第28回国語分科会日本語教育小委員会・議事録
平成22年5月10日(月)
10:00〜12:00
旧文部省庁舎2階 第1会議室
〔出席者〕
- (委員)
- 西原主査,杉戸副主査,伊東,井上,岩見,加藤,中野,西澤,山田各委員(計9名)
- (文部科学省・文化庁)
- 匂坂国語課長,田中日本語教育専門官,仙田日本語教育専門職,山下日本語教育専門職ほか関係官
〔配布資料〕
- 第27回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
- 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)
〔経過概要〕
- 事務局から配布資料の確認があった。
- 前回の議事録(案)が確認された。
- 事務局から配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の説明があり,その後,質疑応答・意見交換が行われ,大筋で了承された。出された意見の取り扱いを含め,5月19日の国語分科会への報告については主査に一任された。
- 第44回国語分科会総会は,5月19日(金)の10:00から12:00まで旧文部省庁舎6階第二講堂で開催することが確認された。
- 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
- ○西原主査
- ただ今から文化審議会国語分科会日本語教育小委員会,通算で第28回,今期第4回を開会いたします。それでは,前回に引き続きまして「標準的なカリキュラム案の開発の検討について」に入りたいと存じます。
本日の会議でこの案を取りまとめまして,5月19日の国語分科会に報告するということになります。本日は,標準的なカリキュラム案,それから情報リソースの修正箇所についての御確認,それから説明部分についての検討を予定しております。 - ○杉戸副主査
- 後で配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の前半を議論するときに申し上げるべきかどうかと思いつつ,ただ資料の後半部分にも関係しますので意見を言います。
前回から変わった点としてこの配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」で言うと119ページから始まる別紙Ⅱ「基礎的資料」というその塊の総称についてです。「基礎的資料」という名称が使われるように変わったと見ました。ほかに「参考資料」という言葉が使われているので,それと重ならないように「基礎的資料」という名称になったのだろうということでその点は理解できました。ただ,これは本当に感覚的なことなのですが,「基礎資料」というように「的」を取った方がいいのではないかということを思い始めています。
これは確たる判断基準はないとは思うのですが,この日本語教育小委員会で議論してきたそのプロセスで基礎とした資料であるという意味があります。それからもう一つは,この先,この標準的なカリキュラム案を使ってくださる人たちが,更に展開を図る上でもっと広い世界がこの標準的なカリキュラム案で示した背後に広がっているということを見る上で基礎資料だという意味があります。そのときに,「基礎的資料」と言った方がいいか,「基礎資料」と言った方がいいか,依然として判断基準はないのですが,私としては「的」を取るという提案をしたいと思ってきました。
そのことは配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」7ページの本文にも関係しますので,後ほど御議論いただければと思います。 - ○西原主査
- よろしければ御意見をいただけますでしょうか。御自分でこれをお使いになる際に,どちらであればこの部分についてより適当な説明になるかということです。
- ○岩見委員
- 杉戸副主査の御提案に賛成です。今の御説明と前回の第27回日本語教育小委員会の西原主査の御心配と直接は関係がないかもしれませんが,標準的なカリキュラム案というのは,一つは来日後間もない方のためにあるということがあります。その一方で,もう少し日本語ができる人はどうするのか。いろいろな能力がある人については,基礎資料を参照して,また工夫することが望ましいというふうなことも,本文のどこかに書いておいた方がいいのではないかと思います。あるいは別紙2のところの表にでも書けないでしょうか。
- ○西原主査
- 主語を言わないとはっきりしないところもありますし,主語を言わないと一体これは何なのかとなることもありますね。
- ○岩見委員
- そういう気が致しました。
- ○西原主査
- 「基礎的資料」の「的」を取った方がよろしいという御意見でよろしいですか。
では,これは「基礎資料」とさせていただきます。その他のところも,それに応じて書き換える必要があるだろうということですね。その他,よろしいでしょうか。
では,10ページ以降につきましては,杉戸副主査の御指摘以外は,この場では御承認いただいたということにさせていただきます。また,近日中に何かありましたら事務局の方へ御連絡ください。その修正等につきましては,議事録と同じように主査に御一任いただくということでよろしいでしょうか。(→了承。)
では,その部分につきましては,そのようにさせていただきます。
次に,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案」について」の1ページから9ページの部分について御検討いただきたいと存じます。
前回の第27回日本語教育小委員会で御意見を頂いた分については,本日の配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」に反映されているということでしたけれども,改めて初めから終わりまでお聞きになって更にお気付きになったこと等ございますでしょうか。標準的なカリキュラム案については今回が検討の最終回ということで,どのような小さいことでも結構ですので気が付かれたことを御指摘いただけたらと存じます。 - ○井上委員
