日本語教育研究協議会 第1分科会

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日本語教育研究協議会
第1分科会 「年少者への日本語習得支援について考える」
大蔵 守久(財団法人波多野ファミリスクール主管)
北川 裕子(NJL日本語教育組織委員会委員長)
芳賀 洋子(地球っ子クラブ・美園代表)

大蔵 皆さんこんにちは。
 それでは,第1分科会を始めたいと思います。この第1分科会ですけれども,「年少者の日本語習得支援を考える」ということで,3:30までこの会を開きたいと思っております。
 この分科会の目的なんですけれども,多様化した年少者日本語習得の支援,これに対応するための知恵を皆さんで出し合いたいと思っています。そして,明日からの活動に役立てるようなもの,そういうものをたくさんお土産として持ち帰っていただきたいと思います。
 分科会の進め方なんですけれども,二つの団体から実践報告をしていただきます。団体の方の御紹介をいたします。まず初めに,秋田県ののしろ日本語学習会の北川裕子さんです。北川さんの方から実践報告をしていただきます。次に,埼玉県さいたま市の地球っ子クラブの芳賀洋子さんから御報告いただきます。二つの団体とも,文化庁の親子日本語教室の委嘱を受けた団体でございます。学外から学内へという支援もありますけれども,学外での支援ということですね。昨日もちょっとお話触れましたけれども,学外での支援ということで頑張っていらっしゃいます。また,親子という新しい取組です。今まで親は親,子は子という形で分けていろいろな支援が行われてきましたけれども,一緒にしてみたらどうなんだろうかと。確かに大変なこともありました。やはり子供が騒いでなかなか勉強に集中できないということもあったかもしれませんけれども,でも子供を一緒にしたことによって見えてきたこともあるようです。その辺のお話を十分私たちとも受けとめていきたいと思っております。
 一つの団体で大体30分から45分ぐらいたっぷりとお話をしていただきたいと思っております。その後,会場から御質問を受けたり,それからやはり会場ではいろいろな活動をなさっていらっしゃる方がいますので,ぜひ挙手していただいて,うちではこんなことをやって,こういうふうにうまくいったとか,ちょっとこの辺は失敗したんだけれども,この辺はどうなんだろうかということを出し合って,先ほど言いましたように,皆さんお土産を両手にたくさん抱えて帰れるようにできたらと思っております。
 時間いっぱいそれを使いたいと思っておりますけれども,もし時間が余ってしまったら,私が時間調整のために若干お話をさせていただきたいと思っています。昨年,こちらの方で年少者の日本語習得のヒントということでいろいろな教材をお見せしましたけれども,昨年いらっしゃっていなかった方のために少しお見せして,閉じたいなというふうに考えております。
 では早速,秋田県ののしろ日本語学習会のお話からお聞かせいただきたいと思います。それでは,北川先生,よろしくお願いいたします。

