日本語教育研究協議会 第1分科会

日本語教育研究協議会
  第1分科会「日本語・韓国語などの対照言語研究の成果の活用」
  講師:生越 直樹(東京大学教授)
生越 初めまして生越と申します。よろしくお願いいたします。
午前中の話で私の話したいことを大分しゃべられてしまったので,少し話し方を考えないといけないなと思ってるんですが,私が述べようとしていることというのは午前中話題になったようなことをもう少し詳しくやろうということです。つまり,レジュメの方にも書きましたけども,韓国の人はほかの国の人に比べると比較的短期間で日本語をしゃべることができるようになるんですね。それは言葉の構造が日本語と非常によく似ている。例えば語順が同じだし,助詞,「は」とか「が」とか「を」とか,そういう助詞も日本語と同じように,特に「は」と「が」の区別があるというのは,ほかの国の人は「は」と「が」の使い方の区別で苦労するのに,韓国の人は全然それに苦労しないということもあるし,ほかにも敬語がありますし,そういうことで韓国の人は日本語を勉強する場合文法的には非常にやりやすいわけですね。ですから,すぐにある程度はしゃべれるようになる。ところが,日本語はうまいんだけども,うまく意思疎通ができないといいましょうか,日本語をしゃべることができるということと,それでコミュニケーションができるということはちょっと違うんですね。つまり,その場に応じてどういう日本語を使えば自分の言いたいことがちゃんと相手に対して伝わるかということになりますと,その辺がうまくできない。そのために韓国人と日本人の間で何か誤解が起きたり行き違いが起きたりということがある。その辺について今日は少しお話ししようと思います。
文法的な違いとか,その辺はいろいろと最近は本などもあって,この辺が違うよとかというような記述はあるんですが,今からお話しする言語行動関係の違いについては,まだそれほどテキストの中とか何かの本の中で詳しく触れられていることが少ないと思うんですが,最近,午前中の座談会にも出られました井出先生とそれから韓国の任榮哲*1先生共同で書かれました『箸とチョッカラク』という本が大修館書店から出ました。恐らく,こういうことは日本と韓国は違うとか,そういう感想,コメントめいたことはいろんな本に書かれていたと思うんですが,もう少し学問的な形で書かれた本としては恐らく『箸とチョッカラク』という本が初めてだと思います。まだ読んでいらっしゃらない方は一度読んでみていただければ,あ,こういうことが問題なのかっていうことがよく分かるかと思います。今日の私の発表もその本から幾つか材料をお借りしていますので。
まず,これを続けて2時間半やって,どこかで休憩をちょっと入れます。できれば最後ちょっと質問の時間をとって,皆様方の御質問というか,私もまたいろいろどういうことが問題になってるのかというのを知りたいもんですから,ちょっと時間をとりたいと思います。
レジュメを配らせていただきましたけども,まずそのレジュメの最初のページをごらんください。言語行動という言葉を使いましたけども,いろんな規定があります。一応,野元*2先生の規定をそこに出しておきました。要するに,ある場面である言葉を使って何かを伝える,そういうものを言語行動というふうな規定をしています。ここで重要なのは,単に言葉だけが離れているんじゃなくて,言葉とほかのしぐさとかそういうものも一体化して何かを相手に伝える,コミュニケーションになっている,その部分に注目をしたということです。先ほど申しましたように,そこら辺が問題で日本人と韓国人の間に誤解がよく起きます。
例をちょっと一つ見ますと,(1)番の例があります。『続スカートの風』,『スカートの風』という本がありまして,呉善花さんという人が書いたんですが,日本の生活での体験記みたいなものを書いてるんです。これは,夫が日本人で,私が韓国人なんですね。「夫が私にバッグを買ってきてくれたのよ。私はとってもうれしくて,『うれしい,うれしい』ってはしゃいでいたの。そうしたら彼は『ありがとうくらい言えよ』と怒った顔をして言うのよ。おかしいでしょう。夫が買ってきたものにありがとうなんて,全く他人行儀じゃない。夫婦なのにね」というくだりがあるんですね。これは,結局妻である韓国人の方は,どうして怒るのかと思ってるわけですね。夫の方も,要するに気分が悪い。どうしてそういう行き違いが起こったのかということなんですけども,要するにありがとうと言うか言わないかということだと思うんですね,原因は。夫の方はありがとうと言うべきだと思ってるし,妻の方はありがとうと言う必要もないと,言えばかえって水臭いと思っていると。つまり,どこで感謝の表現を使うのかということで日本人側と韓国人側で意見が違っているということだと思うんです。だから,文法的に言えば,例えば,日本語にも韓国語にもありがとうという言葉はあるわけです。韓国にもコマプスムニダとかコマウォヨとかカムサハムニダとか,そういうありがとうという言葉はあるわけですから。ただ,その使う状況が微妙に違うということだと思うんですね。ですから,この辺はいわゆる文法的な問題ではないということになります。今回扱うのはそういうふうな問題なんですね。
まず,言語行動関係でよく話題になるのが,そこに2番,待遇表現と挙げておきましたが,いわゆる敬語に関してです。これもよく言われてますが,まず基本的に違うのが(2)番の例と(3)番の例。一つは,(2)番の場合は会社の客から来た電話を秘書が受ける場合。この場合,まず日本だとそこのbに書いてありますように「社長は今おりませんが」と言うんですね。ところが,それに対してaの方,これちょっとハングルで書いてありますので韓国語御存じない人は分かりにくいかと思いますが,直訳すると「社長様は今いらっしゃいませんが」という文章なんです。ちょっと日本と違うんですね。もう一つ,(3)同じ会社の部長から電話を受けた秘書の場合,その場合どうするかというと,日本では「社長は今いらっしゃいませんが」と言う。この場合はいらっしゃいませんがと言ってもいい。韓国語の方は先ほどと同じで「社長様は今いらっしゃいませんが」と言う。つまり,日本語の場合は客からの電話の場合と同じ会社の部長からの電話の場合とで表現が変わる。一方,韓国語の場合は相手が誰であろうと「社長様は今いらっしゃいませんが」という言い方は変わらないと,こういうことだと思うんです。これが日本人でも,学生に聞きますとちょっと怪しいんですね。だから,日本では入社して研修の期間に電話の受け方とかというのをやるんですね。韓国の会社って,余り研修っていうのはそんなに日本ほどはやらないみたいですけども,電話の受け方の訓練をされるというのは,余り日本ほどはやるという話を聞きません。それほど日本語の場合,つまりこの場合は内の人間か外の人間かということで敬語の使い方を変える。お客様は外の人間だから,外の人間に対して身内を尊敬してはいけないと。つまり社長は内の人間だからということです。自分の父親のことを「お父さんはいらっしゃいません」なんて言ったらだめだと,「父はおりません」と言うのと同じです。韓国語の場合は基本的には尊敬すべき人は聞き手が誰であろうととにかく尊敬する。だから,社長さんは秘書にとって尊敬する人だから,その場合は客であろうと会社の中の人間であろうと常に尊敬をするというふうな規則があります。そこに書いてありますように,日本語の敬語というのは相対敬語と言われるわけですね。つまり,話し手,聞き手,話題の人,この3人の関係によって敬語の使い方が変わってくると。一方,韓国語の場合は絶対敬語と言われまして,話し手と聞き手あるいは話し手と話題の人という二人の関係でもう決まってしまう,こういうふうに言われます。これが教科書的な解説です。なぜかといいますと,韓国の人に意地悪な質問するんですけどね,常に敬う人は尊敬する。逆に言えば,目下の人には常にぞんざいな言葉を使っていいということでもあるんです。つまり,目下の人に尊敬語を使うとかえって不自然な場合があるわけですね。じゃあ社長のうちに行って,社長の息子,幼稚園ぐらいの息子に,じゃ何て,例えば日本語だったら「僕,幾つ」とかね,「僕,幾つ」って言わないんでしょうかね,社長の息子さんに対しては。「お幾つですか」とか言うんですかね。目下の人には敬語を使わなくていいんだったら,じゃあ社長の息子にも「おまえ幾つだ」という言い方をするのと聞いたところ,どうも意見が分かれます。そういうふうに言うという人と,やっぱりちょっとそういう言い方はまずいと,もうちょっと丁寧な言い方をするという人がいまして,だから完全な絶対敬語とも言えない。その辺はやはり若干別な要素が入ってくるということもあるようですけど。基本的には,日本語と韓国語では少しそのシステムが違うということは言えるんです。
もう一つ問題は,どういう人に対して丁寧な言い方を使うか。日本語の場合どうでしょうね。皆さんどういう人に丁寧な言葉を使うか。年上とか余り親しくない人とか,こういうふうに思われるかもしれませんが。これについては,都立大学にいらっしゃる荻野先生たちがチームで日本と韓国の大学生に調査をした。大体直観的には日本と韓国は違うなと思っていても個人的感想じゃ駄目なので,一応研究としてはある程度数を調べるわけですね。よくあるのがアンケート調査です。こういう場合あなた何て言いますかというようなことを100人とか200人とか調べるわけです。ただ,100人も200人も調べるので人を集めるのは大変ですよね。大体一番簡単なのが大学生なので,大学生を対象とした調査が多いんです。一般の人を100人,200人調べようと思うとこれは大変ですので。ただ,大学生は若干問題があります。韓国の方はそうでもないんですが,韓国の場合,ちょっと話がずれますけども,小さいころから敬語の使い方についてしつけがされるんですね。例えば,小っちゃい子がおじいちゃん,おばあちゃんと話すときにはちゃんと敬語を使えと。おじいちゃん,おばあちゃんにはね,敬語を使えというふうなしつけがされるんですね。日本では,おじいちゃん,おばあちゃんにちゃんと敬語を使えと,「おじいちゃん,いついらっしゃったんですか」とかね,言えというしつけはまず余りされないと思うんですね。その辺でちょっと違っていて,ですからある程度敬語の使い方については韓国ではしつけという形で教育がされるわけですけども,日本の場合は,先ほども入社試験の話もありましたけども,大学生の場合それほど敬語の使い方について慣れていないといいましょうか,実践訓練をしていないといいましょうか,その辺でちょっと危ないとこはあるんですが,いずれにしろそういう調査があって,その結果を見ますと,御覧になってもちょっと見にくい部分があるんですが,大きくしましたので。