パネルディスカッション

平成16年8月3日(火)
文化庁

パネルディスカッション
  「地域における年少者への日本語習得支援について考える」
 
司会 水谷 修(名古屋外国語大学長)
補助者 野山 広(文化庁国語課日本語教育調査官)
パネリスト 大蔵 守久(財団法人波多野ファミリスクール主管)
北澤 潤一(群馬県太田市企画部行政改革担当副部長・太田市国際交流協会事務局長)
佐藤 郡衛(東京学芸大学教授)
塘 利枝子(同志社女子大学助教授)
西原 鈴子(東京女子大学教授・日本語教育学会会長)

野山 私,このパネルディスカッションの補助者となっていますが,情報源としてここに居て貢献できればと思っています。
 まず,今日のパネリストの皆さんを御紹介させていただきたいと思います。あちらの方から,日本語教育学会の会長であります西原先生です。(拍手)それから,お隣が,発達心理学の知見を今日思う存分話していただきたいと思います塘先生です。(拍手)それから,先ほども基調講演でお世話になりました,異文化間教育学会の前会長であります佐藤郡衛先生です。(拍手)それから,自治体の現状について,現場の話を中心にしていただきます太田市の北澤局長です。(拍手)それから,もう20年以上もの間,先ほどの帰国の子供とか海外から帰ってきた子供,海外に行く子供,それから外国人の子供と,教える方法や技術を磨きに磨いてきて,現在,要請のある地方をあちこち訪問して,デモンストレーション*1の授業をしてくださっています大蔵先生です。(拍手)
 それから,司会進行役ですが,水谷先生にお願いしたいと思います。よろしくお願いします。(拍手)

*1 デモンストレーション (demonstration)実演。公開演技。


司会(水谷) 実は,パネリストの先生方の御紹介,私がやることになっていたんですが,野山さんがやってくださいました。この後の司会進行も全部,野山さんにお願いすると時間が節約できていいなと思うんですけれども。
 先ほどの佐藤先生のお話,エマニュエルさんのお話を伺っていてつくづく思ったんですが,日本の外国語教育,第2言語の教育というのは,どこの国でもかなりそういう傾向持っていたとは思うんですが,大学を卒業して,それから外国へ出ていくというような社会的背景のもとにつくり上げられてきた。したがって,大人を対象としての外国語教育であったと思うんですね。そこからさまざまな日本語教育の行政が進んできた中でも,もともと留学生などに対する日本語教育のやり方をどう当てはめていくか,そこからどう変えていくかというような努力をしてきたわけです。でも,実はこれは本当は間違っているらしい。子供には子供の世界がある,背景があるということがお話を伺っていてよく分かりわかりました。
 今,日本の中では,日本語教育だけではなくて,英語教育の世界でも大きな壁にぶつかろうとしていると。小学校の英語教育の問題が表面化しようとしていますね。これについては,私たちには財産がない。もし同じような発想で,高校,大学の英語教育から下へ下げていって小学校で英語教育をするというようなことが起こってしまったら,それは恐らくまた無駄なことをする可能性が高い。
 このシンポジウム,年少者のための日本語教育の問題へのぶつかりは,多分,その結果として生まれてくるものを,単に日本語教育だけではなくて外国語教育,英語教育の世界にも貢献できるような知識,情報を提供する発信源になり得るんではないかなと思って,これからわずか2時間ではありますけれども,先生方からいろんなお話を伺って,あるいは会場の皆さんからお知恵をおかりして,何らかの宝物づくりをしていきたいなと考えております。
 それでは,まず最初にですが,いろいろ関連した情報として親子の日本語教室の開設事業の実態と申しますか,その他地域の動きなどについて,進行補助のお仕事をしてくださる野山さんにちょっと,先ほどのお二人のお話を補う形,それからこれからのディスカッションの前提として関連情報を出していただけたらと思いますが,よろしいですか。

野山 先ほどの青いプログラムの10ページ,11ページを再度あけていただければありがたいです。そこに,文化庁が実施している事業ということで日本語ボランティア活動の支援・推進事業と学校の余裕教室等を活用した親子参加型の日本語教室の開設事業の紹介をしてあります。地域の年少者の日本語習得支援の問題を考えるときには,先ほどのエマニュエルさんの話にも出てきましたが,親御さんの意識というのがすごく重要になってまいりまして,文化庁としてもそれを考慮した上で,親子参加型の日本語教室というのを始めた次第です。もともと年少者の日本語の教室だけをやっている教室に親が通い始めるように設立し直した,例えば豊田の日本語教室とか,あるいは先ほども申し上げた神奈川県の日本語教室とか,そういった事例もあります。また逆に,親が通っていたところに,乳幼児も含めて子供が一緒に通い始めたというような教室もございます。もともと親子一緒に,一見混沌とした状況の中で,日本語学習の習得率を維持する工夫をしながら教室を運営していた地域もありまして,その3者といいますか,3分類されるような教室が並行して今,親子の日本語教室として動いているわけです。
 エマニュエルさんが指摘したとおり,まだまだ,教室がどこにあるかとか,あるいはどのような支援の団体があるかという情報なども少ない状況にあります。ついでながら,先ほど御紹介した地域の日本語のこの本の一番後ろに,相談窓口の電話番号とか相談のできる都道府県別の会場とかの紹介があります。そういうところをぜひ参考にしていただいて,いろんな活用をしていただければというふうに思っています。
 今あけている頁で紹介しているボランティアの支援事業に関しては,実は2種類の支援事業をやっています。まず,コーディネータと言われる中核的なボランティアに対する研修,それから原則2年以上の経験がある支援者に対して,ある特化した問題に焦点を当てながら,集中して研修を行うボランティア研修がございます。最近特に需要が高いのが,年少者の日本語教育というテーマです。このテーマのときに講師としていらっしゃってくださる講師の方々は,例えば,ここに並んでおられる先生方だったりとか,習得の専門家や実践に携わって何年も立つような先生方が来てくださっています。あと,年少者用の教材をつくるときにどのような工夫をしたらいいかというようなことを,例えばワークショップ形式で,集中して学ぶことができたりします。そうした情報も,文化庁のホームページを見るか,あるいは文化庁に直接電話するということも含めまして,何らかの方法で得ていただければありがたいなと思います。
 今日は,先ほどは佐藤先生に異文化間教育の視点で話をしていただいたわけですが,日本語教育学の視点,発達心理学の視点,地方自治体の行政官の視点,年少者日本語教育の専門家の視点,こういった学際的な視点から,お話をを進めていっていただければありがたいと思っていますので,よろしくお願いいたします。

司会(水谷) それでは早速,北澤さんから地域の現場,群馬県太田市の動きについて,行政担当者として,あるいは国際交流協会の事務局長としてのお立場からお話をいただきたいと思います。お願いいたします。

