日本語教育研究協議会 第2分科会

日本語教育研究協議会
第2分科会 「学習環境を考えた地域における日本語教育支援の方法について考える」
浜田 麻里(京都教育大学助教授)

浜田 浜田です。よろしくお願いいたします。
 まずお話を始める前に,どんな方が来てくださったかというのをちょっと知りたいと思います。一応,テーマは地域における日本語教育支援の方法を考えるということなんですけれども,どんな地域からいらっしゃったかということですね。まず,関西圏,京阪神地域から来たという方。それ以外の地域からの方。遠くから来てくださった方も。ありがとうございます。それから,どんな機関で教育あるいは学習者の支援をされているかということですけれども,例えばいわゆる地域の日本語教室ですね,そういうところで学習者とかかわっているという方,多分これは複数でかかわっていらっしゃる方も多いかと思うんですけれども。例えば,日本語学校で教えていますという方。では,学校教育現場ですね,初等中等教育で子供たちの支援をしているというような方はいらっしゃいますか。ありがとうございます。あと,大学とか成人教育の中で教えていますというような方いらっしゃいますか。
 そういったいろんな環境の中で教えている,教えるという言葉が必ずしもあてはまるかどうかわかりません,学習者の支援をされている方がいらっしゃるということで,今日はこのリソースを最大限に使った集まりになったらいいなと思っています。
 今日お話したいことは,メッセージとしては一つで,先生一人で頑張らないでということなんですね。これはいろんな意味があるんですけれども,一つは,学習者というのは恐らく皆さん日本の国内で教えていらっしゃるので,日本の社会に住んでいる学習者を相手にされていると思うのですが,要するに社会の中にいる学習者と付き合うときに,日本語を教えられる,日本語学習を支援するという立場から,どうしても私が頑張らなくちゃ,私が頑張らないとこの人は明日から生きていけないかもしれないというふうに思ってしまいがちなんですね。これはもちろん自分自身の反省も含めてなんですけれども,でもそんなことはない,一人で支えなくても構わない,あるいは一人で支えいていると思わないで,ほかにどんな人が支えているのかということをちょっと考えてみてくださいということが一つです。
 もう一つは,もっと積極的な意味で,一人で支えないようにするためにはどうしたらいいだろうかということもちょっと今日考えてみたいなと思っています。このパワーポイント,今ちょっとよく見えなくなってしまってますが,点々を碁盤の目みたいに結んでいるパワーポイントの背景を選んだんですけど,要するにみんなで手をつないで,学習者の人たちを支えていくような,そういったような学習環境というか,いろんな条件を整えていくためにどうしたらいいでしょうねというようなことを皆さんと一緒に考えたいというのが今日のワークショップの趣旨です。
 私も今日一応講師という形で来たんですけれども,皆さんの中には,本当にいろんな現場にかかわっていらっしゃる,いろんな学習者にかかわっていらっしゃる方がいらして,多分私一人の知恵よりも皆さん一人一人お持ちのいろんな力とか知恵とかをあわせると,いろんなことが出てくるんじゃないかと思います。
 前半は一応私の方で用意したことをお話するんですけれども,後半に皆さんの間でペアワークをしたり,あるいはそのペアワークをしたことを全体に戻してみんなで議論していくというふうなことを中心に進めていきたいと思っています。私も一人で頑張らないということで今日はやろうと思っています。御協力よろしくお願いいたします。
 最初にちょっとおことわりしておくのは,学習環境についてお話するということで,実はこれは今までに私がかかわってきた,ここに二つ書いてあるプロジェクトでの成果をもとにしているものです。なので,一応今日私だけがここにしゃしゃり出てきてお話をしているんですけれども,この一緒に研究をしてきた人たちとのいろんな共同で考えてきたことの成果を今日お話するということです。
 最初にいきなり宣伝になってしまうんですけど,皆さんのお手元の資料の方の参考文献のところに,近刊となっている本がありまして,今日話したことの半分ぐらいは多分その本になって,来年の春ぐらいに出るかなと思います。ただ,本の名前が,その予稿集を書いたときからちょっと変わる予定です。アルクから出るらしいので,もし今日の話を聞いて,ちょっと興味があると思ってくださった方はそちらの本を読んでいただくといいかと思います。
 いよいよ学習環境ということなんですけれども,まず皆さん学習環境という言葉を聞いたときに一体どんなことを想像されるでしょうか。環境ってよく使いますよね。もちろん,いわゆる環境問題の環境でも使いますし,それから学習とか勉強とかいうことをめぐっても環境というのはよく耳にする言葉だと思います。例えばどんなときに使うかというのをちょっと考えてみたんですけれども,例えば「子供の教育のために,環境がよい文教地区に引っ越した」。この場合の環境というのは何でしょうね。それから,「子どもが今年は受験なので,落ち着いて勉強ができる環境を作ってやっている」。何でしょう,静かにするとか個室を与えるとかそんなことでしょうか。それから,「教育環境整備のため図書館に本を買う」。子供がいろんな本に触れることができるかどうかというのは,そのお家のいろんな経済的な状況とかお父さん,お母さんの考え方にもよるんだけれども,そういった学校の図書館であるとか,それから公共の図書館に本を備えることで,できるだけ子供たちが本に触れる機会を増やしてやろうみたいな考えで,そういう教育の環境を整備するというふうなことをいいますけど,そういうときにも環境と使いますかね。それから,「環境と遺伝とどちらが性格への影響が大きいだろう」。性格じゃなくても成績でもいいんですけど,親から受け継いだものと,それからいわゆる後天的というのか,その人が生まれてからどういう経験をするかということとどっちの方がその人の成績,パフォーマンスに影響を与えるだろうというふうなことで環境という言葉を使ったりします。
 今日お話する学習環境というのはこれとちょっと違う,強いて言うと三つ目は近いかなという感じなんですけれども,ここで言われている環境というのはどういうものかと言うと,ここは子供の話ばかりなんですけど,環境が子供にどんな影響を与えるか。例えば環境が与える影響が大きいのか,それとも遺伝ですね,そういう自然的なものが与える影響が大きいのかという形で,その子供に環境が影響を与えるという面が割と強いかなと思います。どうでしょうか。子供がうまく育っていくように,つまりいい影響を与えるような環境をつくってやるとか,そういう環境を整備することで,子供の学習なり成長なりにいい影響を及ぼす,そういったものを支援していこうという考え方なんですね。
 私が言おうとしているのか何かというのはちょっと置いておきますけど,もう一つは学習者という言葉です。学習者というのは一体何をする人なんでしょうかということです。いかがでしょうか。学習者って一体何をする人でしょうか。