- 配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の9ページ,「今後の課題」についてです。本来であればもう少し後で議論されるべきだと思うのですが,9ページの(1)の「参考例としての教材作成」という意味が少しあいまいかなと思います。あいまいにしておいた方がいいという考え方もあると思うのですが,日本語教育小委員会において教材を作成するわけにはいかないろうと思っています。今後の日本語教育小委員会で,あるいはその他の検討の場において,教材を作成することは恐らくないと思うので,「参考例」という言葉がいいのかどうかです。そこが少し引っ掛かりました。各地域において活用することのできる教材のひな形とまでは言えないのでしょうけど,一つの形と言うのでしょうか…。
- ○西原主査
- どういうものを具体的にはイメージしていらっしゃいますか。
- ○井上委員
- 私は,場所や対象によって教材というのは多様であるべきではないかという考え方を持っています。もちろん,その方の日本語力による部分はあるのですが,ある一つの標準的な,今回は標準的なカリキュラム案を作っていますので,正に標準的な教材の一部を一つ一つの今回示していただいた様々な場面において,こういう形で作っていったらどうかということを例示する。それが「参考例」ということなのかもしれませんが,どこまで作るかというところが少し分かりにくいということなんです。
「参考例」と言うと本当に全部作るのか,あるいは場面を切り取って「こういう形で標準的なカリキュラムに基づくと,こういう教材があり得るのではないか」という形で書くのか,その辺りがはっきりしませんので,今の段階では「参考例」という言葉が適切かなとも思いますが,もう少し,どういうものを示したいのかということが分かるように書いた方がいいと思いました。 - ○西原主査
- 文言の問題とは少し違う御提言を頂いていますけれども,井上委員が御退席になる前に皆様方の御意見を伺っておきたいと思います。日本語教育小委員会の第8期の審議経過報告書では「教材のプロトタイプ(prototype)」という言葉を使っています。
今回は「教材作成」と銘打っております。これは恐らく,世の中のプレッシャーというか,「案だけ示しておいて教材は作らないの?」という声に応 えなければならないという責任が存在するのではないかと推測するのですが,この「参考例としての教材作成」という文言についてはいかがでしょうか。
委員の皆様は,この標準的なカリキュラム案をまとめた後も引き続き委員でいらっしゃいますので,今後これに関して何をやるべきであると思っていらっしゃいますでしょうか。それによって,この「参考例としての教材作成」という文言をこのままとどめておくのか,それとももう少し分かりやすく書くのかということが関係してくると思います。率直なところ,どうお考えでしょうか。 - ○加藤委員
- 聞きながら思ったことを申し上げますと,井上委員がおっしゃるように本当に地域の数だけ,人の数だけ方法もいろいろあると思うのですが,それの幾つかの断片を切り取った形で示すのではないかと思いました。例えば「○○市ではこのような教材で,これは対象がこうだ」というようなものを幾つか列挙することで,それを見る人が自分の状況に合わせて教材を変えていけるようにするという意味で参考かなと思いました。今はそのようなものをイメージしております。
- ○西原主査
- 例えば,最近,インターネット上で展開する新しい教材の形がいろいろ提示されています。例えば,独立行政法人国際交流基金の「エリンが挑戦!にほんごできます。」は高校生というようなある単体,人物を想定してその周りで起こることを基に教材を作っています。それから,例えば中野委員がお作りになっていらっしゃる日本語教材は,中国の高校生とか,ある特定の学習者像を想定して作っていらっしゃいます。
本小委員会の場合は,学習者像というのは生活者,しかも国内在住ということになります。今おっしゃったのは,その中で更に「こういう人」というように学習者像を特定して教材例を作成するということでしょうか。 - ○加藤委員
- そう考えています。
- ○岩見委員
- 生活者としての側面に焦点を当てた教材ということであれば,ある程度の共通項があるのではないでしょうか。いわゆる従来型の日本語教育の考え方に基づき,人物を決めて詳しい対話を行うというものではなくて,場面と語
彙 についてはリソース(resource)的であり,資料として共通のものを提示する形で教材ができるのではないかなと思います。もちろんそれだけでは十分でないので,それをさらに地域で対象の学習者にわせて作り上げていく必要はあります。地域における日本語教育で求められる教材とはそういうものであるということを示すことはできるかなと思いますし,そういう意味で参考例ではないのでしょうか。 - ○西原主査
- つまり,共通項をすくい取り,まとまったものを教材として作ることは可能であろうということですね。
- ○岩見委員
- そうだと思います。
- ○西原主査
- それを「参考例」と呼ぶかどうかということについては少しよく分からないということでしょうか。
- ○岩見委員
- 「参考例」ではわかりにくければ,コア(core)となるようなものと言うのでしょうか…。
- ○西原主査
- 「コアカリキュラム」ですね。いかがでございましょうか。
- ○岩見委員
- 「参考例」という言葉であれば,かなり広い範囲で応用ができますし,これからの作成過程においても,かなり自由度があると思います。
- ○井上委員
- 恐らく,いろいろな示し方があると思うのですが,今の岩見委員の御意見のようにコアとなるものすべてについて教材例を作っていくという方法と,もう一つは教材例のパターンを幾つか示し,それについて解説をしながら長所や短所,課題を整理していくというのも,「参考例」になるのではないかと思います。
ですから,恐らく本小委員会の委員においては様々な教材をもう既に御存知だと思うのですが,それをパターン分けして,それでこれはこういう目的の下でこういう形で作られているけれども,我々から見るところこういう課題があるのではないかというものを,この日本語教育小委員会で作業してまとめるというのも一つの示し方だと思います。そうなると,相当程度,主観が入ってくるのではないでしょうか。
コアとなるものでしたら,我々が分析したところだと大体この辺りが共通項,コアですよということを示し,あとはそれぞれの地域にお任せしますということだと思います。 - ○西原主査
