日本語教育研究協議会 第4分科会

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日本語教育研究協議会
  第4分科会「年少者の日本語習得について考える」
 
講師 中島 和子(名古屋外国語大学教授)
築樋 博子(愛知県豊橋市教育委員会語学教育相談員)

中島 皆さんこんにちは。今朝の全体会議とのかかわりでいきますと,これからここで私のコンテクストと皆さんのコンテクストのすり合わせということになりますね。両方の努力が必要ですので,どうぞよろしくお願いいたします。今日は4:00までで,随分長いんですよね。私のほかにどなたがいらっしゃるんですかと伺ったら,私だけだと言うんです。私年寄りですので,ちょっと大変なので,今日はゲストスピーカーを一人お呼びしてあります。御紹介いたします。愛知県の豊橋市の教育委員会語学教育相談員,築樋博子先生です。

築樋 よろしくお願いいたします。

中島 実は今日は「年少者の日本語習得を考える」というタイトルなんですけれども,年少者の中でも幼児の問題に焦点を合わせたいと思います。皆さんここにいらっしゃる方はいろいろな形で年少者の日本語習得の問題にかかわっていらっしゃる,興味をお持ちの方だと思いますが,ちょっと伺わせていただきたいんですが,小学校レベルでかかわっていらっしゃる,小学校の先生というか,学校の中でかかわっていらっしゃる方はどのぐらいいらっしゃいますか,はい。中学校はどうでしょうか,高校はどうでしょうか,はい。大学の先生は,はい。それから,幼稚園というか,就学前――いらっしゃいません,はい。それから,学校ではなくて,ボランティアという形,あるいはコミュニティとしていろいろな活動にかかわっていらっしゃる方は――ああ大勢いらっしゃいますね。それから,大学院の学生さん,はい,どうもありがとうございました。パワーポイントを使いますので座らせていただきます。聞こえますか,大丈夫ですか。
 このタイトルをいただいたときに思ったのですが,「年少者の日本語習得」と言われますと,私は海外で38年日本語を教える傍ら,子供の問題とかかわってましたので,年少者の問題というと,海外では100年の歴史があり,日系人の問題だけではなく,海外子女の問題も含めていろいろな取組がなされて今に至ってます。そういう問題がまず私の中ではぱっと頭に浮かぶのですが,よく読んでみますと,やはり国内の,しかも今問題になっている外国人児童・生徒の問題ということなので,今日はそれに限ってお話しします。しかし,できればこれまでの,今まで海外で行われてきたいろいろな取組の成果がこの分野にも生かされるべきであると私は思っています。できれば連携を取るべきであると思います。日本人が海外に出ていったときの問題と,こちらで受け入れるときの問題との共通点はたくさんありまして,これまでこの分野で得られた知見というのが生かされるべきだと思っていますので,最後にその点をちょっと付け加えさせていただきたいと思います。
 私一人で大体前半をお話ししまして,そのあと築樋先生にお話ししていただきますけれども,区切り,区切りで,質問ありますかと聞きますので,是非,疑問点,コメント,活発にお願いしたいと思います。皆さんも2時間半ただ座ってるのは大変お苦しいだろうと思いますので,よろしくお願いいたします。
 皆さんがお持ちのこのレジメに従ってお話ししていきたいと思うのですが,一つ訂正があります,ここ[スライド1.a.]の2番目の現地生まれ,同時発達型というところの「親の言葉が伸びにくい」に「父」を入れて,「父親の言葉」にしてください。今回のこの分科会の趣旨にもありましたけれども,この年少者の日本語習得の問題をバイリンガリズム*1の立場から考えるというふうにうたっています。私は,やはり外国人の児童・生徒のことを考えるときには,日本語習得ももちろん大事ですけれども,それと同時に親とのコミュニケーションのツールである言葉,あるいは日本語習得の土台になる言葉,これを母語と呼ぶかどうか,母語でない場合があるので難しいんですけれど,土台になる言葉がないと日本語も伸びないという立場で,土台になる言葉プラス日本語も育てる,つまりバイリンガル育成の視点が大事だと思うのです。しかし,今の世の中はやはりそれだけでは足りません。やはり隣の国の言葉である韓国語も必要かもしれないし,あるいは国際語である英語も必要であり,実際に小学校で英語教育が入ってくるかもしれません。そういう意味で,これからの世界は「マルチリンガル*2」の世界です。バイリンガルという言葉は使いますけど,その意味は一つ以上の言葉という意味で使いますので,そう解釈していただきたいと思います。
 次に,年少者,年少者とは何ぞやということですが[スライド1.b.],一応私の話では,一つの言葉が固まる前,つまり,一つの言葉が定着する過程にある年齢の学習者というふうに考えたいと思います。いわゆる言語形成期というのはやはり言葉を話し始めてから大体12歳ごろまでと言われてきました。ただ,日本語は漢字の問題があるため,読み書きができるまでにかなり時間がかかる言葉です。そういう意味で,一応2歳ぐらいから15歳までを対象にしたいと思います。それを話す力と読み書きの力に分けて考えてみますと,話す方が先行します。親や周囲の人たちがいろいろ話しかけてくれるので,それに応えるという形で子供は言葉を話し始めて,それが大体定着するのが日本語でも大体8歳ぐらいです。8歳ぐらいになると大体言いたいことは言える。ただ,例えば〈被害の受け身〉*3の表現であるとか,敬語とか,そういう社会性がもっと付かないと使えない表現というのは,まだ身に付いてないかもしれませんけれど,大体8歳ぐらいまでに基本文型というものは入ってしまいます。
 じゃ,読み書きの力はどうかといいますと,それは大体4歳ぐらいから文字の拾い読みを始めて,そして自分の名前ぐらいは書けるようになって,個人差は大変ありますけれども,学校に入ってからちゃんと平仮名,片仮名を習って,漢字も習って読み書きができるようになります。それが非常に日本語の場合は時間がかかるということです。英語でしたら,もう小学校5,6年生で大体新聞も読もうと思えば読めると,こういう段階になるんですけど,日本語の場合にはそこに行くのに非常に時間がかかります。中学の終わり,つまり15歳ぐらいにならないと大人の新聞が読めるようにはならないわけです。
 ここで注目していただきたいのは,話す力というのが2歳から8歳ですが,その半分をとって2歳から4歳ぐらいまでの基礎が非常に大事だということです。2歳から4歳ぐらいの,つまり幼児時代の言語環境というものが言葉の発達に非常に影響がある。それはどのぐらい周りの人たちがその子供に話しかけてくれるのか,それに対して応えるチャンスがどのぐらいあるのか,このインターアクションの量と言葉の発達が非常に関係あります。そういう意味で今日幼児の問題を取り上げるのは,幼児期の言語環境というのが非常に大きな意味を持っているということなのです。読み書きの方も実は学校に入って学ぶものではなくて,むしろ読み書きの基礎というのは学校へ行く前の家庭環境にあります。家庭でどのぐらい親が本を手に取って読むか,あるいは本を読んでくれるか,本というものがどういう意味を持っているかというような文字環境が影響します。この点で学校に上がるころには大変な差が出てきているのです。特に,就労のために来た御家庭などでは,御両親が夜にお仕事をしていたり,子供との接点が非常に少ないため,本を読んであげたくとも読み聞かせなどができないという環境でしょう。そうして,この読み書きの基礎が育つ段階で大変な遅れをとっているお子さんが1年生に上がってくると,バイリンガルでバイカルチュラル*4でバイリテラル*5な人間がなかなか育たないということです。2歳から4歳あるいは5歳のところの環境というのをまず整えて,何とかしてこの外国人の子供たちが日本でも教育を受けられるようにし,そして母国に帰っても活躍でき,しかも日本でも働こうと思えば働けるというような人材に育てたいものです。
 じゃ,どういう言語環境が必要かということですが,自然に子供が言葉を獲得していく力を最大限に伸ばしてあげることができる環境に置いてやることです。どんなことを教えるかというよりは,子供の持っている自然習得の力を生かす環境をどうやってつくるかということが問題の中心になります。外国人児童・生徒が実際に置かれている言語環境を考えてみますと,皆さんも御存じのように,家庭言語と学校言語が違うという状況にいます。もちろん家庭言語が日本語になっている御家庭もあるでしょう。これから2世,3世の時代になりますと,ほとんどが現地語というか,日本の場合には日本語になっていきます。ただ,いつも新しい人,ニューカマー*6は来ますから,いつも家庭言語と学校言語が異なるお子さんは,いるということです。家庭言語(L1)と学校言語(L2)とそれから社会一般で話されている言葉(L2)では,どちらが強いのでしょうか。言葉というのは力なんですね。強い言葉と弱い言葉があります。つまり力の格差がありますね。家庭言語と学校プラス社会使用言語だともう大変な格差です。ですから,自然にほうっておけば,子供は家庭言語はそんなに大事な言葉だと思わなくなります。やっぱり学校に行って先生が使う言葉,友達が使う言葉,テレビをひねれば聞こえてくる言葉,そういう言葉に自然に影響を受けて,そちらを習得していくというのが普通の形です。ですから,もしこういうお子さんを日本語プラスもう一つの言葉もできる子供に育てたいと思うのだったら,よほど努力しないと,家庭言語が育たないというのはもう火を見るよりも明らかなわけですね。
 現地語(L2)の方は接触量が多くなっちゃって,だから伸びやすい,しかし家庭で生まれたときから使ってきた,あるいは親が使っている言葉の方は接触量が非常に少なく,家庭の中だけ,あるいは同じような人たちが住んでいるコミュニティだけになりますと,接触量が少なくて伸びにくい言葉になります。こういう格差のある状況の場合をサブマージョンと言います。外国語に触れて生活するんですから,その外国語を毎日使いますから,その外国語が学びやすい状況なんですけれど,これをサブマージョンという言葉の意味は,大事な母語(L1)を忘れてしまって,L1がL2に置換されるというものです。ですから,自然に親が話す言葉は忘れてしまって,その周りの接触量の多い言葉の方になびいていってしまうという環境です。
 そういうときに,一体どうしたらいいのかということです。このサブマージョン環境というのは,レジメにちょっとまとめましたが,まず母語が外国語に置換されてしまうという状況です。親はそんなに日本に来たからってすぐ日本語が上手になるわけじゃない。だから,どうしても自然に出てくるのはポルトガル語であったり中国語であったりするわけです。でも,子供は学校に行き始めると,ぱっと口に出てくるのは日本語になっていきます。ですから,親はポルトガル語で話すかもしれないけど,子供は日本語で答えるようになっていきます。だから,母語は聞いて分かるけど,話すのは日本語と,こういうパターンが非常に多くなるわけです。それが思春期などを迎えますと,自分の親がちゃんと日本語を話せないのが恥ずかしくなり,人前あるいは,自分の友達がいるところでは,ポルトガル語とか中国語を話さないでほしいとまで言い出したりします。周りの人が認めない言葉というのの価値が下がってしまいまして,周りの人の価値観を自分のものにしていく,つまり内面化してしまうという状況になります。ですから,せっかく違う言葉に触れて生活してるのですから,両方の言葉ができるようになってもいいんですけれども,結果としては外国語(L2)の方が強くなり,母語を失ってしまって,外国語(L2)モノリンガルになっちゃう。母語のモノリンガルならまだいいんですが,親と違う文化の言葉の話者になりますから,そこに伝統の断絶があって,同じ屋根の下に住んでいても孤児になるのと同じと思ったらいいですね,文化的な孤児になってしまうわけです。
 では,こういう環境の子供をどうしたらいいかというと,「母語プラス外国語のバイリンガル」になるように,学校教育の中で何とか取り組まなければならないということなんですね。日本ではそういうことがきちんとできるような状況はまだないと思います。いろんなことを考えていらっしゃる方がいて,大変活発にいろいろな取組があると思いますが,まだそういうものがきちんとできている状況ではないと思います。
 私が長い間住んでおりましたカナダなどでは,学校教育の中に,午前中は例えばウクライナ語,ドイツ語,中国語,クリー語,そういう言葉で勉強して,午後は公用語である英語,あるいはフランス語で勉強するというような50%,50%2言語使用で,学校にいる時間を分けて両方の言葉を育てていくというプログラムが今までもずっとありましたし,今それが増えています。そうすることによって両方が育つのです。そして,小学校4年生になると,カナダですから英仏2か国語が公用語なので,どうしても英語の学校ではフランス語を習わなければならないし,フランス語の学校では英語を習わなければなりません。それで例えばアルバータ市の場合ですと,4年生からフランス語が入ってきます。ということは,小学校の間に自分の母語(L1)でも勉強をし,英語(L2)でも勉強し,そしてフランス語も習うというのです。これが非常に一般的でカナダのどこにでもあるというものではありませんが,今までのいろいろな試みの中で一番高い評価を受けています。三つの言葉が育つということです。それに,自尊精神も,親の言葉,親文化に対する誇りも育つのです。という意味で,学校教育の中でそういう取組をすることに意味があります。ボランティアとか課外でやっても余り効果はないんですけど,やはり公教育の中でそれをするということからくるプラス面があります。
 日本でも例えば,私が住んでおりますのは名古屋ですので,愛知県の豊田市のすぐそばに外国人の子供がたくさんいます。そこに二つ小学校がありまして,東保見小学校と西保見小学校があります。東保見小学校の隣に幼稚園がありまして,もう100%近くがブラジル系のお子さんです。そのため,東保見小学校の1年生に入ってきたときに,3分の2はブラジル系のお子さんという状況があります。どんどん少子化が進みますので,この二つの学校,例えばですよ,ここだけの話ですけど,東保見と西保見があったら,一つの学校は午前中は日本語で学習,午後はポルトガル語で勉強するという学校にして,そこに午後,ポルトガル語のコースと英語のコースと二つをつくったら,日本人の子も入ってきますよね。そこにそういうバイリンガルを育てつつ学力も育てるという試みができたらいいんではないかと思います。両方の学校で同じように取り出し授業に大変な思いをしているよりは,この方が結果が出るんではないかと思うわけです。
 このようにサブマージョン環境をいかにイマージョン*7環境にするかということが今の課題ではないかと思います。今までサブマージョン環境で,一番普通に行われてきたのは取り出し授業です。ですけれども,皆さんも御存じのように,取り出し授業は必要悪ですね。やらざるを得ないところがあります。ですけれども,取り出されることによるマイナス面,心理的なマイナス面,それからみんなの仲間に入ってないことからくる学習面のロス,いろんなマイナス面があって,取り出し授業という形は使わざるを得ないかもしれないけれど,それだけでは解決できないということは皆さんも感じていらっしゃると思いますし,今までの北米の移住者子弟の教育では余り効果的ではないと考えられています。
 それで,繰り返しになりますけれど,それじゃ今置かれているサブマージョンの環境がどういう問題を持っているかということをレジメに整理しておきました。一つ訂正があります。初めの「会話はL1」の次のところを,「帰属意識の混乱」と変えてください。言いたかったことは,母語の会話力というのは案外保持できるんですよ。親が日本語ができなければなおさら残るんですね。ですけれども,帰属意識は揺れるということなんです。
 学校に行って仲間ができます。日本人の仲間に入って,日本人だと思うようになる,あるいは,思いたくなります。自分の居場所が日本の学校の中にできたらそういう意識を持ちます。特に思春期などは必ず反抗期というのがあって,つり橋を渡るように揺れるわけです。そういうときには必ず「私は日本人なんだ」と言い出します。「自分はブラジル人じゃない」と,こう言い出します。だけど,そう自ら断言したからって顔は変わりませんし,外から見る目というものも変わりません。帰属意識というのは自分の中だけで解決するものではなく,周りとの関係で変わるもので,そのために,なかなか自分の居場所というのは見付けにくくなります。これはサブマージョン環境の共通の問題です。これが言語が両方よくできると,両方の言語グループに対して帰属意識が持てるのですが,語学力が低ければ低いほど帰属意識が混乱しがちなんです。どちらの言語グループの人とも十分付き合えない。どちらの人と話してても違和感があるという状況になり,帰属意識が非常に不安定になります。もう一つは,やはり学力が追い付かないことですね。それから,読み書きの力が伸びない。会話は何とか,人と意思の疎通はある程度できるけれども,読み書きになると学年相当のレベルに追いつかない。そして,あなたの母語は何ですかと言われたときに大変困る。自分の強い言葉は日本語,だけど親の言葉は中国語なりポルトガル語なりで私の弱い言語,じゃ私の母語は一体何なんだろうと,こういう問題が起こります。これらはサブマージョン共通の問題です。
 もう一つ付け加えますね。自分の母語が何語か分からないということですが,確かに自分が使いたい言葉は学校で使っている言葉であるし,日本人の友達と使う言葉ですが,だからと言って親の言葉がそれじゃ外国語になるかというとそうでもありません。毎日の生活の中で毎日聞いているし,必要があれば片言の言葉で話せるという状況が普通ですので,外国語にはなりません。それで,このような状況にある親の言葉を継承語,親から継承する言葉,英語で言いますと,ヘリテイジ・ランゲージ,継承語と呼びます。今,特にアメリカでは継承語教育というのが大変注目を浴びてます。アメリカ人というのは余り外国語教育に熱心な人たちではないのですが,アメリカの国力ということを考えるときに,やはりアラブ語ができる人とか,アフガン語ができる人とか――いろんな語学力が必要だという認識が高まっています。じゃ,それを高校とか大学で育てる,育てても力はなかなかつかない。じゃ,どうするかと言ったら,家庭の中で親子間の家庭使用によって育ってきたこの継承語というものに目を付けて,それをもっと伸ばすことによって,アメリカという国が必要としている語学力を獲得できるんではないか。非常にアメリカ的な発想だと思うんですけど,全くお金を使わずにある程度の力を持っている継承語学習者というものを見付け出して,そういう学習者の力を強化してやろうというので,ヘリテイジ・ランゲージ・エデュケーション*8というのが中学校,高校を中心に盛んになっています。カナダでは,昔から継承語教育というのが国が率先してお金を出してやっていまして,この場合には幼児から中学校2年まででした。ですから,カナダの場合には,この継承語教育というのは移民で入ってきた子供たちの精神安定,学力増進,そのために継承語教育が必要だという認識があったんですけれども,アメリカの場合にはそれとは異なり,特に高校までそれが保持できた場合には非常に利用価値があるというのです。南米の方には大きな日系社会がありますね。特に,ブラジルは日系人が多くて,海外での日本語教育が非常に盛んなところだそうです。ところがブラジルでは継承語教育という言葉は全然定着しなかったんですね。どうしてかというと,ヘリテイジという言葉の意味がちょっと違うようです。言葉のずれ,コンテクストのずれです。そのためにブラジルでは国語教育的なアプローチから外国語教育のアプローチに行っちゃって,この中間である継承語教育という考え方が育ちませんでした。ですから,海外ではみんなヘリテイジという用語がよく使われているという意味ではありません。今のところ北米だけです。ですけれども,外国人児童生徒の言葉を,日本語(現地語)と継承語という分け方をして,親の言葉をどうやって継承していくかという考え方,見方はとても大事なことだと思います。
 そこまでで何か御質問,御意見おありでしょうか。はい,どうぞ。
 
