日本語教育研究協議会 第2分科会

日時:平成16年8月4日(水)
文化庁

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日本語教育研究協議会
第2分科会 「地域の日本語学習支援の方法 ―施策の展開―」
松本 茂(東海大学教授)

松本 本日は,お暑い中お集まりいただきまして,ありがとうございます。ほかにも魅力的なセッションがあって,私自身も別のところに行きたいなと思っているぐらいなのに,このセッションにお集まりいただきまして,ありがとうございます。13:30から15:30までの予定で,「地域の日本語学習支援の方法 ―施策の展開―」ということで,皆さんと協議していきたいと思っております。
 この分科会は,ほかの分科会と多少違いまして,講師がずっとしゃべっているというよりは,聴衆の中にいらしていただいている地域の日本語の関係者の方々にも前に出てきていただいて,私はどちらかというと司会の役目です。高橋さんは笑っていますけれども,番が回ってまいりますので,よろしくお願いします。
 皆さんがお持ちの袋の中に,この「地域日本語学習支援の充実―共に育む地域社会の構築に向けて―」というパンフレットが入っているかと思います。これを,この後,下の方で販売します。この256ページにわたる本ができ上がりまして,でき立てなんですけれども,このプロジェクトにかかわった一員としまして,まず最初に,この趣旨を御説明させていただきたいと思います。それから,同じく,皆さんの方にハンドアウトとして,1枚ペラが入っているかと思います。今日は,このハンドアウトに沿って,1,2,3,4という展開で,ここにお名前が書いてある方々を中心に,前に出てきてお話をしていただきたいと思います。
 今日の我々のセッションは,午前中のセッションの内容とかなりかかわり合いがありまして,まず,地域における日本語学習支援ということに関して,基本的な哲学として,日本全体でやはり共有しておいた方がいいだろうということがあります。それぞれの学習者あるいは地域のニーズが異なることはよく分かっているわけですけれども,施策として文化庁を中心に行っていくときに,日本語学習支援というのはどういうコンセプトであり,どういう理念を持ったものであるかというのを,2004年のこの時点でなるべく共有しておきましょうというのが必要なのではないかというふうに,我々編集委員あるいは執筆者が考えたわけです。ちなみに,この本をお持ちの方は256ページ,最後のところに,編集委員及び執筆者の方々のお名前が列挙されているかと思います。ですから,私たちは,文化庁の意向に沿って仕事をするというよりは,文化庁の方々とディスカッションをしながら,2004年,この時点において日本語の学習支援というのはどういうものかということを考えて,研究を進め,執筆をしました。
 外国人という考え方自体についても,今日の午前中のセッションでも話がありましたけれども,外国人という発想で私たちが何かをしてあげるという発想でいいのかというところから,当然ディスカッションは始まっております。最終的には,同じ地域に住む住民,市民ということで,お互いのために生活環境を良くしていきましょうということなわけですけれども,当然日本に来られてすぐの方々は,私たちとは違う意味でのニーズを抱えているということも同時に認識しなければいけないと考えております。
 そのニーズという中に,大きなポイントとして,日本語ができないということが浮かび上がってくる。日本語ができないことによって,日本の人たちとうまくコミュニケーションをとれず,日本の生活にもなじめないということで,日本語学習イコール生活に溶け込む,つまり私たちの立場からいうと,学習支援イコール生活支援と。ですから,最初の部分では,やはり日本語を何とかしてあげるというような意識は当然必要なのではないかと考えています。
 それと同時に,先ほどのシンポジウムにおける横浜市のYさんの御発言がありましたように,学校に自分の子供を預け放しという,頼り過ぎというのは,別に日本人だって同じじゃないですかという,ああいう発言で,あっ,そうかもしれないというふうに気付きが起こるわけです。ですから,私たちの立場から外国の方々を支援しているつもりでやっていく最中に,私たちの側にいろいろな気付きが起こり,私たちにとっても,この学習を支援するということが貴重な体験になるのではないか。もう一つのセッションで,判断留保の渡辺先生が実証をされていますけれども,今まで私たちが当たり前と考えていたことについて,立ちどまって考える,あっ,そう言われればそうだと。そういう発想の転換が,我々のように前から日本に住んでいた人間の発想が柔軟になることによって,お互いにとって,あるいは日本人同士であっても住みやすい社会になっていくのではないかという意味で,この学習支援の機会をとらえるということも大事ではないかということを,執筆に際してのディスカッションの中で皆さんとお話をしておりました。
 この本をまとめるに当たって,具体的なニーズに関しては地域それぞれ違いがあるということですから,幾つかのモデルを提示するということに最終的には落ち着いております。本の中に,例えば武蔵野市の例が取り上げられておりまして,今日も武蔵野市のお話をしていただきますけれども,我々のスタンスは,武蔵野市の場合には武蔵野市という環境があるからできる部分がかなり大きいというふうに考えています。
 例えば,東京の場合ですと,外国人がいらして,その外国人がどういう目的で日本に来ているか,武蔵野市の場合だったら,どちらかというと知的な仕事に従事している方が多い。かつ,日本の住民の方の中にも,学歴が高くて,なおかつこういうボランティア活動に非常に熱心な方々がいらっしゃるというような背景があってできることと,かつ,日本語学校もあるし,大学もあるしという,日本語そのものを学習する環境もある中での日本語学習支援のケースと,ほとんど外国人がいらっしゃらない,かつ日本語学校もないというような状況における日本語学習支援というのは,当然違いがあるだろうということです。この本をまとめるに当たっても,これでなければいけないというような正解を出しているつもりは全くございません。いろいろなケースがあるという中で,今までの前例に学ぶという意味で,幾つかのモデルや,幾つかの体験を提示させていただいて,そこから皆さん方が,地元のニーズに,あるいは外国の方々のニーズに合ったプログラムをつくっていただければということを考えた次第です。
 それで,AJALTから今日配られた茶色の本にも,最後の方に幾つかの提言がまとめられておりました。一番最後だったと思うんですけれども,その中に,行政の方々に対する研修が必要であるということが書かれてありました。その冒頭で,行政の方々は2,3年のサイクルで立場がかわるという指摘があります。これは重要な指摘だと思うんです。私たちがこの本を書くときにも,皆さんのようなボランティア活動を推進される方と,それから,行政の方々に対してどうメッセージを発するかということを一番強く頭にとめて書きました。つまり,今まで,何か全く別の部署で働いていた人が,急に,別に自分の意思とは関係なく,地域の日本語学習支援に携わるポジションに横滑りしてくるわけです。そのときにどうしたらいいかと悩まれる。単に日本語を教えればいいんだろうという発想では困るという考え方です。そういう人たちが頼るものが今何もない。となると,やはり皆様方に幾ら御尽力いただいても,行政の人を2,3年育てたのに,その人が替わることによってまたゼロからのスタートになってしまうとか,あるいは,全然違った考え方を持ち込まれて,今までやっていたものが,ゼロではなくて,今度はマイナスになってしまうというようなケースもままあるようです。そういうことがないように,行政の方々が読んでも分かりやすいようにという認識でこの本を書いたつもりです。もちろん,皆様方から,こういう部分が書き足りないとか,日本語が読みづらいとか,もう少しこういうふうにしてくれたらよかったのにというようなお考えもあるかもしれませんけれども,我々の中で精いっぱい意見統一をするような方向でディスカッションを進め,文章に関しても編集委員を中心に何回も読み比べて,20数名執筆者がいるので,いろいろな日本語のスタイルがあるわけですけれども,なるべく統一を図って,皆さんに読んでいただけるようなものにしたつもりです。
文化庁の方も御尽力いただき,こういう,書店に並べても恥ずかしくないような,思わず手にとってみようかなというカバーにもしていただきました。木をモチーフにしたのも,いろいろな願いが込められているようですので,そういう意味で,文化庁さんにも大変気を遣っていただいて,時間もお金も使っていただいて,この本が世に出たということで,大変うれしく思っています。ですから,皆様方の地域でも,この本を活用されて,今後活動を充実していっていただければと思っております。 それでは,まず最初に,なぜ今地域で日本語学習支援が必要なのか−地域における日本語学習支援活動の歩みと現状−ということで,文化庁の野山さんからお話をいただければと思います。