参加者 知識を入れるとか,何にでも興味を持って前向きに,いろいろな広い範囲で自分から……。いい表現はできませんけど,そういった意味だと思うんですけれども。
浜田 今二つのことがありましたね。知識を入れるということと,それから自分で興味を持っていろんなものに取り組んでいくということでしょうか。ではその後ろの方,学習者というのはどういうことをする人だとお考えでしょうか。

参加者 興味または必要性に迫られて何かの情報を得ようとする人。

浜田 情報というところはちょっと共通しているみたいです。興味とか必要に迫られて,でもやっぱり自分から情報を得ようとするという,そういう形です。ほかに何かありますか。いや,こういうふうに考えた方がいいんじゃないかと。
 ここで幾つかの学習者をどういう人だと考えるかというのを御紹介しますと,例えば習う人。先生が教えてくれたことを覚えるとか,先生が教えてくれたことを頭に入れる,あるいはできるようにするという,これは一つの考え方ですね。これはすごく古い学習の考え方で,心理学の歴史とかそういうことに御興味のおありの方は,多分行動主義心理学というのを聞かれたことあるかもしれませんけど,先生が与えた知識,あるいは提示された知識をそのまま写真でも撮るように,そのまま頭の中に写しとる,あるいは写しとれるように努力をするというのが学習者のイメージというふうに考える考え方もあります。先生が言ったことをどれだけ正確に覚えられるかというのが1番のタイプの学習者のポイントというか大事なことですよね。
 それから,2番目,試行錯誤して身に付ける。要するに,先生が言ったことをそのまま覚えるんではなくて,ある程度自分から働きかけてということもあるかもしれませんけど,自分が知りたいこと,興味を持っていることをいろいろ苦労して,自分でいろいろやりながら覚えていく。もちろん先生が提示した情報でもあるかもしれないですけれども,そこのところで自分なりにいろいろ工夫をすると。学習ストラテジー*1なんていう言葉をお聞きになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。勉強するためにどんな工夫をしていくと,より効果的に,より早く覚えられるかというようなことが,この試行錯誤して身に付けるタイプの学習で大事なことだと考えられています。これは心理学の分野でいうと認知主義心理学というのが,このような学習者のとらえ方をしているようです。
 それから,三つ目なんですけど,見習い中の人。午前中の講演を聞かれた方は,西口光一さんという人が社会文化理論の創始者というふうに紹介されていましたけど,そういった社会文化理論とか状況的学習理論というのが,このごろ日本語教育能力検定試験なんかにも出題されているようですけれども,そういった社会の中に参加していくことを学習だというふうに考えるのがこの分野の考え方です。要するに先生について,その先生のいろいろ身の回りのお世話をしたり,洗濯をしたりお茶を出したりですとか,そういったことをしながらだんだん社会のメンバーになっていくと。午前中も落語家のダイアン吉日さんのお話がありましたが,ダイアンさんが弟子の修行をされたかどうかわからないんですけれども,いろんな,特に職人芸とかそういった世界では,そういう形で少しずつそのグループの人間として認められていくということが学習の一つの在り方というふうに考えられるかもしれません。
 ですから,今社会文化理論などで日本語教育を考えるというのは,要するに日本語を母語としない人たちが,少しずつ日本の社会のメンバーになっていくというようなことを日本語学習というふうにとらえようということになるかと思います。
 それはいいことなんですけれども,一つ気を付けないといけないのは,見習いの人というのは師匠がいて,その師匠みたいになりたいんですよね。中には,師匠みたいになりたくないと,立川談志のように落語協会を脱退したりするんだと思うんですけど,普通の人は師匠みたいになりたいんですよね。ところが,日本語を学習している人の場合,よく考えてみると,別に日本語母語話者になりたいわけではないんですよね。だから,そこのところは少し注意が必要かなと思います。
 それでは,どういうふうに学習者をとらえようかというと,今日私が使いたいのは,自分の周りに働きかける人,さっき既にそういうお考えを示してくださった方がいるんですけれども,自分の周りに働きかけることによって,いろいろ自分の必要な情報を引き出してきたり,あるいは働きかけることによって,その相手と友達になっていったり,一緒に仕事をしていったりと,そういうことをしていく。つまり,学習の中の一番基本的なところというのは,やっぱり周りに働きかける。働きかけるということは,働きかけると向こうからも何か返ってくると,そういういろんな周りとのやりとりをしていくということを学習,あるいはそういうプロセスを学習というふうに見てはどうかというようなことを今日お話したいと思っています。何かちょっと抽象的なんですけど。
 そうすると,つまり学習環境というふうな言葉で表そうとしているのは何かというと,ある人が周りにいろいろ働きかける,その働きかける相手,働きかけ先と言うんでしょうか,その学習者との間のいろいろやりとりをする,その相手のことを学習環境というふうに呼ぼうというのが今日のお話の前提になっています。
 そういうふうに日本語の学習というのを,日本語を勉強したい人が周りの人とどういうふうにやりとりをしているか,どんなふうな関係をつくりながら毎日生活しているかということ,そういうふうにとらえようということなんですけれども,そのことを考えるときに私が参考にしたのが,このアフォーダンス理論*2という考え方です。アフォーダンスというのはすごく難しいんですけれども,学習者と環境の関係をアフォーダンスと言います。その環境と学習者の間に何が起こるかというと,環境というのは手がかりを提供するというふうにいうんですね。学習者は,その働きかけるという行為によって,その環境が提供してくれる手がかりというのを自分のものにする,いろんな情報を自分のものとして得る。非常に大ざっぱに言うと,こういうふうなことがアフォーダンス理論の基本的な考え方になっているようです。
 これも午前中の全体のダイアンさんのお話を聞いたくださった方,落語のときに落語家はどうやるかというと,例えば「あ,高いな」と言うときこうやって動作をする。あるいは「あ,アリが歩いている」と,こういう動作をすると,そこに高い建物があるとか,あるいはアリが歩いてるということが観客に示せるというふうなお話があったんですね。あれはまさにアフォーダンスとすごく関係することだと思います。