*1 バイリンガリズム (bilingualism) 一般的には2言語がきちんと使い分けて使用できる個人または,言語集団,あるいはそのような社会的制度または状況を指す。個人の心理的,社会心理的状況にはバイリングアリティ(bilin-guality)とし,バイリンガリズムを社会言語的な言語集団の状況を指して,2者を区別して用いる学者もいる。(例:Hammer&Blanc,1989)
*2 マルチリンガル (multilingual) 多言語を使用することができる個人または,言語集団,マルチリンガリズムは多言語を使用する社会的生徒または状況を指す
*3 被害の受け身 日本語動詞の受け身形の一つの機能。話し手がその状況によって心理的に何らかの被害を受けていることを間接的に表現するときに用いる。例:「雨に降られた」(=雨が降っているので,(話し手が)困る),「父に死なれた」(=父が死んだので,(話し手が)困る)。
*4 バイカルチュラル (bicultural) 二つ以上の言葉をきちんと使い分けて使用できるばかりでなく,考え方,価値観,ものの感じ方,行動規範においても二つの異なった文化を使い分けることができる個人または状況を指す。
*5 バイリテラル (bilateral) 二つ以上の言葉を聴いて理解し,きちんと使い分けて使用できるばかりでなく,読んだり,書いたりすることもできる2言語使用,つまり,聴く,話す,読む,書くの4領域において2言語使用が可能な個人,または状況を指す。
*6 ニューカマー (newcomer) 日本に新しく来た外国人。〔何世代にもわたって日本に在住している外国人と区別するため〕
*7 イマージョン イマージョンは,‘immerse’という英語からきた言葉で,「その言葉の環境にトータルにひたる」という意味。サブマージョンは‘submerge’からきており,同じ状況だが「おぼれて浮かび上がれない」「埋もれてしまう」という意味が含まれる。ここではイマージョンを「イマージョン方式のバイリンガル教育」の意味で使用している。その定義は「児童・生徒の第1言語や全人格的な発達を犠牲にすることなく,第2言語の力を高度に伸ばすために,学校教育の全部,または一部を,第2言語を使用して行う学校教育」。
*8 ヘリテイジ・ランゲージ・エデュケーション (Heritage Language Education) 親から子供に受け継がれる言語と文化を継承語,継承文化という。マイノリティー言語を母語とする子供の場合,継承語を捨てて,社会の主要言語を習得する傾向があることから,意図的に継承語を強める教育的措置を継承語教育と呼ぶ。


参加者 質問なんですけど,帰属意識というのとアイデンティティというのはまた別なんでしょうか。

中島 そうですね,私は帰属意識という言葉をアイデンティティのつもりで使ってました。アイデンティティと言うと舌をかみそうなので,そういう意味です。違和感なく自分がいられる場所という感じですね。
 ほかに何か。はい,どうぞ。

参加者 帰属意識というのは一つの方がいいんでしょうか。

中島 どうもありがとうございます,大変興味深い御提言です。

参加者 帰属意識,つまりアイデンティティというのは一つが理想的なのかどうかという面で。

中島 一つというのはどういう意味でしょうか。

参加者 要するに,昔はハーフとか混血とかよく言われますよね。そうした場合に,帰属意識といったものも二つあったりして,混乱とかいろんな問題が起きてくると思うんですけども,そういったものというのは否定的にとらえがちだったんですけど,決してそうではないような気がするんですけど,そういったもの。