北澤 群馬県太田市の北澤と申します。よろしくお願いいたします。
 初めにお断りいたしておきますけれども,私が発言する内容は,一地方,群馬県太田市というところの,あるいは特殊な事例のうちの一つかもしれません。また,現実に直面している地方行政のフラストレーションがトンチンカンで,あるいはきつい発言になる可能性もあります。場合によってはひとりよがりかもしれませんけれども。そういう話になるかもしれませんが,聞き取る場合,都合のいいところだけ聞いていただければと思います。それと,ここにいらっしゃる皆さんは先生方,専門に研究されている方々ですが,私,地方行政の現場の職員ということで,現場だからこその話もできるかもしれません。よろしくお願いいたします。
 ただいま水谷先生からもありましたけれども,あるいは野山さんからありましたが,今日のテーマが子供たちへの日本語の支援ということなんですが,太田市がまず初めに取り組んだ日本語学習は,幾つかの節目を経て,今,子供たちの教育,日本語支援に取り組んでいる状況です。ちょっと資料等を見ながら,下を向きながらしゃべることもありますので,御容赦をいただきたいと思いますが,大人への日本語支援,これはもちろん大切です。子供への日本語教育の大切さ,困難さはそれ以上のものだと思っております。実際,大人の比ではありません。これは,先ほど来,先生方あるいはエマニュエルさんのお話なんかでもあったように,大変な問題だと思っております。
 大人中心の日本語教育の支援ということで,まず,太田市になぜブラジルの人たちといいますか,それを中心に日系人の人たちが増えてきたかと。その経過があるんですが,これは御他聞に漏れず,日本経済が高度成長,そしてバブル期に向かう中で,太田市でも富士重工業というスバルの生産の会社があります。お隣の大泉町には三洋電気があります。そういう企業,大きな企業と,その下に中小企業がピラミッド形に,企業群が集積しているという社会的な背景がありました。経済原則の一つといいますか,仕事があり,金が稼げるところに人が集まるという状況で,北関東の小さな都市に外国の人たちがいっぱい集まり始めたました。
 初めはバングラディッシュの方とかイランの方などが多かったんですが,平成2年の入管法改正を期に,一気に日系の皆さんが増えてきたという状況であります。そういう中で,地域で生活する上で,あるいは仕事をする上でも,大人の人たちは必要最低限の日本語を習得していないと,なかなか雇用とか,あるいはいいお金をもらえないということで,日本語習得の機会あるいは場所を求める,あるいはそれを行政として提供するということが生まれてまいりました。
 平成4,5年のころ,日本語ボランティア講師を募集いたしたわけですが,初めは,困っている人を助けてあげようとか,ちょっと効果的に何か日本語の教育っていいますか,支援をしてあげようという簡単な,安易な気持ちも強かったかもしれません。でも,純粋な気持ちでした。だれのために何をするかという視点が,そういう中ではちょっとぼやけていたかと思います,今になってみれば。また,講師になる人たちの意識もまちまち,あるいは教材もうまく使いこなせないというような本当の素人集団でありました。そういう中で悪戦苦闘しながら日本語の講座を始めたわけでありますけれども,そんな折に,平成6年度に文化庁の国語課から,日本語の教育モデル地域の指定を受けました。日本で最初ですね。浜松市さんと一緒ですかね。そういう中で,地域日本語教育の推進に本格的に取り組みました。手探りだったんですが,熱意と連帯感を持ったボランティアグループが成長してまいりまして,新たに市民に呼びかけたり,文化庁の皆さんの御指導,あるいは今日もいらっしゃっていますが,AJALTの西尾先生等の御支援等もございまして,太田日本語研究会「あゆみの会」という会が発足いたしました。これは,語学・生活支援グループということで現在に至っておるわけであります。楽しみながらレベルアップを図っているという現状であります。その「あゆみの会」が徐々に力をつけて,体系的な日本語教育の展開をいたしたわけですが,初めのころ,多くの日系人の方は単身赴任が当たり前のような形,多くの方々がそういう状況でした。ところが,生活する目途がたって,心の安定,あるいは生活の安定を求めるようになって家族を呼び寄せるという状況が当たり前になってきたようです。
 日系人とはいうものの,外国人です。地域に住んでいる人たちも,あるいは日系の人たちの意識にも,先ほどエマニュエルさんの話もあったように,日本人だという意識はなかなか難しかったかもしれませんが,医療とか保健とか労働の問題とか,いろんなトラブルが地方行政の中に発生してまいりました。それらの問題の中の一つが日本語教育と,子供たちへの日本語教育,「あゆみの会」ではその範疇におさまり切れない日本語の支援,子供たちへの支援という問題が出てきて,これが一つの節目になってまいりました。
 太田市では,早い時期に外国人子女の指導教室を,教育委員会とともに我々も協力しながら立ち上げてきたんですが,ネイティブの方,あるいは日系人の方を募集して,学校に指導助手として配置をいたしました。個々に応じての学習指導をし,また教材,あるいは生活適応の指導等を行ってきたわけですが,残念ながら,私,最初からかかわったんですが,その制度が始まって10年来,定住化傾向が進む中で,実質的には,内容を変更し,改善しという形が余りとられてなかったと思っております。教育委員会の批判みたいな形になってしまうんですが,我々,教育行政と違う立場から見て,ちょっと残念に思っておりました。
 子供たちの教育,特に日本語教育のシステムの未整備,あるいは指導教員の資質,意欲等が問われ,さらに習熟度の違いとか,先ほどもありましたが,親の無関心,そういうことなどで未解決,未整備の状態が続いて,私たち国際交流担当の立場からも,どうにかしなければという思いが募っておりました。その思いは市長も同じで,平成13年度に,私たちの国際交流主導で,隣の大泉町の皆さんと連携して,教育委員会,行政,あるいは大学の先生,ブラジル出身の有識者,地域の国際交流関係者と教育問題を1年近く検討したんですね。ところが,難しさだけを認識したという形。簡単に言えば,進展がありませんでした。
 そういう状況の中で,私たちの市長,清水って言いますが,朝令暮改という言葉がありますが,朝令暮改どころではなくて朝礼朝改。さっき言ったことがすぐ変更される。いいと思えばすぐ変えていく。そういうタイプのリーダーシップを発揮する市長でありまして,我々,楽しんだか苦しんだか考える暇もなく毎日を過ごしておりますが,ずっと市長は我慢をしておりました。1年間。そのうちに業を煮やして,ブラジル人学校をつくろうじゃないかと,そういう提案を我々にしてきました。我々,真剣に考えました。担当の日系の女子職員とも,でも,そうすると子供たちを隔離することになるんじゃないかとか,あるいはお金がかかるんじゃないかとかいろんな問題が出てきて,結局それも,何か市長も非常に不満をためながら我慢していました。
 話が長くならないようにはしょりますが,太田・大泉地域は外国人労働者が多いということで,研究機関,大学等の視察等も多いわけです。そういう中で市長はいろいろ将来を案じて,あるいは外国の子供たちを何とかしなくちゃならないということで意見交換させていただいていたんですが,それぞれの大学,研究機関の研究材料にはなって,ただ我々は忙しさだけ受け入れる,そういう思いが募りました。市長もそうでした。実際はそうじゃないんでしょうけれども,でも我々現場としてはそういう意識が募りまして,市長はもう受け入れないと,そのような発言もしておりました。そういう中で市長は日ごろから,先ほどのエマニュエルさん,埼玉大学にいらっしゃっていますけれども,例えばの話で,東大にも,あるいはこの昭和女子大にも,進学できる子供だっていっぱいいるはずだと。親のバックグラウンドの問題はさておいて,そういう能力はあるはずだと,日本の子にも劣らないはずだということを機会あるたびに言っていたんですが,平成14年の末,12月ごろでした。学芸大学へ市長が呼ばれて,外国人子女の教育のことをちょっと講演したんですが,その席で今申し上げた調査研究に対しての苦言を申し上げました。そうしましたら,講演終了後に猛反発,猛抗議を受けまして,その方たちはどなたかということなんですが,以前に太田に視察に来られた大阪大学とその大学院の先生,あるいは一緒に活動されているNPOの方々でございましたけれども,私たちは決して研究のための研究をしているんじゃないと,市長の言っていることは納得できないということで,講演が終わってから,私と市長は太田に帰るのが遅れちゃったんですが。でも,それほど一生懸命抗議をいただきました。そうしたら市長も,それだったら太田でブラジル人の子供たちの教育現場を提供するから,実験的に新たなシステムを構築してみないかと,そこですぐもう提案しちゃうんですね。そういうことで,太田で大阪大学大学院の根岸君という学生が実験事業を始めたわけです。太田市のある小・中学校,近くの。そこへ入り込んで,もう手探りで。でも,自分の考えるものを始めたということです。
 また,時を同じくして,教育長に群馬県の企画部長を退職された方が,市長は昔,県議をやっておりまして,仲間だったものですから呼び寄せました。さすが県の企画部長をやっていただけのことがあって,すごい発想と行動力がありまして,外国の児童生徒の教育に取り組み始めました。それが3番目の節目だったと思っておりますが。
 そういう中で,定住化に向けた外国人の子供たちへの新しい教育制度の確立という形で取り組み始めました。それの一つとして,今までの外国人子女教育,先ほど申し上げたシステムを再検討しまして,ことしの4月から,外国人児童生徒を対象に,ブロック別集中校システムということで導入を行いました。各校の教師,指導助手はマニュアルもないんですが,手探り状態でスタートしたわけですが,その新システムは,日本語習得だけでなく学力アップにも力点を置いた指導が不可欠であるという観点。また,市内30の小・中学校を6ブロックに分けまして,それぞれ拠点校を指定して,日本語指導教員とバイリンガルの指導助手がチームを組んで,ふだんの授業についていけない子供たちをできれば週約10時間から20時間,習熟度がいろいろ違いますので,柔軟に対応しようというような考えで,普通学級から取り出して,特別カリキュラムで国語,算数,数学等の授業を実施し始めたところであります。そして,これが新たな節目といいますか,今申し上げたブロック別集中校システムの中に,もう御存じかもしれませんが,教育特区,太田は英語の教育特区を始めましたが,それとは別に,ブラジル人を中心に,ペルーの人たちもそうですが,中国の人もいます。いろんな国の子供たちをブロック別集中校システムの体制面で補完してあげようということで,外国での教員免許取得者の採用,それから日本国内での教員免許取得者でバイリンガル教職員の採用ということで特区申請をいたしまして認められました。ですからそういうことで,今,ブラジルにも募集をかけて,JICAを通じて,関係する現地の組織にお願いして教職員の採用の募集をかけているというところで,新たな未知の世界へ踏み出しているという現状でございます。
 長くなりまして済みません。

司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 やっぱりお話しなさることがいっぱいあるものですから,つい延びてしまいます。
 続いて,こちらも年少者日本語教育のお仕事をしててくださる大蔵さんから,現場で感じていらっしゃるJSL,第2の言語としての日本語の教育に関連する実態と,その中で抱え込んでいる問題点についてお話を伺えたらと思いますが,よろしいですか。