 要するに高い建物とかアリとか,そういうのが環境なんですね。その環境にこうやって人間が働きかけていると。その働きかけの様子,あるいは人間と環境とのかかわり合いの様子を示しているのがこういうポーズであったり,「あ,高いな」というこういう動作であったりするわけですね。だから,落語でそういうふうに動作をしているというのは何をあらわしているのかというと,人間と環境との関係をみんなに示すことによって,そこにそういうものがあるんだなということがみんなに示されると。だから,実際に「あ,高いな」と見てるビルはないんだけれども,その人が働きかけをしている,その様子だけはわかるわけですよね。その様子を,働きかけのアフォーダンスの部分を見せることによって,あたかもそこに高いビルがあるかのように見える。もしかすると,高いなとやってる本人にとっては見えてるのと同じことなのかもしれないですけど。演じるというのはまた別の次元がありますけど。
 例えば,落語の中で焼きイモを「ハフハフ」ってやってるというのは,私はちょっとまねできない,ダイアンさんはすごく上手にされたんですけど,そういうのも,焼きイモが熱いというそのことが,そういう手がかりが「ハフハフ」っていうそういうのを引き出している。「ハフハフ」ってやると,また今度は焼きイモの熱さが伝わってきてもっと熱くなるとか,そういうふうに自分と周りの環境というのはいろんな情報のやりとりをしながらやっているし,そういったものをうまく見せるというのが落語の妙味ということになると思います。
 そういうふうに,双方向性という言葉もさっきありましたけれども,私たちは周りのものを一方的に受け入れているわけではなくて,私たちの方から周りにいろいろ働きかけをしている。私たちが働きかけることによって周りからもいろんな情報が提供される。どんなときでも多分そういう双方向性の働きかけ合いっていうのがあるんだということをまず一つ確認しておきたいと思います。
 それで,そのアフォーダンス理論,今お話したような考え方を日本語教育,あるいは日本語学習の中であてはめて考えてみるとどういうことになるかということなんですけど,そのアフォーダンス理論がどんなものかというのを示すときによく示される例が,例えば視覚の障害のある人がどうやって自分の行きたい方の道を歩けるかということとか,あるいは手押し車を押しているおばあさんにとって,周りの環境というのはどういうふうに感じられているのかなんていうような話があります。
 視覚に障害を持っている方は,周りの景色は見えないわけですね。ですから,私たちが使ってる環境の手がかりとは全く違う手がかりを使って歩いていらっしゃるそうなんです。例えば,風がこっちから吹いてくるとか,音の伝わり方がどんな感じで伝わってくるのか。例えば床から響いてくるのか,あるいは何かすごく遠くの方で鳴っているのかというようなこととか,あと音にしても,公衆電話のカードのピッピッピっていう音なんかがすごく手がかりとして役に立っていたりとか,本当に私たちがふだん使っているのとは全く違ったような手がかりを使って歩いていらっしゃる。
 ということは,ほかの人には見えない世界というのが私たちの周りの環境の中には隠れているということです。私たちにとっては余り意味がない情報かもしれないけれども,別の働きかけをする人にとっては,その情報はすごく有効な情報になるわけですよね。手押し車のおばあさんの場合も同じなんですけれども,よく車いすに乗ってまちを歩くと全然違って見えるなんていうことが言われますけれども,歩いてると全然気にならないようなこんな段差がすごく大きな段差に感じられたりするというようなことがあります。
 そういったことで,要するに本人にしか見えない世界,ほかの人が同じような世界を見てるつもりでも実は全然違う世界を見てるというようなことがある。そうすると,もしかすると学習者,日本語を勉強している人たちが,その人たちにしか見えない世界というのがあるかもしれないということですよね。私たちは教師として,あるいは支援者としてかかわりながら,その学習をしている人たちのことをできるだけ考えようとして日ごろかかわっていますけれども,もしかすると私たちが見ている世界とは全然違う世界にその人たちは生きているのかもしれないということをちょっと考えてみてもいいかなというのがこれです。
 それから,二つ目の示唆なんですけれども,これは先ほどから申し上げているように,学習環境というのは学習の手がかりをいろいろ提供してくれていて,学習者が学習環境に働きかけることによって,いろんな情報が手に入る,学習がそこで行われるということになります。これは当たり前のことで,例えば日本語を,言語そのものにしても文化的な情報にしても,それこそ生活情報みたいなものにしても,そこにあるんだけれども,なかなかそれが学習者の手に届かないというようなことがあります。だから,働きかけないといろんな情報は手に入らないわけですけれども,もう一つ気を付けないといけないのは,働きかけたからといって必ずしもすんなり手に入るというわけではないということ。そこが相互作用というところの意味だと思うんですけど,例えば友達をつくろうと思っていっぱい日本人に話しかけるんですけど,全然友達になれませんというようなことはよく聞かれることだと思います。とにかく相手があるというようなことですね。
 それから,3点目です。ちょっと抽象的な言葉が続いてるんですけれども,日本語を学習するということを分析するときに,意図を単位として分析するというふうなことをアフォーダンス理論で言っています。一つの行為というのはより大きなタスクに埋め込まれている。ちょっと複雑なんですけれども,例えば日本語の能力をはかるときに,文法の項目が幾つ正解でした,文法の問題幾つ正解でしたとか,漢字を幾つ覚えましたということを私たちはよくやりますよね。能力試験も多分そういうふうになっているんだと思うんですけれども,もちろんそれは学習者を見る見方として大事なことです。ただ,よく考えてみると,日本語を勉強する人は漢字を覚えるために日本語を勉強しているわけではないですよね。多分ほかに何らかの目的がある。日本語でだれかと話をしなければいけない,話をしたいとか,あるいは,例えば新聞を読みたいから漢字を勉強するとか,何か別のもっとやりたいこととか,大きなやらなければいけない活動みたいなことがあって,その中で日本語を勉強する,あるいは日本語話者とインタラクション*3するということは出てくるんじゃないかと思うんです。
 それで,これは私ではなくてほかの方がおっしゃっているんですけれども,日本語というのは“LIFE”の中にあるんだ。この“LIFE”というのはなかなか訳せないんですけど,日本語でいうと人生とか生活とか二つになっちゃうんですけど,どちらにしても,とにかくその人の一生の中とか,あるいは毎日の日常生活の中で,最近買い物するのにスーパーに行くと余り話さなくてもいいんですけど,例えば周りの人たちとうまく関係をつくっていきたいからこそ日本語で何かコミュニケーションをすることが必要になるんだし,あるいは会社に行ってお給料をもらうということのために,いろんな日本語を使ってビジネスをしたりということが必要になってくるわけですよね。だから,とにかく日本語を勉強するために生きているのではないと。そのことは,日本語を教えたり,あるいは支援をしたりするときに少し大事にしなければいけないことかなと思います。