中島 私もそう思いますね。一つ言い忘れたことを今思い出したんですけど,母語も一つではありません。これからちょっとお話ししますけれど,やはり家庭の中で,例えば国際結婚の御家庭などで,父親の言葉と母親の言葉が違う場合で,両方が意識して違う言葉で子供に話しかけるなんていう場合には,両方の言葉が同時に育っていきます,ある年齢まではね。そういう場合には母語が一つではない,二つ,あるいは,おばあさんがいたりすると三つになる可能性もあります。日本人はどうも母語というと一つと考えがちですけど,そうではないのです。と同時に,アイデンティティも環境によって一つということはないかもしれないんですね。二つがバランスをとっているんではなくて,二重になっているとか。またどの面からのアイデンティティかということも問題で,今問題にしているのは文化的なアイデンティティですね,例えばブラジルの場合ですと,日系人グループに対するアイデンティティがある,と同時にブラジルという国に対するアイデンティティがありますね。二重構造になっているように私には思えます。カナダの場合には,マルチカルチャリズムという多文化主義というのが法律になっている国ですので,カナダ人であるというアイデンティティと日本人,ジャパニーズ・カナディアンであるというアイデンティティの違いが余りはっきりしてません。ブラジルのようにはっきりと二重になっているというんではなくて,個人によって非常にその度合いが違うように思います。確かに,アイデンティティは一つという印象を与えてはいけなかったですね。何か詳しく御存じだったらちょっとお話ししてくださいませんか。

参加者 いやいや,詳しく知っているというよりは,自分の家族の場合なんですけども,子供がバイリンガル環境というか,親が日本と韓国ですので,そうした場合に,今までですとそれがコンプレックスになっていたんですけども,それが逆に自分はハーフでなくダブルなんだということで,それを誇る側面があって,そういったものというのは今までになかったことなので,ただ帰属意識の混乱ということになった場合に,不安定さというのはやっぱり一つしか持ってない人に比べればあるんじゃないかということで,その辺についてちょっとお聞きしたいんですが。

