日本語教育研究協議会 第4分科会

松本:皆さん,こんにちは。ほかにたくさん素晴らしい分科会があるのに,第4分科会にお越しいただきましてありがとうございます。
ここでは,先ほど野山さんからお話がありましたけども,ディベートについて皆さんと考えて,かつ,少し時間があれば活用に近いものを皆さんに体験していただこうかなというふうに思っております。
まず,皆さんの中でディベートというのを学習したことがあるという方,ちょっと手を挙げてください。ディベートを使って学習をさせたことがある,自分はやったことないけども,指導法としてディベートを活用したことがあるという方,手を挙げてください。ああ,結構いらっしゃいますね。いい傾向だと思います。
それでは,今日,この日本語教育のセッション*1にディベートというものがなぜ入っているのか,私もよく真意は分からないんですけども,まずもって,先ほどのパネルディスカッションでやりましたけども,皆さんのお仕事の中には,いろいろな文化を持った人と接しなければいけない,それは外国の文化だけではなくて,日本人の中にも行政の文化を持っている人たちとの話し合いというものも必要だと思うんですね。
それで,民と官があって,違う文化を持って,同じ日本語を話しているのにどうも違うことを言っていたり,考え方,分析の仕方が違う,お互いが批判をし合っているというような状況というのは不幸な状況だと思うんですね。それで,官と民の立場の人たちが一つの方向を向いて話し合う,議論をするということが,私は必要なのではないかなというふうに思っているですね。官と民が話し合うことによって,公ですね,おおやけの公,お互いにぶつかり合って,バカにし合ったりとかですね,ということではなくて,お互いが議論することによって,議論というプロセスを経て,公という,民と官の混ざり合ったというような領域というか感覚というのか,そういうものをつくりあげていくためにも,議論ができないといけないというふうに思っています。
ですから,市民活動をする上で同じ市民としての考え方とか,あるいは公共性というものを考えて冷静に議論するというのは,市民活動をされている方にとってはどなたにでも必要なことではないかというのが基本的な私の考え方です。かつ,外国の人に日本語を教えるときに,あるいは学習を支援するときに,ディベートは二つのとらえ方があると思うんですね。まず,日本語で資料を読んだり,それを分析して原稿を書いたり,あるいは人の議論を聞いてノートに取り,そしてそれについて質問をして,反論をして,あるいはそういう議論経過をすべて聞いて書き取った上で正しい判断を下せるとかいうような,すべてのディベートにかかわるプロセスができるようになるということが日本語学習の最終目標になるということと。
それと同時に,日本語というものを指導法としてとらえる,ね。今朝の話にありましたけれども,表現がだあっとあって,それを暗記するための練習をする,あるいはパターン・プラクティスをする,あるいはあるシチュエーション*2を決めてロールプレイ*3をする,決まったシナリオ*4をロールプレイをするというのだけではなくて,一つのテーマ,ディベートでは論題といいますが,論題を与えた中でそれについての資料を読んだり,書いたり,話し合ったり,論をまとめたりということ,そのプロセスが学習法,指導法になっているというゴールとしてのディベートと,指導法としてのディベートという二つの観点があるというふうに思っています。
そういう意味で,私の場合には,日本語で教えるというのは,外国の人よりも日本人に日本語でディベートを教えることがたくさんあります。小,中,高,大,それから,一般の方々,企業の方々,たまに留学生を相手にディベートの大会とか,あるいは文化庁の実験的な授業とかいうのにディベートを取り入れてかかわったりということがございますけれども,そういうようなことと。
それから,日本の中学生,高校生が英語で学習をするときに,英語の学習をするときのディベート指導といったことで,例えば文部科学省の検定教科書でも中学校3年生の最後にディベート活用ができるような展開をして,モデルのディベートを示してみたり。あるいは高校では,この4月からオーラルコミュニケーション1*5というのが始まっておりまして,来年はオーラルコミュニケーション2というのが始まりますけれども,そういう科目の検定教科書において,高校生が英語でディベートができるようにというふうな,プロセスの中にディベートを取り入れているといったようなことをしております。

*1 セッション 集団で行う活動がなされる期間。またその集まり。
*2 シチュエーション 状態。事態。状況。場面。境遇。
*3 ロールプレイ 役割を模擬的に演じること。
*4 シナリオ 脚本。
*5 オーラルコミュニケーション 口頭で行う会話。

  また,普段,私は東海大学に,全国で14校の付属高校と6校の付属中学がありますけど,そこに英語の選任教員だけで,選任だけで150人教員がおりますけど,その人たちの英語の指導力向上と,それから,英語運用能力の向上ということの研修を担当しておりますけども,そこでも英語の運用能力を高めるために英語のディベートを実践してもらい,かつ,ディベートの発想を利用した指導法というものを開発しているというようなことをしておりますが,そういうような観点から,今日のディベートを考えていきたいなというふうに思っております。
まず,ディベートというといいイメージのある人,ちょっと手を挙げてください。ディベートって楽しいと,やってみたいとかいう人,ちょっと手を挙げてください。どちらかというと,ディベートっていうのはいやなものだと考えている人,手を挙げてください。そっちの方がやや多いですかね。
38対43ぐらいですね。それで,良くないことにどうして今日はいらしたんですかね。怖いもの見たさでしょうかね。ディベートというと,ネガティブ*1なイメージがあって,某教団の,某さんもそれに随分かかわってる,最近またテレビに出てきておりますけれども。
ああ言えばこういう,ああ言えばなんとかという感じかも知れませんけど,何かディベートというと,屁理屈というイメージがあるようなんですね。私は,ディベートをちゃんと勉強すると,屁理屈を言わない人になるというふうに思っています。と言って,私が屁理屈を普段言ってると言われちゃうと困るんですけども。
要するに,お互い学び合うために議論をするんですね。この場合もそうなんですけど,議論を避けてしまうと,単にいやな人同士になっちゃうんですね。けども,考え方は違いがあるわけですから,議論しなきゃいけない。この場合もそうなんですけど,ディベートの決定的に普段の喧嘩と違うところは,感情の発散をしてはいけない場であるという前提があるということなんですね。大体あなたは気に食わないのよというような,感情の発散の場ではないという前置で議論をするということです。
ですから,私が,例えば企業とかでディベートを教えると,ディベートの良さは分かりました,上司に教えてください。上司がディベートできないんですという,それは確かにそうで,ディベートできない人とはディベートしないようにしましょうというのが,研修の最後の締め言葉なんですけども。
相手をリスペクト*2できない場合にはディベートしてはいけない,というのは,ディベートにはならない,喧嘩になってしまう。相手は議論するに足る人であると,この人と議論したいと思う人と議論すべきことですね。それか,あるいは第三者が聞いてるという状況ですね。

*1 ネガティブ 否定的であるさま。消極的なさま。
*2 リスペクト 尊敬。注意。関心。

  私の考えの方が彼の考えよりも,皆さんのためになりますよねという,そういうときに議論するわけですね。ですから,今選挙が行われていますけど,党首討論なんか意味あることなんですね。高速道路を無料化すべきと,で,そんなの無理だという議論をしています,あるいは民主党は週6日制に戻した方がいいんじゃないかというような考え方を提示しています。自民党はそうじゃない。それはお互い議論して,第三者に判断してもらいましょうという前提があるから議論しているわけです。
それと,自民党も民主党も,ディベートもそうですけど,官も民も皆さん,ディベートもそうですが,基本的にその地域を良くしたいと,あるいは日本はどうあるべきかという議論は,日本を良くしたいという価値観,これは共有されてるという前提なんです。
ですから,例えば大阪府はボランティア活動にもっと予算をつけるべきだとか,コーディネータという専門職をもっと採用すべきだという考え方,いや,そうじゃない,という議論をするときに,基本的にはですね,大阪府の税金をいかに効率的に,皆さんのために使うかということを考えた上での議論をしているという前提,大阪府はどうなってもいいという人は議論するわけではないということなんですね。
ですから,基本的には屁理屈は言えない環境にあるということなんです。例えば皆さんは会社に勤めていて,皆さんが企画書を作ります。そのときに,何でもケチをつける上司っていますね。あいつの提案はつぶしてやろうという意味での単なる質問をする,厭味の質問をしている。これは,こういう図式になってないですね。皆のために,会社のために,いいものをやろうというのじゃなくて,個人的にあいつはつぶしてやろうというときにはそれこそ屁理屈の議論が成立するわけです。
ですから,ディベートの場合には,基本的には,みんなのために議論するんだ,感情的にならない,相手を人間的に好きなわけではないけれども,いい考え方を持っている,違う考え方を持っているけれども議論するだけの価値のある人であるということを認めた上で,活用する,非常に人間的なものなんですね。
ポチとミケが,私のドッグフード*1の方が君のキャットフード*2よりもおいしいとかですね,そんなこと議論していくことはありませんので,人間だからこそできるコミュニケーション活動をしているといったことですね。感情を発散する,きゃあきゃあおいしい,おいしくないと言ってるだけではなくて,議論をするというのは,相手と考え方をすり合わせた上で活動するということであるということと,言語教育の立場から見ると,包括的に言語を使っていくといった考え方だということなんですね。
聞くとかしゃべる,話すということに,ディベートしてる最中は非常にフォーカスされますけれども,事前に読んだり,原稿を書いたりというプロセス,それはすべて物事を考えるという4技能を包括する,統合させる第5の技能としての考えるというもので統合した上で行っている活動なんだとふうに考えることができるとよろしいかなと思います。
では,もう少し具体的にレジュメの75ページを御覧いただいて,話を進めていきたいと思います。
ディベートには,まず一つの論題というのがあります。テーマと,トピックと言っても問題はないですけども,ディベートは論題という言葉を使います。なぜかと言うと,例えば,地域の日本語教育についてと言うと,これはトピックやテーマと考えていいと思いますね。で,ディベートの場合には,そういうくくりをしない,トピックとしてのくくりをしないで,例えば,文化庁は地域の日本語教育に対する予算を増やすべきであると,そういうふうに方向性を示すか,あるいは判断をする,コーディネータは地域の日本語教育の発展に重要であるというこの判断ですね,それが正しいか正しくないかというふうに,イエス*3かノー*4か分かれる,二分にする,これがディベートにおいて必要なことです。