- ただ,そうすると「参考例としての教材」という言い方の範囲に収まりますでしょうか。
- ○山田委員
- 以前私が文化庁文化部国語課にいたときにかかわったのは,中国帰国者のための「生活日本語」という名前の教材ですが,そのときは同じように生活者としての中国帰国者が必要な場面を取材をして,それを基に教科書を作成しました。
ただ,その教科書自体,まだ使われていますが,それが今度行政の事業の見直しがあり,結果的にその教材は無償配布ができなくなっています。使える教材がたくさんできればいいのですが,予算化されないという以上,作りようがありません。 - ○西原主査
- 予算化されていないのでしょうか。本小委員会の今後の検討結果としてプロダクトと言うか,参考例であるか,教科書,ペーパーメディアになるかは別として,何かそのための予算はないのですか。
- ○匂坂国語課長
- そのための特別の予算はございませんが,協力者の方々の協力を得て作成作業を行うための謝金はありますので,そういったものを使いながら検討を進めていくのではないかと思っております。
- ○西原主査
- お金はない訳ではない。必要があれば生み出すということですね。
- ○匂坂国語課長
- そういうことです。
- ○山田委員
- 私が思うのは,本小委員会で作成できるのは,教材作成の手引のようなものでしかないのかなと思います。その中に教材作成の手引の一部に,教材のモデルが入っていたりはするけれども,教材そのものを作るのは無理なのではないかと思います。
- ○西原主査
- それは標準的なカリキュラム案にとっても,手引となりますよね。
- ○山田委員
- はい,標準的なカリキュラム案を具体化するための中間段階のものというのは必要な訳ですよね。
- ○西原主査
- 今日はおいでになりませんけれども,内田委員が御出席の際に強調しておっしゃっていたのは,生活場面の映像集を作ったらどうかということでした。
そうなると,教材としてはメディアに乗った形で素材集のようなものをイメージしていらっしゃったのかもしれないと思います。DVD(digital versatile disk )教材も随分世の中にあるので,そのようなものをおっしゃっていたのかもしれません。 - ○加藤委員
- 今,おっしゃったようなDVDについて本当にいいなと思ったのですが,話を元のところに戻したいと思います。取材ということについて考えているのですが,予算を度外視して申し上げますが,現実には日本各地で日本語教育が行われております。それをなおざりにして,私が頭の中で考えられることには限界があると思うので,できれば各地の取材をし,それぞれ幾つかにパターン化し,さらにその中から幾つか典型的なのものを取り上げて事例として挙げるのはいかがでしょうか。場所と人によって全く違うと思いますので,そういったものを集めたものが教材になるのではないでしょうか。ですから,全く完璧な形ではなくていいと思います。本当に細かい話を言えば,教室活動の中で文字をどう扱っているかということを示す教材でもいいと思いますし,文化的なものをどのように扱っているのかということでもいいと思います。
- ○山田委員
- 各地域において作成されている日本語教材に関しては,独立行政法人国立国語研究所の日本語教育基盤情報センター長であった柳澤さんが集めています。ただ,今回の標準的なカリキュラム案の作成の目的,目標から見ると,教材例はかなり
演繹 的と言うか,標準的なカリキュラム案が材料になって,ここから教材をどう作っていくかという展開を行うのがよいのではないでしょうか。日本各地から教材を集め,そこから例を示すという方法はそれは参考にはなるのだけれども,標準的なカリキュラム案をどう使うかという方向に行かないとまずいのではないかと思います。 - ○西原主査
- 生活日本語が生み出されていったように,この標準的なカリキュラム案が生み出す教材とはどういったものかという方向ですね。
「参考例としての教材作成」と言っておいて,その範囲の中に収まっていくかということになります。それは本日の日本語教育小委員会ではとにかく5月19日を目指してこの文言を確定するということになります。
井上委員がおっしゃったのは,「参考例としての教材作成」というのは余りにも茫漠 とした言い方なので,もう少し詳しく説明しようということです。一番はっきりしているのは,「日本語教育の教材作成」というように「参考例としての」というのを取ってしまえばいいですね。 - ○伊東委員
- そうすると,恐らくタイトルはこの文言でもいいと思うのですが,そうではなく,「標準的なカリキュラム案の内容を具体的に示す」という文言よりも,「標準的なカリキュラムを生かせるような教材作成の例示提供に向けた検討」とした方がいいのではないでしょうか。今,山田委員がおっしゃったように出来上がったものを示すと,標準的なカリキュラムの部分が抜けて,地域の人たちがそのまま教材のいわゆる最初のプロダクト(product)ばかりに目が行ってしまうような可能性もあると思いました。やはり標準的なカリキュラム案をどう生かしながら,自分たちで教材を作っていくか,標準的なカリキュラム案に基づいた教材を作るにはどうすればいいのかということを例示できるように,その提供に向けた検討を行うということでしょうか。
- ○西原主査
- 国際日本語普及協会の岩見委員が作っていらっしゃるのは素材ですよね,リソース型教材。それから国際交流基金が出していらっしゃるのもリソースですけれども,それをリソース型教材とおっしゃるのは,それは教材だからですよね。
- ○岩見委員
- リソース型と付けた一つの理由は,それを基に各地域で自由に修正を加えていただきたいということです。コピーも自由ですし,「各学習者に,地域に合ったものを追加修正してください,そのための材料としてどうぞ提供しますよ」という意味合いが第一です。教材は教材で,やはり,やり取りの例とか,フォーム(form)とかいろいろな例が載っていますが,そのまま教材に使う人もいるんでしょうね。
- ○西原主査
- 国際交流基金のものもそのとおりで,そちらにはサイト(site)が付いていて,そのサイトにはいろいろな実践で作成されたプロダクトが流れ込んでくるようになっています。それが他のもののリソースとなり,さらに別のリソースが生まれていくというように発展的に増えていくという形を取っています。国際日本語普及協会も恐らくそういう形ではないかと思ったのですが…。