左の方が日本,右の方が韓国なんですが,荻野*3先生が調査されて,例えばどこへ行くかっていうのは何て言うかとか,そういうふうな調査をされて,その結果をちょっと荻野先生の方法で丁寧度を分析された。丁寧なほどちょっとこの図の上の方に行ってます。こういう相手には丁寧な言葉を使うということなんですね。見えますでしょうか。具体的な字もお分かりになりますでしょうか。後ろの方の方ちょっと見にくいかと思いますが,一番上が例えば大学の先生,50歳の初対面て書いてあるんですが,ちょっとわかりにくいかと思いますが,フォローしていきますので。日本の場合,一番上が大学の先生ですね。2番目が50歳の初対面,この辺ですね。韓国の場合も,50歳の初対面,大学の先生,この辺は同じです。日本と韓国で違うのはこの辺ですね。父親,これがですね,傾きがこうありまして,日本はこの辺にごちゃごちゃっとあるんですが,この辺に初対面,中学生,年上の同級生,父親,大学の下級生,とにかくほとんど丁寧じゃない部分に固まっているその中の一人として父親がある。ところが,韓国の場合は随分上の方にあるんですね。同じように母親についてもやはりちょっと上にある。ということで,一番目につくのがその点なんですが,荻野先生はその分析結果をまとめて,一応日本語の場合は家族を内と見る,つまり家族はもう身内だと。家族以外は,聞き手との社会的役割による。例えば先生かどうかとか,上級生か下級生かとか,そういうことで丁寧度が変わってくると。それに対して韓国語の場合は,親族の場合は親族間の世代関係,特に親か子か,兄か弟かとか,そういう世代関係によって丁寧度が違う。つまり親だと丁寧に言う。兄,姉だとちょっと丁寧,弟,妹だとぞんざいと,こういうふうな関係にあるんだと。親族以外の場合は年齢差,つまり年上か年下かで丁寧度が変わっていくと,こういうふうな分析をされています。
基本的には家族以外では年の差というのが非常に,日本以上に効いてくるということが言えると思います。ただ,例えば軍隊なんかの場合はいつ入ったかということが重要。年齢よりも,自分より遅く入ってきたか早く入ってきたかということが重要で,年齢は関係ないという場合もあります。それから,会社の場合もどうもそうみたいですね。そういうことの方が重要視される。ですから,常に年齢が第1位ということではないようです。その組織によって,あるいは状況によってそうではない場合もあります。ただ,これが1990年の調査なんです。今2004年ですよね。ちょっと古くなってしまった。韓国のことを御存じの方はよくお分かりになるでしょうが,韓国の社会変化は非常に激しい。日本よりも激しい。ということで,14年前の結果はちょっと今は違っている可能性がある。例えば具体的に,母親はちょっと上の方にありましたよね。ところが,今調査すれば恐らく大分下になっちゃう。もう母親に対してそんなに丁寧な言葉を使ってないと。今の大学生ぐらいに聞いてみても大体そういう答えです。父親に対してもちょっと怪しくなっている。ということで,家庭内での丁寧度の違いっていうのはだんだんなくなりつつある。ですから,もう少ししたら日本と同じようになるかもしれません。
余談ですが,日本では出生率が低くなってる。問題になってますが,実は韓国の出生率の方が,日本よりも低くなっている。大分問題になってますね。ところが,少なくても1970年ぐらいまではかなり子供の数は多かったですね。兄弟も3人とか4人の家庭もまだあった。それが一挙に子供を産まなくなっちゃった。ですから,非常に変化が激しいんですね。日本以上に急激に高齢化社会になっているということがありまして,ですから今言っていることが10年後の韓国にもそのまま当てはまるかどうかは保証の限りではありません。これは最後のこととも関係しますが,つまり今起こっている日本と韓国の違いが,つまりそれが日本的で,これが韓国的というふうなくくり方をするのは危ないっていうのはそういうこともあるんですね。今,韓国の独特のように思っているけれども,それが本当にずっと韓国で続くのかどうかは分からないということがあります。ちょっとこれは一つ頭の中に入れておいていただきたいんですね。今言っていることがずっと韓国で続くかどうかは分からないということ。
待遇法に関する誤解の事例というのがありますけども,そこに「〜てさしあげます」という例があります。これについては,日本語を教えていらっしゃる先生方はこれはまず問題ないといいましょうか,「てあげる」,今はもう「あげる」も丁寧語ではなくなって,「犬にえさをあげる」と言う時代ですから,「あげる」「くれる」「もらう」とあって,で「てあげる」「てくれる」「てもらう」とあって,その敬語形が「てさしあげる」と「てくださる」と「ていただく」と,こういうふうになるわけですね。そういうふうに教えた場合,「てさしあげる」も目上の人に使えるということになりますよね,そのままだと。でも,実際はそうじゃないんですよね。「てさしあげる」という言葉は目上には余り使わないと。
まず,ちょっと見ていただきたいんですが,例文の(5)です。学生が先生に向かって,韓国語の方をちょっと読みます。「チャセハン ゴスル アヌンデロ ソンセンニムケ アルリョ トゥリゲッスンニダ」,直訳すると「詳しいことがわかり次第先生に知らせてさしあげます」というのが韓国語の直訳です。日本語で正しく言えば,「詳しいことがわかり次第先生にお知らせします」と,こう言うとこですよね。つまり,「お〜する」っていう言い方が目上の人に対しては使うべきだとされている。
ところが,韓国語では「〜してさしあげます」という言い方で目上の人に対する敬語になるんです。この違いがわからないで韓国語をそのまま日本語にしたためにいろいろと問題が起こる。それがその事例の(4)番ですね。日本人の食堂店主と韓国人の店員の話ですが,途中からいきますと,「この店員が『さしあげる』をよく使うのだと言う。最初のうちは言葉を知らないのだからと,余り気にしないようにしていたと言うが,『明日,旅行に行くから』と言って『送ってさしあげます』と言われたり,自転車のパンクを直していて『手伝ってさしあげます』とか言われているうちに,何だか親切の押し売りをされているような感じがしてきたと苦笑いをしていた」。これをですね,韓国人の方は上の人に対する言葉として言ってるんですね,一生懸命,尊敬しなきゃいけないということで。ところが,聞いている日本人の方は何か押し売りされてるみたいだという,何か余り敬われてるという実感を持っていない。つまり言っている韓国人の気持ちが日本人に伝わってないわけですね。これは,先ほど申しましたように韓国語の言い方と日本語の言い方は違うと。韓国語を直訳してそのまま日本語にしたら駄目なんだということを教えなきゃいけない。今日は言語行動の話をすると言いましたけども,これは完全に文法の話です。文法次元で違いを指摘してやればそれで済むことなんですが,韓国で出版されてる日本語テキストなどでもここで違うということは余り指摘されてないんですね。先ほど言いましたように全部敬語になりますから,「ていただく」とか「てくださる」はちゃんと目上の人に対する言葉になりますから,じゃ「てさしあげる」も敬語になるんだというふうに思い込んでしまうんですね。韓国語でもそうですから。気づかずに使ってる韓国人が結構多いんです。最初に言いましたようにほかの国の人に比べて韓国人は日本語の上達が速いので,日本語を教えてる先生方が,「〜してさしあげる」って言ってるけど,ちょっとおかしいけどこの段階では別に直さなくていいやというふうに思って注意しないままだと,学生の方はああこれでいいんだというふうに思ってしまって,その間違いが直らないということになってしまう。
ちょっと話はずれますけども,韓国人だけを教えてる場合はいいんでしょうけども,ほかの国と一緒に教えてる場合,どうしてもほかの国の人よりも韓国人がよくしゃべるので,韓国人がちょっと間違ってもまあいいやと見過ごしてしまうケースが結構あると思うんですね,私の経験からもですね。けれどもそうすると,それでいいんだというふうに思ってしまうので,その辺はちょっと要注意だと思います。
ほかの国の人と日本人との誤解といいましょうか,誤解の事例というのを集めたことがあるんですが,韓国人と日本人との誤解の中で特に顕著だったのはこの敬語に関する誤解です。例えばフランスとかアメリカとか,そういうところでは余り敬語に関する誤解というのはないんですね。なぜ多いかというと,韓国語にも日本語にも敬語があって,よく似てるわけですね。韓国人の方も,日本語も韓国語と同じように使うんだろうというふうに思ってしまう。日本人の方も,韓国人が日本語しゃべると余り違和感ないもんですからね,勉強不足でそう言ってるんだということに思い至らない。あいつはそういうふうに思ってるんだとね。日本語を真に受けるといいましょうか,そういうことになりやすい。さっきの「てさしあげる」もそうなんですが,もう一つ,呼称というので(6)番の例で,「『学校で友達から「李君」と呼ばれて,初めは非常にむっときました』と,韓国から来たばかりの学生はいう」。これ,日本の学生たちは,ええどうしてというふうに思うんですが,要するに「君」と言ったのが気に食わなかった。気分悪くしていた。韓国でも「君」という言い方があるんですよ。ただ,その韓国語での「君」の使い方は,明らかに目上の人が目下の者に対して言うんです。同等の者に対しては使わない。つまり,同級生にですね,友達に「李君」と呼ばれた韓国人は,要するに低く見られたと,友達だと思ってたのに低く見られたというふうに感じて気分を悪くしたということなんですね。韓国語でも「君」の発音が「Kun」なんですよね。発音も同じで,よく似たような使い方すると誤解してしまったということなんですが,それについてはもう一つ,(7)番でありますけども,これは井出先生,任先生の本の中にもあったんですが,「研究生であった留学1年目当時,イムは指導教官から「イムさん」と「さん」づけで呼ばれてきた。その後,博士課程の試験に合格し,院生になってしばらくすると指導教官はそれまでの「さん」づけの呼び方を変えて「イム君」と呼ぶようになった。このことは日本人には特に気にかかることでもないだろうが,当事者のイムは,この「さん」から「君」への変化にショックを受けてしまったのである」。「さん」だったのが「君」になった,扱いが悪くなったとイムさんは感じたんですね。これは日本的に考えるとどうですか。「イムさん」というのが「イム君」になったというのは,別に扱いが悪くなったわけではないですよね。なぜ指導教官は変えたんですか。