大蔵 学校を回っておりまして一番強く感じるのは,3ナイということです。どういうことかといいますと,金ナイ,暇ナイ,わからナイの3ナイですね。専任をつけたくても,専任をつけるお金がない。教材研究をしようとしても,準備等の時間がない。それから,今まで日本語を自分が教わってきたことはありませんし,国語と教え方がどうも違う。大学等での教員の専門科目として日本語指導というのはなかったので,どう教えていいか分からないというような状況ですね。大体こんな感じかなと分かってきた3年ぐらいで異動させられてしまうということです。物の見事に,前任者の実績が次に伝わらないんですね,学校というところは。そういうところで,地域のボランティアの人たちがサポートに入るというような状況になっております。地域から,つまり学外からと言った方がいいですね。学外から学校の中に入っていくというようなサポートの仕方。それから,学校にどうしても入り込めなくて,学外でサポートしていくというような方法があります。金がないというのであれば,ボランティアでやってあげましょう。暇がないというのであれば,自分たちの時間を使って教材研究もし,準備もしましょうということですね。分からないということであれば,自分たちが勉強してきた日本語教育の知見を提供しましょうということです。
 ただ,そういった学外からのサポーターも,分からないことがあります。例えばどんなことかというと,どうも大人と違って,子供の学びの姿勢は違うぞということですね。理屈から入っていって適応させるのではなくて,たくさん使っていって,そのうち理屈,文法。文型という理屈がわかってくるんだなということですね。それから,子供への対応の仕方がわからない。例えば,「さっ,これは何かな」なんていって物を見せるときに,大人の場合は物を見せながら,これは何ですかとかこの漢字読めますかと聞いてもいいんですけれども,子供の場合,特に二,三人一緒に教えている場合ですと,それをやるとだめなんですね。「さっ,これは何かな」といってちゃんとみんながこちらを振り向いてから物を出さないと,「さあこれは何かな」といって出した瞬間に,大体一番よくわかる子がぱっと見て答えてしまうんですね。そうすると,残りの二人がフンという感じで勉強の意欲をなくしてしまうということもあります。子供だからこそいろいろ気をつけなくてはいけない部分ですね,そういうこともあると思います。それから,子供は日本語の先生という感覚もありますけれども,勉強が分からないので勉強を教えてほしいということで,教科絡みの日本語指導というものが入ってきます。ということで,この教科についてどうやって教えたらいいのだろうかということも分からないという部分に入ってきます。
 ここから先,第1分科会の人のテーマになりますし,明日たくさん事例が出てくると思いますので今日はごく一部の紹介にしておきたいと思いますけれども,子供の学び方の解決法のヒントということで,三つだけお話しておきたいと思います。
 一つは,子供は子供なりの順番があります。例えば,文型から入っていくのではなくて,日本語を学び始めて最初の1か月,2か月ぐらいまでは1語文とか単語で十分だと思います。「ある,ない」なんていう言葉から教えていく。日本語の成人の教科書ですと,「ある,ない」というのは初級の後ろの方に,「どこどこに何々があります」という形で出てきますけれども,「ある,ない」という言葉を一番最初に教えておくと,消しゴムを見せたり三角定規を見せながら,「これある,ない」って聞いてあげられるわけですね。そうすると,言葉がわからなくても,あしたの授業に使うものを用意させることができます。そういう順番があります。言葉が,単語が蓄積していったところで少しずつ文型とか文法というものを入れて,まとめていってあげるということが大切です。
 それから2番目に,臨場感ということが大切です。その場でやってみせるということですね。プリントの中とか文字の中とか言葉の中だけでやるのではなくて,何かその場に臨んだような方法をとるということです。例えば,「何々でした」なんていう言葉を教えるときには,いろいろな絵カードを机の上に置きます。「これは何ですか」「自動車です」。「これは何ですか」「帽子です」なんてやっていきます。その次に,机に上でこれを全部裏っ返しにしてしまいますね。裏っ返しにしておいて,「さっ,これは何でしたか」という形で目の前で聞いていきます。そうするとその子供たちは,「何でしたか」という言葉の雰囲気がつかめるんですね。それをお天気か何かにして,「今日は晴れです。昨日は何でしたか,おとといは何でしたか」といっても,大体天気のことそんなによく覚えてませんので,途中で行き詰まってしまうんですね。ですから,やっぱり目の前で何かしてあげるということが一つ大切です。
 それから,一番大切なことは,結局,教えても覚えてくれなければどうしようもないということですね。ですから,子供たちが記憶するための手がかりをどうつけてあげるかということが大切です。例えば,記憶の手がかりについて言うと,「反復」ということが大切ですけれども,子供の場合は,覚えるためのリピートさせられていると思った瞬間にすぐに目がどろーんとしてきますので,例えばこれですね。後ろの方,見えますか。視力検査のやつ(C)ですね。これ,右です。上です。左ですということでやっていきますけれども,これで上,下,右,左という言葉を何回も言わせていきます。言えたら,さらに小さな用紙にするか,先生が後ろの方へ移動していってやります。そうすると,視力検査ということでちょっとごまかしてありますので,子供はリピートさせられると思わずに,一生懸命右,左,上,下って言いますね。ちょっと子供だましなんですけれども,こういったような手を使って,繰り返している,リピートさせられているというような気持ちを持たせないようにするということも大切です。
 最後に,記憶をさせるためには関連づけということも必要です。特に文字なんかは必要です。例えば,口は口の形からできていますねってやります。おっ,なるほど,なるほどですね。じゃあ,口から何か音波が出ます。後ろの方,見えますかね。ワ,ワ,ワ,ワと音波が出ます。さて,この音波をそのまま縦にすると「言」という漢字になりますね。(「口」→「口)))・」→「言」)ちょっとこじつけですけれども,こういったような記憶の手助けになるようなものをつくってあげる,そういう思考回路を子供を植えつけていってあげるということが大切だと思います。
 子供は,ツボにはまると,すごくうまくいきます。このツボにはまった子供で,私が受け持った最高の子で,6か月で800の漢字を覚えた子がいました。ですから,子供というのは意外とものすごい力を持っていますので,そういう力を我々が発見して,どう伸ばしていくかということが大切だと思っています。(拍手)
 以上です。

司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 でも考えてみますと,大人に教えるときにも仕掛けは私ども苦労するんですが,ばかにしているという感じのものは困るんですが,ひっくり返すようなものというのは,大学院の学生でも結構ついてきますよね。大変ありがとうございました。
 それでは,この間の文化庁,2月でしたかね,文化審議会の報告,答申の中に「これからの日本人の国語能力について」という報告がありますが,その中で,子供たちの発達段階に応じた教育のあり方というものを考えるべきだということが強調されています。今私たちが問題にしているこの状況の中でも,例えば言語と異文化の間で暮らす子供たち,心がどう動いているか。発達心理学の観点から,私たちに何かヒントを与えてくださったらありがたいなと期待しております。
 塘先生,申しわけない,「さん」でずっとやらせてくださいね。
 塘さん,お願いいたします。