野山 お手元に本があることを前提に話をすることはできないかと思いますので,無いということを前提に私の話を進めていきたいと思います。
 まず,今,松本先生の方から,この約3年間の歩みについて,つまり,この本ができるまでの経緯について話をしていただいたわけです。この本の編集・出版の根っこ,基盤は,もともとはさかのぼること約10年,平成6年度から平成12年度までの7年間に,8地域で,日本語教育の推進事業という委嘱事業を行いまして,8冊の報告書が提出され,地域の状況を反映した提言がなされたことにあります。この報告書の中でいろいろな提言がなされましたが,その際指摘された課題の一つに,先ほどから言われていますように,日本語関連の事業の担当者や関係する行政官が短いと1年,長くても数年で異動してしまうということがあります。異動してしまった結果,その人の存在によって事業が動いていたような地域の場合は,あっという間に事業そのものがしぼんでいくという状況に陥ってしまう。そうならないようにするために,例えば,新任の担当者に対して,この本を1冊渡して「これを手元に置いて必要に応じて読んでください―そうすれば,地域における日本語学習支援の概況や教室の開設・運営の方法などがわかりますから―。」というふうな活用のできるハンドブックのような本を作って欲しいという声が上がっていました。
 本を作るに当たっては,文化庁としてのリソースといいますか,資源は,8冊の報告書であったわけです。その報告書を緻密に読み上げていき,なおかつそれに書かれている内容,つまり地域で収集・分類・蓄積された情報や知見を皆さんに提供して共有する。あるいは読んでいただくことによって,学習支援活動の充実へ向けて,何らかのお役に立てればいいのではないかということが,一つはありました。そのために,協力者会議を3年前に開設しまして,松本座長のもとでいろいろな議論を積み上げてきたということです。 松本先生には,この会議以前に,東京都の武蔵野市で推進事業を行う際にも協力いただきました。実は松本先生はもともと,かつて武蔵野市民でもあり武蔵野市国際交流協会とのご縁もあったということでした。こうした背景もありましたので,当時の推進委員会の委員になっていただきました。また,委員会は親会議と専門部会の二種類に分かれて動いていたのですが,その専門部会の方にも入っていただき,部会長を務めていただきました。部会長はじめ関係者の皆さんのお陰で,3年間かけて作り上げたのが武蔵野市の報告書です。
 そのとき報告書で打ち出した理念というのが,共に育む「共育」ということです。これは,共に育つ,共に育むと書いて,「きょういく」と読みます。教え育てる,あるいは育て教えるという言葉ではなくて,共に育むという言葉を使って,地域の日本語の学習支援の場を表せないかということで,この理念といいいますか,新たな概念を打ち出したわけです。
 この概念,コンセプトを打ち出すときの議論の過程も,委員同士,お互い充分な対話ができたという意味では,なかなかの醍醐味がありました。このような学習支援の基盤となる理念や考え方も繰り込みがら,なおかつハンドブックとして現場で役に立つ内容・方法や情報についてもぜひ入れましょうということで,先ほどのチラシにも書いてありますが,この本は「地域における日本語学習支援の基盤となる考え方や方法論を示した「羅針盤」です」というふうになります。例えば船の羅針盤というのは,大まかな方向が示してあるだけで,現代の乗用車のナビゲーターのように細かい地図や指示が出てくるわけではありません。それでも羅針盤に従って進んでいくと何とか目標となる大陸や港にたどり着くというわけです。そういう意味でいうと,この本を今後羅針盤として,地域の状況に応じてできる限り活用していただくことで,目標とするような教室の開設や運営に貢献できれば―というふうに思っています。
 昨日から,本の販売所に置いてあります。昨日は50冊しか置いていなかったということで,あっという間に完売してしまいました。今日は少なくとも100冊は置いてあるはずなので,この分科会と,それから第1分科会と第5分科会は地域の日本語学習支援とはとても関係が深い分科会でありまして―,まずは手にとって中をみていただくだけでもありがたいです。国立印刷局から出版しているのですが,初日に50冊しか置かなかったということから考えても,一般の人から見ると日本語教育の世界に対しては,まだ理解が薄いことがわかりますし,まして地域の日本語学習支援の世界については,皆さん御存知じのように,都道府県や市町村の外国籍住民の在住状況によって相当理解の差があります。こうした不充分な理解や誤解の軽減のためにも,この本が何らかの貢献ができたらと思っています。
 それで,ここから表紙の話に移りますが,表紙には樹木をこうやって象徴的に入れました。今,松本座長の方から説明があった通り意味があって,こういう表紙を作成したのです。私自身が大学の学部生のころに,自然と人間の調和・共生を目指す行動グループみたいなサークルに入っていました。植林や植樹活動を高知県の山の中でやっていたのですが,そのときにいろんなことを感じました。その一つが,やはり木を育てるにはものすごくいろいろな人の手と,ねばり強い努力や長い年月と,大きな経費がかかっているということでした。地域の日本語学習支援の現場というのも,最終的に行政サービスとしての日本語学習支援を目指すとしても,それまでにはまだ時間がかかりそうです。さまざまな関係者の手と,日本語習得支援へ向けた気の遠くなるようなねばり強い努力と,教室を支えるためのお金や人材が必要だということを考えると,こうしたことを包み込んだ表象的な存在,イメージシンボルとしては,樹木というか大木がいいと考えました。
 木というのは,こうして育っていくときに,それぞれ根っこを張にながら大きくたくましく育っていくわけですが,必ず,ほかの木や植物も育つように,枝や葉の間に適当なすき間があいていて,太陽の日差しというか恵みが入り込んできて,お互い光合成ができるようになっています。これは分かち合いの精神みたいなもので,そういうイメージをこの木と太陽と光で表そうとしています。今日の午前中,最後のお話で色の話が出てきたと思いますが,これは色でいうと信号の黄色と青と赤,つまり三原色が入っています。この三原色はいろいろ変容し得るし,ある意味で多様性があるわけですが,変容し得る色でありながら,今朝,緑の話のように,互いに変容しながらも,安定する根をしっかり張りながら,育っていくというようなことを目指せたらいいなあ---ということで,この表紙になったということです。
 写真の話なんですが,ちょっと暗くて恐縮ですが,冒頭の3ページ分はカラーの写真を載せてあります。最初は日本語を通した交流ということで,交流活動の一環で一緒に料理を作ったり,あるいは生涯学習の教室活動の一環で,万国旗の下で語り合ったり,活動の記念としてみんなで記念撮影したり,ここには「はい,チーズ」と書いてありますけれども,後は,一緒に日本のじゃんけんぽんをやって,これから何かを試みようとしたりしています。こうした交流型の日本語教室の風景というのは,どのような状況の地域においても,少なからず見かけられる風景ではないかと思います。
 この下の左は日本語教室です。20人近くの学習者が大きな教室でひとりの先生のもとで勉強している,典型的な大教室の例です。上は10人ぐらいの学習者が,非常に和気あいあいとした雰囲気の教室で勉強している光景,それから,右の下はマンツーマンの応用バージョンで,一人の学習者に二人の支援者が張り付いているような方法ですね。右の上は,実は右の端っこに乳幼児が一緒に参加していて,親子参加型の日本語教室の光景なんですが,実は,この横では,一人の学習者と一人の支援者がマンツーマン方式で勉強していまして,全体としては併用型の教室になっています。こうした教室というのが,これら4枚の写真で一応あらわされていて,これで幾つかの方式の教室のイメージを持っていただけたら幸いです。
 その下です。この写真は,親子で一緒にこういう道具を使って,共に遊ぶということなんですけれども,一緒に手をつないだり,体に触ってやるということは,原始的なふれあい体験としては非常に重要なことなので,一枚入れさせてもらいました。これは親子の日本語教室の風景で,海外から来日した配偶者,つまりお嫁さんが多い地域の教室なんですが,夫である男性や他の家族の協力なしでは教室が成立しないという状況の地域にあります。この夫が車で送迎してきて,お嫁さんが勉強している後ろから,子供を抱えながら,どんなことを勉強しているのかのぞいているという状況です。子供は寝ていたり,起きて遊んだりしていますが,子供も実は結構この状況を理解していて,何度か幾つかのところで話しましたが,この子供は決して親の勉強の邪魔をしないんです。というのは,一生懸命勉強している母親の後ろ姿を見ていると,子供はなぜか勉強している姿を応援したくなるようで,その時間帯は泣いたりわめいたり,例えば親に何かを求めたりすることを,決してしないという状況というか心境になるようです。これは,こうして,子供がまさに,親の背中を見て育っているような,親子の教室の象徴的な写真として掲載しました。
 それから,こちらの方の子供です。この子供たちは,例えば浜松市の場合ですと“カナリーニョ教室”というのが開かれていて,バイリンガルの先生や支援者が,この子供たちに教科補習をやっています。その一面を把握してもらうために載せた2枚の写真です。
 最後のページに移ります。上の方です。上の方は,いわゆる地域の教員養成・研修の雰囲気をわかっていただくために,これは島根で行われた研修の風景なんですけれども,掲載させてもらいました。
 こちらは,小中高等学校の教員向けワークショップですが,これは,武蔵野市で行われているワークショップの一部でありまして,学校の教員に対する研修を国際交流協会がコーディネータ役となって実施しており,その実験的かつ画期的な事例をここに載せたわけです。
 その下の子供たち,4枚の写真が載っています。この一枚は,例えば親子の日本語教室に来ると,子供は字を見ると反応し始めて,自分の名前を書きたいという気持ちになり,字を書きたがるので,母親がその子の名前を書いてあげて,それを練習しているという状況の写真です。こっちは「読んで聞かせて」と書いてありますが,読み聞かせをしてほしいという場合に,子供が休み時間に支援者にねだってきます。それに対応して,担当の講師が読んで聞かせる場合もありますし,母親がその本の題名を覚えておいて,日本語が読めるようになったころに図書館から本を借りて,母親自身が読んであげられるようになるというようなことが起きはじめているということを伝えています。
 こちらは,長野県の事例です。親子の日本語教室で,子供と大人が一緒になってこうやって,これは紙芝居のような活動を通して親子の会話がはずむというような風景です。
 これは,武蔵野市の事例です。日本語の教室にかかわっている人が丸ごと中学校に行って,中学生とともにいろいろなことを語り合ったり,ゲームをしたりするという事例の写真です。いろいろなバリエーションの写真を3頁の中に凝縮して載せましたので,ぜひ初めて日本語教育の事業を担当する人にはこの写真を見せて差し上げて,「こんなふうにやれるといいですよねえ―」というような話をしてもらえたらありがたいです。よろしくご活用くだしさい。
 本文に入ります。?章では,地域でどうして日本語学習が必要なのかということについて私が書いているところがあります。ここは,要は歴史的な経緯と,現在の状況についての話を進めているところです。
 関連して,次に,地域の日本語教育の推進事業の報告書が出たときに,どのようなことが指摘されたかということについて,かいつまんで口頭で説明します。
 神奈川県の川崎市から報告書が出たときには,主に考え方の話が報告書にたくさん載りました。昨日のシンポジウムでも少しお話しましたが,川崎とか大阪は,識字教育の問題から日本語学習支援が始まっている地域であります。読み書き教室と日本語の教室の抱える問題が融合され,徐々に解決されていったわくですが,その以前から,理念の話は強く押し出されていました。その理念について多く触れた提言が,多文化共生社会の構築ということで,川崎から出されました。
 群馬県の太田市は,昨日も北澤さんがパネリストとしてお話してくださいましたが,国際理解教育の推進ということで報告書をまとめています。その結果,子供たちの国際理解教育を推し進めていく経緯の中で,バイリンガル教員の雇用を可能にする特区の体勢作りの話など,需要に応じたささざまな先進的試みがなされはじめています。
 静岡県の浜松市は,未来を開く教育の展開というテーマで提言をまとめています。それで,その後,異文化の狭間にあって学校にもいけなくなったり,いかなくなったりした子供達の声を聴き,未来につながる学びの場の提供をするために,“カナリーニョ教室”というバイリンガルの補習教室が誕生したという経緯があります。
 それから,山形県の山形市について,今日は後で高橋さんという,当時の担当補佐,今は出戻りで課長になっておられますが,会場においでいただいていますので,話をしていただきます。外国人にも住みやすいまちづくりを目指した日本語教育の展開という提言をまとめてもらいました。これは,午前中の話にも出てきましたが,外国の人にも住みやすいということは,イコール日本の人にも住みやすいという話でまとまっています。
 それから,武蔵野市は,先ほどから申し上げているように,市民が共に育つような日本語を通した交流プログラムの展開ということに焦点を当てながらまとめてあります。
 大阪市の場合は,識字の問題も含め,日本語教育を総合的にとらえた地域識字日本語教育推進体制の構築ということでまとめています。
 福岡県の福岡市ですけれども,ここはとても留学生が多い地域なんですけれども,内外の国際化と日本語習得支援の充実ということでまとめています。
 沖縄県の西原町,ここも琉球大学がすぐそばにあるんですが,地球市民としての共育の場になり得る日本語交流教室の展開ということでまとめています。
 このような地域がつながって,全国で展開されている典型的な事例をふんだんに取り入れて,この報告書というか本ができ上がった関係で,実はこの本は地域日本語教育推進事業の報告書のまとめでもあるとともに,付随して副産物として出てきた幾つかの事例や知見が入ったことにより,別の使い方もできるような構成になっています。目次を見ていただくとわかりますが,例えば新しい日本語教育能力検定試験の出題範囲・内容で見ると,社会・文化・地域の領域・区分の中に,日本の各地域の日本語教育事情という項目が入っています。ですから,使い方によっては,地域の日本語教育事情の教材としても使えるはずですから,そのような使い方をしていただいても結構だと思いますし,ここに来て下さっている執筆者の方々を直接招へいして,生の話をしていただくことも考えられるかと思います。
 私の話はこの辺にしまして,次は,皆さんのお手元にある資料の,長野県の事例に最初に触れていただきたいと思います。年少者に対する学習支援の重要性ということで,春原さんと熊谷さんが共同で書いてくださった頁があります。ここで書いている内容というのは,長野県全体で起きた年少者の日本語教育を支えるための一つの大きな動きのことについてなんですが,そのことについて,実際に書いてくださったお二人に,動きの概要はもちろん,その裏話も含めて,とっておきの話をしていただければありがたいと思います。
よろしくお願いします。

