語教育」について議論されています。その「地域における日本語教育」というのは今,この日本語教育小委員会でも触れてきています「生活者としての外国人」だけではなくて「生活者としての日本人」も含めた多文化共生のコミュニケーション能力を付けていく場ではないかという一つの答えと言ってよろしいのでしょうか,それが出されています。そこにおいては外国人も日本人も自分らしく生きる能力を他人との関係性の中で付けていくことがうたわれていて,そこにおいていろいろな問題の解決を図る場として働いていくということで,これは今までの日本語教育とはかなり違った場としてとらえるべきという方向性を出しています。そのための日本語教室作りであるとか,システム作りであるとかということが必要で,そういう教室をその方向に向けて機能させる,その役割は「地域日本語教育」のプロであるコーディネーターが持つべきであろうと思います。前回,尾﨑委員が愛知県豊田市のプログラムコーディネーターの事例について御紹介くださいましたが,それも必要でしょうし,むしろモデルプログラムを作っていくという,もう一つ前進した役割を行政機関としての都道府県レベルにおいて試みていく,そのことによって政策的にも進んでいくインパクトになるというふうに思いますけれども。
○西原主査
配布資料3の「1各機関の役割分担と連携」には?国,?都道府県,?市町村,となっていて,その間をつなぐということがとても大切なことになるわけですよね。
○佐藤委員
今のかかわりを持ちながら「地域における日本語教育」とはちょっと違うんですけれども,学校の話をしたいと思います。実は学校の方も教材というのは山ほどあるんです。平成11年だったと思いますけれども,文科省,当時の文部省ですが,委託調査を実施して,当時で500とか600ぐらいの教科書が出てきたんです。教材はいっぱいあるんですけれども,指針がないということで国の指針として実はJSLカリキュラムなどを作らせていただいたわけです。余り評判が良くないんですね。
それはなぜというと,実は国と地方の役割が
都道府県というのは正に学校であるとか,あるいは財政であるとか,それから子供たちの状況であるとか,そういう状況に応じて,それをどういうふうにして組み合わせてプログラム化していくのかということが非常に大きな仕事になっていくんだろうと思うんです。そういうところに正にプログラム作りをコーディネートする人間がどうしても必要になってくる。そして,市町村では具体的な学校なり教師の実情に応じて,それをどう実施していくのか,どういうボランティアがそこにかかわっていくのかという,そのコーディネートも必要です。そうすると例えば国の指針というものを仮に作ったとして,今,西原主査におっしゃっていただいたようにそれをどうつないでいくのかというところは実は大事なところであって,それ全体が実はプログラムということだと思うんです。つまりそういうプログラムがないと,単なる教材開発をしました。教材はこんなにいっぱいあります。でも,それはどうしても共有できない。集積していかないということが実は学校教育の中で繰り返し問題になってきている話だと思うんです。
ですから,今日の議論に引き付けて言うと,専門家の協力も得ながら,あるいはいろいろな方々の協力を得ながら,国が指針を作って,それを都道府県の中でプログラム作りとしてどう具体化していくのか,それを実施していくにはどうしていくのかということは,それぞれのレベルでその指針に基づいて,より具体的な議論がなされていくような方向でないとなかなか広まっていかないというのを今実感しております。それが多分,地域日本語教育ともかかわっている。地域における日本語教育というのは地域学校教育と言いますか,正に学校教育のレベルでも実は学習指導要領とはちょっと違うものですから,どうプログラム化していくかの議論が,学校のレベルでも必要だなと実感しています。多分,ここでの問題とかかわってくるかなと思います。それぞれの機関においてコーディネートする人間が必要なのではないかと思いますけれども。
○西原主査
学校教育では100年の伝統があるから,国が何をして,県が何をして,市町村が何をして,現場の教師がどうするかということについては,みんながイメージを持っているので,それを前提にしてできますね。佐藤委員がかかわられたJSLカリキュラムはこのイメージ外と思われたんですね。そのイメージの延長線上ではちょっと理解できないことがいろいろあって,それでとても悩んでいる人が多いわけです。学習指導要領というのは学校教育の中では,ある程度まで書き込んであるけれども,あとは自由ですと書いてあるところがあるんです。けれども,「自由です」ということは先生方の頭とか都道府県の頭にはなくて,自由であるべきところは,今,前例にのっとって動いていますよね。
○佐藤委員
その学習指導要領の話は幾つか法的な規制と言いますか,当然国の教育の枠組みですからある意味必要だと思うんです。一つは学習指導要領の公的拘束力,そして教科書の使用,ある種の義務的なものもある。教科書検定制度もありますから,いろいろな縛りはあるわけです。
もう一つは,教員文化の問題も一つあるような気がするんです。どういうことかというと,今,西原主査におっしゃっていただいたように学習指導要領は非常に抽象的なんです。抽象的であればあるほど自由からの逃走が起きるんです。つまり何か示してほしい。それが教科書になってしまうんです。
○西原主査
分かります。
○佐藤委員
ですから,逆に言うと教科書らしきものを作れというのがJSLカリキュラムの中でも起きてくるわけです。しかし,余りにも多様な子供たちに対して,教科書が必要なのかどうかという,またできるのかどうかという議論があります。つまりこれは地域日本語と相通じるところがあるわけですけれども,その辺の課題が非常に大きいと思います。
○西原主査
JSLのことを御存じない方もあるかもしれませんけれども,日本語の習得が必要であろうと思われる日本語を背景としない公教育の中の子供たちに対して,文科省が佐藤委員を中心にしてとてもいい指針をお作りになったんですね。JSLカリキュラなんですけれども,私は読めば読むほど感心する内容ではあるんですけれども,現場の先生からは全然分からない,訳が分からないという声を私も聞いているのです。「あんなものもらったってね」という反応なんです。その優れた理念に基づいた優れた指針を現場の先生のところまで下ろしてくるためには,作業として,幾つかのステップがあるはずということですよね。地域のことを先ほど同じようなことだとおっしゃいましたけれども,「やっぱり国が何か示して」と言うんだけれど,国が示せるものは,きっとものすごく抽象的なものになりますよね。それを現場に下ろしていく段階で,そこに働く人々がイメージするコーディネーターというのがここにイメージされている。国,都道府県,市町村,その他の機関という,日本語教育の枠組みの中では戦後60年間培ってきた,何となくできているイメージがある。ところが,それをそのまま持っていってしまうと駄目なので,今どういうものがあればいいのかということを尾﨑委員がお考えなのだろうと思うんです。
コーディネーターという言葉のイメージも皆さん方それぞれあって,世の中でみんなそうだと思うんですが,その中身もちょっとお知らせいただいた上で御意見を頂けると一層みんなにそのことがはっきりするのかなと思うんです。