*1 ドッグフード 犬のえさ。
*2 キャットフード 猫のえさ。
*3 イエス 肯定や承諾の語。賛成であること。
*4 ノー 否定の語。否。

  その論題に対して対立する立場を人工的に作り出すということです。イエスとノー,その立場を固定するということですね。ディスカッションの最中には,ディスカッションが始まる前に,例えばテーマが論題の形式のように文になっている場合にも,挙手をとるということはあまりないですね。
例えば,地域日本語教育においてプログラムコーディネータは必要かとかいうようなテーマ設定したときに,はい皆さんこの中で賛成の方手挙げてください,反対じゃない人手挙げてくださいと言って,立場を明らかにすることはないですよね。皆さんが例えば日本語学校に勤めていらっしゃる場合にも,カリキュラムを改訂しようなんていう話が出たときに,カリキュラム改訂について賛成の方,手を挙げてください,反対の方は手を挙げてください。では,議論を始めますというやり方はしないです。立場を明らかにしないでディスカッションすることは許されます。
そうするとどうなるかというと,大体ですけども,声の大きい人,ね,いつも話す人が,大体時間を独占してしまうんです。ほかの人は,うーんとかうなづいたり,メモをとっているふりをするとかします。すると,これはカリキュラム改訂の方向に行っているのかな,ちょっと不満だけどここで私が何か言うと,またごちゃごちゃするし,意見言うと,じゃあお前やってみろとか言いそうだし,あの上司は,じゃあ黙ってましょうという感じで議論を聞いてる。自分の立場を皆さんに気付かれないように変えていくと。
ところが,変えようと思ったら,急に一番上のトップがですね,いや,今のままでいいとか言って,そうですよねと,大きくうなづいてですね,やっぱりそうですよねとかいうふうに空気を読むということがここでは大事になってくると。なるべく問題を起こさないように,摩擦を起こさないということが理想的なごとくですね,振る舞うということは,結構あります。
授業中もそうです,とっても元気よくしゃべる子はずっとしゃべってる,で,日本の場合はあまりそういう子はいないですけども,外国の方々の中には,非常に自己主張の激しい人がいて,一人でずっとしゃべってるということが往々にしてあるんじゃないかというふうに思います。
で,ディベートの場合には,最初から最後まで立場を決めるという前提があります。実社会では,裁判とか,あるいは党首討論,大統領選のディベート,こういうものが皆さんの実社会でのディベートの原型として考えることができると思いますが,途中で変わらないですよね。少なくとも皆さんの前で,党首がディベートしてるときに,小泉さんが,管さん,あなたよく勉強しています,確かにあなたのおっしゃるとおり,高速道路は無料化の方向でもう一度考え直してみますというようなことは,おっしゃらなかったでしょ。
それよりも,無料化することのメリット*1とデメリット*2と,どういうことが起こるかということを管さんと小泉さんが予測してる部分を議論をからませているとしますね。そうすると,無料化するとどういう状況になるかということを,私たち有権者はより理解することができて,その上でどちらの政策の方がいいかということについて一票を投じるということになると思うんですね。
ですから,まず,ディベートは最初から最後まで立場は決まっている。さらに,聞き手がいることが大前提になっているということです。要するに相手側は自分の意見に賛成しない,問題に関してはですね,途中のプロセスにおいては確かにそういうことは重要ですということはたくさんあります,同意する部分ありますけども,論題に関しては賛成しませんので,一生懸命相手,自分が議論している相手に議論してもしようがなくて,聞いてる人に判断していただくというプロセスで,そういう意味では,コミュニケーションの形態としてはパブリックコミュニケーションという分野に入ります。公,公的なコミュニケーション,パブリックコミュニケーションということになります。
ですから,皆さんがお友達と話すようなコミュニケーションではなくて,人前で演説をするというようなのと同じような形態のものであるといったことなんです。
ですから,論題に選ぶのも,個人の趣味にかかわるようなことはあまり入れません。ペットとして猫がいいか,犬がいいか,そういうのはあなたの勝手でしょということになりますので,ありませんね。阪神タイガースとダイエーホークス,どっちが好きな球団ですかというようなものも関係ありません。ただ,来年,阪神は優勝するというのは,これはディベートになりますね。来年2連破する,セリーグで。これは予測することですから,岡田監督に変わっても優勝する,なぜかというと,いや優勝しない,今年優勝できたのは星野の存在だ,頼りない顔した岡田になったら,怒りそうもない岡田になったら,みんな練習しなくなるから,というのは,少しパブリック*3な要素があるということが出てきます。

*1 メリット 利点。長所。利益。
*2 デメリット 不利益。欠点。短所。
*3 パブリック 公共に関するさま。公の。

  というようなことが,ディベートにおいて,言えるというか定義になる,三つの要素になるということですね。論題があって,イエス,ノーに分かれるディベーターがいて,聞く人がいる。
で,ここで聞く人がいる,あるいは書面でやるときは読む人がいるわけですけども,この誰にコミュニケーションしているかというのを意識するということが,ディベートを導入するときの一つの意味というか,この発想をほかのディベートに関係ない活動でもぜひ取り入れて欲しいなと思います。
ディベートは,常に聞いている人はちゃんと聞いてくれているか,ノートとってくれているか,あるいは論理的に理解しているかどうかということを注意して話をしなければなりません。
ですから,ディベートの大会のときには,専門家が審査員になりますから,審査員が分かるように話せばいいわけですね。ですから,皆さんがもし日本人の大学生のディベート大会を見たことがあるとするならば,ものすごい勢いで話をしています。で,下を向いて話してる,話し方はあまり重視しない,大会の場合にはそういうものがあります。それはなぜかと言いますと,審判が早いスピーチを聞いても分かるということですね。
ところが,同じディベーターが一般の大学生の前で,ノートをとらないで聞いているような人を相手にした場合には,ゆっくりした速度で,情報も少なく,証拠資料もそれほど専門的でないものを使って話をするといったように,聞き手に合わせてプレゼンテーションを行うというような大原則があります。
私が思うに,英語教育では特にそうですけれども,何かものを書くときもスピーチをするときも,誰に対してメッセージを発しているのかということを意識しないものがあまりに多いですね。特に国語教育はその最たるものです。
遠足に行きました。(土)に行って,(月),大体,感想文を書く,なぜ感想文を書くかというと,先生も疲れていて授業の準備をしていない,ですから今日は皆さん,先週○○に行ってきましたね,楽しかったですか,はあい,では感想文を書いてください。今から原稿用紙を渡しますね。
このときに,誰に向かって書きましょうなんていうのは,皆さん聞いたことありますか。ないです,私の国語教育ではなかったですね。
どこかに行って,どんなことをしたか,どんなふうに楽しかったか,というのを誰が読むかによって,書く情報も書き方も全く異なるはずなんですね。一緒に行った先生が読むのか,一緒に行ったクラスメイト*1が読むのか,あるいは一緒には行ったけども,行動を共にしなかった隣のクラスの子が読むのか,あるいはお父さんお母さんが読むのか,あるいはそれを学校の新聞に載せる記事として書くのか,これは全然,本当は違うはずなんですね。

