日本語教育研究協議会 第1分科会

テーマ 「年少者の日本語学習支援について考える」

趣旨 日本語教育の重要な実践課題の一つである,年少者の日本語学習支援に関して,JSL(第二言語としての日本語)カリキュラムの概要,教授方法の工夫,こうした教育を支える考え方や地域のさまざまな機関・団体との連携・協力の問題などについて,幾つかの事例を挙げながら,多様な観点から考える。

講師 山田泉(法政大学キャリアデザイン学部教授)

発表者 太田晴雄(帝塚山大学人文科学部教授)
長嶋昭親(兵庫日本語ボランティアネットワーク代表)
中津美和(財団法人とよなか国際交流協会職員)
村山勇(神戸市立本山第二小学校教諭)


山田:時間はもう過ぎているんですけども,前の会議との関係でちょっと遅れていますが,始めたいと思います。
この第1分科会は,「年少者の日本語学習支援について考える」というテーマで行います。事前に文化庁の方から,趣旨目的というのが示されております。私がこの講師というタイトルがついているんですけども,司会役というようなことでやらせていただきたいと思います。山田泉といいます。3月まで関西の大阪大学にいたんですけど,4月からは法政大学というところに,関東の方に移っております。私自身は,関西の大阪の豊中市というところの財団法人とよなか国際交流協会の「子どもメイト」という外国から来ている子供たちの放課後の居場所になっているそういうところに大人のメンバーとして7年ほどかかわってきたんですけども,そういう立場で,あるいはいろいろな日本の各地の子供たちの問題を考えるというようなことを調査などしながらやっていくというようなことをしてきましたので,そういうことで司会をさせていただこうと思います。
それで,文化庁の趣旨,目的が,「日本語教育の重要な実践課題である年少者の日本語学習支援に関して,JSL(第二言語としての日本語)カリキュラムの概要,教授方法の工夫,こうした教育を支える考え方や地域の様々な機関,団体との連携,協力の問題などについて,幾つかの事例を挙げながら,多様な視点から考える」というようなことが書かれていまして,これを御覧いただいてここにお集まりだと思います。
それで,私も,皆さんと同じなんですけども,一般の子供たちとかかわりながら,いろいろなことを悩んだり,喜んだり,いろんなことを感じながら続けてきました。そこでちょっと見えてきたかなということが,我々の活動というのは,子供たちが日本語がうまくしゃべれるようになって,あるいはそれで勉強できるようになって,日本の社会習慣を身につけて,日本の学校文化の中に当てはまっていくという,そういうことだけではないと。子供の発達ということを考えて,その子一人一人の発達にとって,最もいい形で環境を整備していくという,どちらかというと受け入れる側の力をどうつけていくか。そちらが大事なんじゃないかということを感じてきました。
今日は,これも一つの成果だと思いますが,JSLのことについて御報告いただき,皆さんで考えていきます。今まで子供たちの受け入れということを,漠然としなければいけないしということで,個々の取り組みに任されているような形で推進してきたわけですけども,文部科学省として徐々にですけれども,いろんなことを整備していく中で,日本語の第2言語としてのカリキュラム,プログラムというものを作り上げる,そこまで来たんだというようなことでは,これも成果だと思います。そこで,そのことについて非常に詳しい,御本人もそのJSLのカリキュラムをまとめる側でありました村山先生にお話をいただくと。一番最初に村山先生から25分間,プレゼンテーションしていただいて,その後,会場で質疑を15分ぐらいとってやったらいいかなというふうに思っています。
それと,この文化庁の方の趣旨の中から,「幾つかの事例を挙げながら多様な視点から」ということがありますが,地域との関係とか,あるいは行政との関係でも話してほしいというようなことがありまして,地域の活動をこの兵庫県で積極的にされている長嶋さんから15分程度でお話をしていただこうと思っています。
その後,子供たちの日本語の問題というのは,これ一つ大きなことだけれども,それだけではないと。やっぱりその子供たちのアイデンティティを支えて,それでその子供たちが自分に自信を持って,この社会で生きていってもらいたい。そのことがさっき言いました発達ということに大きな力を与えるようなそういうものだと思いますので,単に日本語ということだけじゃなくて,子供の母語がいかに大切なのかということについて,お話をいただきたいと思っています。こちらの方はこのことについて第一人者の太田晴雄先生からお話をいただきます。
最後にですけれども,母語も含めた地域の活動の具体例ということで,財団法人とよなか国際交流協会,私が活動もさせてもらっていたところですけども,そこの中津さんから,長い取組の中で子供たちから直接話を聞いた,インタビューをしてまとめた子供たちの声を反映させるということでお話をしていただきたい。それを15分ということで,時間が限られていますので,そんな段取りでやっていきたいと思っています。
残り25分,全体のことを質疑ということで皆さんとシェア*1をしていきたいというふうに思っています。それじゃあ,早速ですけれどもお願いしますが,この4人のプレゼンテーションしていただく方々は,全くのボランティアでかかわっていただいています。つまり,文化庁からお金が出るというようなわけじゃなくて,ボランティアみたいな形でここで発表していただくということですので,申し添えたいと思います。私自身は,ボランティアということについて,ちょっと疑問を持っている人間で,本来予算をしっかりととってやるべきことを,経済の方にお金を注ぎ込んで,民生部門の,ちょっと手薄くなったところをボランティアでということで,美名のもとで国が運営してこうとしているんじゃないかというようなことを感じます。私は,「国策ボランティア」ということを言っているんですけども,それはそれでいい,良くはないんですけども,仕方がないかもしれません。けれども,しっかりとボランティアとして学んで,学んだことを社会に返していって,社会を変えていくと。そういうボランティアでありたいなというふうに思っています。それじゃあ,最初,村山先生,お願いいたします。

*1 シェア 分かつこと。共有すること。


村山:村山といいます,よろしくお願いします。聞こえますでしょうか。これぐらいでいいですか。僕は,神戸市の小学校の教員です。それで以前,港島小学校というところで6年間,国際教室を担当しておりました。そこは留学生の子供たち,中国,韓国の子などが多かったです。あと,イランとか,そういう国の子もいました。その後,現在の本山第二小学校へ変わりまして,3年目になります。また,国際教室を担当しております。今はどちらかというと,南米の子が増えてきております。それで,最近のうちの国際教室の一つの目標は,授業中は踊らないというのが目標なんです。これを言われると皆さん,南米の子たちへの印象悪くなるかと思うけども,そうじゃないんです。つまり文化が違うんです。僕もできたら先生も踊ろうというぐらいまではいけたらいいなとは思っているんですが,まだ現在はそこまではいっておりません。
もう一つ,国際教室は,一度期にいろんな学年の子供,いろんな言語,そして日本語の力でもばらばらな子が同時に来るという,非常にやりにくい状態はあるんです。もう本当はローラースケートを履いて動き回りたいぐらいの状況ではあります。そうしてこういう国際担当していますと,いろんな受け持ちの分野があるんです。子供たちが最初に来たときの受け入れ,そのときの適応,そういうのが一つ。それから日本語の教え方,教科の教え方,それから神戸市の場合は支援ボランティアという,有償の制度があります。それから兵庫県の場合はサポーターという,やっぱり有償で語学のできる人が来るという制度があります。そういう関係で,いろんな引き出しは持っているんですけども,今日は特にJSLということについてお話しします。
その前に,文部科学省がしておりますもので,こういう日本語を学ぼうというCD-ROM*1が既に3年以上前に作られているんですけども,これ御存じの方,どれぐらいおられますか。半数近くありますね,ちょっと安心。これもかなりいいものです。僕も参加していましたからと言いますけども,7か国語のとにかく初期の子供にはいいものです。パソコン*2で使えます。全国の自治体,教育委員会にゆきわたっているはずです。これはフリーにしまして,コピー*3してもいいということになっています。ところが案外,使われていないという現状もあります。どこかに埋もれているんじゃないかなと。ですから,このJSLも今,実はこういう分厚い報告書になっております。これが埋もれないようにということを言いたいと思います。
ではその次に,JSLということをやっているんだということを御存じの方はどれぐらいおられますか。先ほどと同じぐらいなんですね。ありがとうございます。
それでは,JSLについて言いますが,まず最初にJSLと聞きますと,すぐにアメリカなどでのESL*4を思い浮かびられると思います。先に言いますけど,違います。そういうものではありません。つまりESLは,かなり固定したしっかりしたカリキュラムであります。アメリカの場合,移民政策をしっかりしていまして,立派なアメリカ人にしようと。税金をしっかり払わせるようにさせようというようなシステム*5があります。ですから,しっかり英語を覚えさせて,アメリカ市民にしようというために,かなり研究された固定的なカリキュラムがあります。そして学校には,英語の先生とESLの先生と,それぞれ別々にいます。そのイメージで見られると今回のJSLは違います。そういう固定的なものではありません。カリキュラムという名前についても妥当ではないんじゃないのかなという気がちょっとしております。つまり,そういうしっかりしたものではないということです。むしろ,これはひな形です。こういういろんなものを入れていますけども,これを基に自由に作ってくださいというようなことです。だから自由のJと思ってもらってらいいかなと思っています。

*1 CD-ROM 〔compact disk read-only memory〕コンピュータの読み出し専用の記録媒体。
*2 パソコン パーソナルコンピュータの略。事務所や家庭などで,個人の利用を目的としたコンピュータ。
*3 コピー 複写。複製。
*4 ESL 〔English as a Second Language〕第二言語としての英語。母語が英語でない人のための英語。
*5 システム 個々の要素が有機的に組み合わされた,まとまりをもつ全体。体系。

  それで,これは2年前に始まったもので,最初はトピック型というものをやりました。今二つ,こういう資料を配っております。まず,こちらの絵のある方が分かりやすいかなと思います。平成13年度から始まりましたが,まず最初は,とりあえず子供たちが何となく日本語の日常会話ができると。ところが勉強にはあんまり入っていけないんだということが分かってきています。それは,子供の特有の資質なんじゃないかなと,間違った考えがありました。そうじゃないんです。つまり,勉強に入っていくだけの手段がちゃんと尽くされていないのではないかというのが現場から出てきております。もちろん学者の方からもそういうのがありました。それで,もっと勉強に入っていけるようにという願いから,こういうものを作ろうということになりました。とはいっても,最初から教科というのはちょっと難しい。それで幾つかのトピック*1を出して身近なものからやろうではないかというのがトピック型です。
では,次のページにトピック型カリキュラムがあります。それでJSLの一番の特徴は,具体的な直接体験という活動を通そうということです。つまり大人ですと,もう文法はこうですよとか,単語はこうこう,一覧表を渡してやれば覚えます。でも子供はそれは無理,もしくは子供たちに1から覚えなさいというのは,いわゆる辞書を先に教えるようなものだと。言葉が実体験と伴わずに入れというのは,やっぱり無理です。実体験を先にさせながら,それを通して言葉を身につけていこう。もしくはJSLの特徴は言葉だけではなくて,見方,考え方を身につけていかせようという考えです。
そこで具体的な直接体験,じゃあ,どういうトピックにするかということで議論したんですけども,とりあえず(月)(火)(水)(木)(金)という曜日のものに合わせようというところがあります。月は月の関係,とりあえず身近な生活の中にあるものでしようというようなところです。水と言えば水ということで,川の流れについて体験を通しながら,ものの見方,考え方を学ぼう,身につけようということをやっております。それがトピック型です。その中には,AUカードというものも作りました。AUカードというものはどういうことかと言いますと,皆さん,子供とかかわった経験がある方はすぐ分かると思いますけど,一つの言い方を言っても通じないときがあります。そうしたときにもう少し日本語のレベルを落として言い替えてやりますよね。どうですか,僕たち日本語を一応教えている者にとっては全く常識なんです。この言い方が通じなかった場合は,別の言い方,もしくは少し下の言い方,もう少し簡単な言い方で言おうというのは。これ案外,中学,高校の先生にいくと,分かってなかったりするときがあります。そういう人のため,もしくはボランティア等でボランティアの教室などで教えている方の中に,あの子こんな言い方も分からんわというような感じで終わってしまう人がいるんです。そうじゃなくて,それは相手に合わせてもっと言い方を下げる,変えるということをやろうということなんです。ただ,それと普段からすぐできるというのは,やっぱりちょっと訓練が要ります。それではなくて,それだったら,その3通りの言い方を少し表にしてしまっておこうということです。3通りの言い方でも,かなり学習の関係のある言葉にしております。そういうのがかなりたくさん,実はこの最終報告書というものの中には載っております。最初にそのAUカードの一覧表をざっと見ておいて,こういう考え方があるんだなということを読んでおくだけでも大分違うと思います。そして授業を組み立てる際に,ここで一番必要な表現はこれだと。それに対するAUカードはこれを使うというようなことです。
それから,じゃあ,その授業づくりの流れですけども,先ほど言ったようなトピックが幾つかありますが,これをそのまましてくださいと,しなければならないと,文部科学省は言っているわけではないんです。参考にしてくださいと,自由にこれから使ってください,作ってくださいという意味です。
例えばその次,行きますけども,これで言いましたら,どう手を差し伸べるか。これはちょっと読んでください。先ほど言ったこんな状況です。
その次のページです。トピック型AUカードサンプル*2。この中に例えば書いてくださいなんていうレベルではなくて,知識を確認するについても3通りの言い方を考えているんだというところです。例えば,「何々について知っていますか」というような基本形があります。バリエーション*3としては,「分かりますか」とか,「知っていますか」というような感じで,幾つもバリエーションを持っているということです。それで,一応応答の言葉としては,「それについて知っています」とか,「はい,少し知っています」というふうに,応答の言葉についても少し予想をしております。もしくは子供たちにこう聞かれたときには,こう答えるのがいいんだよというような例です。これがAUカードのサンプルです。すみません,ちょっと前後します。