○山田委員
佐藤委員のおっしゃる学校の先生ですが,恐らくは教科書があるのに慣れているんですね。それから,学習指導要領もあって,ある種のカリキュラムがもうできていてどうやるかは慣れているんですけれども,大学の教員のような専門的な領域も違いもありますが,自分で何か考えながら何かの視点をほかからももらいながら教育というようなものを作っていく,そういう作業を多くしている人とは若干違うので,そこには大きな戸惑いがあると思うんです。
それも含めてですけれども,コーディネーターの役割もそうですが,今までやっていなかったことでも,それは十分にやる能力がある人たちに,その気にさせながらそういうことをやっていただけるような宣伝的な何かが必要だと思うんです。国の担うべき役割,都道府県,それから市町村の担うべき役割,役割としてあるんですが,その一番大きな役割というのはこの事業が本当に必要なんだということを国民あるいは既に先に日本に定着しているような人たちも含めて伝えて納得してもらう,そういうことが必要なのではないかと思うんです。
前回の中神委員の話にもあったんですが,悪平等とかやり過ぎではないかとか,日本人だってそういう支援はいるよとかという声があります。今まで「ほかの人たちと一緒にこの社会を作っていこう」,「異質な,言語も違う,文化も違う,そういう人たちと一緒に何かをやっていこう」という経験がそれこそ社会になかったので,そういうところに対して今一生懸命にやっていく必要があって,それは現行の教室にとってもプラスになるということを伝えなければならない。教室の中に一人外国人の子供がいて,先生が工夫したらそのクラスの成績が全部上がったという事例もあるわけですから,地域社会の中に外国人がいて,その外国人のための日本語教育をやっていく過程で,社会そのものがその外国人が今度は地域の社会作りにすごく貢献していくという見通しも含めて,国も都道府県も市町村も,日本人側を向いた宣伝が必要です。それはコーディネーターも同じだと思うんです。
○西澤委員
まさに山田委員の御意見そのままなんですけれども,結局,前回の中神委員の御報告を聞いていると,愛知県はものすごく先進地域だなという感じがするわけです。私が住んでいるところなんてものすごくたくさん外国人がいて,町の中で韓国語,中国語,ヒンドゥー語,いろいろな言葉が飛び交っているけれども,どう見ても日本語教育に組織的に取り組んでいるという姿は見えない。むしろ行政も大地震とか大災害があったとき,その人たちとコミュニケーションするために韓国語のパンフレットを作ったり,中国語のパンフレットを作ったりして緊急事態に備えるということを中心にやっておられて,生活者としてのその人たちと日常どうコミュニケーションをとって日本語をどう勉強してもらうかというようなことは,むしろそれぞれの人に任せている。ごみ出しやいろいろなことでトラブルは起こるけれども,だれも地域で日本語を教えてあげるから勉強しにいらっしゃいということも出てこないし動かない。
だから,学習を必要としている人たちにその必要性を理解してもらい,それから税金を負担しているいわゆる日本人住民にもそういうことが重要で,仲間として迎え入れて新しい社会を作っていくためには,そういうことをきちっとしていくことが必要だ。それを組織的に保証するために行政はどういう役割を果たすべきかというようなことを整理して示していく。みんなが納得できる国民のコンセンサスを作っていくという仕事はやはり国の仕事として,あるいは地方公共団体,大きな都道府県の仕事としてしっかりやっていただかないとなかなか具体的に進んでいかないのではないか。
外国人が集住している地域のように外国人に対する日本語がどうしても必要になっている地域は確かにそういうことは起こるかもしれない。人々が流動して,大勢がバラバラに住んでいるようなところではなかなか具体的な事柄として進んでいかない。そうすると教育の中身,プログラムをどうするか,カリキュラムをどうするかというよりは,正にそういうことが必要なんだということの必要性の認識を日本全国津々浦々,理解納得していただくことが必要と思う。それは長岡みたいにお嫁さんとして来る人たちの問題が中心であるような地域や,仕事をしに来ている人たちの問題が中心であるような地域もあるし,進学したいと思って予備的な勉強をしている人たちもいる。来日している外国人はいろいろでそれぞれの地域に応じて学習者のニーズは違うのだろうと思います。
だから,これから福祉関係の人たちが入ってくると,また別な様相が生まれてくるので,そういうこと全体をつかんで,その必要性,それに対して何を行政がしていくのか,どういうレベルで何をしていくのかということについて,みんながコンセンサスを形成していくという仕事をまずやっていただくことが必要なのかなという感じがしております。
○杉戸副主査
こういう小委員会の中間報告,答申になじむのかなじまないのかということを思いながらですが,財政的な基盤をどう整えるのかということに関して国の役割,都道府県の役割,市町村の役割は,大きいのではないかと思います。今の山田委員,西澤委員のお話を絶えずそういうふうに見ていくと本当にすべてにお金が絡んでいるなという話に聞こえました。一つは,よくこういう場合の答申ですと,一言「財政的基盤の充実が必要である」ということだけで片付ける。やるべきことはたくさん書くけれども,お金の面はその一言で済ませるという,そういう向きがあると思うんです。それはそうあるべきだというものであるとすれば,そこを破って,できるだけ具体的にコスト計算することが必要だと思います。現状で今どういうことが起きていて,そこに国は幾ら,都道府県は幾ら掛けているという,そういう状況把握ができているかどうか。いなければ,それをやって,それを書き込む。現状のコストがどういう状況にあるのかということと将来像ですね。今度,ここに書く運営すべき事柄,実施すべき事柄には5年先はこれぐらい掛かるだろうとか,10年先はどれぐらい掛かるだろうとか。つまりこれは前回の金田智子氏のお話の中に一人7,000円ユーロ掛かる,つまり税金からそれが支出されているということがありました。本人が負担するのではなくて国や地域が負担するお金がそれだけ掛かる。そういうことについても説明しないと,今の西澤委員の言われた周囲からの理解というのはプラス方向,マイナス方向両方基盤のないものでしかなくなる。理解がきちんと得られないことになる。これだけ掛かるんです,いいですかという,そういう問い掛けが必要になってくるだろう。そういうことも中間報告あるいは最終答申で是非入れてはどうか。入れるべきだろうと思います。
これは直接的な財政面,間接的な財政面,財政基盤があると思うんです。直接的というのは直接ハードウェアあるいはソフトウェア,人材育成に投資する,そういうお金の面。間接的というのは例えば私が思うのは,この前の中神委員の話を聞いていて質問したかと思うんですけれども,「企業にインセンティブは出ていないんですか」というようなことを質問した記憶があります。そのときに思い浮かべていたのは企業の法人税への優遇措置とかそういうようなことは都道府県レベルあるいは国のレベルであるのかないのかということを素人ながらに思って質問したわけです。例えばそういうのが間接的な財政支援,財政的な責任の果たし方ということなどを具体的にここでいろいろな角度からの良い点を出しながら,コストがどういう角度から支えられるのか。どういう要素でコストが支えられるのかということも含めて説明する材料を提供するというようなことが先ほどのお二人のお話から必要と思いました。
