第38回国語分科会日本語教育小委員会・議事録
平成23年6月14日(火)
14:00 〜 16:00
旧文部省庁舎5階 文化庁特別会議室
〔出席者〕
- (委員)
- 西原主査,杉戸副主査,井上,岩見,尾﨑,加藤,小山,嶋田,西澤,春原,山田各委員(計11名)
- (文部科学省・文化庁)
- 舟橋国語課長,鵜飼日本語教育専門官,仙田日本語教育専門職,山下日本語教育専門職ほか関係官
〔配布資料〕
- 第37回国語分科会日本語教育小委員会・議事録(案)
- 教材例集について(案)
- 能力評価について
〔参考資料〕
- 日本語教育小委員会における検討内容の大枠とそのスケジュール
- 日本語教育小委員会における検討内容とそのスケジュール
〔机上配布資料〕
- 国語分科会日本語教育小委員会における審議について―今後検討すべき日本語教育の課題―
- 国語分科会日本語教育小委員会における審議について―日本語教育の充実に向けた体制整備と「生活者としての外国人」に対する日本語教育の内容等の検討―
- 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案について
- 「生活者としての外国人」に対する日本語教育の標準的なカリキュラム案活用のためのガイドブック
- 能力評価に関するヒアリングの取りまとめ
〔経過概要〕
- 事務局から配布資料の確認があった。
- 前回の議事録(案)が確認された。
- 事務局から配布資料2「教材例集について(案)」について説明があり,教材例集の様式や取り上げる内容について意見交換を行った。
- 配布資料2「教材例集について(案)」で取り上げる内容,様式について大筋了解が得られた。
- 配布資料3「能力評価について」について説明があり,能力評価の目的や対象等について意見交換を行った。
- 次回の日本語教育小委員会は7月20日(水)に開催すること,場所については後日事務局から連絡を行うことが確認された。
- 質疑応答及び意見交換における各委員の意見は次のとおりである。
- ○西原主査
- 文化審議会国語分科会日本語教育小委員会の通算第38回,今期第2回の会議を開会いたします。本日は教材例及び能力評価について御審議いただきたいと思います。
前回,第37回日本語教育小委員会におきまして,今期の日本語教育小委員会の議事要項及び審議スケジュールについて御確認いただいておりますが,それに沿って日本語教育小委員会ワーキンググループでの作業が進んでおります。前回の日本語教育小委員会の後,6月2日に第24回日本語教育小委員会ワーキンググループ,そして6月8日に第25回日本語教育小委員会ワーキンググループを行い,標準的なカリキュラム案,活用のためのガイドブックを踏まえた教材例についての検討を行いました。教材例は日本語教育小委員会ワーキンググループ委員の他,日本語教育小委員会ワーキンググループ協力者の協力を得て作業を進めておりますが,その協力者の方々に作成していただいた教材例について検討し,その分量や様式について検討し,整理する作業を行いました。その結果の一部が本日の配布資料2「教材例集について(案)」となっております。後ほど,それに基づいて御意見を頂きたいと存じます。
それから,参考資料1「日本語教育小委員会における検討内容の大枠とそのスケジュール」にありますように,能力評価についても今期検討をしなければいけないとなっております。能力評価については本日,皆様の御意見を頂き,今後,検討を進めていくということにしたいと思います。
まず,配布資料2「教材例集について(案)」について,5ページ以降で「(05)地震だ!」という例だけを示していますが,これだけしかできていないというわけではありません。ただ,本日の日本語教育小委員会では,こういう内容あるいはこういう様式で考えていってよろしいかという御承認をいただきたいということで一例だけ取り上げて資料として提示しております。まず,配布資料2「教材例集について(案)」の全体的な構成,あるいは2ページの「はじめに」のところの書きぶり,それから,実際の教材の構成ということにつきまして,御意見を頂きたいと存じます。
本日は日本語教育小委員会ワーキンググループでの進展状況の報告ということでございますので,忌憚のない御意見を頂き,修正も加えながら進んでまいりたいと思います。 - ○井上委員
- 以前にも申し上げましたが,私自身は,こういう教材で日本語を学んでいただくとともに,日本の生活習慣や,今回,特に地震などのような災害への備えのようなことなど,基本的なことを学んでいただくということがとても重要だと思っています。やはり生活に密着した,それから地震は毎日起きませんけれども,起きたときに困らない,絶対に困らないようにするというものを優先して作っていくという意味では,配布資料2「教材例集について(案)」の1ページの前半にある「01 健康を保つ」,「02 安全を守る」,「04 住環境を整える」といった必要性の高いものからだんだん取り上げていくというやり方が一番よいと思っております。
そうは言いながらも,恐らくそれをどこまで深掘りするかということが問題になります。地震の場合でも,地域によって危険度が違うわけです。ほか,地域によって火災の危険度の高いところ,倒壊の危険度の高いところ,あるいは津波の危険度の高いところといった違いがあります。今,外国人が日本のどこにでもいるということを考えると,それぞれどこまで深掘りするかということが大きなポイントの一つになるのではないかと思っています。
それからもう一つは,実際に配布資料2「教材例集について(案)」にまだ写真は入っていませんけれども,実際にどういうものがどういう形で入ってくるのか,それをどういう使い方をするのかということについて,も考えておく必要があります。完璧ではなくても,日本語を学ぶ中で何とか学習者の記憶に残っていくための工夫が必要です。その際,写真がいいのかイラストがいいのか,一番典型的なものを頭に入れていただくという意味では,なるべくはっきりと写ったり描かれりしたものが必要です。その時,それぞれ出身によってイメージの違いがあるかと思います。例えば日系ブラジル人の方々が中心の教室,あるいは研修技能実習制度のように東アジアなどから来た学習者が中心の教室,その学習者によって同じ写真からイメージされるものは異なると思います。それぞれの国々の実情もある程度踏まえた形で,その彼我の違いというものを示すようなものがあるといいと思います。
それから,配布資料2「教材例集について(案)」の14ページ以降の「指導ノート」のところで少し引っ掛かりました。安全・安心に関して,日本語はとにかく難しい言葉が多いのですね。もちろんそれは覚えてもらわなければならないのですが,ある程度簡便に,ふだん使うような言葉をベースにしながら教材例集を作っていくことも必要かと思います。安全・安心に関わる言葉は,平仮名だけにすると分かりにくいということもあって,ほとんど漢字で表記されます。もちろん,私は自分で日本語教室をやっているわけではないので分かりませんが,言葉を置き換える方法についても専門の方に考えていただくことが必要だと思います。
配布資料2「教材例集について(案)」の13ページにもキーフレーズ(key phrase)として「地震だ!」,「助けて!」,「逃げて!」,「急いで!」とか「大丈夫?」とか,非常に易しい言葉が並んでいますが,実際に今何が起きているかということについては,日本語で語られる言葉はとても難しい言葉になるわけです。「津波」は確かに国際語になっているかもしれませんが,「余震」や「緊急地震速報」など,小学生でもなかなか,やはりその場にならないと分からないものもあります。それがどういう形ならば外国の方に覚えてもらえるのか,そしていざとなったときに使えるのか,聞き取れるのか,分かるのかということを考え,他の言葉に置き換えていくことも必要であろうと思います。このままでは配布資料2「教材例集について(案)」で取り上げているような言葉を幾ら「覚えろ」と言っても,恐らく覚え切れず終わってしまって,いざとなった時に使えないということになるので,置き換えることについて何か工夫ができないかと思います。
私は,今回の地震のことも踏まえていろいろと関係の方に話を聞きましたが,やはり難しい言葉をどういう形で分かってもらうかというのは非常に困難です。極端な話,最後には通訳しないと分からないということになってしまうので,普段は生活できたとしても,緊急のときの使う言葉をどのような言葉に置き換えていくかということも,頭の中に入れておかなければならないと私は思います。
ただ,教材例で取り上げる内容の全てに当てはまる話ではないので,本日配布資料2「教材例集について(案)」でお示しいただいた地震のように緊急の問題に関して言えば,そういうことも配慮しなければならないと思いました。 - ○西原主査
- ありがとうございました。言い換えの問題ですけれども,春原委員は技術研修生の方々への教材とかビジネス日本語の教材とかを作っていらっしゃいますが,どの程度言い換えるものでしょうか。
- ○春原委員
- それは主に教える内容と言うよりも,受け入れ側のコミュニケーション能力の育成プログラムの中で扱います。例えば「
嘔 吐」と言わないで「吐く」と言うと中学生でも分かるというように,そのような言い換えの例を示して,ワークショップを行い,外国人とのコミュニケーション能力を身に付けてもらうということをしています。もちろん教える内容にも入ってきますけれども,日本人側の意識の問題がやはりすごく大きいので,そういったところで用例集とか平易な日本語用語集を作成してきました。 - ○西原主査
- 先日の第46回文化審議会国語分科会で,山田委員が易しい日本語について意見をおっしゃいましたけれども,教材例の中にどの程度反映できるものなのでしょうか。例えば,工場に行ったら,「危険」とか「頭上注意」,「火気厳禁」と書いてありますよね。そこを易しくするということは,受け入れ側の工場自体がそのことに配慮しなければいけないことではありますけれども,それが当面変わらないとなると,絵として漢字を覚えてもらうと言うか,丸ごと,「これはこういう意味だ」と学習してもらうことも大切ですし,「火気厳禁」というのを言い換えるということも必要になるわけですよね。
- ○山田委員
- 今,春原委員がおっしゃったように,受け入れ側が易しくしようということは大切なことですが,受け入れ側が易しい言葉を使っていないのに,学習者は易しい語彙で覚えたがために理解できないということもあり得ると考えると,逆に不幸になってしまうので難しいところだと思います。本当に大事なものについては,多少,「易しい」「難しい」,関係なく,全体を認識できるように,字の形でも仕方がないと思うので,形だけで,それが何と読めるかが分からなくてもいいので,理解させた方がいいかなと私は思います。