 そんな形で日本語学習をちょっと今までと違う見方で見てみましょうということを今日はご提案しようと思っているのですけれども,それを見てみるために,お配りしてある資料24ページのところにあります,何か変な丸がいっぱい載っている図ですね,それを使ってもう一度御説明をしたいと思います。まず,学習者がいるわけです。学習者というのは,さっき申し上げたように,自分はこういうふうにやりたいとか,恐らく日本に来ること自体がその人の人生の中で何らかの目的とか意味がある,先ほどのダイアンさんはたまたまバックパック旅行の途中で来たというふうにおっしゃってましたが,それも世界中を旅して回るということの,その人生の中の一つであると思うんですね。そういうふうに,学習者というのは学習者なりの目的を持っています。
 それから,個人的な目的,あるいは目標に従って行動しているだけではなくて,例えば,ある文化規範とかそういったものに従って行動するということもあります。先ほどの例ですと,日本人は3回お礼を言わなければいけないというような話がありましたよね。本当に3回言うかどうかわかりませんけど,「昨日ありがとうございました」と言って,何週間かたって「先日はありがとうございました」,何カ月かたってまた「先日はありがとうございました」と言わなくちゃいけないというような,そのように3度お礼を言うとしたら,それはそういうふうな文化的な規範に従ってそういう行動をするんだと思います。
 あと,例えばさきほどの話で,日本人は間違いをなかなか指摘しない,外国人が間違っても何かそれを指摘してあげるのは余り良くないんじゃないかなというふうに思って,指摘をしないというようなことがありました。それは文化規範かどうか難しいところですね。個人差も大きいかもしれません。そういうふうな文化的な規範を持っている人でも,例えば日本語の非母語話者の人と結婚して奥さんになると,日本語を直したりするかもしれないですよね。だから,そういった文化規範によっている部分と,あとやはり周囲との関係によって行動を決めていくというようなことがあります。そういったいろんな要因を考えながら学習者は行動を決めています。
 その学習者が対人,あるいは非対人的な環境といろいろやりとりをしながら勉強していくと。家族がいたり,テレビというのは結構皆よく見て勉強しているようですけど,テレビがあったり,あるいは,子供であれば学級の担任の先生とか,同じのクラスの友達がいたり,同じ文化の友人がいたり,日本語学習支援してくれる人がいたりします。
 そのときに,そういった働きかけをするかしないかということを決めるのにもう一つかかわってくるものがあるんですね。それを学習認知というふうに言っているのですが,例えば,この人話しやすそうな人だなというふうに思うと話しかける。ちょっと何か難しそうな顔をしてると思うと話しかけないとか,あるいは話しかけたいけど自分はまだ日本語にちょっと自信がないのでやめておこうとか,そういったいろんなものを判断しながら,学習者は環境への働きかけをしています。そういうものをまとめて学習認知というふうに呼ぼうということなんですけど,そういった形で,ある人とは濃く付き合ったり,そうでない人もいたりということがあります。
 それで,そういった認知に基づいて行動をして,お互いに,学習者の中でもいろんな情報のやりとりみたいなものがあるんだと思うんですけれども,さっきお話したとおり,学習行動をやりたいと学習者自身が思っても,ちょっと今状況がまずそうだからやめておこうみたいなことがあるわけなので,幾つかのレベルで判断をしているのだろうと思います。
 そして,こういうふうな図式で学習者は学習していると考えたいんですけれども,この図式は,たまたま今こういうふうになっているというわけで,ずっとこうであるということではないんですね。時間がたつと,この間の関係が変わってくることがある。それはちょっと図に表せないので,こういう矢印だけ書いておきますけれども,例えば,先ほどの話しかけやすそうだなと思った人とたまたまあいさつ程度はするような関係になって,でも何かふとしたことで相手の人が自分の国に行ったことがあるとか,あるいは同じ歌手のことが好きだとか,そういうことがわかってくると,どんどん話をする機会が増えたり,あるいは親密感が増していったりするわけです。ですから,そういった関係で,こういうふうにお互いにいろんな影響を与え合いながら,付き合いの度合いとか,あるいは相互作用の在り方,働きかけ合いの在り方というのが時間を経ると変わってくるということです。
 それと,もう一つ大事なのが,この外側に社会とか文化の影響があるということなんです。先ほどのお話の例ですと,韓国の方が東京にいると人間関係がすごく希薄で日本人って嫌だなと思っていたけれども,結婚して田舎に住むとすごく人間関係が親密になって,まるで韓国みたいだと思ったというふうにおっしゃっていたんですけれども,そういうふうに周りの社会とか文化がどのような様子であるか,あるいはどんな考え方,どんな規範を持っているかということで,その相互作用の在り方はすごく変わってきます。そのこともすごく大事なことだと思います。
 こういった中で学習者は学習をしているんですが,中には,こういった環境との相互作用というのをすごくうまく利用して,どんどん上手になっていくというふうな学習者もいるし,あるいは,余りそれが上手じゃなくて,勉強しているのになかなかうまくならないというようなこともあります。もちろんうまくなればいいかということではないと思うんですけど。
 今年の東京大会で非母語話者の方が報告をされたということを聞いたんですけれども,その中で何が一番おもしろかったかというお話を聞いたところ,中国から来た男の子が今大学に入っているんですけれども,どういうふうに日本語を勉強していったかという話がすごくおもしろかったとおっしゃっていて,その子供はやはり自分の学習環境との相互作用の中ですごく上手に学習をしていったというようなことをおっしゃっていました。すごくおもしろかったのは,社会文化的環境ですね。やはり外国から来るといじめとかあるでしょうという質問が出たら,でもそういうのは気にしなければいいことですからというような形で,影響があっても個人によってはその影響を受けにくい,影響され方が違うということも多分あるんだろうと思います。