松本 今のところ,何か本の宣伝のイメージが強いので,本を買わなくても今日は良かったという中身にしたいと思いますので,よろしくお願いします。

春原 長野の春原と申します。セットで参っておりますが,相棒の熊谷でございます。よろしくお願いいたします。
 今,ここへ来てレジュメを拝見して,急きょ頭の中を組み替えて壇上に上がっております。どきどきして,あらぬことをしゃべりそうな気がしております。
 私は,今,御紹介いただきましたが,昨年の4月から,長野県国際交流推進協会と申します,県の外郭団体,交流協会の常務理事兼事務局長という職をいただいております。その前までは,民間の,いわゆる長野県日本語ネットワークの代表ということで,この事業にかかわってまいりました。昨年から,仕事としてかかわっております。
 長野県では,御承知の方もおるかと思いますが,SANTAプロジェクト,外国籍の子供たちの就学援助ということを,平成14年から,実際には研究活動等はもうちょっと前からやったんですが,平成14年度から外国籍児童就学援助委員会というのをつくりまして,SANTAプロジェクトという事業を進めてまいりました。これを進めていく中で,子供たちが就学していないという状況,これを何とかしようとするのがSANTAプロジェクトだったわけですが,これは金銭的な援助をするというものでした。その中で,子供たちが学校に行く橋渡しを何とかしなければいけない,その一つが日本語だったわけです。
 日本語教室というのは,長野県にはたくさんございますけれども,何とかそういうSANTAプロジェクトの中で有効な手だてとなるべく,日本語教室というものを展開しなければいけない,そんなふうに考えていた折,実は文化庁さんからこの事業の打診がございました。考えるのは後からということで,ファックスを見ただけで手を挙げていたことを,今,思い浮かべております。それで,今,お話しましたように,橋渡しになるような日本語教室ということで,展開を始めるわけですが,日本語という,日本で生活をしていく上でちょっと便利な道具,これを皆さんに身につけていただく,そんなつもりでいたわけです。
 長野県には,今,お話ししましたように,大人のための日本語教室はたくさんございます。たくさんございますというのは,長野県という地図をちょっと思い浮かべていただくと,北に向かって川が流れています。それから,諏訪湖というところから南の方に川が流れています。長野県というのは,山があって,谷があって,そういう地域が非常に分断されている地域です。したがいまして,川沿いの文化,川沿いに点々と町があり,そこに点々と日本語教室があるわけです。長野県には,駅前のNOVAというような便利な日本語教室はないんです。そんなこともございまして,文化庁の事業で親と子の日本語教室を始めるに当たっては,県内で3か所,できれば4か所開設したかったんですが,3か所という展開をしました。これは今申し上げたように,不便な地域ということがあって,3か所にいたしました。
 それから,長野県の場合は,全県で一つの実行委員会をつくりました。それで,県の国際課が事務局を担当しております。開催地の教室の関係者の皆さんに実行委員になっていただき,なおかつ,開催地の教育委員会からも,それから県の教育委員会からも委員さんを出していただいております。そんな委員会をつくりまして,開催にこぎつけました。
 そんなことで,開催を始めたんですが,これはまた相棒の方から報告がございます。長野県の場合は,やはり変わった知事がおりますので,変わったというのは,人が変わった,人間性のちょっと変わったという,そういう二つの意味がございますけれども,変わった知事が,この事業の報告を受けたときに,長野県でもやれと,長野県の予算も投入しろと,そういうことで,昨年から文化庁の予算で3か所,それから県の予算で5か所,計8か所を展開するように発展しております。さらに言えば,変わった市長,町長がいて,おらっちの村でもやれと言ってくれるとさらにありがたい,そんなふうに思っております。
 あと,新しい動きとしては,そこに通ってきたブラジルのお母さんたちとか,それからタイのお母さんたちが,自分たちの母語を子供に伝えたい。ですから,タイの方なんか特にそうですね。お嫁さんに来ているわけですから,その子供は日本人としてこれから生きていく。そういうふうになりますけれども,私の言葉を伝えたい。それから,定住化傾向にあるブラジルのお母さんたちも,私の言葉を伝えたい,そんな新たな動きが出始めています。
 あと,長野県の場合は,平成16年の入試から,外国籍の入試特別枠というのができました。県の教育委員会では,高等学校は日本語教室ではない,日本語学校ではない,こういうふうに言っておりますので,そこに到達させるためにも,私たち,この教室というのは非常に重要な役目を果たすかなと,そんなふうに考えております。
 必要性ということでしたが,話がちょっとずれて申しわけございませんが,補足は熊谷がやる予定でございます。

