パネルディスカッション

テーマ 「地域における日本語支援活動の充実とコーディネータ(繋ぎ役,企画・調整役など)の存在」

趣旨 ボランティア活動としての日本語支援活動の充実を図る場合,地域の支援活動に関連したボランティア団体,行政機関,国際交流協会,小・中・高等学校,大学,日本語学校などの連携・協力や,さまざまな専門家との協力関係の構築が重要となってくる。
そこで,こうした繋がり(ネットワーク)を広げ,お互いの繋がりを強化するためには,その関係者や関係機関の狭間で活躍するコーディネータの存在がますます重要となってくる。
ここでは,この繋ぐ役割を担っておられるパネリストの方々に,事例を提供していただきながら,支援活動のさらなる充実に向けた方策や,連携・協力の在り方について協議する。また,兵庫県や関西地域においても,今後ますます期待される,コーディネータの存在についても追求する。

パネリスト 金宣吉(神戸定住外国人支援センター理事長)
杉澤経子(武蔵野市国際交流協会プログラム・コーディネーター)
中西泰洋(神戸大学教授・留学生センター副センター長)
藤井英映(兵庫県国際政策課企画係長)

解説者 奥田純子(ひょうご日本語ネット懇話会委員,神戸日本語教育協議会副会長)
西尾珪子(社団法人国際日本語普及協会理事長)

司会 野山広(文化庁文化部国語課日本語教育調査官)


野山:それでは,時間になりましたので,これから午後の部を始めたいと思います。午後の部は,ここにも書きましたように,地域における日本語支援活動の充実とコーディネータの存在といたしまして,パネルディスカッションを行います。
御存じのように,地域社会に目を向けてみると,在日の定住者というのが非常に増えてきていまして,最近の統計では,登録上は185万人で全人口の1.45%になったというような統計が出ています。ただ実際上は,不法の方を含めると200万人以上の方が日本にいらっしゃるという話もあります。こうした中で,特に関西の神戸におきましては,震災以後ほかの地域と違う意味でボランテイア活動が盛んになってきたという経緯を,今までいろんなところで伺ってまいりました。今日はそのことも含めまして,コーディネータの存在に焦点を当てて,パネルディスカッションを行わさせていただきたいというふうに思います。
そこで,ここにはパネリストの方に横に並んで座っていただいているわけですが,それぞれ各自分たちの勤めていらっしゃるところで,コーディネータ的な役割をこれまで担っていただいた方々に来ていただきました。順番に御紹介をさせていただきます。私の左横からですけれども,まず,神戸定住外国人支援センター代表の金宣吉さんです。

金:よろしくお願いします。

野山:それから,武蔵野市国際交流協会のプログラム・コーディネータの杉澤さんです。それから,今回非常にお世話になっておりますが,神戸大学の留学生センターの副センター長で,教授であります中西先生。それから,兵庫県の国際政策課の企画係長であります藤井さんです。
実際にコーディネート*1していただいた方々以外に,総合的な観点から,あるいは地元の神戸,兵庫のことを中心にコメントといいますか,解説をしていただくためにお二人をお迎えしました。まず,午前中も司会進行役及び鼎談者として御協力をいただきました,兵庫日本語ネット懇話会委員及び神戸日本語教育協議会の副会長であります奥田先生です。それから,今文化庁では幾つかの地域に関する事業を行っておりますが,その中のコーディネータ研修とボランティア研修を委嘱をして,受けていただきまして,非常に御協力をいただいているAJALT国際日本語普及協会の理事長の西尾先生です。西尾先生には,特に関西に限らず,全国的にどのような動きがあるのかという問題も含めまして,最後の場面で解説まとめ等をお願いしたいと思っています。よろしくお願いします。
それでは,これからパネルディスカッションに入りたいと思いますが,午前中の総合司会に引き続き,午後のパネルディスカッションの司会進行を務めさせていただきます,文化庁で通常専門職として国語課で日本語教育調査官をしております野山と申します。よろしくお願いいたします。
途中,私,先ほど紹介するのに「先生」と呼びましたが,ほとんど「さん」づけになる可能性があるかと思います。そういう関係を望んでいるパネリストの方も多いので,そういう呼び方になってしまったときは気にとめないでください。そういう関係で成り立っているということにしていただければ幸いです。
それでは,これからパネルディスカッションに入りますが,最初に,神戸の状況あるいは兵庫県の状況ということで,先ほど鼎談のときにもお話を若干していただいたわけですが,もう少し詳しく奥田先生の方から解説をしていただきたいと思います。兵庫県全体にいらっしゃる日本語ボランティア関係者の方にコーディネータのことに関しての質問で,ジェフさんがおっしゃっていましたが,アンケートに答えて頂いた方々の課題,まとめについて触れていただいてお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

*1 コーディネート ものごとを調整し,まとめること。


奥田:よろしくお願いいたします。皆さんのお手元にA3の資料が配布されていると思います。この資料に沿って,簡単に説明させていただきます。午前の鼎談でジェフさんが,アンケートはどうも信用ならんものだとおっしゃっていましたが,ここにいらっしゃるたくさんの方もこのアンケートに回答してくださっています。信用できるものとして,見ていただければ幸いです。
資料の1番にあるのは,調査の概要です。約250名の方たちに,コーディネータの役割は何か,必要か,どんな資質があればいいかなどについてお尋ねしました。ですから,この調査は,コーディネータの実態や意識についての調査ということです。次の2,調査の結果というところがございますが,ここに,皆さんが答えてくださった内容をまとめてあります。私の方からは,解説するというより,簡単に結果を紹介させていただいて,御自分のところではどうかということを,こちらにいらっしゃるパネリストの方にお話をいただくのが一番いいのではないかと思っております。
では,まず,日本語コーディネータの役割に関してですが,約20項目について,お尋ねしました。結果を示した棒グラフの中ほどに点線が引いてあります。この点線より下にある項目が大切だと思うコーディネータの役割,上位6項目です。斜線が非常に大切だと思った人の割合を示しています。点線の上にあるのが下位5項目です。どちらかというと大切だとは思うけれど,という回答の多かった項目です。これを見ていただくと,非常に大切だという6項目は,やはり日本語コーディネータについてお尋ねしているということもあって,日本語学習支援に直接関係すること,とりわけ日本語もしくは学習に関することに日本語コーディネータの役割の大切さを見ている人が多いという結果でした。学習関連以外のコーディネータの役割では,6番目に初めて行政とのパイプ*1役というのが出てきます。また,コーディネータの役割の下位の項目には,ボランティアへの学習外の相談,イベント企画,学習者への学習外の相談など,学習外のことは,コーディネータの役割としては重きを置いていないという結果が出ています。
そこで,では,日本語コーディネータに必要な知識や情報,能力とはどのようなものですか,とお尋ねしましたところ,当初は,日本語の学習や指導能力に関することだろうと思っていたのですが,そうではなくて,資料の左下の棒グラフにあるとおり,65%と多くの人が非常に大切だと答えたのは,人間関係の調整能力でした。そして,その次に,先程言った役割との関係の深い教育の知識・技術が挙がっていて,その後に,外国人を取り巻く社会状況,運営の能力と続いています。
それでは,日本語コーディネータの資質とは何だろうということで聞いてみますと,資料の右上のような結果でした。これは自由記述式で書いていただいた回答を整理したものです。最も多くの記述があったのは,人柄・性格に関する回答で,やわらかくて,公正で,思いやりがあり,親しみやすく,前向きというイメージ*2が浮かび上がってきました。そして,その次に多かったのは,リーダーシップ*3です。「人柄・性格」「リーダーシップ」などの資質の横に出ている数字は,これだけの件数の記述があったということです。3番目は,日本や諸外国,外国人に関する基礎知識や関心,あるいは,その経験でした。そして,次にやはり,日本語の学習支援力にかかわることが出てきていますが,ここでは,最初に申し上げた役割とは少し違った要素が資質として上げられています。それから,5番目には,共生社会への理解や関心が,6番目には実務能力が出てきます。コーディネータを資質から捉えた場合と,役割や必要な知識・情報・能力から捉えた場合とでは,回答者の抱いているコーディネータのイメージが違うんだなと思いました。
最後に,資料の3,「調査の結果から」というところですが,以上の調査結果と他の質問項目の結果を合わせて考えますと,資料の真ん中辺り,図1のようなことが言えるのではないかと思います。ボランティア教室というのは,縦の軸にあるように,より言語学習志向の強い教室から,より生活・交流を志向している教室というのがある。そして,もう一つ,教室のコーディネートには,おそらく,マネージャー*4のように,管理というとちょっと言葉が悪いですが,何か課題があったらそれを解決すべく,みんなを後押ししながらやっていく,マネージャー志向でやってらっしゃるか,それとは対照的に,どんどんみんなを牽引していく,リーダー志向でやっていらっしゃるかの二つの型があると思います。教室の志向を縦軸に,コーディネータの志向性を横軸にとって,兵庫県のこの調査データ*5をあわせてみると,役割から見たコーディネータは,図の上の方にある点線で描いた円の辺りにそのイメージを持っているということが分かります。ところが,知識・能力・資質から見ると,コーディネータに求められているのは,どうも,役割の領域の下の辺り,点線で描いたもう一つの円辺りだとうと思います。図1の下にある図3は,支援の場とコーディネートの対象を示したものなんですが,図の真ん中に書いてある人が学習者です。学習者を直接的に支援するのが直接支援の場で,これは,教室であったり,公民館であったり,学習者と一緒に何かを学んでいる場のことです。ここでは,学習リソースも直接支援にかかわってくるものですから,教科書や様々な自立型の教材集といったものがここに入ります。後方支援には,例えば,私の活動もこの後方支援の場の活動なんですけど,医療機関とか行政,学校,自治会,こういったものが,後方支援のリソースだろうと思います。では,コーディネータはそこでどんなことをしているのかを考えてみたのが,右側にある図の2です。コーディネーション*6の過程ということから考えますと,先程の鼎談にも出たように,問題や課題は必ずあるということ。その課題をまず見つけることから始まって,そして次に,その課題は本当はいったいどんなことが問題なのかを見定める。そして,解決策を探してみて,実際にその解決策を行動化してみる。この行動化の中には,つなぐとか,促進するとか,育てるとか,知らせる,支える,代弁する,整えるなどなどの仕事があると思います。先程の図3に出てきた直接支援の場で,学習者と学習のリソースである教材とを,あるいは,後方支援の場で,学習者と職場や医療機関などとを,見つけた課題とそれを解決するためのより良い方法,リソースを探して,そして,つないでいく,こういったところがコーディネーションの過程だろうと思います。今回の調査では,過程も含め,コーディネータの役割と資質の実態や意識には少し乖離がある,それが兵庫県,神戸市の状況だろうということが見えてきました。あとは,こちらにいらっしゃるパネラー*7の方々に,この辺りを含め教えていただければと思います。どうもありがとうございました。