*1 クラスメイト 同級生。

  ところが,誰が読むのかということを意識させないで,書かせてしまう,徒然なるままに書くと。で,先生は何を直すかというと,漢字を直したり,ここが跳ねてませんとか,ここは点が必要ですとか,漢字間違ってるのだけ直してる。先生はそれを読んで,どう思ったかも書いてない。一応花丸はしてある。何で丸なのかよく分からない。
せめて先生の立場で読んで,先生に向かって書いてるとするならば,それが暗黙の了解であれば,それを読んだ先生はどう思ったかというフィードバックをして欲しいですけども,権威を象徴する赤ペンで直す,あなたは間違っている,私は分かってる人,自分だって漢字間違えるくせにですね,間違ってると赤で直す,で,減点方式で返すと。
こういう国語教育をずっと受けてますから,誰に向かってるか分からない,ですから大学の教員の中でも,誰に向かって話してるかよく分からない人たちが教壇に登ってることが多いわけですね。
ディベートの場合は必ず第三者を説得するんだということを意識させるということです。その辺をぜひ考えていただきたい。ただ,練習をするときには,例えばペアでディベートもどきみたいな練習をどんどんしていきますが,ペアでしたりグループでするときには,第三者を,この活用では便宜上入れてませんというように活用することはありますけど,最終的には,やはり第三者を説得するんですよというようなことを前提とします。
論題は,4)に政策論題とあります。AはBをすべきである。基本的には主語を入れた方がいいと思うんですが,日本は首相公選制を導入すべきである。何々国際交流協会は何々すべきである。というふうにですね。
判断論題,事実や価値に関することについて論じる。先ほどの阪神は来年も優勝するというのは判断ですね将来は。あるいは事実に関しては,邪馬台国は九州にあったという,例えば歴史的にまだ決着がついてない事実関係について議論をするといったようなものが,この判断論題に入っています。
そして,少しディベートを使って学習させているという方々の中によくあるという,この間もうちの東海大学の留学生センターの先生方に話をしたときに出てきた質問というのは,立案まではうまくいくんです,立案というのは最初にするスピーチです。論を立てるスピーチで,立つ論で立論とか言います。例えば,日本は小学校で英語教育を導入すべきであるといったときに,そこの最初のすべきである,すべきじゃないという,論までは立てられるんだけど,その後の質疑応答とか,反論,反駁,というようなところで議論が全くかみ合わなくなってしまう。どうしたらいいですかという質問を受けます。
これは日本人の学生がやるときも全く同じ問題が生じてくるんですが,これは,いろんな要素があると思うんですが,一番大事なことは,ディベートにおける分析の発想を共有しているかどうかということが基本的な問題としてあるかと思うんです。
で,企業の中で,ディベートを導入している会社の中には,ディベートを活用して社員のプレゼンテーション能力を高めたいとか,交渉能力を高めたいという一般的なものとは別にですね,発想,分析の考え方を共有させることが大事だというところまで踏みこんでディベートを活用しているところがあります。
ディベートにおいては二つの分析がすごく大事なことで,一つ目は主要争点分析ということで,もう一つがシステム分析ということです。これは難しそうなことが書いてありますが,非常に基本的なことです。
次のページをあけていただきます。主要争点分析というのは,どのような論題であっても,政策に関する論題,わが社は何々すべきであるといった政策論題の場合には,ほぼいつも論じなければいけない,あるいは少なくとも分析しなければいけない争点のことをいいます。それが,非常に簡単なことです。問題,原因,提案,問題が解消するかどうか,新たな弊害が起こるかどうか,この五つのポイントさえ押さえておけば論理的に議論ができるといったことなんですね。
これを共有していないと,難しいです。こういう発想で議論するんだということをちょっと難しいかもしれないですけども,ディベートを導入するときに教えておかないと,あるいは先生が理解してないと,いろんなことを言います。
小学校で英語を教えるべきだったときに,とうとうと自分の過去の経験を述べただけとかですね,何かおかしい,どう説明してあげたら,どういうふうにコメントしていいか分からない,話としてはすごくおもしろかったなというようなことがあるかと思うんですけども。
この政策の論題の場合には,例えば日本は全ての小学校で英語を教えるべきであるという場合に,例えば日本人の英語力が低いという問題を出す,それは本当に低いのかどうか,じゃあ低いとしたら本当にそれが問題なのですかといったようなことがまずある。その原因は何なのかといった動機,ここでディベートは混乱しちゃうんですね。
中学校の先生がなまってたですとか,いろいろ個人的な恨みつらみが出てきたりですね,あるいは,訳読,文法中心だったから,ちょっと待って,あなた肯定側でしょ,その論をずっと突き進めていくと,小学校で英語を教えるべきに到達しますか,ということになるんですね。
小学校でということは,例えば年齢の問題とかいうのが原因に,主なる原因にしてこないと,肯定側として小学校で教えるべきにいかないのではないのかというようなことを考えてもらうんですね。
13歳では遅すぎるという例えば議論ができあがる,そのときに,次に提案で,全ての小学校で英語を教えるといったときに,何歳,何年生から教えるんですか,何回教えるんですか,誰が教えるんですか,どんな教え方ですか,また,ここもですね,これで話が盛り上がっちゃうんですね。小学生歌を歌うとか,いや,ティームティーチングでこういう方がいいとか,そうすると,否定側の方は,いや,4年生じゃなくて3年生じゃないとだめなんですとか言い出す,でも,あなた否定側でしょ,小学校で英語教えるべきということには賛成しちゃってるわけですね。3年生ならいいと言ってることは3年生であれば,小学校で英語を教えるべきであるということに賛成するわけですから,それじゃあ違うでしょうというふうなことの議論の整理をしていかなければいけないんですね。
あくまでもこの提案というのは,この論題をこの肯定側のチームがこういう政策で推し進めるということを言ってるだけなので,論題を否定するという否定側の立場を忘れちゃいけませんよというようなことになってくるわけです。
実際に小学校3年生から導入したら,問題は解消するのかと,ここでテキストが売れるようになるから,日本の経済は発展するとか議論する,それはそれでいいんだけれども,あなたがあげた問題は日本人が英語力低いということでしたよね。そしたら,日本人の英語力が高まるということを,ちゃんと説明してください。ということに議論を戻していく必要がある。
こういうふうに問題,原因,提案,問題解消という流れで議論をする,この4点について質問する側,あるいは反論する側は常に聞いているという発想です。本当に問題は重要なのか,問題は論題と関係するのか,肯定側の提案は問題を解消するのか,あるいは少なくとも良い方向に持っていくのかというようなことを,考えながら聞くということですね。これがすごく大事なことであり,このパターンで考えるということを共有化しないと,議論はぶつかり合わないのです。これは基本的なことだというふうに私は考えます。
日本の大学生は人のプレゼンテーションを聞いた後,any questions?*1というふうに言われると,それから考えようとしますね。何か質問ないかなって。で,シーンとしてるわけですね。途中考えてないと質問できないですね。

*1 any questions? 何か質問は?