熊谷 長野県から参りました熊谷でございます。
 私は県の職員でありまして,2000年ですから,平成12年から県庁の国際課というところに勤めておりました。3年間勤めて,昨年の4月からは部署が変わってしまったんですが,春原さんとのつき合いというか,自分自身がこれだなと思ってしまったので,どっぷり今この世界につかっていまして,現状は全然別の仕事を任務でやっているんですが,そっちをおろそかにしてこれをやっているというわけではなくて,今日はちゃんとお休みをいただいて参りました。
 春原さんが大体の流れをおっしゃってくれたので,私は補足的なところだけなんですが,私,着任した平成12年のころには,もう既に武蔵野とか,山形とか,いろいろなところで,文化庁のモデル事業をしていたということはさらさら知りませんでした。しかも,国際課というと,国際交流をやる課だと思って行きました。ただ,ラッキーだったのは,当時経済も悪くて,県の財政も厳しくて,事業をゼロから見直す。皆さん一番直面していると思いますが,予算がないという,そんな中で,国際交流という対外的なセレモニー的なものが非常に風前の灯というか,もうすぐ吹き消されてしまいそうな感じになりました。私,財政課の出身でもあったものですから,これは消えてしまうだろうなと思っていたんですけれども,いわゆるゼロから考えたときに,国際課がやるべき仕事とは何かなとふと思ったときに,自分が引き継いだ仕事が外国人向けのハンドブック,生活ハンドブックをつくるという仕事だったんです。
 それを作って,そのときに初めて,最初は200ページぐらいのものを作って,春原さんたちのグループとか,ほかのいろいろなグループに見ていただいたら,こんな順番ではだめだよ,緊急時の対応,それと外国語で対応できる病院,そんなものを前の方にもってこいという話を聞いて,ああ,何だ僕は机の上で作っていたんだなと思って,そのうちに,やっているうちに,結局400ページぐらいになってしまったんですが,ただ,現場で声を聞くことは大切だなと思いました。それと同時に,予算がゼロ,厳しいときこそ,今,社会に必要なもの,それは何かということを財政当局にも,知事にも訴えていく必要があるなということで,結局国際交流をやめてしまったというわけではないんですが,長野県が外国籍県民の支援に大きく乗り出そうということで乗り出したのが,平成13年からという,非常に遅い段階でした。
 先ほどお話もありましたが,そんな中で,政権もかわりまして,知事がそういった点で,県政を改革できる新たな視点はないかということで,外国籍県民の支援施策ということを,いわゆる今までの英文で出しているチラシというのではなくて,より住んでいる外国人のために,情報提供を母国語でやっていこう,母語でやっていこう。それと母語による相談体制をつくろう。それともう一つは,支援だけではなくて,県民もともに共生していくような参画づくりをしていこうと,こういう三本の柱で始めました。
 考え方としては,外国人という読み方をやめて,籍が違うだけで同じ県民なんだということ,それと先ほどの全体会議で西尾先生がおっしゃられていて,大変うなずいたんですが,同じ税金を納めている県民,外国籍であるか,日本籍であるかという違いだけであって,同じ税金を納めているのであれば,彼らに対しても一定のコストを行政は出していくべきではないか。例えば児童手当の申請をするときにも,何で日本語でしか申請書のフォームがないのか,なぜポルトガル語の申請書がないのか,そんなことをワーキンググループで話し合いをしながら,そんな組み立てをしてまいりました。余り長くなってはいけないんですが,そんな中で,いわゆる県民の支援という観点でいったときに,最も大きな問題は何かなと行き当たったのが,外国籍児童の不就学の問題でした。ですので,我々,先ほど春原さんからお話しいただいた日本語支援ということは,最初はスタートはありませんでした。言葉の壁というイメージはあったんですが,児童,年少者のための日本語支援というのは,もうずっと後になって必要だなと気づきました。そのアプローチの一番最初が不就学の問題で,調べてみたら,長野県内,外国籍の児童,4人に一人が学校に行っていない。ブラジル国籍,約2万人を超えるブラジル人のうち,ブラジルのお子さんは3人に一人が学校に行っていないという事実が分かりまして,そんなときに考えたのが,県民で,そういう事実を広く知って,それで募金活動で経済的要因,いわゆる不就学になっている経済的要因を支えていこうとしたのが,これがSANTAプロジェクトというものでございます。
 さっき春原さんの話にもあったんですが,募金,いわゆる不就学の原因となっている経済的支援をSANTAでやるだけでなくて,もっと社会的な,学校になぜ適合できないのか,適合というよりも,なぜ学校をやめてしまうのか,なぜ学校に行かないのか,親が学校の重要性をなぜ感じないのか。そういった,もう一つの社会的要因を解消する何かいい施策はないかなと考えていたときに,文化庁の野山さんという方から通知が来まして,それで,もうこれはSANTAプロジェクトの一環として,長野県として,当時驚かれたんですが,本当に県でやるんですかと言われて,市町村ではないんですかと言われたんですけれども,全く分からない施策だったんですけれども,県で3か所スタートすることになりました。
 その後,その効果が非常に出てまいりまして,私は,親と子の参加型学習のすぐれた点,最後に申し上げて終わりにしたいんですが,親と子ということは,家族で参加できるという,先ほどの写真にも,お父さんがこうやって見ている写真がありましたが,本当に生活に密着した形で日本語というのが教えられるなという点で,これがまた日本人,外国人とのコミュニティーの形成にもつながっていくんじゃないかなと思っています。
 それともう一点は,実行委員会形式というのをこれがとっていて,そこに対して国からお金が出るということ,これはすばらしいことだと思います。というのはなぜかというと,我々,民間のボランティアだけでやっていると,行政からは補助というのはなかなかしづらいんです。生涯学習的な意味合いで支援しよう,公民館活動として支援しようというのだったら支援は堂々とできるんですけれども,これが日本語教育だという形になってくると,憲法89条の,公金の支出制限というのがかかってきてできないので,一番最初にこの文化庁から通知が来たときに,これは教育ですか,それとも生涯学習ですかと,すぐ電話して聞きました。そしたら,これは教育なんだと,野山さんが答えてくれました。なので,教育に対して実行委員会形式,いわゆる行政も実行委員会に入っているんだよ,そういうことで,公はそこにどんどんお金を入れていくことができるということで,私たち,このSANTAプロジェクトで県民活動として県のお金は一銭も出ていないんです。というのは,憲法89条の壁があって,ブラジル人学校にはお金が出せないからなんです。なので,89条という制限をうまくクリアしてくれたという点では,大変ありがたいなと思っています。
 それと,行政が参加することによって,地域の日本語教室が,信頼性が非常に増したというか,オーソライズ*1されたというようなお話も聞いています。それとまた,地域での日本語指導の輪が広がった。それと,地域の日本語教室の活性化につながった。やはり,学習者が減ってきた。スタッフも減ってきた。財源も厳しい。そんな中で,この親と子の日本語教室というのを各地に設けたところで,非常に活性化につながったということでございます。
 結局,自然な流れで,そこから地域での親と子の日本語教室を支援するため,またそこで広がった輪を支援するために,では,行政として何ができるのかなと考えたときに,地域の声,一番多かったのは教材が欲しい,いろいろな教材を一遍に見たい,それと教材づくりの助けをしてもらいたい,そんなことで,親と子の日本語教室のある場所に,今,日本で出ている初中級の日本語指導の教材を200冊から300冊ぐらい県下7か所ぐらいに置くことを県で始めました。これが,長野県日本語学習リソースセンターといっているんですけれども,まだ教材しか置いてございませんが,ここをもとに,県内のネットワーク化を進めていこうと思っています。幸いにも,慶応大学のCOEという,政策研究グループが,特に言語政策の点で注目してくださいまして,昨年から5年間の計画で,長野県日本語学習リソースセンターを舞台に一つの研究をしていただけるということで,これからITを利用して,同時多方向の,会議システムのようなものを,それぞれのリソースセンターに入れて,地域の日本語学習,また生活支援のサポート,こんなことを行いながら,県内の日本語教育といいますか,ネットワーク化を図っていきたい,そんなふうに思っております。
 大変長くなりましたが,よろしくお願いします。(拍手)

*1 オーソライズ (authorize)権威を与えること。公認すること。


松本 年少者に対する学習支援に関しては,我々の本の中では,今日会場に来ていただいております関口委員にも書いていただきました。後ほどまた少しつけ加えのコメントを,この分科会の最中にいただきたいと思うんですけれども,まず,この二人に御質問等ございませんか。
 熊谷さんのような行政の方ばかりだと我々の仕事は大変楽になるわけで,こういう方々を増やしていくことも私たちの大事なポイントなのかなと思いますけれども,これからもぜひよろしくお願いします。  では,ありがとうございました。
 では,引き続きまして,人間関係の構築の重要性ということに関しまして,武蔵野市国際交流協会のコーディネータ,杉澤さんにお願いしたいと思います。