*1 パイプ 2者の間の橋渡しをするもの。
*2 イメージ 心の中に思い浮かべる姿や情景。心象。形象。
*3 リーダーシップ 指導者としての能力・資質。統率力。指導力。
*4 マネージャー 支配人。管理人。
*5 データ 状態などを表す数値。
*6 コーディネーション 同調・調整などの意味。
*7 パネラー パネリストのこと。パネルディスカッションの問題提起者・討論者。


野山:ありがとうございます。今,神戸,兵庫の状況を報告していただきました。ここにあった,みつけることから始まって,見定めて,解決策を探して行動化するというようなことをこれまでやってこられた方がここに4人いらっしゃいます。金さんの場合には,阪神・淡路大震災の直後から今まで外国人支援センターの設立,運営全部かかわってこられて,それから,その間のコーディネータ役として自分が果たしてきた役割,それから,センターでいろんな活動をやっている中に日本語支援の活動が入っているわけですが,その位置付けの問題とか含めて焦点をあてていただきながら,なおかつ,先ほどの奥田先生の解説,報告にもつなげていただきつつ,時間的には5分ですが,まとめて話をしていただければと思います。よろしくお願いします。

金:先ほどのコミュニケーションの場で言ったら,さっきは花もあって,ソファーに座っているんですけれども,私たちの場合は,何かこうへばりつくように座らされて(笑い),押し寄せるようにきている中で話をしろということで。5分でこの9年間をしゃべれというのは(笑い),多分テレパシー*1でもないと無理だと思いますけれども。
今日の話を聞いて,先ほどの奥田さんの表を見て,私は最も適任じゃないのかなと。コーディネータの資質で,やわらかさ,公正さ,思いやり,親しみやすさ,前向きさ。私は一応団体の代表ですから,リーダー*2のはずなんでですけれども,まとめる力,洞察力,コミュニケーション力,実行力,相談力というこの10個の中で,自分の中で言うと,前向きさと実行力しかないということですから,後の八つぐらいはうちのスタッフに補ってもらっているということになるんですね。
神戸での話ということですから,やはり少しだけ震災のことを頭に話をして,それでほとんど時間が終わるかなと思います。私自身も,阪神・淡路大震災が起きなかったら,神戸でこういう活動をしていなかったと思います。私は今日参加している皆さんの中ではかなり特殊だと思いますが,学校で学んだのは,理系の土木工学を学んでいました。土木工学を学んだ人間が日本語のことについて何がしゃべれるのかというと,全くしゃべれないと思いますが,コーディネータのことでは地震の直前まで神奈川県の川崎市にある社会福祉法人の職員をしていました。社会福祉法人の職員といっても,どちらかというと,韓国人,朝鮮人,コリアン*3の人権問題を何とか社会に広めていく,その人たちの人権を守るようなオルガナイザー*4ですね,今コーディネータという言葉が一般的ですけれども,その時代は,そういう活動をしているのをオルガナイザーという,そういう表現をしていました。だから,今コーデネートという概念はすでに何かがある中でつなぐというわけですけれども,我々の場合は興すとか,つくるという概念のときからやっていて,そういう意味では,時代は良くなってきているのかなと思います。
なぜ神戸に戻ってきたのかということですが,アイデンティティの話というのは,朝の話にもありましたけれども,私は今日,関西人とか関東人というよりもっと狭い範囲で少し話をさせていただきます。
私は神戸の長田区出身なんですね。神戸の人たちは分かると思うんですけれども,どうも神戸は,私たち(NPO)の活動なんか見ていると,何か神戸全体でイベントをするとき,三宮でやらないと成立しません。たとえば長田でやると,まず住吉の人間は来ないですね。住吉でやると長田の人間はまず行かないということで,非常に差がある中で,自分は長田人だと思います。自分のアイデンティティはどこにあるのかなあというのは,震災のときに,火災で火が回って燃えているのを見て,自分のふるさとはここだなあと思って,自分に何かできることはないかなあということで戻ってきた人間です。そのときの経験から,今日のレジュメの頭に書いてますけれども,震災で何が大きく変わったのかというと,私はカッコつきで普通の人と書きましたけれど,普通の人の目に多くの外国人の,それも普通に住民として暮らしている人間の姿が見えたということが,この神戸の今の外国人と日本人のかかわり,活動の発展とかという姿になってきているんだと思うんです。
こういうシンポジウムとかというのは全部,なぜなのかとかいう理屈を考えますが,当時の活動は多分理屈で動いていたわけじゃないと思うんですね。目の前に,ああ,日本語ができない人がいる,全然文化の違う人がいる,そういう人が公園で暮らしているということに対して,本当に人間のヒューマニズム*5で活動をやってきて,従前の外国人問題をよく知っているという人だけではなくて,あんまり知らないけれども,何か自分のできる範囲でやれることがないのかなという人たちがかかわりを持った,そういうことがスタートだと思うんですね。その活動は,案外一過性のものではなくて,今継続して,私たちの団体の活動は,リーフレット*6を見ていただければ分かりますが,日本語の学習支援だけではなくて,生活の相談を受けたり,子供のことをしたりということに広がっています。もともと個々の点の活動が今線になって,それがだんだん面になってきているわけですね。それは,簡単に話すとすごくきれいな言葉で終わりますが,実は先ほど奥田さんの話にもありましたけれども,一番求められるのは,人間関係調整能力というか,人のマネージメント*7というか,非常に難しいです。これが,いわゆる経済活動の中で報酬があるとか,責任が明確にある中で活動しているわけじゃないわけですね,地域の活動というのは。人の思いであるとかが結集してできているわけですから,人の思いというのはあっちへ行ったり,こっちへ行ったりするわけですね。先ほどのコーディネータで必要な資質を全部持っている人があればうまくまとめるでしょうけれども,そういうことはなくて,でこぼこぶつかりながら,ときには,やはりもめながらとか,本当に,人が去ったり,人が来たりとかいうことの繰り返しをしながらやってきているというのが,私たちの現状です。取っかかりはその辺でということで,5分は多分もう過ぎていると思いますけれども,いったん終えたいと思います。

*1 テレパシー 超心理学の用語。通常の伝達手段によることなく,意思や感情を伝えたりすること。意思伝達。
*2 リーダー 指導者。
*3 コリアン 韓国・朝鮮人
*4 オルガナイザー 労働運動や大衆運動の組織者。組織運営の指導を行うために上部機関から派遣される者。
*5 ヒューマニズム 人間尊重を帰朝とする思想態度。
*6 リーフレット 宣伝・案内などのための印刷物。
*7 マネージメント 管理。経営。


野山:御協力ありがとうございます。金さんに引き続いて,次は,東京から杉澤さんに来ていただきました。杉澤さんの場合は,全国的にも少しずつ増えてきているポジション*1の一つであるプログラム・コーディネータというポジションを獲得した草分けの人の一人です。杉澤さん御自身は意識して日本語の専門知識を身につけずにこれまで生きてこられた方でです。ある時期日本語の知識を身につけようと迷った時期があったそうですが,それをあえてしなかったということです。そのしなかったなりの理由があったわけですけれども,そのことも含めて話していただけるとコーディネータの多様性が分かるかなというふうに思います。よろしくお願いします。