 先ほどの図は円が一重というか,学習者を中心に書いていますので,その学習者の人がいろんな人といろんな形で付き合ってるというところしか示せてないんですけど,実はその学習環境の円というのはあの一重の円では単純過ぎますね。というのは,一人の個人であってもいろんなグループの人と付き合ってるわけです。そのことをちょっと図示したいと思います。これもお手元の資料にありますが,例えば,これはあるニューカマーの中学生の子供のことを想像しながら書いた図なんですけれども,家に帰ると家族がいて,その家庭というところにもかかわっているし,それから学校に出てくると日本語のクラス,まだ来たばっかりなので日本語クラスがメインの生活をしている。そこだけ考えても二つの種類の学習環境にこの人はかかわっているわけです。そして,日本語クラスは学校の中にあって,自分が行ってる中学校の世界というのもあると。そこでは,まだ余り仲良くはないけれども,一緒にトイレに連れていってくれたりとか,そういうふうな友達もいると。そして,それはもっと広い周りに地域社会というものがあって,そういったものの影響も受けつつ,本人も地域社会ともいろいろやりとりをしながら暮らしていると。例えば,団地に住んでいると隣の人がいろいろ世話をやいてくれたりとか,そういうこともあるわけですね。そして,家庭の周りは,多分家庭を中心とするという場合が多いんだと思いますけれども,その母語が通じる,あるいは文化を同じくするような人たちのグループもいると。それは一部は日本語クラスとも重なって,重なりの部分がうまく表せなかったということです。
 ということは,例えば日本語クラスに日本語の先生がいる,日本語を指導してくださる方がいる。その人は,その子の顔の半分くらいは多分見えるんですね。例えば,在籍学級の子たちとどんな関係をつくっているか,それぐらいまでは見えると思います。ところが,そのほかの部分というのは結構見えにくいということがあるかと思います。家庭でどうやっているかとか,もちろん子供の話からいろいろと推測するということはできますけれども,あるいは母語社会の中でその子はどういうふうな生活をしているのかというようなことはなかなか見えにくいということがあるかと思います。特に大人の場合ですと,それは自分である程度調節できるというか,自分で日本語の先生たちに見せている顔と,それから家族に見せている顔と使い分けたりすることもできるわけですよね。
 子供の場合も恐らくそれをやっていると思うんですけれども,ただちょっと気になっているのは,子供の場合やはり言葉の発達,あるいは認知的な発達ということがあります。子供の場合は幾つかの場面にかかわっていることで,トータルな面での成長とか,あるいは発育というようなものを見通してくれる人がなかなかいないと。もちろん,普通の日本で生まれ育って日本の学校に通っている子供もなかなかそれはできないですね。親は学校で何してるか知らない,学校の先生は家で何してるか知らないということもある程度あるんですけれども,恐らくは親が責任を持ってその子の成長や発達というものを見ていくということになるんだろうと思います。ところが,外国から日本に来た子供たちの場合は,親がいろんな理由で,言語の理由とか文化の理由とか,あるいは御自身が仕事がすごく忙しかったりしてそれができないというようなことがあって,要するにだれもその子供の発達,成長に責任を持ってかかわってやれない。一つの見通しを持って統一的な目で見てやれないというようなことがあるかと思います。
 子供にとってはそれは問題なんですけど,反対に大人にとっては,いろんなところでいろんな顔が見せられる。そのことによって,今までとは違う自分として周りと相互作用を行う。今までとは全く違うようなことをいろいろ体験したりするということで,大人の場合にはそれがプラスに働くということがあるのかもしれません。
 今までお話してきたようなことは一番最初に御紹介したいろんな研究プロジェクトの中で共同研究者の人たちといろいろ考えてきたんですが,それを何のためにやっていたかというと,もともといろんな学習者が最近増えてきた,今国内の学習者は12万人ですか,その12万人のいろんな人が増えてきているけれど,そのいろんな人に対応するにはどうしたらいいんだろうということが話の発端だったんです。学習者の多様性というふうに言われますけれども,そういった多様性をとらえるために一体どんな目で学習者を見ていったらいいんだろうかということが,こういうふうなことを考え始めたきっかけにあったわけです。
 それで,そういったことを見ていくにはということで,いろんな研究を探してみると,例えば学習者のタイプ別の教え方とか,認知スタイルとか,学習スタイルとか,あるいは動機とかニーズによってどう違うかというようなことが今までは言われてきました。例えば,中国からの帰国者の人にはこんな教え方がいいだろう,難民の人にはこういうのがいいだろう,あるいはビジネスマンにはこういうことを教えればいいんじゃないかというような,そういう発想で今まで多様性に対応してきたと思うんですね。ところが,どうもそれだけではないんじゃないか,もっと,例えば同じようにビジネスマンとして来ても,周りが全部英語の人と,それから英語を話せる人がほとんどいないような環境の人とは違うし,例えば同じ帰国者でも,年齢が違えば全然違うかもしれません。
 ということで,その人のバックグラウンドや,そういったタイプ別で見ていくのではどうも十分ではないんじゃないかということを考え始めたんです。それではどうするかというと,結局はその人が自分の周りとどんな相互作用を行っているか,学習環境とその人との相互作用,その相互作用の在り方がいろいろだという見方で見ていくしか,本当に多様性というものをとらえられないんじゃないかということを考えるに至りました。
 それで,そういったことをちょっと調べてみようということで,これも皆さんの資料に載せたものですが,調査をしてみるということをやったわけです。これは調査票の一部ですけれども,どういうことをやったかといいますと,その人に日ごろ付き合いのある人5人を挙げてもらい,その5人の人と,例えば,何々さんというのはどんな人なのか,性別はどうなのか,何歳ぐらいの人なのか,その人と一体どんな関係なのか,かなりプライバシーに踏み込んでいますけれども,配偶者なのか同級生なのかバイト先の人なのか,あるいはどんなきっかけで話をするようになった,こういうふうなことを聞いていきました。どんなふうに交流をしているんですか,何語でやるんですか…。
 そういったいろんな人と付き合ってるということはもちろんいろいろなんですが,もう一つは,先ほどお話したその人の“LIFE”ですね。生活とか人生の中で,日本語を使うとか,あるいは日本語を勉強するということがどういうふうに位置付けられているかということを知りたかったんです。恐らくその位置付け方は,教師あるいは支援者の目から見ているものと違うだろうと。先ほどお話したように,本人には本人しか見えていない世界があるんじゃないかということで,その本人から自分の周りとの付き合いというのはどういうふうに見えているんだろうかということを聞いてみました。それが例えば,その人と付き合うと日本語が上手になるかとか,文化,習慣の知識が増えるかとか,あるいは心の支えとしてその人は役に立っているのかどうかというようなことを聞いてみたわけです。