塘 塘でございます。発達心理学の視点からということなんですけれども,数多い発達心理学者の中でなぜ私がこの場に呼ばれたかと申しますと,言語発達自体を研究している方は多いのですが,異文化間移動の子供の言語発達の問題を扱っている発達心理学者は実は少ないからです。先ほど,佐藤郡衛先生から発達支援というお話がありましたので,ここで私がさらにお話しすることはないかもしれませんが,私からは特にエスノグラフィク*1な視点から,私が行っていますフィールドワークの話を盛り込んで,15分間という与えられた時間,お話ししたいと思います。
 一応資料を用意しました。40〜41ページの資料を御覧くださりながら聞いていただければと思います。訂正事項がありますので,あとでその点についてはお話しします。
 この資料についてお話する前に,私が少し気づいたことを申し上げます。2点あります。1点目は,発達心理学の領域の中で,言語発達とか日本語の習得という問題は一つの領域でしかないんですね。つまり,言語発達以外に子供の発達を取り扱う領域として,社会性の発達,対人関係の発達,認知発達,または身体・運動の発達などがありまして,実はそれらはバラバラではなく互いに関係し合いながら,子供は少しずつ発達していくわけです。日本語教育というのは,もしかすると言語発達の領域だけで行われているような印象を持っていたのですが,ただいま大蔵先生のお話を具体的に伺ってみて,これは実はほかの発達領域と随分関わっていることに気づかされました。
 それともう1点は,このパネルディスカッションでは「子供」「年少者」にスポットが当てられていますけれども,実は,発達心理学の分野で,年少者とか子供という言葉は範囲が広いんです。しかも,どの時期にスポットが当てられるかによって随分違ってくる。乳幼児期なのか児童期なのか,それとも青年期なのか。そのどこにスポットが当てられるかによって日本語教育の在り方も違ってくるのです。しかも,大人の場合は,1年,2年の差は誤差のうちですけれども,子供の場合には,1年,2年の発達が非常に大きいのです。ですので,発達のどこに注目して子供の日本語を支援していくのか,そのアプローチの仕方も随分違ったものになるんじゃないかと思っています。
 この2点を踏まえ上で,レジュメに沿ってお話したいと思います。
 まず,乳幼児期の言語発達についてです。今,大蔵先生が少しお話ししてくださいましたように,子供は出生後から大体1歳半ぐらいの間に2語文を獲得していきます。ここでの大きなポイントは,4から6か月頃のときに「声遊びの時期」があるということです。実はこの時期,世界の言語のさまざまな音声を出すことができるんじゃないかと言われている,そんな時期なんです。ところが,おもしろいことに,子供は自分の必要のない音声というのは使用しなくなるんですね。発達=成長ではないということなんです。つまり,成長というのは何か新しいものを獲得していく,例えば語彙が増えるということがあるんですが,何かが減ることによって次の発達につながっていくということを,この現象は意味しています。必要のない音声を使用しなくなることによって,必要のある部分を集中的に学習していく。子供は学習するという意識は特にないと思いますが,必要な部分に焦点を当てることによって,次の発達につながっていくということが実はあるんです。
 それに加えて(2)に乳幼児期の言語発達の特徴が書いてありますが,ここでは二つの大きなポイントがあります。一つは,お子さんをお持ちの方とか,身近に乳幼児期のお子さんがいらっしゃる方はおわかりになるかと思いますけれども,短期間のうちに子供は膨大な量の言葉を習得することです。外国語学習でこんなに膨大な言葉を学習できたらいいといつも思いますが,それくらい爆発的に語彙は増加します。(b)の「語彙爆発」の時期には,1日8語から10語という非常に早いスピードで語彙が増加していきます。必要な語彙が増加し,必要のない音や語彙は焼失する。必要のあるものだけすごいスピードで獲得していくことになります。言ってみれば,生きていくために必要のない言語は消失し,そして,生きていくためにこれは必要だというものは残っていくわけです。
 乳幼児期の言語発達のもう一つの大きな特徴は,?の「許容性が大,可変性が大」ということです。先ほども申し上げましたように,この乳児期の最初の段階は,聞き分けるのが難しい言葉,例えば日本人にはとても難しいRとLとの違いなんかも,きちんと聞き分けることができるんです。どうやってこのことが分かるかというと,乳幼児期の子供が実際に発音するのではなく,実験によって子供が聞き分けができるかを確認します。例えばエイマスの実験では,「fry」と「fly」の音を子供に聞かせて,子供がおしゃぶりを吸う速度をチェックし,それによって子供がRとLの音を聞き分けられなくなっていって,例えば日本語を母語とする子供であれば,日本語を話したり聞いたりするのに必要な音だけが残っていくことになります。
 こういった子供の基本的な言語発達を踏まえまして,では,外国人幼児・児童がどのように言語獲得をしていくのかということを,私のフィールドワークからお話ししたいと思います。私は1週間に1度,2年半ほど保育所の中に入り込みまして,外国人用事・児童がどうやって言語を習得していくのか,言語だけではなくて,その保育所で必要な行動をどうやって身につけていくのかを監察して参りました。
 言語ということに絞ってお話ししますと,第1には,(1)に書いてありますように,発音が易しい短い言葉からではなくて,生活に必要な言語から習得するんですね。例えばモンゴルから4歳ちょっと前に日本の保育所に入った子供がいました。保育所入所までは日本語は全くわかりませんが,モンゴルの言葉は母語として獲得していました。4歳ちょっと前ですから,発達的にある程度は自分の意思表示もできる,そういった状態で日本の保育所に入ってきたわけです。最初に自発的に多く発した言葉は「ちょっと待っててね」でした。かなり長い言葉ですよね。こんな長いフレーズをよくきちんと言うなと思うんですが。「こんにちは」「さようなら」という短い言葉ももちろん言わせれば言いますが,自発的に頻発した言葉が「ちょっと待っててね」という比較的長い言葉だったんです。どうしてだろうと考えたんですけれども,「ちょっと待っててね」と相手に言うと,相手は待ってくれるわけです。そして自分に少しの間ずっと注目をしていてくれるわけですね。そしてそこで対人関係の何らかのやりとりがあったり,次の行動への何かアプローチができるわけなんです。つまり,生活に必要な,対人関係に必要な言語をその子供がどんどん習得していって,その後で,「これは赤です」とか「これはリンゴです」とい基本文型を習得していきました。「リンゴ」という言葉の方がちょっと考えると易しいと思うんですが,リンゴという名詞からではなくて,その子が自発的に言った言葉というのは「ちょっと待っててね」とか「先生」という言葉でした。「先生」という言葉も重要です。「先生」って言ったら,先生が自分の方を向いてくれるわけです。このように子供は自分にとって重要な言葉から覚えていくのではないかと思います。何が重要な言葉かは,これも発達の時期によってもちろん違いますし,乳幼児期とその後の児童期,前青年期,その後ではまた違ってくると思います。
 第2の例も,対人関係のやりとりに直接必要な言語から習得していくことを意味しています。日本語母語話者も「やめて」とか,「イヤ」という言葉から子供は獲得していくんですが,「やめて」「イヤ」「これ見て」などという言葉を,実際のやりとりを通して獲得していきます。つまり日本語学習の場でも,やりとりを実際に行いながら言語を学習させていくことが,子供の発達や生活実態に即した自然な学習方法なのではないかと思われます。
 3番目に重要なことは,学習言語よりも生活言語の方を子供はより早く獲得していくことです。もちろんこれも発達段階によって違います。ですが,幼児期,児童期ですと,学習言語というよりは生活に必要な言語,自分が今,この場で生きていくために必要な言語から獲得しますので,まずは生活に関連させて,子供の生活の場というものを大事にしながら言語を学習させていくことが必要だと思います。
 ここで訂正箇所についてですが,「幼児期は認知発達においても具体的操作期の段階である」ではなくて,「幼児期は認知発達においても前操作期の段階である」に訂正してください。
 ここでいう前操作期とはピアジェという発達心理学者が提唱した認知発達の一つの段階です。感覚運動期,前操作期,具体的操作期,形式的操作期の中でも,幼児期は前操作期の段階にあたります。この前操作期という段階は,次の具体的操作期の段階も含めてですが,抽象概念をまだ頭の中で操作できない段階です。私たちはいろいろなことを頭の中で考えながら話をしていったり推論していったり想像していったりしますけれども,前操作期や具体的操作期の段階は,このようなことが難しい段階ですので,具体的に子供に教材を提示することが重要です。例えば先ほど絵カードというお話がありましたが,絵カードを見せながら,または実際の物を見せながら,言語を学習させていった方が,ただ文章だけを提示するよりも効果的です。発達段階に合わせた言語学習ということを考えるのであれば,そういった具体物と言語と併せて提示することが必要になってきます。つまり,生活に関連する物,具体的な物から教えていくことが,特に幼少期,児童期までは,必要になってきます。
 次に,言語の有効性と依存性ということなんですが,一体これはどういったことかというと,例えば,子供が保育所や幼稚園,または小学校に入ってきたばっかりの時に,日本語教育者としてどういうように支援していくかという話なんですね。言語の有効性とは,自分の話している言語が相手にどのくらい伝わっていると思っているのか,この言語によって相手がどのぐらい動いてくれると思っているのかというように,自分の言いたいことをこの言語によってどのくらい伝えられると信じているかということです。言語の依存性とは,自分が通常使用している言語にどのぐらい依存しているか,その言語をどのくらい使い続けるかということです。この言語の有効性と依存性が,異文化間移動直後の子供,それと受け入れ側の保育者,受け入れ側の子供によってどう変化するかを観察してきました。おもしろいことに,外国人の子供は,異言語間移動,異文化間移動直後は,自分の言葉が使えると思っています。先ほどのモンゴルの子供の場合でも,最初はモンゴルの言葉を使って自分の言いたいことを周りの大人なり周りの子供に伝えようとします。ところが,周囲から返ってくる反応がおかしいぞとしばらくたってから思い始めるんですね。そうすると,たんだんと自分の母語は使わなくなります。そしてしかも,その言葉を使って相手とコミュニケーションをとるのではなくて,何かどうも新しい別の言語があるんだということに気づき始めて,新しい言語を獲得しようとするわけです。
 ところが,保育者または教師は,その外国人の子供の母語を話すことができればいいんですが,話せない場合はどうするかというと,外国人幼児に対しても,保育者の自言語の有効性は低くりません。日本語で言っても外国人幼児には伝わらないということは保育者自身わかっているのですが,でも何か言わなければということで,その子供の母語も使えないし,結局日本語で一生懸命話しかけることになります。一方,外国人幼児の側は,自分が日本語環境に放り込まれたことや,自分が今まで使っていた言語以外の言語があるなんていうことは初め分からず,混乱します。そのうち分かってきますが,最初は泣き続ける,わめき続けるといった一種のパニック状態に陥ってしまう子供もいます。受け入れ側の教師としては,早く日本語を習得してほしいということもあって,一生懸命善意で日本語を教えようとするんですが,子供の側ははそれを受け入れる状態ではない,パニック状態です。それではどうすればいいかということなんですが,一時期ですけれども,日本語を話さない環境,つまり言葉を話さなくてもよい環境に,この場合子供を置いておくことも必要ではないかと思います。つまり,言語に非常に強く依存するような環境や遊びを子供に与えるのではなく,子供が日本語の音なり環境に慣れるまでは,言語に依存しなくてもよい身体的な遊びを中心にして,少しずつ子供を日本語の音に慣らさせていく。そしてその後で子供が獲得したいなと思ったときに日本語を入れていく,そういった子供の感情に配慮した日本語学習の工夫も幼少期には必要ではないかと思います。子供が「ウッ」って抵抗しているときに,「ほら日本語話せ,話せ」と言っても子供はパニックになるだけで,まず環境作りから整えてあげて,そして次に日本語の音,単語,文型を入れていくという配慮も必要ではないかなと思います。
 その後に生活言語から学習言語への移行期が来ますが,特に児童期が問題になってきます。幼児期の場合には,まだ生活言語だけで毎日の生活をうまくしていくことができますが,小学校に入ると教科学習が始まります。教科学習のベースになるのは日本語ですから,学習言語としての日本語を獲得しなければいけないことになります。そのときに,理解言語,表出言語という問題があります。表出言語よりも理解言語の発達の方が早いのですが,言葉を聞いて理解できないのか,それとも聞いて理解できるんだけれども,自分の言葉で表出できないだけか。その区別をしっかり見きわめた上で判断して次の学習のステップに入らないと,子供が分からないままどんどんと学習内容だけが先に進んでいってしまうことになっていきます。
 それからもう一つ,発達心理学の立場からこれは言っておきたいと思うことですが,今,軽度発達障害を持つ子供の問題が出てきています。障害をどう定義するかという定義上の問題もありますが,実際的にそのような子供の数が増加しています。軽度の発達障害を持った子供,例えばLDとかADHDと言われる子供が増えています。このような子供に,例えば2言語を一遍に入れていく,または異言語間移動をしたばかりの子供に日本語をどんどん入れていくとなると,能力が高い子供の場合には比較的問題は少ないのですが,能力が追いついていかない子の場合には,どちらの言語も獲得できなくなってセミリンガル*2状態になっていく。言語領域以外の発達領域,例えば認知発達領域にとっても言語は重要なものですから,子供の認知発達にも遅れをもたらすわけです。つまり,子供が今どういった発達状態にあるのか,その子供の年齢相当の発達段階にあるのかということも含めて言語学習を支援していくことが必要ではないかと思います。
 これまで私がお話ししたことは,発達ということに焦点を当てましたが,これは前に佐藤先生がお話ししてくださったように,子供の今の状態だけではなくて,子供が過去にどういった言語獲得をしたか,またはどういう状態に置かれていたか,そして,今,親が子供に何を望んでいるのか,さらにこの子供が一体どこで生きていくのか,日本で生きていくのか,それともブラジルで生きていくのか,ほかの国で生きていくのか,などということを考慮することが大事だと思います。将来どこで生きていくかを今見きわめることは難しいかもしれませんが,そういった将来展望まで入れて,じゃあ今,この子供にはどういった日本語教育環境を用意してやることが必要かということを常に考えて学習支援をしていかないと,理念のないまま,計画性のないまま進んでいくのではないかと思います。その将来展望というのは非常に長期的なものもあるでしょうし,どんどん短期的に変わっていくということもあるでしょうから,長いスパンで考えるのと同時に,短いスパンで少しずつ方針を変えて,その子供に合わせた形で支援していくことが必要となります。今の状態だけではなくて,この子供が一体どうなってほしいのか,どういうような形で生活していくのかということも考えた上で日本語学習をコーディネートしていく,そういった視点が非常に大事です。つまり生涯発達の視点を入れて日本語教育を行っていくことが大事になってくると思います。
 以上です。(拍手)