*1 ポジション 職務上の地位。


杉澤:金さんのようにおもしろい話から入れないのが残念なんですけれども,武蔵野市から来ました杉澤でございます。私自身がこの仕事についたきっかけというのは,もと働いていたところが遠くて,たまたまそこに採用があって採用してもらえたということで,自分的には,あまり目的観を持ってということではなくこの仕事についてしまったわけなんですね。ただ,一つだけ,自分自身のそれまでの,民間の会社にいたんですけれども,自分の思いとしてあったことがあります。大学卒業してすぐ就職したところが商社だったので,バンコクに派遣をされたんですが,その2年数か月の間バンコクで滞在したときに,そこの現地の人たちの私を受け入れてくれた,何というんでしょうか,居心地の良さとか,その人たちとの交流というのがとても自分の心の中に落ちていて,帰ってくるときに,帰ってきたくないって思ったのが多分原体験だったと思います。帰ってきて,仕事が変わりまして,留学生とか外国人研修生という人たちとつき合う仕事になったんですが,ある大学なんですけれども,そこでの彼らと話をしていくと,2年とか1年とか日本に滞在している間に一度も日本人の家庭に招かれたことがないということを,何人もの口から聞きました。それが実は自分のタイでの経験と全く逆の姿だったものですから,一体これは何なんだろうという,そういうフラストレ−ション*1をずっとためていた状況の中で今の仕事についたというのが,恐らく私自身の今の仕事を支えている原点だったんじゃないかなあというふうに思うんですね。
今,野山さんから,日本語をあえて勉強しなかったという,勉強が嫌いなだけなんですけれども,あえてというよりも,したくなかったというのが正解なのかもしれないんですが,逆に私自身がそんなに何でもかんでもできる人間じゃないんですね。ある意味では,日本語を教えられる人はたくさんいるわけだから,そういう人たちにそこの部分は担ってもらえばいいじゃないかというようなところが発想なわけですね。今のようにコーディネータはどうあるべきかなんていうことは考えていませんので,とりあえず自分ができることは何なのかというところからスタートして,現場の事業の中で足りない部分はそれを補ってもらえる方に協力を得るというのが,私の実はコーディネーションのスタートだったというわけです。それから,学習者と対面していくわけですけれども,私自身の思いとしては,外国人じゃなく,やはりその地域に住んでいる人として,その人たちを受けとめられる場として日本語の学習の場をどうつくっていけるだろうかというのが,頭の中ではそれが一番大きいことだったので,どちらかというと,日本語の学習だけではなくて,その周辺的な事柄がとても大事なんじゃないかというふうに思っておりました。そういうことがあって,むしろ担当の私が日本語だけに特化してしまうと,その周辺のところが見えなくなってしまうのではないかということも片方にあったわけです。
今日本語の,じゃ,役割の分担ということなんですけれども,そのレジュメの22ページにざっと書いてありますので,そこを御覧いただきたいと思うんですが,武蔵野でやっているプログラムというのは,幾つかあるんですけれども,考え方としてはやっぱりネットワーク型で事業をつくるということと,実は役割分担をしていくというのが考え方です。そういう考え方でやっていて,今現在学習者に必要とされる人たちはどういう人かということでできてきたのが,この役割分担になります。ボランティアと事務局が,私たちができることは何かということを出し合いながら,無理のないところで,できるだけの活動をつくっていこうということで今事業が行われているということです。事業の内容を御説明し始めると,時間がないので,考え方としてはそういうことですね。
先ほど河合長官がボランティアの醍醐味というのは,問題,課題がたくさんあるのが醍醐味だとおっしゃっていたんですが,コーディネータの醍醐味というふうに考えると,問題,課題をたくさんの人と共有化して,そして,その問題解決をしていける活動をつくり上げていけるというところが多分コーディネータの醍醐味だなあと,私自身は思っています。当面の問題解決というのは,なかなか実はできないんですね。問題を解決しようと思うと,もうフラストレーションがたまって仕事がやっていけなくなります。ただ,その問題をどれだけ多くの人たちと共有して共感者を増やしながら,そして,自分のフラストレーションを少しずつ軽減していくかというか,そこが実は重要かなと思いますし,もう一つ,日本語の活動にかかわっていて感じることは,先ほどマージナル*2な立場というところがありましたけれども,それは本当に現場にいると実感することで,そういう異文化の人たちと接触する中で,日本の中にある,私たちに見えなかった課題が本当に見えてくる。その問題,課題を掘り起こしていけるというところが,実は日本語の学習の場の最大の醍醐味じゃないかなあと思うわけです。それを,実は日本語の学習の場の中でクローズ*3してしまって,外に見せないということの方がすごくもったいないことで,そこをいかに社会化し,市民の人たちと共有して,私たちの町をこういうふうにつくっていこうよという提案をしていけるというところが,そこの役割,つなぎ役とか,人をみつけ出してつないだりという,そこの部分が恐らくコーディネータ,私が今やっていけている最大のポイントじゃないかなあというふうに思っています。

*1 フラストレーション 欲求が何らかの障害によって阻止されている状態。その結果生じる不快な緊張や不安。
*2 マージナル 周辺にあるさま。限界であるさま。
*3 クローズ 閉じること。


野山:どうもありがとうございました。続いて,神戸大学の中西先生から話をしていただきますが,中西先生御本人は先ほど元国語の教師だというふうにおっしゃいました。地域の日本語教育の現場は,皆さん御存じのように,国語を日本語というふうに意識する現場でもあるかと私は思っています。初めて外から日本語を,国語そのものをとらまえるという状況になるわけですが,それを御自身の経験でもなさってこられて,今留学生センターで副センター長をしておられ,今後神戸大学と地域との関係をどうするかという問題を考えておられる中心におられる方の一人です。お話をよろしくお願いします。

中西:中西でございます。二人の何か元気の出るようなお話を聞きながら,やはり僕はそちらに座った方が良かったなあと改めて今思っておりますが,会場校として代表して話をせよということになっております。
私は,先ほど野山さんの方で紹介がありましたように,国語の教師を20年やったわけですが,留学生センターが1993年にできまして,そのときにこちらの方へ着任しました。私が国語教育から日本語教育に至った理由は,国語教育に行き詰まっていたというのが一つです。14年目ぐらいでしたかね,国語教師をしながら,国語教育は何とかしないといけないなということで,ひとつ壁にぶち当たったというのがありました。そのときに,たまたま県が国際理解教育講座というのをやっておりまして,現職の教師の研修がありました。そこで私が出会ったのが,カナディアン・アカデミーの海野先生という方が日本語教育の話をされました。それにすごく感銘を受けまして,ひょっとしたら,僕が求めているものがそこにあるのかもしれないということで,そちらの方の勉強をしようということで,民間の日本語教師養成講座に通いだしたというのが,そもそもこの日本語教育の中に入ってきたきっかけです。その後,センターができまして,ことしで11年目ですが,現在神戸大学には1,000名近い留学生がいます。その中で,留学生センターができたときには日本語教育のプログラムがほとんどできてない状態でした。それを何とか全学にいる留学生がいつでも,どこからでも日本語教育が始められるようなプログラムを作っていきたいなと思って,スタッフと協力しながらこの11年目を迎えているわけです。
個人的には,地域とのボランティアとのかかわりで言いますと,今先ほど奥田さんが説明されましたが,奥田さんと一緒に神戸日本語教育協議会というのをやらせていただいています。その中で感じるのは,何をするにも,やっぱりおもしろくてやるのが一番だなあというのが原点だなあというふうに思います。大学の会議よりもはるかに協議会の例会の方がおもしろいんですよね(笑い)。アットホーム*1な。ところが,やっぱり大学ではいろんな会議がありますが,なかなかしんどいことが多いです。だから,義務的にやらせられるとか,やらなければいけないという活動というのはやっぱりすぐに行き詰まるなあということを感じました。ですから,ある意味でいうと,コーディネータの役割というのは,人間関係をどうつくるかということだと思うんですが,その辺のところが,やはり大学においてもそうですし,地域のボランティア活動においてもそうですし,特に大学なんかで言いますと,たとえば留学生教育とか日本語教育について,一体どこがコーディネーションするのかというと,やはり留学生センターがコーディネーションせざるを得ないだろう。来年度から独立行政法人になりまして,そういう面でいうと,いわゆる成果主義みたいなことが求められていると。教育の世界は,今の時代の流れとして仕方がない部分はあるでしょうけれども,その中で,成果主義の中に押しつぶされないように,いかに人間関係をうまく保ちながらそういう活動を強化していくかということが今後非常に重要なことではないかなあと思います。
それから,留学生センターという名称はお聞きになったことがあると思いますが,今日はレジメの28,29ページに,今全国で52の留学生センターがあるんですが,この機会に,留学生センターというのはどういうところなのかという,若干お知り願ったらいいなと思って,そこにレジュメとして挙げました。留学生センターといいますと,そこへ行くと,留学生のことが全部分かるようなイメージがあるかもしれません。これはまた留学センターになると,留学のことだったらという,そうではないんですね。これも,11年目ですから,今徐々につくり上げている段階です。それで,そこに教育目標とかいろんなことを書いておりますので,その辺のところはまた後で御覧いただきたいと思います。それから,また後で地域のボランティア組織とどういうふうな大学の一つの組織として連携ができるかというところでもお話したいと思います。