中島 確かに,比べれば,不安定と言えるのかもしれません。ただ帰属意識は揺れながら育つもので,安定するまでに非常に時間がかかると思いますね。アイデンティティの研究をするんでしたら,やはり高校の終わりから大学にかけてというぐらいが一番安定する,あるいは結婚してお子さんを持ったときには一番はっきりするのかもしれないと思います。やはりそれ以下の年齢の子供を対象に研究するのはちょっと不安定過ぎると思います。トロント大学の博士課程の学生さんが一つ博士論文を書いてますが,それは語学力と日本語の力と英語の力とアイデンティティの関係を研究したものです。この三つはかなり関係がありまして,やはり言葉の力がないところにアイデンティティは育ちにくいということです。言葉の力がバイリンガルである,つまり日本でも働けると思うし,もちろん英語を使ってカナダで十分活躍できると思う人の場合,帰属意識が二つというよりは,その二つが統合されたものというような感じがしますね。別々に両方のアイデンティティがあるというよりは,やはり心は一つと言うかな,国際人的な,自分はカナダにもとらわれない,日本にもとらわれない,国を超越した広いアイデンティティが持てる。多文化主義のカナダだからそういうことができたかもしれないんですが…。
 二つの言葉の力には共有面がある。だから,一つの言葉で習ったものはもう一つの言葉で,教科を習うときにそれが役に立ちます。例えば一つの言葉で九九を習ったら,もう一つの言葉で九九を習うときに,もう概念が分かっているのですから,2番目の言葉での九九の習得は早いと,こういうようなことが言われてますね。それと同じように,一つの文化に対してアイデンティティがしっかりしている人は,次の文化へのアイデンティティもしっかりすると。この転移というか,共有性というか,そういうことを研究している人もいます。その結果はまだ余りはっきり実証されてないんですけれども,多分しっかりとしたアイデンティティが一つできている人はもう一つのアイデンティティも育ちやすいと言えるのではないかと思います。最近は外国へ行くといっても,いろんな国を渡り歩く,渡り鳥的な海外子女が非常に増えているんですけれども,根がないものよりは根を持っている,例えば日本人としてのアイデンティティがしっかりしている人の方が,違う文化に対する取組,そこでの自分なりのアイデンティティの見付け方というのをできるんではないかと思うのです。
 [スライド1.d.2つのことばの関係(1) 2言語の相互依存性]
 それでは,今度は言葉の問題になりますが,二つの言葉の関係です。長い間,バイリンガルに対するイメージが非常に悪かったんですね。1960年代までバイリンガルに育つということは,まず知能停滞,精神錯乱,情緒不安定,学業不振,そういうキーワードと結び付けられていました。それはいろんな研究成果を見ると明らかですが,研究方法にも問題があったし,また研究するときに社会経済的なレベルや,どういう子供を対象にするのかというようなことを全く配慮しないでやっていた結果かもしれないんです。その後1970年代に,カナダでは公用語が二つですので,両方できる市民がどうしても必要で,真剣にイマージョン方式のフランス語教育が始まり,それが大成功をおさめました。それにかかわったのがランバート*1とペンフィールド*2という二人の学者です。一人は言語心理学者,もう一人は脳外科医ですね。その二人が参加したモントリオールの郊外で行われた教育実験ではいろんなテストをしてるんです。3週間毎日テストを受けたとかと言うんですけれど,やはり心配だったんですね。親は英語を母語とする人たちで,学校に入って,子供がフランス語で勉強するとこの子は英語ができるようになるんだろうか,フランス語しか話せなくなるんじゃないだろうか,いろいろ心配がある。そこで,やっぱり始めた人たちはいろんなテストをして確かめようとしたのですね。それが7年間の業績があって,いろんな結果が出て,初めて小学校レベルで外国語を使って教育をしても,親がしっかりしていれば帰属意識は揺れないということが分かったのです。帰属意識は学校で育つのではないと,家庭で育つのであるということとか,学力はマイナスの影響は受けない,ただ学年によっては英語のスペリングが弱かったり,読み書きが弱かったりという時期はありますけれども,小学校5,6年になると,それを挽回して,フランス語を話すことと書くのはネイティブスピーカーよりもやや弱いけれども,聞く力と読む力はむしろネイティブスピーカーよりも上という結果が出ました。もちろんフランス語と英語というのは,皆さんも御存じかと思いますけれど,ちょっとフランス語の単語を見て,ああ英語のこういう意味の単語に当たるのじゃないだろうかという類推ができるような単語があちこちにあるということで,読む力が高くなるということも不可能ではないような気がします。これが日本語と英語,あるいはポルトガル語と日本語だったら大分違うんではないか。言語差というのがありますから,一般化することはできないんですが,イマージョンプログラムはその後,カナダの全国津々浦々まで発展しまして,あちこちでやはり教育委員会を中心にいろんな評価がなされて,どこでも大体同じ結果が得られています。今でもカナダの各地で行われています。
 つまり,どういうことかというと,小学校時代に,なるべく低学年からフランス語漬けにするんですね。そして,だんだん英語で勉強する量をふやしていって,最後は50%―50%になるんですけど,初めは100%フランス語漬けにするのです。だから,学校教育というものを言葉の力を育成する場にしてしまって,その中の学習時間を使い分けることによって,まあ小学校の終わりぐらいまでには両方の言葉で一応学習ができるところまで持っていくという試みです。これは今ではカナダだけではなくて,オーストラリアとか,今のEUとか,あちらこちらで使われている方法です。小学校レベルの語学教育で成果が出るのはこういう形以外にはないんではないかということです。何をどう教えるかというんではなくて,覚えてもらいたい言語を自然に使う環境に子供を置いてしまうということです。これが私が先ほど言いましたように,日本のある学校で1日の半分ぐらいをそういう環境に置いてやることによって母語が育つ可能性を持っていると思うんです。それはただおしゃべりをするんではないんです。その言葉で勉強をするということなんですね。でも,そのためにはやはりポルトガル語やスペイン語を使って教える先生が必要ですから,制度上それが可能かどうかはちょっと別問題ですが。このイマージョンの基本にある考え方は,この言葉の力というのは一つの言葉で蓄えた力がもう一つの言葉で学習するときにも役に立つ,という2言語の相互依存性という考え方です。この考え方が出る前は,頭の中には二つの袋があって,一つは母語の力,もう一つは外国語の力,お互いに関係がない,だから一つが膨らむと,もう一つはしぼんでしまう,頭の中の許容量は決まっているから,一つが強くなれば,もう一つは弱くなるという考え方です。これは平衡説と言いました。それがそうではなくて,この図のような形になりました。特に,考えるとか学習と関係のあるところでは一つの袋になっていて,それが両方の言葉で使えるということが実証的に証明されてます。これを言い出したのはカミンズというカナダのトロント大学の先生で,この説はいろんな名前で呼ばれてきました。一番初めはシンクタンク説と言われてたんですね。ですから,ここに思考タンクと書いてありますけど。それから2言語共有説と呼ばれることもあるし,氷山の形を書いて氷山説と呼ばれることもあります。要は,表面的には言葉は二つ違うものであるが深層面では共有面があるということです。これが外国人の子供の教育を考えるときにも言えることです。母語を強めれば日本語が弱くなると考えがちなんですけど,長い目で見ると,母語を強めることによって言葉の基礎がしっかりする,その力を今度は日本語の方で活用してもらうということで,逆説的に聞こえますけれども,例えば幼稚園教育などでは,母語で教育して,母語を強めておいた方が日本語が後で伸びるという考え方の基礎になるものです。
 [スライド1.d.2つのことばの関係(2)]
 次は,ちょっと訂正がまたあって大変恥ずかしいんですけれど,言語力必要度の高低を逆にしてください。こちらを「低」にして,こちらを「高」にしてください。
 先ほどちょっとカミンズという名前を出しましたけれども,カミンズ教授が先ほどのスライドの頭の中の深層面をCALPと呼んで,それに対して表面的な対話力,会話力というか,人との対話に使う力をBICSと呼んだんです。しかし,そうすると二者択一的になって,何かこう二つが全く関係がないかのように人々にとられて誤解されたために,同じ概念をこういう形であらわしたものです。つまり,問題になるのは,どのぐらい考える力が必要か,それからもう一つはどのぐらい言葉の力が必要かということで,それを二つの軸にして四つの面をつくったのです。そうすると,共有面が一番あるのはこの一番最後のD面です。ということは,考える力が必要で,高度な言葉の力も必要な面というのは,例えば算数の文章問題とか,作文とか,読解とか,標準テストを受けるというようなものです。一つの言葉でできる子供はもう一つの言葉でもできる傾向があるというのです。ということは,つまり2言語の力というのは共有面があって,一つの言語からもう一つの言語に転移する,こういう考え方です。この四面の図はいろんな意味で,教材づくりとか,教案づくりに活用されています。余り考える力が必要がなくて,言葉の力も余り必要ないというこのA面は,例えばあいさつとかゲームとか,余り考えないでもできる言語活動です。お店に行って「これ下さい」と言えば済むし,何も言わなくても目的を達することができるところですね。B面に来ると,今度は少し語学力が必要ですから,メモを書くとか,地図を描いて案内をするとか,何か目で見てわかるものがあって,それに言葉を加えるというような言語活動です。C面に来ますと,今度は算数の計算問題とか理科の実験とかで,現物がそこにあって,そして言葉というものが加わるので,全く言葉だけの勝負ではないということです。実際に教えるときには,なるべく現物を見せながら教える,なるべく言葉の負担を減らすというように工夫するのです。教案をつくるときにも,言葉の力の弱い子供さんに教えるときには,C,B,Aの面に移しながら育てていくというふうに,この四面の図が今は使われています。英語の教材など,そういうふうにつくられているものが多くなっています。
 [スライド1.e.二言語低迷型(1)]
 皆さんも外国人のお子さんと接していらっしゃると,母語も日本語も両方ともすばらしくよくできるお子さんもいらっしゃるでしょう。まだ日本に来てすぐで,母語はできるかもしれないけど日本語は弱いというお子さんもいるでしょう。それから,もう何年もいて,母語はほとんど分かっていそうにない,でも日本語はもうよくできるというお子さんもいるでしょう。大体この三つのタイプが出てきます。これに加えて一番問題なのが,両言語とも弱い子供たちです。マイノリティーのサブマージョン環境の子供たちの教育で一番大変なのが,この両方の言葉の基礎がない子供たちをどうやって引っ張っていくかという問題です。  いろんな呼び方をされまして,一番先にスウェーデンのHansegard(1972)が初めてセミリンガル*3という言葉を使い始めました。ただ,それが子供にレッテルを張ることになるし,また政治的運動に使われたということで,いろいろ反対意見が出されました。その後いろんな呼び方がされ,ダブルリミテッドとか,私自身は両言語低迷型と呼んだりしてますけれど,2言語ともどうも低迷して,伸びるのに非常に時間がかかる。子供ですから,時間をかければ大抵の問題は解決するんですけれど,時間がかかるんですね。そういう状況のときにどうするかという問題です。カナダのフレンチイマージョン教育でもこういう問題が起きます。そのため,カナダの病院,都会の大きな病院(トロント市の場合)にはそういう問題を扱う箇所までできています。困ることは,やはりどちらの言葉でも勉強がうまくいかない,言葉の力が足りな過ぎるため自分に対する自信がなくなる,そして帰属意識が混乱するという問題です。大体10%から11%ぐらいはそういうケースが出ることを覚悟してなければいけないと言われています。[スライド1.e.2言語低迷型(2)]それで,実際にどう判断したらいいかということですが,この分野の研究はまだ余り進んでいません。北米の場合にはスペシャリストが扱っちゃうんですね。心理学者,分析する人,ガイダンスとかソーシャルワーカーというのが一体になって扱いますので,余り普通の教師の問題にならないんですね。日本人の親はそういう人たちがいろいろテストをしたりインタビューすること自体に非常に不満を感じて,問題がこじれることが多いようです。でもそういう専門家がいるのです。ただ,日本の場合には,まだそういう専門家は育ってないので,皆さんの肩にかかってくる。教師なり,ボランティアが扱っているんではないかと思います。
 [スライド1.e.2言語低迷型の指導例]
 そういう子供たちがどういう行動をとりがちか。皆さんいろんな御経験があると思うんですけれども,年齢的には,幼稚園から小学校3年ぐらいまでにこのような行動パターンがおかしいのが出てきます。上級生,小学校高学年はないかというと,そうではなく心理的にいろんなあつれきがあるために,いろいろなケースが出てきます。例えば,親は日本に来ることにした,でも自分は全然来たくなかった。ブラジルの学校に親しい友達がいて,全然日本に来たくないのに無理矢理来させられた,だから自分は日本語は一切学ぶまいと心に決めていて,分かっているのに一言も日本語を言おうとしない。クラスに座ってるだけ,自分でつくり出した殻の中へ閉じこもってしまうケースもあります。ただ,一番問題にしなければならないのは,幼稚園から小学校3年ぐらいまでの年少児です。静岡県に加藤学園という英語のイマージョンをしている学校があるんですが,そこではスペシャリストを雇っています。こういう問題を扱うスコットランド人の専門家を雇っていて,3年生ぐらいまでは治せると言ってました。どういう行動の特徴があるかということですが,これは私自身がまだ今学んでいるところです。私のカナダでの経験では,やはり日本人の子が現地校にぽんと入れられたとき,いろんな反応を起こすんですね。一つは,言葉ができない,今まで分かってたことが急に通じなくなる,分からなくなる,そうしたときに人間はどうするかということです。子供によっては非常に暴力的になります。こんなにおとなしい子が何で急に暴力を使うのか。結局言葉で言えないだけに,何かを表現しようとすると暴力を使わざるとえないということです。それから,急にお弁当の時間でもないのに,隣の子供のお弁当を食べ始めたという問題が起こったこともあります。とにかく突飛な行動に出るということです。説明ができないんですね。それから,白昼夢という言葉がありますけれど,周りで起こっていることが全然分からない状況にぽつんと置かれたときに,非常につらいんですよね。皆さんも経験あるかもしれませんよ。得意じゃない外国語をみんなが楽しそうに話してて,自分だけ分からない。私などはテレビを見ながら,息子はけらけら笑うけど,私は笑えないという寂しい思いを何度もしてますけれども,そういうときに人間はどうするかというと,その現実からちょっと自分を離れたとこに置く,だから夢見てるように見えるんですね。ちゃんと普通に前を見てるんですけど,頭の中は夢見てる。その場との対話はないという状況。それが1年続く子もいるんです。2年続く子もいる。これはもう非常に苦しい状況ですね。また我慢できなくなってぱっと立って動き出す子もいます。これをボウフラ現象と呼んだ人がいます。どこを歩いていくんでもないんだけど,ただ座ってられなくて,ふらふら歩き出すというので,ボウフラ現象と呼んだのです。そういういろんな行動パターンが出てきますね。
 どうしたらいいんだろうかということですが,これはカナダでの経験なんですけど,カナダにはレセプションセンターというのがきちんとできているところもあります。それは教育委員会がレセプションセンターをつくって,入ってきた人のオリエンテーションをきちんとする。その内容ですが,その一つは母語の語彙テストです。語彙である必要はないんですけど,とにかくそれまでにその子がどれだけの言葉を知っているかというのを知るのがまず第1。そして,それプラス,もし学校に行っていた子であれば,数に対する概念とか,算数がどのぐらいできるかという,大体この二つでその子の学習レベルを把握するということです。これ実際にこういうことをやってる例ですが,このほかに大事なのは,親へのオリエンテーションです。親自身が文化の違うところで教育を受けているために,現地の学校文化がものすごく違う。それをやはり分かるように説明しておくということはとても大事です。それプラス健康管理の問題,その他,生活にまつわるいろいろな情報提供をするのです。日本の学校で先生に,このお子さんは日本に来て何年ぐらいですかと聞くと,答えてくださった先生は余りないですね。うちの学校に来たのは2年前ですとか,うちの学校に来てからは分かる,その前どうだったのかというような情報が余りないようです。教師として,指導に当たる者としては,その子が何歳のときに日本に来たのか,もう何年ぐらい日本にいるのかというようなことは非常に大事な情報ですね。そして来る前に母国の学校で何年ぐらい勉強していたのか,何年ぐらいの学校歴があるかというような情報もとても大事です。日本の学校で外国人児童生徒を受け入れる時の情報入手の方法も,もう少しシステム化されるといいと思います。
 実際に2言語低迷型を判断するときに,私自身非常に役に立つと思っているのが会話をしてみることです。会話をしてみると大体分かります。ここ[スライド1.e.]に絵話と書いてありますけれども,これは一つの例です。この絵は筑波大学の岡崎*4先生がいろいろ工夫なさってこういう形になったものですけれども,それを使ってお話ししてくださいと言ってみました。初めに,「うちには白い猫がいました。猫はごみが大好きです。ある日」とテスターが言って次を続けさせるのです。そうすると,ごみをあさってお魚の骨を見付けて,そして今度はのどが乾いたから机の上にミルクがあるのを見て,そして倒しちゃって,水をこぼしちゃって,そしてお掃除をしているおじさんに怒られた,床を汚してしまったという,それだけの話です。そういう話に対していろいろな答えが返ってきました。一つは,「コップがあった。机に上った。水をこぼした。なめた。掃除。足跡。怒られる」(1年生)。もう一つは,「ごみ,ごみ入る,魚を食べて,そんで水こぼして飲んで,そんでおじさん怒る」(4年生)。もう一つ,「ごみ箱のごみ,全部,白猫,いすの上に机の上,牛乳ある,白猫牛乳飲みます」(6年生)。これらに対して次のような答えもありました。「『お腹がすいたな,ごみの中に行こう』ごみの中に行くと,ごみの中に魚がありました」。もう一つ,「その魚を食べました。『あ,牛乳あったぜ』と取ろうとしたら落ちました。でも,落ちたときになめちゃったんです。食べて外に出て,(外じゃなくて)ごみの中からお部屋の中に入りました。足が汚いので,お部屋をきれいにした人のお部屋の中に行って,お部屋の中きれいにしていたんだけど,足が汚くなって,部屋の中に足の跡がつけました。これでおしまいです。」(3年生)。というわけで,このようにお話の仕方を聞いただけで,いろいろな判断ができます。やはり単文の世界,単語の世界で,それらをつなげるというところまでいかない場合があります。初めに読んだ幾つかはそういうケースで,2言語低迷型の一つの特徴です。会話でも同じように,ぽつんぽつんとしか答えが出てこない。人と対話をしようとしない。このような低迷型の会話を集めてみると,全体の特徴はやはり対話ができないということです。ですから,2言語低迷型の子供に教師がまずしなきゃいけないのは,ボールを投げて受け取るという対話の練習をすること。対話力を付けて,その次に勉強に入らなければならないというふうに思います。
 その指導例を一つ挙げておきたいと思います。やはり北米は移住者の子供を扱って,その歴史がもう40年近くになりますので,いろいろと具体的なアイデアがあります。例えばこの本は,「リテラシー・アンド・バイリンガリズム」*5です。「ア・ハンドブック・フォー・オール・ティーチャーズ」と書いてあります。もうそれは具体的な教案というか,こういうアイデアはどうか,こういうアイデアはどうかというアイデア集です。実際にやってみてどうだったかというのが必ず付いているんです。誰がやってみて,こういう結果ですと。こういう本をどなたか訳してくださると皆さんに役に立つんじゃないかと思います。読む力,聞く力,書く力,分けて書いてありますので,具体的に大変役に立つ本の例です。その中の一つに言語体験アプローチ,「ランゲージ・エクスペリエンス・アプローチ」があります。これはかなり古くからあるものです。ランゲージ・エクスペリエンス・アプローチというのは,まず子供が知ってることを子供に話させて,その言わせたことを先生が文字化する,書いてあげる。書いてみせるという方法です。その書くときに,一つの文章にするよりは,文節でまとめて,こういう小さな紙にでも書いて,後で並べかえられるようにするというんですね。子供と一緒に並べかえながら,一緒に読みながら修正をしていくというのです。その後に,新しい単語があったら,そこにカラーペンで色を付けて,それをカード化して,それで遊ぶとか,それを使って練習するというようなことをするのです。そしてこういう短冊みたいな紙に書いた後,子供がそれをノートに写して,一つの文なり文章にする。そして,みんなの前で発表をするというのです。実際に加藤学園で英語と日本語のイマージョンで,問題がある子に,こういう短冊みたいなものを使って教えているのを見ました。
 では,ここまでで何か御質問,コメント,問題点ありますでしょうか。はい,どうぞ。
 
*1 ランバート(Warren,E.Lambert) カナダのケベック州の州都モントリオールにあるマギル大学の言語心理学者で,バイリンガリズム研究の世界的権威。
*2 ペンフィールド(R.Penfield) カナダのケベック州の州都モントリオール在住の脳外科医。外国語学習において初めて臨界期説を主張した。
*3 セミリンガル 言語環境のため,どちらの言葉も学年相応のレベルに達しないため,学習困難に陥る個人または状況。例えば,北欧の学者スクットナム=カンガズはセミリンガルを「少数言語グループである労働者階級の家庭の児童生徒が社会の主要言語を使用した教育を押しつけられ,しかもその子供の母語の社会的地位が低い場合に生じる現象」と定義している。
*4 岡崎敏雄 筑波大学教授。
*5 Literacy and Bilingualism -A Hnadbook for All teachers Brisk,E.M. & Harrington,M.M.(2000) Mahwah,New Jersey:Lawrence Erlbaum Associates.