- ○西原主査
- 難しい問題でありますね。でも,そういう御指摘がありましたので,そのことについて,この教材でも留意していくということが大切でありますね。
一つ,配布資料2「教材例集について(案)」の9ページに,少ないですけれども,多言語情報で日本語,英語,中国語,ポルトガル語,スペイン語の情報があり,それらを駆使しながら活動するというシート(sheet)があります。それから,指導者のための指導ノートのところの16ページに,多言語情報例として,こういうものは学習者の母語と言うか第一言語での情報の獲得が可能だという説明が付いています。それは指導者が「これですよ」と示し,とにかくそのものを活用してもらうことを言うという,そういう対応に関する情報もこの指導ノートの中にはあります。どちらがより大切かということではありますけれども,第一言語での情報も十分に活用しなければならないときも多いかと思います。 - ○加藤委員
- 特にこの地震の用語について,先日起こった地震との関連で,実際に体験したことですが,置き換えについて二つ気付いたことがあります。一つは,私たち教師など,外国人の人たちと接する人たちが,どのように言ったら分かりやすいかということを身に付けることが,とても重要だということです。ただ,今回の地震の後に,授業を再開して,留学生ではなく,普通のビジネスパーソンのクラスの人たちが戻ってきたときに,とても得意気に,テレビで毎日見ていた地震の用語をたくさん挙げてくれたんですね。つまり,彼らは何とかそれを知ろうとして暗記までしていたんです。実際テレビでは,「地震」も「津波」もやさしく置き換えた言葉ではなく,その単語のままで出てきます。ですので,事前に覚えておく必要があるかどうかということまでは分かりませんが,山田委員がおっしゃったように,ものによっては置き換えたものではなく,そのままの言葉を扱うことが大事だと思います。
- ○西原主査
- 配布資料2「教材例集について(案)」の13ページに「ことば・表現」のリストがあります。これだけのものが出ているわけですけれども,教材例集の巻末に,より詳細な表現のリストが付くのかどうかということについても御意見を頂きたいと思います。つまり,インデックス(index)的に両側から引けるようにすること,日本語からも引けるし,逆引き辞典というのもあるというようなことも,御指示があればできると思います。
まず,配布資料2「教材例集について(案)」の2ページの「はじめに」の部分について,今は箇条書きですけれども,このような内容をここに記載していく―教科書や辞書で「はじめに」の部分がどの程度,使う前に読まれるかということにつきましては,使う人の態度に大きく依存するとはいうものの―日本語教育小委員会ワーキンググループの中では,カリキュラム案が出て,ガイドブックが出て,それに基づいた教材例集が出ていくということになっており,そうやって順々に読んでいってくだされば,「はじめに」の部分の上の方は要らないとは思うものの,それはやはり原理原則と言うか,こういう考え方で作ったということはここでも繰り返しておく必要があろうということになっています。ここの「はじめに」の部分につきましてはいかがでしょうか。まだ案文になっていないので,子細を御検討いただくことはできないのですけれども,何か付け加えるべきこと,あるいはここまでは要らないのではないかというような御意見はありますでしょうか。 - ○尾﨑委員
- 繰り返しになるとおっしゃいましたけれども,恐らく,真面目に読んでる人は大していないだろうということ,しかも,何が一番大事かというところもなかなか見極められませんから,しつこく繰り返し,常に四つのポイントを出すということに賛成です。
もう一つ,配布資料2「教材例集について(案)」の1ページ目には,標準的カリキュラム案の30単位分の項目が全部入っていますか。それとも,まだこれから追加されますでしょうか。全部は入っていないですよね。 - ○山下日本語教育専門職
- 前期の日本語教育小委員会でも御検討いただきましたが,標準的なカリキュラム案の 12〜13ページの一覧から,全て取り上げたということではないです。全体からバランスよく選ぶということ,それから最終的なボリュームも考えたときにどの程度に絞るのが適当かということも踏まえて,今,この状態になっているということです。
- ○尾﨑委員
- そうすると,確認ですけれども,配布資料2「教材例集について(案)」の1ページ目で取り上げられているものが,最終的にこの日本語教育小委員会の教材例集として出そうとしているものであるという理解でいいですか。
- ○山下日本語教育専門職
- 教材例集で取り上げるものとして挙がっているものは,これだけです。
- ○尾﨑委員
- これは確認なのですが,教材例集はこの範囲でまとめて終わりにするということですね。私はこの日本語教育小委員会が,標準的カリキュラムの30単位分全部を作るということはしなくていいのではないかと思っています。今,配布資料2「教材例集について(案)」で取り上げているものが完成し,イメージが伝われば,あとは現場でもっとやりたい人が作成すればいいことだと思っています。このぐらいのものがあってイメージが十分伝われば,あとは,もっとやりたい人がいろいろやってくれればいいことだから,私はこれはこれでいいと思います。
- ○西原主査
- 網羅的に作成することが理想的ではあるけれども,教材例集としては絞り込まねばならないですし,地域によっては,この教材例集で取り上げるようなものではなく,「もっとこっちが欲しい」ということがあるかもしれません。それこそ,コーディネーターの働きによって決まれば,同じようにして,幾ら応用していただいてもよろしいということになるのではないでしょうか。
- ○尾﨑委員
- そういうスタンスで作るので私は賛成です。しかし,現実には,この標準的なカリキュラム案でも,来日した人に最低このぐらいはカバーしてもらったらいいという提案をしていますので,理想を言えば,教材例集で全部カバーしていると現場の人は助かるわけですよね。
現場の状況に合わせて教材を調整するという作業は,現実にはなかなか起きないので,いずれどなたかが網羅的なものを作ってくださる,あるいは将来的にどこかサイトにそういうものが蓄積されて網羅的になるということが実現すればいいけれども…。 - ○西原主査
- 例えば出版社の方が,とにかくやってみようとおっしゃってくださって,それなりの編集方針でこれとタイアップ(tie-up)した形でもっと網羅的なものをお作りくださるとか,または文化庁が,やはりやった方がよかったということで予算を取ってくださるとか,いろいろな可能性はあるとは思いますけれども…。実は,この配布資料2「教材例集について(案)」の2ページ「はじめに」の「2.3 教材例作成のプロセス」のところで,行為の事例の一覧を示し,そこからの選択過程について説明することにはなっているわけです。
- ○尾﨑委員
- 分かりました。
- ○西原主査
- ですから,なぜこれが選ばれたかということは配布資料2「教材例集について(案)」の2ページの「2.3 教材例作成のプロセス」に記載されるはずということでございます。次に,配布資料2「教材例集について(案)」の3ページの図の弧と言いますか,この図はいかがでしょうか。
- ○春原委員
- 少し戻りますが,配布資料2「教材例集について(案)」の2ページの「2.はじめに」にあるのですが,「言語について」とか「言語学習について」という言い方は,やはりこういう言い方をしないといけないんでしょうか。
つまり,この中にはもちろん母語であったり英語各種もそうだし,つまり日本語だけではない,方言も含めた話ということで恐らく「言語」という用語を使ってるんだと思うんですけれども,実際読んでみると日本語の話が出てきます。「この読者は誰なのか」と考えたときに,先ほどの話じゃないですけれども,できるだけ平易な日本語で,学習者向けじゃなくて日本人向けにもできるだけ平易な方がいいのかなと思いました。研究者が使う言葉はできるだけ回避したほうがいいのかなと思います。ただ,意図は分かりますので,あくまで問題提起ですけれども…。 - ○西原主査
- ガイドブックはまだかなりプロに向けているところがありますが,これも実は,直に学習者の共有する部分,学習者も一緒に見るだろうというのは,配布資料2「教材例集について(案)」で言えば6ページからです。配布資料2「教材例集について(案)」の2ページも「2.はじめに」のところもボランティア向けにブレークダウン(break down)するというのは,すごく残酷な言い方なので余りしたくないんですけれども,日本語教育業界のプロでない人に向けて少しブレークダウンするということが必要だという御意見ですね。
- ○春原委員
- はい。
- ○西原主査
- 日本語教育小委員会ワーキンググループとしては,それを受け止めて,なるべく平易な表現に,つまり,「言語」と言わずに「言葉」と言えばいいということですね。
配布資料2「教材例集について(案)」の3ページはいかがでしょうか。この部分については,5ページにありますように,各教材例の最初の部分にこれがその部分のイラストとして用いられていくということになります。これは事務局が工夫をして,この弧と言うかアークのような形にしていただきました。これはこの順序で矢印,ストレートダウン(st-raight down)ということでないというようなイメージを作るために,このような書き方をしています。
それから14ページ以降の「指導ノート」と今言い換えているものが,日本語教育小委員会ワーキンググループ協力者の方々の大変な御努力で,かなり詳細なものが支援者,指導者の方々向けに書かれています。実際には,そこをしっかりと読んでいただいてから,学習者と共有する時間を作ってほしいと思うわけですけれども,それが各教材例の冒頭に来てしまうと,それだけでこの教材例を使わなくなってしまう人がたくさんいるのではないかということで,各教材例の最後の部分に置いています。最後の部分に置いてはいますが,是非指導ノートは活用してほしいので,この3ページのように,指導ノートの存在とその在りかを示し続けていこうという工夫をしたつもりです。 - ○杉戸副主査
- 日本語教育小委員会ワーキンググループでも議論した結果が今日の案として出されているのですが,その中で,今,配布資料2「教材例集について(案)」の3ページのこの「各教材例の構成の図」は,「はじめに」に付ける図として示しているわけです。それで,その中の一番右下の「?別表,参考資料等」という部分がありますが,そこがかっちりとした一つの枠組みのように書かれているのが,少し気になりました。というのは,この先,次の5ページの具体例,「05 地震だ!」という教材例のユニット(unit)の中では,これはないわけです。