*1 アットホーム くつろいださま。家庭的。


野山:どうもありがとうございました。それでは,続いて,県庁に今おられますが,藤井さんから話をしていただきます。藤井さんは県庁におられますが,県庁の行政の人とはどうも思えないよな雰囲気を漂わせている人で,実際にはアメリカのシアトルですね,今一郎がいて,マリナーズで活躍しておりますが,そのはるか以前,ちょうど震災があった頃にシアトルにおられたという経験をお持ちで,その当時,震災が起きたときに,まさかと思われて,信じられなかったという話をこの間してくださっていたんですが,そのことを通して感じたことが今の仕事にずいぶん反映しているということを伺いました。そういったことも含めてお話をしていただければ幸いです。よろしくお願いします。

藤井:御紹介いただきました,兵庫県国際政策課の藤井英映と申します。今お話いただきましたように,シアトルにある兵庫県の事務所に3年間勤務しておりました。そこで,外から日本を見るという貴重な経験をさせていただきまして,役所の中でも型破りのつもりだったのですが,まだまだ視野が狭かったなと反省させられました。その経験を,これからの仕事に活かそうと考えております。
今日ここに呼んでいただきましたのは,コーディネータの役割ということですけれども,現在企画係長として,国際政策課だけではなく国際局全般の仕事のコーディネートをしております。ただ,皆さんとちょっと違いますのは,受け手が県庁の中に必ずいるということで,新たな仕事をいただいたときには,こういうふうに進めたらよいという青写真を描いて,投げるところが庁内にいっぱいあるのです。まあ,やってくれるかくれないか,いい顔するかしないかは別問題としまして,受け手があるということはコーディネータとしてはとても助かる部分であります。
今日,コーディネータの話の中で,ひとつ皆さんにお詫びしたいことがあります。今日の資料に,パネリストの略歴の紹介と顔写真が載っています。コーディネータのパネルディスカッションに出るには全くふさわしくない写真を出してしまいまして(笑い),申しわけありません。やはり,コーディネータというものは,他の皆さんのように笑顔でなければいけませんが,私だけ口が「へ」の字になっています。すごく後悔しています(笑い)。この写真だけは無視していただいて,実物はこんな感じですというふうに修正させていただきたいと思います。
昨年度,在住外国人のための多言語生活ガイドホームページ*1というものをコーディネートさせていただきました。これは外国人の方々が日本で生活するために必要な基本的な情報を12言語で簡単に説明したものですけれども,これが注目をあびたというか,話題にしていただいたということは,まず,イージー・ジャパニーズ*2を含めた12言語13種類という言語数が非常に多いホームページ*3であるということと,全国どこでも使えるという全国汎用版になっているということです。このホームページを作成するに当たり,行政だけではなくNGO*4とか,すごく多くの方々に参画していただいてでき上がったものです。これをうまくコーディネートしたということで,今日ここに呼んでいただきました。資料にはNGOの名前も三つほどしか書いておりませんが,実際は全都道府県の国際交流協会をはじめ,関東圏,関西圏の外国人生活支援NGOにも手弁当で協力いただき,作成していただきました。でき上がってから,皆さんよかったと言ってくださったのですけれども,途中の段階ではたいへんな苦労をされた団体もいくつかありまして,藤井の口車に乗せられたと思っておられた方もありましたが,最後までお付き合いいただいたことに感謝しております。
これが,なぜ兵庫県のコーディネータでできたかということですが,先ほどの奥田先生のお話,そして,金さんのお話もありましたけれども,阪神・淡路大震災を契機として,在住外国人の問題が浮き彫りにされたということと,行政の力の限界も見えてきたと。そこで,在住外国人支援NGOがいっぱい育ってきて,力をつけてきた。このように,いろいろな要素が重なりまして,兵庫県からこういう先導的な取り組みができたというふうに考えております。そして,うまくコーディネートできた理由は,皆さんもいろいろな問題点に挙げておられますけれども,一言で言いますと「人間関係」でした。本当に,人のつながりがどんどん広がっていって,自然発生的に盛り上がってできてしまったということで,人のネットワーク,人のつながりの大切さというものを強く感じました。どうもありがとうございました。

*1 多言語生活ガイドホームページ 日本語がわからない在住外国人が日本で生活するための基本情報を12言語で紹介したもの。http://www.hyogo-ip.or.jp/livingguide/index.html
*2 イージー・ジャパニーズ 漢字が読めない人のために,ひらがなのみで記述したもの。
*3 ホームページ インターネットによって特定の情報が入手できる個別のページ。
*4 NGO 〔nongovernmental organization〕非政府組織。政府間の協定によらずに創立された民間団体。


野山:どうもありがとうございました。これまでの御自身のコーディネータとして果たしてこられた役割について触れていただきながら,4人の方に話をしていただきました。
この話を踏まえて,今後の支援活動のさらなる充実へ向けた方策とか,ネットワークの話が出ましたが,連携,協力のあり方について少し議論をしたいわけですけれども,現状を少し補足的に申し上げると,文化庁で毎年日本語教育の実態調査をしていまして,それでは,いわゆる自称教員というふうに自分を考えておられる方が全国に2万4,000人から5,000人強の方がいらっしゃて,役割分担としてはボランティアですというふうに考えていらっしゃる方が半数以上占めているというのは,御存じのとおりです。この半数以上の役割を担っているボランティアの方々が,日ごろ活動しているのは日本語教室といわれているところが多いわけですが,兵庫県内にはどのくらいの日本語教室があるかというと,兵庫県の国際交流協会の把握した統計によりますと,2002年の12月末現在で32あるというふうに報告されています。市町村の国際交流協会等の公的機関が実施しているものが26その中にあって,ボランティアの方は1,500人から1,700人ぐらいだと推定されているというふうに統計上は出ています。
この教室というのは,いろんな形で運営されているわけですけれども,先ほどの杉澤さんがいらっしゃる武蔵野市の場合,いわゆる武蔵野方式といわれる方式のあり方は,教室形式といわれている1対多数の学習者という教室形式と,マン・ツー・マン,1対1の交流方式のものを合わせて併用しているものをうまく関係性を築いていきながら運営しているのが武蔵野方式の根幹にあります。ほとんどの教室は1対多数の教室か,あるいは交流のみとかいう場合が多いかと思いますが,いずれの教室にも必ずその活動の中心あるいは予算上の問題とか人間関係を構築するために必要な役割を担っている方が存在していることはどうも確かなようで,先ほどの奥田先生の御報告にもありましたけれども,兵庫県内にも役割を担う人が必要だという方は大勢いらっしゃって,ただ,どんな役割を担っているかというところと,資質のところは意識が違っているというところが見えていました。金さんおっしゃったように,資質はある意味でスーパーマン*1的な,極めて何でもきていいですよという,何でも答えられる,あるいは何でも相談に乗れるような人がコーディネータに求められる資質になりそうな資質だったような気がしないでもないぐらいの資質だったと思いますけども,実際に,金さんい伺いたいんですけれども,金さんの場合にはNPO*2,NGOの団体を今代表しておられて,その中のいろんな活動のひとつとして日本語教室,日本語の支援活動をやっておられると思いますが,日本語の活動そのものの位置づけと御自身の役割についてどんなふうに思われているのか,話をしていただければありがたいんですけれども。

*1 スーパーマン 人間離れした能力を持っている人。アメリカのコミックのヒーロー。
*2 NPO 〔nonprofit organization〕非営利組織。政府や私企業とは独立した存在として,市民・民間の支援のもとで社会的な公益活動を行う組織・団体。