○西原主査
ある財界にいらした方が突然,日本語教育の業界をごらんになってびっくりなさって,違いを克服するためにいろいろなことを画策していらっしゃるというのをこの間伺ったんです。その中でその方が非常に強くおっしゃったのは,目的税を地方のレベルで考えられるんじゃないかということでした。つまり所得税は国に払うわけだけれども,都道府県に入ってくる税金のうちの何かを目的税的にこれからの地方の発展のための海外からの人材とか,そういうような部分に結び付けていくという働き掛けは地方レベルならできるのではないかとその方は強くおっしゃっていました。
もう一つは,財界人なので財界と話す必要がありますねということで,何かそういうことをおっしゃっていた。財界の方はどうなんでしょうか。
○井上委員
今,西澤委員,杉戸副主査からいろいろとお話がございました。要するに企業といっても非常にレベルの差があるのです。直接的に雇用している人たちと,それから派遣や請負で入れている方,さらにそういう企業が下請にある大企業とで考え方は随分違うのです。また,働いている外国人,特に現場で働いている外国人の多い企業や地域はまた考え方が違うわけです。働く側もともかく手っ取り早く,日本語なんか学ばなくてもいいから,2,3年で帰って早くブラジルで事業をしたい。そういう人たちが実は大層を占めている地域でいろいろ問題が起きているわけです。
私は前回出られなかったものですから議論を聞きながら,前回のこの議事録を,特に金田智子氏のところを読ませていただいたのですが,国として外国人の受入れをどういう位置付けにするかというのがないと空回りするのではないかと思います。ここで議論してもしようがない話ですが,私は法務省の出入国管理政策懇談会に出ていますけれども,結論を言うとそのあたりで「統合的な受入れ政策」が議論されていかないと,必要な日本語教育も確立できないのではないかというのがこの金田氏の御発表を読んでいるとよく分かります。
オランダにしてもドイツにしても求めているレベルが決まっていますので,オランダやドイツに定住,永住して,そこで家族共々新しい生活を確立していこうという人たちに対してはこのぐらいのことはやらざるを得ないということが示されている。一方で,日本の場合は,ともかくちょっと来て,早く帰ろうと思っていたところ,家族全員が結局10年も日本にいることになってしまって,みんな中途半端な日本語しかできない,あるいはほとんどできないという状況で,それが本人たちも苦労し,地域にも問題として蓄積されていくという悪循環につながっていく。そういうことを考えると,出入国管理政策の基本ですとか,もっとさかのぼれば果たしてこれは移民政策なのか,単なる外国人受入れなのか,そういうところから考えていく必要があるのではないかと思うわけです。
それから,佐藤委員の御専門ですけれども学校教育としての位置付けも考える必要があります。例えば日系人でも親御さんの世代と第二世代は全然違います。企業の方は第一世代,親御さんの世代に対してはとにかく安価な労働力というイメージが非常に強いわけです。しかし,子供の世代は少子化ですので,できれば日本の公教育の中でしっかりと育ってもらって活躍してもらいたいという気持ちが強いのです。最近よく,そのような意見を聞くものですから。そうなると,どこから始めるかという点でヒントとなるのではないかと思うのです。
統合的な受入れ政策というのは定義も難しいですが,それをイメージしながら指針なりプログラムを作る。ある程度それに近い概念で学校教育も含めて,あるいは地域のボランティア団体の活動も含めて全部セットアップしていくという考え,それをここで打ち出していくと川をさかのぼっていくような形で国のいわゆる外国人受入れ策にも影響を与えることができるのではないか,そんな感じがしました。金田氏のレポートは非常に興味深く拝見しました。
○西原主査
そうなんですね。実は,昨日,日本語教育学会がありまして,そこで山田委員もシンポジウムをされましたけれども,その後で,前期ヒアリング発表で日本語教育小委員会に来ていただいた春原憲一郎氏もシンポジウムをなさっていて,一番最後にこういう質問が出たんです。それは,一番大きいところの国の人材育成指針というか,国の明日をどういう人たちが担うのかみたいなことを国は決めないのでしょうかみたいなことだったんです。そこはだれも何も確定したことは言えないという状況なんですね。
EUの国の人たちも意識は高いですが,カナダも言語資源という言葉を使いますね。たくさんいることはカナダの富である,そういうことを明言して新政府の指針としています。立国の指針になっています。そこまで行くためにも,それこそ先ほど山田委員がおっしゃったような広報活動というか,それをどこから始めるかというと,国から始めるのはなかなか難しいとすればどうでしょうかという,そこですよね。
○山田委員
私は現場主義で,いつも現場からということを考えます。現場の声がまずあって,それがその上に上がってというか,上か下か分かりませんけれども,それを取りまとめるというような機関があったら,これは市町村かもしれません。そういうところがあって,さらに,そこからまた必要性を出していく。そのときには横にも広がってくるんですね。現場の一人一人も自分の家族とか,自分の地域の例えば子供を通じたPTAとか何かそういう中で「実はこういうことをやっていて,外国から来ている人とこうなんだよ。」「ああ,そう。最近増えましたね。」というようなことから,「自分の子供のクラスにはこういう子もいて,それがいいことでもあるし,そこから勉強することもいっぱいあるんですよ。」などという話が広がっていく。横の広がりとしては,例えば国際交流協会というのがあったら,そこにこういうことをもうちょっとPRしたらどうですか。町の中で目立つところにこういうのを置いたらどうですか。パンフレットもこういうふうにしたらいいんじゃないですか。そういうことを出していく。そうすると,そこが今度は県とか,国とかのレベルに上げていくんですが,上げながらも横にも国際交流協会同士でも広がっていくとか,国際交流協会というのはそれ専門の機関ですから,それ以外の市民課とかそういうようなところにも伝えていくという,一つが波ではないですが,何か波紋を広げながらも,その上のところにも更に伝えていくという,両方やっていく必要があると思うんです。
しかし,それがいいのだという決断はやはり国がすべきだと思うんです。そういうこと自体が必要だということを言っておかないと。そういう安心感が要るんです,自治体には。国もこれを進めていこうとしている,だから,ここに協力していくというようなことで自治体としてもやりやすくなると思うんです。