  だから,何かプレゼンテーションさせるときにも,本当に問題は重要なのか,具体的に説明してくれたかな,納得できないな,問題分かったけど,あの人が提案してることと関係ないなとか,そういうふうに考えていくということがまず一つ大事なことだというふうに思います。
もう一つのシステム分析というのは,システムとして肯定側が提案するシステムと,否定側が提案しているシステム,多くの場合には現状維持ですね,このどちらのシステムの方がみんなにとっていいことか,主語になっているものに対してどちらの方がいいシステムなのかということを最終的に議論します。ここが裁判でのディベートと政策のディベートの大きな違いです。Aという人が刑事裁判にかけられているときには,証拠がはっきりしない場合には無罪になりますよね。推定無罪の原則を採用します。何かおかしいなと思っていてもですね,証拠がない限り無罪にするわけです。
ところが,政策を議論しているときには,そういう推定無罪の原則,推定で現状がいいという原理を基本的には導入しません。ですから,例えば,高速道路を無料化するというときに,無料化してあんまりいいことが起こらない,ちょっとしかいいことが起こらない場合にも,ちょっとであってもいいことが起こるのであれば肯定側の政策を支持するというのが政策論題での発想なんですね。
となると,否定側は悪いことが起こるから,今のシステムがいいんだと,ですね,首都高速なり阪神の方の高速道路を有料化を無料化にすることによって,例えば,どんどん高速道路を車が使うようになって,痛みが激しくなって,また税金を余計使わなければいけない。あるいは,物流も混乱をするとかですね,何か否定的なことが起こるという推論を立てて,それを証明することによって現在のシステムの方がいいんだということを議論する,あるいは考えることがシステム分析ということです。
ですから,この二つだけを考えてください。今のところ難しいなと思われるかもしれませんが,非常に簡単なことです。今日,皆さん,ここに来る場合にも,私は文化庁日本語教育大会に行くべきであるかどうか,議論,無意識のうちにしてる人もいると思うんです。どうでしょうか。
そのときに,行く場合のメリットとデメリットを考えてると思うんですね。河合長官も来るしとかですね,まあおもしろそうとも何とも言えないけども,まあ何かきっかけ得られるかしらね,ほかにやることもないしとかですね,あるいはこういう家族との約束があったけども,そこで何とかごめんねと言って,そこでデメリットはある程度,人間関係生じるけども,この大会を逃したら,ひょっとしたら,すごく大きなものを失うかもしれない,逆にいうと,得ることが大きいかもしれない,そちらに託してみようというふうに,常に我々は決定をするときにプラスとマイナスを秤に掛けている部分がありますね。
それを度外視してやるときは,非常に,男意気に感じてるとか,女性にとっては,今これをやらなきゃ私の人生だめになるとか,そういう何か強いものがあって動くときはもちろんありますけども,多くの場合には,こう無意識のうちにプラス・マイマスをはかっているのは,我々人間ではないかというふうに思います。
また,この主要争点分析に関しても,何かアクションを起こすときに,私は転職すべきであるかどうかなんて悩んでいるときには,今の職場にどんな問題があるのか,その問題は今の仕事に直接関係しているという原因が,今の職場にある,その問題を解消するには,職場を変えない限り解消できないとなれば転職をするというのはありますね。そういうふうに考えていくと,この主要争点分析というのは,我々日常的に何か結論を下すときにやっているプロセスなんだというふうに考えていただければよろしいかと思います。
実際にディベートできるようにするときに,どうしたらいいかというと,コミュニケーション,基礎的なスキルと,75ページの2の2に戻っていただきますと,まず,主張したいことを短い文で書く,あるいは言うという練習が必要です。
これは特に日本語が上手ではない人たちに行う場合には絶対に必要なことです。なぜかというと,文法的あるいは発音の上で問題がある場合に,何を言いたいかということを極力短い言葉にまとめられれば,まず,自分が何を言いたいかが分かってるということですね。かつ,その言葉を頼りに聞いてる人たちは議論を追っていくことができるんですが,一番最初の文が非常に長くてだらだらしていてというふうになると,高い確率として,話している人が何を言いたいか,自分でも分かっていない。だから,しゃべりながら考えているという状況。あるいは,聞いてる人は10人いたら10人違う解釈をしてしまうという可能性が高いということなんですね。
そういう意味で,新聞に見出しがあるように,あるいは新書版に小見出しがあるように,専門書にちゃんとチャプター*1があるがごとく,そこにチャプターごとくラベル*2が付いてますね。見出しが付いています。小見出しが付いてる。それをまず書くということ,あるいは話すということによって,論の柱ができるということです。
同じことを,私は中学校の3年生とか高校生の1年生の英語の時間に試しています。中学3年生ぐらいでも,かなり社会的な問題で,英語でディベートできないことができるようになるのは,この短い文で言いたいことを主要争点ごとに1文にまとめるという作業をしてからです。
例えば英検1級のスピーチに合格できない人を合格させるには,このやり方が一番効果があるということなんですね。どういうことかというと,もう一度76ページに戻っていただきますと,小学校で英語を教えるべきだということの何が問題ですかというと,日本人の英語力が低いと,文にすることがありますね。で,次に,中学校入学時ではおそ過ぎる,結論を言うんですね。日本では今まで小学校で教えていなくて何とかかんとか,もうわけが分からなくなっちゃう,何言ってるのか。ですから,問題,原因,それぞれ,そして提案を箇条書きで書く。実際どうなる,それから,それを言ってから,説明しましょうと,いったやり方をする。
これを英語教育の場合には,英語で書くと,これをつなげると,一応作文らしいものになるんですね。中学3年生なら中学3年生のレベルで。大学生だったら大学生のレベルで作文になります。それが,あとは,何々とか,次にとか,そういうようなつなぎ言葉を教えていって,最後に結論とは,英語だとインコンクルージョン*3だと,そういう言葉を教えることによって,まとまりあるものになっていくと。
あとは,資料があれば資料を付ける,体験があれば体験を付ける,皆さん御存じのようにというような言葉を使いながら,何か例を出していくということになるわけです。
で,上の文を2分間なり,あ,これ1分と書いています,1分ちょっとかかると思うんですけど,スピーチにした例がこの76ページの下にあります。要するに,上のような肯定側と書いてある部分のところの文をつなげることによって,こういうような,こんな高度の日本語にはならないかもしれませんけど,文法的な間違いがあっても,何を言いたいのかが分かるような,つまり,何を言いたいかというと,分析すべき論点をカバー*4してるということと。それぞれに言いたいことが簡潔に述べられていると。この順番で話すことによって,人は分かるようになるといったことなんですね。
例えば,私は日本人の英語力を向上させるために,日本は全ての小学校で英語を教えるべきであるという論題に対して肯定の立場をとります。まず,トピックをプレゼンテーションします。自分の立場を明らかにします。これからボディ*5の部分に入っていきます。1番の問題のところですね,現在,日本人の英語力が低く,国際ビジネスの場面で多くの問題が生じています。国際的な企業が社員の英語研修に莫大な額を支出していることからも,いかに問題が深刻であるかが分かります。というふうに,ある程度自分が新聞でも読んだようなことをつけ加えられれば,こういうふうに付け加えると。

*1 チャプター 章。主要題目。
*2 ラベル 広告や標識のためにはる小さな紙片。
*3 インコンクルージョン (in conclusion)最後に
*4 カバー 欠けたところや足りないところを補うこと。
*5 ボディー 胴の部分。

  では,なぜ日本人はなかなか英語が身につかないのかというと,中学入学時,つまり13歳は外国語学習にはおそ過ぎる年齢なのです。こういう重要なところは繰り返し読む,指導する。13歳では手遅れである,というようなことを2度繰り返すと,聞いている人も,13歳は手遅れと書いてくれるんですね。これは学術的な裏付けもあるあるネイティブなみの発音をマスターするには13歳では手遅れです。また,中学生ですと,人前で間違えることを恐れるという傾向が強いでの,他の人たちとの練習に多くの時間を割かなければならない英語学習を始める時期としては適さないといえます。
で終わって,ちょっとポーズ*1をとるようにしましょう。次の問題に移るときにはポーズをとりましょうという指導をして,そこで,私は論題を採択し,具体的には,なるべく詳しいことを言うときには,番号を付ける練習をさせて,小学校3年生,9歳から週2時間指導する。日本人教師とネイティブ教師のチームティーチングで行うというプラン*2の導入を提案します。
まず,プランを簡潔に述べてしまう,なぜ9歳なのかとか,なぜチームティーチングなのかということは,ここでは言わないようにする。で,次に,このプランを導入することにより,日本人の英語力がかなり向上します。なぜかということはその次に説明する。9歳から英語を学習することにより,正しい発音が身につきますし,抵抗なく英語を習おうというする態度が身につき,その結果として英語を身につけることが可能になります。
当たり前のようですけど,ここの部分が抜け落ちちゃうことが多いですね。これはなるべくもう一度説明すると,要するに4番,問題解消するということを必ず言ってください。で,最後に,まとめですね。以上のように,日本人の英語力向上のために,日本は,すべての小学校で英語を教えるべきであると考えます。と,1分か1分ちょっとのスピーチになるといったことですね。こういう枠組みを教えていってあげるということが重要になるということだと思います。ですから,論理的な理由を選択して述べるというところが大事になりますね。
次に,私たちが何をするかというと,また75ページの2の2に戻っていただきますと,これはもしディベートを日本語教育のあるひとつのゴールとして考えられている場合には,まとめるとか,言いかえるとか,繰り返すといったような練習をたくさんさせておいていただきたいですね。中学生に英語のディベートができるようにしていく場合にも,突如ディベートをやれって言われても,絶対できるようになりません。やはり1年生,2年生のうちから,言いかえる練習,あるいは提議をする練習をしてないとできるようになりません。結局肯定側がおっしゃりたいことはこういうことですとか,肯定側はこう言いましたが,というときに,ちょっと言いかえていたり,繰り返していたり,ということです。
ですから,皆さんが日本語を教える場合にも,何かを読んで,新聞記事の,例えばコラム*3,天声人語を読ませる,声の欄を読ませる,それを読んで,この人が言いたいことはこういうことですというふうに,一言でまとめる演習というのはものすごく大事なことになります。これがまず論理的なコミュニケーションをする場合の大前提になります。