- ○西原主査
- それは指導ノートの中に溶け込んでいるわけですね。
- ○杉戸副主査
- この教材例では先ほどの,多言語対応の情報とかそういったものが,然るべきところに溶け込ませてあります。それが,今,議論のポイントである3ページのこの図の中では,「?イラスト・写真シート」,「?活動シート」の並びで四つ目に「?別表,参考資料等」としてかっちりと見えてしまっています。これは体裁上の話かもしれませんが,いいことかどうかということが気になりました。本日の配布資料2「教材例集について(案)」の「05 地震だ!」を扱う場合はこうなるけれども,例えば1ページにありますが
「(11)タクシーに乗る」だとどうなのかということが気になります。教材例の内容によって「?別表,参考資料等」の扱い方が変わるんだろうと思います。教材例によって扱いが変わるのであれば,それが分かるように3ページの図でも書いておいた方がいいだろうと思いました。せめて「?別表,参考資料等」の「?」という番号だけでも外すとか,そういうようなことがあるのではないかと思いました。 - ○西原主査
- これは要検討ですね。
- ○加藤委員
- それと同時に,配布資料2「教材例集について(案)」の5ページの図からは3ページの図にある「より熟達した行動へ」という丸がなくなっています。
- ○西原主査
- 「より熟達した行動へ」というのは,この教材を学習した結果でもあるし,それから,ここまで学習は行かないんだけれども,より余裕のある場合にはこういうこともあるということを示すために?がくっ付いています。そうすると,やはり杉戸委員がおっしゃったように,丸で囲まれた「より熟達した行動へ」や「?別表,参考資料等」は必ずあるのではないので,点線にするとか工夫が必要でしょうか。
- ○杉戸副主査
- ある時期の案は,点線でした。
- ○西原主査
- そうですね。ここは点線の丸にしたり,点線の四角にするということがもしかしたら必要かもしれないですね。
- ○杉戸副主査
- さらに,今の加藤委員の御意見に追加して言うと,「より熟達した行動へ」という3ページの左下のこの丸の文言は,「活動シート」の単位の中で「より熟達した活動を提示する」とか,あるいは「ことば・表現シート」で,「より難易度の高い段階の語彙を出す場合に使う」とか,そういう意味で使っていた表題でもあったんですね。ですから,そういうことを思えば,先ほどの「別表,参考資料等」が必ずかっちりした枠組みとしてまとめたページを取るのではないということと同じで,「活動シート」の中でも,次の段階の進んだ活動は,その都度埋め込んでいく,必要なところに分散して入れていけると思います。だとすれば,この3ページの図の一番下の「より熟達した行動へ」というこの丸は,点線とか,別の表現の方がいいのではないでしょうか。
- ○西原主査
- 色を変えてホープ(hope)印にするとかですね。そういう工夫が必要かもしれないということですね。
- ○杉戸副主査
- そうですね。
- ○嶋田委員
- 私もまだ熟読していないのですが,配布資料2「教材例集について(案)」をぱっと見たときに,「より熟達した行動へ」という表現を見て,さらにより高い行動ができるという意味だと思っていたのですが,それだと実際に取り上げられている内容と合わないと思っていました。19ページの下を見ると,括弧の中に「より熟達した行動へ(発展的な活動の例)」とありますが,「災害伝言版の使い方を知る」と言うと,更にただタスクがあるのか,本当に熟達した行動になるのか,その辺の意味合いがよく分からなかったのですが,今,杉戸副主査がおっしゃったように,この文言を変えればよいと思います。
- ○西原主査
- むしろ,「発展的な活動」と書き変えてしまった方がいいのかもしれないですね。
- ○嶋田委員
- そうすると,時間あるいはまた余裕があった場合の活動ということですね。
- ○西原主査
- 「より熟達した行動へ」というのが少し分かりにくいのかもしれないですね。そうすると,配布資料2「教材例集について(案)」の19ページ,「?」は,括弧の中に「発展的な活動」とありますが,そちらを前面に出した方が,教室活動としてはより鮮明にその範囲を示すということになるかもしれないですね。
いかがでしょうか。そのような感じでしょうか。その部分が除かれたものが,5ページの冒頭に転写されていますけれども,このような感じで各教材の第1ページ目があるということについてはいかがでしょうか。つまり,「地震だ!」について明日やってみようというボランティア教室の場合は,配布資料2「教材例集について(案)」の5ページ目を最初に見るわけです。そこには指導ノートが何ページから何ページにあって,それから活動シートと融合した形で教室が展開されるだろうという内容になっています。それから,「生活上の行為の事例」というので,全体的な目次との関係を示し,そして教室活動の目標,狙いについてその説明は指導ノートにあるのですが,ここにとにかく参照部分を書いているということになっているわけです。
もちろん5ページ目を学習者と共有していただいてもいいのですが,実際に活動,イメージを膨らませるというところは5ページではなくて6ページのところから,「イラスト・写真」で,「こういうことについてやるんだ」ということをイメージしていただくという構成になっています。 - ○春原委員
- 配布資料2「教材例集について(案)」の5ページで,一つ目のブルーの丸の中には「イメージをつかむ」と書いてありますね。
- ○西原主査
- はい。行為のイメージをつかむということなんですけれども,そこまで言ってしまった方がいいですか。
- ○春原委員
- ここに具体的な写真が来るのではなくて,ここにはどの教材例でも「イメージをつかむ」と書いてあるんですね。
- ○西原主査
- 「イメージをつかむ」,「体験・行動する」,「ことば・表現を知る」という表現がいつもいつも出ていて,そして,6ページを見ると,そのことが「イラスト・写真」のシートで実現するでしょう,「体験・行動する」というのは7ページ,8,9,10,11,12ページの活動シートで実現するでしょう,そして,「ことば・表現を知る」というのはシートというのは13ページにシートがありますよというように在りかを示しています。各教材例の1枚目がマップのようになっています。これは,それぞれの教材例の1ページ目をこういう構成にしようかという提案なんです。
- ○小山委員
- 配布資料2「教材例集について(案)」の5ページ丸のイメージなんですけれども,これは必ずしも教える順番を示しているわけではないんですよね。イメージを知らせて,体験・行動を知らせて,その後,「ことば・表現」を知るというのではなくて,イメージをつかむ中で「ことば・表現」を覚えていくということですか。
- ○西原主査
- 何しろ,この教材例集あるいはカリキュラム,ガイドブックで示しているのは,言葉をうのみにしてそれを丸暗記したらいいということではなくて,「「地震だ!」と言うときに,何をしなければならないかということを学ぶ教材なんですよ」ということです。ですので,配布資料2「教材例集について(案)」の6ページ目の写真は「あ,生活の中でこういうことが今回の学習の内容なんだな」ということをイメージしてもらうという意味でのイメージです。
- ○岩見委員
- 教室活動の展開として,まず「イメージをつかむ」というのが,冒頭に来るという意味では順番があります。「イメージをつかむ」ことが一番先に来るという考え方なんですけれども,その次に実際に体験・行動をしてみるということがきます。ただ,「ことば・表現」については,その都度,相手の学習者に応じてどのように出していくかということになるので,教材例の順番通りにしてくださいという意味ではなく,「ことば・表現」は教材例の後ろの方にまとめたけれども…という意味ですね。一番にはイメージをつかむ,それから体験するというところは順番になって,教室の展開としてそのように流れていくということが指導ノートに書かれています。言葉は全体に散らばらせる形で,最初は出ていたんですけれども,それも恐らく量的に多いところと少ないところもあって,その統一が少し学習者によって違ってくるので,それは後ろにまとめて,適宜出して使っていくというような使い方の提案をしているわけです。
- ○西原主査
- 従来の学校イメージと言うか学校での学習イメージを「先生が教え込む」と要約できるとすれば,それではないということです。それを強調したいがために,あえて「ことば・表現」というのを後ろに下げているということですね。
- ○小山委員
- このイメージというのは,例えば地震の話でいくと,どこまでをイメージするわけですか。地震そのもの,つまり「地震というのはこういうものだ」というイメージなんですか。それとも,避難するとかそういったことまでイメージするのでしょうか。
- ○西原主査
- 活動全部を含むイメージだと思います。ですから,配布資料2「教材例集について(案)」の8ページから12ページにある活動シートの中には,非常用のカードだとか地震体験だとかがあります。それらのことをイメージできる,そして,それは日常生活の中のこういう部分なんだということを納得して,それから学習が始められるっていうことではないかと思います。ですから,これはビデオでもいいんです。できれば動画の方がいいかもしれません。ただ,今はペーパーメディア(paper media)と言うか紙媒体で出しますので,どうしても写真みたいなものになってしまうということです。
- ○嶋田委員
- 今,学校ですら,文型とか言葉の前に,この課では何をやるのかということをまずイメージ化して,そしてタスクを行うということになっています。まさにそれを具現化しているんだと思います。
- ○岩見委員
- これは,「本当に分からない」,「体験したこともない」人もいるので,どのぐらいイメージできないかということも含めて,指導者側はそれを踏まえて活動に取り掛かるための導入部分,一番最初の部分という位置付けだと思います。
- ○尾﨑委員
- 実際にこういうものを使ってどういうことが起きるんだろうかと考えると,例えば,配布資料2「教材例集について(案)」の6ページにイラストが入ることになっています。例えば3枚のイラストがあって,イメージします。それぞれ人はイメージを持ちますよね。イメージした後で,「何か言わなければいけないだろう」とか,「何か言うだろう」ということで,「地震」という言葉が分からなくても,当然,これを見れば,「ああ,地震が今日の話題なんだな」ということが分かります。そこで言葉が分かんなかったら,言ってあげたりとか,そこで何かは起きます。