金:質問の後半の方から話をさせてもらいますけど,私がこのプログラムの中のどんな位置づけなのかというと,お金を集めてくる人かなあと(笑い)いう気がします。前半の分,これは非常に多種多様な見方があると思うんです。私どもの団体はどうなのかということで少し違ってくると思うんですね。日本語学習に来る人のニーズ*1って本当にいろいろだと思っています。武蔵野方式という話が出ましたけど,私たちの団体はKFCと言いますね。こっちの方の名前の方が私は気に入っていますけど,コーベ・フレンドシップ・センターとかフォリナーズ・フレンドシップ・センター。アメリカ人に言わせると,こちらはケンタッキー・フライド・チキンといいますが(笑い)。
私どもの日本語教室はマン・ツー・マンで,それも,(日)(土)も夜もやってますから,本当に多種多様な,年齢も子供から,そこそこの年齢の人もいます。本当にこれでいいのかなと悩んだこともあります。お昼に来て,同年代の人と普通にしゃべっている,日本語できるじゃないかという人がいて,でも,その人にとっては,日本に結婚にきたけれども,ほとんど誰とも話すことができない,こういう人のニーズも日本語教室の中にある。一方で,親に連れられてきて,学校の中にぽつんと入れられて,この子たちは日本語を勉強するだけではなくて,私どものボランティアの人が学校の勉強をみてあげているというような日本語教室の位置づけもあります。また,週に何回も日本語を勉強して,高校への進学をかち取ったような子もいれば,本当に仕事につくために日本語を必要としている人たちもいると思います。私,そんないろんな人たちをどんなふうに理念的にとらえているのかというと,やっぱり自立をしてもらうための,日本の中で,自分のアイデンティティとかも含めて,自立していくための政策であると思ってやってます。
日本語教室は,ちょっと午前中の議論で出ましたけれども,どうも私が川崎で識字教室といって,この人たちは別に日本語の読み書きができませんけれども,日本語の話す,聞くはできる在日の一世ですね,70ぐらいの人たちと接しているときに,ボランティアの人で,1字1句,丸も点も濁音も全部直していく人がいて,この人が教えた後,書く作文は,何々先生のおかげで,私は文字も知らなかった人間だったけれども,銀行で自分の名前が書けましたと言う。6か月後もそうです。1年後もそう。2年後もそう。3年後もそう。これでは何かロボット*2を作っているようです。日本人にするための日本語教室,こんな同化のための日本語教室であってはならないという思いを持ってやってますね。
そのためにいろんなことをやります,うちの日本語のプロジェクトは。研修もします,養成講座もします,マン・ツー・マン・レッスンもすればグループ・レッスン*3。そういう人たちを支えるためには私より,現場の苦労は前に座っています日本語のコーディネータがやってくれています。その日本語のコーディネータをバックアップ*4するためにリーダー会議というのもやっています。それで,9年もやってて,なかなかそれでも,分かってくれる人もいれば,分かってくれない人もいる。そういう場を持って,分かってくれる人は来るんだけれども,分かってくれない人は来られないとかいろんな問題があります。そんなことやってきて,私のレジュメにも書いていますけれども,自立を支えるためにというのは,やっぱり人間としての人権を守っていくために,日本社会の中で日本語というのは欠かせないツールであると思って,私たちは苦しいときからずっとやってきているというのが現状です。

*1 ニーズ 需要
*2 ロボット 人造人間。
*3 グループ・レッスン 集団訓練。
*4 バックアップ (コンピュータの)誤操作などによるファイルなどの破壊に備え複製を作っておくこと。


野山:はい,ありがとうございました。今のお話にあった,人権という言葉がありましたけれども,人の声を大切にするという意味では,市民の声を大切にするという活動を武蔵野では長い間やってきているということで,その関係で,1989年にMIAができたときに,コーディネータのポジションのようなものができて今につながっていると聞いたことがあります。武蔵野では特徴的な活動として,今日の資料にも入れていただいていますけれども,相談ネットワークをつくり上げてきたこととか,あるいは教員の研修をワークショップ形式でもう3年近くやっておられて,その相談ネットワークの構築の過程で気がついたこととか,あるいは教員の研修をつくり上げる過程で,学校との連携,教育委員会との連携という重要な課題があったと思いますが,そこで何かをつくり上げていくときに多分相当なストレス*1もたまったでしょうし,いろんなことがあっただろうと思いますが,その辺のところを少し話していただいたら,杉澤さん,ありがたいです。

*1 ストレス 精神緊張・心労・苦痛などが原因で引き起こされる生体機能の変化。


杉澤:私は武蔵野市国際交流協会のプロパー*1の職員で,事業全体を実はコーディネーションするという立場です。日本語教室はその中の一つなんですが,国際交流協会の全体のプログラムを作っていく中で,とりわけ日本語教室というのは非常に日本の社会の問題が分かりやすいところだというふうに私は思っています。ですから,日本語教室を核にしながら,むしろ国際交流協会の様々な事業が派生してきているというふうに私はとらえております。
その中の一つに相談事業というものがあるんですが,東京都内には26の自治体がつくった国際交流協会があるんですね。在留外国人の,登録者数では35万人,人口の3%になっています。各地域には行政の方が言語対応ができないので,国際交流協会に外国人の相談が大分寄せられるようになってきたという経緯があって,行政の方から相談事業を委託されるというケース*2が増えてきました。そうですね,95年以降なんですけれども,各国際交流協会の職員も,そういった在住外国人の問題をどういうふうに取り扱っていったらいいのか,事業化していったらいいのかということで,実は悩みだったんですね。ただ,それが顕在化していたので,いかんせん,事業が堂々めぐり。行政のひとつの形態なんですけれども,行政から来る職員というのは異動でどんどんかわってしまうので,その職員のスキル,問題,課題を共有していったとしても,次の職員に伝わっていかない。そうすると,現場サイド*3で同じことを何回も繰り返さなきゃいけないという状況が実はありました。そういう中で,これでいいのだろうか,このままいってしまったら,地域で外国人を受けとめきれなくなってしまうということですね。受けとめきれなくなるとどこへいくかというと,心ある市民の方たちにしわ寄せがいって,ボランティア団体の人たちが問題を抱え込んでいっていくという状況が出てくるわけですね。そこで,国際交流協会の組織的に声をかけまして,在住外国人の相談事業を一緒に考えてみないかということで,議論をする場を設けました。1年間行政が行う在住外国人の相談の問題,課題,国際交流協会が行う問題,課題,ボランティアが行う問題,課題というのをある意味拾い上げて,その中で,国際交流協会としてできる仕事は何だろうかということで立ち上げたのが,行政の枠組みを超えて,市民レベルでの外国人相談をやろうということだったわけです。これも実はネットワークと役割分担という,基本的にはそういう考え方なんですけれども,行政サイドというのは,ある意味では,少しの予算と場所と広報というのはハード*4として持っているわけですね。そこへ行政へ行って提供してもらいましょう,それから,多言語に対応しなければもう相談やっていけない。それから,外国人の持っている問題というのは,日本人が持っている問題と違うレベルの問題がたくさんありますね。たとえば国際結婚,離婚,子供の問題。多文化に及ぶ問題というのがたくさんありますので,そういう専門家もかかわってもらわなければ問題解決のスタート地点にも立てないということで,行政ができる役割,それから,多言語での通訳ができる市民ボランティアと多文化間精神医学会の精神科医とか,外国人問題に詳しい弁護士,行政書士等,専門職,専門家といわれる方たちとネットワークを組んで,相談事業をつくり上げてきたという経緯があります。
ただ,この相談事業も,なぜこういうことを考えたかといいますと,日本語の教室を担当している中で,実はある出来事があったわけです。台湾からの留学生がいたんですが,その奥さんという方が日本語全くゼロで,配偶者で来たわけですね。そうしますと,だんなさんは毎日学校へ行ってほとんど家にいない。ぽつんと残されて,唯一光を求めてきたのがこの日本語の学習の場だった。週1回程度話を聞いてもらえる。ただ,日本語ゼロですから,媒介言語がないと自分の思いを伝えることができないという状況の中で,最初のときは,私どもは日本語ゼロの人には媒介言語のできる人をマン・ツー・マンでお願いするんですけれども,たまたま4,5回それを続けてくると,どうも何か様子がおかしいということに日本語のボランティアが気付くわけです。で,だんなさんにも言うんだけれども,じゃ,病院に連れて行きましょうと言って連れていったら,内科の医者で,疲れでも出たんでしょうぐらいで終わってしまったわけですね。後になってこれは分かったんですけれども,精神障害を起こしてしまっていたという状況があったわけですね。これはやはり異文化の中でのストレスによる問題,課題というのは大きいなという気づきがそこでありまして,単に制度的な問題を解決すれば,それでいいのかという問題ではないということに気付かされたわけです。そういうことがあって,多文化間精神医学会の方たちとのネットワークをつくりながら,外国人相談をつくり上げたという経緯があります。すいません,長くなって。
それから,もう一つ,学校の教員ということなんですが,これも日本語の学習者の中には,日本人の夫の配偶者で,定住化してくると子供さんができて,子供との問題に悩む人がかなり多いですよね。皆さんも御経験あると思うんですけれども。母親の言語と父親の言語の間に揺れる。それから,幼稚園になってくると,日本人の子供たちとの人間関係に悩んでしまうということで,子供のことで悩んでいる方が非常に多くなってくることが分かりました。そういう問題を,ある意味では学校の現場は受けとめていないんですね。学校の現場では日本語ができるようになって欲しいというだけの話であるわけですね。で,果たしてそうなんでしょうか。実は,そういうこともありまして,2000年度から総合的な学習の時間の導入の試行が行われるという情報がありました。2000年度から教員向けのワークショップというのを開設をしたんです。これは通年で教員にぜひ地域の活動に参加してくださいというところで,そこで日本語学習をしてきた外国人の人たちに来てもらって,討論会というのを教員とやるわけですね。そうしますと,学校の先生というのは学校の中だけで,ある意味生活もしちゃってて,そこから,実は地域,地域と言いながら出ないですし,地域のことをほとんど知らないというのが現状です。初めて地域に出てきて,地域で暮らす外国人の方たちの話を聞くことによって,教員の方が,私はこんなにいろんなことを知らなかったということに気付くということがあります。その中で,学校の教員に,総合的な学習の時間を使って,ぜひ地域のこいった日本語を学んでいる学習者をリソースとして,学校の授業,国際理解教育に取り入れてみたらどうですかという提案をし始めたんです。で,そこのつなぎ役として国際交流協会がしましょう。学校の方は,ある意味,安全な人じゃないと入れたくないんですね。その安全をどこで担保するかという問題があって,これは行政がつくった国際交流協会というのは意味があるんですね。ただできてるだけではないんですね。そういう意味があって,交流協会が紹介してくれた人だからというので,すうっと入れるわけですね。そういうことがあって,2000年度から学校にどんどん外国人が入ることになっていった。
そういう中で,ただ問題はたくさんあるなあというのは,学校の教員の描いた枠組みの中に外国人のリソースがはめ込まれてしまうわけですね。さっき奥田先生,むかっとくるとおっしゃったのは,しょっちゅうでですね,私も外国人の方と一緒に授業をやるというのは,大分長い間やっていて,異文化の接触というのはある意味慣れてるから,これほど異文化を感じたことはないというのが教員との活動でもありました(笑い)。今現在の私の最大の課題はこの異文化間ストレスをどう解消するかというところなんですけれども,そういうところがやはり日本の社会の中の問題として提起していくというのを,実は一番分かりやすいんですね,この活動というのが。ワークショップでフィードバックをしますので,学校でその外国人を受け入れて,それ,どうだったんですかという発表をしていただきながら,こてんこてんにたたくわけです。ああだった,こうだった,これは違うんじゃないかというようなことで。最初はやはり言われることに,批判されることに慣れていないというのが,多分先生なんだろうと思うんですが,最初はたじろいでいたんですけれども,そのうちに,いわれることによって次の授業が違う形でできてくるところに新しい発見が生まれてくるということがあって,やはり在住外国人というのはある意味では地域のリソースであって,学校教育なり,地域を変革していける一つの力なんじゃないかというふうに私は認識するようになりました。
そこで,最近なんですが,学校の教室に一人の外国人を入れる授業というのは,実はなかなか難しいんです。個として言葉を発するというのがなかなか難しいので,これ,何とかならないだろうかということで提案したのが,日本語教室丸ごと交流プログラムというのを今やっています。これは日本語ゼロ*5の人も日本語がかなりできる人も学校の教室に丸ごと行って,子供たちと交流をするというプログラムなんですが,これは非常に効果があるなあということを実感をしています。あんまり長くなると申しわけない。