- ○岩見委員
- 順次加えていくことを意図して作成しました。
- ○伊東委員
- やはり標準的なカリキュラム案を具体的に生かすための具体的な教材作成の手引を示すということになるのではないでしょうか。意図としてはやはり,ただ教材作成の例示をすればいいということではないと思います。
- ○西原主査
- 恐らくそうだと思います。一般的な日本語教育や,そのトレンド(trend)について,それから理想的な形についての説明を置くとして,一般的にこれを読んだ人がどういうものを次に作ってくれるんだろうかと期待するかと言うと,「この標準的なカリキュラム案によってこういうものができたのだけど,これを使ってみたらどうですか」と言われることなのではないでしょうか。
つまり,学習指導要領ができれば,次に教科書ができますよね。それが一般的な期待だろうと思います。それを「そうではないんだ」と言い続けることがどの程度可能かという心配もあるような気がします。
良心的に言えば,ここからいきなり教材を出してしまって,それで,「さあ,やってください」と言うのはいかにも乱暴だと思います。ただ,標準的なカリキュラム案だけ読んで地域で使ってくださいと言われても,それで想像力を働かせて自分の教材ができる人たちが,今どの程度地域にいるかということも心配です。そうすると,「これを使ってみたらどうですか」と言ってくれるのを待っているところもあるわけです。ただ,日本語教育小委員会の委員の皆様は,いきなりそれでは怖いのではないかという話ですよね。 - ○杉戸副主査
- 具体的な文言をどうするかという議論の段階だと思うのですが,今の伊東委員の手引ということも結局その中に入ってくるだろうと思って申し上げるのですが,具体的には9ページ,本文の3行目ですね。「参考例としての教材」という部分を,例えば「教材の類型や内容の例の作成」といった文言にする。そして,それを作成したり提供したり検討する中では,伊東委員のおっしゃる手引ですね,教材を作る上での手引的な説明も加えなければいけなくなるだろうと思います。
- ○西原主査
- 作るための手引は欲しいでしょうね。つまり,あなたたちが工夫してやりなさいということまでは言ったけれども,どう工夫したらいいのかということもあったらいいですよね。
- ○杉戸副主査
- 今回の配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」は七つの場面を取り上げて活用の実例を挙げています。同じように教材についても類型のパターンが多様に広がるような場面を作成する必要があると思います。この七つそのものでもいいと思うんですけれども,そういう場面単位で選んで,その部分の教材の例を幾つかの多様性を持った類型として考える。さらに,これを作る上での手引はこうなっていますということを示すというイメージを持っています。
それで,具体的な文言としては,表題のゴシックになっているところの「参考例としての」というのはもう取ってしまって,「教材例作成」とするというのはどうでしょうか。
そして本文に「参考例としての教材」とかぎ括弧が付いているのは取ることになりますが,そこにさっき言った言葉で言えば,「教材の類型や内容の例を」とするといかがでしょうか。 - ○西原主査
- これは恐らく,今後の日本語教育小委員会が何を議題とするかということにもかかわってくると思います。事務局としては,そこまで具体的になってしまっても大丈夫でしょうか。
- ○匂坂国語課長
- もともとここで「参考例として」と言っているのは,必ずこれを使ってくださいということではないという意味で使っておりますので,そこを逆に取ってしまっていいのかという懸念はあります。
- ○岩見委員
- 地域のニーズとしては教材が欲しいということがあります。ですから,標準的なカリキュラム案の内容を,この(1)の1行目から2行目に掛けて「標準的なカリキュラム案の内容を具体的に示し,」と言うと,すべてを具体的に示さなければいけないと思います。ただ,基本になるのは「標準的なカリキュラムの内容に基づく」とかでしょうか。
「標準的なカリキュラム案の内容に基づく教材の例を示す」という書き方もあると思います。 - ○杉戸副主査
- 「示し」を「扱い」にした方がいいのではないかという意見もあったと思います。
- ○西原主査
- 「標準的なカリキュラム案の内容を具体的に扱い,それぞれの現場が適宜修正を加え,活用することができる「参考例としての教材の作成」」というのはいかがでしょうか。
- ○山田委員
- 「日本語教育教材例の作成」とするのはどうでしょうか。その「教材例」の中に工夫の仕方とかを含めていけば,今度行う指導方法の検討とリンクさせないといけないと思うので,そちらとも関係するような形でいかがでしょうか。
- ○西原主査
- 「日本語教育の教材例作成」ということでしょうか。
- ○山田委員
- いや,「日本語教育教材例の作成」ということです。
- ○岩見委員
- 「日本語教材例」でいいのではないでしょうか。
- ○西原主査
- そうしますと,「「生活者としての外国人」に対する日本語教材例の作成」となりますでしょうか。
- ○杉戸副主査
- 「生活者としての外国人」だけではなくて,「に対する日本語教育」までがセットフレーズになっていると思います。 山田委員の「日本語教育教材」という複合語がいいかどうかも少し気になりました。
- ○山田委員
- では,「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の」という「の」はそのままにして,「教材例の作成」とするのはどうでしょうか。
- ○西原主査
- では,ここは「教材例の作成」にすることとして,「具体的に示し,」という2行目を「具体的に扱い,」と変えるということでいかがでしょうか。
その同じところで,議論の途中で出てきてはいたのですが,「地域の有識者」に外国人は当然入っていると考えてよろしいのでしょうか。 - ○伊東委員
- はい。
- ○西原主査
- よろしいんですね。だから「有識者」という表現でよろしいわけですね。
- ○岩見委員