*1任榮哲(イム・ヨンチョル):韓国・中央大学日語日文科教授

*2 野元菊雄:元国立国語研究所所長

*3 荻野綱男:日本大学文理学部教授


参加者 親しくなればそうします。
生越 親しくなる,そうですね。要するに自分の指導学生として認定したといいましょうかね,自分の身内というか,と認めた。「さん」づけの場合はまだお客さんという感じだった。ところが,このイムさんの方は,「さん」の方が扱いがよくて「君」の方は悪いというイメージがあったので,扱いが悪くなったというふうに感じてしまった。これもやはり日本語での「さん」と「君」の使い方,あるいは身内に対しての使い方というものに対しての知識がなかったから誤解してしまった。韓国語での使い方をそのまま当てはめてしまったということだと思うんですよね。この辺も,言語行動と言うよりも,そういう呼び方の使い方というのをもう少し学生に対して教えていれば誤解は防げたと思うんですけども,ただ余りテキストでその辺の詳しい使い方を書いてある本というのは少ないと思うんですね。呼称というのは結構,例えば助詞を間違えるとか,「私が」が「私は」になったとか,それは間違ってるなということでそれで済むわけですけども,呼称を間違える,こういうふうに敬語関係の間違いというのは,要するに相手をどう見るかという問題ですから,その間違いが直接相手との関係,人間関係に響いてくるわけですよね。だから,ああ間違ってるなで済まないときもあるわけですよ。だから,非常に重要なのにもかかわらず,この辺のことは意外とちゃんと押さえられてないという気がします。
ついでに言いますと,お兄さん,お姉さんという,これも日本人の学生のコメントで,自分の方がちょっと年上だということで,韓国から来た留学生にお姉さんと呼ばれて困ったと。韓国では先輩に対してお兄さんとかお姉さんという言い方が一般的なんですね。大学生なんかでよくそういう言い方をしてますから。でも,日本ではそういう言い方はしないわけですね。ですから,その辺の親族名称でもどういうところで使うかという点がちょっと違う。そこが問題の点ですね。その辺も呼称の問題として上がってきます。この辺は,さっきも言いましたように文法的な形での指導というのが可能な部分です。
次のコミュニケーションスタイル。これは午前中の話とつながるんですけども,例えば質問の量,順序,これは韓国にいる奥山*1先生という方が調査した例なんですが,初対面同士,この調査では女子大学生同士なんですが,初対面同士にとにかく40分ぐらい話せと,何でもいいから話せと,こう言って,そういうのを日本人同士の場合と韓国人同士の場合と20組くらい調べるわけです。で,どういう会話をするかと見るわけですね。その結果,特徴的なのはとにかく韓国人は質問をする。ちょっと表が分かりにくいかと思いますが,こういう表があるんですね。自己開示,つまり自分のことを言うか,それとも相手に質問するか。日本の場合は,6.0,6.7,まあ同じぐらいですね。これは最初の5分間ぐらいでどうするかというんですが,韓国の場合は自分のこと言うのは4.2,それに対して相手に質問するのは9.6,つまり2倍ぐらい相手への質問をしてる。だから,最初の5分間でとにかく韓国人同士の場合はやたらと質問してるということなんですね。名前とか,年と言っても入学年度とか聞くわけですね。それとかどこの学校かとかということをわあっともう矢継ぎ早に。そういうふうに言うのに対して日本人側は,何か自分のこと言うのと質問とまあ同じぐらいといいましょうか,そういう違いがある。
それから,質問の仕方も日本人同士と韓国人同士では違うと。日本人同士の場合はYes−No疑問文,つまり大学生ですか,はい大学生ですという,はいとかいいえで答えられるような質問の仕方をする。それに対して韓国人の場合は,どこの大学ですっていうふうに,どこのとか何のとか,そういう文を疑問詞疑問文と言いますけども,そういうふうな疑問文を使う。そうすると,相手の方はとにかく具体的に答えなきゃいけない。はいとかいいえで答えられない。そういうふうな質問の仕方をする。それともう一つ,韓国では韓国人同士だと,ここで「ウェ」と書いてありますが,「なぜ」という言葉をよく使っていると。例として挙げられてるのが,「恋人いるんですか」「ボーイフレンドいますか」と言うと,「いません」と,そうすると「どうしてボーイフレンドいないんですか」というような聞き方をする。日本人同士だとちょっと,そりゃないだろうと,何て答えていいか分からないという聞き方ですが。韓国人同士だとそういうことがあり得るというか,つまりそんなにきれいなのにどうしてボーイフレンドがいないのと,そういうことを言いたいんですね。そんなにきれいなのにというところに力点があるんですけども。そういうふうな聞き方をする。つまり,奥山さんがまとめてるのは,そういうコミュニケーションスタイル,会話の持っていき方が違うと。韓国人側はもうストレート。ストレートだということは,日本人にとってはすごく攻撃的に感じる。一方,日本人の方は当たりさわりのない聞き方をする。韓国人にとってはそれが非常に何かよそよそしいといいましょうか,心を開いてない,そういう感じを与えるんだと。そういうコミュニケーションスタイルが日本人の印象あるいは韓国人の印象に影響を与えているのではないかというふうなことをおっしゃっています。
ほかの調査で中国人と日本人の違いを調査した例もありまして,その場合ちょっと初対面じゃなくて,まあ知っている,その知っている相手とこれからも親しくなりたいと思ったときにどういう話題を,時間があいているときにその人と話をする場合あなたどういう話題で話しますかという質問したところ,中国人の方は,例えば相手の家族構成とか自分の家族構成,あるいは住んでいる場所とか,仕事とか,そういうのを尋ねると答えるんですね。日本人の場合はいずれもそういう項目は少なくて,特に相手の家族構成を尋ねるというのは非常に少ない。日本人の場合2%,中国人の場合は53%ということでかなり差がありますね。どうも中国人の場合も親しくなりたいと思う人に対してはかなりプライベートなことまでいろいろと突っ込んで聞くということのようですね。かつ自分のことについても言うと。日本人の場合は,やっぱりすぐにはそういう話題は出さないと。ですから,この点については韓国と中国はちょっと似ているのかもしれません。午前中に出ましたけれども,韓国人の場合はすぐに親しくなるといいましょうか,できるだけ自分をさらけ出して,また相手のことも聞いて,すぐに親しくなるということをアプローチの仕方としてやる。ところが,日本人の場合は徐々に徐々に,少しずつ少しずつと,そういうふうなつき合い方という話がありましたが,まさにこの結果はそういうことをちょっと裏づけているということになるかもしれません。
それから,次の言葉の有無という問題ですけども,これについては幾つかあるんですが,まず感謝表現,依頼表現からみましょう。最初に例を出しましたバッグの例ですね。これもう一度出してみますけども,この場合が要するにありがとうと言うか言わないか。これはどうなんでしょうね。やっぱり,この中では男性は少ないようですが,日本人の男性は言ってもらいたいもんでしょうか。バッグを贈ったことのない方もいらっしゃるかもしれませんが。やっぱり贈ったときにありがとうの一言は欲しいもんでしょうか。うんうんとうなずいていらっしゃいますが。