 それで,その結果の一部を図にして表してみたのが,25ページにあります。円が重なっていて吹き出しがいっぱいあるその図ですね。これ,仮名エレンさんという学習者の,どんな学習環境とかかわっているかということを示そうとした図なんですけれども,これ,すみませんが,1カ所訂正がありまして,Dさんのところ,「同国人男性留学生仲間」というふうに書いてあるんですけど,これ実はちょっと間違いで,日本人です。留学生仲間ではなくて,たまたま知り合いになった人なんですけれども。
 日本語の先生は,エレンさんという人が何か知らないうちにどんどん日本語上手になるんだけれども,なんで上手になったのか,よくわからないということで御紹介をいただいて,それでインタビューをしてみたわけです。そうすると,やっぱり先生が知らないようないろんな人と付き合ってる,当たり前なんですけれども,いろんな人と付き合っていて,それが結構いろんなところに発展をしていたり,結構おもしろい付き合いをしていたり,このDさんなんかもそうなんですけれども,何でつき合ったのか忘れてしまいましたが,とにかくたまたま知り合って,何か知らないけど相手が自分に興味を持っていて,営業の人か何かで,かなり実は離れたところに住んでいるんだけれども,ときどきメールをくれたり電話をかけてきたりして,仕事でまたこっちに来たときにちょっと御飯を食べたりとか,そういうふうなことが続いていると。そういった中で結構いろんなことを勉強するようなことがあるそうです。
 あと,もう一つは,日本語を使わない相手ですね。例えば,同じ国から来てる友達だとか,あるいは先に日本に来て日本に住んでいる親戚の人だとか,そういう人たちの付き合いは日本語の勉強からみると余り役に立たないように思ってしまうんですね。友達つくるんだったら,同じ国の人とばっかり付き合わないで,日本の人と付き合いなさいよというふうに思ってしまいますが,そうではなくて,実は同国人同士の付き合いというのが結構いろんな意味を持っていたりする。同国人のネットワークを通して,いろんな日本語あるいは日本文化,生活情報も含めていろんな情報を得ていたり,あるいはその同国人に負けないために一生懸命に勉強するとか,そういったケースもあるんですね。
 あるいは,これは同国人ではないですが,同じ留学生の友達で,お互いにどちらかというとクラスの落ちこぼれであると。でも,何か知らないけど授業のときいつも一緒に座って,何かごちゃごちゃ言いながらやってるんですね。何語でしゃべっているのかもよくわからないんですけれども,後で聞いてみると,どうもその人とはすごく共感できるものがあって,その人と話すために私は日本語を一生懸命勉強しているんです,お互いにそうなんです,ということを言っていました。だから,単に相手が日本語の母語話者じゃないとか,あるいは日本語のインプットが得られないということだけではどうも語れないような日本語学習の側面というのがあるんじゃないかということが,このインタビュー調査をして見えてきたことなんです。
 ということで,ちょっと中間地点なのでこの辺で2,3分休憩を入れようかと思います。ここまでのところで何か御質問とか御意見とかあれば承りたいと思います。いかがでしょうか。

*1 ストラテジー (strategy) 目標達成のための策。戦略。
*2 アフォーダンス理論 (affordance) 知覚心理学者 J=ギブソンの理論。環境の意味や価値は認識主体によって与えられるのでなく,環境のうちにすでに実在しており,環境によって提供(afford)されるという思想。
*3 インタラクション (interactive) (interaction) 相互作用。

参加者 先ほど日本語学習者が12万人という数を教えていただいたんですが,それは大学とか学校とか,そういう学習機関に属している人だけなのか,地域の日本語教室なんかに入っている人は含まれていないのでしょうか。
浜田 多分それは把握できたのがそれだけだったということがあるかと思います。
 よろしいでしょうか。じゃ,2,3分休憩をしたいと思います。15:40ぐらいから再開をしたいと思います。
<休憩>

浜田 そろわれたようですので,始めたいと思います。まず一つ目の活動なんですけれども,学習者の学習環境を見直してみようということなんですけど,印刷物に載せたものとちょっと変えました。実は自分の大学の学生にやってみて,これは今まで想像したことがない人に想像しろというのはすごく無理だということがわかったので,ちょっと変えたいと思います。
 ここで取り上げるのは,最初は学習者の学習環境全体を想像してみようということを想定してたんですけど,そうじゃなくて,自分とある特定の学習者とのかかわりについてちょっと振り返ってみたらどうかなということをやりたいと思います。どの学習者でも結構ですので,今自分がかかわっていらっしゃる学習者の方,気になる学習者がおもしろいと思うんですけど,いろんな意味で気になる学習者っていると思うんですね。その学習者と皆さん御自身とのかかわりというのをちょっと考えていただけたらと思います。その人と皆さんとの間にどんな相互作用が起こっているかということなんですね。
 それで,それを振り返っていただくための枠組みとして,先ほどパワーポイントでもお示ししました27ページにもあります資料のこの枠組みですね。これを使ってその学習者とどんなかかわり方をしているかということをちょっと振り返っていただきたいと思います。
 その相手がどんな人かということと,その人とどんな頻度でどんなかかわり合い方をしているか。多分,教室だけのかかわりという場合もあるでしょうし,それから教室が終わってからも,ちょっとしたよもやま話をしたり,あるいはもっと親しく,例えばときどきごはん食べにいったり,カラオケに行ったりとか,そういうこともあるかもしれません。そういった形で,どんな相互作用があるかということをちょっと振り返ってみてください。
 そして,今度10番以降ですね。その人から見て皆さんとの付き合いというのは,日本語学習の役に立っているのだろうか,多分役立っているんだろうと思いますけど。あるいは日本の文化,これは広い意味での文化です。日本人の考え方とか,あるいはもっと狭い意味で,地域でのいろんな情報を得たり,地域でのいろんなことを知ったりするということに役に立っているだろうか。その人にとって,今度は精神的な支えとしてどうなんだろうか。これ,役に立たなければいけないということではないんですね。単にそれだけという,そういう事実だということなので,そうならなければならないということではないんです。どういうふうな相互作用かということを,まず御自分で少し考えていただいて,準備ができたら,先ほどつくっていただいたペアで,お互いに質問をし合って,どんな相互作用があるのかなということをちょっと考えていただけたらと思います。それで,皆さんペアで十分話し合っていただいた後で,どんなことが出てきたかということを出していただいて,みんなで考えていけたらなと思います。
 じゃ,よろしくお願いします。
<ペアワーク>