参加者 ブラジルの日本人学校に勤務した経験があるんですが。子供さんが幼稚園のときにブラジルに連れて来られて,子供が小学校2年生の段階で,現地校の先生から,言葉が未発達だというふうなことで,実は障害を持ってるんじゃないかというふうな心配があって,私の学校の方に相談が来た。子供を見てなくては分かりませんから,お母さん,一回学校の方に連れて来てくださいということで,たまたま私の学校に外国人担任の経験者がおりました。小学校2年生で日本の学校の子供と比較してみようということでやったわけです。まあ普通でしょうということでやったわけですけども,小さい子供ですので,言葉が分からない環境にぼんと入れられれば,恐らく適応できる子もおれば,適応できない子もおったと思います。たまたま日本人学校が近くにあったんで,お母さんほっとして帰られたわけですが,ここにおられる先生方,外国の子を受け入れ,大変苦労されているだろうと思いますが,そういう子供を見て,やっぱり相談する場所というのがあればいいんではないかと思います。例えば,その子と出会って一番配慮したのはその子と共有できる言葉,共有できる話題,そしてほっとできる雰囲気をつくりながらしていくこと,少しずつ話を出していただく。そうすると,普通の子だということが分かったんですが。特に,日本は割とそういう相談機関というのが,例えばブラジルあたりではポルトガル語しかなかなかないだろうと思いますけど,そういうようなシステムがあるところを紹介されれば少しは先生方も安心されるんじゃないかと思います。ちょっと意見です。

中島 ありがとうございました。はい,そのとおりだと思います。日本がつくってきた世界各地にある日本人学校というのは,この分野,マイノリティの教育の分野ではシェルタースクール*1と呼ばれています。保護する,シェルターという,だから少なくとも現地校にぽんと入れられて,そこで苦しむということはないということです。ですから,消極的なお子さんには保護が必要で,日本人学校というのはその役割を果たしていると思います。一方,実際に異文化体験の質がどのぐらいあるかというと,やはり現地校に行った子供の方が,強烈な質の高い異文化体験をしていると言えるでしょう。でも,そこで失ってしまうものもあるというので,どちらにするかはお子さん次第だし,また状況次第だと思います。日本人学校には日本人の教育の専門家がいるんですよね。ですから,海外に出た日本人の子供の教育の専門家,また,相談係になっていただけるとすごくいいと思います。日本の場合にはブラジル人学校がどちらかというと,その場しのぎの対応のためにできていて(例えば,日本の学校についていけない子供の受け入れとか),ブラジル人の子供の教育全体を考えてできているというところまでは行っていません。そこをもう少し,行政が積極的に支援をすることによって,救われる子供が随分出てくるんではないかと私は思います。ないものねだりになるかもしれないんですけれども,外国人の子供の教育というのは日本人の手だけではできないので,やはり二つの国が協力して,彼らのシェルタースクールみたいなものが絶対必要だと思います。カナダのようなところは多文化主義の国ですので,それを政府がつくってます。政府が率先してそういう学校をつくることによって,よきカナダ人であると同時に,母語も保持できるという子供が育つと思います。
 ほかにこういう2言語低迷型を抱えていらして困ってらっしゃる……,はいどうぞ。
 
*1 シェルタースクール (Shelter School) 母語・母文化保護学校。


参加者 1のeですね,2言語低迷型(1)ですけども,そこは10%から11%の出現率て書いてあるんですけども,その基準をどこに置かれて10%,11%と言われているのかちょっと分からなくて,僕の感覚からいうと,もっと多いんではないかという気がしてならないんですけども,お願いします。

中島 これちょっと説明が不十分で申しわけありません。この11%というのは,これからお話しする実態調査の中で2言語低迷型と判断せざるを得なかった子供の率です。ですけど,どうしてここに書いたかというと,障害児が出る割合というのが北米で一応11%と言われています。ですから,その障害といっても,聴覚障害とか多動性の障害とかいろんな種類があるわけですけれど,2言語低迷も含めて言いますので,一応その線は覚悟するべきだと,ニューヨークでこういう専門家,スクールサイコロジスト*1で,日本人の子供を一手に引き受けて診断をやっている人がそう言ったんですね。ですから,私の調べたところと非常に合ったので,大体このぐらいは覚悟しといた方がいいんではないかと思ったんです。
 
*1 スクールサイコロジスト (school psychologist) 児童生徒の心理的診断を行う学校心理学者。


参加者 その基準を明らかにしてもらわないと,この10%と11%がどこかと合っているからと言われても,分かりようがないというか。この学習困難,自信喪失,帰属意識にマイナス,これもちょっと分かりにくいんですけど。学習困難というのは,例えばテスト問題を日本人と同じ条件で受けた場合どうなのかとかという,そういう目に見える形でもなく,基準がないと,というと何をもって低迷と言われているのかが分からない。例えば目の前にいる,ああこの子も低迷していると思いますけども,その低迷と思っておるのと,中島先生が考えておられる低迷というのが同じなのかどうかという話がちょっと気にかかるので,それが10%から11%というと,僕の目の前にしてきた子供たちからいうと,その中の10%ぐらいはどの辺で線を切って,この子らは低迷という話になれば,今の子供はその低迷に入るのか,入らないかというと,どうかなという,ちょっと悩ましい問題になっていますので,何か基準があるのなら言ってもらったら分かりやすいかなと思ったんです。

中島 基準というよりは,先ほど申しましたように,全体で300何人かのデータを全部聞いて調べて,その中の組み合わせですね,両方がどの程度できる,両方の言葉がどういう関係かというのを分類して,両方ともある基準に,後でお話ししますけど,その基準というのに見合わなかった子供たち,対話してみたときに,どうも対話力がないというような子供が,全部の何パーセントか出たんですけど,それがそのデータでは11%でした。実際に学習困難というのはどういう状況だと,例えばこの標準テストでこのぐらいだと学習困難と言うというようなとらえ方をしたんではなくて,両方ともどちらで勉強させてもよく理解できない,読めない,書けないという子がいるということを言っているだけで,具体的にこの環境でこういう子供のこれこれを困難児と言うというようなことを,ここでちょっと問題にはしにくいですね。ですから,後で調査についてお話しするときに,2言語低迷型というのはこういう力を言いましたと説明します。先ほどちょっと例を挙げましたが,お話の仕方が,6年生にもなってるのに,単語を並べたようなことしか言えない。その子の読解力を調べたり,聞く力を調べたりすると,やはり非常に低いというようなことから総合的に判断して,両方弱いというふうに判断したんです。実際に皆さんが抱えていらっしゃる子供たちの中で,そうじゃないかなと言っても,片面(日本語)しか普通は見られないわけで,日本語を教えていらっしゃる場合には日本語を強めてあげる以外にないんですね。でも,小さいときから,4,5歳ぐらいから母語も強めることによって,日本語でこういう子供が出にくくなる,少しは予防できるんではないかというので,今日はその点に焦点を合わせたいと思ってるんです。お答えになってるとは思わないんですけど,その基準と言われても,多面的なので,ここでちょっと詳しくお話できなくて申しわけないんですけど,先に進ませていただいて,またこの点に戻りたいと思います。
 ほかにどなたか,どうぞ。

参加者 2言語の相互依存性の図で,L1,L2が一緒のところに入っているんですけれども,その考え方からいうと,例えば2言語低迷型で既に臨界期を過ぎている子供が,母語がもう既に弱くてという,抽象概念などを母語で獲得していないような子が中学生で,学習のためにそういった抽象概念を日本語で直接獲得した場合に,それを母語でもう一回後付けでサポートすれば,その2言語低迷型から抜け出すことは可能でしょうか。

中島 そうですね,理論的には双方向という考え方ですね。でも,現実の問題としては,一方向なんです。というのは,刺激の量が違うんですね。L1への刺激はものすごく少ないですね,接触量が少なすぎる。逆にL2は多過ぎるんですね。プレッシャーもかかるぐらい多過ぎる。そうすると,L1で持ってるものはL2に移行しやすんですけど,L2で獲得したものはなかなかL1に移行しないという現実の問題があります。だから,バキューム*1の中で言葉を育ててるわけじゃないんで,その周りの言葉の状況とすごく関係があります。私などはカナダで親の会をつくりました。やはり日本人だから日本語を育てたいんですね。家の中で子供に日本語を使わせる努力を一人でしていると,親の方が疲れちゃうんですね。ですから,親同士協力し合わなきゃならない。そういう親の会と同時に,日本語学校もは幾つかできました。皆さんのやってるボランティアのようなものが発展して,日本人,日本人と言っても,駐在で来てる人から移住で来た人までいろんな人,国際結婚の人まで入りますけれども,日本語学校が建ちます。私のいたトロントには七つの日本語学校がありました。これは目的によって違います。補習校が一つ,そして先生も日系人で英語で日本語を教えるところが一つと,その中間の学校が五つですね。その一つは補習校を追いかけようとする学校です。補習校を追いかけるということは,光村の教科書の75%を学ばせる。補習校は100%学ばせようとするんですけど,それは無理だというのは分かっているので75%,ものすごく漢字を勉強させます。あと二つ同じような学校があったんですけど,それは50%,光村の教科書を使うということです。上下ありますよね,1冊を1年でやるんです。普通の日本の学校は2冊やるんですが,それを1年ずつやる。ですから,これを50%使用と言います。そうやって(土)の午前中を使って日本語の学力を付けていこうとするんですね。そういうところで実際に子供の日本語力を調べてみるとこういうことがありました。日本語でお話などをさせると随分良く話します。でも,段落がなかなかできないんですよ。ふだん親と簡単な会話をすることになれてるのですが,まとめて何か話そうと思うと,なかなかまとまらないんです。説明にしても同じです。「何々したら」の,「たら」,「たら」というのが16回続いたというような話し方もありましたけれど,まとめることがなかなかできない。また,その子たちの英語を調べてみると,同じような傾向が見られるんです。これをそれじゃどっちを直すか。実際,英語は学校で指導をきちんと受けているはずなんですね。でも,それがなかなか日本語に転移してこないんです。日本語で意識化した場合にはどうでしょうか。カナダで育つ場合には英語の方が得意になりますから,日本語で苦労をしているので,日本語で直すと意識して学習をする。多分それが英語にも転移するんではないか。ちゃんとそれ実証的にやったことないんですけど,私たち教える側はそういうふうに思いましたし,実際にそうなんではないかと思います。ですから,転移というのは理論的には双方向なんですけれど,実際は接触量がものすごく違うので,接触量が少ない方の言葉で教えた方が多い方の言葉への転移が多いということです。だから,低迷型の場合は,母語を強めた方が日本語への転移が期待できるということですね。日本語を一生懸命強めてもなかなか母語へは転移しないのです。もちろん,それは母語のレベルによりますよ。もう母語がほとんどなくなってる場合には,日本語を強めるほか仕様がありません。これでよろしいですか。
 それでは次へ行かさせていただきます。
 [スライド2.実態調査から(1)]
 実態調査二つを皆さんに御紹介したいと思います。一つは,国立国語研究所がやった調査です。詳しいことはお話しする時間がないと思います。一つ訂正ですが,この中国語話者の人数がちょっと間違ってまして,中国語話者を112名にしてください。どちらも中学生がすごく少ないんです。22名ずつです。ですから,大半が小学生です。1年生からです。幼稚園が全然入っていません。私が今日お話しするのは,会話と語彙テストの結果です。そのほかに読解力や聴解力をやりましたが,それは筑波大学の岡崎先生が担当なさいました。そのほか幼児の語彙調査について築樋先生にお話ししていただきますけれど,日本語の方は結果をお持ちですけど,母語の方はまだ計画中で結果が出ていません。それで,まず会話力テストなんですけど,ちょっと今皆さんにテープを聞いていただきます。この子供の対話を聞いて,テスターがいろんな質問をして,答えています。この会話を聞いて,このお子さんが日本に来て大体どのぐらいたっているかというのを想像してみてください。
 