*1 トピック 話題。論題。
*2 サンプル 見本。標本。
*3 バリエーション 変化。変動。

  では次,行きまして,次のページ,女の先生が写っておりますが,授業づくりの流れです。まず,子供の実態を把握するということ。ここの例では小学校6年生です。よく日本語ができるようになるまで,教科の学習には入らないというような考えの先生がいますけども,僕らそれは間違っていると思っています。もう来たその日から教科学習はするんだと,子供の知的発達は止めないんだということです。だからといって,でもすぐにはできない。じゃあ,どうしようかというときにこれが使えると思います。それで例えば小学校6年生,トピックとしては,この図形の関係,特に立体図形です。そして構想を練る。この中では,いろいろな箱を見せて,見たことがあるか確認する。そのときの言葉としては,「何々したことがありますか」ということですけども,もっと下げれば「これ知っている」ぐらいでもいいんです。立方体と円柱と見せて「これ知っている」,「どう違う」というようなレベルを下げた聞き方でもいいと思います。そして,その中でいつも心がけているのは三つのことです。体験,探求,発信という三つです。まず体験から入る,次にここの場合ですと,箱のグループ分けをするという探求をします。これはかなり目で見て分かる部分がありますから,大体できると思います。そのときの言葉としては,「これと同じ仲間はどれとどれですか」です。もっとレベルを下げれば「どれ,一緒」ぐらいでもいいです。「これとどれ,一緒」ぐらいでもいいです。そういうふうに言葉のレベルを下げるけれども,内容を下げるわけではないということです。そして,それでは終わらない。次はそれを発信しようということです。つまり,分かったことをまとめるという作業をします。それの際には,できる限り日本語がいいですけど,この段階では母語は使っても構いませんよということを言っております。そして発信することによって,何々ということが分かりましたというような授業づくりの流れがあります。それで,このすべてのトピックに大体,体験,探求,発信を入れていくということです。これは一つのひな形ですから,このようにとりあえずはやってみてくださいと。後は子供の実態,そして指導者の実態にあわせて,自由に作りかえてくださいということです。
次のページへ行きます。では,授業例ですけども,今言ってあるようなことは詳しく載っております。ここではもう少し,詳しく具体的に載っていますが,「横の形が同じですか」というふうな目のつけどころを言っております。これは単に立体の区別だけをして終わりというのではなく,目のつけどころ,つまり考え方の基本的なものをここで押さえているわけです。こういうことができるようになれば,次に別のものが出てきたときにも使えますということです。
それでは,ちょっと時間がなくなってきていますから,次のページは最後,教科志向型JSLカリキュラムです。これはトピック型をもとにして,教科の方向にも入っていこうということです。特に教科で困るのは非常に抽象的なことが入ってくるというところです。それから,そういう教科特有の考え方があります。それについては,また,今から言います。
それでは,こちらの最終報告の方を見てください。3ページ目ですか,この表がいいと思います。こちら国語科のAU,もしくは内容としては,こういうことを目指すんだという「話すこと,聞くこと,書くこと,読むことの言語活動に参加し,伝え合う力などの能力を育成していくための学ぶ力の育成を目指す」学ぶ力というところを強調しています。そういう教科特有のことがあるんです。例えば社会科では非常に調べ学習が多いんです。そうしたときにまずこういう課題があったときに何から調べるか。それを見つめることが難しいんです。これは日本の子も一緒です。「何から見つけますか」とか,「どんな,どこから見つけますか」とか,そういうことです。とってきた表なり,グラフなりの見方がまた難しい。左側には何か単位が書いてあると。右には年代が書いてあると。案外こういうことができないんです。だから「左の線のところを見ましょう」,「これは何ですか」,「この数字は何ですかとか」というような言い方です。「右のところを見ましょう」,「ここには年代が書いてあります」と,でもそれが時々平成で書いてあったりするのがあるんです,そういうときに分からないということがもちろんあります。それから算数も図形は割と見て分かる部分はあるんですけど,でもそれを言葉であらわすということは難しいです。それから,もちろん数字そのものになってきますと,非常に抽象的な概念が必要ということで,それについての考える力をつけさせようというところです。それから理科はやられた方は分かると思いますけども,やたら自動詞,他動詞の使い分け多いんです。そこで非常に詰まります。そういうときに理科のものの見方,それからこういうような表現が多いんだよというようなところを力を入れております。
それでは次を見ていただきまして,後は個々に国,社,算,理とそれぞれあります。それから最後に,こちらそういうのが文部科学省のホームページにも公開されております。今日の資料もそちらからとっております。
それから,今言いました内容については,この分厚い最終報告書に入っております。これも各教育委員会には行っているはずです。ですから,そちらへまず問い合わせをして欲しいと思います。
そして次ですけども,例えば一つ書いているのは,185ページと書いてあるものがそれですが,これは社会科,3,4年生ということで,母国に手紙を出そうという内容のものを載せております。これ僕も実際にやったもので,実はビデオテープもあるんですけども,ちょっと保護者の許可がとれなかったもので,今日見せるというわけにいかなかったものですけども,子供たちは手紙を書きたいんだと,それで国へ送りたい。国に住むおじいさん,おばあさんに日本でこんなことをしていますよということを送りたい。ところが手紙の書き方が分からない。それからどこへ出せばいいのかが分からないということです。じゃあ,実際にやってみようということです。これ,かなり低学年の生活科のレベルでもあるんですけども,子供らにとっては必要度の高いものですのでやってみました。それで見ていただきまして,例えば次の187ページの真ん中あたりで,実際おもしろかったのは,母国の名前の言い方,これが例えば,皆さんペルーってどう発音します。日本の方は皆,ペルーと言いますよね。だけど,ペルーの子たちはペルーじゃなくて,ペルーだと言うんです。後ろにアクセントがあると。それでこれ郵便局では通じなかったんです。ペルーへ送りたいんだよと言いなさいと,僕も言って,後ろから見ていたら,その子が幾らペルーと言っても郵便局の方はどこの国?とやっぱり聞くんです。アフリカ?とか聞いたりするんで,その発音のアクセント*1のずれだったということが分かったんですけども,そんなこともありました。それでこうやって,日本でこんな活動をしているということを母国に教えるということをしました。そのときに返ってくる返事については,日本語で送ってもらいたいから,漢字の書き方もしておこうということで,自分の住所を漢字で書いて,向こうの人にはその用紙を手紙に張りつけてもらえれば日本の自分の住所に返ってくるよというように実際にやってみました。
それで,じゃあ,このJSLカリキュラムは何の役に立つのかということですが,トピック型,教科志向型の境目はもうそんなにはっきりはありません。どちらとも言えない。そんなにまた区別をする必要もないと思っております。それで,先ほども何回も言っています。自由に使って,自由に直してください。さらに作ってもらったら結構です。そして,この後中学校用の教科志向の方がスタートするように聞いております。まだ,始まったかどうかは僕も知りません。
それで,これがどこで使うかということですけども,僕らのような国際教室での取り出しを大体は想定しております。しかし,一般の在籍学級で使うのももちろんいいです。それから,民間のボランティアの教室等で使う,それからサポーターで入っている人たちが使ってみる,それもいいと思います。それで日本語の教え方はそのものがそうなんですが,いかに分かりやすく,かみ砕いて子供に接するかということが主眼です。そうすることによって,実は日本の子で分からない子ってたくさんいますよね。そういう子たちにも役に立つんだと。つまりすべての子供に役に立つんだということが,このJSLカリキュラムの特色でもあります。ぜひ,使って欲しいと思います。一応,これで終わります。ありがとうございました。

*1 アクセント ひとつひとつの語について,社会慣習的に決まっている相対的な高低や強弱の配置。話し方の調子。語調。


山田:先生,どうもありがとうございました。15分,質疑の時間をとりました。どなたからでも結構です。御質問,御意見お願いします。まず初めに,御所属,お名前,お願いします。

参加者:K大学留学生センターのMと申します。今,神戸生田中学で,日本語支援を未熟ながらやらせていただいておりまして,小学校とはやっぱり違う側面というのが随分,観察できているかなというふうに思っておりますが,一番気になりますのは,先ほど村山先生のお話の中にもありました,来たその日から発達は止めずに教科の学習の中に入れてという部分なんです。小学校の1年生から3年生,あるいは4年生ぐらいまでの時期の子供さんたちが非常に自由に日本人の子供たちと交流をしながら生活言語を習得していくということは,以前に神戸小学校の研修会の方でも御報告を伺いましたし,そういう事情があるということは勉強させていただきました。4年生から5年生,6年生,あるいは中学生になりますと,自由な交流の中での習得というのが,どうも余りうまく進まないのではないかということを以前から気になりまして,結局,日本語を指導しないと交流ができない。つまり自己の確立が進んでくる年代の子供たちにとっては,かえって疎外感を抱いたり,あるいは日本人から疎外されたりということで,自然な交流がかなり難しくなる局面があるように思うんです。そのことと先ほどの村山先生の発達を阻害しないで教科への導入ということとの境目といいますか,そこが非常に悩ましいところで,それとやはり公教育の中での支援になりますから,すべての教科をボランティアの方に預けていただくということもできませんし,そうしますと当然何も分からずにお客さん状態で座っている時間帯が毎日何時間かあって,例えば神戸生田中学ですと,15:30から17:00までの放課後の時間が私たちに与えられた時間で,そこで日本語教育を行うという形で今実践をしておりますが,その辺のことについて村山先生の御意見,ちょっと伺いたいと思います。