*1 ポーズ 間。休止。区切り。
*2 プラン 計画。案。
*3 コラム 短い論評。

  それをちゃんと正確に論理を追えてるかどうか,というのが大事ですが,ですから,少しレベルの高い人になってくると,専門家が書いてるような論説文をまとめていくと,そうすると論理が飛んでる部分が分かるわけです。もうほとんど飛んでますね。急に結論がきちゃったり,あるいはそれまでに論じてることと関係ないことで,終えるのが大得意なのが天声人語ですけども。どういうふうに飛んでいるかということを実感させることによって,質問するポイント,あるいは反論するポイントというのは見えてきます。
それから,ディベートにおいて大事なのは,重要な議論とそうでないものを区別することなんですね。時間が決められているんですね,ディベートの場合には基本的に。立論何分とか,質問何分とか,反論何分とか決まってます。そうすると,重要でないポイントは無視していくと,あるいは相手は反論しないけど,自分たちの一番大事なことは,繰り返し述べていくとか,そういうふうに大事なポイントとそうじゃないポイントを分けていきます。
これが,私はディベートをすると寡黙になる一つの理由だと思うんですね。皆さんの団体なり,あるいは学校等で会議があると,中にはどうでもいいことについて反論する人がいますね。今,昨年の入学者は163人とおっしゃいましたけれども,161人ですとかですね,全然そんな,一人二人間違えても関係なくて,本当は,じゃあ,これから来年度の入学者を増やすにはどうしたらいいかという議論してるのに,え,61人でしたか,ちょっと待ってください,と,また,答える方もよせばいいのに,ちょっと昨年の資料を見ますと,いや,やはり163人ですが,いや,そんなはずはないです,そこで議論が盛り上がってしまったりとかですね。
そういうどうでもいいことと,今議論しなければいけないことというのを分けられないという人が議論上手じゃないと思うんですね。ディベーターの場合には,もう時間が迫ってますから,限られてますから,常に何を一番最初に議論すべきなのか,プライオリティー*1をつける練習になってくるわけですね。そういうことが大事なので,例えば,日本語を読むというときにも,精読だけじゃなくて,速読させて,何がポイントですか,あなた方はどこを一番重要だと思いますか,あるいはどの論点が初めて聞いた論点ですか,というような読ませ方をしていくことによって,ポイントをつかんでいくということもできると思います。
それから,ディベートで大事なのは,相手との同意点を探すということなんですね。ディベートは「NO」というゲーム*2だと思っている方がいらっしゃるんですけども,基本的には「Yes,But」のゲーム*3だと思うんですね。そのとおりだと思います。しかし,という。
なぜかというと,向いている方向は同じだということなんです。日本人にとって英語は大切だということを否定する必要は何もないんですね,例えば日本人の英語を小学校からやろうというときに。英語は確かに大事です,でも,というところで,どこまで相手と価値観を共有しているかということをはっきりさせて議論する。
このディベートで培ったこの能力を,普段のディスカッションなりあるいは家庭でのコミュニケーションに役立てるとするならば,この同意していることを協調することから始めることなんですね。これを多くの人は,大学の教授か何かが質問するときも非常に神経使いますから,反対しているわけじゃなくて単なる質問ですけども,とか相手との関係において,私はそんな無礼なことはしません,単なる質問なんですと,それでも怒り出した人がたくさんいますよ,大学の世界では。
でも,そういうやり方もありますけども,一番,私がいいなと思う,今までで成功しているやり方としては,そういうことよりも相手との共通点をまず決定的に同意している部分を強調するんですね。「そのとおりです。日本人,英語大事ですよね。先生のおっしゃるとおりです。」。「でも」をなるべく後にする。家庭は特にそうです。「そのとおりだよね」と。「君の言ってることは分かるけど」とか,すぐ言っちゃうとだめなんですね。そのとおり,というふうに言っておいて,で,「お互いのためを考えると,こっちの方がいいよね」というふうに,同じ方向を向いてるんだということを強調する。
ディベートはまさしくそうなんですね。システムとして,やり方として。日本は何々すべき,大阪府は何々すべき,何々センターは何々すべきというのは,そこのセンターにかかわっている人のためにやっているんだ,議論しているんだということが大前提で,それを忘れちゃいけないよということを,まず持ってくるということなんです。あとは重要なポイントに絞ってするということです。
その際に,質問なんかで困ってしまうというのがあるので,ひとつ,3番を飛ばして4番にいきたいと思うんですけども,反論や質問が出ないのは,その発想を教えてないからです。表現は教えていても,発想を教えなければ,討論や議論は盛り上がりません。これは,まさしく日本の英語教育の大問題のことなんですね。
「Can I ask you a question?*4」という表現は教えますけれども,何についてどういう発想で質問するということは教えてないです。
まず,基本としていろんなパターンがありますけど,ここにあげている七つのポイントを教えるだけでも,高校生のレベルでも質問の質が向上します。ですから,多分,日本語教育の中でも,レベルアップ*5すると思うんですが,非常に簡単なことです。「本当にそうですか」というのは質問の原点なんですね。日本人は英語力が低いです,本当にそうですか。要するに,みんなは常識と思っていることを疑うのがディベートなので,ですから正々堂々と本当にそうですかという発想でいいんだということなんですね。
で,私はそうは思えませんという議論ができないかを,まず考えましょうということです。2番目に,そうだとしましょう,しかし,だから何なのですか,英語で言うと,so what*6ですね。英語はできない,だから何だというんですか。私の父も母も英語は全くできませんが,いい人ですよ,とかですね。私より稼いでいますよとかですね,そういうような発想が,あるいは日本の企業は英語ができなくても頑張っているじゃないですか。世界に冠たる経済国になってますよ,英語ができなくてもなりましたよね。というような発想というのはあると思うんですね。

*1 プライオリティー 優先順位。
*2 ノーというゲーム 否定するゲーム。
*3 イエス,バットのゲーム 肯定するが,しかしと反論するゲーム。
*4 Can I ask you a question? 質問してもよろしいですか?
*5 レベルアップ 水準を高めること。
*6 so what それが何?