*1 バキューム (vacuum) 真空。


<テープ聴取>

中島 はい,一応ここまでがここの導入会話というところです。そして,どうですか,どのぐらいだと思いますか。中国系のお子さんです。何年生かというと5年生。どうですか。何年ぐらいたっていると思いますか。いかがですか。

参加者 「歌とかなんか」という子供たちがよく使っている言葉が入ってたので,2年か3年ぐらい。

中島 2年か3年。これがまだ1年,12か月のお子さんです。大学生に私教えてますけど,12か月ではとてもとてもこんなところまでは行かれません。ですから,子供というのは本当に言語資源だと思います。環境を与えれば非常に早く言葉を学んでいく。ところで,文法の間違いに気が付きましたか。発音の方は母音がちょっと短いところがあったようですけど,文法の間違いはないようですね。ところが,この被験者に実際にお話をさせると文法の問題がたくさん出てきます。ですから,表面的に流暢だというのはこのレベルのことを言うんですね。非常に短い会話のやりとりはスムーズにできるんだけど,実際に一人で話す力が本当にあるかというと,いろいろ問題が出てくるということです。
 次に,これを聞いていただきたいと思います。この会話テストは,この後,語彙テストをしています。56の語彙について聞いています。その後,日本語が余りできないお子さんのために,テスターができないなと思ったら,さっと文型中心のテストにかえます。このお子さんの場合にはかなりスムーズにいきましたから,文型中心のテストには行かないで,対話テストをしました。その対話テストというのはロールプレイ*1です。それをちょっと聞いていただきたいと思います。
 
*1 ロールプレイ =ロールプレイング。現実に似せた場面で,ある役割を模擬的に演じること。外国語の運用能力を高めるため,また,カウンセリングなどの学習の手段や,心理療法の治療技法としても用いられる。


<テープ聴取>

中島 というようなので,初めは「伝言」です。「もしもし何々さんのおたくですか」と言ってテスターが伝言を残して,今度お母さんが帰ってきて,「ただいま,何か電話あった」って言って,お母さんにその伝言を伝えるというタスクです。その次が「ねだる」というロールプレイで,テスターが「私はお母さんです」と言って,この場合にはパソコンが欲しいと言ってるんですね。伝言のロールプレイではテスターが敬語を使います。敬語がどのぐらい分かるかというのも見ています。次の場面は,お母さんにねだりますから,「です・ます体」は使わず,「だ体」になるのが普通ですね。その次は「問い合わせ」です。スイミングプールに電話して,いつ開くか,幾らかかるかというようなことを聞くというような状況カードがつくってあります。それには絵を使っています。例えば「ねだる」ときの絵はこういう絵です。これはお父さんにねだっているんですね。男の子の場合はお父さんです。これは「伝言」です。状況は全然説明しないで,これを見せて,「私は何々です」と言ってロールプレイに入っていきます。以上が対話タスクで,その次は認知タスクです。まず物語です。物語カードを見せます。このお子さんは「3匹の子豚」の話をしました。それをちょっと聞いていただきたいと思います。
 さて,語彙テストの方はどうだったか御覧にいれましょう。[スライド2.a.実態調査から(語彙)]これはポルトガル語の子供たちです。ポルトガル語話者の語彙の力です。語彙というのは,こういうふうなカードがありまして,そこに絵がかいてあって,1枚ずつ,これは何かと聞いていきます。形容詞になったら聞き方をちょっと変えます。動詞になっても聞き方を変えていくという形です。それで,全部の正答率を出したところ,三つのグループに分けまして,小学校低学年,高学年,中学生にしますと,このグラフのような結果です。ここで非常におもしろいと思うのは,小学校高学年や中学生は滞在年数と同時に正答率が上がっていきます。ところが,低学年は上がっていかない。1年生で5年も日本にいるということは,生まれてすぐ日本に来たということですね。6年以上ということは現地生まれということです。ですから,幼児期を日本で過ごしている子供たちは,日本に来てすぐの子とほとんど同じ力であるということです。だから,日本にいる滞在年数が長いにもかかわらず,日本語が伸びてないということがこの図で分かります。
 カナダで日本人の子を対象に調査したときも同じ結果でした。幼児期を海外で過ごすと,幼稚園へ行ってる子は現地語が伸びそうなものなんですけど,なかなか伸びていないということがありました。もちろん状況はちょっと違いますけれども,同じような結果が出てきました。自分の国の学校で1,2年きちんと勉強をして日本へ来た子供の伸びの方が早いということがあります。
 [スライド2.実態調査から(会話力)]
 今度は会話力です。会話力といってもどう採点するかによって非常に違います。まず,会話の量です。どのぐらい話すか,質ではなく量,つまり,ある質問に対して正しく答えた量を全部足したものを発話量として一つの表に全員並べてみるとこの散点図になります。これで分かることは,1,2年の間はものすごい個人差がある,だけど大体2年ぐらいたつと,上位の方に上がって行くということです。ですから,大抵会話力は2年ぐらい習得されると言われてますね。そして,学習言語の方は5,6年と言われてます。その2年ぐらいかかるということがこのグラフでも分かります。これを低学年,高学年に分けて見ますと,これが低学年,これが高学年です。もちろん同じテストをしています。テストは先ほど言ったように,テスターの言葉を全部決めてありますので,答えが比較できるようになっているわけです。それで比較すると,やはり量からいうと,小学校1,2年は低いんですけど,ここでやっぱり問題になるのは滞在年数です。つまり,幼児期に日本にいた子供たちがかなり低迷する傾向があるということです。今度は会話力の質です。大体OPI*1の基準を参考にしまして,六つの段階に分けてみました。先ほどのお子さんは,初めの方はスムーズなんですけど,だんだん会話が込み入ってくると文法的な間違いが,中国人らしい間違いが出てきます。そうしますと,私が採点をするとしたら,まだ「会話ができるが誤用が多い」ので,3[中級中]と4[中級高]の間という感じです。かなりスムーズなんですけど,まだ誤用があるという感じです。来日してすぐはまだ単語でしか答えられない初級の段階。それから,単文で少し答えられるようになる,でもまだ不自由。それから,文法的な間違いはあるけど,ある程度通じる,そしてやりとりがスムーズになる。次に,説明などができるようになる。この5[上級下]の段階になると,多分教室の中である程度先生の質問に答えられるようになる。だから,5のレベルというのが一つの目標になると思います。もし取り出し授業から母学級に帰す時の基準は何かと言ったら,多分5だろうと思います。6[上級中]になると丁寧さ意識が加わります。やはり中学生ぐらいになると,敬語に対して,聞いて分かるだけではなくて,自分の方から,「どちら様ですか」というような敬語表現が出てきたりします。でも,それは社会性の発達と非常に関係があって,これはやはり年齢が上がらないと出てきません。
 このスケールを基準に,大体5のレベルに行くのにどのぐらい時間がかかっているかというのを調べてみました。そうしますと,この棒グラフがポルトガル語です。これが中国語です。随分違うんですね。ポルトガル語が母語の子供たちは5のレベルに行くのにやはり平均して5年とちょっとかかっています。そして,4に行くのにもかなり時間がかかっているということが分かります。中国語の方は逆に5のレベルへ行くのに4年しかかかってません。これは多分,中国語の場合には留学生の子供が入ってるとか,それから帰国孤児の子供も入っているとか多様性があるので,こういう結果が出たのではないかと思います。でした。もう一つ特徴があるのは3のレベルです。中国語の場合に1年半ぐらいで誤用がほとんどなくなっていくのに対して,ポルトガル語の場合には,3年ぐらいまで誤用が続くという結果でした。ですから,母語によって,またそれから来ているグループの質によっても違ってきますけれども,大体一応生活のための言葉の獲得には2年ぐらい,それから学校の勉強についていくための会話力というと,やっぱり5年から6年かかっているということが言えます。
 母語の方はどうかといいますと,これがポルトガル語が母語の子供たちの状況です。当然母語は日本にいる年数が長くなれば長くなるほど落ちるだろうと思いますよね。これで見ますと,やはり小学校低学年のうちがその低下が一番激しいです。カナダでの調査の結果ですと,ちゃんと親がしっかりしていて,母語で勉強もすれば4年もつと言われてますけど,ここでも大体,中学生は,ここにちょっと変な溝ができましたけれど,大体こういう流れで,4年ぐらいは保持可能なのではないかと思います。
 今度は,日本に入ってきたときの年齢との関係です。入国年齢が10歳以上だと,ほとんど50%以上母語の会話率は保持できますね。ただ,5歳以下あるいは6歳以下の場合には非常に早くなくなっていきます。そして,家庭によっては非常に保持率が高いグループとそうじゃないグループがあって,保持率が高いグループの方が非常に多かったということです。これを見るとそれが分かります。結局,幼児がダブルパンチに遭っているということです。日本語の習得もうまくいかないし,母語の後退も非常に早いということですね。
 今度は母語の読解力です。ちょっと訂正が必要なんですが,「母語が話せるが読めない子供が多い」と「が多い」を加えてください。これは岡崎先生がおつくりになったテストですので,テストの内容については詳しくお話できないんですけれども,易しいものから難しいものまで入っている日本の国語教育と関係がなくつくった読解のテストです。これは学年の差もかなり出たと思います。これで見ますと,ポルトガル語話者はやはり学年を追って母語の力が高くなっています。それに対して中国語の方は,3年生を境に4年生以上は非常に読む力を保持しやすい。でも,それ以前は同じような状況が見られます。驚いたことは,母語の読解力がゼロの子が非常に多かったことですね。会話はできるけれど,読み書きはできない子が多かった。日本語は余り読めないけど,母語ではもっと読めないという子が多いということです。これは母語教育をすれば何とかなる分野です。
 さて,何を調べたら一番効率がいいかというようなことから言うと,まず語彙というのが会話力との相関も高いし,読解力との相関も高いので,語彙を調べるというのは非常に効率がいいんではないかと思います。このように全部有意の関係が出ました。
 それから,滞在年数,入国年齢との関係ですが,今まで言われているのと同じことが確認できました。つまり,日本語力は「何年日本にいますか」という質問に対する答えで大体分かるということです。それから,母語の力は,「何歳で日本に来ましたか」と聞くと,大体その答えで予想がつくということです。
 次は,見にくくて本当に申しわけないんですけど,中国語話者が3年ぐらいで誤用がなくなると言いましたね。それをもう少し詳しく言いますと,大体初めの15か月と次の15か月ではちょっと問題が違って,やはり助詞が落ちるという問題が一番多い。次が動詞の活用の問題,そして形容詞,形容動詞,特に過去形とか動詞のて形が問題ですね。中国人がすごく不得手なのは,このスタイルを変える,「です・ます」から「だ体」に変えるとか,そういうのがすごく不得手でしたね。
 [スライド2.a.実態調査から(物語)]先ほどの「お話」なんですけれども,全体で87名の子がいろいろなお話をしてくれました。これは中国人の場合ですけどね。全体112名のうちの97名がお話ししてくれて,その中でやはりアイデアがなくて,先ほど見せた「猫の話」を使ったのが一番多かったですね。全体の37%で38名です。どちらのグループも「3匹の子豚」が圧倒的に多くて,あと「なし」というのは,これは題名なしです。自分で考えたとか,詩の朗読が入ったり,国語の教科書の話をしたりとかというのです。
 この「お話」ができるというのは子供の力の特徴で,皆さん外国人の子供を受け持っていると,作文なんか書かせられるんだろうか,作文なんてとても無理なんじゃないかと思われがちなんですけど,こういうお話などをさせてみると,やはり子供が持っているストーリー性に対する敏感さには感心させられます。非常にお話好きですね。大人にこれをやらせようと思ったら絶対無理なんですね。映画の話をしてくださいなんて言っても,なかなかできません。中学生になると,まとめちゃいますね。「桃太郎」という話はこういう話ですよなんてまとめる。でも,小学生は詳しい話をするのが大好きですから,非常にいいデータが得られると思います。間違いもよく分かりますし,力がよく分かります。先ほどお聞かせできなくて本当に残念です。先ほどの猫の話でも,大変よくできたお話などは,例えばこういうふうになります。これは3年生の女の子ですけれども,中国人ですが,まだ日本に来て2年です。「ある屋敷に一人の猫がいました。猫はごみ箱に突っ込んだり,ごみ箱の中のごみの魚を食べたりします。猫は水を飲むときコップを倒して,そのコップのこぼれた水を飲んで,おじいさんが見るとぐしゃぐしゃなので片づけました。猫は足を床にぴっかぴかになった床を汚してしまいました。」もちろん会話ですから,ダブったり,変なねじれ文があったりしますけれども,この子は多分本をよく読んでる子だからこういう話ができるのでしょう。もう一つは,「白い猫が木村さんの家に突然あらわれて,ごみ箱の中にお魚のにおいがしたから,猫はそのお魚の骨を食べていました。猫はお魚を食べ終わりました。その机の上に水がありました。その水を飲みたいと思って,机の上に上りました。そして,飲めないので,コップを倒しました。そして,水はこぼれて,木村さんが,ええと何だっけ,怒って怖い顔をしていたから,猫は怖がって逃げました。」同じ絵ですけど,これだけお話がまとめられるというのは大変な力です。この子供は6年生で,日本に3年,8歳のときに来たお子さんです。ですから,8歳までに母語である程度の読み書きの力がついていたお子さんの例と言えます。
 それでは,実態調査のもう一つの方,築樋先生,お願いします。
 