村山:非常にすぐその日からやるんだと言い切りましたけども,先生,よく御存じのように,本当に教科指導は困っております。それで,僕の場合は,一つには,翻訳物を使っております。やっぱり母語がそこそこ確立している子については,翻訳物があれば大体の内容は理解できます。しかし,すべてのものを翻訳することは難しいです。ですけども,単語レベル*1の翻訳であっても,何となく類推してできる子がほとんどです。時々,年齢は高くても母語が怪しい子は翻訳物でもちょっと難しいですけども,翻訳物を使うことによってかなりできます。そして,翻訳物は集める努力さえすれば手に入ります。結構,各地にあります。いろんな自治体が作っています。集める努力をすれば集まります。僕もかなりは持っております。ただ,そういう自治体に今から,例えば川崎市に平成11年度に作られたこの翻訳した教材を欲しいんですけどと言っても,もうそれはその年の予算で作ったからもうありませんと言われることが多いです。だから,最終的には人脈になります。その市の何か知り合いの先生に頼んで,これ貸してくれないというようなことが現実には起こっています。一つは翻訳物。もう一つは,とにかく一生懸命,平仮名を最初に教えます。もう早い子で2,3日,1週間ぐらいで入る子がほとんどです,一生懸命やれば。子供によって1か月かかる子もいます。1年かかる子もいます。けども,とにかく一生懸命平仮名を教えます。そして次に,平仮名引の辞書を使わせます。これ何で平仮名引かと言いますと,いろんな辞書を当たりましたけども,ローマ字引の辞書というのは,何か余り良くないんです。つまり,それぞれの母語によって,日本語をローマ字で書き表す方法がちょっと違うんです。ずれています。ローマ字引でやると,一々僕ら日本語のものをローマ字にしてやらないと子供引けないんです。だから,日本語はもう平仮名で引くんだと言い切っています。それで平仮名引の辞書を使わせます。そしてある程度,自分なりに先ほども言ったように,単語レベルでの翻訳ができるようになれば,意味がとれれば,大体の内容はとりますので,そういう辞書を引かせると,この二つの方法を使っております。

*1 単語レベル ここでは,ひとつの単語を単位としてとらえたという意味。


参加者:JSLのカリキュラムの前提は,ここにもありますけれども,「初期指導が終了した子供たちに適用されるものである」というふうになっていますよね。そうしますと,初期指導の部分を恐らく小学校,しかも小学校の低学年と中学年,高学年,あるいは中学に行きますと,また違ってくると思うので,この辺の部分の状況,何歳ぐらいまでだとこういう初期指導,何歳ぐらいまではこういう初期指導というようなものが,まだ余りきちんと整理されていないことを非常に痛感するんです。例えば,中学校を見ておりますと,大人向けの内容のものがかなり適用できるように今までの経験では思います。つまり,文法的な内容とか,抽象的な志向に耐えられるので,先ほど大人と違って体験のない語彙を辞書で引くことができないというお話がありました。それは恐らく低学年はそうだと思いますが,5年生以降になりますと,抽象的な概念も辞書を引くと辞書の概念も分かってくるので,その辺のところは日本語を大人に近い日本語教育を初期指導として導入して,それから教科学習につなげていくというふうにできるのかなと今,漠然と私は見ておりますけれども。
それともう一つは,小学校低学年の場合に,子供たちの間に何人だろうが,肌が黒かろうが,何だろうが,非常に自由に交流できる状況が醸成されて醸し出されていくんですけれども,中学校ぐらいになりますと,やっぱり本人も自我が発達し,受け入れる子供たちも非常に自己確立の微妙な時期になりますので,余り受け入れられないみたいなんです。今,言語生活実態調査というのをちょっとやりかけまして,テープレコーダーをつけさせているんですが,1時間中,あるいは数時間になっても一言も発しないという状況が結構あるし,日本人の子供たちからも話しかけもないというようなことが,全部ではないと思います,子供の個性にもよりますし,そういう状況がある場合,自然な交流ということは,私たちが介入して,どこかで場をつくらないと,上へ行けば行くほど難しくなるというようなそういう印象を持っておりますが,そんなことについて,ほかの方でもどなたでも,もし御意見をお持ちでしたら,ぜひ伺わせていただきたいと思います。すみません,長く伺いまして。

村山:すみません,よくあるんです。それ,よく分かります。うちの学校にもあるんです。それで,一つやっているのはインタビューワーク*1です。インタビューのシート*2を持たせて,お名前はとか,何月生まれとか,好きな物はとか,そういう幾つか項目を挙げたインタビューカードを持たせて,これ友達に聞いておいでということをやっています。そうすることによって,必然的にしゃべるから,ちょっとずつ子供の友達が増えるというのがあります。同じように小さなノートを一つ持たせて,今日友達と話した中で分からなかった言葉を書いておいでというのをします。そうしたらこっちへ来て「この言葉が分からなかった」と言いますので,「ああ,それはこういう意味ね」というふうに言います。大抵,悪い言葉を聞いてきますけども,この意味が分からなかったというようなことをします。その中でやっぱり勉強の中の語彙を聞いてくるんです。今日,先生が言っていたこの言葉が分からなかったというのが,そういう自分で単語集を作るという,この二つを今進めております。

*1 インタビューワーク 聞き取り活動。
*2 シート 一枚の紙。


参加者:失礼します。姫路のT小学校の日本語指導教員をしていますSです。私は去年,兵庫県の子供多文化共生推進委員会の一員として,協議を進めてきました。その中で今私がベトナム人ばかり5名持っているんですが,日本語指導教室をワールドルーム*1と名付けていて,3年前に立ち上げました。そのときに1年生で入ってきた児童が現在3年生になっております。そして家はベトナム語です。だから,その3年生の子は,あいうえおからきちっと教えました。日本の子供たちと同じように,そして家ではベトナム語,両方できます,バイリンガル*2。もう両方きちっと学んでいます。ところが今,先生,どちらか言われましたように,5年生,6年生の子供たちは日本語指導を受けずして,突然小学校へ入ってきてずっと日本人と同じ授業をしてきて,たっているのが前半の3年生まで,4年生からは私は受け持ちました。そのときに非常に大事なのは,社会科とか理科とかという勉強については,日本語が長々と書いてありますので,日本語を村山先生が今言われたように,簡単に伝える作業をしました。だから例えば,わら靴の中の神様というお話があったとしたら,日本の今の子供たちも想像がつかない昔の言葉が出て,わら靴ということとか,もう本当にすっと通れそうな言葉にも立ちどまって,こうなんだよという補説を加えながらしました。そういうようなことで,日本生まれの日本育ちのベトナム人を今抱えています。その子供たちにどちらもできない子供たちと,どちらもできる子供たち,両方習得している子供たち,大きく2分化されています。それでどなたかが言いましたが,言語習得には臨界期があるそうです。それは今先生言われたように高学年,10歳,11歳,12歳に,非常に学習言語も生活言語を習得するのが著しく良いという時期だそうです。その時期に私たち教師やサポーターやボランティアがどんなふうに手順を踏んで,きちっと子供のニーズにこたえられるか。それを今日学びたくてやってまいりました。また,どなたか教えていただきたいと思います。

*1 ワールドルーム ここでは,世界的な広がりをもった部屋という意味。
*2 バイリンガル 状況に応じて2つの言語を自由に使う能力を持つこと。


参加者:西宮の交流協会からまいりましたIです。先ほどもちょっとだけ言いましたけど,それとはちょっと離れて今,M先生がおっしゃった授業の中で,中学生がまず入るときに適応補助指導員とか,通訳とか,それから日本語教育とか,ばらばらに入っていたところを,学校の先生に了解を求めて,私たちは日本語で入るんだと,通訳の方は通訳の方でお願いしますと。そういうふうに言いまして,じゃあ,基本的に日本語をいつから教えるかという話が来まして,一応スケジュールが立ちましたら,すぐその時期から始めますが,授業が放課後という子供の場合もありますし,それからゼロ初級*1で来た子には,基本的には社会と国語のときは,取り出し授業で日本語を教えてもらうようにお願いいたします。それで結構,中国人とかはもう先行っているんです。西宮の場合は1学年下げて全部公立の学校に入れていらっしゃるという状況があるので,大体,数学,理科については,ついていけるみたいなんです。現場の先生で分かってないみたいだからとおっしゃるけども,それは教科が分からないんじゃなくて,日本語が分からないだけなので,とりあえず社会と国語の時間は取り出しをして日本語を教えています。当然,子供たちと一緒に過ごす時間というのは大切だからとおっしゃるので,その辺で学校とお話しして,大体そういうふうに持っていくように心がけています。
それから,ボランティアで入る場合とか,私たちのところは子供向けに仲よし広場をしているんですけども,そういう場合は村山先生みたいに,逐一,常時,子供たちと接していませんので,そんなに子供の情報はあるわけではないんです。ですから,その辺はかなり難しい部分があります。
それで中学校の場合は,これも先ほど水野先生がおっしゃったように,大人の「みんなの日本語」を使っております。そこで語彙とか,それから必要な文型とかは,適時変えたりすることはあります。提出順序を変えたりすることはありますが,中学校からではなくて,小学校の5年,6年でもいけます。低学年の場合は,最近は子供の日本語が出ましたけども,文型は「ひろこさんの日本語」を中心に,後はいろんな教材から取り出しまして,ほとんど生教材,ゲーム,それを全部カードに作ったりしまして使っております。
ただ一つ,私たちがちょっと悩んでいる部分は,非常に家庭的に複雑な子がいまして,アイデンティティも不確かなんです。1年生からかかわったんですけども,お父さんは英語で通じると思っていらっしゃるんです。ところが,その子は「うん,うん」と言っているだけで,全然分かっていないということを担任の先生が見つけられたんです。それは,「うん,うん,うん」と言っているけども,じゃあ,日本語が分からないからといって,日本語の絵本の下に英語がついているのを見せたところが全く読めなかったと。そういうことが分かりまして,その子の場合は日本語もできない,英語もできないという非常に難しい。それから家庭状況の関係で,勉強する以前の態度というかが,全くできていないというところで,今みんなでどうしたらいいか悩んでいるところなので,そういう場合に何か皆さん,こういう取組があるよというふうなことをアイデア*2をいただければ,ありがたいと思っているんですけど。

*1 ゼロ初級 ここでは,日本語学習が初級段階の方の中でも,まったく日本語に接したことがない人のこと。
*2 アイデア 〔idea〕思いつき。着想。観念。理念。


村山:時間がなさそうなんで,ぱっぱっと思いついたことを言います。アイデンティティについては,僕らも困るとこなんです。でも,あなた何々人というような枠はもう要らないと思います。もう,どちらもできるんだよ,どちらの文化も身につけている子なんだよというのがいいんじゃないかなとは思っています。
それで,両言語できないということについても,僕なりに今しているのは,NHKのラジオ講座,それからテレビ講座のテキスト*1を子供と一緒に写し書きしております。僕がラジオ講座のテキストを見せて,読んでと言ったら読めるんです。ぱっと隠して書いてと言うたら案外書けないんです。それで,一緒に書くのをやっています。僕程度のレベルでも何とかできますので,それはやっています。ただ,サポーターの人にはもっと上のレベルの「ハリー・ポッター」を一緒に読んでくださいと,中のあらすじをとらせて書かせてくださいというようなことはやっております。
そして,勉強以前の態度については,やっぱりこれは難しいです。親はみんな15時間とか,長時間労働していて,親そのものが苦しいですから,非常に難しいですけども,やっぱり子供たちとは将来どうするのという話をやっぱりします。自分の将来をやっぱり考えようということから今はやってはおります。
あと,子供については,そのクラスの子については,なるべくプラスの情報を与えようとしております。その子の例えば名前の意味は,こういう意味だから,これこれこういう意味で,その国ではいい意味の名前なんだよと,だから名前ではからかわないでねとか,それからこの国はこんないいとこがあるのよというような,いろんなプラスの情報を在籍クラスの子供たちに与えることによって,ある程度親近感を持たせる,そういうようなことをもちろんしております。担任の先生には,その子の言語で朝のあいさつしてくださいねとか,いろんなプラス情報を出すことが大事かなと思っております。すみません,思いつくままでした。