*1 エスノグラフィック 一定の条件下に置かれた実験室の中での人々の行動を分析するのではなく,現場(フィールド)調査をもとに実際に研究者が監察し体験した内容をもとに,人々の行動を記述し分析することによって,そこで活動する人々の意味世界を描き出す手法。
*2 セミリンガル 人生の異なる時期にいくつかの言語を獲得したものの,いずれの言語においても熟達度が母語の話し手の水準に達していない状態のこと。どちらの言語でも抽象的思考ができず,複雑な表現もできない多言語使用者のことを指す。


司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 41ページの2から4に至るこの項目,皆さん方がお仲間と一緒に具体的な言葉の例などを用意しながら,さらにどんな可能性があるかということに研究活動を進めていただくと,すごい財産になってきそうな気がしますね。
 それでは次に,今度は日本語教育研究,日本語教育学の立場から西原さんにお願いいたします。

西原 7分と聞いておりますので,なるべく守りたいと思います。
 日本語教育学会の会長としての日本語教育学会の立場からというふうにさっき御指定があったんですけれども,日本語教育学会の「会」の方を世界の「界」というふうにお考えいただいて,単一の学会という立場よりは日本語教育という世界が年少者という新しい学習者群に対してどういうことを今考えるのか,または考えるべきなのかというお話をしたいと思います。
 結論から先に申しますけれども,先ほど,佐藤先生のお話の中でも何度か「間」ということが強調され,その「間」ということを積極的に考えなければいけないというお話があったと思いますけれども,私たちもいろいろな意味での「間」ということを日本語教育の世界が我慢して耐えなければならないと思います。我慢していればいいことがあるというお話もありましたけれども,その気持ちの悪い状況を我慢する。そのことは,研究領域としては冷静な立場が必要とされている,日本語教育界として一番の課題なのではないかという結論です。
 日本語教育という世界を過去50年ぐらいを振り返ってみますと,幾つか転換期があったと思うんですね。最初は,学習する人たちに日本語そのものがどういうふうに説明されなければならないか,受け入れられていかなければならないか,これをどうして与えようかという立場が日本語教育界の主たる関心事だったと思います。
 その次に,これは学習者が多様化しつつあったことへのつながりだと思うんですけれども,教育の方法というか,どういうふうな教え方があるのかということが次に関心として加わっていったと思うんですね。
 その次に,今につながると思いますけれども,その前の二つの時期は教える側,支援する側の立場を強化していこうという関心だったと思うんですけれども,3番目の転換期として今に至るのは,学習者,または学習のプロセスというものが一体何なんだろうかということだと思います。
 日本語教育の世界はとにかく相手があって成り立つ世界です。日本語を母語としない人たち,または日本語が不十分な人たちが日本語を獲得してくださることを支援する立場なわけですから,社会の状況や学習者の人たちがどうあるか,何のためにあるか,どうしようとしているかということと連動して発達していくわけですけれども,研究の領域が学習そのもの,つまり学ぶ人の立場という方に焦点を変えていったということが大きな転換であったと思いますし,そのことによって他の研究領域,今,塘先生がお話しくださったような「発達」ですとか,佐藤先生がお話しくださったような「異文化間教育の視点」ですとか,それから社会学の視点,人類学の視点,医学の視点ももちろんあると思いますし,他の研究領域との境界が緩くなっていった。だから,何が日本語教育の問題かということを単一に語りにくくなってきたということが起こっているのではないかと思います。
 では,研究領域ということをどういうふうに考えていったらいいのだろうかというお話なのですけれども,日本語教育の世界では,実践が非常に進んでいると思います。実践研究も非常に進んでいると思うのですね。例えば,日本語教育学会に関係する方々の中から,第2言語習得研究会ですとか継承語の研究会ですとか,研究的な視点を持ちたい,研究的な視点の中で実践をもとにして考えようという非常に大きな流れが動いていると思います。また,そういう流れに参入するような研究者,実践的研究者を育てようという動きも非常に盛んであると思います。例えば,お茶の水女子大学や早稲田大学が学生を中心としたNPOをつくって,そのNPOで何をするかというと,実践をするわけですね。年少者に対する教育実践をする。大学の教育活動とボランティア活動というものを組み合わせたような形でNPOとして出発していると思いますし,大学を越えた,例えばCCSという41大学170名の大学生の組織が教室に入り込んでいったり,学校外で子供たちの学習及び日本語の支援をするというような,学生を中心としたNPO組織もあります。CCSだけじゃなくて,東海地方にも同じような組織があります。そのような学生を中心としたNPO組織は,明日の実践者,明日の教育者の養成につながりますので非常によい兆候であると思うんですけれども,日本語教育会にとって大きな課題というのは,実践にうずもれてしまわないということだと思うんですね。また,領域の間を通訳するような立場にある研究者が育たなければならないということもあると思います。
 佐藤先生が会長でいらしたときに,異文化間教育学会と日本教育学会は一緒に何かする必要がある,一緒に何かやりましょうと話し合ったのですが,第2言語習得というのは日本語教育の世界で高く評価されている領域だと思うのですけれども,佐藤先生が関係論的というふうにおっしゃった関係論ということを,第2言語習得の言葉ではどういうふうな語り口で考えているのか。そして,例えば「文化変容」というような概念が既に存在する。それから,Learner-centeredness*1という概念がカリキュラムの概念として存在する。知識の獲得に関連して,例えば宣言的知識*2と手続的知識*3というものがどういうふうに獲得されるのかというようなことは第2言語習得理論の研究者の中ではよく語られることなんですね。私も佐藤先生のお話を聞いていて,自分の領域に引きつけて,違いを感じつつ同じことを考えている。ただし,用語が違うということを感じることが多いのですけれども,それを研究者としては関連づけていかなければいけない。それが佐藤先生のおっしゃった「間を埋める」というようなことにつながっていくのではないかというふうに思います。そういうことをするためには実践に埋没しないという姿勢,一歩引いて,そしてそのこと自体を冷静に,科学的に考えるという,そういう人材がいませんと,実践と実践,いろんなところに焦点が当たった実践を有機的につないで研究として,または日本語教育学の領域として発達させていくことが難しくなるんじゃないかと思います。(拍手)

*1 Learner-centeredness 学習者中心主義。師の決めた学習内容や方策を学習者が一方的に受け入れるのではなく,学習者と教師が双方向的に交渉・相談しながら,学習やカリキュラムを作り上げていくという考え。Nunan(1988)
*2 宣言的知識 事物や概念に関する知識。言語化することができる辞書に記述されているような知識。
*3 手続的知識 「やり方」に関する知識。自転車の乗り方や水泳の息継ぎなど習い覚えて身についた技能などで,言葉では伝えにくい知識。


司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 本当はあと1時間半欲しいと思うんですね。今お話いただいた広がりからいけば,本当にきちんと確認していくためにはもうちょっと時間が欲しいんですけれども,私どもはそんなに,200歳まで生きるわけではありませんので,何とか工夫して残された42分の時間をできるだけ有効に,皆さんの役に立つように,パネリストの先生方にも御協力をお願いしたいと思います。
 佐藤先生に今度お願いするわけですが,先ほどの御講演の中で言い残されたことと,それから今,パネルの中でいろいろとお話が出てまいりました。そのことも受けて,大変恐縮ですけれども,手際よくやや短めにまとめて,どうしても言い足りなかったら,その後またお願いしますので。お願いいたします。