杉澤 武蔵野市国際交流協会の杉澤と申します。
 今回の冊子なんですが,松本先生は宣伝するなというんですが,ぜひ宣伝させてほしいなと,私は思っています。というのは,今,長野県の熊谷さんがお話しくださいましたけれども,行政の中には,このような熱心な職員というのは余りいないんです。地域日本語教育,外国人の日本語教育なんて言われると,ほとんど,では専門家でも連れてきて,もしくはボランティアで日本語教室を開けばいいんだろうぐらいにしか考えてくれないです。そこの辺を,これから外国籍の人たちは地域にたくさん暮らすようになってくるでしょうし,そういう人たちが,一般の日本人市民とともに,同じ県民として,市民として暮らせる町をどうつくっていくのかという視点をしっかり持って,日本語教育の現場に携わってもらいたいという,実はこの本はそういう意味合いの本なんです。ですから,地域でボランティアの皆さんに頼り過ぎている行政の職員には,文化庁が出したこの本をぜひ読んでもらえるといいなというふうに思います。
 私自身は,行政が設立した国際交流協会の職員ということで地域の日本語教育にかかわってきました。私自身は日本語教育のプロパーでも何でもなく,日本語教育に関しては全くの素人です。ただ,国際交流協会というのは行政がつくった団体という面から言えば,国際化政策という意味合いでとらえ返して,施策として展開していく必要もあるわけです。日本語の学習支援,日本語教室というのは,そういう国際化をしていくための政策的な意味合いでの,一つの事業でもあるわけです。そういった意味で,私自身は,地域の日本語教室というのは,日本語教育というよりはむしろ,多文化共生社会をつくり上げていく最大のかぎを握っている事業であるというふうに,15年間事業に携わってくる中で感じているわけです。
 日本語教育という側面での議論はよく分からないので,この辺のお話は割愛させていただきたいんですけれども,地域で行われている日本語教室の特徴というのは二つあるなというふうに感じています。
一つは,同じ地域に暮らす市民として,日本語をキーワードに,日本語ができない人も参加できる地域活動の場ということなん じゃないかというふうに思います。二つ目が,各地域に外国人がたくさん暮らすようになってきていますが,東京はもう人口の3%を超えています。隣を見ると外国人が住んでいるという状況ですが,会話を交わしたこともないというような,実はそういう実態があるわけですね。こういった,外国籍の人が一般の日本の人たちと継続的に接触し,交流できる場というのは,実は,これはたくさん市民活動がある中で日本語の教室以外にほとんど無いんじゃないかというふうに思っています。
 国際交流の活動というのは,割と単発的で,一期一会的な活動が非常に多いんです。そういう中で,いわゆる一般の市民の方がボランティアとして参加し,そしてそこには,多国籍の,多文化の人たちが参加し,顔を突き合わせて,3か月,4か月,1年と,継続して活動しているという意味で,日本の多文化共生社会を導いていく上で,大きい意味合いのある活動ではないかというふうに思っています。継続的な交流活動の中でこそ,実は人間関係というのがはぐくまれていくわけです。その中で,異文化理解や相互理解がはぐくまれていくという,まさに日本の多文化共生社会を構築していく現場が日本語教室であるということだと思います。これが,多分地域の日本語教室の二つの大きい特徴ではないかと思っています。
 武蔵野市でも,15年前から,日本語教育の専門家の方も含めて活動を始めているわけですけれども,武蔵野方式というふうに言われて,御承知いただいている方も多いと思うんですが,日本語教育の専門家が週1回教室活動をしていくわけです。一方では,並行して日本語教育を全く知らないという一般の市民の方にマンツーマンで,日本語をキーワードに交流をしていただくという運営方式で活動をしているわけです。マンツーマンで4か月間一人の人とずっと交流をしていくと,ボランティアの方は,私,先生ではないよねと,日本語教えているようなんだけれども,実はたくさんのことを学んでいるということを,実感を込めて話をしてくれます。ところが,教室活動の方は,プロの方にお願いしているということもあると思うんですが,しかも週1回で,日本語の文法,文型をちゃんと教えなければいけない,時間がないというので,もう教える一方になってしまうわけです。せっかく多文化の人たちが,そして一般の市民の方たちが一堂に会する場なのに,常に,日本語を教える人,教えられる人という,固定的な関係ができ上がってしまっている。これはどうにかならないだろうか。しかも,週1回日本語を2時間勉強して,日本語が上達しないというのは,こんなのは当然ではないかなと,私は日本語教育の専門家ではないけれどもいつも思っているわけです。そういう,日本語を教えよう,教えようとしているところに限って,学習者がどんどん減っていくわけです。これは一体どうしたものだろうかと,はたでみながらずっと考えていました。週1回か2回の学習活動の中で目指すことは一体何なんだろう。むしろ,日本語の上達というよりも,日本語でコミュニケーションして楽しいなと感じてもらえる場として機能させられたらどうだろうかということを,あるときふと思いました。日本語でコミュニケーションをとることが楽しいなと感じたら,自分の日常の生活においても,日本の社会に対して積極的に自分自身が行動を起こせるのではないだろうか,そういう,社会に対して働きかけが起こせていけるような,モチベーションを高めていける場というのができないだろうかということをずっと考えていました。なので,どう教えるかということではなくて,どう共に活動できる場をつくっていけるかということが,実は数年来課題として頭の中に残っていました。
 私自身は,日本語教育ではなくて,国際理解教育とか,開発教育の方とずっとかかわってきたわけですけれども,開発教育の中に,参加型学習というのがあります。開発教育というのは,1960年代に,ヨーロッパや北米で目指された教育活動なんですけれども,この目的は,ともに生きることのできる公正な社会づくりというのでした。その中で紹介されているのが,参加型学習です。
 教師が生徒に知識を伝達するという,一方向の,講義型,知識伝達型の手法ではなくて,学習者が学習課程に参加していく。さらには,学習者の社会参加をねらいとするというのが,参加型学習です。この参加というのを実現するために,多様な手法を使うわけですけれども,実は,この冊子の中でも,その実践事例を幾つか御紹介させていただいています。この場合,教師は,ともに活動に参加する参加者であり,そして,学習者の多様な意見や考えを引き出してくるという,一方向ではなく,双方向の活動の中に自らも参加するという,ファシリテーター*1という役割を担うわけです。この参加型学習の手法については,第5分科会で詳しく皆さんにも体験していただけるチャンスがありますので,まだ分科会が決まっていない方はぜひ第5分科会にというところです。最後に,もう一つ,自治体の担当者の役割ということなんですけれども,これは,私は地域におけるコーディネータではないかというふうに考えています。先ほど来,行政の職員はころころ替わって,いつも同じことの繰り返しというのが,現場の皆さんの悩みというか,いら立ちということを伺っていますけれども,まさにそうなわけです。むしろ日本語教育は素人でもいい,だけれども,地域全体の人材が見えるとか,それから日本語の活動を促進させていくための資源や施設などもよく知っているという意味合いで,行政の職員は,むしろ地域で困ったときに問題解決の道筋を分かっているコーディネータ役として使われるといいのではないかというふうに思います。
 この冊子自体が,行政の職員とか,日本語教室を担当している職員に読んでもらいたいというのがありまして,地域で日本語教室をつくり上げていく実践のノウハウとか,手順を追って,初めて担当する人にも分かりやすく書いてあるところもありますので,コーディネータとして,行政の職員はどういうふうに事業を展開していったらいいかというところも,ぜひ参考にしていただければ幸いかなと思っています。(拍手)

*1 ファシリテーター 参加型学習を進めるうえでは,学習者がそれぞれ異なる経験・知識・意見を持っていることを尊重し,それらを引き出し,対話を生み出し,相互の学び合いを促進する役割を学習支援者が担うことになる。


松本 では,今の杉澤さんのお話に関して,何か御質問とか,御意見とかありましたら,挙手をお願いします。

参加者 Oと申します。
 M県国際交流協会というところで仕事をしているんですけれども,今のお話の中で,武蔵野方式としてよく知られている,日本語の専門の方のレッスンと,あと交流員の方との交流活動を組み合わせたというお話があったんですけれども,一つのモデルとして非常に興味深いなと思ったんですが,今のお話の中で,前半というか,専門家の方による日本語のレッスンの方が人も減ってきていて,ちょっと課題だというふうにお考えだというお話だったんですけれども,実際にそういった課題解決のために何か方向転換とかされたのか,今考えていらっしゃるのかというようなお話をお聞かせいただければと思います。

杉澤 私どものところは,マンツーマンで活動をしてくださっている方と,それから週1回の教室活動と並行で行うんです。ですから,教室の方が嫌になってもマンツーマンの方で引っかかっている場合が非常に多いので,この並行で行う方式というのは,ある意味では学習者のモチベーションとしては,片一方がだめでも片一方でつながっているというのがあると思います。その,教える,教えられるという,固定した関係をどう打ち破るかというところで提案しているのが,先ほど申し上げました,開発教育の参加型学習の手法です。ここ4,5年,実は現場で実践研究をしてきていまして,この参加型の学習の手法は非常に効果があるというふうに思います。ですから,関係性が固定化してしまって,硬直しているなという教室がありましたら,ぜひ参加型学習の手法を試してみていただければいいなと思います。

参加者 それは一人の先生がいて,全体を教えるという形は変わっていないということですか。

杉澤 ある一定時期までは,1クラスに一人の教師で,学習者15人から20人という体制だったんですが,最近は日本語のレベルも多様化してきていまして,15人,20人を1クラスに入れるというのは難しくなってきていまして,最近は,4,5人から6,7名を1グループとし,1〜2名の学習支援者がつくというような体制になっています。

松本 ほかにございますでしょうか。では,杉澤さん,どうもありがとうございました。
 では,ここで関口さんに御発言をお願いいたします。このハンドブックに御執筆いただきまして,かつ最後の方の指導法のQ&Aを一手に引き受けていただいて書いていただきましたので,急にふって申しわけないんですけれども,ぜひ御発言いただければと思います。

関口 国際日本語普及協会の関口でございます。 突然で,本当にびっくりいたしました。突然なので何も準備をしておりません。余りきちんとお話しできないかもしれませんが,お許しください。
 2点お話しいたします。まず1点目ですが,このハンドブックの後ろの方にQ&Aというものを設けてあります。これは,私ども国際日本語普及協会に対して,日本語に関して地域のボランティアの方からいろいろ質問がございます。それは本当に,日々の細かいことに関しての質問から,かなり幅広く生活支援まで,いろいろ質問を受けております。それから,今,文化庁の委嘱を受けまして,地域を回ってボランティア研修,コーディネータ研修等をやっておりますので,その中で,地域の方々からの質問が大変多うございます。それで,その質問に対して私どもがお答えしていた部分をまとめたものが,このQ&Aに載せてございます。このような種類の質問が地域の方々からは多く寄せられるということです。それのサンプルとしてお載せいたしました。参考になったらと思います。
 それから2点目ですが,子供たちのことに関しましては,特に母語に関して少し書かせていただいています。地域の子供たちの問題は,全く私たち大人の問題だという意識を,周囲の大人が持っていなければいけない。子供たちに今起きている問題は,すべて大人の責任というふうに,私は考えております。そういう意味で子どもの母語についても私たち周囲にいる大人が真剣に考えなければいけないと思います。外国にルーツを持つ子供たちの母語が伸びることは,日本語教育,日本語習得にも非常にプラスになるということが言われておりますが,子供たちのバックグラウンドはいろいろでして,母語も学習して,学校の教科にもついていくということがいかに大変かということを,現場におりますと,本当に感じております。ですから,母語を含めた子供の母文化,お母さんたちから受け継いでいる母文化を,周りの私たち大人が尊重する気持ちを持つということが一番大切だと思います。あとは,既に母語をある程度習得したお子さんと,日本生まれだったり,幼いときのお子さんにとっては,母語学習は負担の度合いが全く違います。また,母国に帰るお子さんと,日本に定住するお子さんとでは,母語習得の重要性が大きく違います。それを一括りにして考えてはいけないというふうに思っております。その辺のところをちょっと書かせていただいております。以上です。