*1 プロパー 本来であること。その方面に専門にかかわっていること。この場合,もともと国際交流協会の職員であることを意味する。
*2 ケース 場合。
*3 サイド 片方の側。側面。
*4 ハード (コンピュータシステムを)構成する装置・機器。
*5 日本語ゼロ 日本語に全く接したことがない状態。


野山:今ちょうど杉澤さんの話も出ましたけれども,ここにも多分現役の教員の方もいらっしゃいますので,今の話を聞いてうーんと思った方とむっときた方も多分当然いらっしゃて(笑い),そういう方には非常に申しわけありませんでしたが,中西先生も元ここの教員で,学校の教員をやっていた生活文化と,それから,先ほど御自身もおっしゃっていましたが,国際理解の講座を海野先生ですか,受けられて,今11年センターに勤めておられて,昔の自分を見てみる,という話をしていただければ(笑い),幸いです。

中西:僕は,どちらかというと,そんなにまじめな教師でもなかったし,ほとんど遅刻すれすれで生徒と一緒に兵庫駅から走ったり,そんなことで。僕はネクタイするの大嫌いですしね。年に2回か3回ぐらいしかネクタイしないんですよね。パーティがあるときとか,終業式とか,公式の場。今日はしてきましたけれども,一応文化庁の主催ですし(笑い),長官に敬意を表して来たわけです。ますますこの場所に座っているのが何かこう息苦しくなって。教師もいろいろいらっしゃいますので。ですから,確かに僕らも世間知らずですし。大学は,先ほども言いました,やっぱり大学だけではなく小,中,高全部続いて,いわゆる外部に対してガードが固いといいますか,言葉では,開かれた大学とかセンターを目指すと言っていますけれども,なかなか実態はそうはいかないということがありますね。ただ,私たちも留学生を対象にして日本語教育をやっております。ところが,留学生にはやっぱり,必ず妻帯者ということで奥さんが来たり,子供が来たりしますので,その辺のことがうまくいかないと,留学生自身のいわゆる日本語学習も進まないということがあります。そういう意味でいうと,その留学生の御家族の方に対することで,例えば地域のボランティアのグループなんかに非常にお世話になっていますし,今,学内的には,こころネット・イン神戸というボランティア組織を相談指導部門が中心になって立ち上げていまして。学習者のいわゆる家族の方の日本語教育を週1回ですけれども,学内でやっていると。そのときにはベビーシッター*1もつけるような形では,徐々にですが,やっています。ただ留学生でも,うちの留学生がたとえば夏休みになったり,それから,春の長い休みになりますと,いわゆる地域の日本語の教室でずいぶんお世話になっている。その辺との交流みたいなものはやっぱりこれから,同じ私たちは学生という目でしかとらえてないわけですが,地域へ帰れば地域の住民の一人ですから,そういう地域住民の一員としての見方というのは,やっぱり私たち学校教育の現場にいる者というのは忘れてはいけないなあということを,今また強く再認識いたしました。以上です。

*1 ベビーシッター 子守り。


野山:ありがとうございました。今,杉澤さんの話にも出てきましたし,金さんの話にも出てきて,連携の話が中西先生の話も出てきたわけですけれども,藤井さん御自身,このホームページを立ち上げるときにいろんな方々の協力を得ているという状況があって,恐らく藤井さんなりの説得力を発揮して,連携,協力をいただいたんだろうと思いますが,そのときの工夫したことと,結果として,これを作って,反響が幾つかあると思うんですけれども,せっかくですので,話していただければと思います。

藤井:このホームページをコーディネートしたきっかけですが,実は,神戸市が3年ほど前に6言語の生活ガイドホームページを作成されまして,これはインターネット*1を通じて世界中に情報提供できますので,せっかくなら兵庫県の日本海側でも使えるようなものにならないかなと思いまして神戸市に交渉したのですが,その内容には神戸市の地域情報が多すぎて転用できなかったという結果になりました。この話を鷹取のNGOにしたところ,全国版をつくるならおもしろいという御意見をいただきまして,これは私がコーディネートしたというより,鷹取のNGOにお尻を叩かれてどこかからお金を取ってこようという雰囲気になり,スポンサー探しをしたわけです。そのようないきさつで,賛同者が何人か集まり,次に資金を調達することになりました。今まで何度か話題になりましたが,資金を調達するということは本当に一番大きな課題だと思います。例えば,兵庫県のような行政機関だったら,ぽんとお金を出したらよいのでは思われるかもしれませんが,兵庫県,神戸市だけでなく,全国的に予算の厳しい折でして,特に在住外国人対策や国際交流というのは受益者が相対的に少ないと見られていて,予算当局もすんなりと予算をつけてくれません。実は,県の予算当局は全く相手にしてくれませんでしたので,さっさとあきらめまして国にかけあってみようということにしました。当時の自治省の外郭団体に話を持っていきましたところ,意外とまじめに話を聞いてくれまして,全国版になるのなら3分の1か半分ぐらい支援しましょうというお言葉をいただきまして,本当にたなぼたで資金が確保できました。
さて,このホームページの見積もりは総額で2,000万円ほどでしたが,国の外郭団体から600万円ほどいただきまして,国がよい事業だと認めてくれたから,県もいくらか出して欲しいとお願いしましたところ,60万円だけ予算をつけてくれました(笑い)。まあ,全くないよりはましかなということで,これを持って鷹取のNGOに相談に行きましたところ,外国人コミュニティとかNGOのネットワークを使ってできるとこまでやってみようということで,本当に鷹取のNGOが汗をかいてくれました。資金は,見積もりの3分の1ほどしかなかったのですが,なぜか賛同者がどんどん増えていきまして,結局600万円の予算で10言語の予定だったのですが,いろいろな外国人コミュニティが翻訳の協力をしてくれまして,最終的には12言語13種類になってしまいました。
このようにお話ししていると,コーディネータの役割というより,自然に人の輪が広がっていったというのが正直なところです。また,人の輪というものは本当にありがたいなと感じる反面,やはりお役所というところは縦割りで,おまけに壁が高いなということをひしひしと感じた事業でした(笑い)。