*1 テキスト 教科書。


山田:ありがとうございます。時間がちょっと過ぎてしまったので,議論は一番最後のところでまたまとめていただきたいと思います。続いて,連携とかネットワークとかというような方向から長嶋さんにお願いいたします。

長嶋:兵庫日本語ボランティアネットワークの長嶋と申します。今の村山先生の話と大分離れてしまうので,そういった議論を御期待している方には申しわけないと思います。
昨日(11月1日)兵庫日本語ボランティアネットワークの研修会で「年少者の子供たちが置かれている情況と支援課題」という題で,愛知県の豊田市などで支援をなさっている東海日本語ボランティアネットワークの松本一子さんから,いろいろ情況を聞かせたいただんです。愛知県はそういうニューカマー*1の人たちを受け入れて10年しかたっていないんです。1991年からですのでほぼ10年余りです。兵庫県の場合ですが,別の分科会で報告していると思いますが,難民事業本部の姫路定住促進センターがそれ以前からあり,また中国帰国者への取り組みも長い歴史があったりするんです。なのに,なぜ,愛知県と比べてこの10年の間に子供たちに対する取組がなんでこんなに違ってしまったんだろう,違ってきたのはなぜなんだろうとなといろいろ原因を考えてしまいます。ただ,子供たちの数とか,子供たちのニーズとか,そんなことだけの理由ではないと思うんです。恐らく,それぞれの現場で日本語支援に当たったり,子供の支援に当たったり,学校でもいろいろ実践されている方は非常にそれこそ命をかけてというところぐらいまで,一生懸命なさってきたはずなんです。なぜなんでしょう。このことを思いながら,昨日このレポート*2を書かせていただきました。それぞれ,特に当事者以外の取り巻く私たちそれぞれが一生懸命やってきたつもりだけども,やはり,何か肝心なことを忘れてきたものがあるんではないかなと。それぞれの一生懸命やっている人たちのネットワークというものが一つもなかったんではないかなと思います。そういったことで,例えば,行政とか教育委員会とか,そういったところに提案ができなくて,そして行政なり教育委員会も,先ほどのお昼からの会議のときに出演なさったああいうすばらしい行政の方もいますけど,あんな方はめったにいないということです。行政や教育委員会の方もまた,放っちらかしになってきたことがあるのではないかなと,そんなことを思います。

*1 ニューカマー 新渡日者。
*2 レポート 報告書。

  そうしたことで,今これからお話しするのは,連携ということでお話をしていきたいんですが,その前に現在,兵庫日本語ボランティアネットワークで,「年少者向けの日本語支援養成講座(24回講座5月〜12月)」を開いているんです。神戸市の語学支援ボランティアの方が受講していました。10月半ばの講座中,その語学支援ボランティアの方に,学校から電話がばんばんかかって来ました。そして青い顔をされて休憩時間に私のところへ来て,実は子供がけんかして,けがをした。どうしようということで,相談があったんです。その子供のことについては,夏休みぐらいから相談を受けていました。「今の学校からよその学校へ変わりたい」そういう相談でした。その相談も聞いていましたが,いろいろ忙しいものですから,放っちらかしになってしまっていました。実はその子は2年前に広島に来たんです。広島では日本語支援のシステムがちゃんとあって,そしてマン・ツー・マンの形で初期の日本語指導をしていただいていました。そして,その子は今年1月に神戸の学校にかわってきたんです。兵庫の場合は,この3年前ぐらいから多文化共生サポーターというのを学校に入れて取り組んでいます。また,神戸市で語学支援ボランティアも入れています,だからこの子の場合,週2,3回取り出しで指導を受けています。だから恵まれていると思います。恵まれているけれども,それでも,やはり広島に比べて,神戸市の場合はその子にとってみたら,不十分で,自分のことが分かってもらえない,そして日本語も十分に指導してもらえない,学校の中では孤立している,友達からはいじめられる。もうそういうことがずっとたまっていて,そしてあるきっかけでけんかになってけがをしたと,そんなことなんです。それを聞いて,もっと早くから,もっときちっと聞いておけば良かったと後悔しています。でも,たまたま語学支援のボランティアの方が私の方に知らせてくれるということができました。そしてその学校には多文化共生サポーター方もおられるんです。その方も「こうべ子どもにこにこ会(兵庫日本語ボランティアネットワーク内の子供支援のグループ)」というところで,母語(スペイン語)の勉強をしているんです。そういったこともあって,そこへも知らせてくれる。だからこのこともずっと前から比べれば,そういう情報が入るということ自体がすごく進歩したわけです。でも,状況はきびしく,その子にとってみたら,何とかもっと自分を生かせるような,自分が自立できるような学校へ行きたいと願うのは当然です。そういう願いは変わりなくすべての子供たちにあります。実際,兵庫県の場合は,この現状がそれぞれの子供の置かれた現状です。これも兵庫県の中では,この子の場合,非常に恵まれた方の現状なんです。例えば学校にたった一人の子供がいて,恐らく週に1回ぐらいのサポーターの方が行かれているというぐらいのことでしかないのが現状です。だからとてもじゃないがそういう情報も入らない場合がほとんどです。子供の年が13,14才になって来日し,学校に入学し,そうした状態に置かれたとしたら,そういったきっかけがあれば,学校を休んでしまう,やめてしまう,そして家で閉じこもってしまう,孤立してしまう。そういう状況におかれています。現実に今700人ぐらいの日本語支援を必要とする子供たちがいるらしいです。そういう子供たちの大半がそういう状況の中に今現在も置かれているんではないかなと懸念します。そういう子供たちは教育を受ける権利があるし,自立していく権利があるわけです。そのことで我々自身というか,子供に関わる者が,すなわち,ここにおられる方が,どういうことができるかなと考えて欲しいです。一人一人の責任でというか,一人一人の関わりの中で何ができるかを考えていって欲しいし,今まで何をされてきて,どこが足りなくて,そういったことを考えて欲しいなというようなことなんです。
そして,ちょっと早く行きますが,もう時間が余りないでしょうから,まず何よりもやっぱり当事者が中心にならなければいけないし,子供たちが中心にならなければいけないと思います。子供たちは教育を受ける権利があるし,学校へ行く権利があります。ここに書いてありますけども,就学,学習,進学,就職,未来を開くために,そういうものが保障されなければなりません。当事者の保護者や当事者のコミュニティも最近,ベトナムのコミュニティとか,ブラジル人のコミュニティができてきました。コミュニティの中でその子供たちを育てていく,その中で母語や母語文化を自分たち自身の手でしていくというようなことを,これは理想的かも分かりませんけど必要です。そういう中から神戸市はつい最近,「神戸市外国人市民会議」というのを作りました。そういう中で,当事者のニーズとかそういったものが行政に反映されていく。そういったことを行政が受けて,行政は自分たちの町や市なり県なりの多文化多言語社会の創生という見地で共生のまちづくりの方針をきちっと立てて欲しいと思います。今までそういうことをやってこなかったということなんです。
そして最近,いろんな地域で年少者の就学実態調査が行われています。しかし,これもプライバシー*1の問題とかの理由をつけて,あきらめてしまって神戸市もしていません。そういったことを先進地域でちゃんと調査をやっているんだから,神戸市内の各地域で,きちっとやって欲しいと思います。就学案内の問題で,笑い話(笑い話というと叱られると思いますが)があります。ある小学校の児童が中学進学時に住居が変わり,区役所へ行ったら,係の人が「中学校へ行きたいの」というふうに聞いた。その子は「行きたくない」,親に聞いたら「子供の言うとおりにします」と言った。だから就学通知を出さなかった。就学通知出さなかったのでその子供は中学に入学できずに家にでじっとして過ごしていた。だから,私と通訳の人で親のところに行き,就学通知だけはしてもらわないとと話に行くとそうしたいということでした。それで区役所に行くと,すぐにその区役所から通知の手紙が来て,中学に入学できるようになりました。外国人の子供には義務教育でないとよく言われていますが,行政が(教育の保障を)やろうと思えば,窓口の人がやろうと思えばできることなんです。

*1 プライバシー 私事。私生活。また,秘密。

  そういうようなことで,就学奨励金なんかの問題も今年,芦屋の国際中等学校へ外国人が入学するときに問題になりました。それから奨学金制度もたくさんあるんですけども,長野県にあるような子供たちに対するサンタプロジェクトですか,そういったものも考えようによったら,何でもできるということです。
そして,そういったことをつくるためには,やっぱり多文化教育推進会議(名前は違うかも分かりませんが),今現在,兵庫県教育委員会で開かれているみたいなんです。当事者,学習経験者とか,そういった人が集まって,その教育をどういうふうに高めていかなければいけないかというようなことを根本的に考えていかなければいけないと思います。そういう流れで,教育委員会が人権教育が多文化教育の方針を策定しなければいけない。兵庫県の場合も2,3年前にやっとできたんです。でも,まだまだ不十分です。
レジュメに書いていますが,学校生活ガイダンス*1は,何とかできたみたいなんですが,進学指導のガイダンスとか案内とかというのは,兵庫県の場合は今までに過去1回だけ開かれただけで,今開かれていません。大阪やら,埼玉やら,いろんな場所では,NGOの団体と協力しながらできているんです。これもやろうと思えばできることなんです。
先ほど神戸大学の水野先生が報告をなさっていましたが,神戸では初めて生田中学のJSL教室というのができて,そして初めて他校の生徒を受け入れるシステムができて,そこで週5回,その子たちに初期指導をされています。そしてそれもしかも,当該の学校じゃなくて,神戸大学の留学生センターの水野先生という専門家がかかわって,支援なさる方を指導してやっているということで,随分成果が上がっています。そういったことと,さっきの中学生のトラブル*2のあった子供の場合と比べてみたらその違いが分かると思います。だから,そうしたシステムをできたら集住地区,西宮,尼崎,姫路,神戸の東灘,長田といったところにそういうJSL教室のような形ができていけばと思います。そしたら少しは変わるんではないかなということです。
それで,さっき,多文化共生サポーターの方もお話がありましたが,その方たちの研修制度がほとんどないということです。そして,先ほどありました学校間でその活用の仕方でいろんなずれがあります。そういったことをできたら情報交換をするようなシステム,そういったものが必要であるということです。
そしたら,あとを飛ばして,次のページで,学校というところへ行きます。私は昨年まで定時制高校の教師をしていましたが,その前に西の高砂高校で12年間人権教育をしてきました。そのときの経験でいろいろ思うんですけど,やはりなぜトラブルが起こるのかなと考えたときに,すなわちなぜ,多文化共生サポーターが一人放っちらかされて,そういうことになるのかなということを考えたときに,一番大きな問題はやっぱりその学校の多文化共生教育なり,人権教育のその根本理念なり,その考え方が一人一人の先生方に行き渡っていないということなんです。だからそこをちゃんとはっきりして欲しい。それに基づいて,村山先生が一生懸命やられているような日本語学習指導とか,教科学習指導とか,生活指導とか,進路指導があって欲しいと思います。これが前提で,これなしに何もできないであろうということなんです。だからそれに基づいていけば,一人一人の教師ができることというふうに書いていますが,特に日本語学習指導者じゃなくてもできる例として,児童生徒の人格,人権を尊重するという,たった一つこの点だけでもやれるということなんです。その子の例えば本名を名乗るということであれば,きちっと正確にその子供に聞いたり,親に聞いたりして,本名の発音で名前を言ってやって欲しいと思います。先程の生田中学へ夏休みの研修に行きましたけど,お手伝いに行ったんですけれど,生徒たちに本名を聞いていくんです。その学校では本名で言わないで,中国人の場合は日本語読みで漢字名を呼びます。だから本名を聞いていくんです。聞かれたら,生徒たちは本名を呼ばれたら,やっぱり自分の人格を尊重してくれたかなというような形で,にこっと笑って対応してくれるわけです。だから一人でもそういう方が学校の中におってくれたらなと思います。
それから,全然関係ない教科の人でも,その言葉が分からない,漢字が分からない生徒がいたら,黒板に書くときにルビ*3を書いて欲しいです。ちょっとしたことなんです。テストにルビを書くとか,なぜそんなことができないのかなと思います。放っちらかして,テストの時間中,1時間中寝てしまうというようなことが現実に起こっているんです。そういうようなことで,後に書いた3点はもうよく言われていることです。