松本 急にふりまして,すみませんでした。ほかの会場に向かわなければいけないということで,予定よりも早くふりました。まことに申しわけございませんでした。関口先生に何か御質問ありますでしょうか。先ほど来,県の職員であられる熊谷さん,それから県の国際交流協会の春原さん,そして,市の国際交流協会の杉澤さんと,それぞれ違ったお立場から御発言をいただいておりますけれども,今度は市の行政担当,市役所の,やはり執筆者の一人であります高橋さんから,山形市の事例として,チーム・ティーチング*1のことについて,お話をいただければと思います。

*1 チーム・ティーチング 来日間もない外国人を対象に,山形に長く滞在した日本語に堪能な在住外国人と山形人(日本人)が,日本語支援者として組を作り,生活習慣の不慣れや日常生活の不自由さの解消のため,初歩的日本語会話を通した支援を行うやり方。


高橋 これまでの発表では日本語のきれいな方だけのお話を聞かせていただきましたが,私は山形から出たことがありません。方言がかなり入ると思います。うちの方では方言が貴重な存在ですが,これからの話の中に入るかと思いますが,お許しいただきたいと思います。
 チーム・ティーチング,以下T・Tと言わせていただきますが,このことに入る前にちょっと申し上げますが,私は文化庁の委嘱を受けた時に市の国際交流課に異動しました。正直大変戸惑いましたが,民間ボランティアの方々が活発であり,その方々の協力でなんとか地域日本語教育事業に対する山形市としての報告書をまとめることができました。報告書ができたと同時に私は異動となりました。本来報告書と同時に事業は終了するものですが,異動してきた女性職員が興味を持って,報告書の中の提言の一つ,生活講座という形でT・Tを3か月後よりスタートしました。
 山形市の外国人の登録状況と申し上げますと,44か国,1,400人ほどです。人口比率ではかなり低いです。国数が多いのは留学生がいるからです。8割はアジア系の方です。在留資格別に見ますと,国際結婚による日本人の配偶者,留学生,ALTや英語教室の教師などの構成になっています。
 T・Tを取り上げましたのは,山形に長く住んでいる在住外国人の方にイベントとしての国際交流でなく,行政に参画してもらうことができないだろうか。日本人支援者にとりましても,一過性のイベントの協力でなく,長続きする協力で気軽に参加できる国際交流はないだろうかというようなことで,T・T方式による生活講座が始まったところです。この講座は,山形に来て間もない外国人が生活をする上において必要な10項目ほどを決めました。例えば,あいさつ,病院に行ってという形で,講座を始めました。
 先ほど笑われましたが,方言の使い方も出てきます。日本人の配偶者が多い地域として家には舅姑さんがいます。その方々と話すと,教室で習った発音がそこでは使えません。「おばあさまはこう言いました」これは「ばっつぁはこう言ったぞぅ」となり,その通訳のため私は貴重な存在であります。
 事業展開としては,外国人の支援者うちの方ではFTと言い,日本人支援者JTがセットとなり指導しています。一つの部屋の中にいくつかの島を作り,例えば中国語,韓国・朝鮮語,大体5,6人ぐらいで一つの島にFT,JTが一人ずつとなります。
 昨年まで,週1回,例えば(木)の午後とかの形で行ってきましたが,これですと習う人もその時間しか来られない,支援者もその時間だけということで協力できない人も出てきました。それではということで今年からお互いに取れる時間帯を作り実施しましたが,またこれも問題となりました。これが現状です。
 T・Tをやって問題点や悪い点となりますと,FTがいて学習者にとって母語が分かる方がおり安心して教室に来られるという反面,母語同士の話が進みサロン的になりやすいということが見られます。JTは母語が分からないので,仲間外れになるとの状況が出てきました。また,FTの確保が厳しいです。学習時間帯とか,仕事の関係で厳しいです。特に山形の場合は,ネイティブの英語圏支援者の確保が厳しい現状です。来日間もない方を対象とした講座として,生活講座を始めたわけですが,募集案内の方法に問題があると思いますが,日本語教室と間違えられ,集まってくる方が日本語0のスタートの方でなく,初級とか中級の人もおり,講座を行ううえでちょっとアンバランスが出ています。また,同じグループの中に日本人の配偶者や留学生が一緒になって学ぶわけですが,得たい情報につきましても内容が違うという問題も出たことがあります。
 JTが増えたということは大変良いことですが,その割にFTが限られています。JTみんなに協力してもらうために順番制にしたところ,学習者にとってFTは同じでもJTがその都度変わるため不安感が出てくるとの課題が出てきました。
 私は,この生活講座をT・T方式で行ったよい点としては,支援者が生き生きとしてきた。日本人の配偶者にとって,高い評価を得ています。講座が始まって6年目になりますが,学んだ方でその後の各自の努力があると思いますが,逆の立場の支援者としての協力者が出てきたということが良い点と思います。
 今後の方向性としては,後ほど杉澤さんからの半紙があるかと思いますが,コーディネータの必要性です。この事業展開をどうコーディネートしていくか,行政がやれる分は限られます。この生活講座の諸問題をどう解決しすすめていくかコーディネートできるかが大きいのでないかと思います。
 それから,教材をは独自に作ったわけですが,その教材を一つの手段としてその場面場面を含めながら進めてもらいたいと支援者にはお願いしています。あくまで手作りで作った教材ですので,その教材に従って進めるのでなく,支援者自身がどう進めていくかを考えてほしいと思います。
 この辺で終わらせていただきます。(拍手)

松本 高橋さんに御質問ございますでしょうか。今,山形市の方のチーム・ティーチングの例を御紹介いただきました。次に,教室方式とマンツーマン方式の併用方式をとられている,のしろ日本語学習会の北川さんと藤田さんが,本では195ページから3ページか4ページにわたりまして御紹介いただいている内容を,野山さんがかわりに御説明いただけるそうです,よろしくお願いします。

野山 最初に,教室にかかわるところのビデオをお見せしたいと思います。実は,ほかの分科会,親子の日本語教室のことで北川さんも藤田さんも出ていまして,さっきちょっと来てくださったんですが,時間的に余裕がないということで,併用方式のところを私が執筆した関係もあって,代わりに説明をさせていただきます。

(ビデオ上映)

野山 今のビデオは,能代の日本語学習会で,(火)(木)に授業をやっているわけですが,その併用方式の授業を受けて,ゼロから始まって,これはスピーチコンテストなわけですけれども,ここまで一応いった。彼女は日本語能力試験を1級までは到達していない人の一人ですけれども,この教室から5年ぐらいやって,3級,2級,1級というふうに受かった人も含めて,地域の日本語教室だけで,あとは子育てと,昼間働いている状況の中で,先ほどの山形の話ではありませんが,能代弁と,いわゆる標準アクセント,両方を含めて習得していっている人たちが育っているそうです。
 感謝の言葉として彼女も言っていたように,子育てしながらやっているわけですから,子供を一緒に連れていけるというのは非常にありがたいということと,一見子供を連れていくと教室全体が混沌としていまして,こんな教室環境で勉強できるのかというふうに,見学をした方々が驚くほどの状況というのはあるんですが,実際には日本語の習得率は非常に高いようで,学習者も毎週の宿題をたのしみにするほど学習意欲の高さが維持されています。なぜそうなっているかというと,その一つは,ともかくゼロから始まった最初の時間から,これは昨日も今朝も話題になっていましたが,必要な言葉を,必要なときに,読み書き含めてやるということです。学習者のすべての要望に応えられるわけではありませんが,私がこの教室を見学に行ったときも,必ず,白板に書く練習をするということが,約2時間の授業の中に入れこまれています。教室の主宰者の北川さんは,もしも,例えば近親者からの暴力(DV)があったりとか,万が一離婚するという事態が生じたとしても,日本のどこかで何とか一人で生きていけるように,読み書きの練習は欠かさないそうです。来日した以上,さまざまな事情で,もう二度と出身国に戻れないかもしれないという条件下にある配偶者の方が,もしもの場合に日本のどこに行っても生存できるような力を育むためには,読んだり書いたりする力が無かったらどうしようもないということで,最初の授業から2年ぐらいかけて,基礎的な文字の読み書きに関しては勉強する,つまり白版や練習用の紙に書くということを徹底してやるんだそうです。そのことが,結局は心の余裕を配偶者の方にも与えることにもつながり,どんどん学習の好循環が展開し,習得率があがることにもつながっていくとのことでした。
 今日の午前中のムザファーさんがおっしゃったコメントの中にありましたけれども,言葉そのものがうまくなりたかったのではなくて,人間関係をつくりたかった。適切な人間関係をつくりたかったというふうに彼が言っていましたけれども,それと同じようなことを考えて地元の専門家とのネットワーク作りも含めた教室運営を心がけていると,北川さんも言っています。要は,舅さん,姑さんを含めて,家族内の人間関係を壊してまで教室に行くことができない以上,一生懸命家族と交渉をして,見学までしていただいて,よし,この教室だったら行ってもいいよと許可をもらうところまで,数か月や半年かかっても,北川さんはタイミングをみながら家に通い続けるそうです。そこまでして来ていただくような状況をつくるというのは,支援者として何もそこまでやらなくてもいいのではないか―というような声が聞こえてきそうですが,実際はただ権利を主張することによって教室に来ることは,やがて家族関係が崩れてしまう大きな可能性を秘めており,そうなってしまったら何の意味もありませんし,本末転倒です。そこで,その根っことなる人間関係を維持するためや,より良くするためにも,この日本語教室の存在と活動があるんです―ということを家族に分かっていただいた上で,学習者である花嫁さんには教室に通ってもらっているということでした。その結果として,やがて家族の方々は最も強力な教室のサポーターになってくださるそうです。
 そのようなことで,ここの教室は,しょっちゅういろいろな人が出入りしていますし,送迎役の旦那さんも出入りしています。子供は寝ていたり,起きて動き回っていたりとか,滑り台を滑っていたりという状況があるんですけれども,教室方式あるいは個別のマンツーマン方式で,集中して授業を受けることにより,それ相応に日本語の能力がついていくというような状況にある教室となっています。紹介を終わります。