北川 それでは始めたいと思います。
 ただいま御紹介いただきました北川です。秋田県の能代市から参りました。能代は人口5万4,000人,外国人登録者は290名と少ない町です。登録者の半分ぐらいが企業研修生で,それに外国人花嫁,中国帰国者,留学生などです。興業などで来ている方は割と少ないです。
 私が日本語支援にかかわったきっかけは,14年前,中国残留帰国家族が能代市に永住し,その家族に8か月間日本語を指導したことでした。その家族構成が,今から考えると私にとって非常に役に立ちました。まず83歳の中国の養母,そして50代の残留孤児とその中国の奥さん,そして長男30代の夫婦と5歳の女の子。そして同じく長女30代の夫婦と4歳の男の子。そして次女で20代の前半でまだ結婚していない女の方,そして次男が中国で高校を卒業した18歳。家族とはいえ,年齢層も立場もいろいろな意味で多岐にわたっていました。
 その家族と,たくさんの問題を共有し,手助けしてきましたが,彼らにかかわってきたことで,日本という国で生きていかなければならない人たちの試練や葛藤や悩みが少し理解できるようになり,外国から来た人たちと一人の人間として向き合えるようになった自分がいると私は思っています。子供たちの支援をしなければと気づくきっかけをつくってくれたのが,この当時5歳と4歳だった子供たちと,その後,日本で生まれた兄弟たちでした。
 しかし,かかわりながら私が見えたことは,真の自立支援というのは何でも手伝ってやることではなくて,自分自身で考え行動することができる人たちを育てることなんだということが,私は彼らとお付き合いをして分かりました。そうすると,やはり原点である日本語,言葉を教える,支援するということに戻っていったのです。ですから,私自身が教授法を学んだり,専門的な知識を身につける勉強をしたいと思ったそれが一番の理由でした。
 秋田県は,過疎化・少子化対策の一環として,地域で外国籍のお嫁さんをもらう男性が,この6,7年ぐらい前から非常にふえています。能代市も例外ではなくて,中国,フィリピン,韓国からのお嫁さんが多くを占めています。インドネシア,マレーシア,ベトナム,タイからのお嫁さんもいます。ほとんどが定住で,いずれ日本国籍を取得したいと思っている人たちです。そして,最近多いのが連れ子の問題です。大体20代後半から30代にかけてお嫁さんに来た女性は割と再婚の方が多いようです。多くは直接子供を連れてくる方,そして後から実は私は子供がいるんですと呼び寄せる方,その二つのパターンがあります。  能代教室は週2回,(火)の夜と(木)の昼に開講しております。その中で,文化庁委嘱事業の親子の日本語教室に指定された託児室を使って行われている(木)の昼の教室を紹介したいと思います。
 私が12年前に教室を設立した当時は,親子の日本語教室というのは考えてもいませんでした。ただ,毎週(火)の夜19:00から21:00までの教室に,中国帰国者とその子供たち,外国人配偶者,研究員とその家族,留学生,英語指導助手など,さまざまな立場の人たちが一緒に勉強しています。その中で,外国人配偶者の女性は妊娠して大きなお腹になっても,ほとんど生まれる寸前まで教室で学んでいます。きっと教室に来ることで気持ちの安定が得られ,不安が解消されるのかと私は思っています。教室の受講生も,ボランティアもお互いに家族の一員のように思っていますので,頑張れよとか,とても心配してくれるのがまた要因かもしれません。出産後4か月か5か月ぐらいになると,必ずと言っていいほど教室に戻ってきます。そうすると,教室の中で旦那さんが,その日だけは晩酌をせずに,奥さんと子供を連れて送ってきてくれます。ロビーでほかの御主人たちと自分の妻談議を交わしているのをよく見かけるんですが,私は教室でおっぱいを飲ませながら勉強しているお母さんたち,そして夜遅いために寝てしまう子供たちを見ているうちに,この母親と子供たちを一緒にして,どこか別で学ばせる方法はないかと考えました。それが託児室を使っての日本語教室を考えた理由です。
 実現するのに2年かかりました。まず,ほとんどの人たちが,「赤ちゃんがいる母親は勉強なんかしないで,家で子育てをした方がいい」とか,「母親学級や子育て支援にお願いしたらどうですか」と言います。しかし,日本語が分からない人たちがどうやって日本人とコミュニケーションをとり,母親学級に通えるのでしょうか。また,文化が違う国での出産や子育てがどれほどのプレッシャーを抱えるのか,それらが分からない人たちには真の支援はできないと私は思いました。
 まず,教室をつくって,教室の中でそれらを解決し,それをまた逆に行政の方に訴えていくというものを私は選びました。能代市に何度もお願いして,託児室を教室にできたのは5年前です。その後,教室に来ていなかったお母さんたちも,子供が幼稚園などに通うようになり,お知らせが読めないんです,子供が覚えてきた歌の意味が分からないんですと教室に来るようになりました。現在の受講生は14,5名,子供は10名ぐらいで,大体4,5か月から4歳ぐらいまでの乳幼児がおります。どの子もみんな自分の子供のような気がするとボランティアと人たちも言ってくれますので,それはとてもありがたいです。
 この教室を始めて思ってもいなかった発見がありました。一番私自身も危惧したのは,日本語学習支援を軸にしている教室なので,乳幼児が一緒で果たして勉強ができるのかという点でした。ほとんどの人たちが,「乳幼児の存在は勉強の邪魔で,それ以外の何物でもない」と言いました。特に教育の専門家は,「えー,そんなことできっこないでしょう」みたいな言い方をされました。今でも,教室を見たことのない人は,「1週間に1回勉強しているそうですけれども,どんなことをして毎週遊んでいるんですか」と聞かれますが,教室を見て皆さん驚きます。母親はみんな勉強しています。子供はボランティアの人たちや子供同士でおとなしく遊んでいます。「子供は親の背中を見て育つ」と言いますが,もう一つ加えます。子供は親の背中を見てゼロ歳児でも親を応援します。泣きません。泣きそうになっても,母親がホワイトボードに向かって一生懸命書いていたら我慢します。親の必死に勉強する姿勢が私は伝わっているのだと思います。
 このように,日本語学習に集中できるのは,まずやはり託児室が正解でした。じゅうたんなので「はいはい」ができ,寝転んだり,母親のそばで布団に寝かせることも可能です。遊びの道具や絵本がたくさんあり,幼児同士で遊ぶことも,ひとり遊びもできます。また,保育ボランティアがいてくれることも重要なポイントです。保育士の人がボランティアで来て,時々専門的なアドバイスもしてもらいますが,もう一つ別に育児経験のあるお母さんが手伝ってくれるのが,受講生のお母さんたちの喜んでいる理由じゃないかと思います。なぜかというと,子育ての情報提供を,そのお母さんたちが一番してくれるからです。
 また,夫である配偶者の協力も欠かせません。休みのときや,田んぼが暇なとき,一緒に来て子供と遊んでくれます。もちろん運転免許がない奥さんの場合は,時間をつくって送ってきたり,迎えに来たりしてくれます。うちの教室は休むときに必ず連絡をするというのを約束事にしていますので,御主人が直接来て,妻の休むことを知らせてくれる人もいます。
 私は,教室を子供と親を別にするということは考えていませんでした。なぜなら,子供は家で家族と一緒に生活する生活者です。家は本来雑然とし,騒がしいものです。兄弟がいる中で思いやりの心や,けんかをしながら譲り合いの心が育つと思うからです。そして,母親には,文化の違う国での子育てや子供への対処の方法を目の前で見せられる場所づくりを私はしたかった。そういう場所づくりをすることによって,自分の国の子育てと日本はこんなふうに違う。そして,その疑問を私たちにぶつける場所をつくらなければならないと思いました。それは多分,こうやって昨日からお話を聞いていますと,私どものように地域の小さい町だから,教室全体を家族のようにすることで,それができているのかなと思います。その成果として,ほかの子供が一緒におり,年齢に幅があるので,知らず知らず一人っ子でも教室の中で兄弟ができ,思いやる心が育っているようです。確かに時々けんかもします。多分皆さんも分かると思うんですけれども,日本語を話せないお母さんの子供の場合,とても乱暴な子供と,人と本当に話をしないような人見知りの子供と,二つに分かれるんですよね。でも,そういう子供たちが教室に来て,その子供たちを私たちが褒めたりしかったりしながら言葉をかけることにより,その子供たちがだんだん変わっていきます。そして,母親である学習者にいろいろな人たちの対応を見せることによって,子育てのヒントになるようです。どちらかというと,つい怒りがちな母親が,なんかゆとりを持ったお母さんになっていくのが分かります。「最初の子供のときからこの教室に来ていればよかった」と言う母親がとても多いです。そして,「分からないことがあったら,教室に行けば教えてもらえる,そう思うと安心する」と言っていました。その安心を与えたかったのが,育児経験のあるお母さんにボランティアに入ってもらった一番の理由です。
 また,年齢により,その子供が絵本を読んでほしいと私たちに訴えることがあります。母親の目の前で私は読み聞かせをします。そうすると,そうですよね,お母さんなんです。「本当は私もこうやって子供に絵本を読んであげたいんですよ」と言います。そう,だったら日本語をもっと勉強しようよ。自分の子供に絵本を読み聞かせられるようなお母さんになろうよと言うと,頑張ってくれます。母親が日本語を学ぶという,どちらかというと確固たる動機が生まれてきます。これらは学習者自身の能力向上,例えば能力検定試験を受けるとか,そしてそれに合格者を出すという,私は一番の要因になっていると思います。もちろん受検するときには,御主人も家族も協力してもらっています。
 そしてまた,子供の遊びは,大人の働きかけが重要な意味を持ちます。ある子供が保育所で「あっぷっぷ」という言葉を覚えてきたそうです。そのお母さんは英語の話せるお母さん,英語圏なんです。「あっぷっぷ」と言うから,アップと言うたびに何かを持って上に上げようとしたそうです。その「あっぷっぷ」の意味が分からなかったわけです,子供は覚えてきていますから。そうすると,私たちはそれを目の前でやって見せました。皆さん御存知のあっぷっぷですよね。でも,それを見せたらお母さんが大笑いしたんです。「なんだ,私は何か上に上げるのか思って一生懸命やっていたら,子供が違う,違うって言うんです」。日本人には当たり前の育児語が分かりません。そして使えません。でも,このことをマイナスなのかととらえる人もいると思いますが,私は教室をやりながら,育児語の必要性をちょっと今考え直しています。これはまた別の機会にお話ししたいと思いますが。
 それと同時に,部屋は見てお分かりだと思いますが,じゅうたんを敷いていますのでスリッパを脱ぎます。そのスリッパをきちんと私たちはそろえます。すると時々子供が一生懸命スリッパを持って,真似して並べているんですね。そしてまた,日本語の勉強が終わった後に,じゅうたんですので掃除機を私たちはかけます。そうすると,子供たちがわっとよけて,掃除機の邪魔にならないようにあっちこっち走って歩くわけですよ。そうすると,乳児は,掃除機をかけ始めると,勉強が終わったというのが分かるみたいで,大きな声を出してはしゃぎ始めます。我慢しているんです。お母さんたちが勉強している間,騒いじゃいけない,声を出しちゃいけないと思っている。でも,掃除機を出して机を片づけ始めると,思いっきり声を出して,こんなに子供って我慢できるんだというのを私は発見できました。これは私が教室の中で得た発見です。
 これ以外に,お母さんたちがこういうことを話してくれました。まず,家でひとり遊びができるようになり,一番最初に買ってほしいと思うものが何だと思いますか。紙とノート,鉛筆なんです。なぜかというと,一番楽しそうに一番大事そうにお母さんが抱えているものが鉛筆とノートなんです。すると,それを欲しいと言うそうです。そして,それを与えると,家で何か分からないけれども,一生懸命書いているそうです。お母さんが勉強しているのを真似しているんですね。時々,教室でもお母さんと一緒にホワイトボードに書かせたりはしていますので欲しいと思うのでしょう。
 それからもう一つ,本というものを全然読んだこともない子が,家へ帰ると,上下逆さまでも本を読む姿勢をするそうです。なぜかというと,お母さんも私も教室で本を読んだりするのを子供は見ていますので,形を真似ようとするのですね。本が楽しいものと思うようです。
 そしてもう一つおもしろかったのは,私は指導者ですので,こうやって棒を持って「分かりますか,分かりませんか」と言うんですよ。そうすると,子供が一番最初に覚えるのが「分かります,分かりません」という言葉らしいのです。それをはしを持ちながら家でやるらしいんです。旦那さんが話してくれました。夜に御飯食べるときこうやってやるんですよって。お前たちはこういう勉強をしているんだなというのを,その子供がPRしているみたいで,なんかおもしろい話だと思って私は聞きました。
 また,保育所に行くようになった子供が,先生に褒められたという話も聞きました。なぜかというと,うちの教室で白板の前に私が立って,向き合って座るという親を見ているものですから,保育所の先生が集まりなさいと言うと,ちょうど先生の真ん前で,真っすぐ先生の顔を見るところに座るそうです。なぜですかって言われたらしいんですが,いや,私が日本語を勉強していますからと言ったら,そうなんですか。なんか集まれというと,真っすぐ先生の向かい側に座るのが教室の子供たちだそうです。また同じように,片づけしましょうと言うと,一生懸命おいしょ,おいしょと運ぶのも,またその子供たちだそうです。私たちはその子供たちに対して,何かをしなさいとか,こうしなさいということは,一度もやったことがありません。子供はただ見ているだけだったと思います。また,子供たちは小学校に入ると,ほとんどの子が夏休みも冬休みも親と来ます。今ちょうど休みなので,お母さんと一緒に小学校3,4年までの子供たちが必ず一緒に来るんですよね。こういうのを勉強したよというふうに私たちに話をしてくれます。そのとき思います,もう日本語はお母さんを超えているなと。最初来たときは何も話せなかった子供が,もうそんなふうにして私たちに語りかける。それを見たときに,もうお母さんたちは,日本語は子供と話ができなくなっていくだろうなというふうに私は思います。また,逆に言うと,そのことがお母さんの中で,私たちももっと頑張らなきゃというふうに思えるみたいです。これらは一緒の教室で学んでいるからこそ,私はできることだと思っています。そして乳幼児期というのは,親と一緒に学ぶことの意味というのはとても大きいのではないかなというふうに感じています。
 学校との関係ですが,秋田県では今年から県の予算で,学校での日本語指導者を臨時講師という形で20名採用になりました。学校によっては,その採用の方たちに対する対応は様々でまだまだ問題があります。同じ秋田でも,秋田市のように大学があったり,指導者が多いところはそれなりの対応ができるのですが,能代のように大学がなかったり,指導者の数が足りなければ,なかなかそれの対応ができなかったり,手が届かなかったりしているのが現状です。どちらかというと,日本語指導者の資質や指導力のレベルアップは,これからの課題だと思っています。
 私自身は5年前から,連れ子の子供たちが入っている小学校や中学校へ取り出し授業をしに行って,子供たちに日本語を教えていますが,有利だなと思うのは,子供たちのお母さんがすべて日本語教室に来ています。ですから,子供をどうするかという話し合いをするとき,必ず親を巻き込んだ話し合いができるというのが,私はメリットだと思っています。子供のことが把握できて,親と相談をして,親が何をしたいのかを考えながら,その子供の将来のことを考える。そういうことができることが,うまくいっている理由かなと思っています。
 そして,学校から子供の依頼をされたときは,一つだけ私は条件を出します。日本語指導をしましょう。ただ一つ,場をつくってください。学校の校長,クラスの担任,日本語指導者,相手の親,そして子供,その人たちを一堂に集めて話し合いをする場をつくってくださいとお願いします。ほとんどの学校はやってくれます。そのときに,もし言葉が通じないようであれば,通訳に入ってもらいます。その場で学校の事情と,さまざまな問題をきちっと親にも伝え,そして子供にも頑張ろうねという言葉があって,初めて私は子供の支援ができると思っています。幼稚園や小学校,中学校のまだまだ理解不足は確かにあります。でも,学校の中で子供たちが生き生きと生きて,ほかの子供たちと一緒についていける子供にすることが,ある意味では学校が一番評価してくれることでもあります。優秀な子供はごく一部にはいます。その子供をのばしてやることも必要です。そうするには,やはりこれから学校の中に入る日本語指導者の力量が問われると思います。それだけに,これからは日本語指導者に力がある人たち,できればいずれ専門家の人たちが学校に入る,それが一番いいのかなというふうには思っています。もちろんそれには,地域に住む外国籍住民を支援する教室があることは欠かせません。
 これからの課題は,学校のことなんですが,皆さんにうちの教室のことを書いた紙が渡っていると思いますが,一つだけ加えたいのは,うちの教室は交流事業がたくさんあります。花見をしたり,盆踊りをしたり,忘年会をしたりというふうになっていますが,必ずそこに地域の人を巻き込みます。花見をするときは飲みたそうなおじさんとか,そこの人たち一緒に来て話してもらえませんかと言ったりします。それから,9月7日に盆踊りがあるんですが,踊りのグループがありますね。外国の人に余り会ったこともない。その人たちにお願いして盆踊りを教えてもらいます。それと同時に着付けがあるんですよ,浴衣の。着付けだけやっている人で,外国のことなんか知らないという人たちに何とか教えてもらえないでしょうかと頼みます。それに今加わってくださっているのは,商店街の青年部の人たちです。焼きそばをやったりして,イベントを盛り上げてくれます。
 それにもう一つ,私は市長さんに必ずお知らせを書きます。こういうのをやりますから,ぜひ出てきて―多分迷惑だと,もしかしたら思っているかもしれませんが,でも来ていただきました。最初は60名ぐらいから始めた盆踊りですが,もう8年ぐらいです。今は200名ぐらいになります。それには要するに受講生と子供と家族,そういう場所をつくることによって,地域の中でこんな人たちがたくさんいて,一生懸命生きているということを見せる場,改めて呼びましょうではなくて,一緒に学びながら,遊びながら分かってもらう。それをたくさんやらせていただいています。
 バス旅行とかもやるんですが,最初はバスとかを一生懸命お金集めてやりました。大変なんですよ。100人というと3台要るんですね,25人乗りのバスが。それを5年ぐらい前かな,市役所に陳情に行きました。この人たちにバス旅行をさせる理由は遊ばせるためではありません。旅行ってそうですよね。例えば8:00に出発しますと言ったら,大体10分ぐらいには集まるでしょう。帰りは3:00ですよと言うと,大体3:00前には集まるのが普通です。ほとんどの人が最初集まらないんですよ。8:00と言ってもまだ来ない。でも,そのことをすることによって,教室のみんなが待っているのよって怒るわけですよ。みんな待っているのになんで遅れてきたのと一度怒ります。でも,そうすると,その次から遅れなくなる。何度もバス旅行を繰り返すうちに,先輩の外国の人が後輩の人にアドバイスする。今はもう何時の待ち合わせでもきちっと来ますし,帰りは何時ですよと言うと,大体5分か10分前には集まっています。でも,それは働くことにつながると思います。仕事をちゃんと時間に出る,休むときは連絡をする。何をやっても,日本語教室の中では,確実に仕事や自分の生きることにつながっていくような支援にしていきたいなと思っています。これが,大体うちの教室の概要と考えたことです。
 それで今日は,実はビデオを持ってまいりました。能代で5分スピーチコンテストというのが前にありまして,4人出ていますが,今日は二人を聞いていただきます。一人はフィリピンのお母さんです。自分がどうやって子供に何をしたいのかということを語っています。まず最初にお願いします。