- 地域ということに関連して一つ,「地域日本語教育」という言葉が配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の9ページ5行目にありますが,ここで初めて出ているのでしょうか。「地域日本語教育」という言葉は,もう一般の方々によく分かる言葉なのでしょうか。
- ○西原主査
- 配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」8ページの「想定される利用者」の中にも「地域日本語教育プログラム」という形で出てきます。
これは,「地域・日本語教育プログラム」というように「・」が付いていると解釈すれば,地域日本語教育という用語があるかという疑問についてはここのところで答えなければいけないのでしょうかね。
「地域の」と言ってしまっても別にかまわないですよね。配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について(案)」の9ページ2行目右半分で「の」が重なりますが,「の」を入れて「地域の日本語教育についての専門性」とするのでいかがでしょうか。 - ○岩見委員
- なかなか一般の方には分かりにくいので,「地域日本語教育」と言わずに「「生活者としての外国人」のための日本語教育に関する」というような書き方をした方がいいのかというような印象です。
- ○西原主査
- 9ページの「その一方で,」の次に,「プログラムを実施するためには,各地域の優れた実践例を共有するだけではなく,地域の日本語教育に関する専門性」と言い換えるか,または「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の専門性」とするか,どうしたらいいでしょうか。
- ○岩見委員
- すんなり「地域の日本語教育」で分かればそれでいいのですが,一般的にどんな感覚を持っているのかということが気になりました。
- ○加藤委員
- 「地域の日本語教育」というのは,割と市民権を得ているような感覚は持っていますが,「の」がなく「地域日本語教育」という一つつなげてしまうのはどうだろうかということですね。
- ○西原主査
- 例えば留学生日本語教育とか,そういうのはどうなのでしょうか。「留学生日本語教育」って言えますでしょうか。やはり「に対する」といった表現になるのでしょうか。
- ○井上委員
- でも「の」「の」と連続して付く場合には,やはりそれを付ける場合もあるし,文脈と言うか,文章体にもよりますよね。私はこれでいいのかなと思いました。
- ○岩見委員
- 日本語教育ではかなり市民権を得ている。でも,これがどういう形でそこに出ているのかというところではないでしょうか。
- ○西原主査
- では,「の」を入れれば収まるということですね。
- ○山田委員
- 「の」を入れるんでしたら,「における」の方がいいかもしれないと思います。
- ○西原主査
- では,「地域における日本語教育についての専門性」ということでよろしいでしょうか。
- ○西澤委員
- すると8ページのⅢの上の下から3行目のところの「実施する際には,」という後の「地域日本語教育に精通した」というところも変わってくるということでよろしいでしょうか。
- ○西原主査
- ええ,「地域における」ですね。
- ○加藤委員
- かぎ括弧が付いてしまうと,読まれたときもそうですし,自分が声を出す場合には「地域日本語教育に精通した」というふうに「の」をあえて抜いて言っているという程度の意味であれば,余り「の」だの「における」というようにしなくてもいいと思います。
- ○西澤委員
- 余り技術的に書かなくてもいいのではないかという感じはしますね。
- ○西原主査
- では,このままにしておくということでよろしいでしょうか。
- ○西澤委員
- 中身に全く関係しないのですが,少し気になるところが幾つかあるのですが,1ページの「これまで」の次の「「生活者としての外国人」の多くは,」の後の「まとまった学習時間の確保や」とその後が「学習教室に通うことが困難な状況にあり,」というつながりに少し引っ掛かりました。もし,「○○すること」で受けるのであれば「学習時間を確保することや継続的な日本語学級に通うことが困難な状況にあり」とした方がスムーズに読めるかと思います。
それと同じようなことが,2ページの「標準的なカリキュラム案は,」のところに,「日本語で行えるようになり,」「達成するために必要な日本語教育の内容を示すものである。」という,ここもつながりが受けている述部との関係で言うと少し修正した方がいいと思いました。中身に関係することではございませんので,このままで差し支えないということであれば構いません。 - ○西原主査
- 少しねじれてますが,杉戸副主査,いかがですか。
- ○西澤委員
- 「なるためまた上で掲げた目標」ぐらいにすると,つながりやすくはなりますが,日本語としてはやはりぐちゃぐちゃっとした感じにはなります。
- ○西原主査
- 「行えるようになり」というのは,「達成するために」というところまで係る方がバランスが取れるでしょうか。
- ○西澤委員
- 「なるため」「達成するため」と,「ため」に係ってくる構造ですね。
- ○西原主査
- 擬古文的だと「もって」と言えばいいのでしょうが…。
- ○山田委員
- 「ために」の後に点を入れてしまって,「必要な」というのと分けたらどうでしょう。
- ○西原主査
- 「なり」の後の「,(カンマ)」を「ために」の後に動かすということもできますね。そうしていただけますか。では,必要最低限ということで。
「行えるようになり,」の「,(カンマ)」をやめて,「上で掲げた目的・目標を達成するために,」に変更いたします。 - ○山田委員
- ほかのところでいいでしょうか。
少し前のところでこだわる感じなんですけど,8ページの「3 想定される利用者」の3段目のパラグラフで「国が示す標準的なカリキュラムは」とありますが,その3行目「そのため,国が示す」のところについて少し読みながら疑問を言います。
「そのため,国が示す標準的なカリキュラム案の一義的な利用者としては,各都道府県,市町村における日本語教育担当者であり,各地域において日本語教育のコーディネーター的役割を果たす人を想定している。それは例えば,自治体の国際交流協会の担当者等であり,各地域の実情に合わせて標準的なカリキュラム案を基に日本語教育の内容について検討することが求められる。」ということで,この「日本語教育担当者」っていうのは,例として国際交流協会の担当者等というのと一致していると思うんですよね。それで,そこまでのパラグラフの次の「そのほかにも,」のところが何を意味しているのかが少し分からなくなってしまったのですね。