*1 奥山洋子:韓国・同徳女子大学副教授


参加者 言ってほしいです。
生越 女性の方々はありがとうと言いますか。
参加者 「ありがとう」言いますね。
生越 恐らく韓国人の場合そういうことは余り言わない,確かに聞いたんですよ,いろんな韓国の人にも。言わなくても,うれしい,うれしいって言ってるじゃないか,それで十分気持ちが伝わると。わざわざありがとうと言う必要ないでしょうと言う。だから,自分が喜んでるということはもう既に示していると,十分,それでいいんじゃないかというふうなことでしたね。確かにそれはそうなんでしょうね。そう言われると確かに,でもなぜ日本人は「ありがとう」という言葉にこだわるんでしょうか。そこはおもしろいところでもあるんですね。ほかの調査で,例えばお父さんが子供に新聞を取ってきてくれと頼んだ。で,子供が取ってきた。その子供にお父さんはありがとうと言うか。日本だと言うんでしょうかね。
参加者 それぞれ個人差があると思いますよ。
生越 個人差がありますか。この辺も韓国の場合は,言うかなあとか,ちょっと言わないという意見も結構あったんですね。あるいはこういう例もありましたね。私も読んでておもしろいなと,おもしろいと言ったらなんですけども,日本人のだんなさんと韓国人の妻で,子供,娘がいるんですね。娘が韓国人のお母さんに,「お母さん,ボタン外れたからつけて」と頼みに来た。で,自分がつけて娘に渡したら,娘が「お母さんありがとう」と言った。その言葉を聞いて私はちょっと悲しくなった。ああ娘も日本人になっちゃったんだなあという,エッセイの中にそういう一節があったんですね。まず韓国人同士ならばそんなことでありがとうなんて言わないのにって,そういうふうなことだったんですね。そういうふうに,要するに家族,親しければそういうふうな感謝の言葉というのは一々必要ないと,そういう気持ちが韓国人同士ではある,そういうルールといいましょうか。それに対して日本人同士だと家族であっても,とにかくありがとうという言葉を言わなきゃいけないと,言うべきだと,そういうルールがある。その辺の問題で誤解が生じる。そういうことというのは意外と気づかないんですね。この話をある大学の同僚にしましたら,その同僚が在日の2世の人が奥さんなんですね。常日ごろから妻のために何かやっても妻がありがとうと言わないことに対して何となく腑に落ちないといいましょうか,どうしてだと思っていたけども,その話を聞いて妻にその話をしたところ,妻の方が,それはそうでしょう,夫婦なんだから一々ありがとうと言わなくていいでしょうっていうふうに言ったと。ということで,初めてその原因がわかって夫婦円満になったと感謝されましたけども,その辺意外と分からないものっていいましょうかね。
同じような例で(9)番は,今度はありがとうという表現じゃないんですけども,「あるとき,テーブルの上に置いてある日本人の友達のたばこを無意識にとって1本吸うと,すかさず「それ僕のたばこだけど……」と,あたかもたばこを盗まれたような顔で注意され,気分を害したことがあります」,韓国人側が言ってるんですね。しかし,聞いてみると,日本人の友達も,「韓国人は黙って他人のたばこを吸うので気分が悪かった」と言います。状況お分かりになりますでしょうか。置いてある日本人の友人のたばこをぱっと1本取って,何も言わなかった。それに対して日本人の方が「それ僕のたばこだけど」というふうに言ったと。日本人的には,「ちょっと1本ちょうだい」とか,「もらうね」とか,何か一言あるべきだという感覚なんですね。ところが,韓国人的に言うと,友達のものは僕のものという世界ですから,別に何も言わなくてとってもそれほど違和感ないという形になる。つまり,この場合は感謝とかそういうことじゃなくって,何かとにかく一言ここで言うべきかどうか,言葉を言うべきかどうかという問題なんですね。先ほど感謝するかしないかというのもありましたけど,つまり韓国人の場合は近しい関係になると言葉が要らないという,一々何か言う必要はないと,そういう世界になってくる。それに対して日本人の世界というのは,何かやっぱり言葉が要るんですね。これについては私の学生がちょっと調査をしてまして,友達のボールペンを借りるとき,ちょっと自分が書かなきゃいけないところでボールペンがないと。で,友達にボールペンを借りるときに黙って使ってそれで返すか,それとも借りるよと言いながらとにかくもう既にボールペンをとっている,そういうふうにするのか,ボールペン貸してと言って,相手がうんと言ったら借りる,どういうふうにしますかという質問したところ,韓国ではやっぱり黙って取るというのが3分の1ぐらいあるんですね。で,借りるよというのがもう4割ですか,もうちょっと低かったかな。だから,借りるよと言って相手の返事を待つのは少数派なんです。日本の場合は黙って取るというのは少ないんですね。1割ぐらいですかね。借りるよと言うのはちょっと多いんです。で,おもしろいことに相手の返事を待つっていうのは日韓とも同じぐらいで,その場合は。だから,黙って取るというのが韓国では多くて,日本の場合借りるよと言いながらもう同時に借りるというのが多いという,そういう結果が出ています。日本の場合,相手が家族ならば黙ってとるという答えが多いんですけど,友達になるともう駄目なんですね,黙ってというのが。だから,やっぱりどこまでを言葉なしでできる範囲と見るか。やっぱり日本よりも韓国の方が言葉なしでいろんなことができる。相手の領域にあるものに対して言葉なしで踏み込んでいける,そういう部分というのが少なくとも友達まではオーケーということのようです。親しくない人にそれはやらないんです。韓国でもその辺はちゃんと聞くんですね。だから,親しくない人に対するアプローチというのは同じなんですよ。余り変わりがない。
もう一つ別な調査で携帯電話を借りるかどうか,これは言葉の有無とは関係ないんですが,ちょっと自分が忘れたから携帯電話借りたいときどうするか。貸してもらう場合でも相手に番号を打ってもらってから渡してもらう,つまり自分で打たないという答えは結構あるんですよ。なぜかというと,要するにあちこち見ないで済むといいましょうか。中には借りないで公衆電話でかけると,わざわざ。なぜって聞いたら,これ日本人の例ですよ。友達の携帯電話使うと友達の携帯電話の料金がかかるからと言うんです。それから,もうかけないで済ますという答えもあるんですね。つまり相手に対するアプローチを非常に限定的にしているというか,韓国人の場合はそういう答えがなかったんです。その辺も,つまり親しい間柄でどこまで踏み込んでいけるかということともかかわってくるんですけどね。ですから,言葉の有無っていうのを一つ上げましたけど,もう一つ,相手に対してどこまでの行動ができるか。午前中も出ましたけども,同じ下宿だったら,石けんとか牛乳の話が出ましたけども,人の牛乳か自分の牛乳か余り区別しないとかという話がありました。今はそうでもないんでしょうけども,昔は歯ブラシを使われたとかという話もあって,中にはパンツを使われたという話もあって,おいおいそこまでやるかなと。そういうこともある。そういうふうな比較的友達同士ならば垣根がなくなる,そこは一つ大きいと思うんですね。日本では,まだ家族の中での垣根は低いと思いますけど,韓国はとにかく友達のところまで垣根が低いという。次の謝罪表現。(10)の「知り合ってから1年以上になる韓国の友人」,これが午前中小倉先生がおっしゃっていた分ですが,「週2回一緒に勉強しているのだが,いつも15分程度遅刻してきて謝らない。『ああ』と言いながら手を振ってにこやかにあらわれる。その日はいつもよりさらに遅かった。すると,『私ね,ちゃんと時間どおりにうちを出たよ。でも乗った電車が反対方向だったの』と言い,やはり謝らなかった」。これは日本人にインタビューしたときに出てきた事例なんですけどね。つまり,この場合日本人的感覚からするとごめんの一言ぐらい言えよと,こういうことになるんですけど,これについては,もちろん韓国人の場合でもごめんという言葉は言うよという人もいるわけです。かなり個人差がありますからね,その辺。ただ,この場合もこの日本人は感じ取れなかったかもしれないけども,相手の韓国人は何か済まなさそうなシグナルは送っていた可能性はある。いろいろ聞くんですけども,いや心の中では申しわけないと思ってるんだけども,ちょっとごめんという言葉が出ないんだというふうなことを言う韓国人は結構いるんですね。だから,その謝罪の気持ちというのをどういうふうにあらわすかという点が違う。日本人の場合明確に言葉として示すことを要求するといいましょうか,そういうことがあると思うんですけど。
もう一つは,ちょっと別な例なんですけども,韓国に行った日本人がまず不愉快に思うことの一つが,道で歩いていてぶつかってきても韓国の人は済まないということを言わないというんですね。確かに,ぶつかっても何も言わないで行ってしまうということはあるんです。それについて韓国の人に聞くと,いやぶつかったときはちゃんと謝るよというふうに言う人は結構いるんですね。そこで問題になるのがぶつかると思う程度,日本人的だとこれはぶつかったと判断するけども,韓国人的に考えるとちょっと触れたと,そういうふうに思うことだってあるわけですよね。だから,どこまでをぶつかったと見るかによる,だからどうもかみ合わない。つまり韓国の人はぶつかった場合ちゃんと謝ると言う人が多いわけですね。だけど,日本人の方はそうは思ってない。そこのギャップは何かと。いや韓国の人は正直に言ってないんだというふうな言い方もできるかもしれませんが,そうじゃなくて,どうもぶつかるという言葉を使ってるけども,どれをぶつかるとみなしてるかね,そこら辺が違う可能性がある。韓国の人はぶつかると思ってる場合は謝ると。そういうふうに解釈すると何か話の食い違いが解決するかなあという気はします。だから,この辺の解釈の仕方といいましょうか,我々はもう日本的世界で考えてますから,すべてね。特に,こういう社会言語学的調査といいましょうか,言語行動に関する調査というのは,先ほど言いましたようにアンケートで聞く場合が多いんですね。そうすると,日本語で調査票,質問表をつくって,それを韓国語に翻訳してまた調べるということをするわけですが,同じことを,本当に同じことを聞いてるかというところで,そこで問題があるんですね。だから,いろんな調査でこういう結果が出てるということも,これは私も申し上げてますけども,それについて,それでもう結論が出たというふうには思わないでいただきたい。この調査ではこんな結果が出てますよということなんです。
私などはこういうことを言うとジレンマに落ちるんですけども,日本はこうで韓国はこうですよということを申し上げると,日本人はこうで韓国人はこうなのと,もうステレオタイプ的に規定してしまうというか,区切ってしまうと。そういうふうに考える方が多いので,そうじゃなくって,そういう結果が出てますけども,それですべて100%そうだというわけではありませんので,日本人でもいろんな日本人がいますし,韓国人でもいろんな韓国人がいますので,すべての韓国人がこういう行動をとる,すべての日本人がこういう行動をとるというわけではありません。どちらかというとこういう傾向があるということですので。それで,ちょっと無言の意味というか,言葉を言わないという意味での,「言わない」ということについて,ちょっと別な観点からの調査があって,これもおもしろいなあと思ったのでそれをもう一つついでにやっておきます。先ほどの無言の部分で,国語研究所のチームで調べているんですけども,相手が例えばテーブルの上に置いてあるボールペンを何も言わずに使った場合あなたどう思いますかと。「不愉快に思う」「戸惑うが不愉快ではない」「何とも思わない」,この3つで答えてもらったところ,東京の20代前半の人ですね,相手が家族の場合で物がボールペンだったらまずほとんどが「なんとも思わない」。だけども,家族が携帯電話を黙って使った場合は「不愉快」というのが72%。机の上に置いてある自分が買ってきたチョコレートを黙って食べたという場合は37.9%が「不愉快」,冷蔵庫にある自分の買ってきたチョコレートを家族が食べちゃったというと45%,半分ぐらいが「不愉快」と言ってるんですね。一方,ソウルのやっぱり20代前半,この場合はもうはっきり「不愉快」というのは本当に10%ぐらいしかないんですね。携帯電話を使おうと,チョコレートを食べようと家族ならば何とも思わないという人が多数派です。次に,友達がした場合,この場合やっぱり日本の若者は,携帯はもう8割ぐらい「不愉快」だし,ほかも結構「不愉快」。「戸惑うが不愉快ではない」というのもありますが,「何とも思わない」というのはボールペンだけ。だから,どうもボールペンについてはそれほど家族の間でも友達でも何とも思わないけども,それ以外はどうも黙って使うのは駄目ということのようです。最初に家族だったら垣根が低いって言いましたが,どうもそうでもないらしい。家族でもやっぱり携帯電話は駄目。一方,これがソウルの若者ですと,友達の場合でもやっぱり「不愉快」は少ないんですね。友達が黙って携帯電話使っても,「不愉快」と思うのは22%でした。チョコレートについては15%から20%で,友達ならばまあいいかという形です。この辺でも,要するにほかの人のものを何にも言わずに使っても許される範囲というのが日本と韓国では大分違うというふうなことが分かるかと思います。
もう一つ,これも言っておいた方がいいですね。これは大塚*1さんという人が調べたんですけども,いろんな質問をした。「友達があなたのうちに遊びに来たときのことです。友達が勝手に冷蔵庫をあけました。不愉快に思いますか」などのいろんな質問をしたわけですね。点線の方が日本。数字が多くなるほど不愉快と思う度合いが高い。実線が韓国です。先ほどの冷蔵庫を勝手にあけたというのは,韓国ではそれほど不愉快に思わない。日本はかなり不愉快に思ってる。そういうふうに日本と韓国で不愉快度が違う例っていうのが幾つかあって,それはどういう例かというと,冷蔵庫を勝手にあけたとか,自分のおかずをとって食べたとか,友達をうちに招待したところあなたが案内していない部屋に友達が勝手に入ったとか,「親があなたの部屋のドアをノックしました。しかし,あなたが返事をする前に親がドアを開けました」なんていうのが日本と韓国で違う。日本の方は不満に思う,韓国の方はそれに比べると少ないんですね。大塚さんは,日本人は自分の領域に踏み込まれたと感じたときに非常に不満に思うんだということを言っています。
こちらは,もう一つついでに挙げておきますと,今度は韓国人の方が不満に思うことというので,それはどういう場合かというと,「あなたはデパートで洋服を見ていました。店員は少し離れたところにいますが,商品説明をしません」ということに対して,日本人はそんなに不満に思わない,韓国人は大分不満なんですね。また,「買い物に行ったついでに友達のジュースも買ってきました。そうしたら,友達は自分の分のお金をあなたに渡しました」とか,要は友達のジュースを買ってきたんだけども,それを渡したら友達が,はい,これ自分の分と言ってお金を渡してくれた。それに対して韓国人は不満度が高い。日本人は全然不満度がないんです。また,「あなたはAさんと一緒にBさんを待っていたとき,Aさんは何も言わず自分だけ缶ジュースを買って飲み出しました」この行為に対して非常に韓国人は不満,日本人はそうでもないと。その辺に日韓の違いが出てきた。韓国人が不満に思うときは,韓国人は人間関係の希薄さを感じたときに非常に不満に思う。つまり,缶ジュースを買ってきてあげたのに,缶ジュース代を出すというと何か非常に水臭いといいましょうか。待ってるときに自分の缶ジュースだけ買ってくるとは何事ぞという感覚ですね。これについては韓国人の学生から,日本に来てびっくりしたことの一つが,大学生同士で,コピーカードというのがあるんですね。カードを入れるとコピーできる。人のコピーカードで例えば5枚コピーした。で,その人に50円を払う。コピーカードを借りた人に50円を払う。払うという行為にもびっくりするし,その50円を受け取ることにもびっくりする。韓国じゃ考えられないと。確かに私の記憶でもまずそういうことはしないと思います。それはまた今度自分が世話になるかもしれないし,そんなことで一々精算するような水臭いことはしないと。だから,その辺で人間関係,水臭いとか,そういう日本人観が出てくるんだと思います。
次は間違っていないのに叱られたときの反応です。例えば,自分が間違っていないのに怒られた,そのときあなたはどうしますかと。私は間違ってないと言って主張し,あるいは抗議するのか,すいませんと謝っちゃうのか,それとも黙っているのか。相手が,見知らぬ老人,先生,父親,母親,見知らぬ若者。韓国の場合,見知らぬ老人に対して抗議する,主張するというのは一番多いことは多いんですが,沈黙が同じぐらいある。一応主張,抗議というのは多いんだけども,沈黙も結構多い。この点,日本に比べると大分差がある。見知らぬ老人とか先生とか父親に対しては沈黙というのは結構多いわけですね。父親に対しては謝罪というのも結構ありますし。これは任先生,井出先生の本の中にあったものですけども,要するに目上の人に対しては面と向かって反論しにくい。かといって謝るのも何か潔しとしない。そうすると,その折衷案として沈黙という行動がとられるんだと,そういうふうな解釈なんですね。蛇足ですが,日本で見知らぬ若者に対して沈黙が,韓国と比べて多い。これはまた別な理由ですね。変にしゃべると何されるか分からないという,そっちの方の理由が大きいと思います。これと似た調査は中国人に対してもありまして,中国の人に,自分が正しいと思うのに叱られたときどうするかと。中国の場合,自分が間違ってないと思う場合でも上役や先生に対しては正しさは主張しないで沈黙を守るというか,沈黙するという場合が結構多いんですね。日本の場合はどうかというと,やっぱり上役の場合は謝る,3割ぐらいが謝るという答えなので,沈黙は中国ほど多くはないですね。おもしろいのは,中国で自分が正しいと思う場合,二人だけの場合か,周りに大勢いる場合かでどうするかという場合です。二人だけの場合は正しさを主張するのに,大勢の場合は沈黙が多くなるんですね。日本の場合はそれほど変わらない。大勢の場合沈黙がちょっと増えますが。中国の場合,大勢の場合は面と向かって自分が正しいということを言わなくなる。おもしろいのはさらに自分が間違ったと思う場合,この場合二人だと謝るんだけども,大勢がいる場合は謝らないで沈黙というのが多くなる。日本の場合は,間違ったと思う場合は二人であろうと大勢であろうと謝っちゃう,大多数が。これについて,これは彭国躍*2さんという方が発表されたもんですが,この違いというのはメンツの問題なんだと,こういうふうな解説をしている。自分のメンツと相手のメンツを保つためなんだというふうな説明をしていらっしゃる。大勢の場合,相手をあからさまに攻撃すると相手のメンツがなくなる。それから,謝る場合にも大勢の前で自分が謝ると自分のメンツがなくなるということで,メンツというものが関係しているんだと,そういうふうな解説をされています。韓国の場合は,中国ほどそのメンツということは関係してない。先ほどの結果を見てもですね。ただ,やはりメンツというのも関係する場合もあります。例えば,韓国の大学の先生,学生から質問されて分からないというのは言わないんです。そうなんですかね,H先生。分からないとは言わないだけで,何か答えるんだと。