(ビデオ上映)

北川 これは,お母さんの思いです。今日お見せするのは私のバイブルです。これはきっと,私が日本語をやっているうちはずっと離さずに持っていたいと思っているものです。時々嫌なことがあったり,きついなと思うときがあると,このビデオを見直します。そうだった,この思いに答えるために私は手伝っているんだと思いながら,また勇気を奮い立たせる。
 もう一つ見てください。中学生です。

(ビデオ上映)

北川 この子は高校へ進学できませんでした。一つだけ言います。学校は子供を生かしもするし,殺しもします。そういう経験を私はしました。でも,この子はここで誓ったこの言葉を実践してくれています。頑張って生きています,そして働いています。それだけは分かってほしい。そして,私たちのような日本語指導者が悩むとか,そういうことじゃなくて,本当はどの子もみんなこんなふうなんですよ。何かで救われていたり,何かで頑張ろうって思っているんだなというのを,この子で私は分かりました。でも,この経験は私に今,能代で,子供たちを何とかして生活言語から学習言語まで持っていくようなシステムをつくらなければならないというふうに考えた一番の理由がこの子です。そういう方向でかかわっていきたいと思っているし,ボランティアというだけでは,私は駄目だと思っています。学校とかかわるならば,教育委員会,市,学校ときちっと話し合いをして,こういう子供たちが二度と出ないような形をつくっていかなければならないなというふうに思っています。
 これが私どもの教室の紹介です。ありがとうございました。(拍手)

大蔵 北川さん,ありがとうございました。
 のしろ日本語学習会につきまして,皆さんの手元にこういった資料が届いているかと思うんですけれども,その2ページ目からかなり細かい大分小さな文字でいろいろ載っているんですね。「乳幼児と共に学ぶ地域日本語教室の可能性」ということで,私のように目が悪くなってきますと,これほとんど多分皆さんも読まないでおくのではないかなと思うんですが。実は,これを私ちょっと拡大して昨日読みました。そうしたら宝の山なんですね。ですから,ちょっと何か所か御紹介しておきたいと思います。
 まず,私がそうだなと思ったところを紹介しますと,保育ボランティアならできるということで,乳幼児の子供の相手ならできるよということで何人かの参加があったらしいんですね。ということで,保育ならということで来てくださった方,日本語は教えられないけれどもと言ってきてくださった方。でも,これによって地域を巻き込んで輪を広げることができたのではないかなと思います。そういうきっかけでもいいと思うんですね。そういう方が,子供への言葉がけはどうしたらいいんだろうかということを学んでいっていただければいいと思います。
 それからもう1点,元小学校の先生が入ってきてくれたというところがあるんですね。これは私はねらい目だと思っています。なぜかといいますと,学校の中には学校の中のそれぞれの事情があるんですね。外から見ているとなかなか分からないところがあるんです。だけれども,そこに学校の先生だった人がボランティアとして加わってきてくれると,学校の中の様子が分かります。それを踏まえた上でいろいろな対応をしてくれます。また,自分の同僚が小学校,中学校に勤めていますので,そういった人たちにいろいろな渡りをつけてくれるということもありますので,退職をした教員と接点を持っていくということもとてもいいことだと思います。
 それから,子供が最初は泣くのではないかということで心配をしていたらしいんですけれども,それが泣かない。不思議だというような記述もあるんですね。
 私の勤めている波多野ファミリスクールというのは,実は日本の子供ですけれども,1歳からお預かりしております。私も実は今年は2歳の子供に体育を教えているんですね。それから3歳,4歳,5歳の子供にプレゼンテーション能力をつける教室を開いたり,日本の小学生に作文を教えたりとかしているんですけれども。2歳,3歳,特に2歳の体育をやっていますと子供はよく転びます。転んだときに,私はその子供と目を合わせないようにするんですね。目が合うと泣いてしまうんです。ぱっと見ると,こちらの様子を見ているんですね。それをぱっと目をそらして分からない振りをするんです。そうすると,仕方ないなという感じで自分で立ち上がるんですね。そういうこともあって,子供というのは意外とそういったところでよく大人の様子を見ています。非常にそういったところがありますので,子供は意外とたくましいぞということが分かります。
 それから,私が一番大切だなと思ったところなんですけれども,読み聞かせについて書いてある箇所があるんですね。実は今,小学校の先生たちの中で1年生,2年生を担当している先生で,外国から来た子供たち,日本の幼稚園,保育所で育ってきて日本語ぺらぺらなんだけれども,こちらの言ったことがなかなか想像してもらえないというようなことをおっしゃる先生を私たくさん知っているんですね。私は,この一つの原因として,読み聞かせの不足ということを考えています。どういうことかといいますと,日本の子供の場合は,産まれてお母さんと一緒に生活します。そのときに読み聞かせをしてあげます。読み聞かせの絵本があります。だから,お母さんは一生懸命子供に読み聞かせをしてあげます。まず最初に1対1の読み聞かせですね。これの大切なところは,例えば,昔昔何とかがいました。何とかかんとかといったときに,何とかだったねと子供に問いかけながら話を進めていくところです。そういった1対1の読み聞かせですね。それから幼稚園などへ入って,先生のお話をみんなで聞くというような読み聞かせになってきますけれども。外国から来た子供たちは,幼稚園なり保育所に入って,先生の集団の中での読み聞かせという経験はできるんですけれども,その前のお母さんとの1対1の読み聞かせの経験がどうも不足しているのではないかというふうに考えられるんですね。それには原因としては,例えばブラジルならブラジルの絵本が日本で手に入らないということもあるでしょうし,日本の絵本をお母さんが手にしたとしても,それをお母さんがうまく読めないということがあると思うんですね。そういうことで,お母さんによる1対1の読み聞かせの経験が不足してきてしまうということだと思います。
 その中で取組として,例えば,お母さんに日本の絵本を使って日本語の勉強をして,そのお母さんが子供に読み聞かせをするという方法もあると思います。もう一つ,お母さんに日本の絵本の勉強をしてもらって,日本語の勉強をしてもらって,今度お母さんがそれを母語に置きかえて,絵を見せながら子供に母語で語りかけるという方法もあると思うんですね。そういう意味で,読み聞かせということはとても大事です。想像力を養うということ,それから,実はそれは考える力を深める言語を育てるということと同じなんですね。乳幼児期の言語習得の中で一番問題なのは,考えるための,思考のための言語を,母語でもいいし─母語といいますか,外国の言葉でもいいですし,日本の言葉でもいい。いかに,どれか一つは必ず身につけさせてあげるかということだと思います。そういう意味でも,子供は放っておけば何とかなる。確かにそれはそうなんですけれども,その先のことを考えると,物を考える力,そういった言語を育てるという意味での乳幼児の取組というのは本当に大切だと思います。
 それでは,のしろ日本語学習会についての御質問など,また後で承るとしまして,次に埼玉県のさいたま市地球っ子クラブの方の取組についてお話を伺いたいと思います。今度は乳幼児よりちょっと年齢の高い子供たちです。このポイントは,活動を通して日本語を身につけさせるということのいろいろな実験的な取組をしておりますので,その点について注目してお聞きいただければと思います。
 それでは,地球っ子クラブの芳賀さん,よろしくお願いします。