「そのほかにも,各都道府県,市町村における日本語教育担当者が日本語教育事業の企画を行う際に参考としたり,教室活動を行う際に,利用し,参考としたりすることが望まれる。」というので,改めてまた「日本語教育担当者が」が出てきているのですが,これはその後ろにある「日本語教育事業の企画」や,それから「教室活動を行う」など,そちらの方が「そのほかに」という部分の「ほか」が指しているものなのではないかと思います。 - ○西原主査
- 今二つのことをおっしゃったと思うのですが,「そのため,」というところの後の「一義的な利用者としては,」というのは,「を想定している。」に係りますね。それがすらっと「想定している。」に行く前に「であり,」で引っ掛かってしまったという,そういう御意見ですよね。
- ○山田委員
- いや,ここの「日本語教育担当者」という人が,その下のパラグラフ「そのほかにも,」の中の「日本語教育担当者が」で指しているのと全く同じ人なのかということについて疑問を持ちました。
- ○西原主査
- それは違うのではないかと思います。このことを申し上げたときには伊藤和子委員のような方を想定していました。つまり直接的に日本語教育を担当するわけではないけれども,例えば国際課主幹というような立場ではこういうことが必要だからと言って県に交渉して,そこに予算を取ってきたりするというのが事業企画を立てる人ですよね。だから,直接日本語教育にかかわる人ではないですね。
- ○西澤委員
- 後者は,要するに県や市の担当者という立場ですよね。何々課の担当の人というような…。
- ○西原主査
- そういう意味です。私はそういう人もいたりするのではないかと…。
- ○西澤委員
- 上の方は実際に現場で教えたり何かしている人たちという意味で。
- ○山田委員
- それでは,その上の方というか,第3段落の「日本語教育担当者」と,第4段落の「日本語教育担当者」は別のカテゴリーということでしょうか。
- ○西原主査
- そうすると,ここはもしかしたら「市町村において日本語教育事業の企画を行う際に参考としたり」と変えたらよいでしょうか。
- ○山田委員
- それであれば分かります。
- ○伊東委員
- そのことと関連して少しよろしいでしょうか。
私もここは少しあいまいかなと思っていたのですが,できれば私は「想定される利用者」の「最後に,」で,この1行目に「本小委員会が想定した利用者は以下のとおり」ということで,関係する人を箇条書きで全部列挙した方が一目瞭 然で分かりやすいかなと思いました。
その後にこういった文言が続けばいいのですが,やはりぱっと見たときにここはかなり期待されて見る人もいるだろうと思いました。そう思ったときに,可能な限り,地域日本語教育をやっている担当者,大学教員,日本語学校教師というような形で,なおかつ今の都道府県に入っている企画担当者とか,あるいはコーディネーターというように可能な人たちを列挙してしまうというのは難しいでしょうか。
その方が分かりやすいのかなと思いました。これを読んでいくと,一体だれを指しているのか分からないということがあります。 - ○西原主査
- 分かりやすいと同時に,あまり限定したくないということがあります。リストされない人を排除するという効果を生んでしまうと少し困ります。例えば地域の国会議員にも読んでもらいたいですよね。
- ○伊東委員
- そういう意味では政策担当者というような形でも書けるかなと思います。ですから,そういう意味では列挙してというのは,数としては多くなる可能性もありますし,その他何とか関連する人というような形で持っていってもいいと思います。 西原主査がおっしゃった国会議員というのは,今の説明文の中には書いていないですよね。
- ○西原主査
- 入っていません。入っていませんが,地域のことを考える市長や,そういった人にもこれは目に止めてほしいという話です。
- ○伊東委員
- 今,西原主査がおっしゃったような話であれば,列挙してしまっても,恐らくその市長さんレベルや国会議員のレベルというのは下の方だろうと思います。
- ○西原主査
- 行政担当者という感じですね。
- ○伊東委員
- 私はその方たちが,これを見たときに,そこに自分が該当するんだというのが分かりやすくていいのかなと思いました。
- ○西原主査
- 繰り返しになりますが,そうすると,私は関係ないという人が出てしまうのもすごく怖いと思います。そうすると,何となくにおわせるということで,ここに書き足りないことがあれば入れていただいた方がいいと思います。
- ○山田委員
- 「一義的な」という言葉も既に入っているのでそれ以外を排除しているわけじゃないですし,当然期待は広いということは言っていると思うのでこれでよくて,伊東委員がおっしゃるように列挙してこういう人が対象だと言うと,それではこれは我々に関係があるからよく見ようということになると思います。今の時点でそれをやるともう一回これでいいかどうかを審議しないといけなくなります。今は必要最低限の調整にするためにどうしたらいいかというのを考えているので…。
- ○伊東委員
- それであればかまいません。ただ,私が見たカナディアン・ランゲージ・ベンチマーク(Canadian Language Benchmark)では,想定される利用者というような形で列挙されていて,「これはいいな」と思ったものですから,申し上げただけです。
最後にもう一つですが,配布資料2「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について」の「1 標準的なカリキュラム案の概要」4ページ,5ページの部分です。特に5ページの内容がかなり7ページの概要と重複しているなと思いました。したがって,6ページの「標準的なカリキュラム案の活用方法」の最初の段落の2行目,「ここでは学習内容,学習順序,時間の観点から」となっているので,この三つの項目あるいは述べられている項目を,できればかぎ括弧で,このかぎ括弧,ここで使われているのはこういうかぎ括弧で見出しが明示されると,そこだけスキャン(scan)して読めるのかなと思いました。