*1 OPI (Oral Proficiency Interview Test) 米国の外国語教育の教師団体ACTFLが開発した言語の口頭運用能力を面接テストによって調べる方法。その査定基準をOPIガイドラインと呼ぶ。


築樋 愛知県の豊橋市の教育委員会で外国人児童・生徒の教育相談員という仕事をしております築樋と言います。よろしくお願いいたします。
 今日は中島先生の方から,豊橋で行われました外国人の小学校1年生の外国人児童に行いました語彙調査についてお話をするようにというふうに言われましたので,少しお話をします。ただ,言いわけになるんですけども,このお話をいただいたのが10日ほど前でしたので,先生とちょっと細かい話の打ち合わせができませんでしたので,先生のお話とはうまく呼応しないところがあるかもしれませんけど,よろしくお願いします。
 初めに,なぜ語彙調査を行うことになったかという語彙調査に至る前のことを説明したいというふうに思います。私は現場の人間ですから,現場のことはなるべくたくさん皆さんにお伝えしたいと思います。豊橋は,御存じの方もおられるかと思いますが,南米日系人の集住都市です。市内の公立小・中学校に平成16年度4月7日現在で745人の外国人の児童・生徒が在籍をしています。特に,ここ数年は新1年生が100人を超えるという状況になっていまして,外国人児童の集中校では新1年生に20人近い外国人の児童が入学するようになっています。その中には日本生まれの児童も非常に多くなっているんですけれども,日本で生まれ育っていても日本語が分からない場合が多くて,毎年100人も入ってくる子供たちの実態が調査されていない,全体像がつかめていないということで,ちょっと1年生に語彙調査をした方がいいんじゃないかというのがまずその語彙調査に至った一つの理由です。
 それから,第2点は就学時健診の問題というものがありまして,先ほど学校主事が非常に大勢おられましたので,就学時の健診については御存じだとは思うんですけれども,子供が学校に入学する前に,前の年に就学時健診というのを行います。この就学時健診では,学校保健法に基づいて内科,歯科,聴力,視力の検査とさらに発達検査が行われます。市教委にはポルトガル語の母語話者の相談員というのが7人おりますので,この就学時健診にもお手伝いに伺って,日本語が分からない子に対してはポルトガル語を介して発達検査を行っています。ところが,この発達検査がちょっと問題というか,課題がありまして,一般的に使われているのはTK式就学児童用発達検査というもので集団で行われます。ここにあるものですが,これが検査の第1問目です。語彙の問題で,語彙の獲得の程度を手掛かりとして言語的能力を見るという検査です。ここでの指示の言葉というのは,この絵を見まして,ちょっと読んでみますね。「四角の中にいろいろな絵がかいてありますね。初めから順番に名前を言ってみましょう。ライオン,チョウチョウ,リンゴ,ラッパ,ニワトリ。では,この中で一番初めに「ら」がつくものは何でしょう。「ら」のつくものに鉛筆で丸を付けてごらんなさい」と言って,子供が丸を付けましたら,「そうですね,ライオンですね,皆さんのライオンにも丸がつきましたか。ではもう一つ,「ら」のつくものがあるでしょう。そう,ラッパですね,ラッパにも丸を付けましょう」というものなんですね。これはポルトガル語とかスペイン語の子は,幾ら通訳を介しましても,もう既にライオンが「ら」ではない,「ヤオン」とポルトガル語で言いますので,そこで非常に混乱をいたします。発達検査を通訳の方が入る形でも,実際はその検査の結果については余り信用できないといいますか,学校の方も処理に困ってしまうという状況があります。それで,もう少しこの検査のところを,語彙の調査のところを詳しくやってみたいというのが第2の理由です。
 それから第3に,入学をした1年生の中から,どの子供を日本語指導の対象にするかという問題がありまして,市教委では昨年度,外国人教育に関するアンケートというものを行いました。それで,そこに外国人の生徒を持っている学級担任の348人にとったアンケートの中で,「どのような条件が合えば国際学級を担当してもいいですか」という質問に対して,「通訳が常駐する」が40%,「指導方法が明記される」が41%という結果でした。2番目のところなんですが,結局学校の先生たちは国際学級の担当になりましても,国際学級というものが非常に特殊なところなものですから,最初4月のころは非常にばたばたされて,どういうふうな指導をしていいか分からないということがあります。ところが,今年度豊橋では小学校の場合,9校に国際学級の加配の先生が16人配置されまして,その中で9人が新しい担当者でした。だから,半分以上の先生が新しい先生ということで,市教委としましては,そういった先生方の支援をするということで,ちょっと語彙調査のようなものも必要ではないかというふうに思ったのが第3の理由でした。
 それからもう一つは,豊橋は非常に新しい子がたくさん入ってくる地域でして,今年度の1学期だけでも48人の外国人の子供が転入してきています。その48人中,日本語が分からないという子が32人でした。1学期に32人日本語の分からない子が入ってきている。その子たちを市教委の受け入れのところで語彙調査をしたり,先ほど中島先生がお話しされたように,学習歴だとか生育歴だとか,そういったものを若干調べて,入り口のところのケアを十分にしていきたいという思いもありまして,そのためには語彙調査というのも必要であろうと。ただ,非常にそれが難しい,学年によって難しいものですから,とりあえず1年生で試行テストのようなものをやってみようということになって,非常にいろんな条件がありまして,いろんな話が混沌とした中で,とりあえずは見切り発車のような形で1年生の語彙テストをやりました。
 この語彙テストですが,なかなか同趣向のテストというのが身近になくて,自分たちで語彙を選んでつくりました。豊橋市の教育委員会では,平成15年度にこういった会話集をつくりまして,これはポルトガル語,日本語会話集で,この会話集をつくるに至るまでに,市内の学校で,学校で使われている言葉とか,あるいは子供用の日本語テキスト,『ひろこさんの楽しい日本語』だとか,『日本語学級』とか,そういった日本語テキスト,あるいは小学校の教科書の語彙調査を行いまして,その語彙調査の中から必要だと思われる言葉を1,800語選んでこの会話集をつくりました。ちょっと中を開けていただいて,どのページでもいいですが,ここにはいろいろ単語が出ているという形で作りました。こういったものを作りましたので,市教委の中には,とりあえず1年生のレベルの語彙で集中したテストを作るということが自分たちの力でできるという基盤ができておりまして,それでこういった調査に乗り出していこうということになりました。テストは100語程度の言葉を選んで,コンピューターで絵カードを作って,その絵カードをもとに調査を行いました。(カードをちょっと見せてください。)この絵カードはコンピューターで絵を入れまして,名詞カードに打ち込みまして,それを細かく切って,ラミネートで加工して作りました。ほとんど1,000円以下でできるものですから,予算がなくてもできるということで,こういったもので100語のテストを行いました。調査は4月,5月に1対1の対面で行いました。そのときにできる限り就学前の状況,例えば日本の保育所に行っていたとか,ブラジル人の託児所に行っていたということや,在留年とか家庭の使用言語について聞き取りもしました。初めは100語もありますから,子供が飽きて駄目なのかなというふうに思いましたけども,カードそのものがカラーということもあって,子供は非常に楽しく協力的にできまして,もっとやりたいという子供もいました。このテストの結果は,皆さんにお配りしました紙に付いています。全体では1年生が103人いたんですが,実際調査ができたのは65人だけでした。ここに1番,2番と番号を振ってあるのは子供のナンバーで,正解率と小学校入学前,あと在留年,国籍というふうにまとめました。下の段には語彙別の正解率を載せました。
 簡単な検査だったんですけれども,この中で幾つかの課題が見えてきました。まず第1点は,就学前にブラジル人託児所で過ごしていた子供は,日本で生まれ育っているにもかかわらず,日本語が分からない子供が多いということです。語彙テストの正解率の平均が,日本の幼稚園や保育所の経験者が67.5%で,託児所や自宅で過ごしていた子供は27.6%でした。例えば32番の子供は在留年が5年ですが,託児所で過ごしていて,正解率が30%ということですね。ですから,託児所から来る子は非常に正解率が低かったということ。それから第2点は,日本語が非常によく分かって,テストの間に一見会話のキャッチボールができるように見える子供でも,正解率が100%の子供というのは非常に少なくて,教科学習に移行する場合に支援が必要だろうということでした。それから第3点は,日本語が堪能な子供の中には,家庭内で既にもう日本語を使っていて,保護者のうちどちらかが日本語が分からない場合,この年齢で既に家庭内のコミュニケーションが成り立っていないという状況が生まれているということでした。それぞれの3点について若干詳しく説明をします。
 まず最初に,就学前にブラジル人の託児所に行っていたということです。ブラジル人の託児所は集住都市にはたくさんできていて,ブラジルの人が経営するブラジルの子供のための保育施設,認可外保育なんですが,そういったものです。豊橋では,1歳から5歳までの就学前の子供,ゼロ歳はちょっと分からないんですが,就学前の外国人の子供が外国人登録で約1,000人います。その中で市内の保育所に在籍しているのは350人です。私立の幼稚園にも何人かは行っていますが,それは余り大きな数ではないと思われますので,単純に引き算で実数が出るとは思いませんけれども,1,000人引く350人のおよそ600人の子供は日本の保育所や幼稚園に行っていないということになります。外国人の保護者の方は,子供が小さくても働かなければならない環境におられますので,子供たちの多くはブラジル人の託児所,あるいは個人のアパートでの保育というようなところに行っていると思われます。私たちは2学期にその託児所についても若干の調査をしました。市内には送迎バスを持っている比較的大きな託児所が10か所ほどあります。その託児所の多くは,かつて別の目的で使われていた,例えば倉庫や自動車整備工場などを施設に使っており,子供が100人近くいても,トイレが1階に一つ,2階に一つというようなところとか,災害時の避難経路が確保できないとか,運動場がなくて外で遊べないとか,絵本が全くないというように,施設とか整備の面で非常に課題があるという場合が多いです。さらに,幼児の数に対して保育者が少なくて,その保育者もほとんどが資格を持たない人たちです。ブラジルで幼児教育の経験があるという方は非常に少ないです。施設でやる保育内容などというのは年々改善されてはいるんですが,経営内容が悪いところだとか,評判が悪いところは淘汰されている傾向にはあるんですけれども,それでも設備基準がしっかりしている日本の保育所とか幼稚園と比べますと,まだまだという感じのところです。また,ブラジル人の託児所は保育時間が非常に長いということが特徴でして,朝の6:00ごろから夜の20:00ごろまで1日14時間以上をそこで過ごすという子供がおります。この託児所ではすべてがポルトガル語で会話をされていますから,ここで日本語を学ぶということはありません。ですから,日本で生まれ育っても,本当におっぱい飲むぐらいのところから託児所に入って,朝6:00から夜の20:00ぐらいまで預けられてという環境から来ている子たちは,日本の社会の中で住んではいるんだけども,日本の教育システムと別のところに,託児所,ブラジル人学校というような教育システムがしっかりもうできていて,そこの中で暮らしてきていますので,日本語というのはほとんど分かりません。先ほど中島先生がボウフラ現象とかというようなことを言われましたけれども,設備の面だとか保育内容の問題などということから,学校にその託児所から入学しても,授業中席に着いていることができないだとか,集団のルールが身に付いていないということもあります。私は保育の専門家ではありませんけれども,小学校の問題はもう既にその保育の状態から始まっているということは確かであるというふうに思います。
 次に,第2の結果として,全体として語彙力が低いという点について少し話します。100語の語彙の中には,正解率が60%以下の語彙が幾つかありました。この表の下のところを見ていただくと分かると思いますが,1段目の段,例えば「はさみ」は80%の正解率なんですけれども,「筆箱」というのは46%でした。これは多分,保育所では日常的にはさみを使いますけれども,筆箱というのは学校に入って初めて使うものの言葉なんですね。ですから,子供たちは一見日本語は非常によく話せるように見えましても,実は狭いテリトリーの中で日本語を学んできていますので,分からない言葉がたくさんあるということです。あるいは形容詞の「長い」が32%,「新しい」が38%,「高い」が34%と非常に正解率が低いです。児童の答えとして多かったのは「でかい」という言葉で,「大きい」も「長い」も「高い」もすべて「でかい」という一つの言葉に表されていまして,それぞれの例えば「高い」とか「長い」とか「大きい」という概念がどこまで子供の中で言葉として入っているのかなというのはちょっと疑問に思いました。でも,小学校1年生の算数の教科書ではもう既に「長さ比べ」という単元がありますので,こういった言葉しか持たない子供がその「長さ比べ」の単元のところで,概念と言葉を一緒に覚えていくというのはかなり難しいであろうというふうに思いました。それから,日本語は音として入っているけれども,1対1の物と音とが対応していない。例えば「赤」を「青」と言ったりとか,「おばあさん」を「おにいさん」と言ったりとかというような間違いというのが非常に多くありました。
 日本語が分からない1年生の国際学級の取り出し時間というものは,多い子で1週間に5時間,少ない子で,全く言葉が分からなくても1,2時間ということです。それで,前に述べたアンケートですけれども,アンケートの中で,国際学級の先生にTT*1の指導,入り込みの指導についてどのくらいの時間がとれますかというアンケートをしているんですけれども,1,2時間しかとれないというのが7人,3,4時間が3人,5,6時間が3人,7,8時間が一人ということで,ほとんど入り込みの指導はできないということです。語彙の少ない1年生とか言葉の分からない1年生が,1年生の学習内容を十分に理解することなく2年生に上がっていくということで,またその子たちが2年生に上がっていったときには,また100人の1年生が大挙して押し寄せてくるという非常に悪循環なことになっておりまして,これが多分学習が身に付かないことの一つの要因ではないかなと思います。
 こういったことで,やはり託児所で日本語を教える時間をつくるといった就学前の指導ですとか,文化庁が行っている親子参加型の日本語教室,豊橋ではNPOのフロンティア豊橋というところがやっていますが,そういったものだとかというのが有効ではないかと思いますし,学校サイドでは,1年生を集中的に指導できる体制というのもこれからは必要であろうと思います。
 最後にもう一点,母語についてですけれども,母語を忘れてしまって保護者とコミュニケーションがとれない子供というのは非常にたくさんいるんですけれども,今回のテストでも,小学校1年生にもかかわらず,「お母さんは日本語しゃべれんよ」,「僕はポルトガル語は分からんよ」というように堂々と言う子供が何人かおりまして,その子たちのその状況というのは今後のことを思いますと,非常に危機感というものを感じました。また,学校の先生方からは,両方の言葉が話せるという子供でも,学校からの連絡を子供が保護者にポルトガル語で伝えることができないというふうに指摘をしておられますので,子供自身が僕は日本語もポルトガル語も分かるというふうに言っていても,実際にポルトガル語,母語の力というのはどのくらいあるかというのはちょっと分からないなというふうにも思いました。
 それで,今後は今回行いましたこういうテストと同じものを使いまして,母語の方の調査もしてみたいと思っています。こういったことは非常に,これから先また外国人の子供のベビーブームが続くわけですので,増えてくる課題だというふうに思います。まだ豊橋の場合は非常に混沌としていてうまくいかないところもたくさんありますので,またいろいろ教えていただけたらというふうにも思います。ありがとうございました。
 