芳賀 こんにちは。さいたま市から参りました地球っ子クラブ美園の芳賀と申します。よろしくお願いいたします。
 今お話を聞いていまして,それから昨日,エマニュエルさんのお話を聞いて,そして今朝,3人の外国の方のお話を聞いて,そして今のビデオを見せていただいて,外国の方のお話には本当に圧倒的なものがあるなと,もう胸を熱くしております。私たちは原点,とにかく外国の人の声を聞く,心を見つめるというところから出発しなければいけないんだなということを改めて感じております。そして,実はさいたま市は能代と違いまして,最近,大宮,与野と合併したばかり,100万人以上の都市です。そういう大きな町の中で,外国の方たちはみんな自分たちの心をどこに持っていったらいいのか分からなくて,その広い中に埋もれているのではないかなということを,昨日から今日にかけてお話を聞いていまして,つくづく思っているところです。
 さて,私たち地球っ子クラブの取組について,これからちょっとした実践報告みたいなことをしていきたいと思いますけれども,地球っ子クラブなんていう大きな名前をつけちゃたんですが,とても小さな小さなグループの本当に小さな実践ですということを,まずお断りしておきたいと思います。そして,私たちが今たどりついてやっているところは,即効的な日本語教室ではないとお感じになると思います。でも,私たちは,子供たちは自分の力で歩く力を持っていると信じています。ですから,毎日の活動の中で,今日はこれで良かったかな?って思うことが本当に多いんですけれども,子供たちの自分の足で歩く力を信じて,子供たちは自分で言葉を獲得する力があるということを信じて,これからも活動を続けていきたいと思っております。
 それでは,16年度の親子参加型の日本語教室で,この間第3回目が終わりまして,そのときの映像をちょっと見ていただきたいと思います。どんなことをしているか,見ていただくのが一番いいと思いますので。

(画像を見ながら説明)