そこで,私自身も若干役人を経験したことから省庁のネットワークというようなものも,必要かと思うんです。お互いによく知っている人同士とか,必要性を認識している同士が何らかの連携を強めるための会議みたいなことをやったり,省庁横断的に何らかのそういうグループ,あえて「多文化共生」という言葉を使わせてもらうとすれば,多文化共生を考える省庁間ネットワーク会議みたいな,そういうのを作ったり,いろいろな方法があると思います。
○中野委員
先ほどのカリキュラムと関連するんですけれども,今まで日本の場合,国が標準を作る事例として学校教育があるわけですが,教育現場がある程度画一化されていたために,国が何か指針を出せば,それに沿った教科書を作るなどして,どの教育現場もそれを使えるという状況があったと思います。しかし,今回の議題になっている在住外国語人への地域日本語教育のような場合,画一化できないし,学習者のニーズ,属性,社会状況等々も,非常に複雑で,教育現場は多様化しているために,国レベルで何か作っても,統一教材も作りづらく,なかなか即現場で使えないわけです。でも,このような状況は,私が関わっている海外の日本語教育ではよくあることです。
例えばよく知られている,アメリカのナショナルスタンダーズの場合でも,連邦レベルで抽象度の高い学習目標,内容に関する標準ができると,その後,州単位でそれに基づき地域の実情に合わせたより具体的な標準がつくられ,さらに,州内の各学校区の単位で,学区に合った具体的な内容を伴った標準が作られる。そして最後,学校及び教師が,自分のクラスに合ったカリキュラムを作成するということをするわけです。
地域日本語教育の場合も,国レベルで大きな指針とか目標,内容についての標準あるいは体制整備の考え方を示すとともに,それに基づいて各地域の実情に合った標準を都道府県レベルでつくることが必要なのではないかと思います。その観点から,この資料でいう2番の都道府県の役割がすごく大事だと思います。
配布資料3の「1」の?,?,?というのは,今お話ししたような行政の縦の軸であると思うのですが,それぞれのレベルで当然横の連携があるわけですよね。本来は在住外国人政策に関する国レベルの連携ないしは指令塔があるといいわけですが,にわかにはそれが無理だとすれば,地域日本語教育に関して,都道府県レベルに横と縦の連携の要を作るのがいいかと思います。県レベルで,資料にある大学や企業との連携や,日本語学校あるいは教育現場を実際に支える方たちとのネットワーク,といった横の連携を作る。横軸については,国単位で連携を組むのは難しいと思うので,都道府県の地域レベルである程度の連携構造のプロトタイプが作れるといいと思います。市町村レベルを最初に要にすると,国との連携や広域の連携ができづらくなると思います。
当面,在住外国人の多い拠点となる都道府県に国から補助金を出して,スタンダーズの地域版の作成や,資料にある日本語教育の企画・運営プログラムの作成,コーディネーターの配置をすると,地域日本語教育の改善への一つの突破口になるのではないかと思います。その上で,教育現場の最前線となる市町村へのサポートを県単位でする,また拠点県同士のネットワークを作るという形にするのはいかがかと思います。
○西原主査
中神委員に御確認したいのですけれども,旧自治省,総務省の中に自治体国際化協会というのがありますね。あれは日本人が外へ出ていく部分も,それから外国人が中に入ってくる部分も都道府県レベルで連携促進する半官半民の協会ですよね。
○中神委員
そうですね。
○西原主査
同時に,そこはいわゆる生活者レベルで入ってくる人たちに対する国際交流というか,そういうようなことにはかかわらないんですか。
○中神委員
具体的には余り聞いていないですね。
○西原主査
そうですか。ジェットプログラムの人たちはやっていますね。
○中神委員
ええ,そうですね。
○岩見委員
緊急対策とか地震の防災とか,そういうことを自治体国際化協会が都道府県の国際交流協会と連携して進めているということは聞いています。
○井上委員
私も一度呼ばれて話をしましたが,そのときは県の担当者あるいは市レベルの担当者,あとは国際交流協会の職員,責任者が出てこられまして,いわゆる外国人受入れの各地域の実態についての情報の共有化みたいな話と,それから,今のお話ではやや防災関係ですね,どういう体制でやっていくのかという話でした。医療などの問題もあると思います。そういったときにどういう体制を各地域は組んでいるかというのを情報交換するような会はあるようです。
ただ,どちらかというとそういう受入れにかかわる問題は,ここ何年かのテーマです。
○西原主査
気付いているということですね。
先ほど西澤委員,山田委員がおっしゃったことで佐藤委員は広報活動というか,パブリックオピニオンのようなところに行っていらっしゃいますよね,外国人支援というのに関連して。それはどういうふうな効果,またどういうふうな感触でいらっしゃいますか。
○佐藤委員
難しくて,その必要性は訴えてもなかなか理解していただけないというのが実情かもしれません。やはり戦略が必要で,例えばこういうカリキュラムを使えば,先ほども議論になりましたけれども,この子供たちにどういう力が付くのかという効果を明確に示していかないと,やはり説得性がないんです。ものすごく必要だからというだけでは多分うまく行かない。その戦略はやはり必要であって,さっきから議論になっている,山田委員などがおっしゃっているいろいろつなぐという,正にコーディネートする力ですが,コーディネートそのものが広報活動みたいなものを含めた戦略性みたいなものを持たないといけない。それがどうしても必要だということで,実はJSLカリキュラムの普及事業も昨年度から文科省がやっていますので,そこを拠点にして,その効果測定を始めているんです。つまりどういう力が付いているのかということを測定しています。そこをうまく打ち出していかないと,やはり説得力がないというのが一つです。
もう一つ,これは今課題になっていて,どうしても議論に乗せていただきたいと思うことですが,いわゆる広域行政の問題であるとか,今,自治体国際交流協会などで問題になったんですが,都道府県とか市町村が単体で今出ているんですけれども,その連携の問題はどうしてもあるのではないか。ある種,国の今までのやり方としてはモデル事業を設定して,そのモデル事業を基にして,その成果を踏まえてそこから施策を展開していくという形でした。
そうすると,当然,副主査がおっしゃったコスト,財源の基盤が都道府県,市町村そのもの単体にあるわけですけれども,そのモデル事業によって,何かもうちょっと違う概算要求の仕組みがありうるかもしれません。そのような状況も多分議論しておかないといけない。集住都市会議というのはかなり大きな影響力を持つに至っています。その集住都市会議というのは正に市町村の非常に広域的な一つのものであるし,逆にそういうものを例えば外国人花嫁が多いところであれば,そういう市町村が何か一つのモデルになって,山形と新潟でもいいですけれども,全く今まで関係がないようなところが自治体で仲を結ぶ。それもコーディネートをするということだと思うんですが,そういうようなところが多分ここの中にもう少し乗っかるとプログラムが有機的になっていくのではないかという感じはしますけれども。
○西原主査
今,集住都市会議のメンバーは26で,今年の幹事は美濃加茂市ですね。
外国人集住都市会議は,自治体の自主的な連合で会議をするということで,アピールがいつも出ているということですね。