  あるいは,例え大変な問題だとしても,論題と何の関係もないと思いますという発想です。確かに英語ができないかもしれません,英語ができないことは問題かもしれません,しかし,小学校でやってないことと関係ないと思います。原因は中学校の英語の時間が少ないからです。教え方が悪いからです。先生の力がないからです。
で,今,文部科学省は,教員の質の向上のために,英語に限って中学校,高校の全員ですね,5万人の全国の教員をこれから5年間にわたって研修するという義務研修を始めています。というふうに,現状はもう対策を打っています,小学校にそれだけの予算つぎ込むなら,中,高の英語の質を高める政策,現状のシステムの政策にもっとそれを強化するようにした方がいいに決まっているではないですか,というような論の展開というのはあり得るわけです。
それから,かえって問題が悪化します,小学校で英語を教える,それはいいように聞こえますけれども,誰が教えるんですか。小学校の先生が主体になって,ときたまネイティブが来るかもしれません,でも小学校の先生っていうのは,英語教育の仕方は何も習ってないそうです,英語もできないんですよ,それをその人たちが教えると,ますます英語嫌いをつくってしまう。もっと低年齢で英語が嫌いになるでしょう。もっと悪い発音が身についてしまう,ということになったら,あなたの言ってることの逆の方向にいくじゃないですか。というふうに議論することができますね。
そういう意味で,メリットではなくデメリットですよ,という言い方。デメリットが起きてしまいますよ,という言い方もありますし,方向性が逆になるというデメリットの展開ですね。もう一つは,あなたが言ってるとおり,英語ができるようになるということは,かえって日本には悪いことなんです。という議論ができないかどうか。小学校で英語ができるようになる,そうすると,英語をしゃべる人が大事なんだという思い,そういう人たちが重用される社会になってしまう。これこそ新たな差別を生むことになるんだと,あるいは英語の先生というのは,主に,今のところは,白人の先生がなっている。そうすると,白人の文化というのは日本の文化より素晴らしいというような気持ちを小学校3年生ぐらいに植えつけてしまう結果になり,それはいけないことなんです。といったデメリットに,メリットではなくむしろデメリットになるといった議論も考えられますよね。
どうでしょうか。例えば,私は太り気味だと,で,私はスポーツジムに通うべきである。なぜか,太り過ぎで体調子が悪い,原因は運度不足だと,スポーツジムに通ってる,そういうすと,やせると,で健康になる,というのが一般的な議論です。そのことに反論する,かえって問題は悪化しますと,メリットがデメリットというのは,例えばですけど,スポーツジムへ行くと喉が乾く,ビールがおいしい,余計飲むことによって,余計体調が悪くなるという方向にいかないだろうかという気もしますね。
逆に,やせて健康的になる,それはよくない,女子学生との間に問題をさらに起こしてしまう,さらにというのも問題ですけど,起こしてしまう可能性がある,新聞を賑わしてしまうかもしれない,というような,それはメリットではなくて,デメリットになるというようなことがあり得ないかという,それは議論の可能性ですから,必ずそういうことはしろということではなくて,自分が確かにそれは言えるなと思った時点で議論にするわけですけれども,発想として常にそういうことを考えておくと,人生非常に楽になります。
例えば,何か事業がうまくいかなかったとか,何か試験を受けたら不合格になったとかですね,採用試験受けたら不合格になったと。これはデメリットですよ,人生つらいことです。でも,これはメリットだと,また勉強しろということを意味してるんだというふうにですね,そういうふうに,人生の意味付けですね,コミュニケーションです。あることが起きたことについて,自分でどういう意味付けをするかによって,人生変わるんですね。何か挫折的なことが起きたときに,これは新たな出発点にしようというふうに考える人と,ああもうだめだというふうに思っちゃう人。そういうふうに考えると,皆さんの人生もいろいろあると思うんですね,今,こうやって日本語の活動にかかわっているのも,何かあった,結構挫折があって,そこから新たな展開になっているということも。そういう逆転の発想をディベートでは非常に重要視すると。自分では考えつかないようなことを相手が言ってくれると。それをまた乗り越える議論を考えるというインタラクティブ*1な活動になるんですね。
ですから,ディベートをやっていて楽しいのは,自分が考えつかないようなことを相手チームの人が言ってくれると,おお,すごいな,それをまた乗り越える議論をまた自分がその場で考えられるようになるということなんですね。だから,覚えたことを何かやるという活動ではないんです。何か自然なうちに,相手とインタラクションしてるうちに,考えがどんどん進化していく,発想がどんどん幅広くなっていく自分を体験できる。
教師としての醍醐味というのは,自分は思いつかないようなことを自分より日本語や英語の力のない学生が言ってくれたときは,すごいうれしいんですね。すごいその逆転の発想とかですね,いうのを高校生や大学生が言うんですよね英語で。すると,皆さんが,「ああ,すごいなあ」というわけです,一緒になって学んでるという感じになるというのがディベートの学習のおもしろいところです。
ですから,枠組みを用意して,3番に書いてありますように,相手の知的レベルと言語能力に応じた論題を設定してあげると。例えばディベートの仕組みをどのぐらいの長さにしようかとか,一つのプレゼンテーションの長さをどのぐらいの長さにした方がいいか,あるいは大会のように,ひとりが立論しなければいけないというレベルではないので,誰がどういうふうにしゃべってもいいよとか,質疑応答も立ってやらせると緊張しちゃうから座ったままでいいよとか,1対1に質疑応答でなくて4対4の質疑応答にした方がいいよとか,そういうふうにディベートという活動がより意味のある活動になるように先生はいろんなさじ加減をする。
ですけども,基本的には立場を決めて,論題を決めて,で,あとは,やりましょう。で,言語教育として重視するのであれば,こちらからそれに関連する資料をどんどん与える,あるいはインターネットのこのウェブサイト*2を見ておくようにというような指導をしていくわけです。
ですから,英語教育の場合だったら英語でたくさん資料がある論題を選ぶ。できればそれはアメリカの小学生が読むようなサイトがいっぱいあるような論題を選んでいくと。そうすると自然にたくさん読む。同じことが皆さんに言えると思うんですね。読む材料がない論題を選んじゃうとなかなか言語教育としてはうまくいかない可能性が高いですね。
あるいは,インタラクティブな活動を入れたいのであれば,ローカルルール*3として,証拠資料として,この地域の人にアンケート調査したその結果を使ってもいいとかですね。そうすると,質問しにいかなきゃならないですね。そういうような資料の使い方もローカルルールをどんどん使っていってやればいいと思うんですが,基本としては政策論題を使って,肯定と否定という立場を決めて,できれば最終的には第3者に聞いてもらうようなディベートを展開していく。
さらにディベートのおもしろいところは,同じ論題で何度やっても同じディベートにならないということなんですね。ですから,立場を変えたり対戦相手を変えて何度もやる。そうすると,ほかの子が言ったことで先生がほめたようなことを真似することができる。ああ,あの発想で質問すればいいのかと,次に試合のときにそれが自然に使われていく,というように,お互い,学習者同士が学んでいくといったことが経験的に言えるというふうに思います。
ということで,私の説明は,大体の説明はここで一旦区切って,後半ちょっと皆さんに活動していただきたいと思うんですけど,5分間,ここで休憩させていただいて,それから少し実際に,ちょっとだけ体験してもらうと,前に出てやってくださいということは絶対なしですので,恐れをなして帰ることのないようにお願いします。では,休憩,5分間です。

*1 インタラクティブ 相互に作用するさま。対話型。
*2 ウェブサイト インターネット上に公開されているホームページと同じ。
*3 ローカルルール 独自の規則。


  <休憩>

松本:これからちょっとグループ的な活動をしていただきたいので,4人一組になってもらいたいんです。4人一組になるように,空いているところにどこか,基本的には後から前に移動してもらえますか。後の方が前に移動していただいて,4人で一組になるように。四角形になっていただきたいんです。
では,少し実践してみたいと思います。77ページをあけてください。
まだ,前を向いていてください。まず最初はペアでやっていただきます。
今日の提案,いわゆる論題は,日本は,中学,高校において,ボランティア活動を必修にすべきである。国によっては必修化しているところがあります。日本もその政策を考えつつあります。これについて,まずこの下の表の本論というところの真ん中にコラムがあります。提案,肯定側議論という,これを一つずつ二人で考えていただきたいと思います。
では,まず二人で,この論題に関係する問題ですね,これを話し合って短い文を一つ作ってください。ボランティア活動を必修にすべきということは,現状のシステムでは必修化してないわけです。で,その現状にどんな問題があるか,この論題に関連して。簡単に言っちゃうと,例えば,ボランティアをする中学生,高校生は非常に少ない,というようなことでもいいです。
まず,それについて,まだペンは置いといてください。ペン置いておいて,二人で2分間,ボランティア活動を必修化していない日本の学校教育がある,それによって何か起きてる問題はないかどうかを考えください。では,始めてください。ただ,話し合ってください。どんな問題が考えられますか。

参加者:ボランティアということ,全然何が何だか分からない状態から,ボランティア活動を必修にすることによって,ボランティアとはこういうものだという定義というのか,そういうのが分かる。

松本:そういうのじゃなくて,それだともう結論になってしまうので。ボランティア活動を必修化してませんよね。その状態でどんな問題があるんですか。

参加者:たくさん問題があると思います。まず時間と場所と,いつボランティアをやるかという,(土)とか(日)とかになるかと思いますけれども,それから,場所もどんな場所でできるか。

参加者:中学生,高校生の社会的意識が弱い。

松本:中学生,高校生の社会的な問題意識が薄いと。

参加者:弱者に対する思いやりとか,思いやりの意識がない。

松本:中学生,高校生に弱者に対する思いやりが足りない,弱い。いいですね。こういうふうに一つの論題でも何を問題にするかって人によっていっぱい出てくるんですね。ですから一人で学習するより多数で学習した方がいろんなアイデアが出てくるのはディベートのおもしろさです。その答えを先生は用意していないですね。
ただ,先生の役割は交通整理なので,先ほどのように,それはちょっと問題じゃないか,あれ,それは否定の議論じゃないですか,というような投げかけをしていく。それに対して,「いや,そんなことないですよ,先生」という生徒が出てくるとおもしろいですね。こちらは答えがない。ああ,そうとも言えるよねとか言って誤魔化したり。今話し合った中で一番強そうな議論を一文で短く書いてください。その枠組みに,なるべく短く。
「中高生は,弱者に対する考え方…」。同じでもいいし違うのでもいいです。何となく分かっていることを一文にする,しかも短くするというのは我々にとっても非常に難しいです。なるべく短くパンチのあるように。
なぜかというと,それが議論の柱,ポイントになりますから,聞いてすぱっと分かる言葉にして欲しいんですね。本のタイトルを付けたり見出しをつけるのと同じです。なるべく短く,同じものじゃなくてもいいです。とりあえず何か書いてください。真っ白じゃなくて。よろしいですか。
はい,それでは,次にいきます。
その問題が起きていることがこの論題とどう関係するのかが2番です。論題と関係する範囲で,なぜ思いやりがないのかとかいう,社会意識が低いのかというふうなことを,まずお二人で話し合ってください。ペンは置いておいてください。先ほど皆さんが書かれた問題ですね,お互いに違うものでもいいです。そしたら,その自分が書いたものの原因を,お互い,私はこう思う,私の問題についてはこう思うんだけどどうですかということで話し合っていただければいいわけです。
今お互い話し合った中で,原因として書けるものをちょっと書いてみてください。幾つ上げてもいいですけど,大きなものを一つあるいは二つぐらいの方が議論はしやすいと思います。複数あるということは,論理性がない可能性が高い。違う考えを持っていて,自分の考えを見て相手が納得してくれると,議論としてまとまっていくと思うんですね。
弱者に対する認識が薄い,で,原因は,学歴偏重,どうでしょうか,議論はこれで収束していきそうでしょうか,肯定側として。拡散しているような気はする。これは難しいですよね。ディベート,この辺がちょっと最初乗り超えるのに難しいところです。皆さんは,肯定側なんですね。要するに論題を提案してるんです。となると,論題に議論がまとまっていかないと,収束していかないといけないんです。
学歴偏重というと,学歴を皆が考えないような社会をつくらないといけないですね。ボランティア活動を必修化して,学歴を考えない社会になりますか。ボランティアが大事ならどこの大学に入ることは関係ないというこになるかどうか。原因は中高生が弱者に対する認識が低いという,もし,問題としたら,何を原因にしたらいいですか。
人とのかかわり合いが今の学校教育には足りないと,いいかもしれないですね。核家族であるというのは,学校教育,それは附帯的な条件にはなりますね,だから,詳しい説明をしていくと,それは出てくるかもしれません。核家族であり,要するに,おじいちゃん,おばあちゃんがいない生活であり,かつ,学校では学業のことばかりをしていて,同じような子供としか接しない状況にあるというのが,いいかもしれませんね。
そういうふうに,思いやりがないという問題の原因というのは幾つも考えられると思うんです。でも,論題を提案していくわけですから,論題との関連性に議論していかないといけないというところが論理性を磨くポイントになってきます。
ですから,学歴偏重です,そのとおりです,だから,あなたの問題はこの論題を解決しても解消できないんですという議論にならないように,否定側の議論にならないように,思いやりがないというのは,人との触れ合いの質が限られているからです,というようなところに持っていくと,何となく方向性としてはいいですね。
そういうような一文を,皆さん書いていってください。自分の議論を論題と関連するように,原因を一文書いてみてください。そうですね,いろんな人と,弱者と触れ合う機会がない,学校教育にはない,実社会にもない,というようなことがポイントになってくると思います。
じゃあ,次へいきます。3番目,ボランティア活動を中学,高校で必修にするというのを具体的に考えてください。皆さんが河村文部科学大臣だと思って,ボランティアを必修化するという枠組みの中で,現実的にできることを考えてください。
例えば,ボランティアという教科を作るとか,あるいは総合的な学習の時間で行うとか,あるいはボランティアのときにどんなことをすることをボランティアと定義づけるかとか,そういうプランに関して,できる限り箇条書きで,今度,二人で考えて書いていってください。1分間です。具体的にはどんなことを思いつきましたか。