ただ文章が並んでいるだけだと,4ページ,5ページと,6ページ,7ページの辺りが余り変化がないように思ったので,少しアクセントを付けるのはどうかと思った次第です。 - ○西原主査
- ゴシック体にすることはできると思います。例えば6ページの2の2段落目,「学習内容」という段落,それから「具体的な学習項目」という次のパラグラフ,そして次の7ページの上に「学習時間」というところがありますけれども,それから「学習順序」がそれに続きますけれども,括弧にするかゴシックにして目立たせるということはできると思います。
- ○伊東委員
- 関係する部分の見出しがあるといいのではないかと思いました。というのは,余りにも5ページ目とよく似ているという印象を受けたので,アクセントを付けるためだけですけれども…。
- ○西原主査
- 同じような内容を経緯の部分で示し,概要の部分で示し,活用方法の部分で示しているので,内容的にはかなり重複している部分がありますね。
- ○杉戸副主査
- ゴシック体にするというだけなら大丈夫じゃないでしょうか。今の6ページの2の章の2行目の「ここでは学習内容,学習順序,時間の観点から」この並び方も本文の並び方と順序と時間の前後が逆ですね。そこを整えて,「時間」だけじゃなくて,「学習時間」として,そして先ほど西原主査のおっしゃった第2パラグラフですね。「学習内容について,」の「学習内容」をゴシック体にするということでよろしいでしょうか。
- ○伊東委員
- なぜかと言うと,活用方法のところを一番見たくなるかなと思いました。それでぱっと探す,検索するときの見やすさだけです。
- ○西原主査
- それでゴシック体にするということでよろしいですか。
- ○伊東委員
- ゴシック体か,括弧を付け「学習順序」や「学習時間については,」のようになっているといいかなという,そのぐらいです。あとはお任せします。全体のレイアウトの問題もあると思いますので。
- ○西原主査
- そして,学習順序と学習時間の方は,一番簡単なのは6ページのところを直してしまえばほかは直さなくていいので,6ページの部分を「学習内容,学習時間,学習順序」と順序を変えます。同じようにして,戻りますけれども3ページの「文法」と「機能」が資料で変わってますので,「機能」,「文法」とします。それから説明のところも「文法」の前に「機能」の説明が来るとしておかないと,資料としては困ると思います。
- ○岩見委員
- いわゆる地域住民とか一般市民の協力というのをどこかに入れた方がいいのではないかなと思いました。いわゆる「生活者としての外国人」に対する日本語教育はボランティア依存型をずっと続けてきたけれども,重要な役割を担ってきた人たちをどうするのかということで,例えばどこに入れるのがよいかなと考えていました。
- ○西原主査
- 7ページの「標準的なカリキュラム案の「場面」の「相手」で取り上げられている人」というところが,地域住民の一部ではあります。
- ○岩見委員
- あるいは7ページの4番目のパラグラフと言ったらいいのでしょうか。「「教室活動の方法の例」は,」というところがあります。その5行目の最後のところからの背景は異文化の交流ということを言っています。そのあとの「そのために」の後に例えば「地域住民や一般市民の協力を得て文化交流,対話の場を設け」という形で入れておいたらどうかと思いました。
- ○西原主査
- その文言が難しいので避けているのかなと思います。地域住民という言い方,一般市民という言い方,何か高圧的ではありませんでしょうか。かと言って,地域の方々みたいに,敬語を使うと少しおかしくなるのではないかと思っております。
- ○岩見委員
- 「「相手」で取り上げられて」で「なお,付言すれば,」のところは,ここには学習者と…。
- ○西原主査
- これは教室活動と直接かかわるような形でそのような方々,つまり相手になるような日本人たち,お医者さんだったり,お店の人だったりという人たちがかかわってもらえればいいということです。
- ○岩見委員
- ここでは「学習者と母語が同じ」という前に。
- ○西原主査
- これは外国人ですね。
- ○岩見委員
- その前の「人」というのは,日本人も含むと言っていますから,日本人もいるわけですね。
- ○西原主査
- 「「相手」で取り上げられている」のは,むしろ日本人でしょう。消防署の人とか,そういう方々です。ですが,岩見委員がおっしゃるのは一般の方々ということですね。
- ○岩見委員
- そうですね。この理念を実現するために社会参加のためとか,社会の一員として生活を送るということを達成するために,やはり地域で生活する人々の協力を得るということは大事なことだと思います。
- ○西原主査
- 浜松に市が作った多文化共生センターがあります。それは
雄踏 というところにあり,合併して空になった市役所の建物を転用しているのですが,町内会の人たちが文化相互体験シリーズのようなことを実施したりしています。雄踏はウナギの養殖などでも,浜名湖がある関係でかかわっている訳です。それから,それに関連してどういう生活習慣が育っているかといったことを町内会の人がそこに通ってくる外国人学習者に対して説明し,かつブラジルの踊りも習ってしまおうとなっているのですが,そういうことですよね。 - ○岩見委員
- ですので,もう少し「地域住民」という言葉でなくても,「地域で生活する人々」というように表現を少し変えるのはいかがでしょうか。
- ○西原主査
- そうすると,「そのために文化交流・対話の場を設け,指導者と学習者,及び学習者同士が」という,「そのために地域の人々との文化交流・対話の場を設け」でしょうか。
- ○山田委員
- その前に,「そのため」の前の文の「日本人側に」ということが出ているので,その地域住民だけじゃなくて,地域住民は当然入るのだけれども,それ以外の「日本社会側」というような,人だけじゃなくて,あるいはその地域社会を作っている行政の人たちとか国際交流協会の人たちとか,そういう人たちにもということ,それら全部含めて「日本人側」という言い方をしているのではないでしょうか。
- ○西原主査
- そうですよね。難しく言おうと思えば,「彼らを受容する地域社会の構成員」とか言えるわけですが,それじゃいかにもという感じがするので「日本人側」になりました。そこにあるからいいじゃないかという御意見でしょうか。