具体的なことで岩見委員はボランティアの方々の研修を岩見委員の所属するところでずっとやっていらっしゃっていますよね。養成と研修。その他の一番現場に近いと言えば現場に近いところでボランティアのコーディネーターを養成するプロジェクトにかかわっていらっしゃいますね。そこから見えてくるものというのは何が必要ということになりますか。
○岩見委員
文化庁委嘱のコーディネーター研修が2001年から2005年までで大分前になります。去年,学会の方で全国のボランティア養成講座の中身を見せていただきましたけれども,2001年から変わらず,教室の現場はかなり混乱していると言いますか,多様であります。必要な多様性はあるべきだと思いますけれども,方向性が定まらないと,県の中でも市の中でも担当者,関係者なんかでもそれこそ連携がとれないところも多くなります。冒頭に述べた地域の日本語教育という大きな方針が関係者の皆さんの理解を得られるよう調整する役割を果たす人というのはまだまだ必要と見受けられると思うんです。
だから,いろいろなレベルでのコーディネーターが必要だということですけれども,地域日本語教育を推進するためのコーディネーターということで,日本語教育の専門の知識ということも必要ですし,外国人が自分らしい生活を営むためのコミュニケーション能力を付けるという,やはり個人の生き方とか,そういうことを引き出していくようなファシリテーション能力であるとか,学会の報告でもいろいろ触れられていましたけれども,ボランティア,マネジメント能力,参加する人もいろいろいますので,マネジメント能力とか,そういったプログラムを作り上げて,それを次に実践していく。そのときにさっき言われた広報であるとかの力は必要であるし,そういったものをコーディネートする,そういう力が必要だということだと思うんです。
それは具体的にどういうポストにおいてどうということを決めていかないと,また「研修倒れ」と言いますか,そういうふうになってしまったということはあります。
○西原主査
先ほど中野委員から御指摘があった配布資料3の2ページに書いてあることですが,今,委員の方々の御意見の中に人というよりはむしろ機関というか,こういう制度及び機関が必要だというような御意見が全般に多かったように思うんです。その中でコーディネーターと呼ばれる人材の果たす役割というか,今,岩見委員がおっしゃったのは2ページの一番下の部分ですね。ボランティアが担うべきコーディネートの役割というようなことについて,その資質はどういうふうで,仕事は何で,どういうふうであるべきかという御指摘だったと思うんです。
○岩見委員
ボランティアそのものが担うべきということではないと思います。地域の日本語教室をより機能させるために行政ともつながらなければいけないし,全体を踏まえた広い連携の能力が必要です。
○西原主査
人をつなぐ役割の主導的な立場にある,ボランティアのコーディネーターという,そういう人を育てていらしたということですか。
○岩見委員
前の研修はボランティアの経験者を対象にボランティアの指導的役割を果たすコーディネーターを育成していこうという事業でした。今,省庁の政策的な議論も盛んになり,状況を見ていきますと,やはりもう一歩進んだ地域日本語教育のモデルを作って,地域で具体的にその指針に基づいてやれるような体制に持っていけるようなコーディネーターというのがもう一つ上のレベルと言ってはおかしいですけれども,必要なのかなと思います。それには動きやすい環境と対偶を与えていくことが必要だと思います。
○西原主査
例えば中神委員がこの間御発表くださったことで皆さんが非常に感銘を受けたのは,中神委員がいらっしゃるポジション,又はその部署というのが県の中ではコーディネート機能を果たしているということです。つまり呼び掛ける役割も,広報の役割も含めて例えば企業に行ってこれは大切だということを説いて回り,かつもう少し具体的な日本語教育の企画というものもさせるというか,それに指示を与えるようなお立場にある。とすると,これは県レベルの一つのコーディネート機関ということになりますね。
○岩見委員
そのときにドイツや,オランダのようなプログラムが欠けていると言いますか,もう少し地域の日本語教育自体のプログラムを検討・整備しなければならないと思います。先ほど中神委員もおっしゃいましたけれども,そのことによって企業からもお金が出てくることもありますでしょうし,いろいろな形態の中である一定のスタンダードと言いますか,そういうものがあればそこに向かって,集中でないとこれはできないよということではなくて,週1回でできるなら,じゃあ何時間掛かるかなとか,いろいろなことが予算化する基準にもなりますでしょう。そういったものを一方で考えて活動していく必要があるかなと思います。
○西原主査
ということは県に下ろすべきモデルというものを作る機関が必要だという話ですか。
○岩見委員
そう思います。その上で県や市町村で実行に移していく。実効性を持つには県や政令指定都市にコーディネーターを一職員としておくのがいいのではないでしょうか。
○中神委員
ちょっと外れるかもしれませんけれども,前回お話を承ってから,コーディネート機能がよく分からなかったんですが,今日の議論でコーディネート機能というのが分かりました。ただ,これは最終的に報告書で提案のような形になりますね。だから,今回,この議論のたたき台ですけれども,コーディネート機能の具体的な内容というか,充実をこれから図っていくべきだという御提案が出たとした場合,これはまだ感触ですけれども,今現在,私どもも含めて集住都市地域の自治体は,程度の差こそあれ既にコーディネート機能の充実といった課題に具体的に取り組まざるを得ない状況ではないかという気がするんです。だから,そういったところに,基本方針としてコーディネート機能の充実を御提案されても正直余りインパクトがないのではないかという気がするんです。であれば,もうちょっと具体的に方法論を少し書かれた方がよいのではないでしょうか。
コーディネートの機能を一応書いてありますね。機能だけではちょっと弱いのではないかという感じがするんですけれども。例えば先ほど杉戸副主査がおっしゃいましたが,まさに予算の話です。どこからお金を切り出してくるんだということ。具体的にだれが負担し,どれだけのことをやってということが必ず前提になるんです。それがないとなかなか動かないものですから。
○西原主査
財政基盤をどう確立するかの話ですか。
○中神委員
含めてですね。そうすると,ここで議論されることとは若干外れるかもしれないんですが…。
○西原主査
杉戸副主査が先ほどおっしゃったのはそうやっていつも財政基盤があるべきだと言うだけではなく,もう一歩進んだ具体的な提案をしないと報告書としてもよくないだろうということでした。
○中神委員
それともう一つ,今,如実に感じていることがあります。企業を回っていろいろお話をすると,一般論としては理解していただけるんですけれども,じゃあ,我が社との関係がどうなのかという話に必ずなります。どうしてもそこでもう一歩踏み出せないというか,今,私どもが整理して社会貢献として理解していただけるのか,あるいは受益者負担として理解していただけるのかというということについて前回お話ししましたけれども,どちらにしてもそのとおりだというところは少ない。一般論としてはいいんですけれども,こういった教育の面からも今,企業,個人,行政など地域社会の構成員が,いろいろな形でこの問題に取り組んでいくべきだということを書いていただけると,非常にいいかなと思います。