松本 今のところで何か御質問はありますでしょうか。

野山 子供の面倒を見る方は,いわゆる保育士の方も含めて数名入っております。保育士が入ったのは親子の日本語教室を能代のこの教室が受けてからプロの保育士の方が入ったわけです。それ以前は日本語学習支援の補助者という形で,高校生とか,大学生とか,成人の方,元教員の補助者の方も含めて,教室を適宜巡回しながら,子供がどんな動きをしているかを必ず観察して,保護している状況にしてあります。子供達が勝手に動いて回っていたとしても,実は結構たくさんの目が見ているので,助けられる人が助けるし,もし子供がつまずいたりひっくり返ったりした場合でも,その場で立ち上げられるように,その近くにいる人が必要な手を差し伸べるというような状況となっています。

参加者 その方だけではなくて,みんなでやるんですか。

野山 そうです。ですから,私が見学に行ったとき最も感動したのは,教室が始まる前に靴やスリッパを並べたりするのも,子供が一生懸命,こんな小さい手で手伝って,机といすを並べるのもできる限り子供も手伝って,授業が終わってからの片づけも手伝っています。こうやって感謝の気持ちを抱きながら家に帰っていくんです。こういうことは,昔の公民館とか集会所のような所で,私もいろんな人に教えられ,諭されながら育った記憶があるんです。能代の教室はこうした風景が見られますが,恐らく,最近の日本の地域のコミュニティーでは既に見られなくなってしまったような風景かと思います。北川さんもときどきおっしゃっていますが,将来はもっと日本の子供たちとか,その家族との交流や対話ができるようになったらいいなと思っているそうで,地域全体の教育の活性化や,ひいては多様な人に住みやすいまちづくりのためにも,次なる一手を思案中だそうです。

松本 ほかにございますでしょうか。
 それでは,2番目の地域在住外国人が抱えているさまざまな問題と,それを踏まえて,多文化共生社会をどういうふうに構築していったらいいかということについてのお話は一段落させていただきまして,3番目の,地域における日本語学習支援活動の充実に向けての方策ということで,特に地域日本語教育推進事業の報告書から,米勢さんにお話をしていただきたいと思います。東海日本語ネットワーク代表で,今回のこのハンドブックの執筆にも携わっていただきました。ネットワークの構築とそれからリソースセンターの設置の両方について,お話をいただければと思います。

米勢 東海日本語ネットワークの米勢です。よろしくお願いします。代表というふうに紹介していただきましたけれども,10年務めました代表を先月交代しました。東海日本語ネットワークの活動は引き続き行います。ネットワークは多様で,地域によってもいろいろだと思いますけれども,私は自分がかかわった東海日本語ネットワークの構築に関して,幾つかの気づいたことをお話ししたいと思います。
 日本語教室が幾つか出てきた,できてきた,90年前後というふうに,私自身は認識しているんです。やはり,川崎とか,大阪などはもっと早くからいろいろな形で活動があったと思いますけれども,名古屋を中心としたところでは,留学生支援というような形と,中国帰国者支援という形で行われていたと思うんですが,日本語教育という視点は,80年代の半ばぐらいまではまだ無かったように思います。自分自身がそういう視点で見ていなかったので,私が知らないだけかもしれません。
 幾つか教室ができてきて,自分自身が活動に加わって,周りが少し見えてくるころから,ネットワークの必要,ネットワークという言葉も流行語になりましたね。金子郁容さんが使い出してというような気がしていますけれども,今ではすっかり定着したと思います。そういう必要を感じました。それは,全国的な流れだったんですね。どこでもそういうことが同時進行的に起こっていて,決して特別なことではなかったんですけれども,周りを見渡すということは当事者の視点ではなかなかできなくて,最初は自分の活動だけで精いっぱい,少し気が付いて,自分の身近なところが見えてくる。手をつなぐことによって,さらに広いところが見えてくる。ネットワーク構築の一番大切なことは,つまり自分自身が見えるということだと思うんです。自分の活動にしか携わっていないと,自分がやっていることが見えないということがあると思います。幾つかの,同じような地域の中の活動を見ることによっても,自分のことを客観的に見ることができますし,それから,私は幸い代表をしていて,広く他地域の人たちとも交流することができて,東海地域というのがそれなりの特色を持っている地域だということも見ることができるようになりました。そういう意味で,ネットワークは非常に意味がある。
 もう一つは,最初に自分だけの活動にかかわっていると,活動だけで手いっぱいで,なかなか周りに踏み出せないということをお話ししましたけれども,これも実は後からネットワーク活動に加わって初めて分かることなんですが,手いっぱいで,そこでしか動けないと,実は,もっともっと活動は元気をなくしていくということがいえると思います。ネットワークを構築することで,自分たち自身の活動が本当に元気になるんですね。これは,私がかかわってきた東海日本語ネットワークのいろいろな教室を見ていて,この10年で実証されていると思います。東海日本語ネットワークの活動に協力的なところが,余裕があるのではなくて,より元気を得て,活発になってきているんですね。すごいなというふうに目をみはる想いです。
 ネットワークをつくること自体というのは,一つのアイデアであって,それを結びつけるのはそんなに大きな問題ではないと思います。ただ,きっかけが要る。何をきっかけにしようかなというふうに考えていたところで,東海日本語ネットワークの場合は,たまたま国立国語研究所の研修の機会を得ることができた。それでシンポジウムを開いて,シンポジウム開催をきっかけに立ち上げたという経緯があります。でも,シンポジウムではなくても,いろいろなことでできるだろうと思っています。ちょっとした,何か報告書のようなものを発表するとか,ちょっとしたイベントは要るのではないかなと思っていますが,そんなに難しいことではないと思います。
 ただ,それなりの形ができたものを維持していくというのは,どうでしょうか,やはり活動をし続けるということは,それなりに大変だと思うんです。東海日本語ネットワークの場合は,シンポジウムを毎年開くということで維持できてきたように,私は思っています。そんなに大変なことを何でするの?とか,報告書も毎年出しているんですけれども,負担になるんだったらやめればいいんじゃないという声はいつも中から出ますけれども,そこを,シンポジウムは毎年やりましょうということと,必ず報告書を出しましょう。予算がなくなってきて,これが本当に厳しくなってきたんですが,でも作りましょうということでやってきたことが,実質的なネットワーク活動であって,そして,それによってネットワークが維持できてきて,情報交換が進んできているというふうに思っています。
 今年は,一つ一つの教室を,教室に行こう,教室を知ろうというテーマのキャッチフレーズだけ決まっているんですけれども,具体的には,一つ一つの教室を探検隊というグループを組んで見に行って,そしてそこでやっていることをこの目で見て,それを報告し合うというようなことを考えています。
 さて,ネットワークによってどんなことが生まれたかなんですが,一つは,地域の日本語教室は,90年代初め頃は,子供とかかわっているところは非常に少なかったと思います。今でも子供の支援をしている日本語教室は,数の上からいうと少ない。でも,シンポジウムで必ずテーマの中の一つに入れてきたんです。日本語ボランティア一人一人が子供の支援をどうするか,これは非常に大切な問題なんだという,そういう意識を持つことができてきたと思います。イベントがあるごとに,子供のことをみんなで考えていこうという視野が,10年かかって,やっと普通に生まれてきたかなという気がします。
 それから,行政との連携は,やはりネットワークがあってこそやりやすいだろうと思うんです。一つの日本語教室と行政が,ある関係性のもとに何かをやっていくということは,事例は幾つかあるんですけれども,何十とある教室が全部そういう形でやっていくのは,なかなか困難だと思います。けれども,ネットワークということで,いろいろな働きかけができます。その最も大きいものが,この後お話しする機会があると思いますけれども,リソースセンターの設置です。
 それから,もう一つ今私自身が考えているのは,他分野との連携を進めていきたいということです。子供の教育もある意味他分野との連携の一つだと思いますけれども,やはり,生活に直接結びつく法律とか,医療とか,そういった部分が非常に重要だというふうに考えています。長くなりました。(拍手)