佐藤 いつも時間ばかり気にしながら話をしますけれども。
 今,皆さんのお話を伺いながら,異文化間教育というものは決して単一なものではないっていうことを改めて確認したいと思います。異文化間教育を簡単に説明したいと思います。異文化間教育の対象者は,海外に生活する子供,帰国した子供,外国籍の子供,それからマイノリティーの子供,さらには外国人労働者,外国人花嫁といった人たちです。こうした人たちに共通す課題として,異文化適応や異文化不適応,アイデンティティー,異文化間コミュニケーション,教育方法,特に異文化理解教育の方法,それから二言語習得やバイリンガル教育,異文化間心理学,さらには,受け入れの制度や政策などが浮かび上がってきます。異文化間教育というのは,このように,縦軸に対象者を,横軸に共通する課題を設定し,それがクロスするところに個々の研究が成立します。外国人の子供の日本語教育を考えていくときに,さっきは総論的にお話ししたわけですけれども,実はいろんな研究のやり方があるわけです。
 例えば地域の問題でいえば,やはり外国籍の子供を受け入れる制度や枠組みが課題になります。地域の中でどういうように受け入れていくか,具体的な枠組みをどうつくっていくのかということも重要な研究領域になってきます。
 エマニュエルさんのおっしゃったことで,非常に印象的だったのは,自分の将来展望ができることが大切だという点です。このことは異文化適応が日本語の習得と密接にかかわっているということを意味しているように思います。日本語習得にあたり,子供たちの異文化適応が影響するのであれば,どういうように適応を促進をしていったらいいのかということも重要な研究になってきますし,その支援が重要な教育の問題になります。
 大蔵先生の話からは,子供の日本語の教育,特に子供たちの持っている母文化での学習履歴や母語での学習と日本語の学習をどうつなげるかというような異文化間教育として考えるべきテーマも出てきます。日本語教育は大変異文化間教育と関連してくるわけです。
 それから,塘さんのお話というのは,発達心理学の視点から見たときに,文化間移動を経験した子供たちの言語習得をどのように考えていくか,それは従来のように単一の文化的環境で成長してきた子供の言語習得とはどう違うか,どのような配慮をする必要があるかを解明する必要があるということが浮かび上がってきます。要は,異文化間教育は決して狭い固定した単一の学問ではないということです。文化間移動をした子供の日本語教育というのを考えていくときに,多様な枠組みや視点から考えていく学問だということです。子供の日本語習得や日本語教育は,多様な視点から総合的にとらえていくことが必要であり,そのことで初めて成果が上がるということです。
 ただ,今日ここでお話しを伺っていて,非常に気になる点があるんですけれども,それはこれまで子供たちの調査研究が搾取型になってはいなかったかということです。これまでの調査研究の在り方を痛烈に反省する必要があるということです。研究者,あるいは実践者は,日本語教育の世界と接点を持ちながら,子供たちの教育とかかわっていくことになりますが,異文化間教育という視点から見たときに,そのかかわり方自体をもう1回問い直していく必要があるんじゃないかということです。つまり,何のため,誰のための調査研究かということです。今日皆さんのお話を伺っていると,そういうことを改めて考えさせられた次第です。日本語教育の世界でも,外国人の子供の教育に関わっていますが,その関わり方自体を問い直す必要があるということです。子供のため,外国人のためといいながら,実は自分のため,自分の論理が優先し,支援される側が見えていないということはありはしないかと問題提起です。調査研究をしたり,実践をしたりしていくときに,そのかかわり方を問い直す必要があり,そこに異文化間教育といった視点が有効だということを改めて申し上げたいと思います。
 以上でございます。(拍手)

司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 皆さん方にはそれぞれ御発言いただいたんですが,ほかの方の発言内容に関して,あるいはほかの関係でも構わないんですが,パネリスト間で質問をし合う時間をちょっと用意しておきたいんですが。あるいは助けを求めるということでも結構でございますが,もしどなたかに,ちょっとこれどういうこととか,これどうしたら,どうお考えですかというのがありましたらおっしゃっていただきたいんですが,どなたかいかがですか。

北澤 本日は,私がちょっと異質な感じで,皆さん研究なさっている方でありますが,今,佐藤先生もおっしゃいましたように,一つの学問に終わらせないでというお話がありました。我々地域にいますと,本当に専門的なことはわかりません。教育委員会等にいろいろ資料等とか,あるいは勉強される先生方は,皆さん方の研究等も紐解いて一生懸命勉強されていると思うんですが,そういう中で現場への入り込みとか,あるいは先ほどもおっしゃっていた異文化教育は単一でないと。それぞれの研究テーマと構想を持って,連携して地域の制度,政策。国はあまり当てになりません。文化庁は一生懸命やっていただいております。これは本当に,ゴマをすっているわけではありません。私の実感です。教育,言葉の問題だけでなくて,地方自治体はすべてにかかわるもの,外国の人も一人の人間ですから,かかわっていきます。そういう中で連携して,制度や政策を地域から変えていこうということでの何か御提案とかお考えがあれば,どなたでも結構ですが。

司会(水谷) いかがでしょうか。どなたでも結構ですが,今のことに関連して。

塘 地域からという大きな話になるかどうか分かりませんが,私がフィールドワークをやっていたときに,実は最初の段階でちょっと失敗した体験があります。どういうことかというと,研究者の立場として壁の花になりまして,ビデオをずっと回しているだけで,保育の邪魔にならないような形でフィールドに入り込んでいったんですね。もちろんその中から見えてきたことを保育者と後日話したり,撮影したビデオを保育者に差し上げて保育の内容を検討してもらうということはしていましたが,観察中は傍観者的態度をとっていました。そうしたら,どうも保育者との関係が悪くなることに気づいたわけです。
 じゃあ,どうしたらいいかなと思ってちょっとやり方を変えまして,私も一緒に実践してみる,子供に話しかけてみる,一緒に保育をしてみるということをしたんですね。そのやりとりの中で私が気づいたことを保育者に話したり,今,この子供は言語発達はこの段階ですよということを専門家の立場から保育者に話しました。私が行くのは1週間に1度ですから,私が見てない時間というのは圧倒的に多いわけです。ですので保育者とお互いに意見を交換しながら,じゃあこの子供へのアプローチはどうしていこう,次にはどのような日本語をどういう形で教えていこうということを協働実践的に行いました。協力しながら一緒にこの子供を見ていこうということをやり始めたときに,保育者と私の関係も変わってきた,そして子供と先生との関係も変わってきました。
 これは研究者の怠慢であったかもしれませんが,研究者ももっとどんどんと実践の中に入り込んで周囲の人との関係性を構築していく,一緒に場をつくっていくことがこれから必要だと思います。また実践者の側もやはりそういった一緒につくっていく視点,または研究者を利用する視点が必要でしょうし,それが地域の連携にもつながっていくのではないかと思います。お答えになっているかどうか。

司会(水谷) はい,ありがとうございました。どうぞ。

西原 外国人問題を提言する審議会に身を置いていて気がつくことなんですが,浜松市等,外国人集住都市が幾つか一緒になって宣言と提言をしていますね。それが非常に大きな力を持っているということに気がつきます。それは実体験に基づいた国を動かすための宣言,提言であったと思うんですけれども,地方分権の時代と言われていますが,国は当てにはならないんだけれども,地方の声を聞かないというわけじゃない。そしてそれが,3本の矢のたとえではありませんが,一つの束になったときに,このことは大きな力を持つと思うんですね。
 その提言の中で,外国人学校をちゃんと一人前に扱ってくださいというお願いがあったと思うんです。先ほどエマニュエルさんの話にもありましたけれども,日本の学校にどうしても入れない子供がたくさんいるわけですが,その子たちを遊ばせておいていいのかという問題を解決しなければいけない。バイリンガル教育を自治体がやるというのも大切なことですけれども,そうじゃなくて,日本人の子供たちが海外で受けているようなサービス,補習校ですとか外国人学校というようなものをもうちょっと一人前に取り扱ってあげるというようなことを,国としてちゃんと考えなさいということを提言にしていると思うんです。そういう意味で,めげずに国に働きかけるということをやっていただきたいなと思うんですが。

司会(水谷) はい,どうもありがとうございました。
 どうぞ,佐藤さん。

佐藤 振り返ってみると,こうした取り組みは,国よりもはるかに地方の方が進んでいるんですよね。逆にいうと,地方が国を動かす原動力になってきたんじゃないかということです。つまり,この教育に関しては,地方の方がはるかに進んでいる,そしてそれが国を動かしているんじゃないかということです。
 そしてもう一つ付け加えさせてください。研究者と実践者,あるいは自治体の方々の対話が足らなかったと思うんですね。先ほど,何のための研究か,何のための調査かという話をさせていただきましたけれども,一体私たちは何を発信すればいいのかについて,あまりに無頓着だったように思います。話し合えば,共通の何かが出てくるんだろうと思うんですけれども,話し合いがないままに研究を進めると,単に成果や結果を報告書として刊行するだけで終わり,それを地域や現場に渡してすませてきたということです。私は,研究は不可欠だと思います。きちんと診断(研究)をして,それを踏まえて処方箋(実践や政策決定)を書くことが重要です。とすると,研究,実践,政策に関わる人たちが,どう関わっていくかという仕掛けづくりが必要だということです。もちろん,そういう仕掛けがいろいろなところで多分でき始めているんじゃないかなという感じもいたします。講演の中で,異文化間教育というのは対話が中心になるというお話をさせていただきましたけれども,三者がシンシズム*1に陥らずに,つまりもう研究は信用できない,逆に実践至上主義や,対症療法的な政策に陥らないためにも,どういうかかわり合いをつくり,対話のルートをつくっていくかというところを議論すべきだということです。
 例えば,太田市は,市長を中心にして地方から国を動かしていますし,また,研究,実践,行政の対話のルートを作り上げようしているように思います。そういう力を地方が持ち続けていくこと,逆にそのために私たちが何ができるか,どのようなサポートができるかということを考える必要があるということではないでしょうか。

*1 シンシズム 冷笑主義や悲観主義という意味。


司会(水谷) はい,ありがとうございました。よろしいですね。
 大昔のことでしたが,名人が名人芸でいい授業をする人がいたとしても,その人が一人だけで終わってしまったのでは学習者は損をするではないか。だから伝えるための研究が必要なんだよということを言われたことがありました。今のお話も,だれもが研究をするすぐれた実践家になるべきだろうと思うんですが,ただ問題は,研究の内容も,抽象度の高いものから非常に具体的な細かいものまでいっぱいある。しかも,その広がりが恐ろしく広い領域だと思うんですね。だから,一体今,私たちに突きつけられているどんな研究を背負って,どんな情報を持っているべきか,どんな制度改革についての提案が求められているかというようなことを常に意識化していなければならないだろうと。これから私たちが解決しなければならない課題は何かということにお話をちょっとシフトしていきたい,移していきたいと思います。その初めに,野山さんの方から,今,私たちが議論の対象としている年少者に対する教育の世界で何が起こっているか,課題は何だというようなことについて軽く御紹介をお願いできたら。