例えば,日本経済団体連合会から去年,指針を出していただきまして,あれを私どもは盾にして回っているんです。けれども,ただ皆さん一般論として分かっていまして,それはそうだと言うんですが,実際にお金のことになりますと顔が渋くなるんです。例えばこの報告の中で「地域の構成員が総がかりで取り組んでいくべきもの」と書いていただければ後ろ盾がもう一つ増えるのではないかなという気がいたします。
○西原主査
予算の出所は例えば企業,つまり働くために来ていて働く人については,はい,企業でそういうお金ということになりますよね。今度はその人の周囲にいる家族のうち,学校に行っている方については教育に関する予算となります。その他,つまり単に生活しているということのための支援というのは,どこから引き出すべきお金なんでしょうか。
○中神委員
多分,それは先ほどの御指摘とかかわるんですけれども,基本的に見た場合,恐らく大部分とは言いませんが,かなりの方が日本に残られますよね,日本の構成員になるわけですから。そうしますと今ここで,しっかり投資して,勉強していただいて,定着してもらって,有能な人材になっていただく,そういう発想で行かないとなかなか御了解を得るのは難しいのかなと思います。
今はどちらかと言いますと,受益者負担のお話をしますと,うちは確かに雇っているけれど,必要なものは税金で払っている。あとは役所でやってちょうだい,それで議論が終わってしまうんです。そうではなくて,日本の人口が減ってきますね。その中でこういう人たちはこれからの日本を支えていただいていく非常に重要な戦力であり,地域の一員ですということをいろいろお話をして,何とか理解してもらおうとしているのです。確かに企業経営でございますから5年とか10年先は見られるでしょうけれども,更に先というのはなかなか議論しにくいものですからなかなかそこまで行きませんがもうちょっと大人と子供を含めて今わが国に居住している外国人の方々にかかる社会的コストを皆さんで負担していく必要があるよということを教育の面からも何かおっしゃっていただけると非常に私どもとしては有り難いかなという感じがいたします。
○西原主査
結局,それは国のお金という話ですよ。
○中神委員
いや,国の金というわけではなくて,結局,回り回れば全ての国民のお金ですから,どこが出しどころであっても。たまたま今,私どもは県の財政以外にもう少し寄付のようなものを頂いて,それでできればプラスアルファの教育をすることができないかと考えております。必ずしもすべて税金でやる必要はございませんので,税金以外のところでも理解を賜ればやっていけるということで,要はこの地域を構成している人が総がかりでお金の面でも,あるいはボランティアの面,人材の面でもみんなで取り組んでいく必要がありますよということを御説明できるそうした環境が必要かなと思っているわけです。
○西原主査
報告書のことを考えているものでしつこい質問ですが,自主的な財源ということですね,その部分というのは。
○中神委員
お金のことだけに限ってしまうと,非常にギスギスしてしまうんですけれども,大人の教育,子供の教育を含めて,皆さんに直接かかわってくる話ということだと思うんです。
○井上委員
今,官邸中心に留学生の拡大,福田総理は30万人というすごく大きな数字を掲げているのですが,国費留学生に対する支援については毎年予算化されています。それに加えて今,文科省と経済産業省で「アジア人財資金構想」という新しい方式を入れました。まず高度専門人材という,大学院をベースにしたレベルの高い人たちを対象とした事業と,「高度実践人材」という学士で卒業して日本の企業に就職してもらうことを前提とした事業があり,両者とも国費の人はもちろん私費で入ってくる人たちにも日本語教育も含め,支援しましょうというものです。日本語教育で日本の企業で通用するようなビジネスマナーも含めた教育をしましょうということで,40億円強の予算がたった2年間の歴史しかないのに付いてしまったんですね。
そういう一気にお金が付くというケースもあり得るのです。この事業の場合,目的が非常に明確になっています。今回,40億円以上の予算が付いたその背景には日本の企業で非常に多様な人材を欲しているということがあります。多様な人材は日本人の若者だけでは採れない。しかも,日本の大学というシステムの中で学んできて,非常にまじめにやってきた留学生たちで,日本に対しても関心がある。日本企業に就職したい。そういう人たちを日本に取り込もうという戦略があったわけですね。ですから,日本語教育の観点から予算を取りたいということであれば,明確な目的と主体,体制作りを含めてどこにお金を落とせばいいのかというのを想定しながら報告書を書かないと,多分書いただけで終わってしまうと思います。
確かに中神委員がおっしゃるように自治体から見ると一つの報告書が出ると,それを後ろ盾にしていろいろと闘うことができるのですが,ただそれだけですとお金の流れというのは細々としたものになってしまうので,本当に財務省と闘って取っていくという気持ちが文化庁にあるのであれば,かなり戦略的な報告書にしないと,自治体,あるいは国際交流協会,ボランティアに隅々までお金が回って,今よりもレベルアップした日本語教育ができるという体制にはならないのではないかと思います。
○西原主査
私が個人的に意見として申し上げてきたことですが,ごく粗っぽく,将来,大体1万人の人が来るというふうに考えて,その1万人に最低100時間の日本語教育を保障する。単価としては教員に払うお金が学習時間1時間に1,000円だったとして,それを100時間だと1,000×100になる。それに設備投資とかいうもの,つまり場所を提供しなくてはいけないので,それを概算するとあるお金が出てくる。それを例えば7:3とか,受益者3,国7というふうに計算すると,ある予算立ての数字が出てくるんですね。それだけを国が作ったらどうですかというふうな,そういうアピールの仕方の報告書にしないと,なかなか具体的にということにはならないのではないかと思うんです。それは結構粗っぽくていいと思うんです。
○井上委員
もう一つ今の西原主査のお話から申し上げておかなければいけないのは,その「アジア人財資金構想」というのは今後ずっと地域のコンソーシアムあるいは大学にお金が付くわけではないんです。とにかく自立化というのが目的になっていて,最初の予算はつくが3年たったら自立化するというものです。そういうやり方も実は今の財政当局との交渉においては意外と効く方法なのです。
最初はA大学3年間やって,次はB大学その後の3年間という形でどんどんどんどん自立化して新しいシステムが横でつながっていくような感じですね。日本の社会や企業で活躍してもらう人材を育てようではないかという意識が高まってそうした国の事業ができたわけですが,日本語教育の方も,何か新しい仕組みを戦略的に作りたいのでこんな予算が欲しいんだということはありましょう。配布資料3の【参考】の「3」の場合,どちらかというと各地域に幾つのモデルを作るような形でお金をドンと落としてあげて,そこで成功させるというのが一番早いのではないかと思います。