芳賀 これは第3回目で,この日はアイスクリームをつくろうということでやっております。ここでまず,みんな親も子も,それからスタッフも,それからボランティアも集まりまして,まず初めての子がいた場合なんかは自己紹介から始めます。
 そして,ここでいろいろ今日やるものを並べまして,今日は何をやるのかなというところから投げかけて始まります。そして今日は「冷蔵庫を使わないでアイスクリームをつくる方法を知っている」とリーダーが声をかけましたが,この男の子ですね。この子が元気よく「知っているよ」。なぜかというと,去年もやっているんです。アイスクリーム3回目なんですね。
 私たちの活動はこんな感じで,もう既にお分かりかと思いますが,勉強という感じではありません。ですから,目に見えて勉強になったな,日本語の力が身についたなというのは分からないんですね。でも,たまにこういうふうにして,この子みたいに知っているよ。ごみ箱の中にアイスクリームのもとを入れて,氷を入れて,塩を入れてかき混ぜるとアイスクリームができるんだよって,もう本当に元気よく自信を持って意気揚々と言ってくれました。いい顔でしょう。たまにこういう力になっているな,生きる力になっているなというのを感じさせてくれるときがあります。
 次の映像に行ってみます。何グラムとか,何カップという言葉が飛び交いまして,実際にアイスクリームづくりが始まります。3歳ぐらいの女の子と3年生のぐらいの男の子,みんな一緒になって一生懸命こういうことを始めますね。
 ここで温度を測ります。そうすると,氷の温度を測ったときに大体零度。氷を入れた途端にすっと温度計が下がりまして,マイナス8度ぐらいまではすっと下がります。その後,頑張って見ていると10度ぐらいまで下がるんですけれども,これはもうなかなか大人が見ていても感動的です。
 それから,さっき子供が言いました,転がすとできるんだよと言ったんですけれども,これからみんなで力を合わせて転がすところです。バケツの中にアイスクリームが入っていますから,それをガムテープでぐるぐる巻きにしまして,2チームに分けて転がします。ただ転がすのではとても大変ですから,こうしてゲーム式にやっていきます。小さい子も一緒ですね。もう一生懸命です,みんな。
 ここでは,もう転がすのをやめて振っているところなんですけれども,もうとにかく10分ではきかないですね。15分かそこらはもう一生懸命振らないといけないので,手を変え品を変え,いろいろとゲーム式にやっていきます。
 じゃ,ちょっと開けてみようかとなると,もう大変です。こういうふうに手がたくさん出てきます。
 ここでは,隅っこの方でお母さんと,それから高校生ボランティアなんですけれども,なんかとても楽しそうにやっていますね。ちょっとまだ早いねということで,また続きます。二人で組んでみたりとか,いろいろな工夫をしますね。
 この写真なかなかいいでしょう。スタッフがしりもちついたりしている写真があります。
 そろそろ最後なんですけれども,今度は輪になって,そしてバケツを振りながらぐるぐる回して,3分間回して,最後に,果物の名前を言ってもらうとか,しりとりをするとか,いろいろな言葉ゲームをしながら,3分たったときに持っていた人が何か罰ゲームをするということで,この人がちょうど罰ゲームですね。隣にいるのがタティちゃんという女の子で,そのお父さんですけれども,ここに止まりました。それで罰ゲームは,コロンビア出身の方なので,振りながらスペイン語で50まで数えるという罰ゲームをしました。それで大変な思いをしてやってくれたように思います。もう必死になってやってくれました。
 いよいよ開けてみます。どうでしょうね,うまくできたかどうかということで味見ですね。幾つかできたアイスクリームは,甘いアイスクリームもできましたが,しょっぱいアイスクリームもできて,それから何も味のないアイスクリームもできました。ボールを三つに分けてやったものですから,お砂糖を入れ忘れたボールができたみたいです。これものすごく盛り上がっちゃうんですけれども,もうすごく楽しいんです。
 最後は,こういうふうにしてもう一度みんなで集まります。感想書きをしております。大人も子供も,それからスタッフも全員感想を書きます。この感想書きがかなり恒例になってきたものですから,子供たちもほとんどもうやるものだと思って来ていますけれども,だんだんマンネリ化してきますので,この感想もつもり作文にしてみたり,隣の人のつもりになって書くとか,いろいろな形のバリエーションを考えながらやっております。
 幾つかこんな感じの写真が続くんですが。後ろにちょっとみんなと一緒になれない子がいますが,こういう子も無理に引っ張り込んだりはしません。さりげなくスタッフがそばによってお話をする。こういう子は,絶対何かこの中に入れない理由,入りたくない理由があるわけですから,さりげなくこういうふうにして話をしてくれたりします。いずれこの子も入ってきます,自然に入ってきます。どうすれば,入ってくるかというと,やはりこの中に大人の数が多いということが多分必要なんじゃないかなと思っております。子供が主体のグループだと,どうしても無理して大人が引っ張り込んだりしなくちゃならない現象が出てくると思うんですが,大人が多いことによって,自然に場ができ上がっていると思います。これもそうですね,最後にこういう子たちもいますが,無理をしないということです。
 これが,今年の親子の教室の第3回目にやったアイスクリームをつくろうというところなんですが,このときは,なんか今回の発表に合わせてくれた,プレゼントをしてくれたみたいに,実はとてもうまくいっているんです。こんなにうまくいくときばかりではなくて,本当に試行錯誤を重ねて,紆余曲折を重ねて,やっとなんかここまでたどり着いたかなという気持ちがしています。そして,これは私たちが子供たちの声を聞きながらできてきた,子供たちがつくり上げた形だと思っております。私たちがつくった形じゃなくて,子供たちがつくった形だと思っております。
 それでは,私たちが地球っ子クラブをつくった初めのところから,どうして地球っ子クラブをつくったかというところから,少し前に戻ってお話ししたいと思います。
 大抵の方のグループが,親の日本語教室から出発しているんじゃないかなと思うんですが,実は私たちは子供のための日本語支援から出発しました。子供たちの日本語指導に学校に入っていました日本語指導員が,子供たちの日本語の学校の中ではとても間に合わないフォローとして,地域の中に入って子供たちの支援をしていこうということで始めたのが,この地球っ子クラブです。それが1999年でした。
 これは,さいたま市の南にあります南浦和の駅から歩いて20分ぐらいのところにあるんですが,どうしてここで始めたかといいますと,たまたま日本語指導をしている対象の子供たちがここに多かったということです。子供が通える範囲というのは本当に限られていますので,私たちが子供がいるところに参りました。仲間の3人ぐらいの日本語指導員と一緒にここをつくりました。
 そのときに,なぜか男の子ばかり6,7人集まったんですね。どんなことが起きたかというと,先ほどから大蔵先生がおっしゃっているように,私たちが考えたようには全然いかないんです。私たちは,子供たちは何とか日本語を勉強すれば,学校の中でもうまくいくと思って,とにかく日本語支援をしたいと思っているんですが,子供たちは6,7人集まると,同じような男の子たちが集まれたことがうれしくて暴れ回る。公民館の借りている教室の中で暴れまわったり,けんかが始まったり,おっかけっこが始まったり,もう部屋の中だけではおさまらなくて廊下に飛び出す。廊下ではおさまらなくて,エレベーターを上ったりおりたりしてもう騒ぎ回る。それをおっかけ回す,そんなような状況でした。
 その中で私たちが感じたことは,子供たちは本当に計り知れないストレスを抱えて,自分の意思でなく,ある日突然この国に来て,分からない言葉の中で大変なストレスを抱えて,学校の中を何とか我慢してやってきて,そしてここに来たら,こうなってしまうということでした。気持ちが落ち着いていない,寂しい子供に勉強しなさいなんて言っても無理なんだなということをつくづく感じました。地球っ子クラブを始めて,一番初めの私たちの気づきは,寂しい子供に勉強しろと言っても無理だよなということでした。でも,このときに私たちは何とか勉強させなければ,日本語の力をつけさせなければということが,頭のもう80%を占めていたと思います。
 こんな形で地球っ子クラブを続けていたんですが,そこに,ここに来られない子供たちが出てきました。というのは,さっきも言いましたように,さいたま市は大きいんですね。当時まださいたま市じゃなくて浦和市だったんですが,それでも同じ浦和市の東の端にいる子供たちが,この南の端の公民館まで来るのには,電車に二つ乗って,しかも電車の駅へ行くまでにバスに乗らなければならない,そういう状況です。ですから,夏休みを利用して,日本語指導員がここまで車に乗せて連れては来ていたんですが,夏休みを過ぎてしまったら,とても通ってこられない。でも子供たちは通ってきたい。だから,通いたいけれども,来たいけれども来られない子供たちのために,次の地球っ子クラブ美園をつくりました。
 この地球っ子クラブ美園というのは,今のサッカー場がありますところなんですが,ここにブラジルの人たちが工場で働いている社会がありまして,そこの子供たちを中心にということで美園に移って,それが2000年9月の開始です。ここでは,もうちょっと子供たちの年齢が大きかったです。ブラジルの子が中心であったことと,一番上の子が中学2年生。そこに取り出しでかかわっているちょっと遠方から中国の1年生とか2年生という子供たちを連れて,やはり日本語指導員が数名と,それからそのほかの応援を頼みまして運営をしておりました。
 この地球っ子クラブ美園というのは,2003年3月ぐらいまで続くんですが,その間にいろいろなことをしました。親の方から日本語を勉強したい,でも工場では仕事があって,いろいろたくさんある,さいたま市の中にたくさんある日本語教室に通うことができない。だったら,そのお父さんやお母さんたちが集まっている工場で日本語教室をすれば何とかなるんじゃないかしらということで私たちが行きまして,工場の会議室を借りて,始業前の1時間,週2回という形で日本語教室を開いたこともあります。とても楽しかったです。そして,それはお母さんたちの声を聞いてやった取組でした。
 そして,この美園の子供たちの活動も,子供たちがちょっと年齢が大きかったこともありまして,実は私たちは相変わらず日本語の勉強をしてもらわなければということにとらわけているんですね。だから毎回,日本語の学習に関するメニューを持っていくんです。子供たちはもっと楽しいことをしたいのは分かっていますから,70%ぐらい日本語のメニューを持って,あとの30%ぐらい遊びというふうな感じでメニューを持っていくんですが。もう会った途端に子供たちは,今日は思いっきり遊びたいと言ってくるんですね。そうすると,基本的に私たちは子供の声を聞こうというのは持っているものですから,70%はもう全然実現できないということが何回も何回もありました。公民館の方も非常に親切で,子供たちが遊びたい気持ちをちゃんと酌んでくれまして,今日は体育館が空いているよなんて言ってくれるんですね。そうすると,私たちは勉強しなくちゃと思うんですけれども,子供たちはもう広い体育館を数人の子供たちで思う存分使えるんですから,これは本当にいいストレス発散になるし,楽しいんですね。
 ここで,いろいろ,実は今になって考えると,とてもいい日本語の勉強をしていたなと思うんですね。例えば,童歌のかごめかごめなんていうのは何回もやりました。年齢は高いんです。中学生の子が中心だったりするんですが,かごめかごめをやって,かごめかごめ地球っ子バージョンというのができました。どんなのかというと,後ろの正面だれと言った後に,鬼になった子が犬の声なんて言うんですね。そうするいと,後ろになった子は犬の鳴きまねをするわけです。子供たちはもちろんそれにはとどまらずに,そのうちにヘビとか,年取った犬とか,だんだんそういうふうに変化していくわけですね。それが地球っ子バージョンです。これは後々もずっといきていて楽しく使っております。花いちもんめなんかもやりまして,だるまさん転んだとかね。だるまさん転んだもバージョンがあるんですが。
 なかなか言葉が出てこない,日本に来て数か月たっているんだけれども,かなり分かるようになっているんだけれども,自由に言葉を出すところまでいっていないという子供が,こういう動作をやっているときに,本当に楽しそうに心からの言葉がこのときに出てきたという発見もありました。
 でも,総じてこのときは子供主導です。しかも,そのかごめかごめぐらいだったらいいんですけれども,今日は色おにをしようなんていうと,私たちもこの年ですから,もう死ぬような思いをして付き合っていたこともあります。ここに,ありがたいことに青年が加わってくれました。ここの後ろの地球っ子クラブ2000の設立にかかわってくるんですが,ここで活躍してくれています青年がこのときに入ってくれました。今から考えると,地球っ子クラブ美園のときには,さっき言ったみたいに,私たちのメニューは実現できない。いろいろなスタッフの間からも「子供たちの言いなりなんじゃないの」という声も聞こえましたし,私自身も,もしかしたらこれ子供の言いなりなんじゃないかななんて思っていた時期もありました。
 実は,この中心になっていた中学2年生,それから中学3年になって,しかも2000年3月に実は帰国してしまうんですが,その子がかなり中心になっていまして,その子の発想でいろいろなことをしていました。今になって考えてみると,その中学3年生の子は,帰国する前に私たちと一緒に活動しながら,いろいろなメッセージを私たちに残してくれたなと思います。その子のメッセージというのは,私たちはそれは勉強もしたいけれども,とにかく本当に思いっきり今日は楽しかったなという時間が持ちたい。思いっきり楽しかったという場所が欲しい。思いっきり一緒に楽しめる仲間が欲しいということを,私たちにメッセージとして残してくれたんじゃないかなと思います。私たちは,よく言えば親心でがんじがらめなんですね。日本語を勉強すれば,何とかなるんじゃないかということで,かなりがんじがらめになっていたような気がします。でも,その女の子のメッセージを非常に自然に受けとめることができたのは,青年の存在だったなと思います。
 いろいろと地球っ子クラブ美園には反省があるんですけれども,ブラジルの子が帰ったことによって,私たちも,これからの活動をもう1回どうしようかと見直すところに来ていました。それで,ちょっとこの地球っ子クラブ美園と2000の間に,美園から離れて,浦和の駅の近くの公民館で2,3か月活動した時期があります。というのは,ブラジルの子たちが来ないのであれば,いないのであれば,美園で活動する,さいたま市のはずれの方にあります美園で活動する必要は全くないわけで,あと残った数少ない中国の子,小学校1年生,2年生の子が通いやすい,しかもスタッフか通いやすいところに移ろうと,持ち前のフレキシブルさというか,いい加減さということでまた場所を移しました。
 そして,そこでやったことはほとんど日本語を思い切って捨てたというんではなんですけれども,今日はホットケーキをつくってみようとか,今日はお兄さんが来たから割りばし鉄砲をつくってみようとかというふうに,メニューの中から日本語をとりあえず横の方に置いちゃってみたんですね。そうしたところが,ホットケーキをつくった日,今でも私はホットケーキをつくった日,お兄さんが来た日と思って印象に残っているんですが,子供たちの顔がもう本当に違った。そしてホットケーキ一つをつくることによって,例えば熱いよ,熱いよ,触らないでねと言っても,子供は思わず触っちゃうとか,丸いホットケーキをみんなでつくって,それがもう本当においしいホットケーキができるという,その体験がどんなに子供の顔を輝かせて,なんか今日は力がついたみたいね,元気が出たみたいねというのが,今までの遊びとまたちょっと違って感じられたと思います。それで,ここでの体験というのは,本当に子供の言葉の世界を豊かにするんじゃないか。しかも,いろいろなことをやるんじゃなくて,たった一つのホットケーキをつくることでいいんだという気付きがありました。そして,子供がお兄さん,お姉さんが本当に大好きなんだということを感じました。だったら,その体験を軸にして,そしてお兄さん,お姉さんを中心にしてやってみたらどうなんだろうかというところへ飛び込んできたのが,文化庁の親子参加型の日本語教室でした。
 そして,しかも私たち,子供が通ってくることがなかなかできないのでどうしていたかというと,すべて送り迎えつきなんですね。日本語指導員が自分たちの車に子供たちを乗せて行ったり来たりということをしておりました。これが3年半ぐらい続いていましたから,本当に無事故でよかったなと思います。でも,これはいいような悪いような,無事故でよかったなだけじゃ済まされなくて,やはり子供の将来を考えるときに,子供の将来を一番考えている親を抜きにしているということに大きな間違いがあるんですよね。そこで,これを機会に親も巻き込んで,そして子供の日本語を考えていこうということになって,15年度が始まりました。それで,ここにあります親と子の日本語広場ということで,地球っ子クラブ2000が始まります。去年は毎週やっておりました。でも,今年はちょっといろいろな考えがありまして,第2と第4の(土),完全に親子教室として,さっきお見せしたとおりですが,やっております。
 まとめますと,一番上の地球っ子クラブは,現在も地域日本語教室として続いております。そして地球っ子クラブ美園は,現在は文化庁の親子参加型の日本語教室の事務局兼2000と一緒に親子教室をやるということで,美園そのものは休止状態です。そして,2000はさっき言ったとおり活動していますが,一番初めに言いましたとおり,非常に小さなグループです。美園は大体スタッフ4人ぐらい,そして地球っ子クラブ2000は3人ぐらいです。そして,ほぼ日本語指導員,それから元教師,それからそのほかに日本語についてある程度の専門性を持った人たちです。そのほかにここの親と子の日本語広場にはいろいろな支援者がいます。地域の青年の方たち,それから学校の先生方,もちろんお母さんは支援者じゃない,主役ですけれどもね。それから子供たちの友達のお母さんたちとか,いろいろな方たちが支援者として,協力者としてかかわってくれています。そんな感じで,15年度の文化庁の親子参加型の日本語教室が始まりました。
 それでは,どんな感じでそれをやっていったかをちょっと振り返ってみたいと思います。