野山 平成6年から平成12年まで,地域日本語教育推進事業というのをやっていました。そのときに太田市の皆さんにもお世話になりましたし,8地域から八つの報告書が出たわけです。必ず報告書の中で年少者の問題が取り上げられていました。
 今後の課題を考えるときに重要なことは,考え方の基盤になる理念みたいなものであります。その理念のことを強く打ち出した地域が,例えば川崎市や大阪市でした。なぜ強く理念を打ち出すかというと,それ以前,戦前,戦中,戦後,在日の人たちの問題も含めて,識字という教育の問題を抱えていたことが影響しているようです。識字の問題から始まって,日本語教育,地域の日本語教育,年少者の問題というのは重なっているわけですね。そこで言われていた重要なことというのが,課題を解決していく際に支援活動を支えている理念ということになります。例えば三つのことが強く言われています。
 一つ目は,外国人住民とかその子供というのが日本社会に適応するというだけではなくて,日本社会の側からも変わっていくということが重要であることを提言で打ち出しています。
 二つ目というのは,外国人住民やその子供に対する学習支援の場というのは,支援者側も相手から学び得るし,そういう意味では対等な関係を築くことができるような相互学習の場であり,お互いの自立と自己実現につながる―最終的には生きるための学習の場であるというふうに言っています。これは,有名な教育哲学者であるパウロ・フレーレ*1という人が,識字ということを語るときに生きるための識字の学習という言い方をしていますが,それにつながることです。
 三つ目としては,こういう学習支援の過程で学習者と支援者が,先ほどもキーワードで出てきました,共同作業すると,共同作業という行為を続けることで,外国人と日本人とで合わせ技で新しい日本語教育の在り方というのをもし考えることができるのであれば,それを模索するという過程で,実はいろんな地域の人たちを巻き込むということが必要になってきます。巻き込み方に関しては,地域の実情によるわけですし,学校環境にもよります。それをうまく巻き込むことで海外から来た人,エマニュエルさんも含めてですけれども,そういう年少者の心もちゃんとわかるような日本人側,外国人側の人たちも積極的に社会参加したり関与するということが実現していくと,ひいては,こういう年少者日本語学習支援,あるいは大人の日本語学習支援の成果というのが,全体として住みよい地域づくりとかまちづくりにつながるであろうということを言っています。これは山形市の報告書でも強く言われていますし,留学生が非常に多い福岡市の報告書でも言われていました。東京都の武蔵野市の報告書でもそれは強く言われていて,それを一つの言葉で,ともに生きる+ともに育むということで,教えるという教育以外に「共育」という言い方で表現したりしていたわけです。
 こういうような環境をもしつくれるのであれば,日本の人にとっても非常にプラスになるということです。先ほど西原先生が,領域の間を通訳できるような研究者が必要だとおっしゃいましたが,日本語学習支援の現場の場合には実は,違う言語をしゃべっている人たちをつなぐコーディネータが必要だということなんです。行政言語をしゃべっている人たちと,それから普通の言語を話している人たちを通訳できるようなコーディネータというのが今必要だと言われています。重なっていることだと思います。こういったものを考えると,地域日本語教育あるいは地域の年少者の日本語教育,それから研究者の人たちがもう少し共同することでもっともって見えてくることがあると思いますし,そこにやはり,フレーレも言っていますが,対話というものが必要になってくるんだろうと思います。以上です。

*1 パウロ・フレーレ ブラジルの教育実践家・思想家(1921〜97)


司会(水谷) せっかくこういった形でたくさんの方たちが参加してくださいました。時間的にはつらいですけれども,それでも,たとえ一人でもお二人でも,何らかの貢献をこの中からしていただきたいと思うんですが,マイクロホンは用意されてますか,ないですか。ありますね。
 それでは,ただ,限定させてください。今ここで出たお話にダブることや広告宣伝的なものは別にして,私たちがこれから解決しなければならない課題はこういうことではないか,いや,こんなことが私の身の回りにはありますよ。それについてこんな実践努力を始めていますけれどもどうでしょうかというような,私たちの議論を膨らませることに貢献できる御発言をお願いしたいと思います。しかも,できれば1,2分でお願いいたしたい。
 どうぞ挙手をお願いします。はい,どうぞ。

参加者 いろいろお話,大変有意義に伺ったんですけれども,本当の素人で,日本に来た年少者,私らの市では一つの学級に一人いるかいないか。あとは全部,日本語の者ばかりなんですが,そこで我々はどうやって教えていくか。日本語を教えるのに,私たちはテキストがないと教えられないんです。どういうテキストを使うか。例えば私,初めてテキサスインスツルメントというところへ行きまして,どういうわけか,先生のアンイントロダクショントゥモーダンジャパニーズ*1,それを使ってやったんですが,今度は地方都市に来まして,東南アジアとか発展途上国の人たちが全然通用しないので困ってしまった。大蔵先生の日本語学級*2というようなのを使ってやったり……。要するに,どういうテキスト。テキストがないと私らどうにも教えられない。どういうテキストがいいかというようなことをもう少し教えていただけないかということなんですが。

*1 アンイントロダクション
トゥモーダンジャパニーズ
AN INTRODUCTION TO MODERN JAPANESE(水谷修・水谷信子著,1977,標準現代日本語の入門書:日常会話を中心に取り上げ,発音を明確に示し,ひらがな,カタカナや基本感じを読めるようにすることを目的とした初級レベルの教科書)
*2 「日本語学級」 大蔵が作成した子供用テキスト。Ⅰ,Ⅱ,Ⅲの3分冊。


大蔵 テキストについては,やはり,これだ,ぴったりというテキストはどうしてもないんですね。ですから,何かを軸にしながら,自分の目の前の子供にどういうふうに利用していくかということに尽きるかと思います。ただ,それでも,もとになるテキストが何かないとやりにくいということもありますので,そういう意味ではいろいろなところからいろいろな形でのテキストの出版,それからテキストだけじゃなくて事例集のような出版がもう少しこれから先増えたらなとは思うんですね。ですから,ここにいる先生方等も含めて,いろいろな事例集の出版ということをこれから出版社に働きかけていきたいなと思っております。

司会(水谷) いいですか。それぐらいで勘弁してください。
 前の方。恐縮ですが,お名前をお聞かせください。

参加者 Tと申します。埼玉県の方でボランティアをしております。
 今日のお話の中で非常に関係性というものを……,私も研究者の卵ですので,関係性については随分と考えておりました。それで,例えば10ページのところに書かれてあります日本語ボランティア活動の支援・推進事業のことなんですが,先ほど北澤さんの方から,国は当てにならない,でも文化庁さんはよくやってくださっているということだったんですが,事業ということなのでこの矢印は仕方がないことだと思うのですが,でき得れば,お願いといたしまして,この矢印,下の方に向くばかりではなく,上にも向かせていただきたいなと思っています。
 それからもう1点なんですが,この図を見ますと,地域日本語支援コーディネータとボランティアと学習する外国人の方が一くくりの枠の中に入っていまして,その上の方に文化庁。すごく重い感じなんですね。この線も取っ払う必要があるのではないかと思っています。
 それからもう1点。私はもう一方で,生活するために日本語教師をしています。日本語の教師というものが,何か年少者の日本語教育のかやの外に置かれているような気がしてなりません。先ほど,行政をどう動かすかということだったんですが,でき得れば制度的に,ボランティアの中でもかなり力をつけてらっしゃる方,もう専門家としても通用するような方がどんどん育ってらっしゃいますので,でき得れば学校教育の中の教師の一員として何か制度的に位置づけてもらえないだろうかという思いがあります。大泉の自治体の方ではそういう具体的な教師の立場,社会的な位置づけというのはあるのでしょうか,教えてください。

司会(水谷) それでは,最初の方は……。

北澤 それぞれ行政,自治体の姿勢というのはあると思うんですね。トップの考え,あるいは教育委員会の考え方。そういうことで,この資料の10ページの上下関係はないと思うんです。先ほど私が皆さん方,先生方にも御提案というかお話をさせていただいたのは,上も下もなくいろいろかかわってほしいという考え方で太田市は取り組んでおります。
 それで,ボランティアの皆さんにも,例えば「あゆみの会」というのは,文化庁の強い御指導等もあって,最初申し上げたとおりですが,太田市としても補助金を出しながら自分たちで本をつくったり,それを販売してまた運営資金にしていくと,そのような活動もしております。
 また,日本語教師の方はかやの外というお話ですが,太田市ではそのような話聞いてないんですが,それを糧にされている方がいらっしゃるというのは現実にあります。太田の場合は,どんどん行政,我々あるいは市長の方へ話に来てもらうと,そこからいろんなアイデアが展開していくというようなこともありますので,自治体の方にも積極的に働きかけてみるのも一つの手かと思っております。

司会(水谷) いいですか。
 もう一つ聞きましょうね。

野山 私のことを代弁していただいたので。図表の問題は,基本的に上下とか,重い低いという関係で書いてはございませんで,そこを考えていただければありがたいということと,流れがこれでわかっていただければということで書いているもので,必要とあらば線を消したり取っ払ったりとかいうこともさせていただきますので,よろしく御協力していただければと思います。

司会(水谷) もう時代はそういう時代ですよね。今度やるときはどうぞお変えください。
西原 先ほど,太田市の方から教育特区という考え方があったと思うんですけれども,これは,住民パワーでそれぞれの自治体に特区の申請をしてもらうような働きかけをすることができると思います。
 特区ということの意味ですけれども,太田市では年限がついていると思うんですけれども,日本の教員免許を持たない外国人に正式の教員としての地位を時限つきで与えていらっしゃいます。その時限の間は,その外国人の方は地方公務員としての教員としての地位をお持ちになるということです。これはこのごろ,教育の規制緩和の中で,自治体に与えられた一つの権利です。ですから,各自治体の住民がこのことに関して,例えば日本語教育というところで特区を申請してください。その中で,教員免許を持たない日本語教育の専門家に,時限つきではあるけれども,正式教員の地位を与えてくださいということが働きかけられ,それが申請され受理されれば,そういうことが実現します。