*1 ガイダンス 指導。初心者に入門的説明を与えること。
*2 トラブル いざこざ。悶着。
*3 ルビ ふりがな。

  そして,日本語学習指導者についていえば,ちょっと先ほどの村山先生の報告のJSLの理科やら数学やら国語教材を見て,ちょっと安心したんですけど。国語や算数やら理科の指導の根幹みたいなことが少し書かれていました。その中で,まず体験と書いて,物事を認識していく順序がちゃんと書かれていました。そういうことがちゃんと書かれているので少し安心しました。大概の日本語学習指導者というのは「みんなの日本語」とか「こどものにほんご」を頭から教えるだけで,それが分かったらそれで良しという。そうじゃなくて,やはり子供たちの自立や自己確立につながるような授業を他の教科と同様に早々作っていかなければ,子供たちをただ日本語を上手に習わすだけの話になってしまうのではないかなと,そういうふうに思います。そういうようなことで,日本語学習,ここにたくさんそういう関係者がいらっしゃると思いますが,ちょっと自分がされていることを考えて欲しいと思います。
そういうようなことで,あと,NGO,NPOができることというのは,どういうことかなというのがそこに書いています。大学の先生もおられると思います。3年前にこの神戸大学で大学の留学生センターの研究会のときに私は,ちょっと皮肉を覚えていらっしゃるかどうか分かりませんが,水野先生に言ったことがあります。水野先生は「町へ,要するにネットワークを組みに行きたい」と,「これから行き,交流しに行きたい」と報告されました。私は,「もう日本語支援は震災以前からずっとしているし,震災のときからネットワーク活動をずっとしていますよ。この大学(高台にある)から,ものすごい景色のいいところ(神戸の町が一望できる)を見るんじゃなくて,(神戸の町の)中へ入ってきなさい」と言いました。水野先生はやっと今年,中へ入ってきてくれました。そういうようなことで,大学のそういう関係が,実際の支援している現場とか,小・中学校のJSL教室とか,そういったところに入ってきて欲しいと思います。そしたら初めてその現状が分かって,その中から具体的な教材とか,新しい教材や教授法が生まれてくると思うんです。そういったところでよろしくお願いします。
それから,兵庫日本語ボランティアネットワークでは,資料1に書いていますが,今年度からですが調査活動をしています。NGO・NPOと行政との協働事業(「外国から来た年少者への日本語学習支援システムの創成」)で助成金をもらっています。2,3年計画で,今まで言ったようなことをもっと具体的にするために,ちゃんとやっていきたいと思います。皆さんの協力のもとでやっていきたいのでよろしくお願いいたします。
それから,4,5は,「日本語フォーラム全国ネット」のことです。ここに山田先生もおられますのでよく御存知だと思います。「東京宣言」というのが2001年に出ました。その中に「外国人の子供の置かれている現状」ということが書かれてあり,最後の頁にそれを何とか解決するための手だてということで,即時,それから中期,長期の方策が出ています。これだけではちょっと無理かなというふうには思いますけど,これを一つの目途として,頑張っていきたいなというふうに思っていますので,今後ともよろしくお願いします。以上です。ちょっと時間がオーバー*1して申しわけなかったです。

*1 オーバー 超過。


山田:質問は最後にまとめてということでお願いしたいと思います。ありがとうございます。続きまして,入試で大変忙しい中,時間をつくっていただきました太田先生,よろしくお願いします。

太田:帝塚山大学の太田です。15分ということですので,私,今日レジュメを用意しました。それで,今日私が持ってきてここにおいてあったものは私のレジュメです。A4,2枚の分ですけども,それと前もって,事務局にお渡ししていたのが,多文化化の中での就学,学習権の保障という,これは国民教育文化総合研究所が出したものです。そこに私が日本語の問題とは何か,学習母語,アイデンティティの関係でという,そういうことを書いてありますので,それを資料としてお渡ししています。それでもし,それの全部を欲しいという方がおられましたら,今日は3部だけ持ってきましたので,早く来ていただいた方に3部。
それで,私の言いたいことはそこに書いていますので,読んでいただいたらそれで終わりということになるんですが,それとレジュメ,これももうあちこちでいろんなとこで話をしているのを少しずつ変えているだけで,また,あいつ同じことしゃべりよるということになるんですが,これに忠実にやると1時間ぐらいかかりましたので,だからレジュメもやめます。それで実は先日ですか,二日ほど前に,いわゆるニューカマーの子供たちの学習支援というか,日本語支援,それから学習支援を長年されているボランティアの方とお話をする機会がありました。その方はそういう経験を持っておられる方で,もちろん子供の視点に立って,それぞれこれまでやってこられた方です。その方とお話をしていまして,こういうことをおっしゃったんです。「母語教育とか,バイリンガル教育とか,そういうことがよく言われて,自分もそれは大変必要であるし,大事だということを考えてきたんですけども,しかし最近では,それに疑問を感じるようになっている」というお話の趣旨でした。その子供たちのこの将来,この目の前にしている子供たちのことを考えた場合に,恐らくほとんどの子供たちは日本の社会で生きていくだろうと。そういう実際も長期滞在になっていますし,それから定住化するというような傾向になってきていると。そういうようなことを考えた場合に,必要なものは母語ではなくて,日本語の能力ではないのかと。ですから,バイリンガル教育なんて言わないで,やはり日本語をしっかり教育,そして日本の学習をすべきではないのかと,こういうようなお話をされたんです。それは私におっしゃっているわけですから,相当挑戦的なお話だったんです。それで,それから日本語の取得だけでも子供にとっては大変なのに,そこにさらに母語の習得なんてというようなことを言えば,これは両方とも不十分になってしまう。そういうことになっていくんではないかというようなお話,さらに例えその母語教育がバイリンガル教育が必要だということが頭の中で観念として分かっていた人も現状ではそんなことをやることは到底できない,無理ではないか。言ってみたら,絵に描いた餅ではないかと,そんなことをなぜ言うのかと,そういうようなお話でした。大変,そういう実践にかかわってこられている人の言葉ですから,私なんかの言葉ではなくて,大変重たい言葉です。こういう疑問というものは,いわゆる母語教育とか,バイリンガル教育に対する疑問というのは,ある意味では最もなように思うわけです。しかし,やはりここには母語教育なり,バイリンガル教育への誤解というふうにまで言わないまでも,それに対する理解の不足というものがやはりあるんではないかというふうに思いました。母語教育なり,バイリンガル教育というのは,決して日本語教育,日本語の習得とか,日本語の学習を否定するものではないわけです。むしろ,しっかりした日本語の習得,日本語の学習というものを目指しているものであって,それは日本語の習得を不十分にするとか,日本語の習得はどうでもいいんだとかいうことでは決してないと。むしろ,いかに子供の日本語を十分に習得させていくのかという,そういう視点に立ったものが母語教育であり,バイリンガル教育なんだという。バイリンガル教育のスタートというか,そもそもの立脚点というのは,やはり確認しておく必要があるんではないかというように思いました。
なぜ,じゃあ,母語教育なのか,バイリンガル教育なのかという話をすると,大変長くなるので,すべては言えませんので,例えば,一つは考えていただきたいのは,いわゆる日本語を母語としない子供,例えば親御さんが日本語を母語としない親御さんであると。そういった場合に子供たちは,そういう親を持つ子供たちは,この日本の社会で生きる限り,否応なしににバイリンガルの世界に放り込まれているわけです。例えば昨日,ブラジルからやって来たと。そうすると,昨日まではポルトガル語を使って生活していた。それで日本に来るなり,日本の学校へ入るなり,そこではもう日本語になってしまうと。そうすると,これは否応なしに母語と日本語の世界にその子供はもう放り込まれてしまう。ですから,その二つの言語の中で生きていくことを,言ってみたら余儀なくされている子供たちだと思うんです。さらに,日本生まれの子供であったとしても,それはやはり親御さんがそういう日本語を母語としない場合,やはりその子供は日本語だけではない世界で生活をしている。ですから,決してモノリンガルの世界に生きる子供に対するその日本語教育ではないんだということです。ここはやはりきちっとまず確認をしていくことは必要だと思うんです。モノリンガル*1の場合,私の場合でしたら,日本に生まれて日本語を母語とする両親のもとで生まれて,日本でずっと生活をして,日本の学校へ行って,その中で日本語を習得してきたわけで,そして日本の学校で勉強する中でいわゆる学習言語と言われるものも,そういうトレーニング*2の中で習得してきたはずなんです。ですから,こういうモノリンガルの世界で育った子供ではないバイリンガルの子供に対してモノリンガルな対応というのは,やはり大変大きな様々な問題を持っているであろうというふうに思うわけです。それがまず,指摘したい第1点です。