浜田 すみません,話が盛り上がっているのに本当に申しわけないんですけど,約束した時間が来ましたのでどうでしょうか。お互いに情報交換というか,お互いのことを質問し合っていただくということをやったんですけど,何か気付かれたこととか,相手の話を聞いてすごくおもしろかったとか,そういうことがありましたら,ぜひみんなで共有していけたらなと思うんですけど,どうでしょうか。
 とりあえず自分のことを話すのがすごくよかった?そうですよね。最初に,日本語の先生一人で頑張りがちというふうに言ったんですけど,なかなか先生同士でというか,だれかにそういったことを聞いてもらうという機会がない場合もあるので,やっぱり自分で意識的にそういう場をつくるというのは大事かなと思います。
 何かほかにありますか。
参加者 Eメールでよくやりとりがあるというのが,以前は多分,手紙が届かないとか,国帰ったら返事が来なかったとかそういうのがあったのが,Eメールで続きやすくなったのかなというのが共通意見です。
浜田 そうですね。学習環境とのやりとりということですけど,要するに学習環境とのやりとりというのは,直に話すだけではないので,Eメールでやりとりするとか,携帯で話すとか,いろんなことが含まれていると思うんですね。その同じ環境とのやりとりでも,それを支えてくれる物理的な条件とか,そういうものがあるかないかによって全然違うということがあるかと思います。
 例えば,ある大学で,日本人と留学生の交流がうまくいくかどうかというときに,たまり場のようなスペースがあるかないかによってすごく違いが出てきたというお話をしてくださった方がいらっしゃいました。要するに,何でもないただいすと机があるだけのスペースだけれども,それがある年とない年とでは,留学生と日本人がうまくやっていけるかどうかが全然違ったというようなことがあると思います。だから,メールとか携帯というのは,そういう意味ではいろんなやりとりを助けるすごく重要な道具なのかなというふうに思いますね。
 ほかに何かありましたでしょうか。
参加者 僕は日本語指導者ではないんです。こちらの方は指導者なんですね。彼女の抱えている問題というのは,外国の方の日本語教室に来られる距離が遠い。彼女はむしろ外国の方のお家に近い。ところが開校されている場所が遠くて行きにくい。僕は市の側の立場の人間なんですけれども,幾つも小さい箇所をたくさんつくろうと今努力をしているんです。ところが,こちらの方のところは,ここでやってくれたら困るという問題を抱えてらっしゃると言って,やってることは似ているんですけど,問題点があって,解決の仕方が何とかしてうまくいかないというところを抱えてます。
浜田 それも本当にすごく大事な問題ですよね。本当に,例えば駅からの距離がどれぐらいあるかとか,特に移動の交通手段が限られている学習者の人は多いですよね。車で行けば何でもないというけれども,車がなかなかないというようなことがありますから,それはすごく大事な条件だと思いますね。
参加者 学習意欲がわいても,自転車でくるのはしんどくて来れないから,やめますと言われたんです。ショックで。ところが,私は何とも言えない立場で,やっぱり自治体から使われている身なので。そこの悩みを抱えているのが現状です。
浜田 ほかに何かこんなことがおもしろかったとかありますか。そういういろんな解決できない悩みは,特に地域でかかわってらっしゃる方に多いかと思うんですけど。
 それでは,また続きの活動にいきたいと思います。その中でまた何かいろんなことが出てきそうですので,活動の2の方に行きたいんですけど,その前にちょっと実践例というのを御紹介したいと思います。今は学習者の人と,それから支援をしていらっしゃる方との関係というふうなことでやったんですけれども,これはこの調査票を使ったものを学習者同士でやった例です。要するに,自分がどんな学習環境に囲まれているかということを自分自身で意識化するということと,それからほかの人がこんなことをしてるというのを聞いて,そこから学べるものがあるんじゃないかということで実践された例です。一緒に研究している仲間の宮崎さんという人がやった例なんですけれども。
 最初は,日本語学校でやったんですけれども,やる前にみんなでこういうことでやってみましょうというふうに話し合ったところ,どうせみんなアパートと学校とバイト先の三角形の行き来だけなので,みんな同じだよとか,新しい環境なんかあるわけないよというふうな意見があったということなんですが,実際にこれをやってみて,付き合いのある人を5人挙げてくださいということで,それぞれの学習環境を振り返ってみて,ペアでやってみる,自分の振り返りじゃなくて,相手に質問をするというペアワークの形でやったんです。そうすると,交流の相手が日本人社会にどんどん広がっていってる人がいたり,中には同国人,同じ国から来ている人の中にとどまっている人がいたり,そんなに数はいないけど,でも深く付き合ってる人がいて,ほかの人はいいなというふうに思うとか,実は日本語学校の学生,留学生といっても一様ではないということが出てきたそうです。
 中には,それはやっぱり自分自身の問題だから自分でやればいいんじゃないかという人もいたらしいんですけれども,ただやっぱりいろんな人とそういった情報を交換することで,今まで一人では気が付かなかったものの見方などをお互いに知ることができた,自分を振り返るきっかけになったとか,あの人すごく頑張ってるなと刺激を受けたという感想がありました。
 それで,やっぱりおもしろかったのが,時間がたつとそれが変化していくということで,例えば何年かたった後で,今度自分の環境がどうなっているかというようなことをもう一度自分自身で調べてみる,振り返ってみてどう変わっているかというのをやってみたいというふうな意見もあったそうです。もし御興味があれば,御自身がかかわっていらっしゃる現場でもそういうことをしてみられると,何かのきっかけになるかなと思います。こちらは高校で交換留学で来る留学生たちですけれども,その人たちも周りにいろんなリソースを持っているということが整理されている図です。一つは,とにかくどんな学習環境が自分の周りにあるか,あるいは学習者の周りにあるかということを自分自身で支援者として想像してみたり,あるいは自分自身で振り返って意識化してもらうということが大事だと思います。もう一つ,これは当たり前のことなんですけれども,例えば学校の先生であれば,学校の中にあるいろんなリソースに働きかけることができる。先ほどのお話だと,ボランティアの身ではとか,雇われている身ではなかなかということがあるかもしれないんですけれども,できる範囲でいろんなリソースに働きかけてみるということはできるかなと思います。ここだと,例えば物理的なリソースですね。学校ではいろんな資料をそろえるとか,あるいは社会的なリソースとして,例えば文化祭のときに子供を中心にしたような取組をやってみるとか,あるいは人的リソースとしては,生徒だけじゃなくて生徒の保護者も巻き込んだようなPTAみたいなところまで人的リソースとして考えると,いろんなことができるんじゃないかなということが表にまとめられているものです。