司会(水谷) 質問なさった方,よろしいですか。
 大変いい質問出していただいたので,うまいぐあいに時間内に終われそうな感じであります。まだおっしゃりたい方おありかもしれませんけれども,お許しください。
 最後のまとめとしてパネリストの方々からお一人1分30秒ずつ,言い残したことをおっしゃっていただくか,訴える,アピールの言葉をいただければと思います。
 恐縮でありますが,どちらから行きましょうか。大蔵先生から,いいですか。
 はい,お願いいたします。

大蔵 それでは,私の方からは一つ。情報を皆さんで共有しよう,集めようということをお話ししたいと思います。どういうふうなことをやった,何をやったかということをそれぞれが持っていても仕方ありませんので,情報を共有できるようにしていきたいと思っています。そのためには,いろいろ報告書出されていますけれども,もっと内容,姿が見えるような書き方を私たちは工夫をしていかなくてはならないのではないかと思います。
 また,集めた情報をどうやってみんなで共有していくかについてはまた,学芸大学の国際教育センターなどにも協力をしていただけたらと思います。その辺は,また機会があったらお話ししたいと思います。以上です。

北澤 教育は時間がかかるということです。しかし,それが本当かどうか。走りながら考える,そういうことも,これは太田市のやり方ですが,その常識を疑ってみるということも必要かもしれません。今まで太田市は,前例への挑戦ということでやってきました。でも,今やっていることは,前例がないことへの挑戦を繰り返してやっております。システムを早く検証して改善して,また前へ行くと。そのような状況ですので,皆さん方のお知恵をよりいただきたいと思います。要は,子供たちの成長は待ってくれないということです。以上です。

司会(水谷) あと30秒ございます。どうぞ。

佐藤 全く違う話をしたいんですけれども,実は4月から国立大学は法人化しました。そこで重要視されているのは,大学が地域とかかわりを持つということです。逆に,地域とかかわりを持つと補助金を出しますよって文部科学省は言っているんですね。
 今までできなかったことができるようになってきましたので,どうか皆さん,いろんな形で働きかけてください。さっき西原先生がお話しをされたように,規制緩和の中で今までできなかったこともできるようになってきました。こうした新しい社会,新しい地域をどう私たちがともにつくっていくかということで何か共同してやっていけるような試み,小さな試みでいいと思いますので,そういうことをぜひ皆さんと一緒にやってみませんかという提案をして終わりにしたいと思います。

司会(水谷) いいですね。はい,どうぞ。

塘 今日は言語発達ということについてお話をしたんですけれども,私の心に残ったのは,エマニュエルさんが自分のアイデンティティーに非常に悩んだという,今も悩んでらっしゃるという話ですね。これは発達心理学の問題にも非常に関わってきますが,同時にここにいらっしゃる日本語教育に携わる先生方の問題でもあると思うんです。つまり言語を学習させるということは,その子供の心も支援していく,アイデンティティーや自尊感情,自分が自分を好きになること,自分はここにいていいんだ,他者に認められる自分でいいんだというような心の支援もしていくことにつながっていきます。そのことも視野に入れて日本語教育を進めていただきたいと思います。以上です。

司会(水谷) はい,ありがとうございました。どうぞ。

西原 最後に,言葉ということに関して,あるいは日本語ということに関して,二つのことを申し上げたいと思うんです。
 一つは,私たちが教えようとしている日本語というのが,単に私たちや皆さん方の頭にあるものを他の人に植えつけるということではない。これはいろんな方のお話で既にそのことをおっしゃられましたけれども,日本語教師が見ている日本語というのは,少なくとも学習者の母語と日本語という二つの言葉との間で考えられるべきものだということが一つです。
 それからもう一つは,その日本語というのは国際共通語としての日本語であるべきであって,私たちが先祖の墓を守ってきたように守ってきたその日本語が教えられ,流通するということではない。明日の日本語は,私たちが探し出して,見つけ出して,そして共有していく,世界中のみんなで共有していくそのものなのだということをお伝えしたいと思いました。

司会(水谷) はい,ありがとうございました。
 あと4分ほど余裕がありますので,エマニュエルさんに,さっきお話をしてくださって,その後,今の話を聞いてきっと感想がおありだと思うので。

エマニュエル 情報の共有というのは本当に必要だと思うんですけれども,日本の支援側ばかりではなく,外国人コミュニティも含めた……,日本側ばかりではなく,外国人コミュニティとももっとかかわりを持ってほしいですね。多分,外国人の声を直接聞いた方がいろいろわかると思うんですよね。そんな研究ばかりしていても……,(拍手)
  どうかと思うんです。

司会(水谷) ありがとうございました。
 強烈でしたね,これは。でも,エマニュエルさん,本当にありがとう。本当にそうですね。このことに関してはどなたも異議はないかと思います。やっぱりいろんな人に聞くべきですね。
 それでは,あと時間は5分になりましたが,私の方からは,やっぱりこの仕事,大変なお仕事であります。決して日本語教育自体がまだまだ……。今は日本語教育学会も4,000人を超すような会員を擁しておりますけれども,日本の社会全体の中では,30年前と実は余り変わってないと僕は思っているんです。新聞にこそ載るようになったけれども,国民全体の意識としてはまだまだ小さな部分で,日本語を教える,何っていう人たちの方が圧倒的に多いって。だから,今,私たちがかかわっている仕事というのは,まさに開拓的な仕事である。始まってから戦後でも40年になりますけれども,それでもまだ開拓期なんだ。苦労がこれからもどんどん続くけれども,やっぱり頑張ってやり抜いて,孫たちやその孫たちに役に立つような,あるいは世界の人たちに貢献できるような道を今つくっているんだと。そうでも思わなければやり切れないということがいっぱいあります。まあ,頑張ってやっていきたいと思います。
 最後に,マイクを野山さんにお返しします。どうぞ。

野山 エマニュエルさん,どうもありがとうございました。
 今日のお話の中にも幾つか出てきましたが,エマニュエルさんもおっしゃいましたけれども,外国人の方々の声を聞くということは大変重要です。例えば,太田市もかかわっている集住都市会議というのは,外国人側,日本人側両方,つまり住民の声を聞くという意味ではとても進んでおり,その結果として,外国人の受入れ施策の充実へ向けて,国よりも先に進んだ提言を行っています。今年も,10月29日に豊田で集住都市会議があります。数年前の浜松の宣言の際と同様,年少者の教育について分科会を開いて,今後の多文化共生社会の構築を前提とした教育の在り方についていろいろと語り合う機会を提供する予定のようです。参加できる方は,実際に行ってみて,市長や町長さんたちが何を考え,外国人の方が何を考えているのか直に聞いていただければと思います。別の動きとしては,ことしの4月に日本経済団体団体連合会が,今後の経済の動きと地域社会の問題を考えた上で,年少者の日本語教育の問題,地域の日本語学習支援の問題もひっくるめて,さまざまな分野の人の声,つまりヒヤリング結果を踏まえた上でそれらの声を適切に盛り込んだ提言を出しました。各論的にはいろいろ細かい批判も浴びているようなんですが,総論的には,今後の多文化共生の社会を予測・俯瞰した,大変有意義な提言が出たと言えそうです。
 情報の共有ということで申しますと,もしインターネットを活用できる方であれば,日本経団連のホームページから入っていただくと,この提言が含まれた報告書全文をすぐ取り出すことができます。こうした一連の動きもあってか,日本経団連が発行している近刊の『経済Trend』の8月号では,経済雑誌としてははじめて日本語教育の問題も取り上げて,多文化共生の地域づくりに向けた施策や,年少者の言語環境の整備の問題も語られています。
 こうした大きなうねりというか,多様性のダイナミズムの動きを踏まえると,エマニュエルさんのような立場や背景を持った方が,奨学金をもらいながら安心して高等教育を受けられるような体制をつくることは大変重要な優先順位の高い課題の一つと思われます。
 実は,私とエマニュエルさんが初めてお逢いしたのは外務省の会議,シンポジウムのときです。そのときにもエマニュエルさんは今日のような体験談を,もっと短い時間でしたけれども,してくださいました。外国籍の身で小学校の途中から日本に来日しながらも,日本語を第二言語としてしっかりと学んで,普通入試で大学に入学した,収入の少ない自分たちのような学生に対する奨学金の制度があれば有り難いといったときに,日本経団連の方が,企業に働きかけてみることを口頭で約束してくださった。外国籍のエマニュエルさんのような背景を持った学生にも対応できるような奨学金を何らかの形で今後作れたら,日本語を第二言語として学んでいる大勢の外国籍の子供たちに夢を与えることができます。こういうような動きを仕掛けていくということも今後はますます必要になってくるだろうと思います。
 日本語学習支援に関わっている方の大半は,日本語を第一言語としていない子供たちが,できる限りの努力をすれば,日本語を効果的に習得でき,将来の夢を語れ,自分の進学したい学校へ入学できるような,努力のしがいがある制度作りを何らかの形で支援していけたらいいなあ,と願っていると思います。ひいては,エマニュエルさんのように大変な努力をしてきた方が適切に評価され,それ相応な経済的支援が受けられ安心して学べるような,多様な背景を持った人々が共生しやすい社会となっていくことがますます期待されます。
 本日は,本当にありがとうございました。(拍手)

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