*1 モノリンガル (monolingual)1か国語のみを話す者。1か国語だけしか話すことのできない者。
*2 トレーニング 訓練。練習。鍛錬。

  それともう一つは,母語教育といっても,またバイリンガル教育といっても,そんなものは理想じゃなくて,現実はできないと。この日本の中でできないじゃないかという,そういう議論は必ず出てくるわけです。これはやはり注意しなければならない議論だと思います。じゃあ,例えばそういう子供たちが日本に住み始めて,日本の学校へ行き始めた時期,今から13〜14年前ぐらいです。そのとき,じゃあ,日本語指導教育をできる人はいたのかということです。日本語を第2言語としての,それも年少者に対する日本語教育,そういう指導者はいたのかというと,これはやっぱりいなかったわけです。そういうノウハウもなかったし,何もないところから始まっていったんです。その時点では,母語教育もそうです。何もない。ところが,12,3年たって,母語教育の方は何もない。何もないと言ったら,中嶋先生に怒られます。そういう努力をしている方には大変怒られるわけですけども,しかし,まだ現実にはできないじゃないかという声が強いと。日本語教育だけはどんどんどんどん進んでいって,先ほどの報告があったように,JSLも進み始めていると。じゃあ,これはなぜなのかということです。ですから,やはりそういう母語教育ができない,バイリンガル教育ができないという一つの御説です。そういう語られ方というものが,やはり現実をつくっているという面が僕はあると思うんです。ですから,そしてその現実が,その説が,我々の今の現実を規定してしまって,できないという現実をつくっている。ですから,そういうバイリンガル教育がなされていない現実をやはりつくってきたというふうに思います。ですから,そういう現実をいかに変えていくのかということは,やはり考えていかなければならないし,それから私の次に発表される中津さんなんかがそういう実践をされています。ここに来ておられるほかの方も実際に学校の中でやっておられる方がいる。そういう,ですから決して実現できないということではなくて,実現できないという,そういう説ができない現実をつくっているんだということをやはり指摘をしておきたいと思います。
それから,母語を伴わない日本語教育,要するに今の日本の社会の中では,やはり母語というものが忘れ去られて,日本語教育だけが進んでいるということは,何を意味するのかということはやはり考えたいと思うんです。そのことをちょっと考えるヒントになるのが,今日お配りしたA4の裏側のない,裏が余白の資料なんですが,学校教育のおける少数者集団言語(母語)と書きましたが,位置づけと教育施策という,これは私が考え出したものではなくて,その下にありますように,ステイシー・チャーチルという,この人は既に1987年のこういうようなことを言っているんです。ただ少し,改訂をしたり,修正は加えていますけども,これがいわゆるプレステージ*1第ゼロ段階から第6段階まであるわけですけども,最初の段階とは,これ全く母語は無視されるような段階です。第2の段階がやはり母語というものが問題にされる段階,もし母語教育が一切伴わないと。母語は否定されるとか,母語が無視される中で,日本語教育が行われるとした場合に,これはこの段階に入る。これはその指導者なりが指導者が意識する,またはしないにかかわらず,どういう意味を持っているかというと,結局はその子供たちが持っている母語というものが問題なのだと。母語をしゃべるから問題なんだという考え方,今のにやはり基づいて行われてしまう可能性が大変強い。これは大変問題になるだろうと思います。ですから,よく同化主義でない日本語教育というのは,一体可能なのかとか,そういうことを言われますけども,母語教育を伴わない日本語教育というのは,多かれ少なかれ,これは同化主義教育に帰結してしまう危険性は大変強いだろうというふうに思われます。こんなふうにして考えますと,やはりJSLは私は大変,これからの日本語教育にとって重要な動きであるし,重要な方向性だと思います。これは決して私は否定するつもりも何もないわけですけども,重ねて言うと,やはり母語を伴わない日本語教育というものは,大きな問題をはらんでいると。
例えば,その教育がこれは学校教育ということにもなってしまうわけですけども,果たして公正なのか,どうかです。教育を考える場合,いろんな視点から考えることが当然できるわけですけども,果たしてその教育が子供にとって,不当に不利益をこうむらない。ですから不当に不利益をこうむらせるような教育というのは,やっぱり不公正な教育だと思うわけです。例えば,先ほどちょっと議論がありましたように,13歳,14歳の子供が中学校へ外国から編入してくると。その場合に,日本語だけで対応しなければならないというふうに考えた場合に,これは大変なやはり解決できない問題が出てくると思うんです。この間も私,私のフィールド*2は愛知県ですので,愛知県でまた目の当たりにしたんですけども,ある中学校で,3日前にペルーからやって来た男子中学生,中学3年なんです。3日前に入ってきた。その先生はスペイン語が分かる先生なんです。ポルトガル語の話ができる日本の正教員なんですけども,その人が1対1で日本語を教えているんですけども,どういう日本語をやっぱり教えているかというと,これは私のペンですとか,これは馬のしっぽですとか,そういうことをやっぱりやっているわけです。先ほど村山さんから,子供のやはり知的な発達というものを中断しないと。これは明らかに中断しているだけではなくて,侮辱しているというか,もう全く子供の知的なレベルに反するようなものである。それこそ腹が立つし,ええ加減にせえというふうに思うと思うんですけども,彼はものすごい真剣になってやっていましたけども,そういうことがやはり起こってしまうと。ですから,それは日本語だけで対応しなければならないという,そういう強迫観念という,いわゆるモノリンガルで対応しなければならないということです。これはやはりどうしてもその子供にとって不公正な教育を施していくことになる。ですから,そういうようなことを考えれば,やはりそういう強迫観念というか,私はジャパニーズオンリー*3というふうに言っていますけども,日本の社会はやっぱりジャパニーズオンリーの数はものすごい強烈に増えているわけです。ですから,そういうジャパニーズオンリーの地場というか,ものすごいものがあるわけです。ですから,その中で,ナイーブ*4な日本語教育をしていれば,これはもう当然,今言ったような日本語教育に帰結してしまう危険性が大変大きくなるというふうに考えています。それで,私の持ち時間は大体来ましたので,少し時間があれば,また後で補足したいと思います。どうもありがとうございました。

*1 プレステージ 社会的な威信・声望。
*2 フィールド 分野・領域。場。ここでは,活動の場の意味。
*3 ジャパニーズオンリー 日本語のみ。
*4 ナイーブ 純真なさま。物事に感じやすいさま。素朴。


山田:続いて,実際の報告ということで,中津さんお願いします。

中津:初めまして,財団法人とよなか国際交流協会からまいりました中津と申します。本日は,文化庁の皆様及び山田先生に子供の声を代弁する機会を与えていただきましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。私ども,とよなか国際交流協会では,「子どもメイト」という,人材育成事業を行っております。本日は,その事業について御報告させていただくわけですが,15分しか時間がございませんので,予定以上にしょうもないおまけにならぬよう努力をしつつ,幾分早口になるかと思いますことを,御了解くださいませ。
子どもメイトにつきましては,概略は別途資料のところを御覧になっていただけたらと思います。渡日の子供の居場所としまして,子供のニーズに応じて,しかし発展的解消を目指して日本語をスタートに,様々な活動を行ってまいりました。現在のところ,参加者は中学生,高校生,浪人生など,大体7,8名で,ボランティアさんが8人です。近年の重点課題といいましょうか,一番気合いを入れておりますのは,何と言っても母語です。こういうふうになるとは私も10年前,夢思いませんでした。しかし,緊急対応としての日本語から,より完璧な日本語学習支援とするためには,やっぱり母語が不可欠だというふうに今思っております。ということで,本日のテーマにつきましては,「母語学習を通じて年少者の日本語学習支援を考える」ということにさせていただきたいと思います。
レジュメの2番の方からまいります。現在,本気の母語学習ということで,毎週(木),6:30から8:00の1時間半,母語をほぼマン・ツー・マンの形で取り組んでおります。しかし,これをやろうぜというふうにみんなで決めたときから,子供たちはなぜか6:00前に来るようになりました。つまり,6:00前から6:30まで,日本語で,そして母語で,まずは自分の気持ちを自由にくっちゃべる時間,これがとっても必要で,学習の前提になるんだなということが分かりました。学習形態なんですけども,渡日時期別によるマン・ツー・マンです。完全な自由意志による参加です。大抵の子供たちは自転車で来ます。ですので,「母語」に限定していなかったこれまでの場合,今日のように雨が降ったら来ませんでした。しかし,母語のときにはなぜかずっと来ています。今,4グループやっているんですけども,この1年間ほぼ皆勤です。一番遠い子供は往復3時間,バス2本を乗り継いでやって来る中2の男の子がおります。クラブもやっていますが来ています。本日は一つのグループを事例に状況をお伝えします。教える人はA君,日本に来て10年の帰国者の2世です。教わる人はBさん,Cさんというのがいます。ちなみに子どもメイトに来ている子供たちのほぼ全員,「在籍1」です。つまり学校では,ずっと小・中・高ともぽつんといるような状況です。ですので,学校で何かがあったりして誰かが精神的にがくっと崩れたりしたら,そのときにはお互いに助け合うということになっておりますので,母語のカップリング*1をメンバーチェンジ*2する場合があります。実際にありました。このグループ1がその例です。教わる人はCさん,これは女の子です。去年の5月から母語に取り組みましたが,「母語がいかに大事かというのを後輩のためにも一緒に証明しよう。その証言者になってよ。」ということで,Dさん,Cさんに持ちかけました。「よっしゃ」ということで,去年の5月の段階でDさん,Cさんには,1年経っての変化や状況について,発表をすることを了解を得ました。ということで,この一番最初の■印の二つのところにつきましては,去年の6月,つまり母語学習を始めて約1か月半から2か月,始めた頃のところで聞いたものです。大体読んでいただいたらお分かりなんですけども,「母語がとっても大事なもの」,「母語は私自身」と自覚しています。しかし,母語というものを対象化できていなかったのか,非常に短いコメントばかりでした。ずっと考えていました。返事が凄く遅かったです。でも手ごたえはありました。効果があるというのをはや2か月にして,やはり自分たちでも分かっていたからです。これはやはり小学校5年生,6年生でやってきた,つまり,ヒアリング*3,中国語の声調を聞き分ける耳が残っていたということがやはり大きいのではないかと思います。
1年経ちました。先々月なんですけどもA君,教えた側の方にインタビューをしました。このA君というのが人気講師なんです。日本生活10年,日本語と中国語の両方がとても上手なうえ,キャラクターに求心力があるんです。両方の価値観が分かる。両方の言い分が分かる。話を非常にゆっくりと聞いてやるそのA君がちょっとびっくりしながらB君について,こういうふうに報告をしてくれました。B君というのは,普段はクール*4で無口で,どちらかというと受け身なタイプなんですけども,そのB君が,「母語学習の時間に『Cさんが日本語でばかりしゃべっている』ということで,怒った」というんです。「中国語やっているのに,何で日本語でばりばりやるねん,と言ったんです」と。つまり私の聞き取りについてはB君は,「分からん,分からん」というふうな回答だったんですが,実は「やる気満々だったんや」ということを私は先々月,1年たって思い知らされることになりました。つまり子供にとって母語というのは,非常に大事なものであるからこそ,すぐには反応できなかったり,照れもあってうまく言えなかったりするかもしれないんですけども,でもそれは意見なし,関心なしではないということが,このときには分かりました。
また,A君に,B君とCさんにどんな勉強をやっていたのかということも聞きました。シンプルに言いますと,普通に文章を読んで分からない漢字を勉強をして,漢字テストという流れでした。3番目の枠の中国語が文字化けしてしまいましたので,後ほど黒板の方に書かせていただきます。レジュメの中ほどにあります,「それで次の日,Bの家で一緒に中国語の昔のドラマのビデオを見ていたら」というところです。Cさんというのは,国際結婚の連れ子としてやって来た子供です。「家の中に中国語で書かれた書物,ビデオ等はない」環境ということで,これはわざわざB君の家に行って,ビデオを見たということです。当時まで彼女は「中国語の本,読まへん」と,きっぱり言っていました。にもかかわらず,1年たって彼女は,「母語をやって,中国の本を読むようになった。図書館で見かけたら読みたくなる,見たくなる」というふうになりました。
教える側A君,同じように日本の学校生活をした子にも心境を聞きました。基本的に肯定的な意見でした。ところで,先ほど申しましたように,Cさんにつきましては,途中でメンバーチェンジを余儀なくされました。もちろん当事者を入れて話し合いをするんですけども,何とかX君助けたってくれやということで,彼女にDさんとペアを組み直してもらったんです。これにつきましては,非常に葛藤があったようです。留学生であるDさんは日本の小・中・高校生活の経験がありません。また,自分の中国語レベルと非常に開きがあり,A君とはなんか違うということで,A,Bとは,一緒にずっと熱心にやっていた彼女が,一番最初,机に座らなかったです。うろうろ歩き回って,ずっと落ち着きませんでした。しかし,彼女のように,「母語を忘れかけている,やばい」という強い危機感がある子,また大学のセンター入試を中国語で受けたいという強い希望がある子につきましては,A君のようなワンクッション置いた後,例えばDさんのように極めて語学レベルの高い留学生とマッチング*5をしても何とか乗り越えていってくれることが分かりました。といいますのも,当初,大丈夫かなということで,ひやひやしたんですが,数回もすると人間関係ができ,このDさん,Cさんとは夏休みには自主的に連絡しあい週1で母語学習をやっておりました。そんなこともあります。

*1 カップリング 2つのものの間に相互作用をもたらせて結びつけること。
*2 メンバー・チェンジ 選手交代。ここでは,学習者の入れ替えをすること。
*3 ヒアリング 聞き取り。
*4 クール 冷静であるさま。物事に感情が動かされないさま。
*5 マッチング 釣り合うこと。似合うこと。対照させること。