*1 TT(team teaching) 複数の教師が指導計画の作成,授業の実施,教育評価などに協力してあたること。


中島 どうもありがとうございました。とてもきれいなカードなんですね。カラーが鮮やかです。そしてこれを使わせていただくこともできるんですよね。

築樋 はい,これは絵自体は教育雑誌の付録についているような絵ですので,商売とかそういった目的には使うことはできませんけれども,CD-ROMに入れてお送りすることができますので,それを名詞カードに印刷していただいて,そのまま使っていただけたらと思いますし,同じ情報を共有できればいいなと思っています。

中島 ありがとうございます。是非そういう共通のツールを使って情報を収集して,だんだんにそのツールをよくしていくというふうにできたらいいと思います。
 時間になってしまいましたので,最後にちょっと駆け足で,読んでいただければいいことですが,スライド2.aは豊橋の語い正答率と託児所の問題です。世界各国で同じような問題がありまして,エスニックキンダーガーデンとか,エスニックナーサリーというのは必要不可欠なものというふうに私は思ってます。就学前の準備をきちんとしないと,学校に入ってからだともう先生の手に負えないというところがあります。この点は日本でも是非これからやっていくべきことの一つであり,それが今日のテーマです。そこでやるべきことは日本語を一部教えますけれど,主に母語を強めるという機能を持つものです。母語というのは先ほど言ったように,土台になる言葉づくりと考えていただきたいんですね。どういう意味があるかというのはスライド3.aに書いたとおりです。そして,望ましい親の態度をスライド3.cにまとめておきました。託児所や,また文化庁がやっていらっしゃる親子のプログラム,こういうところで教えられると思うんですけど,親には啓蒙が必要です。普通の親は,特に初めてのお子さんの場合,異文化環境で子供を育てるということのノウハウは誰も知りません。教えてあげなければならないんですね。両方の言葉が大事であること,そして親が日本語を使っても子供の日本語に大きなプラスはないということです。日本語を親が使うことのプラスと,それから母語を失うことのロスとを比べると,母語を失うことの方が重みがずっとあるのです。だから,家で親が日本語を使ってやることによってプラスが全然ないわけではないんですけど,マイナスの方が大きい。親の文化と言葉というのはやっぱり家庭で育てるんだというしっかりとした信念を持つべきですね。そして,日本の学校を絶対マイナスに評価しないこと,これは子供は日本の学校で生きていかなければならないので,親がそれを否定的にとっていると,子供はジレンマに陥ります。そこはとっても大事なことです。
 もう一つ,研究分野として大学院の学生さんたちに是非していただきたいのは,言葉を習得すると同時に,言葉を忘れるというメカニズムは何か,これがもう少し分かるようになると,子供がブラジルや中国で習ってきた言葉をどうすれば保持できるかというメカニズムが分かってくる。[スライド3.d.]これは海外子女教育での知見ですけれども,やはり熟達度と関係があるということが分かっています。それから,読み書きの力がなくて,会話力だけでは,すぐ忘れるということも分かっています。それから,文法規則などをきちんと習った方が自然習得よりも保持しやすいということも分かっています。でも,それ以上は余り分かっていませんので,是非研究テーマなどで扱っていただきたいと思います。そして,スライドの3.dの2枚目ですが,やはり年齢と年少者の日本語教育は切り離せません。これも海外子女教育で,子供異文化体験をお書きになった先生などがいろんな研究でおっしゃっていることですけれども,大体9才ぐらいを分水嶺にして,やはり9歳以前の場合は2言語を育てるのは非常に難しい。二つが競争的な関係になって,使い分けを,周囲の大人がはっきりしてあげないとだめだということ,それから9才以上になると,母語保持が可能になるし,そして母語を活用した日本語での教科学習などもプラスになります。
 最後に,親へのアドバイスですけれど,(1)家では母語を使いなさい,(2)母文化を中心に,家の中はその文化の島であるという考え方で母語,母文化を大切にすべきであるこ,(3)それには母語で話しかけ,話し合い,読み聞かせが必要であること,読み聞かせをやってないと,読み書きの発達が遅くなります。そして,(4)もし日本語が苦手なら,家での日本語使用は禁物です。(5)は二つの言葉を使い分けるということがしつけの大事な部分であるということですね。日本人はどうもしつけというと,ごあいさつであるとか,丁寧な話し方になるんですけど,やはり接触言語が一つ以上になった環境で子供を育てるときには,相手によって言葉を選ぶ,そして選んだ言葉できちんと話すというのがしつけの中心の問題になるということです。
 以上です。何か駆け足になって申しわけありません。どうも御清聴ありがとうございました。
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