(画像を見ながら説明)

芳賀 これ去年の画像ですけれども,大体このころから形ができてきたかなと思うんですが。このときは,今日は何をつくるよじゃなくて,今日は何をつくるのかなというところから始まっています。いろいろな人がいまして,いつも参加している子供たちのほかに,国際交流協会から見学の人も来ています。私たちのところに見学にいらっしゃる方がいるんですが,見学の方は必ず,ただ見ているだけは許されませんで,一緒に仲間に入って参加してもらわなければなりません。それだけは条件にしております。いろいろ並べまして,みんなで考えます。これで何をつくるんだろうね,今日は何をするんだろうねということです。だんだん子供たちも,こういうことをしている間に盛り上がってきます。盛り上がってきている様子が何となく分かりますよね。
 実は,この日はバレンタインデーで,バレンタインのチョコレートをつくることになっていました。それでチョコレートをつくっておりますが,この辺がいつも毎回こういう盛り上がりがあります,体験の最中ですね。子供たちの発想はいろいろ豊かですので,どっちの方向へ進んでいくか,なかなか分かりません。
 この日は青年ですね,スタッフですけれども,得意な手品がありますので,手品を見せてくれることになりました。これは非常な成果がありまして,子供たちが,もうここで御覧になると分かると思うんですが,教えて,教えてということですね。みんな集まってきまして,もう一生懸命練習しています。そして,もう一番小さい子もとにかく発表したいんですね。みんなの前で全員が発表しました。こういうことが,目に見えないんですけれども,力になっているんじゃないかなと思っております。
 それから,ここへ進んできてすごく大きな問題になってくるのは,お母さんたちと一緒にいろいろ話をしまして思うことは,やはり自分の国の文化のこと,要するにアイデンティティの問題にかかわってくると思うんですが。お母さんたちにしてみると,自分たちの国を大切にしてほしいということがあるんですが,子供が大きくなってくると,だんだんにお母さんに中国語を話さないで日本語話してと言うようになったり,中国語で何て言うのなんていっても,ちょっと避けるようになったりということが起きるようになるんですね。私,過剰適応なんて思っているんですが,何とか日本の学校に合わせよう,合わせようとする結果,自分の中の外国の部分を否定してしまって,そして日本に適応しようとしてしまう子がいる。それをどうしたらいいか。お母さんたちにしてみると,自分の国の言葉を教えたいんですが,子供の方が拒否してしまうということがあって。だから,自分の国の文化をどう認めていくか。自分の国だけじゃなくて,いろいろな国の文化をどう認めていくかということが基礎に,大切なことになるんじゃないかなと思います。
 それで,最近はいろいろとふだんの活動の中でも,いろいろな国の言葉を取り入れて,あいさつだとか,数を数えるとか,もう随所にそういうことを取り入れながらやっております。この日は,中国のお母さんたちにお願いしまして,中国の遊びの紹介をしてもらいました。この子も中国の子なんですけれども,やはりちょうど,今言いましたようにそういう時期に差しかかっています。中国のことを聞くと,どうも話をちょっとそらせるような傾向がある子です。中国の子のお友達のお母さんも一緒に参加しております。この方は地域のボーイスカウトなんかもやっていらっしゃる方ですけれども,地域の方です。これが今回遊びを紹介してくださったお母さんたちですね。
 こんな感じで,15年度活動してきているんですけれども,お手元に地球っ子クラブのパンフレットのちょっと書き直したものが行っているんですが,上半分は地球っ子クラブのパンフレットの日本語版です。そして下半分は,そこに地球っ子クラブでやっております体験メニューが出ております。特にその中でも,私たちは科学遊びをかなり重視しています。
 なぜ科学遊びかといいますと,科学遊びは磁石で遊ぼうとか,シャボン玉遊びとか,スライムづくりとか,さっきの手づくりチョコレートもそうですし,秋を見つけたといって外に出かけて,秋を探して歩くとかいろいろなことをやっておりますが,状況設定が非常にシンプルになるということですね。しかも日常会話を超えた言葉がかなり飛び交う。そして,学習言語にも結びつきやすいかなと,そのバックグラウンドになるかなぐらいに考えています。状況設定がシンプルになることによって,言葉の表現とか言葉の文型なんかもとても濃密になるんじゃないかなと。そういう中で,子供が自分で獲得していく言葉のバックグラウンドを豊かにしていってくれるんじゃないかなと思っております。
 それから,そのほかに季節の行事もやっております。季節の行事は,七夕とか,お月見とか,豆まき,それからお正月なんかをやっておりますが,この行事は日本の文化,学校に行けば,必ず日本の文化の紹介というか,いろいろ行事がありますから,その補助になるかなということと,それから地球っ子クラブでは,その国その国の文化をこの中に取り入れて,その子の国ではどうかなということを常に考えながらやっております。
 それから言葉遊びですね。そのパンフレットの一番上にありますのが動物ビンゴをやっているところなんですが,さっき言いましたかごめかごめとか,すごろくとか,かるたとか,童歌なんかは,時間が余ったときとか,いろいろなところで取り入れております。この言葉遊びを取り入れる意味は,さっきも言いましたように,発話のいいきっかけになるということ。それから,猛獣狩りに行こうよなんていうのがあるんですが,御存じでしょうか。「猛獣狩りに行こうよ,猛獣狩りに行こうよ,大蛇だって怖くない,ライオンだって怖くない。だって鉄砲を持ってるもん,やりだって持っているもん」と言って,「あーチンパンジー」とかって言うんですね。そうすると,チンパンジーですから6拍になりますよね。だから,そのときは6人ずつグループをつくるという,本当はグループづくりのゲームなんですけれども。なかなか外国の人には分からない拍の確認になるわけですよね。これは大人も一緒にやっていても,特に外国の人なんか,そうか,全然今まで知らなかったということが,意外なことにいっぱい出てきます。
 それから,さっき言いました手品。それから,さっき大蔵先生からもお話が出ていましたけれども,絵本とか紙芝居の活用です。例えば,ホットケーキの話をしたときなんかは,ホットケーキの関連の絵本なんかをたくさん集めてきます。ちびくろサンボの絵本とか,ぐりとぐらのホットケーキをつくった話とか,そういった感じで絵本の読み聞かせとか,一緒に本を読むとか,紙芝居を読むとかということをやっております。親が紙芝居を読む練習をして,子供に聞いてもらうなんていうことは非常に楽しくやっております。

(画像を見ながら説明)