参加者:思いやりのことを考えれば,地域の中にある施設でのお手伝いをして,そこの人たちが何を問題としているのかをじかに理解するようにするということ。もうひとつは,もし仮に公共的な意識が少ないということを前提にするのであれば,地域での例えば清掃活動であったり,まちでの問題点を議論させる場を具体的な体験を通して理解させるということです。

松本:はい,よろしいですね。ですから,御自身が上げた問題を解消すべく,それに効果的な案を自由に考えていただいていいわけです。例えば,学校で今時間が決まっているからボランティアという正式課目を入れるのは無理だというふうに考えちゃうとディベートにならないですね。ディベートでは,無理だというのは基本的に考えなくて,必要な変化は,肯定側は提案するんだということなんですね。
ですから,例えば必要であれば憲法まで変えていいというのがディベートの発想です。普段議論するときに,そんなの無理よ,そこで止まっちゃうんです。そんなの無理よ,というのをなしにする。ですから,例えば学校でボランティアという課目を週1時間導入するとか,あるいは(土),第2(土),第4(土)はボランティアの日とするとか。で,実際に何をするかというと,今の方がおっしゃったように,地域の清掃活動を行う,そのときに担任が付き添うとかですね,そういうようなことをおっしゃっていただければいいのです。
では,その皆さんの提案に基づくと,4番,問題の解消ですね,このとき,また,論題からずれないようにしてください。1番に上げた問題が解消する方向になるということを説明するように,またお二人で1分間話をしてください。
どうでしょうか。当たり前のことなんですけども,最初の1番の問題の裏返しですね,例えば弱者に対する気持ちが希薄であるという問題を取り上げてるのであれば,弱者に対する思いやりを持てるような生徒を育てることができる,というようなことがメインとなりますよね。問題を解消する,あるいは,自分の地域にごみが散らかっていても,知らん顔しているような生徒ではなくなるとか,そういうふうに何かが変わる,いい方向に変わる,それもたくさんいろんなこと言おうとしないで,1で上げた問題に関連して何かいいことが起こるということを言えば,論理的につながっていくということなんですね。
ところが非常に当たり前なことなんですけど,言われると,しかしプレゼンテーションすると,どんどんいろんなことを言ってしまうということで,それが論理的に何を言ってるか分からないということになってしまうわけです。
ではですね,この今書いていただいたものをもとに,序論と,最後結論というところ,スペース*1がありますね。弊害は否定側がやるので,ちょっとスペースあけたままでいいですので,序論の部分に何をするかというと,左の76ページの頭にあるように,下のスピーチのところですね,日本人は何々するために,こういう目的のために私はこの問題を採択しますというのが序論にきます。
本論は,今の問題,原因,提案,問題解消をつなげていけばいいわけです。で,結論とするのは,左のモデルスピーチの以上の部分ですね,以上のように,中高生の弱者に対する思いやりの精神を高めるために,私は中学,高校においてボランティア活動を必修化するべきだと考えます,みたいなその論点をまとめることを結論に書いてください。
では,これから皆さんに1分間スピーチをしていただきます。その準備を,じゃあ2分間でしていただきます。メモだけで,そのアウトライン*2を見てスピーチできるというのが醍醐味ですから。どうしても日本人がスピーチすると,原稿を書いてそれを読むとか,暗記するということになってしまうので,それをなくしたいと思います。
では,申しわけないですけども,4人のうちの前列にいる方はちょっと後を見て,ちょっと体を半ひねりしてください。それでは,今日は立たなくていいですので,4人のうちこういう1番,2番,3番,4番と,時計回りで今から1分間ずつスピーチをしていただきます。
ちょっとフォーマル*3な言い方で,ほとんど同じようなことをおっしゃると思いますけれども,周りの人を見ながら,聞いてる人を見ながら,できればスピーチをしていただきたいと思います。
では1番の方,よろしいでしょうか順序は。よろしくなくてもいきます。はい,楽しんで。もうやめてください,作業は。お互いに顔を見合わせてください。
このディベートの醍醐味は,ちょっとしたメモを見ながら,考えながらスピーチをしてしまうということなんですね。ですから,書いたとおりに言わないようにするとダイナミック*4になります。では,いきます。用意,スタート。1番。
皆さんの日本語指導の中で,こういう時間を区切ってその中に,短いけどもその中でまとめられるスピーチをするとか,作文の場合は何字以内に書きなさいという指導をぜひして欲しいと思うんですね。何分でもいい長ければ長いほどいいという教え方は,論理性は身につかないです。もう1分ならこれしか言えない,取捨選択をさせる訓練というのはすごく大事です。
はい,1番の方は最初でしたから,ちょっと実験台みたいなもので,あのスピードで言ってるとこれぐらいしか言えないのかとかですね,だんだん分かってきます。
はい,では2番の方,ほかの方は真剣に聞いてあげましょう。聞く人がやっぱり話している人に目線を合わせてあげないといけないですね。日本のスピーチ訓練では,話し手が視線を合わせるようにアイコンタクト*5をしなさいってばかりを指導しますけど,聞く側が話す人と視線を合わせるという方が,私は大事だと思いますので,ぜひ話し手の目を見てあげてください。といって,プレッシャー*6をかけています。はい,では,1分間,用意スタート。
万が一早く終わってしまった方は,どうしたらいいでしょうか。早く終わってしまった,ああ,まだ10秒ある,20秒あるという方は,その時間内に大事な点を繰り返すとか,一番強調したいことを言うとか,そういう感じで時間をうまく利用してください。
では,3番目の方,用意スタート。いやあ,楽しそうですね。そうですね,多分プランのところ,詳しく言い過ぎると時間がなくなってしまうんですね。ですから,1分間の中においてプランを30秒も述べちゃったら,あとは分析が甘くなってしまいますよね,その辺はバランスになると思います。
はい,では4番の方は,やはりトリですから,一番いいスピーチをしていただかないといけませんね。よろしいですか,はい,用意スタート。
それでは,今までのお互いのスピーチを聞いて,良かった点ですね,特に論理の展開とか,言葉の使い方で良かった点を,どういう点があなたのスピーチ良かったとか,あるいはこの点をもう少し説明して欲しかったとか,お互い4人のスピーチをちょっと講評し合ってください。2分間どうぞ。
はい,それでは,前を向いてください。楽しんでいただけでしょうか。
一つの論題でいろんな人がスピーチしていろんな展開があったりとかですね,そういうことが楽しいのと,それから,どういうスピーチが分かりやすいんだろうということを体験していただいたということですね。こういう人数が多いと,教員が一つ一つのグループを見て回れないので,その後,書いていただくというような作業も入れていきます。
では次に,何を体験していただきたいかというと,議論をからませる練習ですね,ですから,この表に戻ってください。77ページの今度は右側の方の検討,否定側の議論を考えてみたいと思います。では,御自身が書いた問題,これが本当にそんなに重大な問題なのか,というように,反論を1分間で,やはりお二人で話を取り交わしながら,考えて書いてみてください。今度は書きながらやってみてください。はい,では1分間いきます。はい,なかなか難しいですね。何て書きました。