*1 大塚徹:専修大学大学院在学

*2 彭国躍:神奈川大学外国語学部教授


参加者(H) 言えない先生が多いんじゃないですか。言わないというより言えない先生が。
生越 わからないとは言えない。
参加者 そうですね。
生越 日本の大学の先生は余り権威がないから,分からないなあと言ってしまってるんですが,韓国の先生は権威がありますから,やっぱりそれは大学の先生たる者そんなことは言っちゃ駄目という。何か答えるというのが,それは一種のメンツかな。中国の先生は,絶対分からないなんて言わないという話なんですね。M先生いかがでしょうか。中国の先生はわからないと言わないんでしょうか。
参加者(M) 言わないと思いますよ。
生越 言わないと思いますか。その辺のところにくるとメンツというのも関係するかなと思います。
ついでに言いますと,謝り方でも日本では最初に,「ごめんなさい,実は電車が遅れて」とか,謝罪をして理由を述べるという順番が多いんですけども,これについては結構多くの国で理由を言ってその次に謝罪というパターンが多いという結果が出てます。これは韓国だけじゃなくて中国もそうですし,ほかのブラジル,フランス,アメリカ,ベトナムなどもどうもそういうパターンの方が多いようです。外国の人から見ると,日本人は何回も謝るねと,そこはまたすごく奇妙に見えるそうです。韓国の人もやっぱりそういう言い方をしてまして,日本人は何回も謝ると,ごめんなさいというのがね。韓国人はどうするのと聞いたら,1回ごめんなさいと言えばそれでいいんだと。これはやっぱり任先生,井出先生の本の中にもあったんですが,日本人というのは何回も,ある前の出来事に対して言及するといいましょうか,「この間はどうも」とか。“この間”っていつかなあと。3か月,6か月たって,1年たっても“この間”,その辺は韓国とは違うと。韓国の場合はもうその場でお礼を言えば,その後は別に触れなくても構わないのだそうです。
それから,次のページの相づちの方のことですが,これも無言といいますか,言葉がないことと関係するんですが,相づちをどういう場合に打つか打たないか。結論から言ってしまいますと,韓国の場合目上の人と話してるときには相づちを打たなくなる。つまり,相づちを打たずに黙って聞くのが目上の人の言葉を聞く正しい態度というか,礼儀正しい態度だというふうに言われている。普通の場合はそれほど日本と韓国で相づちの打ち方が違うという印象はありません。ただ,目上の人に対しての場合そういうふうにするので,先生が話してるのに相手の学生が相づちも打たずじっと聞いてると,言ってる先生の方は,何か不満があるんじゃないかとか,何か気に食わないんじゃないかというふうに思うおそれがある。そこで誤解を生じる可能性があります。
それと,付随的なんですが,金秀芝*1さんという人が日本と韓国じゃ相づちを打つタイミングが違うんじゃないのかと指摘しています。日本は,しゃべっている人の話が終わる直前にうんうんと言う。韓国の方は,話が終わった次にうんうんと言うというふうなことを言ってるんですね。会話を分析して,そのタイミングが違うという。その辺はもうちょっといろんな調査をしなきゃいけないと思いますが,そのタイミングが違うというのはおもしろい指摘だと思います。つまり,日本語の場合の相づちっていうのは,終わる直前にうんうんとうなずくことによってさらに話せと,勢いをつけるというか,そういう意味合いがあるんだけども,韓国の場合そこまで意味合いを持ってない可能性がある。
これまでは心理的な距離感と言いましょうか,どこまでを自分の領域と考えるかということ,その辺が関係すると思うんですが,(11)番にもっと具体的な,空間的な話を載せておりまして,「研究室の前の廊下で同僚の女性教師と話をしていたときも,相手がどんどんこちらに迫ってくるから,私は1歩ずつ後ずさりする。すると,あちらは1歩前に出る。しまいには私は壁際に追い詰められてしまったこともある」。これどういうことかというと,韓国の人と話すと,日本的感覚からするとちょっと近いんですよ。圧迫感を感じるわけです。で,もうちょっと離れたい。そうすると,韓国の人にとってはどうも落ち着かないらしいんですね,その距離感が。で,また間を詰める。すると,日本人はまた離れたくなるという状況です。この感想は韓国に日本語を教えに行った人たちはみんな言うんですよ。大体壁際に追い詰められた経験を持っているんです。私もそういう経験あるんですけどね。壁際に追い詰められるぐらいだったらいいんですが,相手が女子学生ですと,男の先生はこの学生は自分に気があるんじゃないかと誤解される人がいるみたいです。
これについては,例えば日本とドイツの比較研究というのがありまして,やっぱりドイツの方が近いんです,対話する距離が。ほかに台湾とマレーシアについても研究がありまして,台湾の場合には同性だと日本より近い,異性だと日本と同じぐらい。マレーシアの場合も同性だと日本より近い。マレーシアの場合は異性だと日本より遠くなるんですけどね。だから,日本はどちらかというと遠いんですよ,距離が。そのことは後で述べます身体接触ということも関係するんですが,何か体が触れるということに対して日本人は嫌なんですね。恋人同士だったらいいんでしょうけども,そうじゃない限りは嫌なんですね。だから,ある程度の距離感を保とうとする。何か自分の領域というのを保ちたがるといいましょうか,そういうことがやっぱり日本人の場合は非常にいろんな場面に出てくる。だけども,韓国の人の場合は相手との領域をなくすっていうのが一つアプローチの仕方として顕著なわけですよね。だから,その辺のことというのがいろんな部分で関係してるのではないかと思っています。
それでは,ちょっと5分だけ休憩をとって,後続けたいと思います。この時計で17分ぐらいから始めます。