- ○山田委員
- いいじゃないかと言うか,それが一番広いので,そこにまたかつ「地域の住民」と入れてしまうと,もう一度言い直して住民だけでなくてこういう人たちもと,どんどん細かく言っていかなければならなくなってしまうのではないかと思います。
- ○西原主査
- それでは,元へ戻します。
- ○杉戸副主査
- これまで議論された二つのポイントで,最終的にここでの結論をどうするかがまだ見えていないところがあります。一つは,8ページの先ほどの中ほどの一番大きな部分ですね。そこのパラグラフの先ほど問題になった「一義的」という言葉を含むパラグラフの最後の部分ですが,ここはどうなのでしょうか。「それは例えば,自治体の国際交流協会の担当者等である」という部分で切ってしまって,次の1行半をカットしたらどうでしょうか。そうすると,もう少し文がすっきりすると思います。
つまり,カットしようとする「各地域の実情に合わせて」ということは,そのパラグラフの前半にほとんど同じことが書いてあります。 - ○西原主査
- 実は私もそう思っていました。「そのため,国が示す標準的なカリキュラム案の一義的な利用者は,各都道府県,市町村における日本語教育担当者である。」
- ○杉戸副主査
- いえ,「であり,」からずっと続けて,その辺りはそのままにした方がいいのではないでしょうか。
- ○西原主査
- 「であり,各地域において日本語教育のコーディネーター的役割を果たす人を想定している。」
- ○杉戸副主査
- 「それは例えば,自治体の国際交流協会の担当者等である。」で,「そのほかにも,」…。
- ○西原主査
- そこで丸ですね。
- ○杉戸副主査
- 先ほどの修正案ですと,「そのほかにも,各都道府県,市町村において日本語教育事業の企画」うんぬんということだったわけですね。
- ○西原主査
- そうすると,「それは例えば,」とあと「各地域の実情に合わせて」という,その文章は要らないということですね。
- ○杉戸副主査
- 要らないのではないかと思うのですが,どうでしょうか。同じパラグラフの前3行分を繰り返していますから。
- ○西原主査
- では,それは削除します。その文のみ削除します。「それは例えば,自治体の国際交流協会の担当者等である。」ですね。
それで,杉戸副主査が今おっしゃってくださった御意見を聞いて,目次のところも当然修正するということが先ほどの御意見で想定されていて,別紙Ⅱの「基礎資料」というところですよね。 - ○杉戸副主査
- あとは,これも意見です。今の8ページのところに戻って,先ほど伊東委員からもう少し多様な想定する相手を書いたらどうかということが出ました。そのときに西原主査がおっしゃった政界の人とか,そういうような人のことを少しでもにおわせるために,例えばですが,「そのほかにも各都道府県,市町村において日本語教育の施策や事業の企画を」というふうに入れたら,少し幅が広がるのではないかと思います。
- ○西原主査
- 「施策や事業の企画を行う際に参考としたり」ということですね。
- ○杉戸副主査
- とすると,少し広がるかと思ったのですが,いかがでしょうか。
それからもう一つ,議論の結果で確認したいのが,先ほどの9ページの「参考例」の議論のところですね。そこで,表題は「「生活者としての外国人」に対する日本語教育の教材例の作成」となりました。そして本文の2行目,「具体的に扱い,」になりました。
その次の行に「「参考例としての教材」の作成」うんぬんとあります。これとその次の一行飛んだ「参考例としての」という,ここの部分は「教材例の」と直せばいいということなのでしょうか。 - ○西原主査
- そういうことですね。「教材例の作成に当たっては」ということになりますよね。
- ○杉戸副主査
- それから,先ほど西原主査がおっしゃってくださった「基礎的資料」の「的」を取るということは,3ページの脚注のほかにも,4行目の「基礎的資料2」。それから,6ページの上から3行目にもあるので,「的」を取る必要があります。
- ○西原主査
- 「基礎的資料である」という部分ですね。
- ○杉戸副主査
- それから,非常に細かなことを別件で申し上げると,3ページの3節の下から5行目です。「「機能」は,やり取りの例における」とありますが,前後関係からすると,ここにかぎ括弧があった方がいいですね。
- ○西原主査
- やり取りの例にかぎ括弧を付けるということでよろしくお願いいたします。
- ○杉戸副主査
- 先ほど西原主査がおっしゃったと思いますが,「機能」と「文法」の順序を入れかえるということです。
- ○西原主査
- いかがでございましょうか。どんな小さいことでも結構ですので,この際ですから最終的にまとめる前に。
- ○杉戸副主査
- これも後で申し上げようかと思ったんですが,最初に説明のあった資料の方でURLが出てきますが,改行の見た目が非常に気になります。113ページ以降,「.(ピリオド)」が行の頭に来てしまっているんですね。
2行,3行に渡るときの改行を機械に任せておくと,例えば114ページの一番上ですと,ピリオドが行の頭に来てしまったり,それはもう本当に個別的に直すよりほかないのですけれども…。 - ○西原主査
- 1行目が「go」で終わり,「.(ドット)」が2行目の頭に入るという部分も見られます。
ほかにいかがでございましょうか。
この間経験したことですけれども,具体的には九州の方が,加藤委員のお名前からこの委員会の委員であるということを探し出して,加藤委員に直接アプローチしていらしたということを伺いました。ということは,委員の皆様はこの文言について責任があるいうことです。どんな小さいことでも結構ですから御意見をよろしくお願いいたします。
またお気付きのことがありましたら,今日,明日のうちにでしたらお受けできるかと思いますので,御遠慮なく,また責任の一端として御連絡いただければと存じます。
では,修正御意見を集めまして,それを最終的に19日に報告するときの修正はまた申しますが,主査に御一任いただくということで,もちろん副主査も含めて主査と言っているわけなので,四つの目で見るということにさせていただきます。よろしゅうこざいますでしょうか。(→了承。)
それでは,今日は少し早く始まりましたので,5分早く終わらせていただきます。御協力ありがとうございました。