ですが,このイラストを通して,「これは○○ですよ」というように言葉を教えるような形の活動はしません。一通り,教室活動を行ったときに,教室に来た外国の人が「ああ,地震が来たときにはこういうことに気を付けるんだな」とか,どういう情報が自分の母語でどこで得られるのかということと合わせて,「緊急避難」という言葉だけは覚えて意味が分かったとか,「逃げる」というのは言えるようになったとか,終わったときにそういうことが起きればいいわけです。ですから,初めからイラストや写真を見せて,「これはこういう単語だよ」という形での活動はやらないようにしようという発想です。見て,イメージを持ったら,何か言うでしょうから。でも,そこでイラストの説明をボランティアがするなんてことはやめましょうということだと思います。 - ○嶋田委員
- さらによいのは,自分の物を持ってくるということ,地域ではそういう活動もあるんですね。教材例集はそういうことも示唆していると思います。本当に,一つのものを見て,そこから話が始まるんです。自分たちが持っている言葉を使って,ここで今知らないことがたくさんあっても何か語り,そこから学びを始めるというようなことがこの教材例集の理念だと思うんです。
- ○小山委員
- いや,何かと言いますと,愛知県は地域的に地震が起きやすいとか言われており,外国人に対する対策をどう考えるんだということをいろいろ言われているわけですけれども,行政から出す情報というのは限定的で,全てのことを多言語で出すということは緊急事態の際にやれるとは思えないです。やはりある程度能動的に外国人の方から行動していただいて情報を集めてもらうということが,どうしても必要になると思います。そうなると,やはり日本語ですので,行動できるような日本語をどうやって身に付けるかというのはとても重要だと思うんですね。ですから,どういったイメージで教えられようとしているのか,私は専門ではないので,なかなか理解が難しくてすみませんけれども,今のお話ですと,何が起こって,自分はどうしたらいいかというイメージをまずつかんで,その上で言葉を覚えるということなんですかね。
- ○西原主査
- 今,嶋田委員や他の委員がおっしゃったように,使い方は実は自由なんですね。自由なんですけれども,一つ,とにかく,言葉を教え込んで丸暗記をすればそれでいいという教育スタイルでないということを,この教材例を通して是非定着させたいということがあります。ですので,「イメージ」と言うと,少し分かりにくいかもしれないですけれども,ここから教材が始まるということになっています。
- ○加藤委員
- 今,小山委員がおっしゃったように,外国人の方には能動的にいろいろ動いてもらいたいです。まさに,教材例の意味とはそういうことで,こちらから「この単語ですよ」と言うと,こっちが示した範囲でしか学ぶことはないわけですよね。そうではなくて,この写真やイラストを見て,学習者が,「あ,そういえば地震のあのことは何て言うんですか」と聞くかもしれない。そしたら,「それをじゃあ日本語で…」といった活動も展開されていくと思うんですね。ですので,おっしゃるような方向の教室を考えると,こういう形は有用ではないかと思いますし,配布資料2「教材例集について(案)」でも実際にそうしていますけれども,こういった提示の仕方になってくると思います。
- ○西原主査
- 「ウォーミングアップ(warming up)」という言葉も業界用語だと思うのですが,そういう,いわゆる業界の片仮名用語というのを駆使するのはやめようということも大方針の一つとしてあります。それがかえって分かりにくくするという危険もあるんでしょうか。
- ○山田委員
- 配布資料2「教材例集について(案)」で今回提示しているのが,地震で非常に重要なことですが,教材としての地震というのはイメージがつきにくいと思います。これが例えば栄養素の勉強をこれからしようというときであれば,一番最初のところに例えばケーキの写真があったり,魚の写真があったりして,「これを食べたことありますか」といった話から入り,「食べてどうだった?」というところから,みんなでこれからやることが何なのかということがだんだんつかめてきて…。
- ○西原主査
- 「これ食べたら太った」,「これだったら大丈夫だった」とか,そういうことですよね。
- ○山田委員
- そうです。「これが好きです」とか言いながら,「じゃあ,栄養素の勉強をしましょう」という段取りになります。最初はイメージでキャッチ(catch)して,みんなのモチベーション(motivation)もそこに向かっていきながら,「知っていることを話し合いましょう」ということになり,自分も一緒に参加しながら,「一つの授業」と言うと変かもしれないけれども,活動を作り上げていくということが行われます。その入り口だと思ったらいいのではないでしょうか。
- ○西原主査
- 入り口ですね。と同時に,出口のところでもう1回これに返ってくるということもできれば,これは結構自由に使い回せるものですよね。
- ○杉戸副主査
- 今のお話を踏まえて,配布資料2「教材例集について(案)」の6ページの一番上の太い四角で囲ったところの「イラスト・写真」という見出しの付け方が,どういう情報を出しているのかはっきりしないと思います。ここに「イラスト・写真」という表現で表題を付けるのではなく,何か別の工夫が必要だと思うんですね。「地震だ!」というのは,前のページにもう出ています。で,「地震だ!」というこの「(05)」という番号の教材例で扱うのはどういうことなのかということを,6ページというその1ページのこの「イラスト・写真」で示すんだということをこの黒枠で囲いたいわけですね。「何をするか」でしょうか。
- ○西原主査
- 「どうする?」とかでしょうか。
- ○杉戸副主査
- 少し固い言葉で言うと,「扱う生活上の場面はこれ」ということになると思うのですが…。
- ○西原主査
- 分かりました。それでは,この用語についてもう少し検討が必要ということですね。
- ○杉戸副主査
- それから,同じレベルのことが配布資料2「教材例集について(案)」の13ページにもあります。ここの「ことば・表現」もやはり気になっています。実線の枠で「ことば・表現」とあって,点線の枠で「ことば」とあるのですが,点線の枠の中にはなぜ「表現」がないのかということです。「地震だ!」の方は「表現」となるべきだろうと思います。それも少し工夫が必要かなと思いました。
- ○西原主査
- そうですね。「地震だ!」というのは表現ですね。
- ○杉戸副主査
- だとすれば,点線の「表現」というのがあっていいということです。
- ○嶋田委員
- これは結局学習者に渡しますよね。イラストとかは渡さないのでしょうか。
- ○西原主査
- 幾つかの段階がありまして,最終的には学習者と共有すると思いますけれども,これだけが学習者に行ってしまうかどうかということについては,それぞれの教室のやり方だろうと思います。
- ○嶋田委員
- 可能性もあるということですよね。
- ○西原主査
- 可能性はあります。
- ○嶋田委員
- それから,せっかくこのような教材例を作っていますが,この5ページとほかのシートのつながりが非常に悪いと言うか見えにくいと思いました。文言だけではなく,何かこの「イメージをつかむ」という部分について,アイコン(icon)か何か分かりませんけれども,「あ,これがここなんだな」ということが,もう少し分かりやすく見えるといいかなと思いました。せっかく「この三つの丸がこうあって,最初が「イラスト・写真」ですよ」ということは,作った方には分かるんですが…。一目瞭然になると―アイコンを付けるのがよいかどうかは分からないんですけど―印が付くことによって少し違ってくるのではないかと思いました。
恐らく,見せ方の話だと思うんですけれども,学習者に渡す・渡さないは別としても,「学習者が見ても分かりやすい」という視点があると,もう少し違って見えるかなと思いました。 - ○西原主査
- 横浜サミットが開かれたときに,横浜市または企画者が,イラストマークを案内に描いてたのですが,それがとても好評だったという話がありました。ですから,ページに何とかマークというのが付くといいのですが…。
- ○嶋田委員
- この部分がこの部分に連携するということが何か分かると…。
- ○西原主査
- 典型マークのようなものがあるとガイドラインになりますね。それがガイドになって,「あ,ここをやっているんだ」ということが分かるということです。
では,日本語教育小委員会ワーキンググループで,今の表現やアイコンにつきましては,考えることにいたします。
全体的な構成として,教材例集にはこういう部分を含むということについてはいかがでございましょうか。このような感じでしょうか。実は,文言等の修正はあってもこのようなものを含むということで,このような出し方について合意いただけますと,今まである原稿等を日本語教育小委員会ワーキンググループでこの様式に整えていくということを始めたいと思います。
それが最終的な形になるということではなく,「こんなような部分を含むもので,このような順序立てで,このようにシートができていき,こうなる」ということを大原則としてお認めいただけましたら,これから作ることになっているものについても,協力者の方にこの形を踏襲してくださいと言うことができます。ですから,これは要らないとかいう御意見がなければ,少なくともこういう構成要素を大体このような形で作っていくということにしたいと思うのですが,いかがでございましょうか。それはよろしいでしょうか。
実は,参考資料1「日本語教育小委員会における検討内容の大枠とそのスケジュール」を見ていただきますと,一番上のピンクの部分が「教材例」のスケジュールなのですが,ゴールは10月となっていて,今は6月の半ばですので,今回はこのようなことで大原則行ってよろしいかということを御承認いただきたいと思っています。いかがでございましょうか。それぞれどの部分を持っているかというようなことについて,またそれをどう表すかについては工夫が続くということを大前提にしています。 - ○春原委員
- 活動の数というのは,各テーマ,大体三つから四つぐらいで作っているわけですか。
- ○西原主査
- 大体そのぐらいだと思います。ただ,すぐできるようになりそうな生活上の行為が並んでいるところはもう少し少ないかもしれないですし,できるようになるまでに時間が掛かりそうな生活上の行為のところはもう少し多いかもしれないです。大体三つから五つ,または二つから六つといった幅があると思います。