 同じように,これはホストファミリーですけれども,ホストファミリーの中でもいろんな物的なリソース,あるいは人的なリソースというのがある。例えば,物的リソースとして漫画とか雑誌とかそういうのが挙がっています。人的リソースとしても,ホストファミリーのほかにホストファミリーの友人とか親戚みたいなものも挙がっています。ですから,一番最初の話に戻りますと,自分一人頑張るということももちろん大切なことですけれども,周りにいろんなリソースがあるんじゃないかということを考えてみて,どうやったらリソースを学習者にとって有効な形にデザインできるかということも,学習支援者として重要な課題かなと思います。
 ということで,活動の2につながるんですけれども,それじゃ,自分がかかわっている地域,あるいは学習環境といったものがどういうものかということをちょっと考えてみようということです。これも先ほどと同じ,多分違う地域から来ていらっしゃる方がペアになってくださっていると思いますので,お互いにどんな環境でお仕事をされているのか,あるいは支援をされているのかということを質問をしていってみてください。
 質問の項目は26ページの活動の2のところに挙げてあります。どんな環境と一口に言っても,いろんな側面からその特徴が描けるんだと思うんですけれども,例えば,その地域の,これは地域を中心に書いてあるので,地域でない場合は学校とかあるいは教育機関でということになるかもしれませんけれども,どれぐらい学習者がいるのか,その教室に通ってきている学習者はどれぐらいいるのか。それは,例えば定住外国人がたくさんいる中で,その一部の人なのか,それともいる人はほとんど来ているというような状況なのか,それは多分地域の状況によっても違うと思うんですね。どんな背景の人が来ているのか,国際結婚の奥さんなのか,それとも就労している人なのか,あるいは子供たちなのかということもいろいろあるかと思います。そんな中で,その教室というのをどういうふうに位置付けることが,そういった人たちのニーズに合っているのかというようなことが決まってくるかなと思います。
 それから,教室がどんな場所にあるか。あるいはどんな時間にその教室が開かれているのかということもすごく大きなポイントだと思います。あと,どんな理念でその教室をされているのか。何を教えるかやどう教えるかというのは,その学習者にどんな支援をすべきかというふうな理念と大きくかかわっていると思いますけれども,そういったこともあるかと思います。それから,支援者の数とか背景。例えば,専門的に日本語教育のことを勉強した人たちのチームなのか,それとも,そんなことは言ってられない,とにかく援助することが必要なんだということで,とにかく動き出したというふうなチームなのか。あるいは外国人の人たち,あるいは教室の人たちに対してどういうふうな態度を持っている人たちなんだろうか。いろんなことがあるかと思います。一人でやってるのか,それともすごくたくさんの日本語の先生がいて,ローテーションを組んでやっているのかというようなこともあります。それから,支援の方法,教え方,グループ分け。これは支援の方法ともかかわりが深いと思いますけれども,1対1で教えるのか,それともクラス形式でやっているのか。クラス形式の場合でも1対1の場合でも,恐らく教室に通ってきている学習者同士の間でまたどんな関係ができているかということがあるかと思います。そういうことも含めてどうなっているのかということですね。あと支援者間の連絡。先ほども支援者の抱える悩みをどうしたらいいのかというようなこともありましたけれども,もっと実質的な,前の時間に教えたことをどうやって次に受け渡ししているのかとか,あるいは何か問題があったときに,協力してそれを解決するようなシステムというのがあるのかとか,そういったことも考えてみる必要があるかと思います。それから,使っている教材,教具。先ほど伺うと,関西地区の方がすごく多かったんですけど,例えば大阪弁を教材として使って教えているなんていう方はいらっしゃいますか。『みんなの日本語』ですか,皆さん。でも,本当はそういうことも結構大事かなと思ったりするんですけど,そういったことも含めてですね。それから,地域の中にどんな社会文化的な環境があるのか。先ほどのように,田舎なので結構人間関係が緊密なところなのか,あるいはもっともっと田舎で,例えば,離島に住んでいらっしゃる外国人のお嫁さんで,本当に家族しか顔見ないなんていうようなケースもあると聞きますので,その地域のいろんな社会的,文化的な状況というのはかなり影響が大きいかと思います。
 そういったことを中心に,先ほどのペアに戻っていただいて,お互いが持っている学習環境,例えば,学習者の人に対して支援をするとしたときに,こういった学習環境のどれがリソースとして役に立ちそうかということも含めてになると思いますけれども,ちょっとお互いに情報交換をしてみてください。多分お互いに何か必ず参考になるところが出てくると思いますので,ちょっとこれはゆっくり時間をとりたいと思います。16:30ぐらいまでお願いいたします。
<ペアワーク>

浜田 すみません,残念なんですけれども,時間が来てしまいまして,まとめをしたいと思います。まだまだ話し足りないという方は,この後も二次会とか三次会とか個人的に機会を持っていただければと思います。今の活動で何か気付かれた点とか御意見とかがあれば最後にちょうだいしたいと思います。いかがでしょうか。

参加者 まだ話し足りない。
浜田 今日御紹介したのは,本当に見方の手がかりというか,ちょっと今までと違う視点を持っていただけたらなということと,手がかりになるためにこういった図というのを御紹介したんですけれども,お役に立つかどうかわからないですが,こういう活動を何回かいろんなワークショップでさせていただいています。やはり先生が,あるいは学習支援者の人がこういう視点を持つということがすごく大事だと思うんですね。学習者,学習者によって違うし,それこそ地域によっていろんな特性があると思います。例えば,同じ中国人のお嫁さんというのでも,どこの地域に来るかによって本当に全然違う要素がいっぱいあると思います。
 ですから,本当に学習環境をつくっていく,もちろん本人のやらなければいけないこともたくさんあるんですけれども,学習支援者の方がそういうふうな視点を持ってかかわってくださると,生活のできるだけしやすいような,そういったような学習環境ができていくんじゃないかなというふうに思っています。
 ということで,今日はお役に立ったかどうかわからない,つたない内容でしたけれども,皆さんの御協力を得まして,活発な議論ができたかなと思います。これで終了させていただきます。ありがとうございました。

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