  次の質問,5番,6番,7番のところにつきましては,時間の兼ね合いで省略させていただきますが,6番のところ,「答えにくい嫌な質問だけど,自分は何人だと思う。それはなぜ」と,あえて聞きました。そのときにB君が「中国人です」と言いました。Cさんも「中国人です」というふうに言いました。このときだけ即答だったんです。しかも,B君は唯一ここでだけ丁寧語を使いました。
最後になります。8番,9番のところも最後のところでまとめていきたいと思うんですけども,この1年を駆け足で振り返って,中間報告的に分かったことを申し伝えます。まず,母語学習の効用については,子供の声からなんですけども,「語学的にはドラスティック*1な変化はなかった」と思います。変化は分かりません。しかし,同様に得たものの大きさも分かりません。一方,失ったものもないような気もしておりますが,本人たちが言ってくれて,私自身がほっとしていますのは,「母語のレベルは大きくは落ちていない」,「いやしだった」,「ほっとした」,「ここに来るとすっきりする」,「俺の母語はなくならへん」ということを何度も何度も何度も言ってくれたことです。去年の5月にインタビューをしたときには,なかなか声が出なかった。母語についてどう思うかということに対して,明確な意見がなかったんです。けれども,例えば,この質問8のところを見てください。「日本の学校の友達とかについて,リクエスト*2は」「日本人をどういうふうに思う?」とかというような質問をしました。ところがB君の答えは,「俺の物語」だったんです。「俺」について語り始めてくれました。そういう意味では,彼自身が自らの声を持ち始めたのかなというふうに思っております。彼のこの言葉が出てきましたので,最後に「自分のことをどう思う?」と聞きました。そうしましたら,B君は,にやっと笑って「俺,自分のこと,好き,大好きやねん。自分の性格,結構,気に入っている。特にいいところは考え方,そこら歩いているやつとは違うなと思っている。けなしているだけかもしらんけど」と言って笑いました。「欠点は,ああ,やっぱり人とあんまりかかわろうとしないところかな」というふうに話をしておりました。「変化なし,そんな自分が大好き」というB君が今ここにいるということがちょっとうれしいと思っています。またCさんの言葉で言いますと,「母語がすべてのエンジン*3になる」。やはりこれをこれからの指針にしていきたいなと思っております。同様に分かったことです。母語学習抜きの日本語学習に対する危機感については,先ほど太田先生も何度もおっしゃっていらっしゃいました。たとえ,良質・善意の日本語学習であっても,それだけならば長期的に母語,自信,家族との関係,進路の選択肢,人生に対する積極性等を誰も気づかないうちに損ない,そのスピード*4は予想以上に早く,影響は大きいということです。

*1 ドラスティック 徹底的で激烈なさま。
*2 リクエスト 希望すること。注文。
*3 エンジン 発動機。
*4 スピード 速さ。速度。

  質問9のCさんの答えのところを見ていただけますでしょうか。「母語を学習したくても予算がない,時間がない」などの意見があることについて,彼女はどう見るか,後半のところです。「日本語ばっかりだと,日本語が増えるにつれ,反比例で中国語を忘れる,きれいさっぱり母語はなくなると思う。それはやっぱりだめでしょう,あかんでしょう,きついと思う。そのときは自分も周りも気付いていなくても,大きくなって後悔の嵐やと思う。うん,大きくなってな」と言いました。そんなようなことで,やはり年少者の日本語学習支援には,やはり日本語学習に向かおうとする気力を生み出すためにも母語学習が不可欠ではないかと考えております。
母語学習に必要な関係づくりにつきましては,割愛させていただきまして,ささやかなる提言をさせていただきたく,最後の特に3点のところを御覧になっていただけたらと思います。何のための誰のための日本語学習かということを常に振り返る必要が要るのではないかということです。先生の小学校あるいは中学校でかつて教えられ,巣立っていった教え子は今も元気でしょうか。日本語を話すことが子供の最善の利益に直結するとは限らないような気がしております。子供は日本語を勉強しつつ,何かを失ってしまうことにやはり気付かない場合もあります。そういう意味ではいつも,誰のための何のための,大きくなって後悔しないための日本語学習であり得ているか,そういうふうに振り返る視点をさらにお持ちいただけたら非常にありがたいと思っています。予算がない,これは私自身,身にしみて感じております。一方で子供の多文化化と定住の長期化が進む昨今,日本語学習のスピードを落としても,あるいはその予算を半分にしてでも母語学習に振り向ける方が私はベター*1だと8年の定点観測,B君,Cさんとは来日直後からつき合ってきているわけなんですけども,その8年の経験の中から感じているところです。やはりそういう意味では,あっという間に日本語を吸収してしまう小学校段階でこそ,母語を加えた形の日本語教育にしていただけたら非常にありがたいなというふうに思いますし,今言われております低学力の問題,高校に行けないような問題につきましても,幾分かは軽減されるような気もしております。
最後になりますけども,一部の大学同様,公立高校の入試制度に母語を評価する視点を入れていただきたいと思っております。B君,Cさんにつきましては,高校に入った段階でも母語を維持できておりました。ですから,大学のセンター試験を母語で受けようという気力が維持できたのだと思います。しかしながら,もしも,例えば高校入試でそういう基準があったならば,子供たちは小学校時代や中学校時代から母語をもっと意識し,頑張ろうという気になると思います。B君の言葉で言うと,「母語,使い道がない」。否定はしていないんです。使い道がない。その言葉にどのように答えていったらいいのかなと考えております。8年間,B君,Cさんとつき合ってきまして,ようやく芽が出てきてくれたな,自分の声を出してくれたなということで,正直,あと何年かなと今はちょっと楽しみに感じております。先ほど,河合先生がおっしゃいました地域の文化力を高めるということ,そしてまた国益にかなうという意味におきましても,やはり母語,日本語,両方を持った人材を排出していくことで,それを証明していきたいなと思っております。14分43秒でした。御静聴,ありがとうございました。

*1 ベター より良いさま。最善とはいえないが,比較的良いさま。


山田:ありがとうございました。14分43秒だったそうですけども,あと,会場とやり取りをする時間が,最後にちょっと1分ずつぐらい今プレゼンテーションしてくれた人にもと思っているんですけども,できますかどうか。それじゃあ,会場から,御意見,御質問をお願いいたします。

参加者:兵庫日本語ボランティアネットワークの会のHです。さっきからいろいろ皆さんの話を聞いていると,アイデンティティの問題とか,それから学校教育の中で同化あるいは日本人観みたいなことがすごく私の頭の中にあるんですけども,成人の場合は自分が選んで日本語を学習する,学習しないという選択もあるんですけども,子供の場合,特に学校へ行かなくちゃいけない場合には,有無を言わさず日本語で授業を受けなければいけない。そして日本語で日本人の中で勉強しなければいけない。そういった中でさっき西宮の方もおっしゃっていましたけども,授業態度とか,そういったものも含めて,先生方は教えにくいから,これまで日本人の子供だけを教えてきて,日本人と同じように座っておとなしく授業を受ける。それが当たり前でそういった文化がないような国から来たような子供たちを扱う場合に,どのようにしていけばいいのか。それが強くなると,最終的には日本人観につながって,日本人教育というものにつながってくるんじゃないかというのと。それから,それを学校の中ではそれをやって,さっき最後におっしゃった母語教育というところにアイデンティティを求めていけばいいのか。その辺ちょっと私はどのような形が,答えはないとは思うんですけども,どなたかの御意見伺えればと思っています。

山田:ありがとうございました。アイデンティティということと,日本の社会というか,学校文化に適応していくことと,両方を求められることがあるんだろうと思うんですけども,どういうふうにしていったらいいかという御質問だったんですが,どなたかいかがでしょうか。

村山:すみません,僕も聞きたいなと思うんですけども,知り合いの中学校の先生が何人かいるんです。振りたいと思いますけども。中学校の先生いますよね。T先生とか阿倍野の先生とか。T先生,はい,まず1番に。

山田:もう1回質問を言いますと,子供の場合は,アイデンティティが大切だということが今言われているんだけれども,子供自身の文化も含めたアイデンティティ,そういう行動とか,あるいは言語とかと,それから日本の学校文化の求める日本社会の文化とか,あるいはその言葉とか,両方大切だと思うけれども,どういうふうに調整していったらいいかという,そういう質問です。

参加者T:失礼いたします。大阪の帰国した子供の教育センター校のTでございます。難しい質問ですが,私は今,帰国した子供のセンター校という立場上,日本語を指導しておりますので,日本語をやっぱり精いっぱい教えようと思っております。これは同化でも何でもない。日本で生きていくための必要な手段であると。それを十分教えれば教えるほど,母語との違いとかいうものがはっきり分かってくると思うんです。だから,例えば教科の学習で例えば理科に自動詞,他動詞が非常に多くて難しいとしても,それは中国語で自動詞,他動詞の区別が十分にない。そこへ来たときに初めて,日本語はこういうふうに使われるけれども,中国語で自分で文書いたら,ああこうなるんだ。言い方も違うんだなということを授業の中でも体験することで日本語との違いを見つけていくことが中学生ならできるような母語保持はしておきたいと思います。それは,そうすることが考える力を,日本語との違いを知っていることで,考える力を養うことになるからだと思うので,私は日本語をどんな形で教えようと,先ほど太田先生がこれは私のペンですというのが,何かレベルが低いようなことをちらっとおっしゃってよく分からなかったんですが,どんな教え方でもいいと。十分,日本語がきちっとしゃべれるように,日本語でも考えられるように教えてやりたいと。それが同化になるか,そういうことは考えなくてもいいと。自分の立場上,それがその子のプラスになると。二つの文化を知ることを学ばせるという一つの手段であると,割り切っております。

山田:はい,ありがとうございます。突然,振られて,申しわけありません。それじゃあ,このことについて,さらに御意見のある方。

参加者:何度もいろいろと手を挙げて言っていますけども,私も今,今日いろんな先生のお話とか,たくさん勉強になりましたし,改めて自分で認識するところもあるんですけども,今,T先生がおっしゃったことと似ておりまして,バイリンガルまでは私の能力にはありません。それから,いろんな社会の支援とかというのは,日本語教育を通していたらどうしてもかかわってきます。そこで自分ができる力の範囲とかそういうのを考えながら,私とこの場合は,事務局に振って,事務局がいろいろサポートをしてくれると。そういう部分で,今大きな枠の中で日本語教育をとらえているということが,いろいろ今日多かったと思うんですけども,先ほどからお聞きして,私の頭の中,あれもしなくちゃ,これもしなくちゃと,パニック*1状態になりそうで,その中で私ができるということは,手段の一つとして日本語テキストを使って自分の役割に専念するんだというふうに割り切らないと,私もつい数年前まではもう寝られないほど悩んだこともありましたが,小さい協議かも分かりませんが,自分の中ではやっぱり割り切らざるを得ない部分があります。

*1 パニック 恐怖。おびえ。地震・火災の際などの急激な混乱状態。


山田:はい,御意見ありがとうございます。この件についていかがでしょうか。

参加者:こういう場所だとすごくアイデンティティ問題が出てくるんですけど,私は在日の3世で,私の子供は4世です。そのアイデンティティというのは,今日発表の中でも中国人の帰国者の子供の問題がありますけど,一番初めの前半の話がありましたけど,実は日本人と中国人といっても,グラデーション*1になって,周辺マージナルという話もありましたし,いろんなアイデンティティがあって,どうやって持たせたらいいのかというのは,実は周辺の人の価値観というのは非常に大きな影響があって,言葉の問題だけではないような気がするんです。私の子供なんかもおもしろいことを言うなと思うんですけど,サッカーなんかをやっていると,今日は日本と別の国だから日本を応援するけど,韓国と日本だったら韓国かなというような,多分お父さんがそう言ったら喜ぶと思っているから言うわけで,母語を保障したらアイデンティティを保障されるというものでもないと思いますし,日本語を教えればアイデンティティがなくなるというものでもないよう気がしていて,教室の中で私は今の兵庫県の教育委員会で子供多文化共生の委員会というのに出ていますけど,教材を作るというときに,韓国のことを子供たちに教えるというたら,三国志時代から日本への仏教伝来という話をするのをよく教えますけど,私は自分が3世なので余計思うかもしれませんけど,できれば自分の子供にはパチンコ屋の歴史とか,ケミカルシューズ*2の歴史みたいな,日本の中で在日のコリアンがどうやって生きてきて,日本の社会にどうやって結びつけを持ってきたのかというのを教えてやって欲しいなと思う一人なんです。民族教育とか,母語,アイデンティティ教育ということがどうもステレオタイプ*3化されたものの中で語られていることにすごい違和感を感じて,今言われているアイデンティティというのは何を指しているのかというところを一遍問い直して,どういうふうな形で皆さん聞いているのか,ちょっと興味があったんで,答えというよりは,私は皆さんにどういう形で外国人の子供とか,マイノリティ*4の子供たちのアイデンティティ論を語っているのかということです。前提がちょっと気になったものなんで発言させてもらいました。