先日の日本語教育小委員会ワーキンググループでも問題になったのですが,「単位」と言うかどうかは別として,標準的なカリキュラム案では「30セッション(session)/60時間」で一つの区切りが付くということを提案しています。そうだとすれば,これだけのことを2セッション―何時間ずつかは分かりませんが―2回ぐらいでまとめられるという可能性も捨ててはいけないという議論が日本語教育小委員会ワーキンググループの中でありました。 - ○春原委員
- そうすると,当然活動数もそうですし,この「ことば・表現」の,特に写真とかが入ると,どうしても情報量が減っていきますけれども,その辺りも大体,1ページぐらいに収まるという形ですか。
- ○西原主査
- そうですね。例えば「健康・安全」のところで,病院にある何とか科の名前のリストと,それから,そこに行くべき症状のリストが出てきまして,それらをすべてイラストするという提案もあったんですけれども,日本語教育小委員会ワーキンググループ委員のみで検討したときには,巻末に「ことば・表現」を整理するということと,「ことば・表現」は活動の中で広く取り上げていくということのどちらかについて取捨選択していかないといけないのではないかという話になりました。そうすると,先ほど私が言いましたけれども,巻末のワードリストみたいなものと活動の中で活用できる表現とは,仕分けする必要があるかなということがあります。
- ○春原委員
- 各課の構成で当然多い少ないはあるんですけれども,やはりある程度そろえた方が,使う方も習慣化しやすいかなという気がします。
- ○西原主査
- そうですね。全体3ページのところと全体が15ページになってしまうところがあるというようなことはない方がいいということですよね。ただ,事柄の軽重というのはどうしてもありますよね。公共の交通機関を利用するというのは,ノウハウ(know-how)が分かればいいけれども,例えば地域社会に参加するというのは,大きく切られたところでどうしようもないということもあります。ですから,それをどうするかということは,ページ数の差になって出てくる可能性はあると思います。
- ○春原委員
- もう一つ,過去,やはりこういう教材を作ったときにいつも思うのですが,こういうところに出てくるサンプルは,作りやすいものがどうしても出てきます。そうすると,恐らくこの構成で作りにくい,先ほどの地域社会もそうだし,他人と円滑な関係を結ぶというのはどう作るのかとか,テーマの中で,この地震というような,ある程度行動の仕方がパターン化できるものと,ものすごくそれが人によって違ってくるものがあります。地域によって違ってくるような自由度の高いものと,恐らく,この構成でそういう全く違うタイプのものを両方やってみて,どこまで構成を統一することができるかということについての検討も必要かなと思います。恐らくやってらっしゃるとは思うのですが…。
- ○西原主査
- 今のところは,こういった部分を含むという構成で行ってみたらいいんじゃないかという提案をしています。ただ,分量は,柔軟にということを協力者の方にもお願いしていています。それから,指導ノートについては特に柔軟に,とにかくこれが重要というメッセージをこれから教室活動をしようとする人に伝えるということで,恐れずに書いていってくださいというお願いしています。ですから,指導のノートが1ページで終わってしまう部分と5ページになる部分とが出てくるのですが,それはやはり,これから活動を支援しようという人にとっては,その量によって心構えを
慮 っていただかなくてはならない部分があります。だから,「検定教科書を作るんじゃない」ということが合言葉にもなってますし,「これはこれだけ」と切っていくことは余りしたくないと思っています。 - ○春原委員
- その辺りは大丈夫ではないでしょうか。
- ○西原主査
- そして,これがまた一つ心強いのは,参考資料1「日本語教育小委員会における検討内容の大枠とそのスケジュール」の一番下に,「カリキュラム案データベース構築作業」とあるように,データベースになってホームページに載るということになっています。そうすると,深く掘ることも浅く掘ることもかなりの程度で可能になります。今は紙媒体で出しますので,量について心配しなくてはならないですが,ホームページに掲載する際には余り量の心配はしなくて済むだろうということです。ですから,今拾えなかった部分もここでは拾ってもらえるのではないかと少し楽観的に考えています。
- ○山田委員
- さらに,机上配布資料の「標準的なカリキュラム案」と連動していて,「人と付き合う」ということがたくさん取り上げられていますけれども,標準的なカリキュラム案で取り上げていることを教材化しているということでいいんですよね。
- ○西原主査
- そうです。ですから,非常に限定的ではありますが,標準的なカリキュラム案の12ページ,13ページの中から,行為をバランス良く拾いましょうということと代表的なものを取りましょうと作業の後で,配布資料2「教材例集について(案)」の1ページ目ができ上がっています。標準的なカリキュラム案の12ページ,13ページから離れてはいないけれども,そこよりも大きなものは含んでいないということです。
では,少し能力評価の話もしておきたいので,もし本日の会議で言い忘れたような御意見があるようでございましたら,事務局にお知らせください。御意見を頂きましたら,日本語教育小委員会ワーキンググループで取り上げて議論をし,また形を変えたり,形にしていくということをしたいと思います。ただ,大枠,本日の配布資料2「教材例集について(案)」とそれについて頂いた意見から大きく離れないような形でしていいということを御了承いただいたと考えてよろしいでしょうか。 (⇒了承)
それでは,「イラスト・写真」についても,その行為がイメージできるイラストあるいは写真ということで,動画になれば一番いいのですが,ペーパーメディアで動画というのは少し難しいので,イラストになるか写真になるか,どちらかだろうと思います。それについて何か,こうあってはならない,あるいはこうあってほしいというようなことがありますでしょうか。よろしいでしょうか。 - ○尾﨑委員
- 揺れているときに飛び出す写真って,どうやって撮るのかなと思いました。イラストだから分かるかなとは思ったのですけれども…。
- ○西原主査
- 道路が割れているイラストとか,避難場所を示すマークのイラストなどがありますでしょうか。マークのイラストは簡単にできると思うのですが,揺れているイラストというのは大変でしょうし,地面が割れているなど,現在進行形というのはなかなか描きにくいですよね。では,とにかく最大限イメージが膨らむようなイラストないし写真を示すこと,それを見て,とにかく,何にもやらないうちからも学習者が関心を持ってくれるものが必要ですよね。「あ,確かにこれは大切なのでこれについて学んでおく必要がある」と思ってくれるものが出ているということではないかと思います。
この頃,文部科学省が出す検定教科書も,本当によくできていると言うか,さすが検定を合格するだけのことはあるなというような感じで,きれいなものが随分出てきているので,そういうことからも学んでやっていくという話だと思います。 - ○嶋田委員
- 一言いいでしょうか。配布資料2「教材例集について(案)」に関しては全く何もなく,素晴らしいと思うのですが,今回はイラスト・写真で仕方がないと思うんですけれども,やはり現場で欲しいのは動画です。授業でも常に教師がそれぞれいろんなところから取ってきて使っています。今後,文化庁で,初級でも中級でも是非そういうものを来年度なり,またこれに沿ったものでお考えいただけると,様々な現場がやりやすくなるし,学習者にとってもよいと思います。
- ○西原主査
- NHKがメディアライブラリーを広く開放していて利用できるという情報も実はあります。多くの部分について著作権フリーになっていて,使ってよろしいと言われているのですが,今回はペーパーメディアですので…。
- ○嶋田委員
- ええ,今回の話ではないです。ネットに載るということですと,来年度ですね。
- ○西原主査
- いくらDVDを付けたとしても,今回は時間的に無理です。
- ○嶋田委員
- はい。これ,今お話ししたのは,来年度以降に予算を取ってお願いしたいということです。
- ○西原主査
- そうですね。ただ,その存在,つまり,「これについてDVDが欲しければこういうところでチェックできますよ」といった情報は,付けておく必要があると思います。ですから,意欲的な先生であればそれをダウンロード(download)してコピーして使えるようにしておくこと,そのために著作権フリーであることが保証されているものであればいいと思うんですね。
文化審議会の中には著作権分科会というのもありまして,著作権について厳密な審議が行われています。文化庁が出すものについてそういう危険を冒すことはできませんので,フリーなものについて,その在りかは示せると思いますし,これでデータベースがどの程度そういうものを直に指し示すかということについては,来年度以降のデータベースに期待できると思います。 - ○仙田日本語教育専門職
- 参考にさせていただきます。
- ○西原主査
- よろしくお願いいたします。それでは,恐れ入りますが,能力評価についての検討に移りたいと思います。
机上配布資料の「標準的なカリキュラム案活用のためのガイドブック」の中では,プログラム評価と,学習者評価と言っていいかどうか分かりませんけれども,学習達成評価とが混在していますが,ここでまずは,学習達成評価と言うか学習者評価について,ガイドブック,教材例の次に出ていくものとして,どういうものがふさわしいかということについて個人的で結構でございますので,御意見を賜りたいと思います。どういうことをこの日本語教育小委員会が出す能力評価に期待するかということについてです。それから能力評価についての指針というのもあると思います。今,事務局からの説明にありましたが,能力評価の結果が何に使われるかということは考えないでいただいて,そういうことではなく,この日本語教育小委員会がこれらの提案の後に出す学習者能力評価の概念及び方法,あるいはどうあるべきかについて,御意見を賜りたいと存じます。そのようなことについて,実際にいろいろと御経験のある皆さんだと思いますが,そのことを改めて御自由に御発言いただきたいと思います。 - ○杉戸副主査
- 具体的にそういう評価をした経験がないという立場から,机上配布資料「能力評価に関するヒアリングの取りまとめ」を見せていただいています。今回,この日本語教育小委員会がまとめるべき評価についての枠組みの話とか理論的な話は,この机上配布資料「能力評価に関するヒアリングの取りまとめ」の中でいろいろなところの具体例が出ていて,そこで説明されていることで何か記述できるのではないかと思います。非常に