*1 金秀芝:国際交流基金関西国際センター日本語教育専門員


<休憩>

生越 先ほど,領域の話といいましょうか,空間的な密接さといいましょうか,それについてちょっとお話ししましたが,ちょっとこの結果を見ていただきたいんです。これはやはり先ほどと同じ国語研究所のグループとやっている調査の一つなんですが,こういうふうにテーブルがある。星印のところに先に人が来て待っている,あなたが後に来た,あなたどこに座りますかという問いなんですね。相手が,先に来ている人がどういう人かいろいろな設定をして,相手が家族だとか同性の友人だとか異性の友人だとかいろいろ設定をするわけです。それで,一番日本と韓国で違ってたのは,このAの席,つまり隣ですね,隣の席に座るかどうかです。一番座りそうなのには二重丸,座る可能性があるっていうのは一重丸,可能性がないっていうのはバツをつけてくださいという質問だったんですが,Aの席に関しては日本の場合はどんな相手に対しても二重丸っていうのは少ないんですね。家族のところに少し,10%ぐらいあるんですが,それ以外,この斜線の部分はこれはもう可能性がないと,座らないと言ってるんですね。結構多いわけですね,座らないという答えが。近い人でもやっぱり丸は多いけど,二重丸は少ない。Aの席には余り座りたがらない。一方,韓国のソウルの若い人たちは,家族とか同性の友達,異性の友達の場合は4割ぐらいがAの席に座ると言ってるんですね。つまり,近しい人,親しい人の場合は結構Aの席に座ると言ってる。この辺が距離感の保ち方というのが違う一つの例として挙げられると思います。
それで,次の3-3のところへ移ります。今度は談話の中での言葉の使い方という,ある条件でどういう表現をするかというところで日本と韓国で違う部分があることを述べます。
まず,儀礼的表現あるいはあいさつ的表現というもので日韓の違いが見られる。(12)番は,要するに,うちに遊びに来てくださいと言われたのでいつ行こうかと思っていたら,後日その人に会ったらあなたどなたでしたっけと言われてがっかりした。うちに遊びに来てくださいということに対する反応ですね。つまり,日本人同士だとうちに遊びに来てくださいと言った場合,もちろん儀礼的なものというか,意味がないというか,実質的に誘ってない場合と,それから話の流れによっては意味がある場合もあるんですよね。そこが難しいところで,ところが日本人同士だと,これは本当に誘ってるかどうかというのはすぐ分かるわけです。ところが,外国人の場合はそれが分かりづらい。この「うちに遊びに来てください」というのを取り間違えた人はもう韓国人だけじゃなくて,各国の人が言ってるんですね。この経験をみんな言ってるんですね。この人は何も言わなかったみたいですけども,うちに遊びに来てくださいと言って,じゃ何日なら行けますとか,すぐ答えたとか,日本人の方が何か困った顔してたとか,そういう事例もありまして,それは韓国じゃなくて別な国なんですけど。つまり,字句どおりというか,「うちに遊びに来てください」というその意味をそのまま受け取ってしまうということがある。日本人同士ならば話の流れによってそれが本当に意味を持つ言葉か単なる儀礼的表現かというのは判断できる。だけども,母語じゃない人たちはそれが判断できないんで,そこら辺が一つ問題なんです。
(13)番は,今度は知り合いの日本人家族と韓国人の家族が一緒に旅行に行ったんですね。日本人の方が車を提供し,宿泊費はこちらが持つことになっていたと。旅行先で食堂に行って一緒に食べるとき,日本人の方が「いただきます」と言った。私はそれを聞いて食事代はこちらが出さなくてはいけないのかと思い,大変だなあと思った。結局のところ食事代は日本人が払ってくれたという話です。ここでは「いただきます」という言葉が問題なんですね。韓国語の場合「いただきます」という言葉があります,「チャル モッケスムニダ」というね。日本語に訳すと「いただきます」なんですが,この韓国語の「チャル モッケスムニダ」という言葉は「ごちそうになります」という意味合いで使うことが多いんですね。つまり毎日御飯を食べる前に号令みたいに「チャル モッケスムニダ」とは言わなくて,例えば招待されて行って,どうぞ召し上がってくださいとか言われて,じゃチャル モッケスムニダと言って食べる。そういう具合に使う言葉なんです。それをイコールいただきますというふうに考えてしまったためにちょっと誤解が起きた。食べようとしたときに日本人の方がいただきますと言った。あ,これは要するにこっちに払えということかというふうに思ってしまった。日本語的には「いただきます」というのは単に号令のあいさつでしかないというか,食べ始めるぞという言葉です。ただ,日本語でもごちそうになりますという意味でも使うんですよね。だから,その辺がちょっと微妙なところで,この状況では明らかに日本人はごちそうになりますという意味では使っていない。それは日本人同士だったらすぐ分かるわけですよね。だけども,外国人の場合はその辺の判断がつかない。最初の「うちに遊びに来てください」とか「いただきます」という言葉がどういう意味を表すかというのはみんな分かっている。結構外国人でもわかる。だけど,それが状況によって意味が少しずつ変わってくる。そのことについて,どういう状況ならばこの意味になるのかというふうな判断をする情報を持ち合わせていない,そこが問題なんです。この辺は教育的にどう説明するのかがちょっと難しいところで,ただうちに遊びに来てくださいなんていうのは要するに儀礼的に使いますよと,本当に誘う場合はそう言ってから後にもっと具体的に何日はどうですかとか,もっと具体的な話をするんだ,そういう話がないまま終わったらそれはあいさつ言葉だというふうなことは,言ってもいいのかなという気はしますけど。
ほかに,初めて行ったのに「毎度ありがとうございます」っておかしいなとかね,「いつもお世話になっております」とかというのも,初めて電話するのに変な感じがするとかありますけれども,これらはそれほど困ることはないと思います。
ここには出していませんが,ちょっと誤解を生じる可能性があるのは,「奥様によろしく」なんて日本人はよく言うんですね。これは言われた韓国人のだんなさんはちょっとびっくりするそうです。うちの妻と面識ないはずなのにどこかで会ってるのかなあとかね。韓国の人に「奥様によろしく」はちょっと通用しない。ほかに,「考えておきます」なんていうのもね,日本人同士でもよく間違うと言いますけども,この辺も外国人には通用しない。これは別に韓国人だけじゃなくて,ほかの中国の人もアメリカの人もその字句どおりに考えるんですね。日本人同士だと何となくその流れで判断できるようなことが,外国人の場合はその流れが読めないといいましょうかね,判断できない,そこでいろいろ誤解が生じるということです。
それから,3-4話題の種類。
(14)番は午前中にも出ましたけども,初対面の人でも結婚しているのかと韓国人の人はよく聞くわけです。ちょっと若い女性で結婚してるか分からない場合は,結婚してるのかとよく聞く。中には,じゃあ結婚相手を紹介してやろうと言う人もいる。これは韓国に行った比較的若い女性ならば必ず経験することのようです。若い人同士はそういう質問はしないみたいですけど,ちょっと年配の人たちは結構するんですね。それは日本で思うほど失礼な質問ではないということなんですね。つまりどういう相手にどういう質問をするかということで日本と韓国でちょっと感覚が違うということなんです。確かに,結婚相手を探してやるというのは多いんですよ。韓国に行った日本の女性が嫌がるのは,「まだ結婚しないのか」とか,そういうふうな言い方をされる。長く付き合ってる友人に「まだ結婚しないの」というふうな言い方をされるので,それはないだろうと,ほっといてと,そういうことになるんですね。だからその辺も,そういうことを話題にすることによって相手との関係の位置をはかるといいましょうか,結構プライベートなことを話すことによってあなたと私は仲がいいというか,親密な関係ですよということをずっと保ち続けるという,そういう意味合いもあるんですね。
(15)番は,これちょっと長いんですが,日本の大学でのことです。記念写真を撮るときに韓国人男子留学生が前列のいすに座っている女子学生の前にやってくるや否や,「いやあ,こんなブスにはね,こうしなくちゃ」と言いながら,撮影のために用意した国旗を彼女の鼻先に広げて彼女の顔を隠すまねをした。それに対して女子学生は怒っちゃった。韓国人学生の方は,「いや,冗談,冗談」と言ったんだけども,周りの日本人学生も「それは冗談にならないよ,ひどいよ」と言ったと。韓国だと冗談として通用するんだそうです。許容範囲なんだそうです。もちろんみんながこういうことをするわけじゃないけども,こういうことをする人もいる。でも,日本ではちょっと冗談にならないですね。すごく親しい人でも,やっぱりちょっとこれはということになる。この辺はユーモアの感覚の違いということなんですが,結構これは後々まで人間関係悪くしてしまいますね。この後に後日談があって,やっぱりこの女子学生と韓国人学生はその後うまくいかないんですね。だから,ユーモア感覚というのは非常に難しいところで,どちらかというと韓国の方が,日本だときつい冗談というか,きつい言葉がまだ冗談として通用するんですね。だから,もしそういうことを言われた場合は,日本ではそれは駄目よと,冗談でも通用しないよと,一言言ってあげた方がいいと思います。