○西原主査
たまたま昨日,京大工学部の例をおっしゃっていましたが,国の予算が付きました,それで何人か学生を育てますというときに,主要三社(東芝,松下,日本電気)がスポンサーに付いて,あっと言う間にその下に60社加わったという話になっていました。その60社プラス3社で国のお金が来なくなってもプロジェクトは続いている。
○井上委員
そうすると中神委員が御苦労されるようなことが多分日本語の世界で起こらなくなるかもしれない。要するに自立化するということになると,あそこからいい人材が来る。あそこのプログラムで日本語を学んだ連中は今までの作業員のレベルでなくて,技能者のレベルとして使えるということになれば,企業も資金を出します。そういう流れみたいなものを「アジア人財資金構想」のまねをするわけではないんですが作ってしまう方が,いいのではないでしょうか。
○尾﨑委員
企業が必要とする人材に特化した形で教育するというようなプログラムと,地域でいろいろな環境の中で暮らしていく人たちが暮らしやすくなるようにというような日本語教育というのは,多分コミュニティを巻き込んだ形で,日本人も全部かかわってというような動きですから,3年なら3年のプロジェクトで成果が上がったというようなときの成果というもの自体が非常に違うだろうという気がします。
トヨタのプロジェクトは先回御報告しましたけれども,一応5年というところまでは豊田市がバックアップする。その後は豊田の市長さんなり議会がこれを続けていこうというふうに決定してもらえるような成果をどういう形でお示しすれば,豊田市民全体がこのためにお金を使ってもいいよねと言ってもらえるかという,そこなんですね。だから,また評価は必ずついて回ります。そうでなければ公のお金が使えるわけがない。そのときの評価というのが企業で十分に働けるという意味の評価と,地域社会のメンバーとしてという意味の評価では違うんだろうな,そこはどうするんだろうというのは一つやはり議論を続けたいと思います。
それから,さっき手を挙げたことなんですけれども,コーディネーターという言葉とコーディネート機能をという言葉が入っていて,コーディネーターというのは個人ですから,例えばAJALTが5年間の事業でおやりになったのは,ボランティアコーディネーターの研修ですね。ところが,コーディネーターと呼べるような方は,うまく機能しているお仕事には必ずいて,中神委員などはそういう代表的な方だと思います。ボランティアの中にもいるんです。ボランティアコーディネーターという存在です。行政とボランティアをうまくアレンジして,研修会を10回,20回でコーディネーターが育つんだったら,だれも苦労しないわというのが内心の声だったんです。けれども,そういうことにみんなが意識を向けて,コーディネーターが果たしている役割についてみんながもっと理解して考えるようになれば,それは意味があるからとは思っていたんです。ただ,10回や20回でコーディネーターが育つんだったら企業も会社,我々も苦労はないということは思っていました。
問題は,コーディネーターという個人がコーディネートできるような職種,ポストというものがやっぱりないところが多いということで,愛知県は中神委員が国際主幹というポストにいらっしゃって,そのポストに就いた方がみんな中神委員のようになさるとは思えないんですね。けれども,中神委員がそのポストについていなければ,そういうことをやらざるを得ない状況に追い込まれるわけでもないと思いますから,やはりポストだと思います。それがコーディネーター機能ということですけれども,機能を果たすポストというのをちゃんと位置付けていただかないと,コーディネーター養成をやったってポストがなかったら駄目ですよ。ましてボランティアの人にコーディネーターなんて考えられないというのがまず1点申し上げたかった。
その次に,中神委員が最初におっしゃった日本語教育プログラムというのは何かはっきりしないよねというお話で,そのとおりだと思うんです。私自身はシステムとプログラムを一応頭の中では区別していて,システムというのは今日の配布資料3で言えば1の「?国の担うべき役割」の実施体制,仕組みという,この仕組みみたいなものがシステムかなと思うんです。システムというのはいろいろな方がそこにかかわってくると思うんです。教室で具体的に何をどうやって,その結果がどうなったからどういうふうにしていこうという具体的な活動の場でそういうことを考えて,そこにかかわる人たちを集めてコーディネートするのがプログラムコーディネーターかな。ですから,システム面でコーディネートするシステムコーディネーターとプログラムコーディネーターは分けた方がいいと思っております。
この二つを一人の人間あるいは一つのポストでやるというのは,ほぼ現実にはできない。求められている能力とか経験も多分違うのだろうという気がします。プログラムコーディネーターというのが,やはりポストしてどこかに作られないと,この先進めないだろうと思います。
○西原主査
確認してよろしいでしょうか。そうすると,それを例えば行政及び日本語教師というふうに分けて考えることも可能ですか。前者は行政,つまり市の職員と日本語教師というふうに。
○尾﨑委員
税金を使ってどっちみちやらなければいけませんから,日本語教師かどうかということは,そのコーディネーターのそのポストに必要な人はどういう知識,能力,経験を持っているかと考えたときに,日本語教育的な知識,経験がやはり必要とされるであろうということだと思うんです。
○西原主査
プログラムの方ですね。
○尾﨑委員
ええ,プログラム。
○西原主査
システムの方は。
○尾﨑委員
システムは,多分日本語教育よりももっと広い,だから外国の人が地域に入ってきて一緒にというときに必要なのは日本語教育よりも多分もっと広いと思います。だからそこは分けた方がいい。
○西原主査
システムというのは行政職と考えていいのでしょうか。
○尾﨑委員
行政職でいいと思います。プログラムコーディネーターも行政職で,ポストということは人件費を払うわけですから,それはやっぱり行政に位置付けないといけない。問題はいわゆる専門職というようなことで,2年,3年でごろごろ変わるというようなことではまずいだろうと思います。
○山田委員
今お話を伺っていてずっと考えていたんですけれども,文化庁国語課では2年周期というと変かもしれませんけれども,ほかの部局に回っていく人と,それからもう一つは専門職,調査官というポストがあると思いますけれども,そういう連携で行政を行っています。政を行うことというのはタイアップして進めていく。これが一番大事で。省庁はそういうシステムがあるんだろうと思うんですけれども,都道府県とか市町村の中にもやっぱりそういう機能がないと駄目かなと思います。
専門職というのは蓄積ができるんです。そこで専門職の人間が替わったとしても,そのことを受け継ぎながら同じ専門職として更に進める,そういう役割,今,日本の社会でそういう行政の在り方が崩れ始めていて,あるいはまだできていなくて,地方レベルだとできていないところが多いと思うんですけれども,それをきちっとやることが一番大事だと私は思うんです。ですから,尾﨑委員がおっしゃるようにコーディネート役割というものを行政の中に組み込むことが大切だと思います。