僭 越な言い方ですけれども,具体的な理論とか枠組みだけの話であれば,それはかなり情報は手持ちとしてあるという段階に今いると思います。
で,ここから先が意見なんですけれども,本日の日本語教育小委員会の前半で話題になった教材例ですが,これを具体的に扱い,この教材例を実際に使ったときにどういう評価があり得るかということを具体的に示すというのはいかがでしょうか。教材例集では生活上の行為の事例を12ぐらい選ぶことになります。例えば「地震だ!」というところで,どういう活動の力が必要か,それがどのように身に付いたかという評価,あるいは,どのように評価すればよいかということを具体的に示すということです。そういう具体例を幾つか積み重ねていく,その積み重ねは飽くまでもこの教材例集で扱う生活上の行為の場面を例として扱います。そこに幾つか評価の類型化というようなことが見えてくればしめたものだと思うんですけれども,そういう枠組みを示していくという姿勢があっていいのではないかと思います。
つまり,それは,この日本語教育小委員会が何年か掛けて積み上げてきているこのカリキュラム案からガイドブック,それから教材例と,その流れの中で評価ということを示すとすれば,「抽象的な」と言うと語弊がありますが,理論的に項目を列挙するというのでは何だか物足りないと思います。教材例まで来たこの流れに沿って評価を具体化する,具体性のある評価の様々な姿を提言するということはいかがでしょうか。それがよいのではないかと私は思います。
その中で,評価について議論される中で,いろんな人が評価していい,評価しなければならないということがあります。学習者自身が自分のことを評価する,あるいは一緒に勉強している友達や仲間が評価し合う,あるいは日本語の母語学者がどう評価するかというような観点も入れていいだろうと思います。誰が評価するかというようなことも,その評価の中で多様性,広がりを持たせて,実例として示すこともできそうに思います。そういったところで,要は,具体的な例を示すという姿勢を持ったらいいのではないかと思いました。 - ○西原主査
- 今は,何を評価するかという範囲と,それから,誰が評価するかということを御意見としてお示しくださいました。そのほかに,どう評価する,「How」の部分も当然あるわけですよね。そのほかに,何のためにというところが,やはり大切になります。本日の日本語教育小委員会では,そういう範囲で,日頃思ってらっしゃることが,どこに当てはまるかということは少し置いておいて,御意見を賜れればと思います。
- ○嶋田委員
- まだ思い付きの段階ですけれども,誰が評価を行うのかという部分は様々だと思うので,やはりできるだけシンプルに,分かりやすいものにすることが大事だと思います。
何のためにということは,やはりこの教材を使ってということですから,これを使った結果どれぐらいできるようになったかということを評価することになると思うのですが,それに加えて,やはり学習者がそこから次の学びにつなげたいと思うようなものであってほしいと思います。
そして,どう測るのかということについては,今の考えでは,やはりキャンドゥーステートメント(can-do-statements:能力記述)になるのではないかと思います。本日の配布資料2「教材例集について(案)」を見ていると,5ページでも「教室活動の目標は地震発生時に適切に行動できるようにする」,つまり「することができる」ということですよね。ですから,やはり,学習目標にリンクしたものであるとなると,やはりキャンドゥーステートメントだと思います。ただ,それをどのようにしていくのかということについては,キャンドゥーステートメントを何段階にするか等,いろいろ議論すべきことはあると思うのですが,キャンドゥーステートメントを使用するというのが一つの方法かなと思います。飽くまでもやはり学習目標,行動目標,この課の学習目標に合ったものにするということがあるのかなと思いました。 - ○西原主査
- 小山委員は,日本語教育の世界と言うよりも,自治体で受け入れる立場におありですが,何が分かっていると市民としての幸福度が測れるのかなどありますでしょうか。
- ○小山委員
- それについては,余り日本語教育に絡めて論理的には言えませんけれども,やはり現場で見て,いろいろ話を聞いていると,日本語の教育の成果を上げるということの一つに,本人のモチベーションがあると思います。本人のモチベーションを維持することが非常に難しいということが言われています。ですから,出た結果が次のステップに―今,日本語能力試験がありますけれども,N5,N4,N3というように数字で示されても,どうも,次に自分が何ができるのかということが分からないということになります。やはり具体的に,自分はこれができるんだということが本人にはっきり分かるということが必要だと思います。
あと,実際に現場で教えている人たちはボランティアの人たちで,日本語教育専門家と言うよりは,熱意を持った人たちがたくさんいるわけです。そういった方は行政としては重要だと思うものですから,必ずしも高度に専門的でない方にとっても,「あ,自分はうまくやれた」とか,「もうちょっとでここまで行く」とか,それは教える側にとってもモチベーションが高まるようにしていただければと思うわけです。
あと,もう一つは,本人もそうなんですけれども,やはり家庭の人たちも,日本語教室があると,「行ってらっしゃい」と言って送り出します。「今日は行きたくない」とか言っているときに,「そんなことない,行ってらっしゃい」と言うためには,例えば学習者は自分の子供であったり御主人であったり奥さんであったりするわけですけれども,「一体どこまでできているのか」とか,「そこまでできているのだから,もう少しやってこい」とか「もう少しやれたらいいじゃないか」というように,家族が「ここまでやれてるのだから,もう一押しどうだ」といった感じでサポーター(supporters)になれるようなものがいるのではないかと思います。家族全員が日本語教室に行くというのは現実的になかなか難しいことがあります。先ほども地震の話がありましたけれども,家族の中で一人,しっかり日本語ができる人がいれば状況はまた随分変わってくると思うものですから,やはりそういったように周りが学習者のモチベーションを高められる,具体的な一つの目標みたいな形で出していただけるといいかなと思います。
それを一体どうやって出すのかということについてはよく分かりませんけれども,私どもとしては,そういう評価基準を作っていただけたらありがたいと思います。 - ○西原主査
- 机上配布資料5「能力評価に関するヒアリングの取りまとめ」の中に,西澤委員がいらっしゃる独立行政法人国際交流基金で取り組んでいる6段階の達成度についての資料があります。その6段階というのは,ヨーロッパ社会でヨーロッパコミュニティー(community)の中で相互に移動する場合の言語の評価を6段階にしていることと並んでいます。例えば,一つの行為についても,6段階の達成の仕方があるということですが,先ほど嶋田委員がおっしゃったキャンドゥーステートメントというのはそういうことですよね。「揺れたら逃げられる」という段階と,それから「どこへ行けばいいかというマップが思い浮かぶ」という段階と,それから,「そのことを自治体の役員に連絡ができる」ということは,全部地震で逃げるという意味では同じですが,随分いろんなことが「できる」の中に入るわけですね。それを6段階で表している世界があります。
- ○小山委員
- そうですね。ただ,番号で言われても,何がどうなってるんだということはあると思うんですね。例えば,先ほど見せていただいた配布資料2「教材例集について(案)」の「教室活動のねらい」というところに,「避難場所や避難方法の注意書きを読んで理解できる」とあるわけですけれども,注意書きといってもいろいろあるわけでして,漢字交じりの注意書きから…。
- ○西原主査
- 絵文字が分かるとかありますよね。
- ○小山委員
- ええ,それをどの辺までやれるかということについては,どうなんでしょうか。「自分1人で避難所までたどり着ける」とか,そんな基準があるのかどうか分かりませんけれども,例えばここの「読んで理解できる」にもいろいろな段階があるわけです。それを「1,2,3,4,5」と区切って,あなたは「3段階ですよ」と言われても,どうでしょうか。普通の人にとっても,関係者全員にとっても分かりやすくしていただけるとありがたいと思います。
- ○西原主査
- そうですね。この間,実は,平仮名,片仮名しか読めないけれども,運転免許の試験に受かったという人がいました。そういう人の話を目の前で聞いたんですけれども,その人はどうしたかと言うと,おしゅうとさんが全ての漢字に仮名を振ってくれたとのことです。仮名があると辞書が引けるので,それで3か月で筆記試験に合格したということです。
それで,先ほどの6段階評価ですけれども,「平仮名があれば読める」とか「辞書を引ける」とか,同じ読めるでもいろんな読めるというのがありますよね。ですから,自分にも自明だし,ほかの人にも「私はここまでできます」と言えるようなものがあればいいわけですよね。みんなが,「あの人はここだ」というものです。「だから,1級合格というのも,もしかしたら…」とかですね,知ってる人は知ってる。あ,これこれができる人なんだということです。 - ○春原委員
- 杉戸副主査がおっしゃったように理論的なことよりも,具体的なものがいいということは正にそうだと思うんですね。で,もう一つ,やはり,値踏みされるような評価というのはできるだけしたくないと思います。それは,よく授業をする前に「知識2,行動力0」だったのが学習が終わったときに「知識5,行動力3」になった,パチパチパチといったことです。そういった評価は作りやすいんですよね。作りやすいんだけれども,それは恐らく,2週間ぐらいするとまたゼロに戻ってしまったりするということがあります。そういう考え方だとカチッとしたものを作れますし,それも必要なのかもしれないとは思うんですけれども,それよりも,今,小山委員がおっしゃった,意欲とか関心とか動機とか人に伝えたいといったことが,その2時間の活動で生まれたかどうかということは,すごく大きなことだと思います。そういう「人に伝えたくなった」とか「人に教えてみたくなった」ということを見るということです。
そうすると,かなり主観的な評価になってしまって,客観性がないと言われてしまうかもしれないけれども,やはりそういう部分を大切にしていくこと,直後評価ではなくて,長期評価にわたって生活を豊かにしていく評価のあり方が生活者としての外国人に対しては大事ではないかという気がします。 - ○西原主査
- それはとてもいい御意見であると同時に,「じゃあ,どうするのか」というところにつながっていきますよね。それはどうなんでしょうか。