話題については,ちょっと知ってる人たちにどういう話題で話しますか,話しやすい話題はどれですかという調査したんですけども,全体的にはそれほど日本と余り変わらない。その中で,一つ違ってたのが,住所や出身地は余り話題にしないという答えがあったんですね。若者に対してこう質問したんですけど。なぜか。住所は,これはソウルの場合,聞いたんですけども,どこに住んでるかによってどういう階層の人か分かってしまう。つまり,金持ちがいっぱい住んでるところか貧乏人がいっぱい住んでるところか,その辺が分かってしまうので,それは余り話題にはしにくいと。これは特にソウルなんかではその辺が顕著になってきてるわけですけども。それからもう一つ,出身地。日本では出身地というのは一番手っ取り早い話題で,盛り上がりやすい話題なんですが,これをちょっと話題にしにくいという答えが多かったんですね。それはなぜかというと,例えば,慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョルラド)などのように地域的な対立がまだ残っている。若い人はそれほど気にしないのかもしれないけれど,やっぱりそういう話になるとちょっとうまく話題がつくりにくい。ですから,遠慮した方がいいというか,避けた方がいいということのようです。ですから,出身地など特に日本だとそれほど気にしないんですけども,韓国の場合何々道の人はどうとかこうとかという,見方といいましょうか,何々道の人はけちでとか,何かそういう。それを日本的に何かちょっと冗談ぽく言ってるのかと思ったらそうじゃないんですね。これも余談ですが,A型の人はどうとかというのもね,日本だと何か冗談めかして言ってるんですけども,どうも韓国の場合は,最近血液型というのがよく話題になるらしくて,それも結構血液型がどうだからあいつは駄目だとかいいとか結構ある。その辺はまたおもしろいなあと思ってるんですけど。韓国で血液型なんて一昔前は余り話題にならなかったんですよ。A型がどういう性格でとか,そういうのはほとんど話題にならなかったんですが,最近はそういうことをよく言うそうです。
ここまでは言葉の問題ですけども,次の非言語行動というのは言葉以外のことです。しぐさや表情が問題になる場合ですね。(16)番は,韓国人の男子学生が日本人の女子学生をデートに誘ったとき,女子学生の方が「ああ,ちょっと時間がありません」とほほ笑みながら言った。余りきつい言い方もなんだろうと思ってね,ほほ笑みながら言った。そうすると,韓国の男性の方は脈があると思ってしつこく誘った。これ日本人側のコメントですからそういうふうになりますが。問題は,ほほ笑みながら言ってることなんです。つまり,すぐにイエスと言うのは何か自分を安売りしてるようで,だから最初はノーと言ってるんだろうと,これは本当は行く気があると相手は思っちゃったわけですね。だから,言葉だけじゃなくてそのときの表情というのが問題になる場合もある。じゃ,韓国の女子学生どうするのと聞いたら,いやそんなほほ笑みながら言わないかもと。絶対行きたくなかったらもっとぶすっとして言うとか言ってましたけど。相手にもよるそうですが,その辺の断り方でちょっと表情が違うようです。
それから(17)番はちょっと飛ばします。
それから(18)番は,韓国人の友達が腕を組んでくる。友達になると韓国人の女性は結構腕を組むんですね。男でも腕組みますからね。腕組まなくても肩組むとか,要するに身体接触をしてくる。その辺がなかなか日本人にとってはなじめないということなんですけど。この身体接触に関してはちょっと調査がありまして,ブラジルやフランス,あるいはアメリカ,韓国,ベトナムに住んでいる日本人,それから日本に住んでいるブラジル人,フランス人,アメリカ人,韓国人,ベトナム人に聞いた結果なんですけども,あなたは自分の国と日本とどっちの方が身体接触を気にすると思いますかという質問をした。そうしたところ,意見が一致するのはまずアメリカです。要するに日本よりアメリカの方が身体接触を気にする。それから,韓国とベトナムはどちらも日本だと。つまり,韓国よりも日本,ベトナムよりも日本の方が身体接触を気にすると,こういうふうに言っている。ブラジルの場合はちょっと微妙でして,ブラジルに住んでる日本人は日本あるいはブラジルと意見が分かれてる。日本に来たブラジル人から見ると同じじゃないのというのが多い。これを見るとそんなに違いはなさそうということになるんでしょうか。フランス人の場合も分かれてまして,フランスに住んでる日本人はフランスの方が身体接触を気にすると言ってるんですが,フランス人に言わせると同じだろうということで,この辺はちょっと意見が一致していません。だから,ブラジルとかフランスの場合はかなり違いが微妙だということもあるでしょうし,あるいは接する人によって違うということもあるのかもしれません。いずれにしろ,身体接触を気にする順番からいうと,アメリカ,日本,それから韓国,ベトナムという順番になるという結果なんですね。この辺は,何か日本と韓国だけを比べると日本人はどうで,韓国人はどうでということになりますが,ベトナムの場合も結構同じだということになります。先ほど,ぶつかっても謝らないというのをベトナムにいる日本人にインタビューすると,同じこと言うんですね。ベトナム人はぶつかっても謝らないと。実はそういうコメントは韓国でも聞きましたと言うと,え,そうですかというふうに驚かれたんですけど。そういうことっていうのは,別に民族的なものとはちょっと違ったまた別な部分がありそうだ思います。
あと一つ言っておきますと,日本に来た韓国人が嫌がることの一つは頭をたたかれることです。学生同士だと結構冗談で頭たたくんですね。韓国で頭をたたくっていうのは絶対しない。親でも頭はたたかない。その辺はちょっと注意点としてあげておきます。それから,これまで日本と韓国という点で見てきましたけれども,それが民族的違いかどうかっていうのは疑問です。何でもかんでも民族的な違いというふうに持っていきたがる風潮がありますけども,本当にそうなのかということは十分慎重に考えなければいけない。何か民族的違いにするともうそれで解決したみたいなんですね。終わりになっちゃうんです。思考が停止するといいましょうかね,私は民族差っていうのはブラックホールみたいなもんで,何でもかんでもそこにほうり込んでしまえばそれで終わりになる。そうではなくて,本当に日本と韓国はこういう違いがある,それが一体どこから来てるのかということは,もっといろいろ慎重に検証しなければいけないと思っています。
先ほどの領域なんかについても,ベトナムでも同じような回答があるわけで,いわゆる血縁関係を重視した社会から非常に個人主義的な社会に移る過程でどう変わっていくかっていうのは分からない。まだ韓国の場合血縁主義的な社会構成というものは残っているが,それが完全にもう崩れてしまったときにも,なおかつ今のような領域の保ち方が維持されていくのか,その辺はよく見ていかないと。今韓国的だと思っているのが,実はどんどん変わってしまうということは大いにあり得ることだと思います。だから,いわゆる社会変化とともに変わっていくものなのか,そうではなくて社会変化があろうともずっと維持されていくものなのか,そこら辺の見極めは非常に難しいということですね。
あと,日韓ばかり見ていると日本的だ,韓国的だということになるんですが,もっとほかの国などを見て,広い視野で見ていくとまた違ったものが見えてくる。ちょっと時間がないので駆け足で行きますけども,どういう相手にはどういう話題を活かすことができるかという調査がありまして,これ林*1先生という方がされたんですけども,日本と韓国,中国,アメリカで調査をした。“公開された自己”というのがあるんですけども,ここが広いほどいろんな人に自分のことを積極的に話すということなんですけども,韓国と日本はそれほど違わないんですね,ぱっと見たところ。要するに図形の問題ですから,中国,アメリカと見ていただくとわかるんですが,こっちが中国で,こっちがアメリカです。アメリカというのは外側の円が非常に分厚い。つまり何でもかんでもほかの人と話すという,開けっぴろげという,それに対して中国の場合は外側の円が非常に狭い。余り開けっぴろげに話してないというふうな結果になりまして,ところが日本と韓国はそれほど大きな違いはない。この辺を見ると,全体的に見ると何か日本と韓国はよく似てるなということになってしまう。ただし,これ1980年代の調査で,中国が今もそうかどうかはわかりません。中国はさらに社会変化が激しい地域ですので,1980年代の結果が今通用するとは思えません。その辺もちょっと気を付けていただきたいと思います。それから,こっちの方がいいですね。ちょっとこれも分かりにくいですかね。図を見ていただいてもなかなか分かりにくいと思いますが,これは橋元*2先生という人たちがやったもので,何か依頼するとき,ほかの人に依頼するときにどういうふうな依頼の仕方をするかというのをいろんな国で調べた。その結果,例えば目上か目下か,あるいは親しいか親しくないか,どちらの要素がより強く働くかということについての図形なんですが,ちょっとこれだけでは分かりにくいかもしれませんが,とにかく棒グラフで差があるということは,親しいかどうかですごく頼み方に差があるということ。点線の方で差があるということは,目上か目下かで差があるということです。結論的に言いますと,棒グラフで差があるのは大体アメリカ,ドイツ,その辺なんですね。あと,ここには載ってませんが,ポルトガル語でも調べてやっぱり同じ傾向です。一方,日本とか中国とか韓国,韓国の場合はどっちも関係してるんですね。棒グラフも,それから折れ線グラフもちょっと差があるので,どちらかというと日本,中国はちょっと似ていて,韓国は折衷的だと,こういうふうに言っています。いずれにしろ,こういうふうにいろんな国のものと比べることによって,日本語はどの辺に位置するのか,韓国語はどの辺に位置するのかということが分かってくるということで,こういう調査の結果を見ながら,やっぱり日本と韓国の位置づけを考えていかなければいけないんだと思います。
ちょっと最後は駆け足になってしまいましたが,ここで申し上げたいことは,言語行動についての研究というのは今非常に盛んになってきています。これからもいろんな研究がなされてもう少しいろんなことがわかってくると思いますが,その辺をやることによって日本人と韓国人がコミュニケーションする場合どんなところが問題なのかというのがより分かってくるんだと思います。研究が積み重なることによって,教育にもある程度フィードバックされることになると思います。まだ今やり始めた段階ということで,今後の研究の進展に期待する形になると思いますが,ただどんな部分が問題になってるかということだけ今回はお話ししたという形になると思います。くれぐれも民族的違いにしてしまわないということを再度申し上げたいと思います。
では,時間がほとんどなくなってしまいましたが,ちょっと御質問をお受けしたいと思います。何でもいいですから,私が答えられるかどうか分かりませんが,こんな問題があるというのを,ほかの参加者の皆さんにも参考になるでしょうから,していただければと思いますが。