芳賀 これ,お月見ですね。地球っ子クラブでは,なるべく個人個人ではなくて,みんなで一つのことをするということを目指しています。何かをみんなでつくり上げるということを目指して目標にしているんですが,このときはみんなで大きな紙に,なんか紙をいろいろ張りつけてやっている。大したことではないかなと思ったけれども,でき上がったものはかなり迫力のあるものができていました。
 これはお母さんたちが紙芝居を読む練習をしているところですが,楽しそうでしょう。日本人と中国の母さんとが一緒になってやっています。
 これはお正月の遊びで坊主めくりですね。ハラハラドキドキの画像です。
 これは,みんなで年賀状を使いまして,今年何をしたいということを書いたところです。いろいろなことが書いてありますね。「字が上手になる,ヒデオ」なんて書いていますけれども。
 これが,さっき言いました秋を見つけに行こうというときに,秋をみんなでチームで探してきて,そして探してきたものを,やはり一つのボードに張りつけて完成したものです。こういうふうに拾ってきた葉っぱで眼鏡ができたり,顔ですよね,顔ができましたね。
 これはすごろくですね。多分お正月のときの遊びだと思います。こういうのを大体,今日はこれで何をしようかなんてことを考えることがよくあります。
 これが,ここにいる人が青年です。青年よりもちょっと年上に見えますけれども,お兄さんです。このお兄さんがとても迫力がありまして,お兄さんがみんな大好きです。
 これも風船なんですけれども,初めはこんな調子ですけれども。これ,最後に子供たちが風船でいろいろなものができたところですね。これで大体画像は終わりかなと思います。
 体験中心になりまして,いろいろ体験がもしかしたらいいんじゃないかなと思ったことはあります。体験もとにかく盛りだくさんにしない。盛りだくさんにすると,子供たちは何をやっているか分からなくなっちゃいます。ですから,体験は盛りだくさんにしない。とにかくシンプルに,シンプルにすることによって,何をやっているかが分かるようになり,そして言葉もシンプルになって,それが言葉の交通整理役になっていくんじゃないかなと思っております。
 子供たちに何をやるかが分かる条件は,さっきも言いましたけれども,大人の人数が多いことだと思っています。この大人というのが,できればお兄さん,お姉さんという若い方が多いと非常に理想的だろうと思っております。
 それから,親子でやることの意味です。こんな言葉をあるお母さんから聞きました。「いろいろな日本語教室に通ってみたんだけれども,そのときにいろいろ教えてもらって,すごく勉強になったなと思うんだけれども,家へ帰ってきてみると,どこで使ったらいいのか分からない。でも,この地球っ子クラブの活動は,初めは遊びかなと思ったけれども,後になって親子で同じ経験をして,いろいろ話ができて,そして本当の勉強になったなと思う」というふうに言ってくれたお母さんがいます。
 私たちは,本当にさっきから言っているように,結果がすぐ見えないことをやっていますが,こういう発言とか,子供たちの顔に支えられて前へ進んでいるなと思っています。そして,そういうふうにおっしゃったお母さんは,今地球っ子クラブの中でクリスマス会の会計をやったり,いろいろな中国の遊びの紹介をしてくれたり,それから今回は地球っ子クラブ2000の委員も引き受けてくれましたし,地球っ子クラブ2000の会計そのものも引き受けてくれています。公民館では講師として,やはり中国の話やなんか,子育ての話などもするというふうにいろいろな活躍を始めてくれています。親と私たちが仲間になりやすいということをもう実感しております。それからあと,いろいろな人たちがいることの意味を感じております。これは,日本語指導員とかボランティア,学校の先生とかだけじゃなくて,親も,日本語指導員も,それから地域の青年たちも,それからお友達も,そしてゲストですね。特別に来てくれたお客さんも,そういう人たちがいろいろな人がいることによって,子供たちは体験になっていく,成長していくと思います。
 最後に,私たちは日本語支援ばかり考えてきてしまったんですね,最初は。15年度を始めるときに,思い切って日本語を横に置くというか,もう自分の気持ちの中では日本語を捨てようというぐらいに思ったんです。日本語を捨てたことによって,逆に子供たちの顔が見えてきて,そして子供たちの日本語の力になってきたんじゃないかなと思っております。
 ただ,ここへ来て,また来たいけれども来られない人,来たいけれども来られない子供の存在が私たちの前に出てきました。ということは,親子のよさは確認したんですが,親子であることによって,親子であることの矛盾も同時に感じたような気がしています。ということは,親と一緒にこの場所に通ってこられる子は,広いさいたま市の中で幸せな方なんですね。親子で通ってこられない子供たちがもっともっとたくさんいるんです。その子たちどうするの。それから親子でこうやって,体験はいいな,確かに身につくんだな。言葉の本当の力をつくっていくんだなということは確認したんですけれども,じゃそれで,そのままその子たちの学校での勉強の学力につながっていくのというと,やはりまだそれはできないんですね。ということで,ここまで来て,1年たって,私たちはまた一番振り出しへ戻って,同じところに戻ってきちゃったような気がしています。でも,この1年間を通じて,子供の心の安定とか,子供と本当に向き合うことができた,そういう場所ができたことによって,本当に今からが子供の学習支援とか,親の学習希望にこたえることとか,そういうことがもう1回振り出しに戻って,今始められるのではないかなと思っております。
 16年度は,もう一つ,地球っ子クラブに仲間というのかな,一番右の端に優優国際交流クラブというのがありますが,ここに協力をお願いして一緒に活動することにしました。というのは,ここもやはり1999年ぐらいから始めました小さなところなんですけれども,とにかく学習者というのか,外国の人とともに歩きながら,外国の人の声を大切にしながら,ゆっくりゆっくり進んできたグループです。そして,今ここではちょっと前から,やはり子供たちを育てているお母さんたちの読書会というのが,お母さんたちの希望で始まっております。その人たちに,お母さんたちの学習希望について,お母さんたちの仲間づくりを一緒にやっていこうということで,協力をお願いしました。これもやはり本当に4人ぐらいでやっている小さな小さなグループです。

(画像を見ながら説明)

芳賀 こんな感じで優優国際クラブというのをやっております。なんか読書会をしているのか,食事会をしているのかよく分からないような感じですが,ここからいろいろなことが出てきます。読書会ももちろんそうですが,バザーをしようかとか,国の料理を紹介したいので,そういう企画をしようとかということがたくさん出てきて,その声を聞きながら実現しているところです。これ延々と2時間で終わらなくて,いつも大抵3時間,4時間にわたるんですが,そういうところです。そういうところに支援をお願いしまして,子育てを卒業したお母さん,真っ最中のお母さん,それからプレママ*1も入りまして,子供を連れてきてもいいよということでやっております。大きいところができる必要はないと思っているんですね。大きなさいたま市ですから,小さなホームのようなところがあちこちにあって,そしてそこに自分の都合のいいところに通えるようになったらいいなと,そういうところがたくさんあることを望んでおります。
 最後に,これはもう1回繰り返しますけれども,私たちの地球っ子クラブの形は子供たちが決めた形です。これから,子供たちの学習支援なんかもかかわっていきたいと思っていますが,もともと日本語指導員ですからね。かかわっていくつもりですが,それもやはり子供たちの決めた形,子供たちが決める形をゆっくりゆっくり探っていきたいと思っています。親の日本語の支援にしても,やはりお母さんたちの声を聞きながらというのか,お母さんたちを主役にしながら,ゆっくりゆっくり進んでいきたいと思っております。16年度の文化庁の参加型の親子教室が終了するころに,少し方向が見えてきたらいいなと思っております。
 私たちは,子供とかかわるようになって,自分の都合でなく,ある日突然知らない国に連れてこられた子供たちから,いろいろなメッセージを受け取ったような気がしています。子供が自分でこういうことに困っているとか,こういうことがつらいということを自分で発信することができませんから,子供にかかわることになった私たちの─要するに,いろいろなところに発信することが私たちの仕事の一つだと考えてきました。
 今日,本当に子供たちに申しわけないなというぐらいつたなかったんですが,この子供たちのメッセージが詰まった地球っ子クラブの活動の紹介をすることで,多少子供たちのメッセージをお話しすることができたかなと。そして,そういうメッセージをお話しする場を与えられたことを本当に心から感謝しております。どうもありがとうございました。(拍手)