もう一つ,限りある税金というお金をより効率的に使うためには,今言ったような専門職,専門家が考えるということがすごく大事。お金を取ってくるというのは,そういうことに必要なんだということをうまく説明できる人がお金を取ってくる,そういうことをやるんだろうと思うんです。NPOとか,NGOとか,専門職集団を,もし行政の中に置くというのが,組織ができないということであればNPOというような専門職に一部その業務を委託しながら一緒にやっていくという,何かそういうことが必要かなと思います。
○尾﨑委員
第2点目は配布資料3の1の「?国の担うべき役割」ということで,項目がずっと挙がっていて,全部それは必要ですけれども,実質的にはモデルであれ指針であれ,具体化して行動を起こしますから,実施するところが実施できる体制になっていないとどうしようもない。実施するところはどこだというと具体的には市町村レベルだと思います。活動の場というのはそこになりますから。そうすると,比較的外国人の多いところで,日々どうしよう,どうしようと言っているところの方が必要性,ニーズがありますから,そういうところである種実験的なことを繰り返していく。モデルを出して終わりということはあり得ないし,指針だっていろいろな角度からずっと議論されるようなものだと思います。そうすると,継続的に物事を進めていけるような体制がないと,示すとか助言する,実施するといっても主体がはっきりしません。
直感的には多分,県ぐらいに地域日本語教育センターとか多文化共生日本語教育センターか。何かそういうものがいずれは作られる。国と県レベルとかが企業にも声を掛けて,何かそこに組織が作り出されて,仕事として周りがちゃんとやっていますかって問い掛けられるようなものがないと無理なのではないかと思います。
○西原主査
それで,例えばこれは中間まとめをするということで御意見をまとめていくわけですけれども,その先に文化庁国語課としては,予算要求して事業化しようとすると思うんですけれども。
尾﨑委員もおっしゃいましたが,県レベルのモデル事業というのがまず必要になるでしょう。また,その方が効果的に働くと思われます。
○井上委員
実は経団連で最近,地域の活性化の提言というのを出しまして,私が担当の委員会だったのですけれど,そこでは県というよりはむしろ2,3の府県が協力して連合制度というものを作ってやった方がよいという提言を出しています。
その心とは何かといいますと,今,人々の動きというのは県境を意識しておりませんので,府県のレベルでも隣の府県との連携を常に意識してほしいという思いがありました。例えば,経済産業省で様々な産業立地政策が行われていますが,すべて県単位なんです。何か出してくださいというと県単位で出てくる。経済産業省側は複数の府県で協力して出してきてもいいと言っているのですけれども一つもないのです。もちろん市町村でも複数で協力し,何か新たなプログラムをつくれば,産業界の協力も得やすいのではないかと思うのです。中神委員が大変御苦労されているのは多分その点なのではないかと思います。愛知県の中だけでやりますと,あそこはどうなんだという話になりますので,例えば静岡と岐阜と協力するとか,三重と協力するようなやり方があり得ると思うのですが。
○西原主査
東海地方というのは産業的にも相互に関係があったりしますでしょうし,そもそも集住都市会議が発足したというのも東海地方の発想ですよね。
○佐藤委員
今までに日本語教育の世界で都道府県単位で施策をやったことがあるんですか。それから,もう一つは今,井上委員や,私もさっき申し上げたんですけれども,都道府県を超えた施策の展開,モデル事業みたいなものというのはあるんですか。
○西原主査
ありません。ですから,今日コーディネート業務ということを定義した上で,それを例えば県の連合体というか,数県一緒になってやってみてくださいというようなことを委嘱してモデル化してくださる。それはもちろん大成功してくださってもいいし,失敗したなら失敗でそれに学ぶところはたくさんあるので,失敗はしてほしくはないけれどもモデルということに,その県のコンソーシアムみたいなものを提案してやってみていただくというのは可能なことですか。
○中神委員
前回御報告したんですけれども,たまたま今年の1月に愛知,静岡,岐阜と3県と名古屋市が一緒になって,外国人労働者の憲章というものを作りました。1年半掛かったんですけれど,これは予算措置が何もなくて,外国人労働者の方がこの地域に定住することを前提としまして,我々3県1市で受け入れやすい体制を作りましょうという文言だけの憲章です。関係者が非常に多くて,言葉だけの調整なんですけれども大変な議論がありまして,途中あきらめかかったのですが,大小で100回ぐらい会議をやりました。「連携」というのは非常に大事なんです。特に企業に伺いますと,うちは愛知県の中でだけで事業をしているわけではないよ。岐阜も三重も静岡でも事業を展開しているし,できればもっと広域の自治体連合として来てくれれば対応しやすいと言うんですが,広域でいく場合,お金が絡みますと道州制でないものですから議決権がバラバラなんです。まずこれで大変な問題が起こるということ。手続的に非常に時間が掛かるということです。理念的には正に井上委員がおっしゃったとおりで是非やるべきだと思いますけれども,調整に時間が掛かりますので,いい面と難しい面の両方ございます。私の実感としてはその1点だけですけれども,非常に大変だなという感じがいたします。
ただ,「連携」は間違っておりません。お金が絡んでくると,また更に難しくなってくる気は正直いたします。例えば,地域を同じ課題を抱えている東海3県以外にたくさんございますので,例えばその中で同じプログラムで競い合わせるという形でもいいのではないかと思うんです。一緒になってやってくださいというのは難しいものですから,同じプログラムでこの地域に限定して,多少なりともその地域の独自性を自分で考えて,結果的にちゃんと評価をして御報告するわけですけれど,逆に地域に競い合いがあれば面白いかなという気がします。
○西原主査
いろいろな御意見から方向性をお示しいただいているような気がいたします。またこの議論は続きますので,来月の26日にもう一度お集まりいただきます。今日頂いた御意見を事務局で取りまとめていただいて,今度はそれを文章化して,それを委員の方々にたたいていただくというか,そういうことで次回があるというふうに考えてよろしゅうございますでしょうか。
○西原主査
林分科会長,井田委員,いかがでしたか。何か一言いただけますか。
○林分科会長
分科会では御審議の結果を承りますので,私としては時間のある限りお邪魔して勉強させていただきたいなと思っておりますので,今日のところは大変勉強させていただきました。
○井田委員
本日,コーディネーター,コーディネート機能という言葉が何回も出てきましたが,各省庁間あるいは都道府県間のコーディネート機能がまず働くことが大事なのかなという印象を持ちました。
○西原主査
では,これで第9回の日本語教育小委員会を閉会とさせていただきます。御協力ありがとうございました。