*1 グラデーション 写真や絵画などの濃淡の段階的な推移。ぼかし。
*2 ケミカルシューズ 合成皮革製の靴。
*3 ステレオタイプ 行動様式が型にはまって固定的であること。
*4 マイノリティ 少数。少数派。


山田:はい,ありがとうございます。この件,もう一方ぐらい,もし御意見があったら。

参加者:大阪のM高校の教員をしていますOと申します。アイデンティティの問題,うちの方も40人ぐらい外国からの生徒を受け入れているんですけれども,要はその生徒さんの持つアイデンティティを自分でもちろん築き上げていくわけですから,我々がこういうふうなアイデンティティを持ちなさいというふうな当然強制できないし,教える問題でもないと思うんです。ただ,例えばうちは中国の子がおるんですけれども,例えば中国人としてやがては中国へ帰って,祖国のためにというようなアイデンティティを持つ生徒もいるし,いや,日本でずっと生きていって,在日日本人みたいな形でもいいでしょうし,あるいは帰国者の子供ですから,中国系日本人とか,日系中国人というのはアイデンティティを持つ子もいると思うんです。ただ,その中で一番不幸なのは,自分が中国で生まれたということをはっきりと言えない子がやっぱり出てくるんです。それも自分自身としては今中国語を忘れている,母語を忘れているし,ところが両親は中国語しかしゃべれない中で,その子は家に帰ると親とはしゃべれないし,当然外は親と一緒に歩くこともしないというふうなのは,僕は不幸だと思うんです。ただ,そういう子供たちが自分が将来どう生きていくんやというふうなことを自分自身がつくり上げていくときに,やっぱり母語というのをしっかりと持っているというのは,非常に大切だと思うんです。母語を持っていることがその子供の自信にもつながるし,そのことが母語と日本語ができるということで,自分が将来どういう生き方をしていくかというときの選択肢を非常に広げていくということで,我々も非常に母語というのを重要視しています。だから,先ほど日本の学校での習慣と自分の文化を持っているところの違いというところですけども,本来変わらなあかんのは,僕は日本の学校やと思うんです。今まで日本の学校は変わってこなかって,ようやく外国からの子供たちが入ってきて変わりつつあると思うんです。それは評価のこと一つ取っても,今までは日本語で指導して,日本語のテストをやって,それで評価をしていく。一律でやるんやというところが,それもできなくなってきているというのは,外国の子供たちが入ってきて,やっぱり評価の問題も変わってくるし,そういう意味でいくと,日本の学校やから日本語で授業して,日本語で評価をしてというところもやっぱりどこかで変わっていかないといけないのかなというふうに思うんです。だから,入ってきた子供がいろんな輝くものを持っているわけですから,その母語を大切にしながら母語で授業をする,母語も大切にする。そういうことが日本の社会の中でできていくならば,当然日本語の指導をしている方は自分の能力をもって一生懸命日本語を教えていただきたいし,母語を大事にする母語を教える先生がいらっしゃるわけですから,全体の中はそういうふうに日本の社会も変わっていけばいいかなというのは思っています。

山田:はい,ありがとうございます。それじゃあ,別の視点から,もう1件ぐらいになってしまうと思うんですが,御意見,御質問,どうでしょうか。

参加者:R大学のTと申します。今,月刊日本語で日本語ボランティアの連載出たとき,実はさっきのに関係するんですが,母語というのは,第1言語とどう違うという,つまり現場の子供たち見ていたら,いつまでも母語を,さっきの金さんがアイデンティティなんですけども,かかわっていっていいのか。とすると,私自身は春の日本語教育学会でシンポジウムやったんです。山田先生も入っていただいたんですけど,外国人の定住問題のときに日本語教育がどこまでできるのか,何ができないのかということをしっかりどこかで見きわめておかなければいけないんじゃないか。何でもできるんだというふうな形での日本語教育というのは,僕は日本語教育はヒアリングで習得してと言っているんです。それをきっちりやっぱりどこかで見きわめる必要があるのかなという,これ意見なんですが,どうすればいいか分からないんです。

山田:どうでしょうか。今,Tさんの方から御意見が出ましたけれども,関連で皆さんお考えのことあれば。難しすぎますよね。

参加者:日本人イコール*1日本語を話す人という常識が日本人の場合はあると思うんですけども,移民の国やなんか,アメリカなんかだと,公用語とか,この国の言語というのと各民族あるいは家庭で話す言語,あるいは教育の場で話す言語というのがまた別にあるという背景で,私たちは母語とか言語と民族と国籍と,そういったものがすべてイコールであるという考えをまずちょっと切りかえないと,そういった外国人に対する言語教育であるとか,接し方というのが難しいんではないかなというふうに私は考えています。

*1 イコール 等しいこと。同じであること。


山田:はい,ありがとうございます。じゃあ,最後かもしれませんね。

参加者:今の田尻先生のお話でいきますと,第1言語,先ほど言いました子供は第1言語はどちらになるんでしょうか。英語は忘れているんですけども,今,日本語もまだ話はできるけど,後は全くできない状態でやっているんですけども,その子の場合の母語はどうなって,第1言語は。

参加者:私が答えます。つまり,それを母語だととらえるんでしょうかということなんです。母語じゃないかもしれないじゃないですか。だから,そういう意味で第1言語,第2言語というとらえ方をすべきじゃない。母語だと言っているところに何か妙にさっきのアイデンティティ論争に入っていっちゃうので,母語だからそこはあればその子はしっかりアイデンティティを持つという保障はないんじゃないのかな。その上で,日本語というのはどうやって役目が出るのという,すごくしんどいことを今多分私たちは問われているんだろうと思うんです。ですから,あえて母語というのは使わずにという。母語を使うことによってある種の何かイメージをつくってしまうというは,さっきから繰り返して言っていることだというのが,とりあえず私の答えですから。

参加者:今の状態のような場合は,どちらが第1言語でどちらが第2言語というふうになるんですか。

参加者:そこで問題があるんです。つまり第1言語というのをどうとらえるかなんです。つまり,その人は今から生きていくうちに大事にするものとか何か,そういうのは意識調査は今は出るんでしょうか,出ないんでしょうか。それも聞きたいんです。私,実は今度,南宇治で中学校の在留の呼び寄せの子供たちにかかわっていくんですが,そこでやっぱり親御さんと含めて,一体,あなたらはどの言葉を今から必死にやっていくのということを聞いていこうと思っています。

参加者:済みません,堺市と神戸市の方で子供の支援をしているKといいます。いろいろ意見が出たんですけれども,やはり自分が担当している子供にとって,何が足りなくて,何を私たちが母語にしても,アイデンティティにしても,教科にしても,日本語にしても,すべてその子供によって足りない部分って違うと思うんです。だから私たちはそういったことを踏まえて,その子にとって何があればいいのであろうかというを提示してあげることであって,もしそれを子供が望んでいないのであれば,やはり押しつけになってしまうと思うんです。だから,子供の反応を見ながら,子供が欲しいものが提供できるような立場であることが,やはり指導していく上で大事なんじゃないでしょうか。だから,いろいろあると思うんです,いろんな意見が。でも一番はやはり子供が何を欲していて,何が足りなくて,私たちに何ができるかというのが一番覚えておかなければいけないことじゃないでしょうか。

山田:はい,ありがとうございます。それでは最後に,一言ずつになってしまいましたけれども,4人のプレゼンテーションしていただいた方々に順番に,締めくくりの御意見をお願いしたいと思います。一言で,お願いします。

村山:日本の未来は,今子供たちにかかっていると思います。子供たちの状況から目を離さないでしっかり支援をしましょう。よろしくお願いします。

長嶋:僕自身は,ずっと被差別地域の子供とか,在日朝鮮人の子とかかわって教師生活を終えたわけですけど,そういう中で今のいろんな議論がありますが,例えば子供が嫌がるからとか,そうじゃなくてやはり子供がちゃんと生きていくというか,学んでいくとか,そして子供は日本中で自分がちゃんと自分の主張ができて生きていくとか,そういうことをやはり向き合う側がきちっとつき合わないと,やはりこちら(教師)も逃げるし,向こう(児童生徒)も逃げるし,そういう関係になるんじゃないかなと危惧します。日本語教育といえども,やはり子供,ひとりの人間とつき合うわけですから,そういう視点はちゃんとして欲しいと思います。それが日本の中では,解放教育あるいは同和教育とか,人権教育とか,もう何10年来,培ってきたというか,そういうところで築き上げられたものなんです。だからそういった視点を失わないで大事にして欲しいと思います。その上で日本語教育があると思います。

太田:一言ですので,ちょっと言いたいことはたくさんあるんですけど,やめます。それでやはり私は言語学の専門では何でもなくて,やっぱり教育なんです。言語の問題を少し考え始めたという,全く言語については素人なんですけども,そういう子供たちがどういう状況の中で,この日本語教育というものを受けているのかという,これは山田先生もよくおっしゃっていますけども,やはり山田先生の言葉で言うと文脈というんですか,そういう文脈というものをどういう文脈の中で我々はこういう子供たちの教育にかかわっているのか。そして日本語教育にかかわっているのかということをやはり考えていかないと,足をすくわれしまうんではないかというように思っています。それは私の言葉では,要するに日本語教育は真空の中で行われているんではないという。ただ単に子供に日本語を教えるということだけではなくて,その背後には様々な状況なり,力関係なり,様々なものがあるんだという,その辺をよく考えながらやはり日本語教育というものを考えていっていきたいというふうに思っています。以上です。

中津:先ほど,言葉の使い方のところでいろいろ御意見がありましたけれども,全く素人,ゲーム・センター代わりに立ち寄れる国際交流センターのおばちゃんとしては,子供が使う言葉といったところでそのまま使いました。母語という言葉は子供が母語,母なる語,私の根の言葉というところで,ここにいらっしゃる皆様方,日々御活躍かと思うんですけども,やはり再度お願いしたいことがあります。日本語教育といったときに,ややもすると日本語教育の「日本語」の部分に力点がやはり強まるような気がしておりますが,やはりトータルな日本語教育活動なわけですから,「教育」という視点をより強く意識していただきたいということです。あのときに教えたあの子,今,何しているかなといったところ,日々のお仕事の中でぜひ追指導する,それが難しいようでしたら,次なるネットワークの方に情報をもらってくるというようなことをしていかないといけないような気がしております。そうでないと子供はやっぱりだんだんと自分の言葉を飲み込んでしまうと思います。いつまでも,子供をずっと長く見る。成長段階ごとに出る課題に直面する力,直面して受けとめて,考えて,行動して,自分ができなければ誰かに頼むという力をつけなくちゃいけないような気がしております。ありがとうございました。

山田:ありがとうございます。時間が若干伸びてしまいましたけれども,私は司会に徹して,本当はもう山ほど言いたいことがあるんですけども,飲み込ませてもらいました。それじゃあ,これで終わります。午前中からの方は本当に長い時間だったんですけれども,熱心に御参加いただきましてありがとうございます。それじゃあ,皆さん,またどこかでお会いすることがあると思いますので,そのときにはまた成果をお互いにシェアをしたいと思います。よろしくお願いします。
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