*1 プレママ これから出産する女性。


大蔵 ありがとうございました。
 最近の日本語の指導では,このように活動をベースにした取組というものがあちらこちらで行われております。言葉というのは何か伝える,何かをするためのものなんですけれども,子供というのは,言葉だけを取り出して語学をするというのはちょっと苦手なんですね。そういう意味で,こういう活動をベースにした指導というのが最近注目されております。ただ,問題点としては,活動をベースにしますと,日本語が身についたかどうかが分からないという不安なところがあるんですね。これは総合学習をやっていると,どんな学力がついたんだろうかというような問題とかなり近いものもあります。文部科学省の方ではJSLカリキュラムというものを発表しました。その中のトピック型というのが,やはりこれと同じようなものなんですけれども,やはり同じような不安を抱えております。
 こういった不安を解消するための一つのポイントというものがあります。これは,活動をベースにしてやっていく場合は,指導者側といいますか,我々の方が,この言葉を覚えさせようというターゲットをきちんと把握しておくということですね。ターゲット言語を設定して,その中でも二つに分けてほしいと思うんです。それは,この言葉は,子供の耳にどんどんどんどん入れていって,子供が何となく理解してくれればいいという理解言語と,この言葉は活動の中で,何とか子供の口から出させようというような使用言語,その二つを設定していくということが大切かと思います。
 それから,今の発表の中でもやっておりましたが,最後は感想文など,言葉にきちんと収れんをしてありました。その辺がとても大切だと思います。活動をベースにしたものなんですけれども,流れとしては,静かな活動,「静」に始まり「動」に移って最後はまた「静」に戻るというような流れを組むことが大切です。
 最初の「静」に始まるというのは,最初は先生の話を聞く,説明を聞く。何をするのかよく見るというところですね。そういう静かなところに始まり,次に先生に質問したり,自分はこうだあだと言って話したりすることですね,「話す」。それから「する」という活動ですね。でも,そこで終わってしまうと,今日1日何をしたんだか分からないまま終わってしまいますので,最後はまた「静」の活動に戻る。そこでの「静」の活動というのは,文字が使えるのであれば,書くというところですね。書いたものを読んで先生に聞かせる,友達に聞かせるといったような,読む,書くといったような流れ。この流れを大切にするということが,こういった活動をベースにした指導にとって大変重要なところです。
 また,この活動をベースにした日本語指導のいいところは,日本語力に差のある集団を同時に指導ができるというところです。昨日も全体会が終わった後質問されました。「同じグループで日本語力に差のある小学生がいて,なかなか大変なんです。何人かを一人で見ているんですか,少ないときでも5人です」というような話があったんですね。そういうときには,こういった活動をベースにしたものをやっていくといいと思います。なぜかといいますと,その活動の中で,この子供についてはこういう話しかけ方,言葉がけでかなりの難しいことを言ってあげよう。この子については少しやさしい日本語で言ってあげようということが,活動をベースにすると可能なんですね。
 特に,先ほどありました科学遊びですけれども,科学遊びというのはそういう意味ではとてもいいんですね。先ほども話がありました,まず科学的な遊びだと主要言語がある程度絞れるんですね。ですから,そういう意味ではとてもいいと思います。それから,予想するという場面が出てきます。ただ言葉の勉強,母語に置きかえるだけじゃなくて,自分の頭で考えてそれを言葉にするという活動ができます。そういうものとしてもとてもいいと思います。一番いいのは,先ほど言いましたように,日本語力の差のある子供にも対応ができるということですね。
 それから,活動をベースにした指導ですけれども,従来型の日本語指導を否定しているものではありません。ということを,最後はお分かりいただけたかと思います。結局,学力につなげる日本語の指導もどこかで必要だなということですので,学力につなげる従来型の日本語指導を否定しているのではなくて,また新しい形としての取組だというふうにとらえていただきたいと思います。
 特に,学力ということについては幅広く取り上げなくちゃいけないと思うんですね。学力というと,とかく思考力とか知識とか言語力,この三つに注目が当たりますけれども,それを支えているやる気という気力ですね。これも実は学力の中に含まれる大切なものなんですね。ですから,この地球っ子クラブの取組というのは,ここで楽しい思いをして,やる気を持って学校に戻してあげるということで,とてもいいことだと思います。
 地球っ子クラブの方も,のしろ日本語学習の方も,ぜひこういった取組を皆さんの方に公開する。特にこういうことをしました,指導案みたいな形で,これからもどんどん公開していっていただければと思います。文化庁の方でいろいろやっておりますけれども,それの事業報告書の方も,皆さんが閲覧できるような形を取れればと思っております。それは私が文化庁の方にお願いしていきたいと思います。各地域の取組を,その報告書を見れば,なるほどこんなことがあるんだなと分かるような事例ですね,事例集という意味合いになればいいと思っております。
 最初の予定ですと,皆さんからいろいろ御意見をちょうだいすることになっていたんですが,大分時間も迫ってきました。最後に,会場の皆さんから御質問とか,それからうちではこういうことをやっているよということがありましたら,御意見ちょうだいしたいと思います。恐れ入ります,手を挙げていただけますか。所属と,それからお名前をお願いいたします。

参加者 秋田市から参りましたKと申します。昨年度までボランティアとして,秋田市の小中学校に通っておりました。北川さんとは,初期のころからの指導でいろいろお手伝いしていただいたり,また手伝わせていただいた仲です。
 ちょっと話の中で,1項目だけ付け足させていただきたいなと思うのがありました。
 今年度から,秋田市が独自の県の予算で20名,30校に指導員を配置したんですけれども,2001年3月から,国の緊急雇用の予算でやはり指導員をつけました。最初は8名,18校,それが1月から3月まで。4月からの次年度に16名の21校。それでだんだん増えてきまして,県内ですから,20名というのはすごく少ないと思うんですけれども,それまで取り出しだとか,放課後指導でしかなかったサポートが,クラスの中に入っての学習サポートという方法が可能になったわけなんですね。それが日本語指導員だけでなくて,秋田市では独自にサポーターを指導員ということで付けているんですけれども,タイアップしながら,ボランティアにもそういうことが可能になりました。ですから,生活言語とか学習言語とか,私たち日本語指導員が別口に分けて考えなくても,意外とそのサポートの方法で,それがすんなりとできるようになってきているんだなというのを,ぜひ皆さんに伝えたかったということ。
 もう一つ,先ほど大蔵先生が能代の方の報告を見ながら,読み聞かせということをお話ししてくださいましたけれども,これも放課後指導の中で,週2回与えられていたら,1回は学習サポート,もう1回は読み聞かせという形をとった子供たちがいます。本当に最初はLDかどうかと思われるくらいに,集団生活,学習態度にはまれなかった子供たちが,それを半年ぐらい,毎週1回はこの先生が来れば本を読んでくれるんだな,自分の話を聞いてもらえるんだなという時間を設けていきましたら,教室の先生からすごく喜ばれまして,とても落ち着いて話を聞くようになった。とにかく授業中にうろうろしていて,多動じゃないかと思っていた子が,あとは隣の子にちょっかい出したり,つばつけたりしていた子が,なぜか落ち着いてきて,とてもその読み聞かせの時間を楽しみにしていると。
 どんな関係があるのか分からなかったんですが,そういう子たちの背景というのは,全然初期指導の段階の子供たちだったらば,日本語指導だけで済むんですが,もうそういう時期を過ごして何年にもなっているとか,あと片親が日本人のお母さんなのに,なかなかそういう集団生活になじんでいけないということで,県や市がそういう日本語指導員をつけたことによって,学校側がすごく要請しやすくなった。そこで私たちが入りやすくなった。その日本語指導というカリキュラムの中に読み聞かせを入れることによって,すごい子供にとってはゆとりもできたということなのかなと思って,読み聞かせということも今後視野に入れて,対象者によりけりなんでしょうけれども,やっていきたいなと思っております。
 すみません,自己宣伝でした。

大蔵 ありがとうございました。
 ほかにありますでしょうか。向こうの方の黒い服を着ていらっしゃる方。

参加者 東京から来ましたYと申しますが,質問なんですけれども。
 地球っ子クラブの活動は大変楽しそうで,そこから力を得ていくと思いますけれども。この楽しそうな活動は,日本人の子供たちにとっても,例えばお月見とかなんか,なかなかこのごろやらなくて,楽しいんじゃないかと思うんですね。
 それで,子供たちというのは同年代の子供から日本語を学ぶ,そこから習得していくということが大変大きいと思いますので,日本人の子供を,青年ではなくて,同年代の日本人の子供を巻き込むといいますか,入れるということはどうなんでしょうか。

芳賀 もちろん基本的にはというのか,いて当然だとは思っているんですね。ただ,やはりどうぞと言ってしまうと,今来ている子供たちの居場所が,もしかしたらなくなってしまうんじゃないかなと,それが心配です,今のところ。ですから,さっきもちょっと出ていましたけれども,お友達を連れてくることは,前から全然否定していませんので,そういうつながりで来ることはあります。だけれども,日本人もどうぞと言ってしまうと,今,日本人の子供も体験不足で,お母さんたちもそういう場所をすごく探していますので,どっとそういう人たちが来てしまうんじゃないかなと,ちょっとそこのところで躊躇しております。
 でも,将来的には,当然共生社会ですので,日本人の子供が来ても─来てもというか,当たり前だとは思っております。ちょっと難しいところです。

参加者 特に国際理解というところで,母国の料理紹介とか遊びの紹介とか,それは大人の人にとかというよりは,やはり同年代の子供たちにやるということで,本当のコミュニケーションが成り立って,そして日本人の子供たちにとってもとてもプラスになるしという気がして,幾つか小さい活動拠点といいますか,そういうのをたくさんおつくりになるということなので,もしできたら同年代の日本人の子供も含むような形も考えていただきたい。

芳賀 そうですね,そういうふうにしたいなと思っております。少しずつですけれども,進めています。ちょっとこの場をおかりして,1枚,磁石で遊ぼうという教案をお配りしていますので,何かのときにお試しいただけたら。私もつくった教案だけで,まだ実際にやっていないものです。もしできましたら試していただいて,いろいろ聞かせていただけたらうれしいなと思います。ごめんなさい。ついでに失礼しました。

大蔵 ありがとうございました。
 ということで,あっという間に時間が過ぎてしまいました。もう少し会場の方から御意見をいただきたかったんですけれども,それでも,今日御発表いただいたお二方の話の中から,たくさんのヒントが得られたのではないかと思います。もう一度,御発表くださったお二方に拍手をお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

大蔵 つたない司会で何とか来られましたのは,皆様の御協力のおかげだと思っております。それでは,第1分科会,これにてお開きにさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

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