- ○春原委員
- 自分がそれほどできるようになっていなくても,「今日やったことがおもしろいから人に教えてみたい」とか「伝えてみたい」って強く思ったら「5」にするといったことで,いいのではないかという気がします。そうすると,教室の後も学習を継続しますよね。その1歩,扉を開いたかどうかというのが,やはりプログラムの最大の評価じゃないかなという気がします。
- ○西原主査
- 本日も日本語教育小委員会にいらしてくださっている宇佐美洋氏(国立国語研究所)が,日本語教育小委員会ワーキンググループ協力者となってくれていますが,宇佐美氏がこのごろ取り組んでいらっしゃる評価についての研究というのは,そもそも世の中で人間は何をしてしまうのか,何を評価してしまうのか,そもそも何をもって評価と言うのかということを研究されています。
特に,生活している方々に,日本語支援をしているという立場の中で,例えば世の中がその人たちをどう評価するかということ,その人たちがその人たち自身でどう評価するかということ,それから,動機付けとの関係で,今皆さんがおっしゃっているよい評価というのは,自信が付くということと,それを自分のものとしたということがほかの人にも分かるというようなこととか,いろんなことをもって評価というわけですよね。 - ○山田委員
- 私は春原委員や小山委員が言われた通りだと思います。その延長線上と言うか,「生活者の」というのが前に付くので一言申し上げます。私は,学んだことが生活の場そのもので「利用できる」だけではだめで,日常的に生活している中で,日本語教室でやったことがヒントになりながら「生活者として行動できる」ということ,そちらの方が大事だと思うんです。
例えば,これは他のところで聞いた話ですけれども,プロパンガスだったんだけれどもガスがつかなくなった。そしたら,日本語教室の非常に親しいボランティアの人に,「ガスがつかなくなった」と電話をして,ボランティアが「じゃあ,ちょっと待ってなさい」お言って,1時間掛かるところからその家までやって来たそうです。そこで,プロパンガスを取り替えた時に元栓を開けていなかったからつかなかったんだということが分かって,その人はそこで夕御飯をごちそうになって帰ったという話をしたら,そのボランティアの教室のリーダーが,「あなたがやったことはとんでもない」と言ったそうです。要するに,「そんなことなんか隣の家で聞けばいいのに,何であんたのところまで行って,呼びつけられて,そんなことをやったんだ。それが一番まずいんだ。」ということを言ったというので,私はそのとおりだと思いました。
日本語教室でやったことがそのままできるかどうかということを評価をするのは,私はそんなに大事ではなくて,日本語教室でやったことがきっかけになって隣のうちの人に聞けるとか,町内会に出てみようと思うようになるとか,「自分がやったことによって生活者として行動する気になってきたか」みたいなことが自分にも分かってくるというのが,一番いいのではないかと思います。「それで評価基準はどうするんですか」と言われると,評価基準は作りようがないと思います。それよりも,自分が自分で評価して「やる気になったら○を付ける」といった形にする方がいいんじゃないかと思います。 - ○嶋田委員
- 私は評価ということについては,配布資料2「教材例集について(案)」で取り上げているように一つ一つの教材例に対して行うものだと思っていたのですが,60時間学び終えたときの話ですね。
- ○西原主査
- はい。「60時間」と言うか,ある区切りを終えた後についてです。例えば,どのように評価するかということは,「いつ評価するか」ということも入ってくるんですけれども,それはどうでしょうか。一つの生活上の行為について学び終えたときにそれぞれ評価するということもあるでしょうし,全部終わったときに評価するということもあるでしょうし,1年に一遍評価を行うということもあり得ると思います。
- ○嶋田委員
- ただ,思ったことは先ほどと同じで,やはりキャンドゥーステートメントで自分は何ができるようになったかということが大事だと思うのですが,山田委員がおっしゃったところもすごく大事な視点だなと思いました。ですので,キャンドゥーステートメントで評価を行うにしても,大きなくくりで評価をしていけばいいということですよね。
- ○西原主査
- そうですね。
- ○嶋田委員
- キャンドゥーステートメントの枠については,大きくしたり小さくしたりできますから,そこを拡大というか大きい枠で扱うこと,そうすると少し抽象化してしまう部分もありますけれども,今,山田委員の意見を聞き,先ほどうまく表現できていなかったと思い,補足しました。
- ○西原主査
- ということは,大体自己評価のことですよね。自己評価が大切というような流れ,つまり,自分ができたと思うことが大切というような御意見ということでお聞きしました。
- ○嶋田委員
- でも,それが他者と共有できることが大事ですよね。
- ○山田委員
- 「できた」よりも「しようと思うようになったか」という点が大事だと思います。
- ○西原主査
- そういうチェックリストというのはいかようにもできますよね。「やってみようと思うようになりました」というところにチェックできるか,それとも,「本当に自信を持ってほかにも伝えられる」というところにチェックできるか,両方にチェックできるかというような自己評価表があればいいわけですね。自己評価としてはそれを活用できます。
それでは,社会として,「この人はこういうことができますよ」ということを認定しなくていいのかという部分についてはどうなんでしょうか。 - ○西澤委員
- そこの問題があります。指導者自身がボランティアであるにせよ何にせよ,自分のやった教室活動の結果,その人たちがどういうことができるようになったのかということを客観的に知り,自分の教室活動そのものをよりよいものにしていくためのツールとしての評価ということも必要です。学習者が自分の学習意欲を継続させ,強化していくために,「自分がここまでできるようになったよ」ということを確認していくための評価も必要だし,社会全体が「この人はこういうことができる人なんだ」ということを客観的に認めて,そのことによって,社会の中で「あの人にはこれは注意してあげなきゃいけない」,「この人はここまでは任せられるよね」ということをみんなが認識できるようになることも必要です。ですので,そういう評価にまつわるいろんな事柄を,指導書との関係で,どういうことがあるのか,どういうことをどういう方法で確認していくのかということを,恐らく,教材例集に則して提示してあげるという作業,その枠組みを作成して具体例に則して提示してあげるということが大切なんじゃないかなという感じがします。
- ○西原主査
- ということは,評価ガイドブックみたいなものが出てくるという話でしょうか。
- ○西澤委員
- ただ,余りガイドブックみたいな感じにすると…。
- ○西原主査
- 先ほど事務局がプログラム評価と学習者評価というのは表裏一体と言うか,不可分だとおっしゃいましたが,今の話は学習者評価が実はプログラム評価にもなっていくというお話でしょうか。
- ○岩見委員
- 今まで出た御意見の中で,日本語能力基準を作っていくということについて,レベルで表すことも可能だと思います。先ほどから触れているように,それをどう測定するか,その「どう」という部分がとても難しい,行為の達成を測っていく,できたかできなかったかをどう測っていくかということが難しいです。「地震のとき,適切な行動ができる」ということをどう測るのか。実際に地震を起こしてみるわけにはいかないし,やはりそこに自己評価であるとか,今出たようなところがどうしても加わざるを得ないという面があると思います。あと,ポートフォリオ(portfolio)評価と言うのでしょうか,ここに今まで出たような,実際社会参加に結び付くかどうかとか,そういうことをヨーロッパの例の証拠品になるように「実際にこういうことをしました」,「学校のお便りを読んでこういう連絡をしました」というようなものをそこに付けるのか,「どう」という部分がかなり難しいと思うんですね。
- ○尾﨑委員
- 一番初めの事務局の説明にありましたが,ここでの議論は何らかの公的な性格を持ち得るような試験を作るということとは,はっきり切り離そうということでした。そうすると,杉戸副主査がおっしゃいましたが,せっかくここまで積み上げてきた我々のプロセスの中で評価というものを捉えようという話ですから,まず,そんな「カチッ」としたものを作る必要もなさそうだし,作ろうとすればするほど,やってきたことと矛盾しそうだなと思います。
さらに山田委員がおっしゃったことはまさにそのとおりで,結局,突き詰めて言ってしまえば「日本語教室で日本語なんて教えられないんだよ」という感じだと思うんです。そこまで考えてしまうと,評価と言ってることが,何となく私が思っていた評価とは大きく違ってきています。学びにつながる評価について,先回の日本語教育小委員会でも金田委員から発言がありましたし,他の委員もそのようですし,嶋田委員もおっしゃいましたが,こういうプログラムを一応利用して地域のいわゆるボランティアの方が一緒に活動を行ったときに,やった後に「どうだったんだろうね」って振り返りをしたり,「次にどうしたらいいんだろうね」って話し合いをするときに,うまく入れるための仕掛けと言うか,素材と言うか,そのときの考え方と言うか,そういったものが比較的分かりやすく出るといいんじゃないかなと思っています。 - ○西原主査
- それは,少し強引にカテゴライズ(categorize)しようとすると,なぜ評価について検討するのか,何のために評価について具体的に提案するということですかね。
- ○尾﨑委員
- それから,最終的にはボランティアの立場が,いわゆる学校の教師がやるような形でテストっぽいことや,オーラルコンプリヘンション(oral comprehension:口頭能力)みたいなことで測れるようなことを,実はやっていないということです。
- ○西原主査
- そうですよね。それはとても大切なメッセージですね。
- ○尾﨑委員
- そういったことを共有してもらうことが大事かなと思い,今は聞いています。
- ○西原主査
- それでは,どうしますか。
- ○尾﨑委員
- それではどうしますかということになりますが,でも,そういう発想で考えたら,例えばポートフォリオ的なものもあるだろうと思います。これをポートフォリオと呼ぶかどうか分かりませんが,「実は,1週間振り返って,毎回,私は日本語ではこんなことがあった」とか,「こんなことができた」という記録もあるのかなと思います。それも,やれる人はやればいいんだけれども,やったものを持ち寄るという活動をやってるところはあるんですから。