松本 東海日本語ネットワークの取り組みについて,何か御質問はありますでしょうか。

野山 今,米勢さんから,ネットワークの取組についてお話をいただいたんですけれども,報告書の中の提言で,四つ,特に最大公約数的な課題として出ていた指摘というのがありまして,一つは,当然ですが日本語教室の充実というのが出ています。それに関連して,ネットワークの重要性,それからリソースセンターの構築というのが出ていまして,それはさっき長野のリソースセンターの話にもつながりますし,米勢さんのところでやっていただいた東海日本語ネットワークが協力をして,日本で初めて愛知県でリソースセンターができ上がったことにもつながります。そこには,先ほど申し上げた国立国語研究所が全面的にバックアップして,資料を提供したりという動きもあったりしたんですが,そのようなことが起きてきまして,最後に指摘されたことが,コーディネータの重要性です。地域の学習支援の現場を支える,ある種の縁の下の力持ち的存在としてコーディネータの存在がありまして,そのことが必ず挙がっていたということです。これらのリソースセンター,コーディネータ,ネットワークの中で,ネットワークについては,ネットワークのためのネットワークは要らないと,みんな言っています。つまり,米勢さんもおっしゃっていましたが,協働してやるプロジェクトがあったり,協働してやるシンポジウムがあるような,そういう目標がある中でのネットワーク作りであればやった方がいい。けれども,何も目標はないのに,ネットワークを作ろうとやって,何があるのかというと,維持するだけで大変なので,崩壊していくということが,意見として出ていたということです。この状況は今も変わっていなくて,現状は多分15から20ぐらいの日本語学習支援に関連した地域ネットワークが全国に展開していますが,増えたり,減ったりしている状況があります。その情報に関しては,この本の最後に,中国の帰国者の定着促進センターのトンシャントンチーというホームページの紹介があるんですけれども,そのホームページの中で全国のネットワークの紹介もしています。そこから入り込むと,現状のネットワークの状況が分かるようになっていますので,開いていただければと思います。
 教室の充実というときに,実は大切なのが,どのように教室を展開していくのかということがあります。ここで,伊東先生にお話し願いたいのですが,伊東先生には,教室の展開の過程,どういう順番で何をどうやっていくかということを書いていただいていますし,クラス方式のところを書いていただいたりもしています。その辺のことについてお話をしていただきたいと思います。

伊東 それでは,時間も非常に押し迫っていますので,簡単にお話しさせていただきたいと思います。
 私が地域の日本語交流活動をいろいろと勉強させていただいた中で,学校で教えている私が一番強く感じたのは,学校で日本語教育が行われている,いわゆる学校型日本語教育と,地域型日本語教育とでは,形態が根本的に違うなということを,まず押さえておく必要があるなということを強く認識しました。
 学校型というのは,ある意味ではすべての条件が整っています。開校時期,そして修了時期,そして教員数,教材等もそろっておりますけれども,地域の場合には,いつ,何どき,外国の人が,あるいは子供がやってくるか分からないという状況の中で,多分運営も非常に難しいだろうというふうに思います。また,学校型の場合は,ある程度の日本語教育の専門教育を受けた人,実習を受けた人が日本語教育に携わることが多いんですけれども,地域型の場合には,外国人と交流をしたい,ボランティアで日本語を教えたいということで,必ずしも専門知識を持った方ばかりではないということと,ボランティアを始めたきっかけも,非常に多種多様です。これは外国人学習者が多種多様であると同様に,ボランティアで活動している人たちも多種多様であるということを認識しておかなければいけないかなというふうに思いました。
 では,教室運営あるいはボランティアの日本語教室活動をどう運営していくかということなんですけれども,まず,支援活動の目的とかかわっていると思います。学校型日本語教育というのは,教育が目的ということで,教育型日本語教育と言っていいかもしれません。しかし,地域の日本語交流活動は,ややもすると教育型かなというふうにも思いますけれども,昨日,今日のシンポジウム,学習者からのいろいろな御意見を聞いていますと,必ずしも日本語を学びたいということではなくて,日本への適応ですとか,あるいはいかに生活を居心地よいものにするかということとか,人間として,日本人との関係性を構築していくかというようなことと深くかかわっていて,言葉だけでは片づかないというところがあります。教室運営に関しましても,ただ日本語を教えればいいというだけのアプローチでは非常に難しいというようなことを感じました。
 そして,支援活動の形態,形式ですけれども,もう皆さん御存じのように,グループ,クラス形式にするのか,マンツーマン形式にするのかということが,一つこれから運営する方にとっては考えていただかなければいけないことになるだろうと思います。それぞれに長所,短所があります。マンツーマン形式ですと,本当に個に応じた,目的に応じた対応ができます。しかし,どれだけボランティアを確保するかということと,時間の調整等もかかわってまいります。グループ,クラス形式,これは,ある程度体系立てて日本語指導ができるということと,活動もダイナミックなものになるということがあって,それぞれ長所があります。しかし短所としましては,すべての外国人学習者の地域住民の人たちのニーズに対応できないということもありますので,ある意味ではこの折衷的なプログラムがいいかなというふうにも感じます。しかし,これも地域によって様々ですので,一体どんな形式で,どんな目的で行われているかという,全体を把握した上で,では私たちの住んでいる地域では,あるいは私たちの住んでいる地域のリソースと,あるいは人材という,そういういろいろな要件を踏まえた形で独自の形式をつくり出していくということが重要かなというふうに感じております。
 先ほどの杉澤さんの話にもありましたけれども,ややもすると,日本語をどう教えたらいいかということが,ボランティアの初期の段階では一番の関心事にはなるかと思いますが,むしろ,昨日,今日のお話にもあったように,外国人を含めて,私たちのこれからの多文化共生社会を,住みよい,お互いにとって居心地のいい場所にしていくためにはどうしたらいいか,その最前線で活動できるところが,やはり地域の日本語支援活動の場ではないかと思います。その視点を忘れないで,日本語支援をどうやっていったらいいかということが,一番重要かなということを,最近強く感じております。
 簡単ではありますが,終わります。(拍手)

松本 すばらしいまとめ,いつもながら,ありがとうございます。
 伊東さんに何か御質問はありますか。
 伊東さんの方では,第5分科会の「地域の日本語学習支援の方法 ―授業のヒント―」で,実際の授業においてどうするかということについて,さらに詳しい御説明があるかと思います。
 御質問はよろしいでしょうか。
 それでは,残り5分程度になってまいりましたので,ここで最後に,この会をまとめさせていただきたいと思います。
 いろいろなヒントなり,新しい発想というものをある程度提示できたのではないかというふうに思います。私たちの地域の中に,日本語の学習に関して,支援を必要としている人たちが増えているという状況があるわけです。これを,みんなのためにチャンスとしてとらえられるかどうかということが,一つ重要なことではないかと思います。
 それで,外国の人たちが日本に来たわけだから,日本にあわせて,外国の人が変わらなければいけないという部分も確かにあると思うんです。午前中の北川さんの賢明女学院のお話にありましたように,青と黄色が合体して緑になる,美しい,涙が出るようなお話ですけれども,なかなか緑にならないようなことが多いわけです。自分のことを言っていたりして……。とにかく,私たちも変わらなければいけない部分もあるでしょう。それを変わらねばならない,have to ではなくて,変わる過程を楽しむという部分がないと,ボランティアとしては続かないのではないか。やってあげなくてはいけないとか,自分のためにやらなければいけないんだというような,have to の気持ちではなくて,この過程を楽しむという,これが大切なことではないかなというふうに思います。
 異文化という意味で言うと,私たちボランティアと,それから行政の職員の方々とは,違う背景を持ち,違う気持ちを持っているわけです。しかし反発し合っていると,なかなかうまくいかないわけです。熊谷さんようなのサポーターをふやしていくためにも,私たちとしてできることを一緒になって考えていく。行政の方々はもちろん,住民の方のためにいいサービスをしたい,あるいは住み良い町にしたいと思っていらっしゃる。そういう意味では,私たち住民と行政の方々の最終ゴールは一緒なわけです。ゴールを共有し,ただ違うアプローチで,お互いの持ち場でそれぞれのことをやっていく。それが,日本語の学習支援を必要とする人たちにも役に立つし,私たち,つまり元からいる日本人にとっても,それはすばらしいことになるのではないか。その辺の基本的なコンセプト,それから方法論,それから各地で行われてきた今までの成功例,あるいは失敗例から,私たちはさらに学びを深めて,それぞれの地域において,よりよい日本語学習支援プログラムを達成できたらというふうに思っております。
 そういう意味で,この『地域学習支援の充実』を,東京バナナを買わないで,こちらを買って,お土産としてお持ち帰りいただければと思います。それから,AJALTの,地域日本語支援コーディネータ研修,あるいは日本語ボランティア研修に関するすばらしい報告書が,こちらはタダですから,まだグリーンホールの方に残部があるそうです。こちらも,お持ち帰りになったときにはタダだったと言う必要はないかと思いますので,ぜひお土産としてお持ち帰りいただければと思っております。
 それでは,長い時間,お付き合いいただきまして,まことにありがとうございました。これにて散会とさせていただきます。(拍手)

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