*1 スペース 空間。場所。
*2 アウトライン あらすじ。あらまし。大要。
*3 フォーマル 公式であるさま。
*4 ダイナミック 力強く生き生きとしているさま。躍動的。
*5 アイコンタクト 視線を合わせることによって,意思を通ずること。
*6 プレッシャー 圧力。精神的重圧。


参加者:他者に対する思いやりが少ないのでしょうか。

松本:そうですね,それは質問の形式ですね。で,少ないとは思いませんと,できると反論になりますね。少ないでしょうかと言って,いや少ないです,と言われて,はい終わり,だと,質問としてはいいですけれども,少ないとは言えないと思います。例えばこういう人もいますというふうに言えるかですね。あるいは,思いやりがあるけども,それをただ表現できないだけなんです,とかですね,というようなことを言えるようにしておくといいかと思います。
はい,次にいきます。では,原因,これは授業でやっていないから,必修にしていないから,と関係するのかどうかということですね。はい,ではいきます。1分間です。2番について反論なり質問を書いていきましょう。
はい,原因が違うものであるというふうな議論をすることは,非常に結構なことだと思います。ただ,その原因を現在の政策で変えられないとすると,多分肯定側の政策を導入した方がまだましであるという議論に帰結してしまう可能性が高いですね。例えば核家族だから,核家族を解消する政策は今持ってないわけですね,日本は。だとすると,核家族が原因だけども,じゃあボランティアを必修化したら,思いやりの精神は少しは良くなりますよねという議論で,説得されてしまう可能性が高いですので,ですから,違う原因があると言ったときに,それに対して,私たち日本は対策を既に講じているので,あとは結果を待てばいいんです。みたいな原因を提示してくるということですね。例えば,学校教育の中において,グループ活動を重視していないからだと,教え方に問題があるだとか,あるいは体験学習を導入してないことが問題なんだとか,というようなことを提案すれば,その方向で今教育改革がなされています。というふうな提案に,あるいは分析に結びついていくので,その辺をやはりシステム分析ですね,どちらのシステムの方がいいかという結論づけをするんだという前提で議論をもっていった方がいい。
今2番ですね,原因を考える,だから,違う原因がありますといったときに,その原因が否定側の立場で解消できないものであると,どうしようもないですね。そうすると,多分,そういう条件はもちろんそうです。だからこそ,核家族で,家庭で,思いやりというものを体験できるような状況にないからこそ,学校で必修化して,ホームに行ったりして,体験するということが必要なんですと,議論を裏返されてしまう可能性が高いので,原因が違いますといったときには,現在の政策の中で改訂できるようなことを出していった方が,システム分析の否定側の議論にしやすいということですね。
では,3番は,具体的な提案に関してはあまりちゃちゃを入れないディベートの方がいいですので,3番はちょっと通り越して,4番,本当に思いやりがつくのか,ボランティア活動を実践したら。ということを考えてください。社会性が身につくとかですね,そういう問題を解消するかどうかを考えてみてください。
はい,考えつきましたか。先ほど,例えばごみを拾うとかいうようなことで社会性を身につけるというようなことになりますと,その時間だけごみを拾うけども,時間が終わるとやるような精神は身につかないとかですね,そういうようなことが,この問題解消に結びつきません,そのときはごみを拾うでしょうけど,授業じゃなければやらなくていいんだということに,かえってなってしまう。そういう意味で,問題解消に結びつかないという議論になると思います。
そして,一番最後です,これが否定側にとっては最も重要な議論と考えていいと思います。ボランティア活動を導入すると,かえって悪いことが起こる。そのときに,できればですけども,相手が望んでいることですね,例えば思いやりということで,逆になるという議論ができると一番いいです。
では,思いやりというと,例えばどこかに行って交通事故にあってしまう可能性が高まるとかですね,それは一つのデメリットですけど,ちょっと問題の質が違いますので,正面衝突をするデメリットを考えると一番ディベートとしてはがっぷり四つになります。ですから,思いやりとか社会性を身につけるためにボランティアを必修化することは,最悪の政策であるという議論を,考えてください。どうぞ。
はい,よくこういう論題で考えられるのは,否定側としてのデメリットとしては,ボランティアを必修化することによって,ボランティア精神を誤解するとかですね,ボランティアでなく必修なんですから。何か先生にうけるように,何か,その場は一生懸命やるとかですね,そういうことこそボランティアではない,あるいは成績をつけるとなると,見返りを要求しているボランティア,これはボランティアではないとか,そいうような誤解に通じるというようなことも議論としてあり得ると思います。
それでは,最後に,78ページを見てください。
速書という活動をしてみてください。書く活動です。一番上にお名前を書いてください。御自分のお名前を。これは学生にやらせるときは3分とか4分とか取るんですけど,皆さんは日本語のプロですので,1分間でやっていただきます。活動していただきます。論題は同じです,日本は中高生のボランティア活動を必修化すべきであるということで,まず全員,皆さんが肯定側になってください。肯定側になって1分間で肯定側の議論を書いていただくということをしていただきます。さっきのに基づいていいです。スピーチにしなくていいです。もう主要なポイントを1分間しかありませんから,その時間の中で自分が思う肯定側の議論を書いてください。用意,スタート。箇条書きじゃなくて,なるべく文章にしてください。
では,さっきの4人のグループで,御自分が書いたものを次の人に回してください。はい,回してください。またお名前を書いてください。2番のところにお名前を書いてください。今度は全員が否定になります。1番の人が書いた肯定の議論を,批判する文章を1分間で書いてください。皆さん否定側です,1番の人のを読んで,それに対して反論を書いてください。では,いいですか,時計周りですよ,4人で,自分のを回してください。用意,スタート。
はい,また同じように時計周りに回してください。で,御自分のお名前を書いてください。で,また,今度は皆さん全員が肯定側になります。1番と2番が書いたものを読んで,1番の人の議論をサポートしてあげてください。まず肯定の仲間として。はい,いきます,用意スタート。1番の議論をサポートするには2番の言ってることは違うと,皆さん肯定です。どっちも読んでください。1番,2番も。大したことが書いてなかったら,どんどん自分の議論をしてください。
はい,じゃあ,また回してください。今度は全員が否定です。1,2,3を読んで,やっぱり肯定の言ってることはおかしいという議論を1分間で書いてください。用意スタート。
はい,では,もう一度,書いたものを次の人に回してください。そうすると自分のに戻ってきます。はい,今日は時間がなかったので一人1分になっちゃいましたけれども,それは学生さんめいめいに応じて3分,5分やってもいいと思います。10分とかですね。で,今のも,なぜある程度書けたかというと,その前にみんなで同じパターンで分析をしてるということなんですね。
ですから,やはり,ディベートを授業に取り入れる場合には,分析のポイントを理解し合う,共通点を見つける,そして,自分の言いたいことをなるべく短い文にしてから説明を始めるというような発想ですね。それから,感情的にならないということを前提に議論しようということです。
だから,ディベートというと,単に話すだけというふうに考えがちですけども,こうやって書く活動の中にも入れられるということですね。で,自分の立場を暫定的に決めることによって,書くことができる,話すことができるということだろうと思います。 それから,文化が違う人が集まってると,あなたの意見はどうですかと始めると,もう非常に険悪な雰囲気になってしまうことがあるわけですけども,あなたは肯定側,あなたは否定側で今日は議論してということによって,気楽に議論が楽しめるようになるといったことも,ディベートの一つの利点ではないかなというふうに思います。
で,こういう活動が終わってから,こういう活動をやると必ず自分の意見をもっとちゃんと書きたいとか話したいという学生が出てきます日本人でも。こういう活動が終わったら,あなたはこのディベート終わった後,自分の意見としてどちらの立場をとるか考えてレポートを書いてください,プレゼンテーションしてくださいという形にもっていくと,自分の考えを検証した後に,ちゃんと発表するという癖がついていきます。直感でものを言わない。
必ず自分の意見には,反論されるポイントがあるということですね,絶対的な真実を述べるわけではないですから,私たち神ではないですので。そうすると,反論されてもカッカしなくなる。反論された方が面白いということにつながっていくんじゃないかなというのが,ディベート教育の最終的な目的になってくるのではないかと思います。ちょっと駆け足でしたけれども,皆さんに,「ディベートはおもろいで」というところを体験いただきました。
どうもありがとうございました。
ページの先頭に移動