*1 林建彦:東海大学名誉教授

*2 橋元良明:東京大学大学院情報学環教授


参加者 N大学のSといいます。日本では複数で飲んだり食べたりした後,よく割り勘にするんですけども,ちょっと話を聞くと,何か韓国の方は割り勘は非常に嫌って,誰かが払うというようだと。今はどういうような傾向でしょうかということを聞かせていただきたい。
生越 よく話題になることですね,割り勘も。伝統的には割り勘はしないというのが韓国の伝統的なといいましょうか,何人かで行って誰か一人あるいは二人が払って,順番にとにかく何回か行くうちにみんなが出すような形にすると,そういうのが普通ですが,ただ若い人は最近割り勘するようになっているという報告もあります。割り勘した方が楽だという,そういう意識もあるようで,具体的な調査はありませんが,ただ割り勘が広まってるという話はよく聞きます。ですから,韓国の場合世代差が結構あるんですね。ですから,30代の人と20代の人と10代の人では感じ方が違いますので,それも韓国とはこういうもんだというふうに言うのが危険な一つの理由なんですけども,そんな感じなんですが,よろしいでしょうか。
参加者 住所を聞かれて韓国では不快感を感じる度合いがもっと大きいということで一応意外だったという解釈だったんですが,住んでる地域の地域差っていうふうに解釈がされてるんですが,最近韓国でやっぱり地価が値上がりしてて,確かにそういった値上がりされてるところの人は喜んで答えることはあっても,そうでない地域を不快と感じることはまずないと思いますね。私は,多分文脈に問題があったのではないかと思いますが,住所を聞かれたという場合,日本は住んでる場所を聞かれる,そういう意味になっちゃうんですが,韓国は番地まですべて,手紙が出せるような住所を聞かれることになっちゃうんです,その意味合いが。初対面の人に住所をすべて聞かれると,そりゃ不快感というのはある。ただ,どこに住んでるんですかぐらいは全然不快感を感じないはずなんで,多分それは文脈に確かに問題があったかのような気がしたんですが,一言だけ。
生越 はい,ありがとうございます。その調査では,初対面の人の場合と,それからある程度知ってる,親しくはないが知ってる人に対してという二つあったんですが,どちらもやっぱりちょっと,確かに住所をそのまま訳した「チュウソ」という項目でしたので,先生がおっしゃるような意味合いでとった人がいるかもしれません。ありがとうございます。
ほかに。はいはい,どうぞ。
参加者 K大学のIと申します。小さなことなんですけども,出身地は日本人は余り気にしないとおっしゃいましたが。私の大学だけかもしれませんが,入試の面接などで絶対聞かないことって言われてるんです。というのは,京都特有なのでしょうか,本籍とか出身地によってちょっとある種の部落とか,そういうことが分かるそうなので,それはちょっと地方にもよるのかなと感じました。
生越 細かく聞いていくといろいろ差し障りがあるということは確かにあると思います。何々県どまりであればそれほど問題はないかもしれませんが。何々市何々まで聞いちゃうといろいろと確かに問題も出てくると思います。
ほかにいかがでしょうか。はい。
参加者 私,残念ですけども,今日は韓国のお話たくさんいいものを聞かせていただきましたけども,残念ですが韓国には一度も足を入れたことがないんです。私はニューヨークで生まれまして,日本へ帰ってまいりまして,今現在は東南アジアのラオスで日本語教師をしております。この先生の講義の中で19ページにあります儀礼的な表現,あいさつ表現の中で,「家に遊びに来てください」「是非,私の家に遊びに来てください」ということで,私はあちらで,これも儀礼的なんですけども,「一度日本にも遊びにいらしてください」と言ったことが非常に大きな問題になったこと,ああ失敗したなと。普通社交辞令で,一度も日本には行ってないから,一度いらしてください,いいんですよと,こう言ったことが,いつ行ったらいいとかね,かなり発展したことで,わあ韓国にもこのような儀礼的言葉とか言ってはならない表現があると,本当にこの講義を聞いて,ああ私は大きな失敗をしたと肝に銘じました。先生ありがとうございます。
やっぱり異文化というのはありますね。何を品物や手紙を送っても,返事は決してラオスにはございません。あそこは文法は英語と一緒なんです。今,韓国語を少し勉強しております。「冬のソナタ」の影響でしょうか,あれでちょっとしております。
生越 ありがとうございます。ラオスでもやっぱり「うちに遊びに来てください」的な言葉はどうも危ないというか,気を付ける必要があるという情報をいただきました。ありがとうございます。日本に遊びに来てくださいもやっぱりその辺は難しいところですね。
韓国以外の話題についてはちょっと時間的に少なくて十分触れられませんでしたが,韓国以外の国でも恐らく言えるような項目があるかと思います。
ほかはよろしいでしょうか。
じゃ,時間も過ぎていることですし,この辺で終わりにしてよろしいでしょうか。
どうも長い間ありがとうございました。
おじぎをするのもね,日本人は何回もする,これが何か韓国人には非常に卑屈なというか,自分を低めている行動のように見えるそうです。韓国は1回お礼したらそれでいいんだという話です。
参加者 ラオスもありません。コプチャイライライというその言葉で終わりなんです。
生越 はい,どうも。
参加者 ありがとうございました。

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