- ○西原主査
- とよた日本語教育支援システムの例はそれを含んでいましたよね。
- ○尾﨑委員
- はい,そういうものを含んでます。ですから,標準的なカリキュラム案ということで非常に焦点化されたものを扱ってはいますが,それと同時にもう少し自分の日本語使用の状況を振り返るような活動も地域の中に組み込んでいけばいいのではないでしょうか。大学だって日本語教育でそういった活動をやっていいんですけどね。そういうやり方や考え方があるということに,もう少し自分も気が付かないといけないし,そういうことを考えてもらえるような素材が用意されているものがいいのではないかと考えると,ガイドブックっぽいものなのかなと思っていました。
- ○西原主査
- 日本語教育小委員会が出すプロダクト(products)についてですね。
- ○尾﨑委員
- はい。
- ○西原主査
- 加藤先生,いかがでしょうか。
- ○加藤委員
- 「どう」ということへの答えにはならないんですけれども,学習者とボランティアだけが登場人物ではなくて,その人がいる社会があります。例えば,一番身近なところに家族がいるわけですよね。その評価について―自己評価と,それから,第三者といったらいいのか分かりませんが―その人たちをも,その人が何ができるようになったか,周りも一緒に何をするようになったかということを測れるような場を作りましょうというきっかけになるような評価がいいのではないかと思います。
周りから取り残されたお母さんというのが身近に結構大勢います。子供はどんどん日本語がうまくなるし,お父さんは会社に行ってしまうし…。その人だけが切り離されて,さらに単に「日本語ができる・できない」で評価されるのではなくて,社会との結び付きのきっかけになるような評価がイメージできるといいなと思いました。必ずしも「1級」,「2級」というものにはならないのではないかと思っていますし,何かそういったことに対する提言のようなものになればと思います。 - ○西原主査
- その場合,先ほど杉戸委員がおっしゃいましたが,このプログラムや教材例に対してどの程度できるようになったかという評価ではなく,もう少し一般的な社会生活の中での評価というものも忘れてはいけないというお話でしょうか。
- ○加藤委員
- そうですね。そこの提言も含めてです。ですので,プログラム評価というところからは切り離されます。
- ○西原主査
- 日本語教育小委員会の出す評価というものについて,そこまでも含めるべきだということですね。
- ○加藤委員
- そうであればいいなと思います。
- ○嶋田委員
- 私どもの学校で少し取り組んでいるのは,同じようなことです。例えば(金)にその課でやったことを,「今度は,じゃあ外に行って地域の人にインタビューをして,それをペアでやっておいでね」というようなことをして,(月)に発表したりしています。例えば,この活動の中の一つをやって―先ほどポートフォリオの話が出まして,ポートフォリオもいいと思うんですが―戻ってきて,次のときにイラストや写真を使って何かやるということもできます。例えば,配布資料2「教材例集について(案)」の12ページには「防災館に行って起震車の体験をしましょう。」とありますよね。実際に体験することはできないかもしれないけれども,似たようなことを自分でやってみるとか,周りの人に話を聞いてみるとか,そんなこともまさに一つにつながっていくという活動をやっています。
例えば,喫茶店に行って話を聞いてくるというように学習者が自分たちで決めたりするんですけれども,自分たちでそれぞれ内容を書く人もいれば話す人もいます。実際に活動してみて表現することも一つですし,先ほど申し上げたキャンドゥーステートメントのようなものを使って,自分の日本語使用を客観化して,自分で「あ,これぐらいできた」と気付いたことを他者と共有してみたりすることもできます。「君,こう思っているけれども,もっとできるじゃない」というように,いい意味でモチベーションを上げるようなことにも使えるのではないかというように思いながら,みなさんの意見を聞いていました。 - ○西原主査
- 独立行政法人国際交流基金が「学習を評価する」という本を出されたのを,みなさまはすでにご存じだと思うんですけれども,国際交流基金はスタンダードの作成の一環として評価に至ったということですね。何かおっしゃることはありますか。
- ○西澤委員
- いや,特にありません。ただ,これは海外日本語教室でやっている活動についていろんな形の評価,いろんな観点からの評価について,網羅的に取り上げたもので,学習評価するというのはどういうことかということから始まり,スタンダードに基づいて評価するということについて体系的にまとめると「学習を評価する」という冊子の形になりましたということです。恐らく,評価ということで何をイメージするかということをさっと見るときには使えるかなと思って私自身は読みました。
- ○西原主査
- そうですね。今,私も「学習を評価する」という本は出た途端に買って読んでいるんですけれども,今おっしゃったことをどこかに当てはめようと思えば,「ここのことをおっしゃったんだ」,「このことをおっしゃったんだ」というようなものにはなっていますよね。だけど,この日本語教育小委員会が出す評価という冊子は,恐らくこのようには…。
- ○西澤委員
- ならないでしょう。
- ○西原主査
- ならないですね。「そもそも評価って何だろうね」ということを考えるものを出すのではないんですよね。
- ○山田委員
- 嶋田委員がおっしゃったことに私も近いかなと思います。評価について,どこまで到達できたかということが一般的な評価の考え方だと思われるんですが,私が思うのは,評価とは,その先までまた続けていきたいかどうかということ,そこで再生産できるようなものじゃないといけないと思います。それから,自己評価というのももちろんあります。先ほどおっしゃったのは,いろんな人間がやって来て,実際に自分でやってきたことを報告し合うということだったのですが,もちろん,いろいろな人間がやって来て評価し合うのでもいいんですけれども,結果としてやろうとしていたことができなくてもいいんですよね。できなくてもいいんだけど,そこの場に参加して,「私はこんなふうにやってみたらここまででだめだった」とか,「私はこんなふうにやってみたんだけれどもこういうふうにいった。」とか「じゃあ,こうやったらもっといいかもしれない」みたいなこと,つまり,その先に行く方法がそこで建設的に学ばれるということこそ評価の観点としてはすごく大事だと私は思います。
どこに到達してるかということも大事かもしれないけれども,それは過去を振り返ったときの大事さであって,これから先にどこまで行こうとする気持ちが起こるかということが評価だと思います。その先まで続ける方法みたいなことを提案したらいいんじゃないかなと思います。 - ○西原主査
- そうですね。それは,評価によって何がなされるのかということを含むということですよね。
- ○山田委員
- そうですね。
- ○西原主査
- そうですよね。ただ,「評価とは何か」ということを含まないでその段階だけが示せるものかという問題は残らないでしょうか。
- ○山田委員
- 学習をするからには,絶えず評価をしていると思うんですね。だけど,それを評価としてそこだけを個別に取り上げるとすれば,その評価にはどういう要素が含まれるかということをここでは議論すべきだと思います。その中に,私は一つ提案として,「その先まで続けていけるモチベーションが起こるかどうか」というのは大きいことだと思います。
- ○西原主査
- そうですね。例えば,その中で具体的には,地震が起きたら,まず「広域避難所に行ける」,「行かなければならないと分かった」ということですね。
- ○山田委員
- いや,行けなくていいんですよ。行けないんだけれども…。
- ○西原主査
- いや,だけど,行けるということが分かった。
- ○山田委員
- 行く方がいいということは分かった。
- ○西原主査
- そうですね,「行く方がいいということが分かった。」で,その次に…ということにはいろいろあります。「結局,自分はもう少しいい方法があると思う」というのもその先ですよね。それから,次には,自分が移動中に起こったらその広域避難所には行けないので,「そのときはどうするべきかということについて考えてみよう」というのもその次ですよね。その次っていうのは,それを押し並べて,その次が分かったからいいとはできないですよね。
- ○山田委員
- ただ,その先までもっとやっていこうと思うと,生活はエンドレス(endless)なので…。
- ○西原主査
- そういうことですよね。だけど,そのときに,そんな具体的なことは全然どうでもいいんだけれども,「また来週もあそこへ行って,地震じゃないことを学んでみようと思った」というのもその次ですよね。だから,「その次」というのは,いろいろな形があり得て,その方向付けというのは,こんなのもあるんだということは言わなくていいのでしょうか。
- ○春原委員
- その話で少し,昨日来た電話の話です。昨日の晩,気仙沼に入ったフィリピン人の自助グループから電話が来て,まさにこの教材例集―とりあえず例としては30本ですが―まず,イメージがあり,それから何か行動があって,その中に言葉の学びがあるということでしたが,まさに気仙沼に入ったフィリピン人自助グループは,そこにいるフィリピンの奥さんたちが,もう,今,最低限生き延びるところから,仕事をどうするのかというところに入ってきています。今,介護施設が相当やられています。そうすると,自分たちが今とりあえず近隣のじいちゃん,ばあちゃんの世話をしているんだけれども,さらに,これを仕事としていくにはどうするんだというんで,正に,言葉だけじゃないけれども,「じゃあ,ホームヘルパーの2級ってどうやって取るの」というところから,「フィリピン人向けのそういう教材ってある?」という話が来たんです。そうすると,そういうものは,教材例集の中にはないかもしれないけれども,31本目として,同じ発想,同じようなプロセスでかつ実社会の中で教材31本目ができたということになったら,恐らく文化庁が考えた,これを作っていくプロセスというのが,偶然かもしれないけれども全国で起きていて,ここにデータベースに追加されていってるよっていうのは,それは僕はすごく大きな評価だと思うんですね。
そういうのもぜひ拾っていって,この31本が増殖していくというのがいいなという気がします。 - ○西原主査
- ありがとうございます。今日は,それこそ御意見を表明していただくということなので,これをもちまして第38回日本語教育小委員会を閉会とさせていただきます。