*1 インターネット 複数のコンピューター-ネットワークを相互に接続して,全体として一つのネットワークとして機能させたもの。今や,これによって世界が結ばれている。


野山:作った反応はどうだったでしょうか。

藤井:作った後の反応ですが,これは兵庫県国際交流協会のホームページに載せると同時に,国の外郭団体である自治体国際化協会(CLAIR)のホームページにも,兵庫県の地域情報を除いて,全国版として載せていただいておりますが,早速近畿圏の自治体から,これを活用してもよいかという照会がありました。また,これの作成に協力いただいた阪神間の西宮市が,独自の地域情報を付加したホームページの作成にとりかかっております。このように,いくつかの自治体がこれをもとに,自分ところの地域情報を入れたホームページを作成しているという状況です。これによって,情報が広がりつつあるという状況で,多言語情報過疎地においてどんどん活用いただければありがたいと思いますので,どんどん紹介していただきたいと思います。ということで,反応としては「ぼちぼち」(笑い)広がってきているかなというところです。

野山:はい,ありがとうございます。広がるという意味では,杉澤さんがネットワーク構築と国際交流協会の役割,都内リレー専門家相談の事例からという1枚もののこの資料をお配りしていて,皆さんの手元に多分,足りなかった人がいらっしゃると思うんですが,刷り増ししてますので,これは後で参考にしていただいて,読んでいただければと思います。時間もあまりございませんので,これは武蔵野市のそういう専門ごとのネットワークが東京都内に波及していったというふうに考えていっていただければいいかと思いますが,東京都内全域で相談リレーをやったという話を書いてくださっています。
先ほどの藤井さんのお話もそうですが,金さんもそうですが,財源の問題はかなり大きな問題のひとつでありまして,藤井さんもお金を集めるときに,あきらめが早いと言いながら,全くあきらめていないわけですね。あきらめずにやってると,藤井さん,ほとんどわらしべ長者状態ですね。何もないところから600万から始まって,多分1,000万近いお金で12か国の言葉のものを作り上げるということです。この現象は,例えば昨日か今日の発行で,日本語教育新聞の方に,今回のこの開催行事に関してたまたまインタビュー*1を私も受けまして,文化庁の事業を紹介しながら,長野県のことを御紹介しています。長野県は県全体で自治体が動いて,県庁と県の国際交流の関係の協会と,それから,企業の方と教育委員会が4者一緒になって,お金をつくるためにサンタ基金というものを作って,1年ちょっとで約1,000万のお金を集めて,それと,要らなくなった机とかいすとかも寄付で募りまして,年少者及び親子の日本語教室あるいは違う日本語教室等にそれを寄付するというようなことをやり始めています。きっかけはやはり人なんですね。ここにいらっしゃる4人の方もそうですが,あるときふと思って,先ほど杉澤さんがおっしゃっておりましたけれども,コーディネータの醍醐味は,問題解決の問題をみつけたら,解決へ向けてのある活動をつくり出していくと。そこは難しいところではあるけれども,その共感者を多くつくることによって,そこに醍醐味があるという話がございましたが,長野にもそういう方がいらっしゃったわけですね。それによって長野県は大きく変わりつつあります。もちろん知事がかわったということは大きく影響しているとは聞いてはいます。そういう意味では,組織の長がかなり大きな影響力を持っているということでいうと,先ほどの学校の話はその典型であるかもしれません。ただ,それだけでめげていては何も変わりようがありませんので,そこをどうするかという問題では,多分御意見ある方もいらっしゃるでしょうし,ここにいらっしゃる方に質問のある方もいらっしゃると思いまして,一つか二つであれば,質問が受けられるかと思いますので,手を挙げていただければ幸いですが,よろしくお願いします。いかがでしょうか。どうぞ。

*1 インタビュー 人にあって話を聞くこと。


参加者:杉澤さんのお話を共感をもって大いにお聞きした者なんですけれども,子供たち実際に学校に行きますと,先生に対する認識は全く同じなんですけども,縦割り行政,いろんなボランティア組織とか,いろんな行政がらみの団体とかありまして,一人の子に対してあっちこっちからかかわるのはいいんですけども,かかわったその子に対してばらばらに対応しているという。私なんかはそこをコーディネートするのは,多分学校なりの担当である教頭先生なんかであると思うんですけれども,その辺がなかなかうまくいっていない。先ほど藤井先生から御紹介がありました西宮なんですけども,私が所属しています交流協会は非常に今まで協力的といいますか,よく理解してくださって,ボランティアが非常に動きやすいと思ってるんですけれども,それで,学校それからボランティア,それから,家族の方も含めて,巻き込んで子供さんをみていくみたいなことで,メイン*2は日本語なんですけれども,そういう力を借りましても,ちょっと難しい部分,そういう部分では。そういう場合には,例えば杉澤さんであれば,どういうふうな対応が考えられると思われるでしょうか。教えていただければ,参考として。

*1 メイン 主要なことがら。中心。


野山:いかがでしょうか。

杉澤:すいません。私が聞きたいくらいです(笑い)。現場にいると,どうしていいか本当に分からないこと,先ほど申し上げましたけれども,問題は見えるんですけれども,解決するのって本当に難しくて,どうしたらいいんでしょうか。ということですね。ただ,先ほどネットワークということと役割分担ということを申し上げているんですけれども,やはり人間の関係性をどこまで広げていられるかによってしかその問題を受けとめられないということなんですよ。問題が起こったから,じゃ,これを解決するためにこの人が必要だから,こっちへ行って頼もう,こっちへ行って頼もうといっても,そもそもの人間の信頼性,関係性が構築されていないと,そこですっと解決できるかどうかというのは,ほとんど私的にはやっぱりその前の段階の人間関係の中でしか解決というのは難しいだろうなというふうに思っているんですね。だから,教育委員会とどういうふうに連携するかということが,今現在としては私自身の課題ではないかというふうに思っています。

参加者:教育委員会としては理解がありまして,徐々には解決していっているんですけども,県の方の段階で,子供文化共生センターというのが立ち上がりましたよね,先月の26日。そこからサポーター*1として実際に行っていらっしゃる方がいらっしゃいますけども,そういう方たちも,行ったものの,やっぱり悩まれるんですね。悩まれて,言ってこられる方はまだこちらから出向いていろいろ相談したりするんですけども,でも,何か,そういう方たちが所属していらっしゃるところも,私はこの間お電話したんですけれども,現場の先生と相談して解決してくださいで終わりなんです。

*1 サポーター 支援者。


野山:すいません,次の分科会,何分科会にいらっしゃいますか。

参加者:第1分科会です。

野山:そうですか。じゃ,その場に,山田先生も含めて話し合いにしていただければと思います。あと一つだけ質問があれば受けられると思いますけども,いかがですか。特にないですか。よろしいですか。じゃ,質問ですね。意見ではなくて,質問でお願いします。

参加者:質問になるかどうか,すいません(笑い)。実は,大阪で識字日本語センターという場所ができています。そこにかかわっているMと言います。
この場で今日朝からいろいろ聞いてきてて,実は今年から国連識字の10年というのが始まっているんですけども,それとこの日本語教育とのかかわりというか,日本の中でのリテラシー*1を充実させていくというふうに,この10年間をどう使っていくかというような話がまだ一度も出てないので,何かその辺のことがあればなと思っています。大阪では今その国連識字の10年にからめて,府内でどんなことをしていこうかというのをいろいろ計画を立てているところなので,ほかのところでも何かあればなと思って,聞きたいと思います。

*1 リテラシー 読み書き能力。


野山:その点は結構話が長くなりそうなので,後で私と話しましょう(笑い)。ぜひそうしてください。そろそろ時間となってきまして,4人の方々にある程度話をしていただいたんですが,これ以上時間がとれません。それで,終わった後15分間の間か,あるいはそのまた終わった後も話ができればしていただければと思います。せっかくお出でいただいている解説者のお二人に,今話をしたことも含めて,まず最初に,イントロダクション*1で話題を振り込んでいただいた奥田先生の方から一言いただいて,最後に,西尾先生の方からまとめと感想をいただければと思いますけども,お願いします。

*1 イントロラダクション 序論。導入部。


奥田:ありがとうございました。この中には,パネリストのお話に関して,私,これには意見があるという方がたくさんいらっしゃると思います。その方たちには,ぜひ,分科会で思いのたけを語っていただきたいなと思いました。私は本当に,いろいろなことをするのは人なんだなあと思いました。県の藤井さん,このような方は,実は県に,小さい声で言いますが,いないのです(笑い)。中西先生のような先生もやっぱり大学にはいないんですね。でも,そういう人たちは,全くいないかというと,そうではなくて,実はいるところにはいる。そういう人たちといかに私たちはつながっていくか,人を発見していくか,発見した人といかに一緒にやっていくか,共有していくのか,こういうことがコーディネータの根幹にあるのだとつくづく思いました。そういう意味で,皆さんのお話,本当に参考になりました。本当にどうもありがとうございました。

野山:それでは,西尾先生,お願いします。

西尾:6分でお話するのはちょっとつらいですけれども,最後にまとめと感想でいいとおっしゃいましたから安心しました。
今日,大変に充実した午前中の会二つ,そして,今も,さすがに関西なんだなとと思います。先ほど申しましたように,全国を歩いて3年で100か所ぐらいで講座を実施しておりますが,本当に地域,地域で特性が違うんです。それはその地域の,地元の文化というものなんですね。ですから,どちらに行きましても,それを忠実に私は学んでくるつもりで行っております。今朝の鼎談のときに,後の質問でしたか,3人のフロアの方のおっしゃった言葉の中からも,やはりこちらの地域は成熟したところだなあというふうに思ったんです。例えば浜松あたりを中心とするブラジル人の集住都市というのがありますでしょう。その地域では,子供の不就学の問題とか,教育問題がたくさん出てくるわけです。それから,今度はどこの何県とは申しませんけれど,一生懸命ボランティア講座で自分でボランティアの日本語支援に関する勉強をしてるんだけど,外国人どこにいる?,そういう県だってあるんですよね。ですから,いろいろ先行しているというか,成熟している県もあれば,本当に今出発したというところもあるんです。それを一律に,これがモデル*1だというふうには言い切れないんですね。でも,今日のお話を聞いてますと,さっき九州の方もいらしてるし,四国の方もお見受けしましたけれど,地元に帰られて,こういう場で情報を得る,それから自分たちでも情報を発信する。そして共有する。それを地元で,地元文化の中でコーディネータとしてどういうふうに活用していったらいいか,育てていったらいいかということ。お一人お一人が課題として持って帰っていただければいいんじゃないかなあと思うんですね。今行政の方,中央官庁の方もたくさんいらっしゃるのに,言いにくいですけど,日本の国は,外国人の受入れ政策というのがまだ弱いと思います。これだけ少子化といわれている,これだけ外国人が入ってくるのに,それに対してこうだという政策を示していただけてないんですよ。インドシナ難民を迎えたときは,ここの姫路定住促進センターが一番早く定住促進センターをつくったんですけれども,そのときに,5省がまとまって総理府に連絡協議会を置いたんですね。そして,それが今20何年たっても,姫路はもう閉鎖されましたけども,品川の国際救援センターなどでは十分に機能してるんです。ですから,超党派じゃなくて,超省庁でこういうことに当たってもらえれば,必ずこれは先が明るく見えてくるというか,少なくとも方向が見えてくると思うんですね。私も20年地域のことにかかわっておりますが,ずっと言い続けながら,まだ力が弱くて,なかなか前進できない。ただ,文化庁が,こういう場をつくってくださるんですね。ある意味で,ちょっと総理府的な,予算もとって,全国でコーディネータ講座をするとか,ボランティアの養成講座をすることを働きかけてられるんですよね。これは非常にありがたいことで,このような場をどうか皆さん生かして,広範囲に情報交換と情報収集などをなさって地元に帰っていただきたいんです。皆さん,本当にこうして見るとずいぶん知っているコーディネータの方たちがいろんなところから来てらしているのが見えますけれども,ぜひそうしていただきたい。そして,私たち,結局,何を動かすといったってなかなか難しいことです。この頃私のところに相談でずいぶん電話をいただいていますが,どうも何か暗い話なんですよね。ボランティアにいってたけど,もうくたびれちゃったとか,それから,5,6年前から始めたけど,どうしても課題の解決にはほど遠いとか,ずいぶん何かこう暗いんですけれども。今日,私はここに伺って,河合長官の魔術かどうか知りませんけれど,関西元気文化力というんですか,文化圏,これを発信しようということでおつくりになったすばらしい関西の協議会がありますよね。こういうのを私たち,悪いけど,活用しようじゃありませんか。それで,地元に帰りまして,例えば自分で悩んでいないで,友人でもいいんですよ,親友でもいいんです。隣の人でもいいんです。こういうことをしている,私たち一人一人がこういうことを知っているっていうことを,胸を張って話してみませんか。そういうふうにしないと,なかなかこのことを世間一般に理解していただくのが難しいと思うんです。ですから,このアンケートの結果も活用するべきです。しかし,人格だ,やさしさだとか,そういうのが出たから,じゃ,どうしたらいいのというところが問題なんですよね。そういうことは,それを勉強しましょうと言ったって難しいんです。今日のコミュニケーション能力の話,松本先生のお話はたいへんに役立つものでありました。実際の現場を考えてみると,もう私たち体当たりで,全人格で外国人支援にかかわりをもっているわけですよね。来日する外国人の方の自立を支援するために,もう全人格的にかかわってることなんです。ですから,そういうパワーというものは絶対になくさないで,そうすることが結局アンケートの活用につながっていくのではないかと思うんですね。せっかく今日のすばらしい会がありまして,まだこれから分科会があって,そこでも私も担当させていただいて,どうしてボランティア活動が始まったかというところをお話しますけれど,皆さんお帰りになってから,ひとりひとりが今日ここで関西元気文化圏,この活動でパワーをもらって,少し明るくなって帰りませんか。そして,この一人一人でやってることをどうぞ地元で広めていってください。それを私は,最後にもう一度言わせていただいて,時間がきましたので,終わりにします。どうも失礼いたしました。

*1 モデル 模範。手本。


野山:どうもありがとうございました。5人のパネリストの方で,これだけは言っておきたいのだが,言い忘れたということがあれば。いかがですか。はい,藤井さん,どうぞ。

藤井:私も,行政関係が実施するシンポジウムとかによく参加するのですが,この大会も文化庁という行政機関の主催でありながら,参加者の方々がこれだけ熱心に,しかも顔を上げて聞いているということに皆さんのパワーを感じました。どうもありがとうございました。

野山:ありがとうございました。あらためて4人のパネリストの方々に拍手をお願いします。どうもありがとうございました。これで午後のパネルディスカッションを終わりにしたいと思いますが,この後の予定を少し話させてください。
今話題になりましたけども,第1分科会は,年少者の日本語学習支援について考えるということで,多分人権の問題とか,学習の問題とか,それから,学校とのかかわりの問題とか,いろいろ多岐にわたる話を4人の発表者の方々を含めて,2時間ちょっとの間やろうと思いますので,ぜひお出でになっていただければとと思います。201教室で行います。K棟の201教室です。それから,第2分科会は,先ほど西尾先生の話もございましたが,難民の事業で行ってきた日本語支援の問題を中心に,生活日本語教育の実践ということで分科会を開きます。これはK棟の301号教室です。第3分科会は,これは先ほどの杉澤さんが教員研修で使っているようなアクティビティー*1を使っての研修も含めて,ベルボ・トナルとか,TPRとか,そういった地域で使えるようなアクティビティーをたくさん紹介していただけるワークショップを402,関口先生のコーディネーションで行いますので,ぜひお出でください。最後に,第4分科会は,松本先生が先ほどのお話に関連してディベートのワークショップを行ってくださいます。これは401教室ですね。ここは最初のお知らせと教室がかわりましたので,間違わないように行っていただければと思います。それから,最後に,西尾先生から政策の話が出ましたけれども,こういうテーマで今日お話をして,コーディネータの存在ということで,文化庁で実はコーディネータをはるか昔各都道府県につけようと思って,予算化しようと思って動いたことがあります。ただ,それはいろんな弊害もありまして,事なりませんで,結果として,研修から,じゃ,始めようということで,今研修から始まっているという経緯があります。最近の朗報の一つとしては,戦後初めてだと思いますが,国語課長として内閣府から新しく,その辺にいらっしゃいますが,久保田課長という方がいらっしゃいました。通常文部科学省内で課長がいらっしゃることが多い中,内閣府からいらっしゃったわけです。これはどういう意味かと申しますと,シンプロリシティで結びつけてしまえば,今後中央官庁の最も中央にあるところがもし言語政策に興味をもっていただける可能性があるとすれば,その可能性を秘めてる課長が来られたというふうに考えていただいていいと思います。そういう転機にもなりつつあるときに,たまたま,あるいは必然かも分かりませんがこういう,元気文化圏の中で,関西,しかも神戸でこういうパネルディスカッションができるということは,非常にいいタイミング*2ではないかと私自身は思っておりまして,あと2時間ちょっとですが,御協力願って,ぜひ,西尾先生もおっしゃいましたが,元気になって帰っていただければ幸いです。ありがとうございました。

*1 アクティビティー 活動。行動。
*2 タイミング 物事をするのにちょうど良い瞬間。間合い。

ページの先頭に移動